恋の種



By ドミ



(8)



蘭が別荘に戻ると、園子が部屋の前に立っていた。

「蘭。カラオケにも参加せずに、どこに行ってたのよ?」
「ちょっと、夜風にあたりたくって……」
「蘭!あんた……!」

 園子が声を上げかけて、口をつぐむと、蘭を部屋の中に引き入れる。そして、タオルを濡らして絞り、持ってきた。

「園子?」
「……目が赤くなってるよ」
「あ、ありがとう……」

 蘭は、園子からタオルを受け取り、目に当てる。

「……何があったか、聞いても良い……?」
「うん。わたしも、園子に聞いて欲しい……」

 そして蘭は、少しずつ、言葉を選びながら話し始めた。麻美には何もかも敵わないと感じて苦しかったこと。新一は、蘭に告白する前、麻美を好きだったのではないかと思ったこと。そして、新一から再び告白されたこと。

「……そういえばさ。昔、麻美先輩に後輩男子が言い寄って振られたって噂、あったんだよね……」
「そ、園子?」
「で、わたしさー、その後輩男子って新一君なんじゃないかって、勘繰ってたことあったんだけど……でも、今の蘭の話だと、それは無さそうだね」
「うん……なのに、新一は麻美先輩のこと好きだったって思い込んで……わたし……新一を傷つけたのかな……?」

 園子が大きく息をつく。

「蘭。アンタさ……普段、人を妬んだりしないのに、素敵な人が居たらそれを目標にして頑張ることはあっても嫉妬はしないのに、麻美先輩には嫉妬しちゃったんだね……」
「えっ?」

 蘭の胸を巣食うモヤモヤ。今まで知らなかった感情。それが嫉妬なのかと、蘭は驚きとともに思う。

「でもさ。普通、女の嫉妬は女に向かうのに、蘭は麻美先輩に矛先向けることなく、新一君にそれをぶつけるんだよね。そこが、蘭らしいなと思うよ」
「……そ、そうなの?」
「うん。ま、蘭は無意識のうちに、新一君に甘えてるよね」
「新一に甘えてる?わたしが?」
「そうよ。昔っから、誰にでも優しい蘭が、新一君にだけはズケズケ物を言ってたし、理不尽に八つ当たりしてたし」
「……」
「でさ、蘭。普段、嫉妬なんて感情に縁遠い蘭が、何で麻美先輩には嫉妬したのか、それは、よくよく考えた方が良いと思うよ」
「園子?」

 蘭は、混乱していた。今までにない感覚……けれどそれが何故なのか分からない。

 と、部屋のドアがノックされた。
 園子が立って行ってドアを開けると、そこには麻美が立っていた。

[newpage]
「ちょっと良いかしら?」
「あ、麻美先輩?どうぞどうぞ!」

 園子が麻美を招き入れ、蘭は慌てて紅茶を淹れる。
 麻美は紅茶を運んだ蘭に「ありがとう」と言うと、優雅な仕草で紅茶を飲んだ。その優雅な仕草ひとつとっても、蘭は、この人には敵わないと思ってしまうけれど。少し前までの嵐のような感情にはならなかった。

「毛利さんとは、ゆっくりお話をしたかったのに、カラオケルームに来なかったから……」
「あ!す、すみません……」
「でも、麻美先輩、何故、蘭と?」
「……工藤君が、毛利さんのことを、友人と紹介したからよ」
「えっ!?」

 思いがけない麻美の言葉に、蘭と園子は固まった。

「わたしは昔、工藤君に告白して、見事に振られちゃったんだ〜」

 そう言って麻美が微苦笑をした。園子が身を乗り出して言う。

「ちょちょちょっと待ってください、麻美先輩!昔、新一君が麻美先輩を振った!?先輩、ヤツのことが好きだったんですか!?」
「そうよ、私が彼に振られたの」
「で、でも……あの頃、麻美先輩に懸想した後輩君が、告って玉砕したって噂が……」
「ああ。それは、私が流したデマよ。何とか彼に振り向いて欲しかったからね……」
「一体、ヤツのどこがお気に召したんで?」

 それからの麻美の話は、蘭と園子の想像の斜め上を行っていた。
 たまたまサッカー部に差し入れたレモンパイを、新一だけが不味いと言ったこと。それから3か月間、レモンパイを持って行き続けて、ようやく新一にうまいと言ってもらえたこと。気が付いたらサッカー部のマネージャーに収まり新一のことを好きになっていたが、告白して玉砕。

「その時、彼、何て言ったと思う?『ガキの頃から気になるヤツがいるんすよ』ですって!」
「ええっ!?」

 園子が蘭の方を見る。蘭は、半信半疑だけれども、それが自分のことだということを認めざるを得ない。

「彼はその時、気になる相手の名前までは言わなかったけど、彼の言うことに当てはまる相手って、毛利さんしかいなかった。いったい私のどこが劣っているというの?何もかも、負けてるなんて思えないのに!でも、彼、その『気になるヤツ』とは、あれから何年も経った今でも、付き合ってるわけじゃなく……ただの友だちだって、言うじゃない。この私を振った彼に、今も片思いをさせているなんてって、なんだか腹が立ってね〜。つい、毛利さんに意地悪したくなったのよ」

 そう言って、麻美は苦笑いした。

「でも、レモンパイの作り方、意地悪して私が昔失敗した方のレシピを教えたのに、毛利さんは一発で美味しく作っちゃったけどね!」
「え?で、でも。形はいびつで、焦げたりして……」
「工藤君の、あの『うまい』って言ったときの顔と声。わたしのレモンパイでは、あんな顔と声は引き出せなかったのよ……私も食べてみて、これは完敗だって思ったわ……」
「麻美先輩……」

 蘭は胸がぎゅっと苦しくなった。けれど、その苦しさが何なのか、分からない。

「何をどう言っても、私がどう努力しようとも、彼の心は一途に毛利さんに向かっている……今日、分かった。私と毛利さんは、それぞれが作るレモンパイみたいなのよ。あ、毛利さんは見た目も綺麗だけどね……私は、パッと見た目、整っているように見えても、中身がないの。すぐに何でもこなせて、ずっとチヤホヤされてきて、この世で手に入らないものはないって思ってたけど……彼だけは、私に遠慮なんかせず、ズバズバ正直にモノを言ってきた。そんな彼を何とか私に夢中にさせたくて、頑張ったけど……彼は絶対に振り向いてくれなかった……」

 蘭の脳裏に、先ほどの新一の激白が浮かぶ。目に昏い炎を宿し、「オメーだけが好きなんだ!」と叫んだ新一の言葉が。

「で、毛利さん。あなたにとっては、工藤君って、恋愛対象じゃなくて友だち、なんでしょ?」
「え、あ。……は、はい……」
「あ、勘違いしないで。責めてるわけではないの。人の心は、どうしようもないことなのだもの……無理やり、心をこじ開けることなんて出来ない。好きになれないものは、どうしようもないことだわ……」

 麻美の言葉が、蘭の胸をえぐる。

「ただ、それならそれで、毛利さん、あなたは彼のために、彼の傍から離れるべきなんじゃない?」

 麻美が真正面から蘭を見詰めて言った。
 蘭は、それは違うと思った。蘭の気持ちは蘭のもので、麻美にも誰にも何かを言われる筋合いのものではない。そして、新一の気持ちは新一自身のもので、それは蘭も触れることが出来ない聖域だ。
 蘭は麻美の視線を受け止め、真っ直ぐに見詰め返す。

「わたしは……今でも、自分の気持ちがよく分かりません。でも、『新一のために』新一の傍から離れるなんてことは、しません」
「毛利さん?」
「わたしは、わたしは……恋愛と言う意味ではなくても、新一のことが大好きで、新一の傍にいたい。新一から拒絶されない限りは、新一から離れません!」

 蘭の中でまだ、新一への気持ちが何なのか、整理はついていない。けれど、新一と共に居たい、新一の傍から離れない、それが今の蘭の真実の気持ち、だった。
 麻美は呆然とした表情で、園子は目を輝かせて、蘭を見ていた。
 その時の蘭の表情は、2人だけで見るのが勿体ないくらい、美しく輝いていたのである。


[newpage]
 翌朝。
 朝食の場で、蘭が立っている隙に、麻美がそっと園子に耳打ちした。

「ああまで言ったくせに、それでも自覚がない毛利さんって……もう、完全に天然を通り越しているわよね」

 園子は、麻美が完全に白旗を上げたことを感じ取っていた。

「はい。わたしも、そう思います」

 園子が苦笑して返した。


 帰りの車の中。
 蘭は、少し気詰まりな思いをしながら、新一の隣の助手席に収まっていた。昨日の今日で、どういう顔をしていたら良いのか、分からなかったのだ。

「そういえばさ、蘭、新一君。麻美先輩の誕生日、いつだと思う?」
「は?昨日じゃねえのか?それとも昨日は前夜祭で今日が誕生日というオチか?」
「ブー。はずれ。実際はもっと前だったのよ。でも、授賞パーティだのなんだので忙しかったから、誕生祝いの方を後ろにずらしたの」
「……あっそ。それで、それがどうかしたのか?」
「ううん、何にも。新一君は、麻美先輩の誕生日、やっぱり知らなかったんだなって、そういうこと」
「変な奴だな」

 やり取りを黙って聞いていた蘭は、園子が何のためにこの話を振ってきたのか、理解していた。
 新一は、何故か器用に毎年自分の誕生日を忘れていたが、蘭の誕生日は忘れたことがなかった。もし、新一が麻美のことをかつて好きだったとしたら、麻美の誕生日を知らない筈がない。

 今でも、麻美にはとても敵わないと思っているし、新一が何故、完全無欠の麻美ではなく蘭を好きになってくれたのか、不思議ではあるけれど。
 新一が蘭に向けてくれる想いは、きちんと受け止めようと、蘭は思っていた。


   ☆☆☆


 数日後。
 特に約束をしていなかった蘭は、工藤邸の門前でドキドキしながら、チャイムのボタンを押した。

『はい……ら、蘭!?』

 カメラで蘭の姿は見えたらしい、それからすぐに玄関が開いて、新一が飛び出してきた。

「ど、どうしたんだ、蘭?」
「時間が出来たから、新一のご飯を作ろうと思って」

 そう言って、蘭は買ってきた食材の袋を上げて見せた。

 新一が蘭を中に招き入れる。工藤邸の中は、すごく綺麗とは言い難いけれど、あれ以来新一が頑張って掃除と片づけをしている様子はうかがえる。

「……もう、来てくれないかと思ってた……」

 台所の入口で、新一が、調理の支度を始めた蘭に、声をかけた。

「新一……わたしは……新一の気持ちが迷惑なんて思ったこと、一度もないよ」
「蘭……」
「新一は、大切な幼馴染で、大切な友人。一緒にいたい相手。それじゃ、ダメかしら?」

 蘭は新一を見詰める。新一は、優しく目を細めて言った。

「いや。それで充分だよ。ありがとう……」

 そしていつものように、ご飯を作って、一緒に食べる。何のわだかまりもないように、お互い笑いあって。


 いつか、いつかきっと。新一は蘭にとって一番大切な人になる。
 蘭には、その予感があった。


(9)に続く


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<後書き>

えっと……原作でいえば、黒の組織編から日常編に戻ったような?
でもとりあえず、一歩進んだような?
最終回前に、平和編や志保さん編をはさみたいです。


2021年9月28日脱稿
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