恋の種



By ドミ



(34)



 初夏の朝は、早い。
 空が白み始める頃……ふたりの熱い夜はまだ終わっていなかった。

 お互いに何度も深く求め合い、ようやく満足して、大きく息をつきながら、布団に横たわる。

「……それにしても、新一。自分の誕生日を忘れるのは、相変わらずなのね……」
「う゛……ま、まあな……」
「変なの。他の人の誕生日は、忘れないのに……」
「それは……」
「ねえ、新一。わたしにとって、新一の誕生日は、新一がこの世に生まれてくれた、とても大切な日なの。だから……覚えていて欲しい……」
「……善処する……」

 新一が眉を寄せて言った。
 蘭はクスクスと笑う。そして、ふわあと欠伸をした。

「もう朝だ。そろそろ、寝ようか……」
「うん……」

 お互いに抱き締め合って、眠りに落ちる。
 朝日が昇り始める頃、ふたりはスッカリ夢の中だった。


   ☆☆☆


 次の日。
 連休中だが、新一は事件で呼び出され。

 蘭は、上京して来た和葉と園子を誘って、ランチに出かけていた。和葉は、平次と共に上京して来たのだが、平次は嬉々として新一が呼ばれた事件に同行したのだった。園子と和葉は初対面だったが、すぐに仲良くなった。
 今日は5月5日の子どもの日、今日で連休は終わりだが、蘭も園子も和葉も、大学の単位はシッカリとっているので、和葉は次の週末まで東京に居て、明日は3人で遊園地に行く約束をしていた。

「蘭ちゃん、ホンマ驚いたで〜、あの時、まだようやっと仮のお付き合い始めたばかりの筈やったのに、もう夫婦やなんて……」
「ホントよね。まあ、順調で、何よりだけど……」

 昔からの親友園子にも、昨年秋大阪で出会って友人になった和葉にも、新一との進展具合は逐一報告していたが。あれよあれよという間の進展具合に、二人は驚きつつ祝福してくれていた。

「考えてみれば、怒涛の1年、だったよねえ……去年の今頃は、新一君なんて影も形もなくてさ……蘭は、合コンも紹介も、頑なに拒否ってたし」
「へえええ。そないやってん?」
「ま、今から考えたら、蘭は結局、ずっと新一君への恋の種を抱えてたんだよね……」
「恋の種……うまいこと言うなあ、園子ちゃん」
「あ、これは、蘭が言ったのよ……中学校で別れた時、新一君にまだ恋はしてなかったけど、心の底では特別な存在だったって……」
「なるほどやなあ……アタシが初めて蘭ちゃんと会うた時は、蘭ちゃん、育っていく恋心に戸惑ってる感じやったもんね」
「それにしても、1年前には全く恋愛に縁が無くて、わたしたちよりずっと後にお付き合いを始めた蘭が、一番最初に結婚するなんて……ホント、人生って、どう転ぶか、分からないわねえ」

 園子が、蘭の左手を取り、薬指にはまっているダイヤの指輪を子細に見る。

「五角形のダイヤって、珍しいよね……ああ、これ、和テイストで桜をイメージした指輪、なんだね」
「蘭ちゃん、もう結婚してんのやろ?結婚指輪の方はつけへんの?」
「うん、結婚指輪は、まだ出来てないってのもあるけど……ふたりだけの結婚式は挙げたけど、まだ世間に公表してないんだよね。来年の春、わたしの卒業時期に、結婚式披露宴を行って世間に公表する予定になってるから、その時から結婚指輪をつけようって……」
「まあ、急だったし、蘭がまだ学生だからってことなんだよね?」
「和葉ちゃんは?服部君と正式に婚約してんだよね?いつ結婚って、考えてるの?」
「アタシらは、大学卒業頃って考えてんねん。で、ジューンブライドで6月がええなって思うてて……平次もそれでええ言うから、来年の6月に式場予約してんねん」
「ええっ!?和葉ちゃん、6月のいつ!?」

 思わず大声を出したのは、園子である。園子も、やはりジューンブライドで6月を考えていた。お互いに、式場を押さえている日程を見て、1週間ずれているが分かり、ホッとする。

「新一君は、服部君の式には絶対出るだろうし、蘭だって和葉ちゃんの友人になったから出たいだろうし。でも、わたしの結婚式にも蘭と新一君には出て欲しかったから、日程が違ってて、良かった……まあ、蘭は忙しいだろうけど……」
「大事な友人二人の式だもん、2週続けて出席するくらい、なんてことないわよ」
「園子ちゃん、せっかく友だちになってんから、園子ちゃんにもアタシの式に出席して欲しいねん。園子ちゃんの結婚式の1週間前やから忙しい時期や思うけど……」
「そんな嬉しい忙しさなら、喜んで、何とでも調整するわよ!和葉ちゃんも、自分の式の一週間後だけど、私の式に参加してくれる?あ、新婚旅行中かなあ?」
「新婚旅行の方は、就職前がええ思うて、3月中旬にしてんのや」
「え?和葉ちゃん、それいつ?」
「蘭ちゃん、どないしてん?」
「あの……新一との結婚披露宴、2人が出会った桜の季節にしようと思ってて、3月末ごろを考えてるんだ……で、和葉ちゃんにもぜひ出席して欲しいから……」
「心配要らんで、3月終わりやったらもう旅行から帰って来てるし」


 お互いに日程はかぶらず、3人ともそれぞれの結婚披露宴に参加できそうで、ホッとした。

「あとは、6月で梅雨入りしてたら雨かもしれへんのが心配やけど、こればっかりはなあ……」
「それは、わたしも同じ。参加してくれる人が、来るのも帰るのも大変になっちゃうものね……」


 3人、話は尽きることが無く、ランチの後は場所を変え、米花デパートの中にあるカフェで、お茶を飲みながらお喋りが続く。

「あ??真さんからメール」

 震えた携帯をバッグから取り出した園子が、語尾にハートマークをつけて、言った。

「今、どこにいますか?ですって……米花デパートの6階の喫茶店でお茶してます、っと」

 蘭と和葉が、口を丸くして園子を見ていた。携帯の画面を見た途端に、園子の頬が赤く染まり、目が潤み、幸せそうな笑顔になったからだ。

「あら、ふたりとも、どうしたの?」
「どうしたもこうしたもないわ、園子……」
「園子ちゃん……むっちゃ可愛いわ……」
「んもう、ラブラブね〜、ご馳走様??」
「もう、アタシらなんか、子どもの頃からの腐れ縁やし、もう熟年夫婦の域で……蘭ちゃん、何わろうとるん?」
「だ、だって……和葉ちゃんが新一のこと、『平次をたぶらかした東京女』と思い込んでたこと、思い出して……!」
「え?なになに、蘭!?和葉ちゃんのその話、もうちょっと詳しく!」

 本当に話が尽きなかったが。デパートの喫茶店を長時間占拠することは好ましくないと考え、3人は席を立った。
 喫茶店から出てエレベーターに向かって歩いている時に、火災報知器が鳴り響き始めた。そして、放送が入る。

『ただいま、火事を知らせるベルが鳴っています。現在、調査中です。詳細が分かり次第、またお知らせします。今はエレベーターを使わないでください。次の放送をお待ちください』

 3人は顔を見合わせる。誤報かもしれないが、とにかく階段を降りようということにした。
 階段の方に向かうと、既に階段の方に向かって射る人たちの姿が見えた。

 階段には、かすかに煙が漂っている。追加の放送はないが、本当に火事かもしれない。冷静に動く人ばかりではなく、上の階の方で推し合っているような声と物音が聞こえて来た。


 女性の大きな悲鳴が響く。
 と共に、何かが階段の上の方から落ちてくるのが見えた。


 そこから先のことは、後から考えても、本当に奇跡的な出来事だったが。蘭と新一の類まれな運動神経と咄嗟の判断力が生んだ奇跡だった。


 落ちて来ているもの、それは、おくるみに包まれた赤ちゃんだった。蘭は咄嗟に、階段の手すりに手を掛け足を掛けジャンプし、高い位置で赤ちゃんをキャッチした。そして、そのまま、反対側の下り階段の方に落ちていく。

「蘭!」
「蘭ちゃん!」

 園子と和葉の声が、どこか遠くで聞こえた。

 蘭は赤ちゃんを抱えているので受け身は取れない。しかし赤ちゃんだけは守ってみせると、覚悟を決める。しかし何と、蘭が落ちて行こうとする場所に、新一が居た。新一が赤ちゃんごと蘭をキャッチし、新一の背後に居た平次がそれを支え、さらにその下にアドバルーン状態のサッカーボールが出現し。全員でそこに引っ繰り返りはしたものの、平次と新一がかすり傷を負ったくらいだった。

 園子と和葉が駆けおりてくる。

「蘭!……え?新一君!?」
「蘭ちゃん!へ、平次!?」

 新一が、慎重に蘭を立たせ、自分も平次の上からどいた。
 一番下敷きになって割を食ったのは平次だが、文句ひとつ言わずに、顔をしかめながら起き上がった。

 上の方からは、赤ちゃんのらしい名を呼ぶ女性の悲鳴のような声が響き続けている。


「赤ちゃんは無事や〜!受け止めたから、大丈夫やで!お母さん、ゆっくり降りてきいや!」

 和葉が、上に向かって叫んだ。
 ヒールの音が聞こえ、血相を変えた女性が駆け降りて来た。こけそうになったところを、園子が受け止める。

 女性は、赤ちゃんを抱きしめて、泣き始めた。パニックになって階段に押し寄せた人波に押されて、抱いていた赤ちゃんが手から落ちてしまったらしい。


「赤ちゃんが無事だったのは良いけど、急いで、でも慌てず、避難しないと!」
と園子が言ったが。

「大丈夫だよ、火事じゃねえから」
と、新一が言った。

「え?でも、煙が……」
「詳しいことは後で話すけど、あれは発煙筒の煙だ……追って放送が入る筈」

 新一の言葉が聞こえたかのように、放送が入る。

『安心してください。家事を知らせるベルは間違いでした。心配ありません。エレベーターも使えます。ご心配をおかけしました……』


「それにしても、正月も似たようなことがあったよなあ」
「そうね……でも、あの時は、新一と初詣に行こうって話してたけど、今日、この場に居るのは、全くの偶然よね……」


   ☆☆☆


 とりあえず、5人で、米花デパートの外に出た。

 そこへ。はるか彼方から、ものすごいスピードで近づいてくるものがあった。

「園子さ〜〜〜〜ん!!!!」
「え!?ええっ!?真さんッ!?」
「ご無事ですかっ!?」

 すごいスピードで近付いてきていたのは、園子の婚約者である京極真だったのだ。


 新一と蘭・平次と和葉は、2人だけにしておこうと、そっとその場所から離れた。
 後から聞いた話では、真は、園子から「米花デパートに居る」とメールを貰い米花デパートに向かっていたのだが、SNSで「米花デパート火事!」の情報を見て、慌ててバスを降りて走って来たのだということだった。


 新一と平次は、警察官たちとしばらく言葉を交わした後、新一の車で、蘭と和葉と共に、工藤邸に向かった。車の中で、蘭と和葉は、新一と平次が関わった事件のことを聞いた。
 米花デパートに爆弾を仕掛けたという声明があり、新一と平次は米花デパートに潜入して捜査をしていた。結局は、爆弾の設置はなく、発煙筒が置かれていた。新一と平次は、騒ぎになる前に無事犯人を確保した。しかし、回収する前に煙を出し始めた発煙筒があった。
 発煙筒でも火災報知器は作動する。そして、あの騒ぎになってしまったのだが……幸い、軽い怪我人が数人出たくらいで事態は収束した。
 ただし、あの赤ちゃんが蘭から助けられることなくどこかに激突していれば、間違いなく死者が出ていた。

「発煙筒から煙が噴き出してベルが鳴る前に、全部回収できれば良かったんだが……」
「にしても、まさか赤ちゃん抱えた姉ちゃんが降って来るとは思わへんかったで……」
「正月にも、米花神社で似たようなことがあったんだよ。欄干の上を子どもが歩いてて足を滑らせて落っこちそうになったところを、蘭が飛びついて助けて抱え込んでさ、そのままあわや地面に激突!の直前に、ボール射出ベルトが間に合ってよ……」


 蘭が米花神社で子どもを助けた時は、誰も報告する者が居なかったが、今回、火事騒ぎの中での出来事だったため、目撃者も多く、赤ちゃんを助けた蘭は、後日、表彰されることになる。


 工藤邸に着いた。今日は、平次と和葉は工藤邸に泊まることになっていた。何しろ無駄に広い工藤邸、部屋は沢山余っているのである。

「はあ……半年前、工藤君への気持ちが分からへん言うて悩んでいた蘭ちゃんが、今はこの工藤邸の主婦、なんやもんなあ……」
「あん時、『オレは生涯童貞だと思う』と語ってた工藤が……ってーってってって!工藤、何すんねん!」
「蘭や和葉ちゃんの前で下品なことを言うな、バーロ!」

 新一も蘭も、そして和葉も、真っ赤になった。平次は携帯を通じて蘭と和葉に新一との会話を聞かせていたが、その中にはこのような発言がなかったので、多分、携帯を使う前の会話でそのような言葉があったのだろう。


 蘭と和葉が、夕食の準備をする。

「あの、蘭……オレ、何をしたら?」
「いいよ、新一は、座ってて」
「けどよ……お客さんの和葉ちゃんも手伝ってんのに……」
「新一。わたしはね、別に、家事は女の仕事って思ってるわけじゃない。だけど、今日、わたしと和葉ちゃんがランチしたりお茶したりしている間、新一と服部君は、お仕事をしていたんだから……だから今日は、2人を労いたいの……」

と、いうことで、新一と平次はリビングに追いやられたのだが。ご飯が出来る前に、警察から次の事件の依頼があり、新一は平次と共にすっ飛んで行ってしまった。


「やれやれ、やな……」
「ふふっ。そうね……でも、ワーカホリックの夫を持っちゃったんだから、仕方がないわ……」
「平次は暫く警察官として働く積りみたいやけど……多分、非番の時でも事件があったら首突っ込むやろって気がすんねん」
「でも、今日は、一人だけで待つんじゃないから、嬉しいわ……」
「はああ。普段は、蘭ちゃん、一人だけやねんな。さみしないん?」
「そりゃ、寂しいけど……でも絶対、ここに帰って来るって分かってるから、大丈夫よ。ひとりで有意義な時間を過ごす術は、いくらでも見つかるし」


 蘭が笑う。その笑顔は、強がりでも誤魔化しでも何でもない、心からの笑顔で。
 色々あっても、蘭は結婚して幸せなのだろうと、和葉は思った。


「あー、でも、今日、これだけは!って思ったことがあって」
「ん?蘭ちゃん、どないしたん?」
「もし、子どもが出来たら……絶対、スリング(抱っこ紐の一種)買うわ!」
「……あたしも、そうしよ」


 今日の一番の恐怖は、突然、赤ちゃんが降ってきたことだ。命を助けられたのは奇跡としかいえない。

 蘭も和葉も、まだ影も形もない、将来授かるかもしれない赤ちゃんの安全に、想いを馳せたのだった。



(35)に続く


2021年12月29日脱稿


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