恋の種
By ドミ
(42)
新一も蘭も、それぞれに忙しくはあったが、2人だけで海に行ったり、隣人の志保など他の友人も含めて山に行ったり、楽しい時間も過ごして日々が過ぎて行った。
8月に入って間もなく、内田麻美から新一宛に、誕生パーティの招待状が届いた。
「そういえば、去年招待された内田先輩の誕生パーティは、確か、8月の終わりごろだったよな……去年と、ちょっと日程が違うような気がするんだが」
「新一ったら。園子が言ってたじゃない、授賞パーティと重なったから、誕生日パーティの方をずらしたんだって」
「ああ。そういえばそうだったか」
記憶力の良い新一なのに、それすらも忘れているなんて、よほど麻美の誕生日に関心が無いらしい。自分の誕生日は器用に忘れる新一だが、周囲の大切な人の誕生日を忘れたことはない。麻美はその中に含まれていないのだ、蘭はさすがに、麻美のことが気の毒になった。かといって、今は新一の妻になった蘭から同情されるなんて、麻美にとっては屈辱以外の何ものでもないだろう。
「で、新一?招待、受けるの?」
「いや。別に、行く必要、ねえだろ?っていうか、全く接点がねえのに、何で今年もオレを招待するかな〜。推理作家だから探偵を招きたいのかな?」
「……」
蘭は、去年のあれこれを思い出しながら、考えていた。麻美が新一に未練バリバリだったのは間違いないが。そもそも新一の方は、麻美がいまだに新一のことを好きだなんて、全く、気付いていなかったのだろうか?
「もしかして、蘭は行きてえのか?」
「え?わたしは招待されてないし……」
「いや、同伴者可みてえだしよ、オメーが行きたいなら、オレも都合つけるけど?」
「……ううん。わたしはいいよ、行かなくて……」
「わーった。じゃ、欠席で返事を出しておこう」
新一は、返信用葉書の欠席のところに印をつけていた。
「しっかし、返信用葉書同封なんて、まるで結婚式の招待状みてえだなあ」
「そうね……今時だったら、メールとかラインとか……でも、去年、麻美先輩と、メルアドもラインも交換しないままだったよね……」
「だから余計に不思議なんだよな……去年連絡先も交換しなかったのに、まさか今年また招待されるなんて、夢にも思ってなかったぜ……」
蘭が新一と結婚したことは、ごく一部の人たちにしか明かしていないので、麻美は知らない筈だ。もしかしたら麻美は、新一との仲の進展に一縷の望みをかけているのかもしれないと、蘭は思う。けれどそれは、口にしなかった。
今年発売された麻美の推理小説は、主人公が女性だった。長年思い続けていた男性と再会し、けれどその男性は別の女性をさらに長年思い続けていて……という、麻美自身と新一のことをモデルにしたのではないかと思える部分があったのだが。新一は当然推理小説の新刊としてその本は読んだけれども、その男女のモデルが自分かもとは、全く気付いていないようだった。
☆☆☆
8月の終わり。新一と蘭は、アメリカに居た。工藤優作・有希子夫妻のロスの家に、蘭は初めて訪問することになったのだ。
「蘭ちゃん、いらっしゃ〜い!」
有希子が、飛びつかんばかりに蘭を歓待した。
ロスの、優作と有希子の家。日本の工藤邸より更に豪邸である。蘭は、新一の居室だったところに案内された。家具は残っているが、小物類で必要なものは全て日本の工藤邸に送られている。蘭が知らない空白の時期を、新一はここで過ごしていたのだと思うと、蘭にとってはとても感慨深かった。
「まあ、新ちゃんは、ハーバード大の寮に入ったから、この部屋はそんなに長く使わなかったんだけどね」
新一と蘭が工藤邸に着いて落ち着く間もなく、有希子は、蘭をショッピングに連れ出した。後に残された新一は、憮然とする。
「まあまあ、新一。有希子はショッピングに連れていける相手が出来て嬉しいんだから……蘭君とはずっと一緒に居るのだから、たまには有希子に譲ってあげなさい」
「あーいや、別にその程度のことは……」
新一が頬を赤くして、そっぽを向く。
「それとも……たまには有希子に甘えたくなったのかい?」
「バッ!んなんじゃねえよ!」
「やれやれ……君がちっとも甘えてくれないから、有希子も随分拗ねてしまっているのだよ。たまには親孝行と思って……」
「この年になって、今更、母親に甘えられるかよ!」
「いやあ、君の場合、まだ小さい頃から、あんまり甘えてくれる子じゃなかったからねえ。蘭君と出会ってからの君は、早く一人前の大人の男になろうと、ずっと背伸びを続けていたから……」
そうかもしれないと、新一は思う。蘭と出会ったあの日から、新一の世界は、蘭と推理だけになってしまった。
両親を大切に思っているし、深く愛してもいる。父の優作と母の有希子からの大きな愛情には、本当に感謝している。それでも……蘭の存在は新一の中であまりにも大きく、新一は早く蘭を守れる大人になりたいと、努力して来たのだった。
新一が両親に頼るのは、いつも蘭がらみであったことを、優作からも有希子からも見抜かれていることを、新一は知っている。
「まあ、どっちみち、男の子の君では、荷物持ち以外、一緒にショッピングを楽しむ対象ではないからねえ。有希子が昔から蘭君を娘のように思い、大切にしてきたのは事実だが……親にとって一番大事なのは、やっぱり我が子だ。有希子と私が蘭君を大事に思うのは、彼女が君の大切な相手だったからだよ」
「……」
新一には正直、優作と有希子の「親の感傷」は、分からない。いつか自分が子どもを持てば、分かるようになるのかもしれなかったが。
新一はコーヒーを淹れて優作の前にひとつ置いた。
「有希子はずっと、新一を蘭君から引き離したのは自分だと、自分を責めていたよ」
「それは……別に……オレは母さんを責める気は全くない。あの時、どうしても日本に残りたいとプレゼンできなかったのは、オレの未熟だから。そもそもあの時、蘭がオレに対して恋愛感情を持ってないことを分かっていながら、蘭に告白することを決めたのは、オレだ。母さんの所為じゃねえよ」
「そう言う風に言う君が、頼もしくもあり、可愛げのない部分でもあるかもな」
優作の口調は、責めるものではなく、笑いを含んでいた。
有希子と蘭は、山ほどの衣装・バッグ・靴・アクセサリーと共に帰宅した。
「もう、蘭ちゃんってば、何を着ても似合うから〜」
にこにこと笑いながら有希子が言った。
「おかあさんが、次々と買ってくださって、もう本当に申し訳なくて……」
蘭が苦笑しながら言った。今まで慎ましい買い物をしてきた蘭にとって、有希子の派手な買い方は、心苦しいものであったろう。いくら優作がお金を沢山持っていると知っていても。
「蘭ちゃん、気にしないで!娘が居たら、一緒にショッピングを楽しむのが夢だったんだから!でも、生まれたのは、むさくるしい男子が一人だったから……」
「悪かったな、むさくるしい男子一人でよ!」
「でも、新ちゃんは、こんな可愛い花嫁さんをゲットしたんだから、そこは褒めてあげるわ!」
「はいはい、どーも。ところで、あれ全部持って帰るのは無理だぞ。どうすんだ?」
「大丈夫よ、持って帰れない分は、送ってあげるから!」
山のような荷物を片付けると、有希子が、4人分の紅茶を淹れて、皆にふるまった。
「新一がコーヒーや紅茶を淹れる腕も大分上がったと思うが、やっぱり有希子の淹れる紅茶が一番だ」
優作が満足そうに言った。
「本当に美味しいです!おかあさん!是非、ご伝授ください!」
蘭が真剣な眼差しで言った。
「ふふっ。蘭ちゃんならすぐに上達するから、教え甲斐があるわあ」
そう言って有希子は笑った。
「今日は、我が家でホームパーティを予定してるのよ。2人が居る間に、海水浴とか、ハリウッドとか、ニューヨークブロードウェイの観劇とか、連れて行きたいところは山ほどあるわ」
☆☆☆
蘭が驚いたことに、ロスの工藤邸の隣には、木之下フサエキャンベルの家があった。阿笠博士とフサエ夫妻の養女になった志保は、今は殆ど日本の阿笠邸にいるのだが、阿笠夫妻はアメリカと日本を行き来する生活をしているのだ。そして今はちょうど、阿笠博士とフサエがロスの家にいる時期だった。
どうりで、蘭は今まで、隣人である筈のフサエと会ったことがなかった筈だと思った。
工藤邸でのホームパーティで、蘭はフサエと15年ぶりくらいになる再会をした。阿笠博士とフサエの二人は、とても良い雰囲気だと蘭は思った。
「もう、博士さんたら、いつもイチョウの木の下で待ってたのに、辿り着いてくれなかったんだから……」
「や、すまんのう」
アメリカで数十年ぶりに再会し、ようやく結ばれた二人。さすがにもう子どもは望めないが、仲の良い夫婦のようだ。
蘭は、フサエに聞いてみた。
「ずっと、阿笠博士を思い続けて、他の人には全く目が向かなかったんですか?」
「あらあら。そうね……誰に声を掛けられても、やっぱり博士さんの面影が浮かんで、ダメだったわ……彼以外に絶対に目を向けないと決意していたワケではないけど、どうしても目が向かなかったのよ……」
「フサエさん……」
「日本で、この髪の色は、目立つでしょう?からかわれて、いつも帽子で隠していたの……でも、博士さんは、私の髪を、イチョウみたいで綺麗だって言ってくれた……その日から、わたしにとって、博士さんと色づいたイチョウの葉が、特別になったのよ」
「……!」
フサエブランドのメインモチーフ・イチョウは、フサエの初恋の象徴だったのかと、蘭は震えるほどに感動した。博士とフサエはお互いに、小学生でも恋の自覚はあり、ずっとその気持ちを大切に持ち続けていたのだ。
フサエの気持ちが恋の種のままに終わらずに恋に変わったのは、フサエの髪がイチョウみたいで綺麗だという、阿笠博士の言葉だったのだろう。
阿笠博士にしても、他人種への偏見は全くないが、かといって別に金髪好きというワケではない。好きな女の子が金髪だったから、その金髪がより美しく見えたのだろうと、蘭は思う。
蘭が新一の方に目を向けると、新一が蘭に気づき、ふっと微笑んでくれた。蘭の胸はドキンと高鳴る。
新一は容姿が良い方だと蘭は思うが、小中高生の頃に新一を見てカッコイイと思ったりときめいたりすることはなかった。けれど、再会して新一への恋心が育ち始めると、昔よりずっとカッコよく見えるようになったし、ドキドキする。これが恋の欲目というものかと蘭は思う。
日本では8月後半はクラゲが多くなるため海水浴には向かないが、ロスのビーチでは8月終わりくらいまで海水浴が出来るというので、新一と蘭は、優作有希子と共に、サンタモニカにほど近いところにあるウィルロジャースステートビーチに海水浴に行くことにした。有名なサンタモニカビーチに比べて水質が良く人が少ないため、穴場なのだそうだ。
有希子に買ってもらった水着をつけ、海辺に行く。街中は超気温が高いが、海辺だとそうでもなく、海水温は寒流の影響で低い。日本ほど海の中に入る人はなく、ビーチで過ごす人が多いのは、そこら辺にも理由がありそうだった。
蘭は水に入ってみたが、水温の冷たさに早々に音を上げ、短時間で浜に引き上げてしまった。何時間でも水に入っていられた伊豆の海とは、やはり違う。
「新一は、ここにも来たことがあるの?」
「ああ。まあな……運が良ければイルカも見れるぜ」
「ホント!?」
「まあ、運が良ければ、だけどな」
残念ながら、イルカの姿を見ることは出来なかったが、太平洋に沈む夕陽は圧巻だった。波打ち際で蘭はその光景を見詰める。
「すっごい綺麗な夕陽だね、しんい……」
蘭は新一を振り返り、新一が夕陽ではなく蘭を熱い眼差しで見ているのに気付いた。
「……この場所に。蘭をオレの妻として連れて来ることが出来て……すげー幸せだ……」
「新一……?」
「この海の向こうに、夕陽の沈むその先に、蘭のいる日本があるって、オレは……」
蘭は、新一の傍まで行くと、そっと寄り添った。
「蘭?」
「……わたしも、今、こうして……新一の妻としてここに居られて……とても幸せ……」
新一は、そっと蘭の顔を上げさせると、唇を重ねて来た。
そこから少し離れた浜辺では、優作と有希子が寄り添う二人の姿を見ていた。
「んもう。新ちゃんったら、私達がここにいること、忘れているわね!」
「はっはっは。まあようやく想いが通じ合って幸せの絶頂なんだから、そっとしておいてあげようじゃないか……と、うむ。ひとつ小説のネタが出来た」
「優作ったら……」
「新一君の経験もなかなか波乱万丈だからね。彼をモデルにしたお話を書くのも、面白そうだねえ」
新一と蘭はまだ新婚旅行に行っていないが、まるで新婚旅行の代わりのようなアメリカ生活をしっかり堪能して帰国したら。
警察が手ぐすね引いて新一の帰国を待っていて、あわただしい日々を過ごすことになったのだった。
(43)に続く
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<後書き>
名探偵コナン原作での蘭ちゃんは、新一君への恋の種がずっと心の中にあり、例の「ワケなんているのかよ……」の台詞が恋の種を芽吹かせたというのが、私の勝手な自論になります。
でも、こちらのお話では、新一君はアメリカに行っちゃったので、なかなか恋の種が芽吹かなかった。
さてこのお話、終着駅は3月の結婚式……と思っているのですが、その間をどう埋めていくのかが、楽しくも苦しい悩みの種ですね。
2022年2月23日脱稿
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