恋の種
By ドミ
(30)
「蘭。そろそろ晩飯の時間だけど、起きられるか?」
蘭は、優しい声で目を覚ました。新一が蘭の隣に寝て、蘭の顔を覗き込んでいた。
「し、新一……」
「少し寝たことで、顔色は良くなったな。良かった……」
「新一は、寝たの?」
「まあ、この状況で眠れたかどうか、それは想像にお任せするよ」
そう言って新一は苦笑した。
蘭も新一も起き上がり、服の皺を伸ばした。蘭は洗面所で化粧直しをする。
そして、2人は部屋を出て、ベルツリータワー内のレストラン街に向かった。
新一が蘭を連れて入ったのは、和食レストランだった。
テーブル席は窓際で、東京の夜景を見渡せる。もう大分日が長くなってきているので、空にはわずかながら残照が残っていたが、食事が運ばれてくるのを待っている間に、真っ暗になって行った。
新一は、スパークリングの日本酒をオーダーした。
「口当たりは良いけど、日本酒だから結構度が強い。2人で1本にしておこう」
お酒をセーブしようという新一の言葉の意味は、蘭にも重々分かっている。ホワイトデーはこれからがメインイベント。ここで酔いつぶれるわけには行かないのだ。
運ばれてきたスパークリング日本酒を、グラス製のやや大きめのお猪口に注ぎ入れ、チンとお猪口を合わせて乾杯した。
懐石コースは、季節の野菜と新鮮な魚介類を使ったもので、2人とも、舌もお腹も十分に満足できた。
デザートが運ばれてきたタイミングで、新一が蘭に見せたのは、蘭が新一にクリスマスプレゼントとして贈った懐中時計だった。
「新一!?同じもの、買ったの?」
「いや。同じ商品でも、蘭が贈ってくれたもんじゃなかったら意味ねえから。これ、阿笠博士が、材料費だけで修理してくれたんだよ……」
「す、すごい……」
あの時計は、ナイフがもろに突き立ったので、部品の殆どが壊れてしまっていたと思われる。わざわざ部品を取り寄せて組み立て直したとしたら、材料費だけでも、時計をもう一回買うよりずっと高くついたのではないかと思う。そうまでしても、蘭が贈った時計を新一が使いたいと思ってくれたことは嬉しかったし、阿笠博士にも感謝の気持ちが湧きあがる。
「阿笠博士には、本当に色々と世話になってるよね」
「ああ……昔も今も、随分助けられてるよ」
蘭がせっかく贈った時計だったが、あの時、新一の命と引き換えに失われてしまったと思っていたので、蘭は本当に嬉しかった。
☆☆☆
食事が終わり、ドキドキしながらホテルの部屋に戻る。
新一が、荷物の中から、ラッピングされた包みを、二つ取り出した。
ひとつは、バッグだった。
「え!?これ、フサエブランドの?」
「ああ。もうそろそろ、ブランド物のバッグをひとつくらい、持ってても良いかと思ってよ……」
「で、でも……今日、指輪を注文したのに……」
「指輪は、婚約の証。こっちは、ホワイトデーのプレゼントだから」
「新一……ありがとう……とても嬉しい……」
フサエブランドには、手ごろな値段のものもあるけれど、新一が蘭にプレゼントしてくれたバッグは、相応の値段の筈だ。
「あ!友だち価格とかじゃなくて、ちゃんと正規ルートで購入してるからな」
「え?友だち価格って……!?」
「あれ?蘭にまだ、話してなかったっけ?そう言えばフサエさんはいつも忙しくて、まだ会ったことがなかったか……」
「何の話?」
「えっと……阿笠博士は、アメリカにいる間に、幼い頃の初恋の相手であるフサエさんと再会して、結婚してたんだよ」
「えええええええっ!?」
蘭には、ドビックリの話だった。
「じゃ、じゃあ、もしかして……」
「ん?」
「わたしが小学校1年の時に、フサエさん、イチョウの下に立ってたの……傘を貸してくれて……その時、お礼がしたいのなら、フサエさんはいつか必ず有名になるから、イチョウモチーフのブランドの物を買ってって、約束したんだ……わたし4年前に日本で限定発売されたフサエブランドの、今も持ってるよ!」
そう言って蘭が自分のバッグの中から取り出したのは、イチョウモチーフの小さなポーチだった。新一がポンと手を打った。
「そっか!オレも覚えてるぜ。あの時、あそこにいたのが、フサエさんだったのか!どうりで、フサエさんと会った時に、どこかで見た気がしたんだよな。阿笠博士と再会しようって約束してて、10年ごとにあのイチョウの木の下で待ってたらしい。けど、博士が葉書に書かれた待ち合わせ場所を解明できなくて、結局、アメリカで偶然の再会を……」
「そ、そうだったのね!すごい!初恋の相手と、無事、再会して、結婚出来たんだ!」
ひとしきり、阿笠博士の初恋と再会、結婚のことで話が盛り上がった。
蘭にとっては、ただでさえ嬉しいプレゼントだったけれど、阿笠博士の初恋のことを知ると、更に喜ばしいプレゼントになったのだった。
蘭は、考える。もしも、何十年も経ってから新一と再会することになっていたら。その時はきっとお互い独身で、それから結ばれるということだって、あったかもしれない。
それはそれで幸せだったかもしれないけれど、やっぱり、まだ20歳そこそこで再会できたことは本当に嬉しいと、蘭は思う。
「で、こっちは、バレンタインチョコのお返し……」
そう言って新一が渡したもう一つの包み。それは、アクリル製の容器に入ったキャンディだった。イチゴ味とレモン味の二種類。
蘭は、容器を持って、涙を流した。
「ら、蘭!?」
「ごめん。嬉しいの。嬉しくて、涙が……」
「蘭……」
新一がそっと蘭を抱き寄せる。
ホワイトデーのお返しで、キャンディは、「あなたを愛する意志は固く、ずっと愛し続けます」という意味があり、本命女性へのお返しに使われる。イチゴ味には「恋・結婚・子孫繁栄」の意味が、レモン味には「真実の愛」の意味が、ある。
新一は確実に、意味を調べて贈ってくれたのだろうと、蘭は思う。
もちろん、意味を知らずにお返しのお菓子を選ぶ男性は多い筈だ。けれど蘭は、新一がちゃんと意味を調べたうえで贈ってくれたことを確信していた。7年前、新一がお返しにくれたクッキーには、「あなたは友だちです」という意味があり、新一の心積もりとしては、「これからも友だちとして仲良くするから、オレを振ったことは気にするな」という思いを込めてくれていたのだろうと思う。
「ねえ、新一……」
「ん?」
「7年前に、新一がくれたクッキー、事務所の書類に紛れてとっくに期限切れになっちゃって……食べることはなかったんだけど……」
「うん……」
「あの時、食べなくて良かったって思う……だって……」
「だって」のあとの言葉は続かなかったが、新一は先を促すことはしなかった。お互いに、その意味は充分に分かっていたから。
☆☆☆
3月に入ってから、新一と蘭は、それなりに会ってはいたものの、夜を一緒に過ごすことが殆どなかった。初めて結ばれてから1ケ月、そして今夜は久しぶりの夜。
お互いに燃えて、新一は最初から激しく蘭を求めたし、蘭も今までになく乱れた。蘭が乱れると、新一はますますヒートアップした。
数回の行為で、蘭は息も絶え絶えになり、このまま新一の腕の中で死んでしまうのではないかと危惧したくらいだった。
蘭は、行為が一晩中続くことを覚悟していたのだが。やがて、新一は蘭を抱き込んで、その頬に口づけすると、蘭の横に身を横たえた。
「新一?」
「まだ、やりたいのは、ヤマヤマだけど……ゴムが無くなっちまったから……」
「……」
新一は今まで避妊を欠かしたことはない。それはとても感謝しているけれど。
「でも……もうすぐ結婚するんだよね?わたし、新一の子ども、欲しい……」
蘭が言うと、新一は目を丸くして、ぶわっと真っ赤になった。
「オメー……煽るなよ……そりゃオレも、蘭との子どもが欲しいとは思うけど……ま、やっぱ子作りは、オメーが大学卒業して、皆の前で結婚披露宴をしてからにしようぜ」
「うん……」
新一は蘭の唇に優しく長めのキスを落とすと、寝息を立て始めた。蘭は、ちょっと肩透かしを食らったような気になったけれど、やがて蘭も眠りに落ちて行った。
翌日。蘭は新一の荷物の中に、未使用の避妊具がまだあったのを見つけ、新一が蘭を休ませようとついた優しい嘘を知るのだった。
(31)に続く
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<後書き>
東京スカイツリーには、展望台に併設したレストランならありますが、タワーの途中に他のレストランがあるわけではありません。
「ベルツリーの中にレストラン街がある」というのは、「ベルツリーの中にホテルがある」のと同じく、マイ設定です。
2021年11月14日脱稿
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