恋の種
By ドミ
(24)
蘭の「お嫁に行く」は、昔ながらの「嫁ぐ」という言葉の意味ではない。今の時代、家と家との関係ではなく、お互いに対等な立場の人間同士としての結婚と、考えている。しかし、父親に告げるときには、親からの独立の意味も込めて、「お嫁に行く」という言葉が一番しっくりと来たのだった。
小五郎が、苦虫を噛み潰したような顔になった。
「……俺はまだ許さんと言ったはずだぞ?」
蘭が、顔をあげて言う。
「うん。お父さんに許して欲しいって話じゃないの。わたしが、そう決めたの」
「……そもそも、結婚の話なのに、あの探偵坊主が挨拶に来ないのはどういうわけだ!?」
「だって、新一は知らないから。わたしが勝手に決めたことだから」
「はあ!?オメー、あの坊主からまだプロポーズもされてねえのに、勝手に突っ走ってるのか!?」
「ううん。新一からは、結婚しようって言われた。新一としては、わたしが大学卒業したらって、考えてるみたい。でも、わたしは……早く、新一のお嫁さんになりたい」
しばらく、沈黙が下りた。
「……とりあえず、飯食おう。せっかくのご馳走、冷めたら台無しだろうが」
「う、うん……」
親子で向き合って、黙々とご飯を食べる。
「お父さん。明日は、昼遊びに行った後、新一の家に泊ってくる」
「……そうか……」
お泊りは既に何回かしているため、咎められることはない。小五郎はおそらく「クリスマスイブの日に蘭は新一と深い仲になった」と思っているのだろうと、蘭は思う。
小五郎は大きなため息をついた。
「とにかく、新一の野郎に、ちゃんと挨拶に来いと言っておけ」
「お父さん……」
「勘違いするなよ。許すって意味じゃねえからな」
「うん……」
と、突然、玄関がガチャッと開いた。呼び鈴も押さずに鍵を開けられる人物は限られている。
「お母さん?どうしたの?」
「おせーぞ、英理」
「悪かったわね。仕事がどうしても切り上げられなくて……わたしもご飯いただけるかしら?」
今日は、腕によりをかけてご馳走をたくさん作ったので、余りそうである。トロピカルランドは食べ物持ち込み禁止なので、お弁当で持っていくことも出来ない。なので、英理に食事を出すのは一向にかまわなかったのだが。
「この人がね。蘭が久しぶりにご馳走づくりに精を出してるみたいだから、食べに来いって言ったのよ」
「お母さん……」
小五郎が英理をわざわざ呼んでいたのは、昼間、すでに何かを感じ取っていたからだろうと、蘭は思った。
蘭が、英理の分のご飯をよそって出す。
「……ありがとう。3人でご飯を食べるのなんて、久しぶりね」
前に食事会を企画したのは、英理の誕生日だった。もう、4か月も前のことになる。その時は、途中までいい雰囲気だったのに、些細なことから大喧嘩になり、せっかくの誕生日が台無しだった。
考えてみればあの頃は新一とまだ付き合ってなくて、蘭は、大きくなっていく自分の恋心を持て余していたのだった。
「また、喧嘩なんかしないでよ?」
「ふふふ。案外、蘭が居なくなってからの方が、喧嘩は減るかもね」
「何それ?わたしがいない方が良いってこと?」
「違うわ。あなたがいると、甘えちゃうのよ。小五郎も私も……」
「えっ!?甘える?お母さんが……?」
「蘭のことを、十分甘えさせもしなかったくせにって、自分でも思っているわ……」
初めて聞く英理の本音に、蘭は驚いていた。
「小さかったあなたが、一人の男性を愛し愛される、こんな立派な大人の女性になって……」
「お母さん?」
「ふん!俺は認めんからな!」
「お、お父さん!」
英理がほほほっと笑う。
「蘭。あれも必要な通過儀礼だから。親から独立して新しい家庭を作ろうって時に、障害の一つや二つ、無くてどうするの!?」
「っていうか、お母さん……わたしお母さんには、結婚の話、何もしてないんだけど……お父さんにだって、ついさっき……」
「ふふふ。それは、以心伝心ってところかしら?」
蘭は驚いて、小五郎と英理の顔を見比べる。
探偵としてはヘボと称されるくせに、色々察してくれていたらしい、父の小五郎。小五郎から「ご飯を食べに来い」と言われただけで、色々察した、母の英理。
「……ふうん。わたしが一生懸命お父さんとお母さんを元さやにしようって散々頑張ってたけどさ。結局、壮大な『犬も食わない』だったってワケね」
「お、おい、蘭!今は俺たちじゃなくてオメーの話をだな!」
慌てる小五郎に、蘭はにっこり笑って帰す。
「よかった。わたしがこの家を出たら、お父さんのことだけが心配だったんだけど……杞憂だったね」
「ば、バーロ!親の心配するなんざ、100年早い!それより俺は探偵坊主との結婚なんざ、認めんからな!」
「はいはい」
蘭は苦笑して答えた。
☆☆☆
その夜。蘭は久しぶりに母親と並んで寝ていた。
英理の部屋はあるけれど、今夜は一緒に寝たいと思ったのだ。
「ねえ、お母さん……もう寝た?」
「ん?何、蘭?」
「わたし、明日、新一の家に泊るんだけど……」
「……それで?」
「さすがにちょっと、怖いというか……」
「怖いって……新一君が?」
「ううん……自分がどうなっちゃうのか、が……」
「あ、やっぱり。蘭はまだ、処女だったのね」
「えっ!?何でわかるの!?」
「ま、それは、母親の勘?」
「えーっ!?」
「……何かが変わるかっていえば、きっと変わらないわ……」
「そう?」
「意に染まぬ関係を強要されたとかなら、別だろうけど。お互いに望んで結ばれた場合、まあ色々と感情の揺れはあっても、本質的なところは、変わりはしないわ……でもきっと、幸せな思い出になるわよ」
「……」
英理にとって、小五郎と結ばれたことは、幸せな思い出になっているのだろう。蘭はそうと気付いて、微笑んだ。
☆☆☆
次の日。
蘭は早起きし、念入りに身支度をした。お気に入りのワンピース、お気に入りのコート、お気に入りの靴、胸元には、新一が贈ってくれたペンダント。もちろん、下着も、吟味したものを身に着けている。
着替えなどのお泊りセットを詰めたボストンバッグを手にして、蘭は出かけて行った。
ポアロの前に車が停まっていて、新一は車の前で待っていた。
目を細めて、蘭を見る。
新一は、セーターにジーパン、ダウンジャケットというラフな格好だ。
蘭が新一に駆け寄り、新一が蘭を抱き寄せようとすると……ポアロの上の毛利探偵事務所の窓が開き、
「こらー!事務所の前でいちゃつくな〜!」
という小五郎の怒声が飛んだ。
蘭の荷物を車に乗せ、2人とも車に乗り込んで、出発する。そして、トロピカルランドに着いた。
「新年を迎えたときに花火が上がっていたのが見えたのは、ここだよな」
「え?そうなの?」
「ああ。方角的に、間違いない」
「……」
方向音痴の蘭は、「方角的に間違いない」とか言われても、全くわからない。ともあれ……今は遊園地デートを楽しもうと思った。
様々なアトラクションや乗り物を楽しむ。並ばなければならないところも多いが、新一はスマホで情報収集しながら、出来るだけ効率的に回れるようにしているようだ。
「新一……ここに来るの、初めてだよね……」
「ああ。それが?」
「何でそんなに詳しいの?」
「昨夜、ガイドブック読んだ」
「え?まさかガイドブック読んで徹夜……」
「するわけねえだろ。1回見たら頭に入るし」
「わ……やな感じ……」
そういえば新一はこういう人だったと、蘭は思い出していた。小中学校の教科書も「1回読めば全部頭に入る」ので、すごく綺麗だったのだ。アンダーラインとか引きまくっていた蘭たち凡人とは違う。
新一は、文武両道で本当に何でもこなす。ただ、意外と不器用な面もあり、ゲームとかはクラスメートたちにいつも大負けしていた。サッカーの反射神経は良いのに、ゲームの時はどうしてその反射神経が働かないのだろうと思っていた。
けれど……何でも器用にこなす新一だが、実はものすごく努力していたのも、蘭は知っている。学校の勉強はともかく、雑学を吸収していたのは探偵として活躍することを見据えてだろうし。サッカーも、いつも練習を欠かさなかった。
よく考えてみれば、新一がトロピカルランドのガイドブックを読んだのだって、自分が興味があるからではなく、蘭をエスコートするためだろう。
『やな感じなんて言って、悪かったな……』
蘭はそっと新一の横顔を盗み見るが、気を悪くした様子はなかった。
そろそろお昼時。どこかで食事でもと蘭が声を掛けようとしたら。新一が腕時計を見て言った。
「そろそろ時間だ。蘭、行くぞ」
蘭の手を取って、走って行く。床に太陽のような模様がある広場に来た。
「もう、何なの一体……!?」
「10……9……8……」
新一が始めたカウントダウンに、蘭は目を見開く。
「ゼロ!」
突然、周囲から噴水が吹きあがった。晴れた冬空に、虹が掛かる。
今の時期、噴水は正直寒かったが、その光景の美しさに、蘭は見惚れた。
「わあ……」
「オメー、好きだろ?こういうの……」
そう言って、新一が笑う。その新一の笑顔に、蘭は泣きそうになって、新一に抱き着いて顔を隠した。
「ら、蘭!?」
今更のように、蘭は気付く。新一はいつもいつも、「蘭が好きそう」「蘭が喜びそう」「蘭が嫌な思いをしない」「蘭が辛い思いをしない」を行動原理としていた。幼い頃から、ずっとずっと。
「やっと、追いついた……」
「は?」
「ううん、やっぱり、ずっと追いつけないかも……」
「蘭?何の話だ?」
「新一の気持ちに……わたしの気持ちが……」
蘭が顔を上げると、新一が真っ赤になって蘭を見ていた。
(25)に続く
2021年10月19日脱稿
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