以前はこんな顔しなかった

(お題提供:「恋したくなるお題」「幼馴染の恋物語」06.「以前はこんな顔しなかった」)



byドミ



蘭が、時折ふと見せる陰り。

それが、コナン@新一にとっては、気がかりであった。


『オレは、そんなにも、オメーを苦しめてんのか?』

コナンになった事で、思いがけず蘭が新一に寄せていた気持ちを知る事が出来て、それは、とても嬉しかったのだけれど。
自惚れではなく、新一が姿を消した事で、蘭が辛い想いをしているのは確かな事で。
それはやはり、コナンにとっても辛い事であった。


『以前は、こんな泣きそうな顔、しなかったのに・・・』


蘭は、新一が居なくなった事で、変わってしまったのだろうか?
コナンは、その予測に、罪悪感を覚えつつ。心のどこかで、「蘭の心は工藤新一のもの」という事に、愉悦を覚えても居た。

蘭は苦しんでいると言うのに、泣いていると言うのに。
自惚れでも何でもなく、たった一人の女性から、紛れもなく想いを寄せられている事に対しての、自分勝手な喜び。
自己嫌悪と歓びとが、ないまぜになった、不思議な感覚を、コナンになってしまった新一は、感じていた。


   ☆☆☆


コナンになったまま、夏が近付き、7月に入った。
商店街でも、あちこちで笹が飾られ、七夕が近い事を示している。

都会の空気と灯りの中では、当然の事ながら、天の川どころか、星もろくに見えない。
それに加えて、新暦の日本で7月上旬は、梅雨の真っ最中であるから、晴れている方が少ない。

帝丹小学校の1年B組では、七夕に向けて、図工の時間に、短冊や飾りを作っていた。
結成(?)されて間もない少年探偵団の面々も、たどたどしい手つきで作業をする。

コナンにとっては、退屈な授業であるが、それでも、ようやく漢字が出て来たばかりの国語や、ひと桁の引き算が精々の算数よりは、作業である分、ずっとマシだった。

『オレは、こういう事不得手な方だけど、それでも、実際の小学校1年生に混じると、不器用に見えなくなるもんだな』

コナンは、内心思いながら、作業を進めた。
光彦が、短冊に穴を開けこよりを通しながら、心配そうに窓の外を見詰めた。

「天気予報では、どうも、7日は雨が降るかも知れないそうですよ」

歩美が、泣きそうな目になっって言った。

「織姫と彦星、ちゃんと会えるのかなあ」

元太が、憮然とした様子で言った。

「神様も、ケチだよなあ。ったく、ウドンジュウエンにすれば良いのによ」

大人にだって1年は長いが、小学生にとっては、気の遠くなるほど長い。
幼稚園生だった1年前の事は、記憶にある。
そこから流れた日々の重さを、少しは実感出来るようになっている。

「え?元太君、うどん十円って?」
「元太。それ言うなら、雨天順延だろ?」
「コナン君、何、その、うてん・・・じゅう・・・っていうのは」
「雨天は、雨が降る事。順延とは、次の日に延ばす事だよ」
「へえ。コナン君、物知りですねえ」
「元太は、1年に一辺の事だから、中止にしないで、延ばしてくれたら良いのに、って思ったんだよな」
「ああ。だって、かわいそうだろ?」

3人にとって、愛しい人とそんなに長い間会えないという事が、実感出来ている訳ではないだろう。
けれど、心根が優しいから、織姫と彦星が、会いたいのに会えないのが可哀想だと、思っているのだろう。

「大丈夫だよ。あの伝説には続きがあって。もし雨が降って天の川が溢れたら、カササギが、橋を作ってくれるから」
「コナン君、何、その、カササギって」
「あ、ボク、聞いた事あります。確か、鳥の名前ですよね」
「そうそう。光彦、オメー、よく知ってんなあ」
「コナン君には、敵いませんけどね」

『いや、オレはズルしてるから、ホンモノの小学1年生であるオメーの方が、よっぽどだよ』

コナンは、内心苦笑しながら、光彦を見た。

「うん、まあ、鳥なんだけど。それが、洪水になった天の川の上に、沢山集まって。橋を作って、牽牛・・・彦星を、渡してくれるんだってさ」
「そうだったんだ!良かった・・・じゃあ、雨が降っても、大丈夫なんだね!」
「ああ。1年に1度しか会えねえのに、それが不意になったんじゃ、可哀想だよな」

コナンは、そう言いながら、幼馴染の顔を思い浮かべていた。

『こっちは、焦らねーと。下手すっと、1年どころの話じゃ、なくなっちまうぞ・・・』


蘭も、もしかして、雨が降りそうな空を眺めながら、憂えているだろうか。
それとも?

『あいつも、今更、織姫彦星伝説を信じる歳じゃねえけど』


   ☆☆☆


「コナン君、今夜のごはん、何が良い?」

蘭が、コナンの手を引いて、買い物に行く事も、慣れてしまった。
蘭と手をつなぐのは嬉しいにしても、この状況に慣れてしまっている自分自身に、時折、愕然としてしまう事がある。

「あ、な、何でもイイよ」
「もう!張り合いがないわねえ」
「だ、だって。蘭姉ちゃんの作るご飯、何でも美味しいんだもん!」

新一だった頃も、蘭の好意に甘えてご飯を作って貰った事は、しばしばだったけれど。
こうやって毎日蘭のご飯を食べられるのは、凄く幸福な事だと思う。

『新一に戻ったら、こうは行かねえよなあ』

けれど、コナン@新一がなりたいものは、蘭の恋人であって、弟ではない。
並んで手を繋いで歩くにしても、ご飯を食べさせて貰うにしても、保護者的にではなくて、恋人・・・いずれは、妻として・・・。

などと言う事を考え、頭から湯気を出し始めたコナンであったが、蘭の声で現実に引き戻された。


「コナン君ったら!」
「あ、な、何、蘭姉ちゃん?」
「カツオのたたき、食べられる?」

2人が立っているのは、商店街の中にある魚屋だった。

「へっ!?何で?」
「生魚、駄目って事はないわよね?」
「う、うん!大丈夫だよ」

魚屋では、カツオのタタキが、特売品として売られていた。

「蘭ちゃん、やっぱ分かってるねえ。今の時期は、カツオ、初ガツオだよ!」

魚屋の主人が、愛想のいい笑顔を浮かべて、声をかけて来た。

『こいつも、長い事主婦やってて、旬の安くて美味いものを買うのが、得意なんだよな・・・』

コナンは、蘭を見上げる。

「おや?蘭ちゃん、今日は小さなナイト連れだね」
「もしや、旦那との間に出来た子なの?」
「おお、そう言えば、坊や、新一君に似てるな」

魚屋の主人とおかみさんが、からかい交じりに声をかける。

「もう!新一は旦那なんかじゃないですってば!この子は、コナン君と言って、訳あってうちであずかってるの」
「あ、は、初めまして・・・江戸川コナンです」

コナンは、板についた「子供の挨拶」をしながら、げんなりとなっていた。

『蘭の買い物にはよく付き合わされたけど、それって、しっかり評判になってたんだな』

新一が、蘭の買い物に付き合うのは、しょっちゅうの事だったが、店の中にまで一緒に入っていた訳ではない。大抵、少し離れた所でリフティングなどしながら、待っていた。
けれど、どうやら商店街では、蘭がいつも「旦那連れで」買い物に来ると、評判になっていたものらしい。

コナン@新一としては、そういう噂が嫌な訳でもないし、うんざりしている訳でもない。
「噂先行で、2人の実態は単なる幼馴染の域を出ていない」事が、うんざりの原因なのである。

『これに実質が伴ってりゃ、万々歳ってとこなんだけどな・・・』


商店街のあちこちでの店に入る度に、蘭は馴染みの店主達から声をかけられる。
そして、似たような会話が繰り返され、コナンは少々辟易していた。


2人が最後に入った店は、八百屋である。
そこでも似たような会話が繰り広げられ、コナンもいく度目かの愛想笑いをした。
すると、店主がコナンに、小さな竹を手渡して来た。

「え?おじさん、これ・・・」
「七夕の笹飾り用の竹だよ。毎年、子供連れのお客さんには、渡すようにしてるんだ」

蘭も、今までこの店で「子連れで買い物」をした事はなかったから、気付かなかったのだろう。
目を丸くしている。

「商店街にもあちこちに大きな笹飾りがあるし、お客さんが好きなように短冊を吊るせるようになってるけど。小さくても我が家用があるのも、良いもんだろ?」
「おじさん、ありがとう!」
「良かったわね、コナン君」


蘭が、コナンに見せる、慈愛に満ちた微笑み。
新一が見た事のない表情だけれど、それは、「幼子に見せる慈しみ」の表情であろう。

新一は、蘭の近くにずっと居たから、蘭がどういう人間であるのかは、把握している積りだったし、心底優しい女性であるという事は、分かっていたけれど。
居候として転がり込んだコナンを、本当に可愛がっている蘭の姿には、感心させられてしまう。


蘭は、新一に対しては、冷たい素っ気ない態度が多かった。
それを思い出すと、ちょっとずんと落ち込んでしまう。
だから、まさか蘭も新一の事を想っていてくれてたなど、想像もしていなかったのだ。

『幼馴染で、傍に居るのが長かったからなあ・・・お互いに、遠慮も何もなかったし』

コナン@新一は、蘭の「好きな筈の男である新一に対しての」冷たい態度を、そういう風に分析してみた。
新一自身も、照れや、関係を壊す事への恐れや、何やで、蘭に対して素直になれていなかったのであるが、蘭もそうだったのかも知れないという発想は、浮かばない。

本質的に、新一と蘭は似た者同士であり、長く傍にいた分、相手が離れてしまうのが怖くて気持ちを素直に態度に表せなかったのであるが。
色々な事に敏い筈のコナン@新一だけれど、蘭に関してだけは超ニブニブで、いまだにそういう事が分かっていなかった。


帰宅して、ご飯を食べた後。
蘭は、笹飾りを作るのを手伝ってくれた。
と言うか、どっちかと言えばそういう事を面倒がってしまうコナンが、蘭に押されて、笹飾りをしなければいけない羽目になった。

『器用だよなあ、こいつ』

コナンは、蘭の手元を感心して見詰める。
蘭の手の中で、折り紙が様々な飾りに変化して行くのは、まるで魔法のようだった。

『毛利家の主婦を、長い事やってんだもんなあ』

コナンはふと、あるイメージを思い浮かべた。
蘭が、子供の為に、季節飾りを作っている。
幼い子供は、新一にも蘭にも、似ている・・・。

「コナン君?」
「え・・・あ・・・」

妄想で作業の手が止まっていたコナンは、蘭の声に我に返り、赤くなって再び作業を始めた。

「蘭姉ちゃん、七夕の日は、雨が降りそうだよね・・・」

コナンがボソリと呟いた。
すると、蘭は、はじかれたように顔を上げた。

「コナン君!大丈夫よ!雨が降っても、天の川にはカササギの橋が架かるから、織姫と彦星は、ちゃんと会えるのよ!」
「へっ!?」
「それにね!本当は、七夕って、旧暦の7月7日だから、ひと月位先の事なの!その頃は、元々雨も滅多に振らないし!」

コナンを慰める為と言うより、自分自身に言い聞かせるように、勢い込んで話をする蘭に、コナンは目を丸くした。

「・・・新一から、毎年散々、聞かされたから。もう、耳タコが出来る位よ」
「へ、へえ・・・そうなんだ・・・」

コナンは苦笑いした。
確かに、毎年、蘭にそう言っていた記憶はある。
だがそれは。

『バーロォ。いつも、織姫と彦星が会えねえんじゃないかって、泣きそうになってるオメーを、慰める為だったのによ。耳タコは、ねえだろ』

コナンは、内心むくれながら、作業に戻った。


「さて、と。小さい笹だから、この位で良いわよね。後は、短冊に願い事を書いて、吊るしたら良いわ」
「あれ?蘭姉ちゃんは?書かないの?」
「わたしは、後でね。今から勉強もあるし」

蘭は、そう言って微笑みながら、その場を離れた。
コナンは、何となく釈然としないものを感じながら、短冊に「願い事」を書く。

蘭も小五郎も見るだろうし、まさか、新一の願い事を書く訳には行かないから、コナンの願い事として無難なものを・・・と暫く考え。

「早く、大きくなりたい」

と、本音をオブラートで包んだ願い事を、書き込んだ。
コナンは、蘭の部屋をノックする。

「蘭姉ちゃん、短冊・・・」

コナンの言葉は途中で切れた。
蘭がこちらを向いた顔は、いつもの優しい微笑みだけれど、寂しそうに空を見詰めていた蘭の表情を、コナンは一瞬垣間見てしまったのだ。

『しゃあねえよなあ・・・』

コナンは、短冊を蘭に渡した後、お休みの挨拶をして。
それから、こっそりと玄関を出ると、近くの公衆電話まで走った。

『早く、携帯を家から持って来ねえと、不便だな・・・けど、蘭はオレの携帯を見た事があっから、機種変更をした方が良いか?』

最近は、公衆電話も少しずつ減っているから、早く何とかしなければと、コナンは考えた。
公衆電話から、毛利邸に電話をかける。


『ハイ、毛利です』
「蘭か?オレだ」

コナンは、変声機を通して「新一の声」で語りかけた。
受話器の向こうで、息を呑む気配がある。


『新一!事件は解決したの!?』
「まだだよ・・・今迄にねー、すげー厄介なヤツで・・・」
『新一、やっぱり腕が落ちたんじゃない!?』
「っせー。オレだって、必死なんだよ!」
『・・・ごめんなさい・・・』
「え!?あ・・・!ごめん、こっちこそ!ヤツ当たりしちまって!」

どうも何故か、新一として蘭と向き合うと、強がりの意地っぱりになってしまうと、コナンは慌てまくった。

『あのね新一。もうすぐ、七夕でしょ?』
「あ、ああ・・・」
『それまでに、戻れないよね?』
「残念ながら、無理だな」
『コナン君が、笹を貰って来たから、新一の願い事も、代わりに吊るしてあげるよ。何て書いたらいい?』
「はあ?願い事?」

コナンは内心、「んな年でもねえし」と思ったけれど、蘭の泣きそうな顔が心に浮かんでそれは抑える。
そして、考えてみた。
蘭に告げる、無難な願い事を。

「ん〜。じゃあ、『今取り組んでいる事件を早く解決出来ますように』って、書いてくれねえか?」
『へ〜、新一でも、神頼みってするんだ?』
「良いだろ、別に。他に思いつかねえんだからよ」
『うん、そうだね・・・』

蘭の声が寂しそうで、コナンは思わず黄緑の受話器をぐっと握りしめた。

「あ、そ、その・・・今の事件が解決出来たら、帰れっから・・・って思ってよ・・・」
『え!?』

蘭の声が、今度は弾んでいるようだったので、コナンの心臓が跳ね、頬が赤くなる。

「いや別に、オメーに会いてえとかじゃねーけどよ」

つい、余計なひと言を付け加えてしまって、コナンはズンと脱力した。

『わ、わたしだって別に!幼馴染として心配してあげてるだけなんだから、変な誤解しないでよね!?』

蘭のムキになった声が、受話器の向こうから聞こえて来た。
ああ、そうか、これだから、蘭がまさか自分の事を想ってくれているなど、夢にも気付かなかったんだと、コナンは苦笑いした。

「七夕の日、晴れると良いな」
『あら。カササギの橋が架かるから大丈夫だって、教えてくれたの、新一じゃない』
「そうだけどよ。それでも、1年に1度の逢瀬に、危険を冒してずぶ濡れになって、じゃあ気の毒だもんな」
『ふうん・・・』
「んだよ?」
『新一の事だから、今度は、そもそも星というのは、太陽と同じもので・・・とか、うんちく垂れ始めるかと、思ったのに』
「オメーなあ。いくらオレでも、いつもいつもそういう身も蓋もねー事を考えてる訳じゃねえぜ?」
『どうだか』
「蘭。オレは、七夕には間に合いそうもねえけど、出来るだけ近い内に帰って来っからよ」
『・・・・・・うん』
「そ、それじゃ、またな」


コナンは、電話を切った。

蘭に、「待っててくれ」とは、言わなかった。
蘭も、「待ってる」とは言わなかった。

お互いに、今はまだ、言えなかった。

蘭の、明るく元気な声の合間に、時折零す寂しそうな声が、コナンの胸を締め付ける。


コナンは、電話ボックスを出ると、毛利邸のある小さなビルの前に来て、3階の窓を見上げた。
灯りの元に、蘭が居る。
毎日、傍に居るのに、遠い。


「あ!」

突然、コナンは思い出した。
子供の頃、蘭が泣いていて。
必死で「カササギの橋」や、旧暦新暦の事を話して、蘭を慰めていた時の事を。


「・・・蘭は、以前も、あんな顔をしてた・・・」

ただ、蘭にそういう顔をさせる相手が違っていただけで。
蘭の泣き顔・寂しげな顔は、コナンになるまで久しく見た事がなかったけれど、幼い頃に何度も目にしていたと、思い出した。




蘭の母親である英理が、小五郎と喧嘩して、家を出たのが、10年前だった。

蘭が、「たなばたの日にあめがふったら、おりひめさまとひこぼしさまが、あえなくなっちゃう」と、泣きべそをかいていたのは、英理が家を出て行った後の事だった。


まだ、恋心というものが分かっていなかっただろう幼い蘭は、母親と会えない寂しさを、織姫と彦星に重ね合わせて、泣いていた。
その蘭を、どうやって慰めたら良いのか、幼い新一は分からなかったのである。


新一は、家に帰るなり、父親の優作の書斎に飛び込んで、話しかけた。
書斎に居る優作は、いつも仕事中なのだが、新一が部屋に飛び込んで来た時には、必ず相手をしてくれた。

『父さん!どうやったら、七夕の日に雨がふらないと思う!?』
『新一。人間の力で、天候を変える事は無理だよ』
『けど!』
『まあ、気休めに、テルテル坊主でも吊るすんだな』

幼い新一は、既に、テルテル坊主の効果など疑問視していたし、そもそも、七夕伝説など、全く信じてもいなかったが。
そんな「科学的な事」を説いたところで、蘭の慰めになりはしない事は、もっと良く分かっていた。

蘭が泣かない為になら、テルテル坊主位、いくらでも作ってやる。
けれど、それでも雨が降ったら、きっと蘭は泣くだろう。

新一にとって、「父親に頼る」事は、なかなかに悔しく辛い事ではあったけれど。
それ以上に、蘭が泣くのが、辛かったから。
あっさりと、自分のプライドを捨てて、父親にすがった。
けれどそこで、詳しい事情に関してなかなか口を割ろうとしないのが、新一の天邪鬼なところだった。


優作は、なかなか核心を語ろうとしない新一から、辛抱強く話を聞き出した。
そして、言った。

『成程。新一、雨が降ろうが降るまいが、要は、織姫星と彦星が、間違いなく会えれば、良いのだね?』
『え?うん、そうだけど・・・』
『伝説には、色々な続きがあってね。その一つに、カササギの橋がある』
『カササギのはし?』
『ああ。雨が降って、天の川が増水して渡れない時は、カササギが飛んで来て並び、橋になって、牽牛・・・彦星を、対岸まで渡してくれる。だから、雨が降っても、2人は会えるのだよ』


新一は、さっそく蘭に「カササギの橋」の話をした。
いささか得意げな話し方になってしまった事は、致し方のない事であろう。

どちらにしろ、それが蘭の涙を止める事に成功したのは、確かな事実であった。
天気予報を見て、梅雨が明けない空を見て、泣きそうになっていた蘭の顔に、笑顔が戻った。


蘭が、笹飾りに吊るした願い事は。


「おかあさんのところに、カササギがきてくれますように」

というものだった。


幼い新一は、蘭の願い事を見て、胸を突かれる思いだった。
物心ついてから泣いた事がない新一だったから、決して泣く事はしなかったけれど。


『ちくしょう、ちくしょう、何でだよ!』

大人の理不尽な仕打ちに無性に腹が立ち、それでも母親を慕う蘭の気持ちに心が痛んだ。


『オレがずっと、蘭のそばにいるから。はくじょうなおばさんのことなんか、わすれてしまえよ!』

新一は、蘭を抱き締めて、そう言いたかった。
けれど、幼いながらに、それは「言ってはいけない事」だと分かっていた。


蘭は、毎年、七夕が近付くたびに、雨が降りそうになると泣きそうになって。
毎年、新一が「カササギの橋」や「新暦旧暦」の話をして慰めていたけれど。

成長するにつれ、新一の前で、泣きそうな顔も寂しげな顔も、見せなくなった。
自分の力で、寂しさと折り合いをつける術を身につけて行ったのだろう。
新一もいつしか、その時の事を、子供の頃の遠い記憶の中に埋もれさせてしまっていた。


今、時を経て。
新一が蘭に、その時と同じ顔をさせているのだと、気付いた。

あの、幼い日。
家を出て行って、蘭に寂しい思いをさせた英理を恨み、自分が蘭の笑顔を守ると、固く決意をした筈なのに。

新一が、コナンの姿になってしまい、蘭に本来の姿で会えなくなったのは、自分の意思ではないけれど。

『オレ自身が今、蘭を苦しめている・・・か・・・』

コナン@新一の胸に、どうしようもない自責の念が浮かぶ。
けれど、どこまでも前向きなのが、工藤新一であり江戸川コナンである。
あの時ああしなければこうしなければと、立ち止まってくよくよ考えたりはしない。

『ぜってー、ヤツらの尻尾を掴んで、元の姿で蘭の元に帰るんだ!』


コナンは、毛利邸の灯りを見上げ、新たな決意を胸にしていた。


   ☆☆☆


コナンが、家に戻ると、蘭は茶の間で電話中だった。

『ゲッ。家を抜け出したのに気付かれたら、まじい』

コナンは、足音を忍ばせて、今はコナンの寝室にもなっている小五郎の部屋へと向かった。
けれど。

『こんな時間に・・・相手は誰だよ!?』

どうしても気になって。
再び茶の間に向かった。


「だから、そんなんじゃないってば」

蘭の顔が、少し赤くなっている。
コナンの眉が寄せられる。

『オメーがんな顔するなんて、相手は誰だよ!?』

コナンは思わず、気配を殺す事も忘れて、近付いてしまっていた。

「あら?コナン君!?どうしたの?もう寝る時間でしょ?」

蘭が受話器を押さえて、振り向き、目を丸くする。

「あ、い、いや、ちょっとトイレに行きたくなって・・・」
「そっか。コナン君、暑いからって、寝る前に、あんまりジュースとか飲んだりしない方が良いわよ」

蘭が優しく微笑んで言った。

「はあい」

コナンは、トイレに向かう形を取りながらも、聞き耳を立てる。

受話器の向こうで、誰かが何か喋っているのが聞こえた。
その内容までは分からないが、声からすると。

『女?』

蘭が、少し赤くなって、怒ったような調子で受話器に向かって話す。

「んもう、だから!新一とはそんなんじゃないってば、園子!」

その蘭の言葉を聞いた時、コナンの肩から力が抜けた。

『何だ、園子か』

園子が、新一との仲を揶揄して蘭をからかい、蘭がムキになって返すのも、いつもの事だ。
コナンは、安心すると同時に、こんな事で簡単に動揺してしまう自分自身に苦笑いしていた。

これ以上蘭に変に思われないよう、コナンはトイレの方向へと歩いて行った。

『それにしても、女って、何であんなに中身のないお喋りが好きなんだ?毎日学校で会ってるクセに、よくあんなに喋る事があるよな』

そしてコナンは、部屋に戻る前に、玄関ホールに飾られた笹の短冊を見た。

「ん?蘭、もうオレの願い事、短冊にしてくれたのか?はええな」

コナンがつい先程、電話で蘭に告げた「新一としての願い事」が、既に短冊になって吊るされていた。
そして、蘭の願い事は。

「新一が、病気や怪我をしませんように」


「蘭・・・」

帰って来て欲しいとか、事件を早く解決して欲しいとか、そういう事でなく。
心から、新一の事を案じて書いたのだろうその願い事に、コナンは申し訳なくも温かい気持ちになった。



 ◇     ◇     ◇     ◇     ◇



コナンは、知らない。
コナンになってからすらも、見た事がなかったから。

蘭が、以前は見せなかった顔を、最近では時折、見せる事があるという事実を。


「さ、寂しくないとは、言わないけどね。あ、それはあくまで、幼馴染としてよ!勘違いしないでよ、園子!」
『はいはい、分かった分かった』
「あいつは、いっつも頑張ってるんだもん」
『はいはい。あー、蘭が今、どういう顔してるか、何か想像つくなあ』
「ええっ!?どういう顔してるって言うの?」
『ふふん、それは、この園子様の口からは、言えないなあ』
「何よ、それー」
『んふふふー』


昔は、そうでもなかったのだけれど、高校に入った後の蘭は。
新一の事を話す時や、新一の事を思い浮かべる時には、「恋する乙女のはにかんだ顔」をするようになった。

その事に、幼い頃から蘭の傍にいた親友は、気付いていたが。
蘭本人も、新一も、そしてコナンも、蘭のその表情を見る事はなく、気付く事がなかったのである。




Fin.


++++++++++++++++++++++


<後書き>


原作で(勿論アニメでも)、時折目にする、蘭ちゃんの「恋する乙女の顔」。

その顔、「新一君の前で」見せた事はないのは、勿論ですが。
良く考えたら、それって意外と、「コナンの前」で見せた事はないよな。
3巻114ページでは、蘭ちゃんが何故あんな顔をしているのか、コナン君には分かってないですし。

と、考えたのが、このお話になりました。

お題に絡めて描くのは、楽しいけれど、難しいです。


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