恋の種



By ドミ
イラスト:さくもち様



(7)



 パーティに出席したものの、新一は車を運転するため、アルコールは全く口にしていなかった。対照的に蘭は、ちょっとむしゃくしゃしたもので、ついついいつもよりお酒を飲んでしまった。

 帰りの車の中で、新一が溜息をつく。

「まさか内田先輩が7年前のことを……」

 新一のボヤキを、蘭は聞き逃さなかった。

「んん?新一、7年前、麻美先輩に何かしたの!?」
「オ、オレは、何もしてねえよ!」
「ふうん。どうだか……」

 蘭には何も言う権利などないこと、分かっている。けれど……6年前、新一の告白を断ってから蘭はずっと罪の意識を持っていたのに、そのたった1年前には麻美先輩に鼻の下を伸ばしていたと思うと、蘭は何だか面白くなかった。

「はあ……蘭に今夜のパートナー頼まなきゃ良かった……」

 新一のその言葉に、蘭はカチンときた。

「そりゃあ……麻美先輩に比べたら、わたしなんかがパートナーじゃ、見劣りするものね!」

 一瞬、車が揺れて、蘭は酔いが覚める。新一がそこまで動揺したという事実に、蘭は驚いていた。
 新一が路肩に車を止めた。そして、ハンドルに突っ伏する。顔を伏せたまま、言った。

「蘭……悪かった。でも……オメーにパートナー頼まなきゃ良かったって、そんな意味じゃねえんだ」
「新一……?」

 新一は顔をあげて苦笑いした。

「あのな、蘭。その……今夜会った時、その……赤いドレス、スゲー似合ってて……オレは正直、内田先輩よりオメーの方がずっと綺麗だと思った……」

 新一が、顔を真っ赤にして言った。蘭は息をのむ。新一に「綺麗」なんて言われたのは、それこそ生まれて初めてだ。
 それに……新一が今まで、誰かを容姿で褒めたのを聞いたことはない。そういうお世辞を言う男でもない。

 蘭は、ささくれだっていた気持ちが、凪いで行くのを感じていた。麻美先輩より綺麗だなんて自分では思えないけれど、新一がそこまで言ってくれたことは嬉しいと、素直に思えたのだった。

「7年前に何があったかは、言えない。その……他人の名誉にかかわることだから……」
「う、うん……」

 新一の困ったような顔を見て、蘭も心から、新一に悪かったと思った。だから、色々聞きたいことは、胸の内に仕舞うことにしたのだった。




 そして8月終わりの週末。蘭と園子は、新一の運転する車で、指定された貸別荘まで向かった。

 泊りがけというのは、さすがに小五郎が難色を示したので、園子が小五郎のところに出向き、招待客は男女双方いるが、もちろん部屋が別々であること等を説明したのだった。

「新一の野郎とも別部屋か?」
「何、当たり前のこと言ってんのよ!?バカじゃないの!?」

 蘭の怒声に、小五郎は首をひっこめ、園子は苦笑いしていた。


   ☆☆☆


 内田麻美の誕生パーティに集まったメンバーは、新一・蘭・園子を除けば、麻美が所属していた、東都大推理研究会のOBメンバーだった。

「へえ……あの工藤優作の息子で、ハーバード大卒の秀才で、アメリカで探偵として活躍していた、あの工藤新一君が……麻美嬢の後輩君だったとはねえ」
「彼が私の後輩だったのは、たった1年間のことよ。でも、私のことを忘れずにいてくれて、本当に嬉しかったわ」

 麻美は笑顔で言葉は柔らかいのに、新一は何とも居心地が悪そうにしていた。
 
 お茶を飲みながら、推理小説や現場での推理の話で場は盛り上がったが。
 さすがに世界中の推理小説を読み漁り、現役探偵として活躍している新一は、東都大推理研究会OBの面々相手に、知識の面でも推理の面でも負けることはない。

 論争について行けなくて、蘭と園子は、逃げ込むように台所に行った。

「何かお手伝いすること……えっ?麻美先輩ご自身が、料理を?」

 そこで作業をしていたのは、今日の主役の筈の麻美だったのである。

「ううん、今日はさすがに、デリバリーを頼んだわ。いつもは私が料理をするんだけどね。でも、私が得意なレモンパイだけは作って来たわ」
「え?麻美先輩のお誕生日なのにですか?」
「みんな、私のレモンパイを楽しみにしてくれてるから……」

 そう言って麻美が微笑む。

「はああ。美人で、テニスの腕はピカイチで、成績優秀で、優しくて面倒見が良くて……その上、料理の腕まで……ああ、天は二物を与えずって言うけど、嘘ですね……麻美先輩は、三物も四物も、持っていらっしゃるもの」
「あら、ありがとう、鈴木さん」
「本当に……何もかも完璧で……素晴らしい方だって思います」
「毛利さん……でもあなたは、空手のインターハイ優勝者でしょう?」
「だって、わたしは空手くらいしか……先輩は、何もかも完璧で……とても敵わない……」
「……でもね、私は、一番欲しいものが、どうしても手に入らなかったのよ」
「麻美先輩?」

 一瞬、麻美の表情が陰ったような気がしたが、すぐに笑顔になる。

「そうそう、毛利さん、知ってた?工藤君の好物はレモンパイなのよ!」
「えっ……?」
「私がサッカー部に差し入れてたレモンパイ、彼はいつも美味しいって食べてくれてたわ」

 途端に、蘭の脳裏によみがえった記憶があった。
 蘭は時々サッカー部の部室に遊びに行くことがあったが、その時、麻美と新一が向かい合って、新一が微苦笑の表情でパイを食べていたことが、あった。あれは麻美の差し入れだったのだろう。蘭の胸がざわついていた理由、それは、新一のその時の表情が、蘭の前では見せないものだったからだ。困ったような照れたような、微妙な表情……。

「そうだ!作り方教えてあげるから、毛利さん、レモンパイ作ってみる?」
「えっ!?」



   ☆☆☆



「工藤君。さっきから台所の方を気にしてるようだけど……」
「ははーん。さては君も、麻美嬢の魅力にノックダウンしたクチだね」
「麻美は、君には高嶺の花よ。諦めなさい」
「いやいや、工藤君ほどの男なら、案外釣り合うかもね。何しろ、東都大に勝るとも劣らないハーバード大卒なんだから」

「そ、そんなんじゃないです!オレは別に……」
「ふふふ、赤くなって可愛い〜」

 と、そこへ。麻美が現れた。

「お待たせしました!さあ、存分に食べて飲んで!食後のデザートには、レモンパイが待ってるから」

 皆、歓声を上げた。デリバリーの食事はまずまずだったし、お酒は良いものが揃っている。
 そして、レモンパイの登場。

「あれ?麻美さんのレモンパイにしては……」
「なんか、形がいびつだし、ちょっと焦げてる?」

 皆、口に入れるより先に、パイ切れを手に取って子細に見ていた。しかし、そこに。

「うまい!」

 という声が響いた。いち早くレモンパイを頬張った新一の声だった。その声につられて、皆、レモンパイを口に運ぶ。

「ホントだ……見た目はあれだけど……」
「香ばしくて、美味しい……」

 新一が、蘭の方を見て言った。

「なあ、蘭。これ、オメーが作ったんじゃねえか?」

 皆の耳目が、蘭に集まった。蘭は赤くなりながら言った。

「あ、はは。やっぱ、麻美先輩みたいに綺麗に出来ないから、分かっちゃったよね?」
「あ、いや、そういう意味じゃ……」

「ああ、麻美が作ったんじゃなかったんだ。道理で……」
「すみません、形がいびつで……」

 蘭は頑張って作ったのだが、麻美が作ったような綺麗な形にはならなかった。

「蘭ちゃん、そう、卑下するなって」
「そうそう、味はまあまあだったし」

「毛利さんは、今日初めて作ったのに、名人よね〜」

 麻美が笑顔で言って、場を取りなした。



   ☆☆☆


 蘭も園子も、後片付けの手伝いをして。

 別荘の中のカラオケ設備で、皆が盛り上がっている中。蘭はそっと、別荘の庭に出ていた。

 もしかしたら新一は、中一の時、綺麗な先輩に憧れたのかもしれない。そして、告白したけど、玉砕した。なので、高嶺の花である麻美を諦めて、手の届きそうなところにいる蘭に目標を変えたのではないか。そんな風に考えてしまう。

 でも、中坊の頃ならともかく、今の新一は、東都大OBの人たちに引けを取らない頭脳があり、あのメンバーの中で難しい話で談笑できる。アメリカで探偵として活動し、日本に帰って来てからは、早くも「日本警察の救世主」の異名をとどろかせ始めている。スペックでは負けていない筈だ。
 今の新一なら、麻美とはとてもお似合いに見えた。


「蘭?こんなところに居たのか……!」
「新一?」

 突然、息を切らした新一が現れて、蘭は驚いた。

「何でここに?みんなと一緒にカラオケに参加してたんじゃ?」
「オレがカラオケに参加したら場を盛り下げるだけだろうが」
「……だから、抜け出して来たのね。わたしを探しに来たわけじゃなくて……」
「オメー、何を言って……」

 蘭は、新一の方を見ようとしたが、涙が溢れそうになったので、慌てて目を逸らす。

「新一……麻美先輩、とっても綺麗だよね……」
「は?オメー、いったい、何言って……」
「文武両道で、料理上手で、レモンパイもわたしよりずっと綺麗に作れて……わたし……敵わない。あの人には、敵わない……!」
「蘭!?」
「新一……今の新一なら……麻美先輩にも引けを取らない……きっと、先輩だって今の新一相手なら振り向いてくれると……」

 突然。蘭の顔の横で、バンと大きな音がした。蘭はちょうど木の幹を背中にして立っており、新一が蘭の頭の両側に手をついていたのだった。







新一の眼差しの奥に昏い炎が見え、蘭は思わず息を呑む。

「蘭。オレは……オメーがそう望むなら、ずっと友だちでいる!オメーが他の男のモノになることだって、耐えてみせる!けど……けど、他の女とオレを結び付けようとすることは、それだけは、止めてくれ!」
「し、新一……?」
「オレは今でも、オメーが、オメーだけが好きなんだ!」

 新一の激しい切ない声が、蘭の胸を真っ直ぐに貫いた。

「……し、新一……わたしは……」

 新一は、木の幹に置いていた手を放すと、蘭に背を向けた。

「ごめん……オレはもう、オメーを困らせることはしねえって、決めたのに……」

 新一が別荘の方へ去って行くのを、蘭は呆然として見送っていたが、新一の姿がぼやけてしまい、瞬きした。いつの間にか、蘭の目から涙が滝のように溢れていたのだった。



(8)に続く


+++++++++++++++++++

<後書き>

 うわー!新一君、ここでそれを言うか〜!?
 阿鼻叫喚状態のドミです。いやすみませんすみません。麻美さんが原作より黒い。次で内田麻美編はこんどこそ終了ですが、まあ……ハッピーエンドまではもうちょっと……かなり……かかるかな?


2021年9月27日脱稿
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