最高の贈り物



Byドミ



昼間は日差しが強く、真夏かと思わせる位の暑さだったが、夜更けた今は若葉の香りを含んだ爽やかで涼しい風が窓から入って来ている。

私は病院の廊下を落ち着き無くウロウロしていた。

「有希子・・・」

最愛の妻が消えて行った扉を見詰めながら、その名を呟く。

どんな時でも守りたい、大切な大切な人相手に、今の私は何もしてあげられず、無力だった。
今の私の姿は、私を知る者たちからは驚異の目をもって見られるだろう。

いつも年の割に落ち着き払い、冷静沈着でポーカーフェイスと見なされている私が、心配そうな顔をしたり青くなったりしながら、熊のように歩き回っているなど、誰が想像出来るだろうか。





私は工藤優作、大学を今年卒業したばかりの弱冠22歳の若造。
けれど高校生の内に作家デビューした私は、推理作家としての地位を既に確立している。
尤も、作家という職業は作品が全てだから、常に良い小説を世に送り出し続けなければならない。
今名声を博していても、常に努力を続けなければならない。
増してや、昨年結婚して守るべき家族が出来たのだから、尚更だ。


今私の妻となっている有希子は、知らぬ者のない名女優だった。
贔屓目抜きで、素晴らしく美しく可愛い容姿をしている。
彼女とは私の書いた小説がドラマ化された時に顔を合わせたのが馴れ初めだが、私が期待する以上に作品の意図とテーマを読み取り、純真な天使のような女性も悪の華の様な女性も演じ分けるその天才的な演技力には、正直舌を巻いたものだ。
自信過剰で目立ちたがり屋で、実は陰で結構努力もしているのだが努力している姿を人に気取られるのが大嫌いで、他人には死んでも弱味を見せようとしない負けん気の強い、なかなかに困ったお嬢さんだった。
振り回されている・・・と思った時には、もう恋に落ちていた。



私は正直、自分が一人の女性に溺れる事が出来るとは思っていなかったので、驚き、戸惑った。
けれど、私の心をいつの間にか奪ってしまった女性を、何としても手に入れたいと願った。







有希子は結婚と同時に女優を引退した。
私は決して彼女に「家庭に入って欲しい」と思っていた訳ではない。
有希子自身の意思を尊重したい、と思っていた。

しかし有希子は何故かあっさりと、ものすごく好きだったに違いない女優という仕事からの引退を決めた。
私は正直なところ、内心ホッとしていた。
心が狭いと言われようが、私は、他の男と抱き合ったりキスしたりする有希子の姿は見たくなかった。

しかし日本きっての若手美人女優が、「ラブシーン」を全く演じないで済ませられる筈が無い。
他の仕事ならともかく、女優の仕事は続けて欲しくないと思っていたが、こんな我侭を押し付けるわけには行かないと思っていたので、有希子の口から「女優を辞める」と聞いた時には、決して顔には出さなかったが本当に嬉しかったものだった。



それからの私たちの生活がどんなに幸せに満ち溢れていたのか、それは語るも野暮と言うものだろう。
私は私だけに向けられる作り物でない有希子の笑顔に癒され、仕事にも張り合いが出来、忙しいが充実した日々を過ごした。









世間を騒がせた有希子の引退記者会見から数ヶ月。
有希子は今扉の向こうで1人苦しんでいる。
いつまでかかるのか判らない戦いに、私はなす術が無く、愛する者の為に何も出来ない自分の無力さが身に染みる。



夜は更け、日付が変わった。
夜明け前、一段と闇は深く、全ての者がまだ深い眠りから覚めない、その時に。





「ギャー、オホギャー、ホギャー」

静寂を破り、ひときわ高い産声が響き渡った。







「優作・・・」

有希子の頬は削げ、疲れた顔をしていたが、今までに見た事の無い誇らしげで優しい笑顔を私に向けてくれた。

「有希子・・・ありがとう・・・」

私はそれしか言う事が出来なかった。
涙が出そうになるのを必死で堪える。

そして私は、今初めて出会う小さな命と向き合った。
皺くちゃの何とも言えない顔をしていて、正直自分の子供だという実感が持てない。

私はそっとその額に口付けた。

「きっと将来は有希子に良く似た美人になるぞ」

まだどこも有希子にちっとも似ていない顔を見ながら、私はそう言った。

「あら優作。この子、男の子よ」

有希子が笑いを含んだ声で言った。

「おおそうか、男の子か・・・将来どういった道を進むかわからないが、お前には出来る限りの事を教えてやろう・・・なあ、新一」
「シンイチ・・・?」
「常に前を見て、新しい一歩を進んで行って欲しい。男の子だったら『新一』と名付けようと思っていたんだが・・・どうだ?」
「新しい一歩・・・新一・・・か。良い名前ね。うん、良いわ、それで」
「強い子になれよ新一。男は、愛する相手を守れるようにならなければいけないんだぞ」

この世に生まれ出たばかりの、私が新一と名付けた小さな命は、すやすやと眠っていた。







19××年5月4日。

私は最高の贈り物を受け取った。

特定の神への信仰など持たない私だが、この時ばかりは人知を超えた存在に感謝の祈りを捧げずには居られなかった。







さて、新一は私の期待以上の成長を見せたのだが・・・前向き過ぎて大きな危機に陥り、愛する相手を守るどころか守られる羽目になってしまったと言うのは・・・また別の話である。





Fin.



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新一くんバースデイ小説。今年は趣向を変えてみました。(何も思い付かなかったとも言う)
ストーリーらしい物は全くありません。私に取って初めての「優作さん一人称小説」です。


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