恋の種



By ドミ



(5)



 買い物をして、工藤邸に行った蘭が、まず目にした光景は。思わずブチッと切れてしまうほどに、散らかった室内の光景だった。ただ蘭にも、「突然押し掛けた」自覚はあったため、新一相手に雷を落とすことはかろうじて思いとどまった。
 とりあえず新一には、ゴミのまとめと、流しに積んである食器の片づけをさせ、その間に蘭は、料理の下ごしらえに取り掛かる。

「あら。新一、食器洗浄機あるんじゃない」
「あ、ああ……帰国する前、オレの家事能力を心配した母さんが、設置してくれた……」
「ふうん。じゃあ、食器が山盛りになる前に、食洗器使ったら?」
「今度からそうする……」

 ともあれ。何とか人が過ごせる程度に片付き、料理も出来上がり、二人揃ってご飯を食べ始める。


「美味い!蘭、腕上げたな!」
「そ、そう?良かった……。そっちは『相変わらず』じゃないのね」
「へっ!?」
「ううん……口に合ったのなら、良かったわ」
「これからも時々は、蘭の料理が食えるかと思うと、日本に帰って来た甲斐があったぜ!」

 またも蘭の胸がざわつきだす。ただ、蘭は自分でも何故胸がざわつくのか、よく分からなかった。

「でも新一。わたし、新一のところにご飯作りに来るたびに、散らかってるの見るの、嫌だからね!、新一が忙しいのは分かるけど、最低限の片づけはしておいた方が良いと思うよ……」
「ああ。……今度からは、蘭が来てくれる時に呆れられないように、頑張っておく」

 お客が時々来るというのは、家の中を整えておくためには良いことなのかもしれないと、蘭は思った。蘭が新一の家を訪ねるのは、工藤邸をきれいに保つ役に立つのかもしれない。


 料理は会心の出来だったし、工藤邸に置いてある紅茶葉は良いもので、食後の紅茶も美味しかった。
 工藤邸には、ろくな食材は無かったけれど、コーヒー豆と紅茶葉は、蘭が呆れるくらい、良いものが揃っていた。

「コーヒーも紅茶も、癒しにはなるだろうけど、お腹は膨れないし栄養にもならないから……食生活には気を付けてよね」
「あ、ああ……」
「とりあえず。牛乳と卵は切らさないようにね」
「わーった……」
「じゃ、わたし、帰るから」
「あ、送ってくよ」

 蘭が立ち上がると、新一も立ち上がった。

「し、新一……何考えてんのよ!」
「は?」
「アンタ、お酒飲んでたじゃない!」

 夕食の時に、新一も蘭も、少しだがお酒を口にしていた。

「運転はしねえよ。ここから蘭の家まで、どんだけ離れてると思ってる?飲酒歩行は禁止じゃねえだろ?」
「あ、そっか。歩きね……」

 新一と蘭は並んで夜道を歩き始めた。

「綺麗な星月夜だね」
「……まだ暑いけど、暦の上ではもう秋だからな」
「そういえば。新一と再会した頃って、今年は例年より梅雨明けが遅くてまだ梅雨明けしてなかったけど、会った時はいつも、そこそこ天気が良かったよね」
「オレが日本に帰ってくるのと同時に梅雨入りで、ま、雨も必要だって分かっちゃいるが、結構鬱陶しかったんだよな……けど、蘭と偶然会ったあの日も、その後も……考えてみれば確かに、晴れてたな。テルテル坊主を吊るしてたんでもあるまいに」
「テルテル坊主……」
「ん?どうかしたか?」
「ううん……何でもないよ……」

 ほどなくふたりは、ポアロの前に到着した。

「じゃあ、お休み」
「おやすみなさい」


 家に帰り着いた蘭は、自分の部屋の物入れの奥を、探してみた。そして……中学時代に蘭が作ったテルテル坊主を引っ張り出した。大切にしまっていたので、何年も前の物なのに傷んでいない。

「君には随分お世話になったねえ……」

 蘭はテルテル坊主の顔を、指で突っついた。新一は知らないが、その昔、新一の大切な試合の時には、このテルテル坊主を吊るしたのだった。その威力は絶大だった。


 以後、蘭は、新一とのお出かけ予定の日には、そのテルテル坊主を軒先にぶら下げるようになった。やっぱりその威力は絶大だった。



   ☆☆☆



 蘭は久しぶりに園子と会ってランチをしていた。
 夏休み期間中、園子は伊豆の京極真の実家に行ったり、会社経営者向けのセミナーに参加したりと、結構多忙な生活を送っているので、なかなか蘭と一緒に過ごす時間も取れなかったのだ。

「はああ……高校時代は、それなりに忙しいって思ってたけど、大学に入ってからの方がずっと忙しいわ……」
「まあ、普通はそうでもないけどね……園子もわたしも、やらなきゃいけないことが多いから……」
「ところで、蘭。新一君とデートしてんの?」
「で、デートじゃなくて!会ってるだけ」
「はいはい……普通はそれをデートって呼ぶんだと思うけどね……」

 他愛ないおしゃべりをしている中で、蘭は、時々新一の家にご飯を作りに行っている話をした。

「は!?新一君ちに、ご飯を作りに行ってる〜!?蘭、正気!?」
「そ、園子……声が大きい!」
「あ、ごめん……でも、蘭……ヤツは、実家に一人暮らしなんでしょ?」
「え?うん……」
「男の一人暮らしの家に上がり込んで、もし何か遭ったらどうすんのよ!?」
「えっ?」
「まあ、蘭は空手があるから、大丈夫かもしんないけどさ……」
「何もあるわけないじゃない。だって、新一だよ」
「はあ!?蘭、アンタ正気!?」
「園子、声が大きいってば!」
「あ、ご、ごめん……でも、年頃になったら、男と2人きりになるなって、言われるようになったでしょ!?男はみんな、狼なのよ!」
「……だって……新一だもん……」
「蘭。まさかアンタ……新一君には性欲なんかない、なんて思ってるわけじゃないでしょ!?」
「そうじゃない。そういうことじゃない。だって……新一は昔から……絶対に絶対に、そういうこと、しなかったもん!」
「蘭?」
「だって……小学生の頃、男子がスカートめくりしたり、覗きしたり、色々やってたけど……新一は絶対にそんなことしなかったし!他の男子をたしなめてたし!」
「そりゃ……蘭の前でカッコつけてたんじゃない?」
「違う!新一が他の男子を怒ってたの、偶然見かけたんだもん!」
「ら、蘭……アンタも声大きいよ……」
「あ、ご、ごめん……でも、新一は……意地悪だったけど……でも、わたしが辛い思いをするような意地悪は、絶対にしなかったの……」

 園子にも、分かっていた。小さい頃には分からなかったけれど、小学高学年になる頃には、新一がどれだけ蘭を大切にしているのか、理解するようになった。
 しかし……今、蘭が新一への信頼に溢れた眼差しで語っているのを見ると、正直、新一が気の毒になってくる。蘭と新一と3人で過ごした時、新一の眼差しから、態度から、新一が今でも蘭を想っていることは間違いないと、園子は確信していた。
 しかし蘭は、新一の蘭への重過ぎるほどの愛に全く気付かず、新一に対して「信頼できる大好きな幼馴染」としか思っていない。蘭が新一の家にご飯を作りに行ってあげるのは、新一にとっては生殺しに近い状態だろうにと、園子は思う。

 蘭の言う通り、新一は蘭に手を出すどころか、欲望の片鱗も見せないだろうという気がする。
 けれど……。

 園子と、恋人の京極真とは、深い仲になるまでそれなりに時間が掛かっている。ただ、「恋人同士だけれど相手を大切にして手を出さない」のと、「恋人にすらなっていないため迂闊に相手に性欲を見せることすら憚られる」のでは、その辛さは随分と違うのではないかと、園子は思う。

 園子は、蘭のことをとても大事に思っているし、基本的に蘭の味方であるけれども、恋愛に関してだけは、新一に味方してあげたい気持ちになっていた。



   ☆☆☆ 



 夏の終わり頃。蘭の元に、園子から電話が入った。

『蘭!内田麻美先輩が、今年の推理文学大賞を取ったのよ!』
「園子、内田麻美先輩って、中学の時の2年先輩で、わたしたちが1年の時の生徒会長だった?」
『内田麻美先輩は、東都大学1年の時に、推理文学賞新人賞を受賞してたんだけど、今年東都大文学部を卒業して、本格的な作家生活に入られたのよ』
「へ、へえ……すごいね……」

 推理作家と言えば、新一のお父さんが推理作家だったよなと、蘭は思う。

「でも園子、推理小説って読んでたっけ?」
『あんま読んでないけどさ、だって、内田先輩は、テニス部でわたしの先輩だったし……』
「そっか……園子が尊敬する先輩なんだね……」
『うん。テニスの腕もすごくて、成績優秀で、美人で優しくて面倒見が良くて……才色兼備って、あのような方のことだよね』
「そういえば、内田先輩って、サッカー部のマネージャーもやってなかった?」

 蘭は、新一の居るサッカー部部室で、掃き溜めに鶴のような内田先輩を見かけていたことを思い出して言った。

『そうそう、テニスと生徒会とサッカー部のマネージャー!もう、どんな超人だよって感じよね!』
「すごいねー。で、大学1年で推理文学賞新人賞、今年は推理文学大賞……それは新一が興味を示しそうな……」

 突然、蘭の胸に、何か引っかかるものがあった。けれどそれが何か、分からない。

『なによー、こんなときも旦那の話?』
「だ、誰が旦那よっ!園子、最近妙に焚き付けるけど、新一とわたしはねえ!」
『はいはい、分かった分かった。で、鈴木財閥もその推理文学賞のスポンサーの一つなんだよね。蘭……授賞式に来る?新人作家とか大物作家とか出版社のお偉方とか、沢山来るよ』
「……うーん。あんまり興味ないかな……それに、ちょっと忙しいし……」
『そっか。ま、無理にとは言わないわ』

 ということで、園子ととの話は終わったのだが。

 翌日、蘭は新一から同じ話を聞くことになった。

「なんか、オレのところに、内田先輩から授賞パーティの招待状が届いちまってさ」
「え?そうなの?」
「内田先輩とかかわりがあったのは、中学の時の1年間だけだから、何でオレを招待したのかなって思ったんだけど。まあ……オレがアメリカで探偵として活躍したってのがちょっとメディアに出たりしたし、工藤優作の息子ってのもあって、オレを招待したのかなって思うんだけど……」

 蘭の胸がざわつく。

「そ、そう……探偵活動に役立つかどうかは分からないけど……そういうとこに行ってみるのも、良いんじゃない?」

 蘭は、胸のざわつきを抑えながら、言った。

「でさ、その……蘭。オレのパートナーとして、一緒に出席してくれねえか?」
「えっ?」

 蘭は目を見開いて固まった。



(6)に続く


+++++++++++++++++++

<後書き>

 このお話は、「名探偵コナンifの世界」がコンセプトであるため、中学2年までの間は、原作と同じという積りでお話を進めています。
 で、よく考えたら、この世界でも新一君は内田麻美嬢から告白されてる筈だよなあと思い、そのエピソードを入れることにしました。

 が。授賞式に出た後どうなるか、そこは全く、考えていません。さて、どう話が転ぶのか。


2021年9月26日脱稿
戻る時はブラウザの「戻る」で。