恋の種



By ドミ



(38)



 次の日、蘭は卒論作成のために大学に行き、新一は警視庁から呼ばれて事件捜査に出かけた。事件を解決して新一が帰宅したのは、結構夜遅かった。

「新一。明日朝早いって言ってたけど、大丈夫なの?」
「ああ。今から飯食って風呂に入ったら、寝る。明日は4時に起きて、5時には家を出るから、その積りでいてくれ」
「……」

 新一は宣言通り、ご飯を食べお風呂に入ったらすぐにベッドに横になった。昨夜は一週間ぶりということもあり寝不足になるくらい求められたが、今夜はキスだけで眠りに就いた。蘭は肩透かしを食らったような気がしたが、それだけ明日の予定を大事にしているのだろうと思い、蘭も横になった。

 一年で一番日が長い夏至は過ぎているが、それでも、朝4時に起きた時には、もう大分明るくなっていた。起き出して朝食準備をし朝食を食べ身支度を整える。夏場なので食中毒の危険性を考え、弁当は作らず、冷たい飲み物と、袋入りのパンを持って行くこととした。
 早く出発する分には構わないということで、身支度が出来た4時40分に家を出た。車に乗り込んで出発する。その頃、朝日が顔を出した。

「目的地までどのくらいかかるの?」
「1時間40分というところかな?順調にいけば、6時半前には到着するだろう」
「場所は?」
「埼玉県行田(ぎょうだ)市」

 行田市。馴染みがない地名であるが、どこかで聞いたような気がして、蘭は首を傾げる。スマホで検索してみて、その遠さに驚いた。埼玉県の中でも北の方、熊谷市に近いところだ。

 新一が運転する車は、首都高速に乗って北上していく。最初は隅田川沿いに、その後荒川沿いに移り、川口ジャンクションから東北自動車道に乗り換え。ひたすら北上していく。羽生インターチェンジで高速を降り、県道84号線で西に向かう。途中、国道125号線行田バイパス、県道364号線を経て、どうやら目的地に着いたようだった。新一が言った通り、時刻は6時半少し手前だった。
 新一は、駐車場に車を入れる。

 そこは、周囲が田んぼに囲まれている、大きな公園だった。看板があり、見ると、「古代蓮の里」と書いてあった。


「えっ?古代蓮の里……って……」
「約束しただろ?蓮の花の咲く時期に、連れてってやるって」
「……!」

 昨年の9月、事件関係で行った池と場所が違うため、気付かなかったが。あの時新一が確かに「行田市で発見された古代蓮」と言っていた。

 駐車場から少し歩いて、古代蓮がある池のところまで行く。
 ピンク色をした可憐な蓮の花が、開花し始めていた。その美しさに、蘭は息を呑む。

「蓮の咲く時期は6月から8月だけど、今年の行田市の古代蓮は、今がピークだとホームページに載っててさ。多くの花が、朝9時ごろ、昼には全部萎んでしまうからな。朝早くじゃねえと、見られねえんだよ……」
「そうだね。早起きして来た甲斐があったわ……すっごく綺麗……」

 蘭は、沢山の蓮の花の美しさに、感動していた。1400年以上、地中で眠っていた種が、工事で水が溜まったところに芽吹いて花開かせたのだ。
 蓮は、水の中から伸びているので、なかなか近づくことは出来ないが、水辺すぐ近くに開いた花があり、蘭は顔を寄せる。甘い香りではなく、ほのかな爽やかな香りが漂った。


「古代蓮として知られてるヤツでは、もっと古い、大賀蓮ってヤツがあってさ。けどそれは、発掘した古代の種を大賀博士が育てたもので。こっちの行田の古代蓮は、そういう作為がなく自然に芽吹いた……ら、蘭!?どうしたんだ!?」

 蘭が涙を流し始めたので、新一は慌てまくっていた。

「だって……嬉しい……新一があの時の約束を覚えていて、叶えてくれたなんて……」
「……必ず連れて行くって、約束しただろ?」
「うん……」

 蘭がこだわっていたのは、古代蓮だったので、場所があの時と同じ池でなくても構わない。蘭は何となく、その時行った池にもう一度連れて行ってもらうのだとばかり思っていたのだが、新一としては、本家本元の行田市の蓮を見に行った方が良いと、判断してくれたのだろう。
 まだ、恋人同士になる前の約束。あの時、蘭は、約束通りに古代蓮を見に連れて行ってもらうとしたら、その時、二人の関係はどうなっているだろうと考えていたのだった。

 蘭は、新一の手をキュッと握る。


「わたしは……古代蓮に、自分の気持ちを重ね合わせて見ていたの……」
「蘭?」
「わたしの中でずっと眠っていた恋の種が、新一と再会したことで芽吹いて、花開いた……去年、新一と一緒に古代蓮の葉を見た時、わたしは……わたしの中にある恋の種が芽吹いていく予感があったの……」

 新一が息を呑んで蘭を見た。

「その……オメーの中に、オレへの恋の種が眠っていたって話は、前に聞いたことがあったな……」
「うん。去年の9月、彼岸花が咲いていたあの日、行田市の古代蓮の話を聞いたわたしは、自分の中に眠っていた恋の種の存在を、自覚し始めてた。だから……時を超えて芽吹いて花開いたっていう、この蓮の花を、見たかったの……」
「そっか……」

 蘭は、隣に居る新一の顔を見上げる。何となく、新一が浮かない顔をしているのが、気になった。

「新一?何か、気になることでも、あるの?」
「あ、や。別に……」

 新一は誤魔化そうとしていたようだが、蘭の咎めるような眼差しに観念したように話し出した。

「蓮の花言葉には、泥の中から綺麗な花を咲かせることから、「清らかな心」って、オメーにピッタリなものもあるんだけどさ……開花してからたった4日で花が散ってしまうことから、「離れ行く愛」ってのもあってよ……」
「え?新一でも、そういうの、気にするんだ……」
「おい。新一でもって、何だよ。オレだってゲン担ぎくらいするよ」
「そう。でも、わたしは……たった4日で花が萎むってことより、時を超えて綺麗な花を咲かせたって、今も毎年花を咲かせ続けているって、そっちの方を意味としては取りたいな……」
「蘭……そうだな……オレはオメーをぜってー離さないし、離れない。オレたちの愛は、永遠だ……」

 新一は、蘭の手を改めてグッと握った。蘭も頬を染めてその手を握り返した。

 梅雨が明けたばかりのこの時期。朝早い時刻でも、じりじりと暑くなってくる。古代蓮の花を十分に堪能した後は、園内を回り、古代蓮以外蓮のに植えられている何種類もの蓮の花を見たり、売店で買い物をしたりした。蓮の開花時期には、園内の施設は朝早くから営業している。
 展望台に上ると、そこからは関東平野一円が見え……すぐ近くの田んぼに、田んぼアートがあるのが、見えた。絵柄は毎年変わっているらしい。

「おお。すげえ!」
「ホント。田んぼアートって、聞いたことはあったけど……これは高いところから見るのが正解よね!」
「ああ。すぐ傍で見てもよく分かんねえだろうしな」

 その後、園内にあるうどん店で、少し早い昼食を摂った。

「朝食が早かったから、もう、お腹ペコペコ」
「だな。飯食ったら、ここを出よう」
「うん!この後、どこに行くの?」
「さきたま古墳公園と忍城址に行って、日帰り温泉に寄ってみようかと……」
「忍城って、あの、上杉謙信と石田三成が攻略しようとしたけど落ちなかったっていう、難攻不落の……?」
「そうそう、さすがだな。そういえば蘭は、歴史とかは得意だったな」
「ふーんだ。その分、数学とかは苦手でしたけど?」
「ええ?絡むなよ……褒めてんのに……」
「だって……」

 蘭は、ふと考える。新一は、頭も成績もよく、オレ様で、謙遜という文字が辞書にないかのような男だけれど。成績の悪い同級生を見下したりすることはなく、誰にでも公平に接していた。蘭に対して、自慢げに喋ることはあっても、蘭が何か分からないことがあった時にバカにしたりすることも無かった。
 新一は、クラスの中で浮くこともなく、自然に友人付き合いが出来ていた。服部平次のような「親友」と呼べる存在はいなかったにしても。

「そういえば、新一って……頭がイイ子が好きってことは、なかったよね……」
「は?オメー、別に頭悪くねえだろ?」
「そういう意味じゃなくって!新一に匹敵するだけの頭脳を持った女性に惹かれるってことは、なかったよねって話」
「……人間、大事なのは、頭がイイことじゃねえだろ?オレは……幸い、それなりのものを親からもらって生まれて来て、自分の目標だった探偵業をやれることはありがてえって思ってるけどよ。たとえばオレが服部と親しいのは、アイツがオレに匹敵する能力を持っているからじゃねえ。能力があっても人間として付き合いたくねえようなヤツは、世の中に沢山いるしさ……」
「うん……」

 新一の言わんとするところが、何となく、蘭にも分かった。新一が大切にしているのは、能力ではなく、人間性・人柄。新一が内田麻美嬢に全く心惹かれることなく、蘭を一途に思い続けてくれていたのにも、そこら辺に鍵があるのだろう。考えてみれば蘭だって、新一のことを、「頭がイイから好き」とか「探偵として有能だから好き」とかでは、無いのだった。

 うどんを食べ終わり、古代蓮の里を後にして、さきたま古墳群に行ってみる。夏の日差しがじりじりと照り付け始めたが、古墳に上ると緑が多い高台で、風が通り抜け、少しはしのぎ易い。

「この近くの熊谷市が、毎年、夏の最高気温日本一を出しているところだよね……」
「ああ。ここらへん含めて、盆地気候だからなあ……」

 さきたま古墳公園の中には、いくつかの古墳の他、石田三成が忍城水攻めのために築いた石田堤の一部も残っている。

「ここは意外と広くて、全部回ってたら時間がいくらあっても足りねえから……まずは石田堤がある、丸墓山古墳に行ってみようぜ」

 駐車場に車を停め、田んぼが広がる中を歩いて、少し小高い丘になっている丸墓山古墳に上る。頂上には木が植わってあり、青々と葉を茂らせている。

「この木肌……これ、桜だね……」
「ああ。桜が咲く季節は結構綺麗だろうな」

 丸墓山古墳頂上からの見晴らしはとてもよく、先ほど行った古代蓮の里も、これから行こうとする忍城も、よく見えた。

「ここに、石田三成が陣を築いたのは、分かるような気がする」
「ああ、そうだな。対象が一望できるもんな」

 その後、鉄剣が発見されたことで有名な稲荷山古墳も見て、少し休憩した後、忍城址に向かった。

「忍城も、ホンモノは壊されちゃったんだよね……」
「ああ。明治時代、不要になった城が沢山壊されちまった。今になったら勿体ないと思うけど、当時の価値観では仕方がなかったんだろうな。それにここは、利便性と見栄えを優先して、本来の状態を復元したわけじゃねえんだ」

 復元された御三階櫓は、本来の位置とは異なるところに作られているそうだ。
 それでも、難攻不落とされた当時の面影を忍ぶことが出来、今は沼になっている堀跡から復元御三階櫓を見ると「浮城」の別名が実感されて、充分に楽しめた。


 休憩を挟みながらとはいえ、朝から結構歩き回って、体力に自信がある蘭も、さすがに疲れを感じ始めた頃。今日の最後の目的地である日帰り温泉施設へと向かった。

 日帰り温泉だから、当然、男湯女湯に別れて入るのかと蘭は思っていたのだが、貸し切り出来る小さな露天風呂がいくつもあるところだった。
 蘭は、新一と一緒にお風呂に入ったことはあるが、まだそう多くなく、温泉施設での二人でのお風呂は初めてだった。まだ昼間、明るい日の光が射す中で、二人でお風呂に入るのは、恥ずかしくもある。

「ちょっとちょっと新一、どこ触ってんのよ!?」
「夫が妻の体を触って何が悪い?」
「だってこんな……あっ……」

 嫌なわけではないけれど、全裸をマジマジと見られて、体中をまさぐられて、蘭はのぼせそうになる。
 新一が、蘭の耳元で囁いた。

「なあ、蘭。今日はここに泊らねえ?」
「えっ?新一?」

 ここは日帰り温泉施設だけでなくホテル併設であることは、着いてすぐに蘭も分かったけれど。泊まる予定だったわけではない。

「オレ、とても、家に帰るまで我慢できそうにない……」
「ば、バカッ!」

 悪態をつきながらも、蘭は頷いていた。家に帰るまで1時間半以上かかる。蘭の方も、とても待てそうになかったのだ。


 その夜は、いつにも増して熱い夜を過ごすことになったのだった。


(39)に続く

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<後書き>

 今回のお話は、第9話を書いた時から、いずれ必ず書こうと決めていたポイントの一つです。あ、温泉の部分ではありませんよ、勿論。
 一度も行ったことがない場所を、まるで知っているかのように書くのは、かなり大変でした。ぜはぜは。ネットって本当に便利ですね……。

2022年1月23日脱稿


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