涙を止めて(2010工藤の日記念短編)



byドミ



「お母さん・・・お母さん・・・」

蘭が、泣いている。
昼間、有希子や新一の前では、元気に明るく振舞っていたのに、夜、布団の中で涙を流しながら、母親を呼んでいた。

蘭の隣に寝ていた新一は起き上がり。
蘭は眠っているのに、その目に涙が浮かんでいるのを見て、胸を痛めた。

まだ幼い新一には、何をどうしてあげたら良いのか、分からない。
だけど、大好きで大切な女の子の涙を、どうにかして、止めたいと思った。


「なくな、蘭。オレが、ずっとそばにいるから。だから、なくな」

そう言って新一は、蘭を抱き締める。
蘭は、目が覚めている訳ではなかったけれど、無意識にだろう、新一にすり寄って来た。


次の早朝。
子供部屋を覗いた有希子は、蘭をしっかり抱きしめている新一と、安心したように新一に身を預けている蘭の姿を、見つけた。
蘭は微笑んでいるが、その頬には、乾いた涙の痕がある。

それだけで有希子には、昨夜の出来事が想像出来てしまった。

「あらあらあら。まあ、将来が楽しみねえ、小さな姫君とナイトさん?」


残暑も和らいで来た時期、朝のさわやかな風が、眠る2人の髪を揺らした。



   ☆☆☆



「思えば。あれが、最初だったかな・・・」
「何?新一、何の話?」
「いや・・・オメーのアレは、オレの心臓に悪いって話」
「ちょっと新一!アレって何よ、アレって!?」
「怒るなよ。せっかくのドレスが、台無しだぞ?」
「ふーんだ。どうせ、馬子にも衣装って、言いたいんでしょ?」
「似合ってる」
「え?」
「よく似合ってるよ、蘭」

普段は、なかなか、ストレートに褒め言葉なんて言ってくれない新一が、真顔で言ったものだから。
蘭は真っ赤になる。

「ちょ・・・何、柄にもない事言ってんのよ?」

蘭は照れて、思わず新一に肘鉄を食らわせてしまい。

「・・・・・・っ!」
「!ごめん、新一!まともに入っちゃった!?」
「ったく!乱暴な女だな!」
「わ、悪かったわね!乱暴で!」
「あ〜あ。今日の事、ちと、早まっちまったかな」
「え・・・?」

それまで、怒り顔だった蘭の表情に不安の影が差す。

「し、新一・・・後悔、してる?」

涙が盛り上がりかけた蘭の顔を見て、新一は慌てる。

「バーロ!泣くなって!それが、オレの心臓に悪いっつってんだよ!」
「だ・・・だって!」
「お前しかいない!」
「・・・新一?」
「ガキの頃から、ずっとずっと、この日を待ってたんだから。だから・・・泣くな」
「うん・・・」

けれど。
蘭の頬に、涙が流れ落ちてしまい。
飛んで来た有希子が、蘭のメイク直しをしながら、「んもう!新ちゃんったら!蘭ちゃんを泣かせちゃダメじゃない!」と、新一に雷を落としたのだった。



   ☆☆☆



蘭が、落ち込んでいる事には、気付いていた。
「よく聞き取れなかった」と、否定していたけれど。
ローズの言葉が蘭の中で重く圧し掛かっている事には、気付いていた。

このパターンだと、多分蘭は、1人の時にこっそり泣く。

蘭は、優しいけれど。
時々、何もかもを、自分のせいだと背負ってしまうところが、ある。

けれど、それは違う。
あの時、後先考えず、落ちて来る鎧からローズを守った行動は、どこも何も間違っちゃいない。

ローズの殺人はローズ自身の責任であって、何の見返りも求めずただローズを助けただけの蘭が、責任を感じる必要など、これっぽっちもないのだ。

蘭と2人で助けた通り魔を相手に、新一が
「わけなんているのかよ?」
と言ったのは。

半分以上は、蘭に聞かせる積りで、言った事、だった。

蘭も新一も、何かがあれば人を助けようと動く。
それは、身に着いた無意識の行動であり、そこに論理的な思考がある訳ではない。
あるのは、「助けたい」という思いだ。

助けた相手が、その後、どう行動するか。
それは、その人自身の事であり、その人自身の生き方であり、助けた者の知った事ではない。
助けた事が原因で事件が起こったなんて、気に病む必要などないのだ。

蘭の所為ではない。
蘭はただ、誰かが目の前で、大怪我したり命を落としたりするのを、見過ごせないだけ。


新一が、通り魔相手に、そういう事を喋った時には。
蘭の気を引こうとか、そんな計算は、全くなかった。
ただ、蘭の涙を止めたかった。
それだけ、だったのだ。


ずっと後になって、その言葉が、蘭のハートを射抜いたのだと知った時は、かなり複雑な気持ちだった。



   ☆☆☆



コナンとなって。
蘭の涙を見る機会が、多くなった。
しかも、その原因の多くが、自分自身の、工藤新一の所為だったりするから、コナンは自然、心臓に悪い日々を過ごす事になる。

最初の頃は、コナンの前で涙を見せる事は殆どなく、陰でこっそり泣いていたのに。
いつからか、コナンの前で、新一の為の涙を見せるようになった。

無意識の内に、コナンに甘えるようになったのかもしれない。
目の前で泣かれるのは心臓に悪いが、陰で泣かれるのとどっちが良いのかと考えると、複雑である。


そして新一は、コナンの姿でも精一杯、蘭の涙を止めようと、頑張っていた。
変声機を使って電話したり、コナンに伝言という形で新一の言葉を伝えたり。


コナンとして傍にいてさえ、蘭が泣く本当の意味が半分も分かる訳ではなかったけれど。
蘭の涙の本当の訳を追及するより、蘭の涙を止めたいと、効果があるかどうかも分からないけれど、あの手この手を尽くした。
そして、蘭の涙が止まった時は、心の底からホッとした。


蘭に関しては、論理的思考など出来ない。
工藤新一とは、そういう男だった。


蘭に気持ちを告げた時も、恋人になりたいというよりは、新一の事を想って泣く蘭の涙を止めたかったから、だった。
けれど。
せっかく告白したのに、蘭の目には新たな涙が沢山溢れて、新一を慌てさせた。


そして。
元の姿を取り戻して蘭の元に戻った時に、蘭は盛大に泣いた。

涙を止めたくて
「ただいま」
と言ったのに。

蘭は涙を溢れさせながら
「お帰りなさい」
と答えた。



   ☆☆☆



小五郎に付き添わせて、赤いじゅうたんを敷いたバージンロードを歩く蘭。

そのウェディングドレス姿は、清楚で初々しく美しい。
先程既に、ドレス姿は見た筈なのに。
新一は改めて見とれ、頬を染めて、自分の妻になる女性を見詰めた。

「頼んだぞ、新一」
「はい」

小五郎と新一が、言葉を交わす。
そして、小五郎は蘭と組んだ腕を解き、蘭は新一の前に立った。

蘭の目から、涙が転がり落ちる。


「また、オメーは、泣く」
「だって。新一が止めてくれるんでしょ?」
「ん?」
「わたしの涙」

そう言って蘭は、微笑んだ。


2人は並んで、祭壇の前に立つ。
形式通りの誓いの言葉。

2人は向かい合い、新一は蘭のベールをあげて、その唇にそっと触れる。

「わたしが本当に辛い時、新一はいつも、わたしの心を見透かしたように、助けてくれたのよね」
「・・・別に、オメーの心を、見透かしていた訳じゃない。オレに分かっていたのは・・・蘭が泣いているって事だけだ」
「新一・・・」

蘭は、目を見開いた。

「オレはお前を助けたんじゃない。ただ、オメーの涙を、止めたかった。それだけだ」
「・・・・・・」

それは。
他のどんな言葉よりも強い、究極の愛の言葉。

思い返せば、新一はいつも、幼い頃から、ずっとずっと、蘭に深い愛を注ぎ続けてくれていたのだ。

「これからも。新一が、わたしの涙を止めてね?」

蘭の言葉に、新一は目を丸くした。

「ああ。一生かけて、止め続けてやる」

新一は、蘭の左手の薬指に、エターナルリングをはめた。


2人を祝福する教会の鐘が、鳴り響いていた。


Fin.


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<後書き>

中身的に、全然、工藤の日ネタって訳ではないですが。一応、記念という事で。

現時点で、少年サンデーでは、待望のロンドン編が連載中です。

このお話を書くきっかけになったのは、ロンドン編の中にあり。
新一君は、蘭ちゃんが泣いているのに、それをほったらかす筈、ないんだよなあ。
って考えたのが、これになりました。

ロンドン編のネタばれは全くありませんが、原作のニューヨーク・ゴールデンアップル編を、使わせて頂いてます。

短編小説というより、単なる散文って感じですが。
今回は、これが限界だったという事で、ご容赦ください。
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