恋の種



By ドミ



(4)



 後部座席に蘭と園子が乗って、新一の運転する車は出発した。

「ねえ、蘭」
「なに、園子?」
「……この前、わたしと話した時は、新一君との再会前、だったんだよね……」

 蘭はちらりと運転席の新一を見てから、頷く。前期試験期間中は、勉強に集中しなければならないため、園子とも会う暇がなかったのだ。メールやLINEでのやり取りは結構頻繁にしていたけれど、最後に園子と直に会って話をしたのは、もう2週間以上前になる。新一との再会は、その後だった。

「うん。2週間くらい前かな。偶然、警視庁の前で会ったんだ。今度園子に会った時に、話す積りだったの。まさか今日、店に新一が来るなんて、思ってなかったよ……」
「ふうん……」
「だって……連絡先も交換してなかったし……」

 ちょっと難しい顔をしていた園子が、笑顔になる。

「ごめんね蘭。蘭が新一君と会ったことを、わたしに隠してたなんて、思ってないよ。ただ、わたしもビックリしちゃってさ……」
「わたしは……多分園子以上に、驚いたよ……」
「わりぃな。別に、驚かす積りは無かったんだが……」

 突然、新一が、蘭と園子の会話に割り込んで来た。

「そもそも新一君って、いつ帰国してたの?」
「大学の卒業式が終わってから。まあ、1ケ月ほど前だな」
「えっ!?アンタ、大学卒業したの!?」
「高校はスキップ制度使ったし、大学は夏休み返上で3年で卒業した」
「へ、へえ……」

 その後も話を続けようとした園子だったが、車がレストランの駐車場に止まったので、口をつぐんだ。お台場で夜景が綺麗だと評判のイタリアンレストランだ。

「こ、こんなとこで、新一、その……本当に奢りで大丈夫?」
「一応カジュアルレストランだから、まあ何とか大丈夫だと思うぜ。オレは運転するからお酒飲まないし」

 4人掛けのテーブルに、蘭と園子が隣り合って、向かい側に新一が座った。

 席について、メニューを見て、蘭はホッとする。まずまず手ごろな値段だったので。園子はお嬢様であるが、蘭たちと一緒にファーストフード店にも行くし、こういう場である程度弁える分別はあった。
 サラダ・パスタ・メインディッシュ・デザート・ドリンクの簡単なセットを、それぞれに頼んだ。

 蘭と園子でテーブルワインを頼み、新一はアルコールフリーのビール風味飲料を頼む。

「じゃ。幼馴染3人組の再会を祝して、乾杯!」

 新一が言って、3人グラスを合わせた。

「3人組って言うけどさ。蘭とアンタの組み合わせか、蘭とわたしの組み合わせは多かったけど、3人一緒ってあんまり無かったよね」
「まあ、そうかもな……オメーはオレを嫌ってたし」
「それは、アンタが蘭を苛めるからっ!」
「ははっ。まあ、そうだったかも……」
「ま、まあ……アンタの意地悪は、たちの悪いものじゃなかったって、成長してから気付いたから……今はもうアンタのこと、好きじゃないけど嫌いでもないわ」
「そっか……オレはオメーのこと嫌いじゃなかったぜ?ま、好きでもなかったけどな」

 新一と園子の応酬に、蘭はハラハラする。しかし、お互い目が笑っているので、突っ込むのはやめて置いた。

 料理が運ばれてきて、3人ともしばらくは食べることに専念した。
 食後のケーキとコーヒー・紅茶が運ばれてきたところで、園子はおもむろに口を開いた。

「新一君。蘭に黙ってアメリカに行って、6年も音沙汰が無かったのは、何で?」
「あー……それな……」

 そこに、蘭が口を挟む。

「園子!それなんだけど……実は新一、アメリカに行く前にうちに来て、手紙をお父さんに預けてたんだけど……お父さん、手紙をそこら辺において他の書類と紛れてしまってたってこと、一昨日発覚したんだ……」
「ええっ!?そ、そうだったの!?」
「お父さんに悪気はなかったみたいだけど、書類整理が破壊的に苦手だから……」
「あっちゃー……で、その手紙には何て?」

 蘭がちらりと新一の方を見る。新一が頷いたので、とりあえず、差し障りないことだけを話すことにした。

「新一のご両親は前からアメリカに家を持ってたけど、急に本拠地を移すことになったので、新一も着いて行くって……大学卒業まではアメリカに居るって、落ち着いたら連絡するって、そういうことが書いてあった」
「そうそう……けど、参ったなあ……あの手紙、蘭に伝わってなかったのか……」
「蘭は……新一君を傷付けてしまったから、黙ってアメリカに行っちゃったんじゃないかって、すごく胸痛めてたんだけど……」
「そ、園子!」
「でも、そういうことなら、情状酌量の余地ありね」
「って、オレが有罪なのは確定なのかよ……」

 新一は不貞腐れたように言ったけれど、やっぱり目は笑っていたので、蘭はホッとする。

「園子。オレが蘭に告白して振られたってのは、知ってんだよな?」
「ああ、つい最近、蘭に聞いたわ……って、何でわたしが知ってること、アンタが知ってるのよ?」
「ん?さっき蘭の勤めるカフェでオレに食ってかかっただろうが。そりゃ、あれを知ってるからだって分かるに決まってんだろ」
「……はあ……そういやアンタ、探偵なんだっけ?」
「まあそりゃ、告白して振られりゃ、どうしたって多少は落ち込むけどよ。でも、だからって、蘭に黙って行ってしまう積りはなかったんだ」
「新一……」
「でも!その部分は誤解だって分かったけど!その後、ずっと音沙汰無かったのは、事実だよね!?落ち着いたら連絡するって書いてたくせに!」

 園子が新一を指差して言った。新一は突然、テーブルの上で頭を下げた。

「すまん!」

 蘭も園子も目をパチクリさせる。

「アメリカに行ったら超忙しくて、刺激的な毎日が楽しくて、バタバタしている内に、連絡するのスッカリ忘れててよ。オレは自分で思ってた以上に筆不精だったみてえだ」
「え……?」

 今度は、蘭も園子も、目が点になっていた。

「蘭のことだから、オレをそれだけ傷つけたって、気に病んじまうだろうってことに思い至らなくて……本当にごめん!」
「あ、あの、新一?」
「音沙汰が無かったのは、オレが傷ついたせいとかじゃ、ねえから!蘭を6年間も悩ませて……悪かったと思ってる」

 新一の必死な様子に、蘭は……胸がざわつくのを抑えられなかったが。かろうじて、言った。

「分かった。分かったから……そんなに謝らないで、新一」



   ☆☆☆



 新一は、園子を先に鈴木邸まで送り届けると、蘭を毛利邸まで送って行った。ポアロの前で車を止める。
 ドアを開けて外に出ようとする蘭に、新一は声を掛けた。

「蘭……これからも、時々誘って良いか?」
「えっ……?」
「大切な友だちとして……」
「う、うん……」
「じゃあ。おやすみ」
「おやすみなさい」


 部屋に入ると、携帯の着信があった。新一からさっそく連絡が入ったのかと思ったが、相手は園子だった。

「もしもし、園子?」
『蘭。今、大丈夫?もう、家に帰り着いた?』
「う、うん……今、部屋にいる……」
『わたしさ、蘭。新一君、嘘ついてるって思うんだ』
「う、嘘って……?」
『筆不精で連絡しそびれたってとこ』
「ああ、うん……園子も気付いたんだね……」

 蘭の胸がざわついた理由。それは、新一が嘘をついていると感じたからだった。

『たださ。新一君が、蘭の所為じゃないって言ってくれたこと、それだけは真実だって、わたしは思うんだ』
「園子?」
『連絡を取らなかったのは、言えないような事情があったのかもしれない。ただ、蘭に振られたから傷ついて連絡しなかったなんて、そんなことじゃない、それはヤツの真実だと、わたしは思うよ……』
「……園子。何だか随分、新一への態度が変わったじゃない?」
『そりゃあまあ。実際、会ってみるとさ……蘭のこと、本当に大切にしてるんだなって感じてしまったから……』
「……」

『ねえ。蘭……わたしは、蘭がアン・シャーリーなんじゃないかって、ちょっと心配』
「アン・シャーリー?」
『赤毛のアンよ。知ってるでしょ?』
「う、うん……」

 園子が何を言いたいのか、蘭には分かった。
 「赤毛のアン」の主人公アン・シャーリーは、11歳の時に出会った少年、ギルバート・ブライスを、最初は物凄く嫌っていた。アンの髪を引っ張って「人参、人参」と言ったのだ。アンは赤毛に物凄いコンプレックスがあり、ギルバートのその言葉が許せず、石板で叩いた上、それから何年も許さずにいた。数年後にようやく和解し、ふたりは「親友」になる。
 実は、ギルバートの方はずっとアンのことを「女性として」愛していたのだが、アンはギルバートを親友だと思い、恋愛がそこに入るのを嫌がり、求愛するギルバートを冷たく拒絶する。大学でアンは、恋をした。恋をしたと、思った。けれど……プロポーズされた時に、アンは、自分の気持ちが愛では無かったことに突然気付いた。そして、ギルバートが病に倒れ、生死の境をさまよった時に、アンは、ずっとギルバートを愛していたことに気付くのだった……。

 赤毛のアンのストーリーを思い返してみると、新一と蘭の状況に色々と似通っている気がする。蘭は初めて新一と会った時に、大っ嫌いだと思った。けれどすぐに(この「すぐに」というところがアンとは違う)新一の隠れた優しさに気付き、大好きになった。そしてずっと仲良しだった。
 新一は蘭にとって、大切な幼馴染、大切な友人。

 けれど大きく違うことがある。空想好きのアン・シャーリーは、恋愛に対して、物語世界のような憧れを持っていた。なので、身近なギルバートの大切さに気付かなかったのだ。
 蘭は別に、恋愛に対して、何か憧れを持っているわけではない。新一のことも、恋愛対象と見られるのかどうか、真剣に考えた。その上で、新一への気持ちは恋愛感情ではないと結論付けた。

「わたしは、アンじゃない……」

 蘭の口から出た言葉は、弱弱しかった。

『……まあ、今、無理に結論出さなくて良いって、わたしは思う。だって、わたし達、まだ若いんだもん。ゆっくり考えたら良いと思うよ』
「う、うん……」

 蘭は大きく息を吐いた。
 新一のことは、今でも、恋愛対象ではないと思っている。けれど……他の誰かと恋愛したり結婚したりなんてことも、全く想像がつかないと思う。

 けれど、園子の言う通り、蘭はまだ大学生。初恋がまだという人だって、周囲にもそれなりに居る。今は恋愛も結婚も、考えなくて良い。そもそも自分にはまだ恋は早いのかもと、蘭は結論付けた。



   ☆☆☆


 それから。
 新一は時々蘭を誘って、食事に行ったり遊びに行ったりした。
 新一も蘭もお互いに忙しいので、週に1〜2回程度のことではあったが。

 会った時に話すのは、他愛のないこと。新一は相変わらずホームズの話が多かったが、アメリカの学生生活がどうだったかという話も、少しずつ聞いた。

 ただ。アメリカで関わった事件のことについては、あまり話そうとしない。蘭は、守秘義務とかがあるんだろうなと思って、突っ込まないようにしていた。

「なんかさ。新一って確かに……わたしが小学生の時にわたしが無くした給食費を見つけてくれたり、中学校のスキー旅行で殺人事件のトリックを解いたり、探偵みたいなことをやってるなあと思ってたけど。ニュースで日本人高校生探偵って見た時は、本当にビックリしたよ」
「ん?ああ……子どもの頃から、オレは探偵になりたい、なるんだって思ってたからな。サッカーは好きだけど、サッカー続けてたのは探偵になるための体力作りだったんだよ」
「そ、そうなんだ……」

 新一はずっと、サッカーボールを手放さず、通学時も、蘭とどこかに出かける時も、リフティングをずっと続けていた。それも、探偵という目標に向けての努力の一環だったのかと、蘭は思う。

 海沿いの公園で、ビル街に沈む夕陽を二人で見つめる。恋人同士ではないので、ふたりの間には人一人分位の隙間がある。

「新一、ご両親は?」
「ん?親はロスに居るよ。今はあっちが本拠地だから」
「新一だけ、帰って来たんだ」
「ああ……オレは……ずっとあっちに居る気は、無かったから……」
「そ、そうなんだ……」
「実を言うと、中坊だったあの時、オレは日本に残りたいって言ったんだけどよ……親は許してくれなくてさ……」

 新一が蘭の方を見て、ちょっと笑った。

「そ、そっか……そうだったんだね……」

 蘭は、何だか泣きたい気持ちになって新一から目を逸らし、また夕陽の方を見た。
 新一が居なくなって、蘭は泣いた。新一は蘭にとって大切な幼馴染で大切な友人だった。蘭の気持ちは、6年前のあの時のまま、止まっている。
 けれどもし、新一がずっと日本に居たのなら、蘭の傍に居たのなら、ふたりの関係は何か変わっていたのだろうか?蘭の気持ちも、変化して行ったのだろうか?

「ねえ、新一……アメリカで探偵として脚光浴びて……あっちの上級探偵資格も取って……アメリカでの探偵の地位は、日本よりずっと高いのに。あっちでは、ご両親の援助だって受けられるだろうに……それでも、日本に帰って来ようと思ったのは、どうして?」
「どうしてって……それは……」

 新一が「探偵の上級資格を持っている」と言ったので、蘭はちょっと調べてみた。
 アメリカでの探偵資格は三段階に分かれており、上級資格を取るには最低5年かかる。実務経験や大学での単位取得など、取得条件もとても厳しい。新一はそれらを全部クリアーしたのだ。
 アメリカでの探偵は地位が高く、上級資格を持つと、警察に準じた捜査権も持っている。

 日本の場合は、探偵は届け出制で、誰でも探偵になれる。しかし逆に、やって良いことは非常に少ない。何人かの探偵が現場捜査出来るのは、警察から認められているからだ。

 なので蘭としては、単純に、新一が探偵を目標にしていたのなら、アメリカの方が働きやすいのではないかと思ったのだが。新一のちょっと傷付いたような表情に、言葉に出してしまったことを後悔した。

『もしかしたら新一は、今でもわたしのことを……?ううん、蘭、そんな風に自惚れちゃいけないわ!』

「まあ、色々理由はあるけどよ……何と言っても、アメリカは、飯が不味い!」
「えっ!?」
「まあもちろん、探せば美味いところもある。けど……まあ単純にオレが日本で生まれ育ったからだろうけど、やっぱ日本の飯が一番美味いって思う!」
「あ……そ……そう……」

 蘭は、目が点になっていた。とはいえ、新一の言うことを額面通りに受け取ったわけではない。食べ物が口に合うか合わないかは、結構重要だ。けれど……新一の母親の有希子が居るのだ、そこは何とでもなりそうな気がした。蘭の母親は何でも器用にこなすのに、料理だけは破壊的だった。蘭は新一の母親の有希子に料理を教わったのだ。

「小母様から料理を教われば良かったのに……」
「あ……まあ、特訓された」
「じゃあ、普段は自炊?」
「あ……や……その……どうしても他にやりたいことが優先になってよ……料理は後回しっつうか……外食かレトルトかコンビニ弁当が多いな……あ、隣から料理をお裾分けしてもらうことも……」
「隣って、阿笠博士?」
「ん?ああ……」

 工藤邸の隣に住んでいる阿笠博士は、工藤優作の友人で、新一も幼い頃から親しくしていた。蘭も新一と一緒に面倒を見てもらったことがある。
 けれど、新一がアメリカに行ってからは、阿笠博士とも会うことがなくなってしまった。
 その阿笠博士だが、ずっと独身で、自炊歴は長い筈だが、料理の腕前はからっきしだった筈だ。

 蘭は、新一の食生活の悲惨さを思い、黙って居られなくなった。

「新一!わたしが時々、新一の家にご飯作りに行ってあげる!」
「へっ!?」
「何よ、良いでしょ?わたしの料理は、有希子小母様仕込みなんだから、新一の口にも合うはずよ!」
「そ、そりゃ、ありがてえけど……オメー、忙しいんじゃねえか?」
「大切な幼馴染のためだもん。そのくらいの時間は、ひねり出して見せるわよ!」

 新一は、目を丸くして蘭を見た。

「ほんと、オメーって……変わってねえな……」
「何それ?進歩がないって言いたいの?」
「いや……少なくとも、悪い意味じゃねえよ……」

 そう言った新一の眼差しがすごく優しくて、蘭はドギマギしてしまう。

「じゃあ!さっそく、買い物して新一の家に行きましょう!」
「は?今日はこれから食事に行こうって……」
「だから!新一の家で食事をすれば、良いじゃない」

 蘭はさっさと駐車場に向かって歩き出した。新一はちょっと肩をすくめると、蘭の後を追って歩き始める。
 いつの間にか夕日は沈み、空に星が瞬き始めていた。



(5)に続く



2021年9月25日脱稿

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