恋の種



By ドミ



(29)



 蘭は、睡眠不足状態で3月14日を迎えた。何故なら、毛利探偵事務所と、新一と、2か所の確定申告を仕上げ、税務署に届出を行ったからだ。確定申告は3月15日が締め切り日だが、ギリギリ提出にしてしまうと、トラブルがあった時に対処できない。なので……ホワイトデーは何の心配も残っていないように、3月13日に全ての作業を終わらせた。
 しんどそうな蘭を見て、心配そうに新一が言った。

「蘭……今日のお出かけは、無しにするか?」
「え……だって、すごくすごく楽しみにしてたのに……」

 この日のためにオシャレをして、準備していたのに、中止になるのは嫌だった。蘭が抗議するとアッサリ撤回された。

「ごめん……オレの確定申告してくれたってのによ……出かけるのやめるなんて言って、悪かった……」
「ううん。新一はわたしの体を心配してくれたんでしょう?でも、睡眠不足なだけだから……楽しみにしてたんだから……」

 今日行くのは、米花水族館になった。新一は、トロピカルマリンランドにしようか、それともと、色々悩んでいたそうだが、水族館の方がゆっくりできると踏んで、結局、水族館になったのだった。
 3月14日は、小中学校はまだ春休みになっていないので、人出もそんなに多くないだろう。

 米花水族館はさほど遠いわけではないが、蘭をゆっくりさせるために、今日も新一は車を出した。水族館は、建物の中も多いが、屋外部分もある。雨が降ったら意外と大変だけれど、今日は良く晴れていた。

「予報では雨って言ってたけど、晴れてよかったな……」
「当然よ。だって、テルテル坊主を吊るして来たんだもん!」
「テルテル坊主?」
「そうよ!新一の大事な試合の時に、いつも晴れにしてくれたテルテル坊主!」
「……」

 新一の顔がちょっと不機嫌そうになったような気がして、蘭は新一の横顔を見る。

「新一って、テルテル坊主、嫌いなの?それとも、そんな非科学的なとか、思ってるの?」
「いや。ゲン担ぎくらい、オレもするし、別にテルテル坊主を否定してるわけじゃねえけど。テルテル坊主って、呼び名に坊主が付くんだから、男だよな……」
「え?そうなの?考えたこともなかった……」
「オメーまさか、それにキスしたりなんか、してねえだろうな?」
「ええ!?してないしてない!っていうか、新一、まさかテルテル坊主に妬くの!?」
「……オレは独占欲が強いっつったろ?」
「だから!新一のために働いてきたテルテル坊主だからっ!」

 蘭の背中をタラリと冷や汗が流れる。実は、テルテル坊主に「明日天気にしておくれ」と声を掛けてチュッとキスしたりとか、したことがあった。今後、新一と一緒に暮らし始めたら、そういうことをしないように、細心の注意を払わなければと思う。
 と考えている間に、睡魔が襲ってきて、蘭は米花水族館に着くまで、ぐっすりと眠ってしまっていた。

「蘭。着いたぜ……」
「ごめん!眠っちゃって……」
「いや……元はといえば、オレの確定申告まで蘭に任せたのが元凶だしよ……」
「新一……そんなこと、気にしないで!だってわたし、新一専属の事務員になる積りだし……」
「蘭……ありがとう。それとさっきの、テルテル坊主の件も、不機嫌になって、ごめんな……」
「ううん。わたし、テルテル坊主は新一のために作ったのよ。あのテルテル坊主を見つけたとき、わたしに自覚は無かったけど、あの頃からちゃんと新一はわたしの特別だったんだなあって、思っちゃった」

 新一は微笑み、手を伸ばすと、蘭の頬を撫でた。そして顔を近づけ、唇を重ねる。

「じゃあ、行こうか……」
「うん」

 そして2人は水族館に入った。ここの水族館は、トンネル型の大水槽が売りである。新一はスケジュールを確認し、アシカショーなどを前の方で見られるように調整してくれた。おそらく、蘭がなるべく座って居られるようにという配慮もあったのだろう。
 昼は、水族館内のレストランで食事をした。展望が良いレストランで、テラス席もあるが、まだ肌寒いので室内で窓から海を眺めながら食事をする。
 カレーライスの飯は、ラッコ型に盛り付けられていた。

「このご飯、可愛いけど、食べるのが可哀想……」
「……でも、食べなきゃ、もっと可哀想だぞ」
「うん、そうだね」

 デザートのソフトクリームは、イルカ型のクッキーがトッピングされていた。さすがに蘭はもう、「可哀想」とは言わなかった。

 午後は、イルカショーを見た後、米花水族館の売店を見て回った。米花水族館マスコットキャラ・ナマコ男の、ぬいぐるみなどが沢山並べられている。

「あ!ナマコ男だ!可愛い!」
「蘭は、ナマコ男が好きなのか?」
「うん!大好き!」

 そう言って新一に笑顔を向けたが、新一の表情が微妙なことに蘭は気付く。蘭がいぶかしげに新一を見ると、新一の表情がハッとしたものになった。

「……ごめん。妬いた」

 新一が赤くなって言った。おそらく新一としては口に出して言いにくかったことだろうと思う。言葉もなく不機嫌になったら、蘭が心傷めると気にしてくれたのだろう。新一は本来、デリカシーがある方ではないが、この数か月で少しずつ、変わって行こうとしてくれているのを、蘭は感じた。なので、蘭も率直に返す。

「新一が妬いてくれるなんて、嬉しいよ」
「……ぬいぐるみとかに妬くのは、心狭いって思わねえか?」
「その、心の狭さも、好き」

 新一はぶわっと真っ赤になった。お互いの独占欲すら、嬉しいし好きだと思える。本当に幸せだと蘭は思う。

 蘭は、ナマコ男ストラップと、小さなナマコ男ぬいぐるみと、青いイルカが指輪についているドルフィンリングを手に取ったが。

「ゆ、指輪は……その、指を空けといて欲しい……」

 との新一の言葉で、同じデザインのイヤリングを手に取った。蘭はピアスホールを開けていない。時々イヤリングを使うことがあるが、結構落としてしまうことも多く、いくらあっても良いと思う。

 新一が、蘭が選んだものを持ってレジに向かおうとした。

「え?新一……わたし学生っていってもバイトもしてるし、そのくらい、自分で払うよ……」

 いくら新一が社会人で、蘭が想像していた以上に収入があったとしても。バレンタインデーの時も、今日も、遊ぶ費用・食事代・宿泊代、全て新一が支払ってきている。新一は何も言わないが、おそらく今日、ホワイトデーのお返しも待っている。ここでの買い物の費用くらいは、自分で出さなければと、蘭は思っていた。

「オレが贈りたいんだよ……」
「で、でも……」
「蘭。結婚した後、蘭には家計管理を頼みたいと思ってるし、蘭のモノを買うのも自由にして良いと思ってるけど。自分の金ってのは、持っておいた方が良い。なるべく使わずに残しとけよ」
「新一……」

 蘭は、不意に気付いた。頭脳明晰な新一は、おそらく会計ソフトもすでに使いこなしているだろうし、多忙だとしても、蘭に任せなくても、確定申告くらい出来ただろう。けれど、蘭が手を着け始めたので新一が手を出さず完全にお任せにしたのは、将来を考えてのことだったのだろう。



   ☆☆☆



 水族館は、トロピカルランドなどの遊園地と違い、目いっぱい遊んでも、そこまで時間が掛からないものだ。
 水族館を後にした新一が、車で乗り付けたのは、宝石店だった。

「し、新一……?」
「……エンゲージリングは、オメーの好みもあるだろうから、勝手に買うんじゃなくて、蘭と一緒に選ぼうと思ってよ」

 現状、新一と蘭の「婚約」は、2人だけの口約束。けれどそこに、形が加わる。蘭は嬉しくて胸がキュンとなった。

「おじさんの許しを得たらすぐに入籍予定だから、もう、婚約者じゃなくなるけど。蘭には婚約指輪だけを着けてもらって、結婚指輪は、来年の結婚式の日からお互いに着けるってことにしてえんだけど、それで良いか?」
「う、うん!」

 新一が目星をつけていたエンゲージリングは、桜の形にカットされたダイヤを使った、指輪自体も桜のイメージのものだった。蘭もとても気に入ったが、値段も相応で、今の新一に出せる金額だと分かっているが、本当に良いのかとドキドキしてしまう。

「一生もんだからよ、妥協は、なるべくしたくねえ」

 ということで、指輪は決まった。
 蘭は、専用スコープで、選んだダイヤのルースを見せてもらった。指輪にセットしたらもう見ることが出来ない、ダイヤの中に浮かび上がる桜模様に、震えるほどに感動した。本当に、一生ものだと思った。
 注文制作であるため、出来上がるのは今月末になるとのことだった。2人が出会った思い出の桜の季節だ。そして先のことになるが、結婚指輪もこのシリーズで揃えようと、2人の意見が一致した。

「エンゲージリングが出来上がる頃には、おじさんの許しが出たら良いな」

 そう言って新一は笑った。2人だけの結婚式は、桜の中で出来たら良いなと、蘭は思う。そして、何となくだけど、新一も同じことを考えているような気がした。


 宝石店を出て、次に向かったのは、ベルツリータワー。

「今日も、ベルツリータワーに上るの?」
「いや。最初はちょっとそれも考えてたんだけど、今日はやめて置く。今日はここのホテルに部屋を取ってんだ……」
「新一……」

 今日は工藤邸にお泊りだと思っていたのだが、新一はホテルを取っていたようだ。工藤邸だと、蘭が色々家事をやろうとするだろうから、蘭をゆっくりさせるために、ホテルを取ったのだろうと、蘭は思った。
 チェックインして、部屋に入る。

「蘭。夕飯まではまだ時間があるから、ひと眠りしておけよ」
「新一は?」
「オレは、本でも読んでるさ……」
「やだ!新一も一緒に……!」
「えっと……」

 新一が、逡巡する様子を見せる。

「蘭と同じベッドに横になって、手を出さねえ自信はゼロなんだけど……」
「いいよ……」
「へっ!?」

 目を丸くして蘭を見詰める新一に、蘭は真っ赤になりながら上目遣いで訴える。

「オメーはここ最近、あまり休めてないから、少しゆっくりした方が……」
「せっかく、一緒に居るんだもん。別々に過ごす方が、イヤ。一緒に寝たら、手を出さずにいられないんだったら、それでもいい、そっちの方がいい。ダメ?」

 3月に入ってからしばらくは、新一と一緒にゆっくり過ごせる時が、あまりなかった。結婚してある程度落ち着けば、同じ家の中でそれぞれ別々に過ごすことも、自然になって行くだろうけれど。今はまだ、せっかく一緒に居られるホワイトデーに、同じ部屋の中とはいえ、別々に過ごすのは、嫌だった。

 結局、新一は、上着を脱いで蘭と一緒にベッドに入り。そして、ゼロの確率だったはずの「同じベッドに横になって手を出さない」を実現したのだった。


(30)に続く


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<後書き>

 テルテル坊主は、元々は太陽神であるアマテル大神(天照大御神の前身)だという説があります。それだと元は女神だから、女性ってことになりますね。でも、坊主ってついてるからやっぱり男なのか?
 東京スカイツリーにはホテルはありません。でも、ベルツリータワーにはホテルがあるという、勝手なマイ設定。

 ホワイトデーの話、もうちょい、続きます。

 新蘭のエンゲージリング・マリッジリングは、拙作「家族のカタチ」で出したものと同じ指輪になります。蘭ちゃんの誕生日が明かされていない以上、誕生石は不明なので、二次でエンゲージリングを設定するなら、誕生日に関係ないダイヤしかなく。新蘭のエンゲージリングは、これ以外にない!と、ほれ込んでしまったので(実物は見たことがないですが)。


2021年11月13日脱稿


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