恋の種



By ドミ



(33)



 床に転がったスマホから、声が聞こえる。

『もしもし!蘭ちゃん、もしも〜し!すごい音がしたけど、大丈夫!?』

 蘭は慌ててスマホを拾って、耳にあてた。

「し、新一が……新一に、何か遭ったんですか!?」
『ああ、ごめんね。倒れたとか怪我したとか、そういう話じゃないから!ビックリさせたわね……でも、そういうことではないけど、工藤君が大変で、蘭ちゃんの力が欲しいのは、事実なの』
「……わたしが行くことで、解決するようなことなんでしょうか?」
『蘭ちゃんにしか、解決できないわ』
「分かりました。美和子刑事が、そう仰るのなら」

 謎は多々残るが、どうやら、深刻な事態ではないらしいと分かって、蘭はホッと息をついた。

 迎えが来るとのことなので、出かける準備に取り掛かった。まず、コーヒーメーカーをセットし、動きやすい外出着に着替え、弁当箱にありあわせの食べ物を詰めていく。水筒にコーヒーを入れていると、表にパトカーが止まった。

「由美刑事!」

 迎えに来たのは、交通課の羽田由美刑事だった。迎えの車も、覆面ではなく、普通のパトカーである。

「もう、捜査一課の面々が手が放せないからって、呼びつけられてさ。交通課は、捜査一課の部下かっての!」
「あ、す、すみません……お手数かけます!」

 悪態つく由美に、蘭が頭を下げた。

「蘭ちゃんが謝ることじゃないわよ。まあ、仕方がないわ……じゃあ、行きましょうか」
「はい!」

 蘭がパトカーに乗り込むと、運転席にいた刑事が頭を下げた。蘭も何度か見たことのある、茂武川(もぶかわ)刑事だ。

「事件現場に、お連れします」
「は、はい……」
「工藤探偵には、あなたがついていないと……」
「えっ?」

 蘭が怪訝に思って聞き返した。運転を開始した茂武川は、振り返らずに答えた。

「工藤探偵は、毛利さんが……すみません今は毛利じゃないですね、蘭さんが傍に居ることが、一番なんですよ。だから……」
「茂武川刑事?」
「私が口出すことじゃないけど……出来る限り、一緒に居てあげてください」
「……」
「蘭さんは、彼の恋人……ううん今は、奥さんですね。それだけじゃなくて、彼のパートナー、なんですから」
「……!」

 そうだった。蘭は、単に新一の事務仕事を手伝うのではなく、仕事上でも新一のパートナーになりたいと思っていたのだった。
 ここ最近、何やかやと忙しく、新一の仕事に同行することが減っていたが、また改めて、新一の仕事に出来る限り同行しようと、蘭は思った。

「茂武川刑事……大切な事を思い出させていただいて、ありがとうございます」
 
 新一は、事件を解決する神様に愛されて頼られている男。だったら、蘭がいつも一緒に居れば良いのだ。誕生日のお祝いも、事件現場になったって良い。まあさすがに、夫婦の秘め事などは無理だけれど。

 助手席に座った由美刑事が、茂武川刑事に声を掛ける。

「もぶ子、アンタ一体、どうしちゃったわけ?」
「どうもこうもないです。私は……工藤探偵のファンで、今は、工藤探偵と蘭さんを応援する隊の隊員なんです」
「工藤探偵と蘭さんを応援する隊〜?何それ〜?」
「あ、それだと長いんで、正確には『工藤ジュニア夫妻を応援する隊』です。ちなみに、『工藤夫妻を応援する隊』は以前から警視庁内にありまして……そちらは工藤優作先生のファンが作ったもので、隊員たちもアダルトな方々が中心で。工藤探偵はそれと区別するために、ちょっと長いけど『工藤ジュニア夫妻を応援する隊』としました」
「え〜?いつの間に、そんなのが出来たの?」
「去年のクリスマスイブに、工藤探偵ファンたちは、お二人のラブシーンにスッカリ意気消沈してしまったんですが、今年のバレンタインデーの後、それではいけないと一念発起して、『工藤ジュニア夫妻を応援する隊』としてのスタートを切りました!」

 蘭は、目を点にさせて、茂武川刑事と由美刑事との会話を聞いていたが。不意に気付いた。茂武川刑事は、新一のファンだったのだけれど、新一と蘭の絆を感じ取って、応援することにしてくれたのだ。とても有難いことだと思う。

 車はほどなく、連続殺人事件が起きたという大きなお屋敷に着いた。



「ら、蘭……?どうしてここに?」

 新一はとても元気そうで、どこか怪我したとか、そういうことではないようだ。

「美和子刑事に、呼ばれたの。新一が大変だからって……」
「お、オレが……?」

 そこへ、美和子刑事から声が掛かった。

「そうよ。工藤君は、なかなか帰れそうにないって蘭さんに電話した後、うわの空になって集中力が途切れてて……」
「え?ええ!?」
「その状態でも、推理力が衰えている風ではないんだけど、やっぱり蘭さんが居た方が、効率が良いかなって」

 新一も蘭も、あっけらかんと言う佐藤刑事の言葉に、目が点になった。周囲の警察官たちは皆、美和子の言葉にうんうんと頷いている。
 捜査一課の全ての面々が、蘭が新一と共に居ることを当然のこととしている、というより、蘭が居た方が新一の力が発揮されると思っているようだ。

「蘭」
「ん、なに、新一?」
「今日は、約束守れなくて、ごめん……」
「……ううん。守れないかもしれないような約束をさせた私が、悪いの……事件はいつどこで起きるか分からないんだから、仕事を入れないでってのは、無茶ぶりだった」
「蘭……」
「新一、わたしは、今夜から明日にかけて、仕事して欲しくなかったわけじゃ、なかったの。そばに居たかったの……だから……」
「ああ。オレも、蘭に傍に居て欲しい……」

 お互いに、微笑み合う。もしここが事件現場でなくて周囲に警察官が居なかったら、そのまま額こっつんこの後キスになっていただろうが、さすがに自重する。

「見通しは、どうなの?」
「あとひとつ、ピースがはまれば解決するところまで、来てると思うんだが……待てよ、もしかして!」

 蘭が来たことで、新一の頭はまた急速に回転し始めたようである。それから、事件解決まで、あっという間だった。


   ☆☆☆


 新一が事件を解決し。
 犯人が持つ証拠を暴き出し。

 犯人は手錠を掛けられて連れて行かれた。

 新一は、懐中時計を取り出して、時刻を確認する。

「ああ。もう、日付が変わるな……」
「新一」
「ん?」
「ハッピーバースデー」
「……蘭……?」
「22歳の誕生日、おめでとう」
「え?あ……5月4日……そっか……オレの誕生日か……」
「自分の誕生日を忘れるのは、相変わらずなのね」
「……面目ない……」
「新一。あなたの誕生日は、わたしや、あなたを大切に思う全ての人にとって、大切な日、なんだから。今度から、忘れないようにしてね」
「……善処する……」
「誕生日のご馳走とケーキとプレゼントは、家に帰ったから、ね」
「あ、ああ……ありがとな……」

 新一が笑顔になって言った。
 蘭は、心の中で、「ありがとうを言うのはわたしの方だよ」と思っていた。

 今は、この世で一番大切な人になった、工藤新一が、この世に生を受けた日。蘭にとって、昔よりもずっと、大切な日になったのだ。



 事情聴取への立ち合いは断って外に出ると、交通課の茂武川刑事と千葉苗子刑事が待っていた。

「工藤探偵。事件解決、お疲れ様でした。そして……お誕生日おめでとうございます」

 茂武川刑事が、そう言って頭を下げた。

「え?あ、ああ……」

 新一が、何となく気まずそうに、視線を泳がせる。それで蘭にはピンときた。茂武川刑事は、以前、新一に告白したことがあるのだろう。
 けれど……新一はきっぱりと断り、茂武川刑事は、その思慕を、新一と蘭の夫婦を応援するという形に昇華してくれたのだ。蘭は、どうしてもモヤモヤするものの、そのことで文句を言うことは出来ないと思う。

「ふふっ。お誕生日最初のお祝いの言葉は、きっと、奥様が仰っていますよね?」

 そう言って、茂武川刑事は笑顔になった。

 新一と蘭は、茂武川刑事と千葉苗子刑事に送られて、帰宅した。


 超遅い夕ご飯を食べて、ケーキも食べて、プレゼントを渡して、お風呂に入って……。
 2人で寝室に入った時には、もう2時を回っていた。

「とりあえず、明日……いや今日か。の予定はふたりともねえから、朝はゆっくりしようぜ」
「そ、そうだね……」

 新一が、いぶかし気に蘭を見やる。

「……今回は、本当にごめん。事件解決に手間取って、オメーとの約束を破っちまって……」
「そ、それは、もう良いって、言ってるでしょ?こ、今度から、わたしはなるべく、新一と一緒に居るようにするから……」
「蘭。こっち向いて」

 新一が、強引に蘭の顔を自分の方に向けさせる。

「……何があった?」
「な、何も……何もないよ……」

 蘭は、涙が出そうになるのを、必死でこらえた。自分でも、モヤモヤしてはいけないと、分かっているのに。
 茂武川刑事と新一の間に、何かあったと疑っているわけでは、ない。新一が少しでも心揺れたのではと勘繰っているわけでも、ない。

 ただ……茂武川から「工藤探偵の傍には蘭さんが居ないと」と指摘されたことで、自分自身の不甲斐なさに腹が立ったのだ。

「茂武川刑事に、言われたの……」
「な、何を!?」

 新一が蘭の腕を掴む。

「新一……痛いよ……」
「あ。ご、ごめん……!つい……」

 新一が、手を放す。

「わたしが、新一の傍にいるのが一番だって、出来る限り一緒に居てあげてくださいって……」
「そ、そうだったのか」

 新一が、拍子抜けしたような表情になる。

「な、何となく、モヤモヤして……茂武川刑事の方が、わたしよりよっぽど、新一の理解者なんだなって……」
「蘭」

 新一が蘭を、ゆっくりと抱き寄せた。

「蘭。それは違う。彼女は、きっと、第三者だから見えることがあるんだ。オレだって、オメーの理解者かっていえば、自信がねえ。オメーのこと、分かってるより、分かってねえことの方が、きっと多い。だから……茂武川刑事が、傍から見てるから少しよく見えることがあったとしても、蘭がそれで卑下したり落ち込んだりする必要は、ねえんだ……」
「新一……」

 蘭の胸のモヤモヤが、溶けて行く。
 茂武川刑事が新一のことを好きだったのは間違いないと思うし、新一は……自分に寄せられる好意に鈍感なところがあるから、気付いたのではなく、告白されて、茂武川刑事の気持ちを知ったのだろうと、蘭は思う。けれど、新一は、茂武川刑事から寄せられる好意を、見事なまでに「無かったこと」にする積りなのだ。だったら蘭も、茂武川刑事が新一に好意を寄せているなんて、気付かなかったことにするしかない。

 蘭は、誰でも、幸せになって欲しいと思うけれど。
 新一の隣の位置は、決して誰にも譲るつもりはない。

「わたしは……新一の妻で……探偵の新一のパートナーでもあるんだって……今日、再認識した」
「うん。オレは、その場所に、蘭以外の誰をも座らせる気はない」

 新一は蘭の唇に、深く長いキスをした。

 誕生日を迎えた新一と蘭、ふたりの熱い夜は、これから始まるのだ。



(34)に続く

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<後書き>

 茂武川刑事(モブ子さん)のお話は、いずれ、番外編でお届けする予定、なのですが。モブ男さんと違って、引き際を弁えた女性です。
 若干補足すると。新一君が茂武川刑事に対して、動揺している様子なのは、蘭ちゃんに何か仕出かさないか心配しただけで、それ以外では全く心揺らしたことはありません。

2021年12月5日脱稿


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