恋の種



By ドミ



(9)



 9月に入ったが、大学はまだ夏季休暇中だ。学生たちは、遊びにバイトに精を出す。

 とはいえ、蘭と園子は、相変わらず忙しく過ごしていた。
 そして、新一は新一で、探偵の仕事だけの筈だが、それがとても忙しそうだった。

 対照的に、毛利探偵事務所で暇そうにしている父親を見ると、蘭の眉がヒクヒクとなる。

「少しは、新一の爪の垢でも煎じて飲んだらどうなの!?」
「バーロ。俺様は仕事を選んでるんだ!第一、ヤツはな。外を歩けば事件が寄ってくる事件体質だ。だから、忙しくなるだけなんだよ!」
「……」

 新一が事件体質、それは蘭も実感しているところだった。何しろ、新一と遊びに行ったら、高確率で事件に遭遇する。
 ご飯を外食から新一の家での食事に、早々に切り替えて、本当に良かったと思う。さすがに今までのところ、工藤邸内で殺人事件に遭ったことはない。

 そうやって考えてみると、内田麻美の授賞パーティでも、誕生日パーティでも、事件が起こらなかったのが奇跡だったような気すらしてくる。


 そして……ふたりで会っている時に事件に遭遇するものだから、蘭は、新一の捜査や推理を目の当たりにするようになった。蘭や他の人が気付かない些細な違和感に気付く観察力・洞察力、そこから推理を組み立てていく思考力、犯罪者を前にして一歩も引かない気迫。そして、揺ぎない正義感。何よりも、命を大切に思い守ろうとする、優しさ。
 事件が起こって欲しいわけではないけれど、新一の探偵としての真摯な姿を間近で見られるのは、とても幸せだと、蘭は思う。

 ある日、ふたりで映画を見に行って、その映画館で殺人事件が起き……結局映画を見ることは出来ずに帰宅した時。上着の下の新一のシャツが汗びっしょりで、驚いたことがある。

「新一って、そんなに汗っかきだったっけ?」
「ああ。それは……冷や汗だな」
「ひ、冷や汗っ!?何で!?」
「それは……自信がねえからだよ」
「あんなに、自信満々に自説を繰り広げているのに?」
「そりゃ、犯人かもしれない人が目の前にいるのに、隙を見せるわけには行かねえじゃねえか。探偵だって人間だ。もしかしたら何か見逃していることがあるかもしれない。いつだって内心ドキドキハラハラしてんだぜ?」

 そう言って新一は笑った。

「それに……ここで推理を間違ってしまうと、真実が闇に葬られ、冤罪で人生を狂わせることにもなりかねない。そりゃあ……冷や汗びっしょりにもなるさ」

 新一のことをよく知らない人は、「ろくな人生経験がないくせに、少しばかり頭が切れるからと言って、現場を引っ掻き回した挙句、大きな顔している天狗になった若造」と新一のことを評するのだが。実際に新一が推理する場面を見ていると、新一がどれだけ真剣に真摯に事件と向き合っているのか、よく分かるのだ。そして、どれだけ命を大切にしているのかも。

 推理をしている新一の姿を見るたびに、蘭は新一のことを好きになる。
 推理をする姿がカッコいいからではない。推理能力が高いからでもない。新一がどれだけ誠実に真摯に事件と向き合っているのか、そして新一がどれだけ命を大切にしているのか、それを実感するからだ。

 もっと早く、新一のこういう姿を見られたら良かったと、蘭は思う。それがないものねだりであることは、分かっているけれど。


   ☆☆☆


『わりい、蘭!今日の約束は、キャンセルで……!』

 遊びに行く約束をしていた日、出かけようとしている寸前に、新一から連絡が入った。

「事件なの?」
『ああ……警察署から呼ばれて……』
「分かったわ、新一。気を付けて行ってらっしゃい」
『で、あのよ……』
「ん?」
『も、もし、良ければ……蘭、一緒に行ってくれねえか?』

 新一の申し出に、蘭は息を呑んだ。

「わたし……邪魔にならないかな?」
『蘭が邪魔になることはない。むしろ、助かる。今までだって、オレが気付かなかったところに気付いたりとか、結構活躍してくれただろうが』

 ということで。蘭も一緒に行くことになった。迎えが来るまでの間に、蘭は、おしゃれ着から、多少活動的な服装に着替えた。
 ポアロの前に、覆面パトカーが到着する。蘭は階段を下りて車に向かった。

「蘭さん、こんにちは」

 助手席側の窓を開けて挨拶して来たのは、捜査一課の高木美和子刑事。運転席に居るのは、同じく捜査一課の高木渉刑事。
 蘭は以前から両刑事のことを知っていたけれど、新一と一緒にいると事件に遭遇することが多くなったため、最近は頻繁に会うようになった。

 高木刑事ふたりは、4年前に結婚した。以前だったら、同じ部署の刑事同士で結婚した場合、片方が異動するのが普通だったけれど、今は、同じ部署のまま仕事をする夫婦も多くなってきた。そちらの方が、お互いに支え合っていい仕事ができるから、ということらしい。

 車の後部座席には、既に新一が乗っていた。

「工藤君は、蘭さんには、助手でも頼んでいるの?」
「いや。助手じゃないです。助力をお願いしているのは、確かにそうなんですけど。そうですね……パートナー、ってところですかね」


 事件は、池の畔で遺体が見つかったということで。色々あったが、蘭も精一杯手伝い、新一の推理で、午後には解決した。

 目暮警部が、事情聴取に立ち会わないか新一に問うて来たが、新一は断った。

「人が人を殺す理由なんて、絶対に納得出来ませんから……」
「なるほどね。それが、君が警察に入りたがらない理由かい?」

 白鳥管理官が声を掛けて来た。
 普通だったら、管理官ともなれば、現場にあまり姿を現さないものだが、白鳥管理官(警視)は、キャリア警察官であるにもかかわらず、いつも現場に足を運ぶのだ。

「それも、確かにあるかもしれません……」
「じゃあ、工藤君。送って行くよ」

 高木刑事が声を掛けて来た。

「いや、遠慮しておきます。今日は蘭と出かける予定だったんです。ここら辺、景色がいいみたいだし、せっかくだから少し歩いてみようかと……」
「あら。じゃあ、デートだったの?」
「デートじゃありません。お出かけです!」

 美和子刑事の問いに、新一は真面目くさった表情で返した。そこにいる皆が、内心で「それをデートというんじゃ?」と思ったが、言葉には出さなかった。
 蘭は苦笑していた。新一は律儀に、「友だち」という距離を保とうとしていると感じたのだ。


 新一と蘭は、連れ立って、夕暮れの池の畔を歩く。彼岸花がちょうど見頃だった。池には、蓮の葉が沢山見えている。

「立札に、古代蓮って書いてあるわね……」
「ああ……1400年以上前の種が芽吹いて花を咲かせたってヤツだな」
「1400年以上前の種?」
「水の中で育つ蓮は、地中深いところで、ずっと長い年月を種のままで存在していたらしい。元々は行田市で芽吹いた古代蓮は、今、各地に移植されているんだ」
「そうなんだ……ずっと長いこと、千年以上も、種のままで過ごして来たんだね」
「ああ。種が芽吹くには、いくつかの条件があるからな……」

 新一が、蘭の手の方へ自分の手を出しかけて、引っ込めた。蘭は、そっと新一の手を握ってみる。新一は驚いたように蘭の方を振り返った。蘭が笑って見せると、新一もふっと微笑んだ。
 そして2人は、手を繋いで歩く。

「でももう、花の時期は過ぎちまったなあ……それに、綺麗な開花が見られるのは、朝の内だしよ」
「蓮の花が見られるのって、いつ頃?」
「7月から8月前半頃かな?」
「じゃあ、来年……前期試験が終わったら、連れてきて?」
「蘭?」

 新一が、足を止めて、蘭を振り返る。

「ああ。約束だ……」
「きっとよ」

 1年近くも先の、ふたりの関係は、一体どうなっているだろうか?ささやかな約束が、きっと果たされることを、蘭は願った。



   ☆☆☆



 そして、新一と蘭がふたりで工藤邸に帰り着くと、門扉の前に、女性がひとり、立っていた。明るい色の髪をボブにしている、綺麗な女性だった。

「工藤君、こんばんは」
「宮野?どうしたんだ、こんなところで?」
「どうしたのはないでしょう、ご挨拶ね。料理のお裾分けに来たんだけど……今日は、不要かしら?」

 綺麗な女性が、新一と親し気に言葉を交わしているのを見て、蘭は胸がざわつきかけ。
 慌てて自分の頬をパンパンと叩いた。つい先日、新一の蘭への気持ちを受け止める決意をしたばかりなのだ。

『それにしても。新一の周りって、きっとこんな綺麗な人が沢山居るのよね……』

「工藤君?紹介してくれないの?」
「あ、ああ……宮野、こっちはオレの……アメリカに行くまでの同級生で友人の、毛利蘭。蘭、こっちは、宮野……じゃなかった今の名前は阿笠志保。オレがアメリカにいる間に……」
「ええっ!?阿笠志保って……阿笠博士、娘さんがいたの!?」
「こら、話はきちんと最後まで聞け!オレがアメリカにいる間に事件関係で知り合った。今は、阿笠博士の養女になってる」
「え?ええ!?」
「そう。彼はわたしのこと、旧姓で呼ぶけど、今のわたしの名前は、阿笠志保。よろしくね、毛利さん?」
「そ、そうなんだ……よろしく。えっと……阿笠さん?宮野さん?」
「志保、でいいわ」
「じゃ、志保さん。わたしのことも、蘭でお願いします」
「蘭さん。まあ、今後……お隣さんとして長い付き合いになりそうだから……」
「えっ!?」
「……だってあなた、いずれ、ここにお嫁入りするんでしょう?」
「え?お?お、お嫁入りって……!」

 蘭の頬に血が上る。けれど……決して不快ではなかった。

「おい、宮野。さっきの紹介、聞いてたのか?蘭はオレの友人だ!」
「……工藤君。女に恥をかかせるなんて!彼女の立場を考えてあげなさいよ!」

 志保が目を怒らせて新一に迫る。

「あ、あの、志保さん……」
「別に隠し立てしてるわけじゃなくて!オレは蘭に告白して振られたの!だから、こいつはオレの恋人じゃないんだ!」

 新一の大声に、蘭は何だか居たたまれなくなってきた。

「……で?ただの友人に、ご飯作らせたり家の掃除させたり、してるわけ?」
「あ、あの!ご飯は、わたしが作るって言ったんで!それに、掃除は、新一が自分でやってます!」
「えー!?まあ確かに、前よりは片付いてるけど、すごく綺麗になったとは言い難いわね……」

 志保が新一と蘭を交互に見て、言った。

「ま、良いわ……でも蘭さん、ちゃんと気を付けるのよ!何か遭ったら大声出して。隣から飛んでくるから」
「大丈夫です!新一は、わたしが嫌がること、絶対にしませんから!」

 蘭の言葉に、新一は額に手を当て顔を伏せ。志保は天を仰いで両手を広げたのだった。




(10)に続く



2021年9月29日脱稿

戻る時はブラウザの「戻る」で。