恋の種



By ドミ



(31)



「ふう……お父さん、なかなか許してくれないね……」
「まあ、気長に行こう」
「でも……桜の季節が終わっちゃう……」

 蘭の目が潤んでいる。新一は蘭の涙目にアワアワとしていた。

「蘭は、桜の季節にこだわりがあるのか?」
「うん!だって……新一と初めて会った季節だもん!」
「そうだな……桜の花の中で、クラスもサクラ組……オメーに折り紙で桜のバッジを作ってもらって……」
「だから……だから……桜の花の中で……」

 2人が出会った桜の季節に、籍を入れて結婚式を挙げたい。今の新一と蘭は、親の同意が無くても勝手に結婚することは可能だけれど、出来ればやはり親に認めてもらいたい。そして、小五郎はなかなかウンと言ってくれない。
 そのジレンマに、蘭は泣きそうになっていた。

 新一は、蘭の為なら何でもしてあげたいと思っているが、小五郎の気持ちをどうやったら動かせるのかは、全く分からない。とにかく地道に通い詰めるしかないと思っていた。

 もう、新一は小五郎に対して、「結婚を許してください」とは言わなくなった。「結婚します。お認め下さい」に、言葉が変わっていた。何故なら、数回前に「親に結婚の許しをたあ、いつの時代の話だ!俺は別に許可を与える立場じゃねえ!」と一喝されてしまったからだ。


   ☆☆☆


 4カ月ぶりに、優作と有希子が帰国した。

「いよいよね、新ちゃん」
「まだだよ。おじさんの許可がまだ……」
「ん〜まあそれも、時間の問題じゃない?」
「どうだろうな……」
「今日も、蘭ちゃん、来るのかしら?」
「多分な」

 新一が事件で呼ばれ、出かけている間に、蘭が工藤邸にやって来た。

「蘭ちゃん、いらっしゃい!」
「おばさま。お久しぶりです!」
「ああ……もうすぐ蘭ちゃんが、娘になると思うと……感慨深いわあ」
「おばさま……」

 蘭は赤くなった。有希子は蘭をリビングに座らせ、紅茶を淹れて蘭の前に置いた。

「あ、ありがとうございます……」

 リビングのドアが開いて、優作が顔を出した。

「おや、蘭君」
「おじさま!お久しぶりです。おじさまもいらしていたんですね」
「ああ、まあ、息子の大事な時期だからね……さすがに親として来ないワケには行かないだろうと」
「で、でも……まだその……父が……」
「それも時間の問題だろうと、私は思ってるよ」

 紅茶を飲みながら、優作・有希子・蘭の3人で、色々と実務的な話をした。

「家は、住む人がいないと、ドンドン傷んでしまうから……新ちゃんがこの家に帰って来るまでの間は、業者に管理をお願いしていたんだけど、まあ結構な費用が掛かるのよねえ。なので、この家については、新一と蘭ちゃんが管理人代わりに済んでもらったらちょうど良いと思ってるの。ま、水道光熱費とかは、自分で払ってもらわないと困るけど」
「は、ハイ……で、あの……新一……さんは、大学時代の学費とか生活費とか、奨学金だけで賄えなかった部分は、おじ様たちに借金してるから、返済しなきゃって言ってたんですけど……月々どのくらいお支払いすれば……」
「あら。大学までの学費とか生活費とかは、親が負担するものと思っているから、心配しないで」
「え?で、でも……新一さんは、出世払いの借金が凄い金額になってるって……」
「はっはっは。それはね……私が以前、新一に言ったことがあるんだよ。これは貸しにするけど、新一が結婚したらお祝儀代わりにチャラにしてやるってね。でまあ、その頃の新一君は、蘭ちゃんとどうにかなるなんて思ってなくて生涯独身の積りだったから、いずれ返さなきゃと律儀に思っていたようだねえ」
「ええっ!?」
「あら、優作ったら、そんなことを新ちゃんに言ってたの?」
「まあまあ。彼も、いずれ返さなきゃと思ったらそれだけ真剣に頑張るだろうと思ってたからね」
「……」

 ということで。蘭が心配していた「借金」「家賃」の件は、問題ないということが分かった。

「ただまあ、小五郎君が自宅と別に探偵事務所を持っているように、新一も事務所を別に持った方が良いかもしれないね。公私の区別をつけやすいし、税金対策にもなるし」
「は、はい……」

 それは、蘭も考えていたことだった。
 という風な話をしている間に、新一が帰宅し。新一抜きで色々話が進んだことに少し機嫌を悪くしたが、蘭の涙ぐんだ眼差しで、すぐに機嫌を直さざるを得なかったのであった。


   ☆☆☆


 今日は、通常営業が終了した毛利探偵事務所で、新一は今日はひとりで来て、小五郎と相対していた。

「ふん。別に俺がうんと言わなくても、勝手に籍でも何でも入れりゃ良いじゃねえか」
「蘭が……蘭さんが、大切に思っているおじさんには、認めていただいた上で、踏み出したいのです……」

 小五郎は、タバコの煙を、大きく吐き出す。今の時代、さすがに小五郎も、客がいる場ではタバコを遠慮するようになっているが、目の前の男は客ではない。

「……そういや新一、オメー、タバコやんねえのか?」
「あ……はい……」
「オメーの父親もヘビースモーカーなのによ」
「ええ。でも、今の時代……結構喫煙者に厳しいので、オレ……ボクは、タバコは吸わないようにしようと……」
「ふん。時代の流れってやつか?酒タバコが無くて、何が人生楽しいんだか……」
「え?ボクは、お酒は飲みますよ」
「……」

 突然、小五郎が立ち上がった。

「おじさん?」
「飲みに行く」

 そう言って小五郎がスタスタと歩き出した。新一があっけに取られていると、ドアのところで小五郎が振り返って言った。

「何をしている。行くぞ」

 これは一緒に飲みに行くという話なのかと、ようやく新一は理解して、腰を上げた。小五郎が新一を連れて入ったのは、毛利探偵事務所からそう遠くないバーだった。


「蘭から最近、恨みがましい目つきで睨まれることが多くてよ……」
「……はあ……」
「だったら、さっさと入籍してオメーんちに転がりこみゃいいんだ……なのに、俺が認めてくれねえとと抜かす」
「……」

 新一は、何をどう返したら良いのか分からず、言葉に窮する。多分、どんな言葉を返しても、小五郎の怒りを引き出すだけだという気がする。

「なあ、新一。オメーいつから、蘭のことが好きなんだ?」
「……初めて会った時からです」
「は?初めて会った時ってオメー……」
「4歳の時、蘭さんのいる保育園に来て、出会いました。その時、一目惚れしてから、ずっとです」
「4歳のガキの頃から、ずっと同じ気持ち……ってか?」
「いえ。同じじゃ、ありません」
「……なに?」
「関わり合う中で、成長する中で、少しずつ、気持ちは変化しています。全く同じじゃない。新しい面を見るたびに。新しいことを知るたびに。これ以上好きになることはあるまいといつも思っているのに、更に気持ちは育っていくんです……」
「はあ……オメー……父親の前で幸せそうな顔して語るんじゃねえよ……」
「え?あ……すみません……」
「なあ、新一……だったらオメーは……江舟のことを、どこまで覚えてる?」
「……保育士の、江舟先生のこと、ですか?」
「ああ」

 新一は、大きな溜息をついた。

「江舟先生が、蘭を攫って、娘として育てようとしてた……ってこと、ですよね」
「ああ。江舟がおかしいことにいち早く気付いて、それを優作先生に伝えたのは、オメーだったんだよな」
「はい……」
「そうか。ちゃんと覚えていたか……オメーがそれに気づいたのは、きっとオメーが蘭に惚れたから、だよな」
「そ、そうだと……思います……」
「ふん」

 小五郎は、鼻を鳴らした。

「なあ、新一……古臭い考えと言われるだろうけどな……俺は、男は妻子を守る力を持ってこそナンボだと思ってる……」
「え?は、はい……」
「男女同権の世の中に異を唱える気は、ねえ。別に男が偉いなんて思わん。普段は女房の尻に敷かれてても、へらへらしてても、いい。だけど、いざという時、大切な相手を守れる、男はそうあるべきだと、俺は思ってる……」
「おじさん……」
「親は、いつまでも子どもを守ってやれるわけじゃねえ。なんでまあ……女がひとり生きる生き方を否定する気もねえがな……娘を持つ親としちゃあ、娘を守ってやれるだけの器の男と夫婦になってくれたらなあと、思うものなんだよ……」
「……」

 新一は、何と返したら良いのか分からず、手に持ったグラスからまた酒をちびりと飲む。小五郎の前でお酒を一気に煽って酔いつぶれるような無様なことは出来ない。
 逆に小五郎は、グラスの酒を一気に煽った。お酒の勢いを借りたいことが、何かあるのだろうと新一は思ったが、それが何なのかが分からない。

「オメーは、4歳の時に、優作先生の力を借りてとはいえ、蘭を守ってくれた。俺はな。あの日から……江舟の毒牙を阻止した、あの日から……いつか、蘭を攫って行く男がオメーなら、その時は、認めないワケには行かねえと……覚悟はしてた」
「えッ!?」

 新一は驚いて小五郎の方を見た。小五郎は新一の方を見ようとはしないが、その眼差しが真剣なのに、新一は気付いた。

「それでも、いざとなったら……親の感傷で、簡単に許すもんかと……けどな。クリスマスの後だっけか?蘭がオメーを見詰める幸せそうな笑顔を見て、ああもう、親の役目は終わったんだなと……」
「お、おじさん……そんなことは……」
「……俺と英理と蘭は、いつまでも親と子だ、それは変わらん。だが、巣立ちの時が来たんだよ……」

 小五郎が新一の方を見た。小五郎は新一を真剣な眼差しで真っ直ぐ見て、言った。

「蘭を頼む」
「……は、ハイ!」

 ようやく小五郎のお許しが出たことに、新一は感動と安堵の気持ちでいっぱいだった。小五郎は一応お酒を飲んでいるものの、まだ酔いつぶれて忘れてしまうほどではない。そこは小五郎もきちんと弁えていたのだろう。
 小五郎は、バーテンダーにお代わりを頼み、グラスを上げた。乾杯の意だと理解して、新一はグラスを合わせる。

「新一」
「はい」
「蘭を絶対泣かせるな、とは言わん。女はすぐ泣くもんだからよ。喧嘩しても構わん。ただ……本当に大切なところでは、ぜってー蘭を守って欲しい……」
「はい。肝に銘じます」
「ま、そのためにもだ。自分自身のことも、大切にしろ」
「え?は、はい……」
「さて。酔いつぶれる前に、お開きにするか……」

 小五郎が立ち上がった。2人で飲む場をバーにした理由は、ウッカリ飲み過ぎないようにするためもあったのかもしれないと、新一は思う。

 バーを出て歩きながら、新一は尋ねた。

「おじさん……何で今日、だったんですか?」
「……蘭が、桜の季節に拘ってたみてえだからよ。間に合わせなきゃ、また恨みがましい目で見られて貧しい食生活になることが目に見えてたからな……」

 桜の季節に蘭がこだわっていたのを、小五郎が気付いていたことに、新一は驚いていた。小五郎は、新一が思っていたよりもずっと、器が大きい男なのかもしれないと思った。

「新一」
「はい?」
「オメーがアメリカに行っている間の数年間、蘭の顔はいつも曇ってた。あいつ自身に自覚は無かったようだが、あいつにとってもずっとオメーは、特別な男だったんだよ……」
「おじさん……」
「幸せにしてやってくれ……いや、違うな。2人で、幸せになれ」
「はい!」

 新一は笑顔で応えた。小五郎も、やや苦笑気味の笑顔を返した。


   ☆☆☆


 新一と蘭は、役所に婚姻届けを出し、蘭は新一の家に引っ越して来た。
 そして、近くのフォトウェディング場で、2人だけの結婚式を行った。桜が咲き誇る中で写真を撮って、蘭は感激の涙を流した。

 優作と有希子は、そこまでを見届けると、アメリカに帰って行った。
 新一と蘭は、2人が飛行機に乗って帰るのを見送り、そして「新居」となった工藤邸に帰った。

 家に帰り着くなり、新一は蘭を抱きしめ、想いのこもった長い口づけをした。

「蘭……もう、オレの奥さんなんだな……」
「新一……」

 新一が帰国して1年に満たないが。あの時には想像もしていなかった未来が、2人の前に開けていた。


(32)に続く

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<後書き>

 いい夫婦の日に合わせたわけではないのですが。ふたりは夫婦になりました。


2021年11月22日脱稿


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