恋の種



By ドミ



(37)



 工藤新一新米准教授の講義は、「犯罪捜査方法と科学」というタイトルで、開始された。法学部生は専門科目として、法学部以外の学生も教養科目として受講することが出来る。
 もう既に6月半ば、元々の講義計画にもなく新規に付け加えられたものなので、2単位習得のための30時間の講義を前期で行うために、土曜日の午前4時間2コマ、8回の講義時間となった。(※45分=1時間のカウントで、一コマ90分2時間設定)
 前期中途からの講義にもかかわらず、単位数が不足する恐れがある学生たちが、受講申し込みを行った。といっても、20人に満たない人数だった筈だった。
 しかし、ふたを開けてみると。正式に講義に申し込んでいる受講生の数倍の人数が、講義室にいた。正規の受講生以外はほぼ女学生だった。

 蘭は、新一との関係を公にしていないが、さすがに、講義室に行く勇気はなく、その時間、大学の図書館で過ごしていたのだが。興味本位で参加していた園子から、逐一報告のメールが届いていた。
 講義終了後、蘭は園子と落ちあい、昼食を摂る。ちなみに、新一は、講義終了後、昼食を食べる暇もなく、事件捜査の要請があり、すっ飛んで行っていた。

「まあ、講義そのものは、結構面白かったわよ。ただ最初は、女学生たちの黄色い声でなかなか講義にならなくて……新一君が片っ端から質問をして、だんだん静かになったけどね」
「へえ……うーん、わたしにはよく分かんないなあ。新一のファンになるってのは、分からなくもないんだけど。興味もないだろう講義を受けに行こうってのが、分からない。たとえば、わたしの大好きなタレントとか歌手とかが、わたしの全く興味がない分野の専門の講義をするってことだったら、そのタレントとか歌手のことがどれだけ好きでも、聞きたいなんて思わないもの」
「そりゃ、ワケわかんない専門的な話だけだったらね。でも、新一君のお話、推理小説とか推理漫画好きな人なら普通に聞ける感じで、結構面白かったわよ」
「へ、へえ……」
「あ、でも、蘭が新一君の講義を聞きに行くのは、危険かも。新一君ファンの女が一堂に会す場所だから、目ざとい人からは気付かれて大変な目に遭うかもよ。日本では今でも、生徒と教師の関係って、厳しい目で見る人、多いしね。ま、生徒側が未成年の高校までよりはマシだと思うけど」

 蘭は新一の講義を聞いてみたいなあと思っていたが、それは断念するしかないかと、溜息をついた。加えて新一からは、土曜の午前中新一の講義が行われている間は、蘭はなるべく帝丹大学に行かないようにして欲しいと言われ、蘭は不承不承それを了承した。
 新一の講義は、動画配信されることとなり、帝丹学生は誰でも視聴可能になったので、蘭もそれで妥協することにした。ちなみに、一部はネットでの配信もされている。大学が探偵工藤新一を客員准教授に招き、講義をネット配信することとした理由は、少子化で学生数減少に悩む大学側の「学生獲得作戦」の一環だったのである。

 新一は女子学生のアプローチには全く動じることなく切り返し、意外と厳しかったので、回を追うごとに講義を受ける学生の雰囲気も随分と真面目なものに変わって行き、ミーハーなだけの学生の参加は減って行った。


   ☆☆☆


 7月初め。
 全日本学生空手大会が行われる。蘭にとっては、最後の大会となる。試合が終わったら蘭は部活を引退し、夏季休暇中に行われている空手部の合宿にも参加しない予定だ。

「去年は、惜しかったよなあ……」
「ん?」
「オメーは三位で。準決勝で破れた相手が、優勝だっただろ?」
「うん……新一、何で知ってるの?」
「んあ?そりゃまあ、そのくらいの情報はいくらでもゲットできるからよ」
「そりゃ、ゲット出来るけど……もしかして、新一!試合、見てたの!?」

 昨年の準決勝は接戦で、最終的に僅差の判定負けだった。実際に試合を見た者でなければ、「惜しかった」という言葉は出ないだろう。

「会場に行ったわけじゃなくて、動画配信されてたから……」
「……それ、もしかして、有料の中継じゃないの?」
「あ、ああ……」
「でも、新一。よくわたしが全日本に出るの知ってたね?それとも、偶然?」
「バーロ。偶然なワケねえだろ?オメーのことはずっと……」

 そこまで言って新一はハッとなる。

「新一?」
「帰国してオメーに再会するまでの1ケ月、オレはオメーのストーカーだったよ。警視庁の前で出会ったのも、偶然じゃなかった」

 普通だったら「キモッ!」と思ってしまうかもしれない新一の告白。しかし、惚れた弱みだろうか、蘭は逆に胸がキュンとなったのだった。

「中学の頃、オメーはもう既に結構強かったけどよ。インターハイ優勝して、今は全日本学生空手大会でも上位の成績を残している。スゲーなって思ったよ……」
「新一は……サッカー上手だったから、いずれはSAMURAIBLUEに入って活躍するんじゃないかって思ってたけど……止めちゃったんだね……」
「ああ。元々、サッカーやってたのは、探偵になるための体力作りの為だったから」
「……でも、サッカー好きなのは、事実よね?」
「あ、ああ……まあな……」

 新一は今でも、サッカーボールを持ち運んでリフティングをやったりするし、阿笠博士が作った便利発明品の一つはサッカーボール射出ベルトだ。

「サッカーは、チーム競技だ。事件があればいつでも飛んでいくヤツが、サッカーを続けて行くことは出来ねえよ」
「新一……」

 新一がサッカーを好きなことは確かだけれど。打ち込んでいたのは、サッカーが好きだからということは、間違いないけれど。新一には幼い頃から「探偵になる」という大きな目標があり、ずっとそのための努力をしてきた。サッカーがどんなに好きでも、探偵になる目標に代われるものでは、無かったのだろう。

「探偵は、オレにとって、人生で二番目に大切なものだ」
「え?一番じゃないの?」

 新一が蘭の方を見てふっと笑う。

「一番大切なのは、オメーに決まってんじゃねえか」
「……!」

 サラリと言われて、蘭は心臓が止まるかと思った。


 そして、全日本学生空手大会の当日。
 新一と園子は、もちろん、会場で応援していた。

 部活以外でも地道に自主練や基礎トレーニングを欠かさず、更に強くなった蘭は、強豪たちの中でも順当に勝ち進み、そして決勝戦となった。
 応援している新一と園子も、手に汗を握る。ちなみに、新一と園子は、近くに居るわけではなく、それぞれ全く別々に応援している。

 蘭が戦う相手は、去年の優勝者、和田陽奈。陽奈は蘭と同期で、高校時代から互角の戦いを繰り広げ、勝ったり負けたりを繰り返して来ているのである。
 
 実際、蘭は苦戦した。陽奈に技ありを取られポイントを先取されて、待ったなし。胴着の紐が解けたため、結び直している途中、思わず蘭が縋るように新一の方を見ると、なんと新一は、すっと通路の方に去って行った。

「えっ?新一……?」

 少し経って戻って来た新一が、蘭の方に向かって、手を合わせて頭を下げる。そして、口パクで何かを言っていた。その口の動きは……。

「ジ……ケ……ン……事件ッ!?えええっ!?」

 そして、新一は去って行く。

 蘭は、普段、多少寂しい思いをしようとも、事件に向かう新一を応援しているし快く送り出しているが。さすがに、さすがに、今日のこの仕打ちには、腹が立った。試合が終わるまでのあともう少しを、何故、待っていてくれないのか?

 新一には、「自分が近くに居ても何の役に立つわけでもないのだから」という、新一なりの言い分があるのだが、それは男の論理。いまだに乙女心をきちんと理解できていない新一の勝手な言い分なのであった。

 蘭の体から、滅多に見られない、どす黒い怒りのオーラが立ち上る。

「事件、事件、事件……そんなに事件が好きなら、事件と結婚しろ〜〜っ!!」

 蘭のあまりのどす黒いオーラの迫力に、今まで余裕だった対戦相手の陽奈も、応援する園子も、審判ですら、タジタジとなった。

 そして……気の毒なことに、蘭と互角の実力を持ち、優勢に立っていた筈の陽奈は、怒りのパワーを炸裂させた蘭の敵ではなかった……。


 その夜。
 新一は、二人の寝室に入れてもらえなかった。新一は優勝祝いのプレゼントを準備していたが、それすら受け取ってもらえなかった。
 それから数日間、新一は独り寝を余儀なくされて、かなり堪えたのだが。1週間も経つと、蘭の方も寂しさに耐えられなくなり、ようやく新一は寝室に入れてもらえた。もちろん、その前に謝り倒したのは、言うまでもない。


   ☆☆☆


 蘭の最後の大会が終わった一週間後、ようやく蘭の怒りが解けて新一が寝室に入れてもらえた時に、梅雨が明けた。同時に、新一の司法試験予備試験の「論文試験」が終わった。事件の解決に呼ばれることも多かったし、大学での講義もあるし、試験にばかり、かまけていられたわけではないが。その上、蘭の怒りのダメージが影響した可能性もあるが。

「ま、今年ダメでも、来年があるさ」

 法曹資格を最終目的としているわけではない新一は、ダメで元々という感覚でいるらしい。しかし、新一は元々頭が良いし、真面目に勉強もしてるので、あっさり合格するのではないかと、蘭は思っている。

「蘭。オメー、夏休みはいつからなんだ?」
「ん〜、結局、単位は取ってしまったから前期試験はないし、特にいつからいつまで夏休みってことはないわね。卒論は進めなきゃだし……」
「そっか……もし蘭が良ければ、だけど。明後日、早朝から出かけたいんだけど、良いか?」
「え?どこに行くの?」
「内緒」
「……ん〜明後日は、部活もゼミも卒論見てもらう約束もないから、まあいいけど……」
「じゃ、決まりな。でももし、事件で呼ばれたら、その時は堪忍な」
「なんか、その可能性はすごく高そうな気がする……」

 蘭の声が恨みがましいものになったのは、無理ないであろう。通常は、事件に行く新一を応援している立場の筈だが、1週間前の試合の時の新一の仕打ちを、忘れてはいない。新一としては、蘭にそう言われても、苦笑いするしかなかったのである。




(38)に続く

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<後書き>

 中にちょっと、エピソード”ONE”と同様のエピソードを入れさせていただきました。この世界でも、和田陽奈ちゃんは、蘭ちゃんのライバルとして存在している筈なので。


2022年1月22日脱稿


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