君を待つ

(お題提供:「恋したくなるお題」「遥か3お題」20. 君を待つ)



byドミ



工藤新一がいなくなってから、半年が過ぎようとしていた。


空手部の早朝練習もない今日、帝丹高校2年生の、毛利蘭と鈴木園子は、連れだって登校していた。
蘭と園子は親友で、以前から、登下校が一緒になる事は、多かったけれど。

新一がいた頃は、蘭が登下校する時は、圧倒的に新一と2人の事が多く、次いで、園子も含めて3人という具合だった。
けれど、今、新一は長い間、姿を見せず、蘭と一緒に登下校する事も、ない。


「何かさ・・・世間からも忘れられてるし。ヤツがいないのにも、慣れちゃったね」
「わたしは・・・慣れたくない」

園子の言葉に、蘭は小声で、けれどキッパリと言った。

「蘭?」
「あ、ごめんね・・・園子」

蘭が、親友を振り返る。

「あ、いや、ゴメン。わたしこそ、ちょっと無神経な事言っちゃったみたいで・・・」
「新一がいないのが、当たり前になるのは、嫌なの・・・」
「ふうん・・・とうとう、認めましたね、奥さん?」
「!だ、誰が旦那よ!あんなヤツ!」
「うん。それでこそ、蘭よ」

思わずエキサイトした蘭に、園子が、きひっと笑って言った。

「まったくもう!厄介な事件だかなんだか知らないけどさ!あの旦那、けなげな奥さんをほったらかして、どこをほっつき歩いてんだか!」
「だ、だから!新一はそんなんじゃなくって!」
「はいはい。あー、真さん、次はいつ日本に帰って来るんだろ?」


蘭は、突然話題を変えた親友を、目をパチクリさせて、見た。

「蘭は・・・強いよね」
「えっ?」
「わたしは・・・あの時、告白されてなかったら、真さんを待ってない」
「そ、園子・・・」
「蘭と新一君って・・・傍から見たら、昔から相思相愛だったけど。でも、お互い、告白はしてない状態で、新一君は離れて行ったんだよね。なのに、蘭は・・・新一君を信じて、ずっと待ってた」
「園子・・・」

蘭は確かに、新一の気持ちがどこにあるのか分からなくても、ずっと新一を待っていた。

ロンドンで。
新一から、気持ちを打ち明けられてからは、前ほどに、待つ事が苦でなくなったのは、事実であるけれど。
たとえ、それがなくても、蘭はきっと、新一を待ち続けていただろうと思う。

「真さんとわたしには、ただの幼馴染みって歴史も、腐れ縁も、ないからね。その分、最初から気持ちの確認がなきゃ、とても、待とうって気になれなかったって思う」
「気持ちの確認・・・」

蘭が頬を染め、俯く。

「でもさ。ヤツ、蘭に告白した後も、厄介な事件って言うだけで、詳しい説明もないままに、蘭をほったらかしなのは一緒でしょ?よく頑張るよね〜」

園子が、蘭の方を見て、笑った。

「あのさ、蘭。わたしはわたしだし、蘭を羨ましいって思ってる訳じゃないのよ。告白もしないで姿をくらまして。やっと告白してくれたって思っても、ろくな説明もせずに戻って来てくれないような男なんて、わたしだったら絶対、見捨ててる。でも・・・」
「でも?」
「何て言ったら良いのかな。蘭と新一君って・・・2人の絆って・・・そうなりたいって意味じゃないけど・・・憧れなんだよね」

と、そこへ突然。
蘭と園子のクラスメート数人が、割り込んで来た。

「そう!そうなのよっ!」
「アンタ達は、我々帝丹高校2年B組の、大事な存在っていうか」
「蘭をとか、工藤君をとかじゃなくて!2人の存在が、憧れで、守ってあげたいっていうか!」

握り拳を作って力説するクラスメート女子達に、蘭は目が点になった。
園子が、他の女子の手を握る。

「そう!そうなのよね!同志!」
「私達、工藤君と蘭の愛を見守ろう党に、清き一票をお願いします!」
「ええっとお・・・」

蘭は、点目のまま、目をパチクリとさせた。

「蘭!工藤君がもし、現地妻なんか作ってたら、その時は、2年B組全員で、吊るし上げなんだからね!」
「げ、現地妻?」
「そうそう、時々あるじゃない、それぞれの場所に女がいるっての」
「・・・いつの時代の話よ、それ」
「工藤君は、蘭だけのものなんだからね!」

皆に見守られ応援されているというのが、以前は頭が痛いと思っていたが、新一が不在になって長い今、妙にくすぐったく嬉しい。

新一は、蘭の事を「好きな女」だと言ってくれたけれど。
その後も、また暫く蘭の傍にない。
新一の気持ちは今も変わらないでいてくれるのだろうか?

新一が傍にいなくても、蘭の想いは褪せる事なく、むしろ募る一方だけれど。


蘭は、空を振り仰いだ。



『蘭に待ってて欲しいんだ』

コナンを通じて伝えられた、新一の言葉。

『オレがホームズでも解くのは無理だろうぜ。好きな女の心を・・・正確に読み取るなんて事はな!!』

新一自身から、真っ直ぐに見据えられて伝えられた言葉。

でも、蘭が待っているのは、新一の言葉があったからでは、ない。


蘭には、自分の初恋が、おそらく、生涯かけてただひとつの愛になるだろうという予感が、あった。
たとえ、新一が戻って来なかったとしても。
新一の気持ちが変わっていたとしても。
蘭は、他の男性を愛する事は出来ない。

『もし、新一の気持ちが、他の女性に気持ちが移っちゃったりしたら・・・辛いなあ・・・』


蘭としては、新一を待つ以外の選択肢が、存在し得ないのだった。



   ☆☆☆



いつ頃からだろう?
平和な筈の日常に、影が差し始めたのは?


いや。
本当は、とっくに始まっていたのかもしれない。


新一がいなくなったのは、その一環に過ぎなかったのだと分かるのは、まだずっと、後の事になるのだけれど。



「蘭姉ちゃん。おじさん。長い間、お世話になりました」

コナンが、頭を下げる。
その後ろには、コナンの母親・江戸川文代がいた。

「本当に、ワガママ言って、申し訳ありませんでしたわ。この子、この数ヶ月間、蘭さんの傍で過ごせて、本当に幸せだったと思います」

文代が言って、頭を下げる。

「まあ、なんですな。手もかからない良い子だったし、楽しかったですよ。何なら、もう2〜3年、ウチに居候してもかまわなかったんですがね」
「ありがたいお話ですが、もうさすがに、坊やと離れていると、私の方が限界でしてねえ」

小五郎が話す事は、あながち社交辞令とも言えない。
この数ヶ月間で、コナンはスッカリ、毛利家の家族になってしまっていたのは、事実だったから。

「そうですね。この子は蘭ちゃんが大好きなようだから、蘭ちゃんが将来、この子のお嫁さんになってくれれば良いなあと、思ってますのよ」
「ええっ?あ、あの・・・!」
「おい、ちょっと待て!この坊主が一人前になるまで待ってたら、蘭はオールドミス(死語)になっちまうだろうが!」

文代が笑顔で爆弾発言をして、蘭は真っ赤になって叫び、小五郎は憮然とした。

「か、母さん!蘭姉ちゃんはそんなんじゃないよ!そ、それに・・・」
「そうねえ。蘭ちゃんには、新一君がいるんだものねえ」

コナンが真っ赤になって言い、文代はからかうような笑顔で、言った。
その言葉に、コナンはまた真っ赤になる。

「冗談じゃない!あの探偵坊主には、やらんぞ!それ位なら、こっちの坊主の方が、まだマシだ!」

小五郎が更にエキサイトする。
蘭は、小さな違和感を覚えた。

文代が新一の名を出した時のからかうような眼差しと、コナンが更に赤くなった様子とが、何かが変だと、蘭に告げる。

「何しろ新一君は、世界的推理作家の工藤優作と、一世を風靡した美人女優藤峰有希子の、1人息子だもの。そんじょそこらにいない、素敵な男の子だものねえ、蘭さん?」
「え、えっと、あの・・・」

いくら親戚とは言え、ここまで自慢げに語るものだろうか。
蘭の中の違和感が、少しずつ大きくなる。


ともあれ。
この数ヶ月、家族同然に過ごして来たコナンとの別れは、寂しい。
けれど、悲しい訳ではない。
コナンは、家族の元に帰るのだ。
いつかきっと、また会える。

「コナン君。元気でね・・・」
「うん。蘭姉ちゃんも・・・」

蘭は、最後にキュッとコナンを抱き締める。
コナンも、蘭の背に手を回して、抱き締め返した。


「蘭姉ちゃん!またね!」

コナンは、最後に笑顔で振り返ると、そう叫んで駆けて行った。



そして、その夜。
数日ぶりに、新一からの電話がかかって来た。



   ☆☆☆



『よお、蘭』
「新一・・・」

新一の声に、蘭は胸がいっぱいになり、何も言えなくなる。
そこで無理に何かを言おうとすると、どうしても、ついつい憎まれ口になってしまうのだ。

『あの坊主、いなくなったんだよな』
「うん。お母さんが迎えに来て・・・」
『そっか』
「コナン君は、親元に帰るんだから、悲しくはないけど。でも、やっぱり、寂しい」
『蘭・・・』
「新一は?まだ、事件、かかりそうなの?」
『多分・・・これから、大きなヤマを迎える。かなりヤバい状況だ』
「えっ?」

新一の声が、妙に真剣で。
蘭は思わず、居住まいを正してしまった。

『こっちからは、暫く、メールも電話も出来ない』
「えっ?」
『この電話が終わったら・・・暫くの間、オレから、蘭に連絡する事はない』

蘭は、喉が妙に乾いて、声が出せなくなるのを感じていた。
絞り出すように掠れ声で言った。

「わ、わたしからも、かけちゃダメなの・・・?」
『いや。オメーからかけてくる分には、別に構わねえけど・・・でも、多分、いつも電源切ってる。メール返信も出来ないし、こちらから折り返し、かける事もねえと思う』
「ど、どの位の間?」
『さあな。見当がつかねえけど・・・最低でも1ヶ月以上。数ヶ月とか、半年とか・・・』

蘭は息を呑んだ。

新一が、トロピカルランドで別れた後、突然いなくなってしまってから。
今迄、直に会えたのは、僅かな回数でしかないけれど。
それでも、1週間以上にわたって、声が聞けなかった事はない。


それが、これから、最低でも1カ月。もしかしたら数ヶ月。
声も聞けない、メールすらない、そういう日々が始まる。


「新一・・・」

何か言おうとして。
けれど、涙交じりに、名前を呼ぶ事しか、出来ない。


「でも。新一、それが終わったら・・・帰って来るんだよね?」

蘭自身。
どうして、その言葉が出て来たのか、よく分からなかった。
ただ、これっきり会えなくなるような、嫌な予感がして、思わず言ってしまったのだった。


『蘭・・・』
「何ヶ月か、かかったとしても。必ず、帰って、来るんだよね?」
『ああ。オメーのとこに帰って来る。必ず。だから・・・待ってな』

新一の声に、ちょっと笑いが含まれていて。
蘭は、ホッとすると同時に、少し腹立たしくなる。

「だ、誰が!待ってるなんて、言ったのよ?」
『ははっ。いつものお前に戻ったな。安心した』
「新一・・・」

憎まれ口を「安心した」なんて言われると、ちょっと困る。
でも、何となく、気にかけてもらっていたようで、嬉しくもある。

『蘭。何があっても、時間がかかっても、オレは必ず、帰って来る。それだけは信じてくれ』

新一の声が、一転して、真面目な口調と声音になり。
蘭が携帯を持つ手に、また力が入った。

『これから先。たぶん、色々ある。だけど、何を見ても聞いても、それでも、オレが必ず帰って来るって事は、信じていて欲しい』
「新一?それって、一体・・・?」
『きっと、オレの今の言葉を覆すような知らせが、近々、あるだろうと思う。でも、オレは必ず、帰るから。きっと、帰るから』
「何があるの?どんな知らせがあるって言うの?」
『それを・・・今、言う訳には行かねえんだよ』
「新一・・・!」
『ごめん。そろそろ、時間切れだ。それじゃ・・・』
「待って!新一!わたし・・・!」
『何があっても。オレは・・・ずっと・・・ずっとオメーの事が・・・オメーの事だけが好きだよ、蘭』
「新一・・・!わ、わたしも・・・!だから・・・!」

もう少し、もう少しだけ、声を聞いていたい。
蘭の願いはむなしく。

『それじゃ蘭。またな』
「新一!」

どんなに呼んでも、返って来るのは、通話が切れた後の無情な電子音だけだった。



   ☆☆☆



それから、2週間が過ぎた。
蘭は、学業と部活と家事に打ち込み、一生懸命笑顔を作り、頑張って高校生活を送っていた。

時々、新一に電話してみたり、メールを送ってみたり、するものの。
新一が言っていた通り、電話は常に電源が切られていて、折り返し掛かって来る事もなく。
メールに返信も、なかった。


今迄、随分と心の慰めになっていたコナンも、いない。
新一からの連絡も、全くない。

ともすれば崩れそうになる心をいつも奮い立たせて、頑張っていた蘭を、更に、奈落の底に突き落とす出来事が待っていた。



朝、学校に行く前に、あわただしく朝食を摂っていると。
父親の寝室で、携帯の呼び出し音が数回鳴った。

事務所ではなく、携帯の方にかけて来るなら、個人的な知り合いだろうけれど、朝から掛かって来るとは珍しい。
蘭が、そういう事を考えていると、父親が茶の間に顔を出した。

「蘭・・・」
「お父さん?どうしたの?」
「ああ、いや、その・・・」
「わたし、今日は空手の朝練があるから、急いでるんだけど。何か用事?」
「・・・やっぱ、オメーが帰ってからにする。急ぐ話でもねえしよ」

いつになく、真剣な表情で、いつになく、歯切れの悪い父親の様子を、疑問に思いながらも。
蘭は、食器を流しに置くと、慌ただしく家を出て行った。



朝練が終わり、着替えて教室に行く。
1時限目の授業の予鈴が鳴った後、突然、校内放送が入った。

「今日は、臨時の全校集会があります。生徒は全員、急ぎ講堂に集合して下さい。くり返します・・・」

突然の知らせに、教室内は大きくざわめいた。
蘭は、胸騒ぎを覚えながら、園子達と共に、急いで講堂へと向かう。

突然の事に、全校生徒が集合して整列するまで、若干の時間を要した。

前には早くから教職員達が並んで待っていたが、皆、表情が深刻で、中には涙ぐんでいる者すらいた。

ざわめく中を、校長がゆっくり、壇上に上がる。
そして、沈痛な面持ちと声で、話し始めた。


「えー・・・今朝、非常に残念で、心痛む知らせがあった。諸君の学友であり、この帝丹高校が誇る高校生探偵である工藤新一君は・・・憎むべき犯罪組織の陰謀を暴こうと尽力していたのだが・・・」

校長の言葉が、そこで途切れる。
それまでざわめいていた講堂中が、しんと静まり返っていた。

校長は、目頭を押さえ、絞り出すように言葉を続けた。



「先程、警察から連絡があり。工藤君が、組織の者の手にかかり、亡くなったと・・・」



一瞬の沈黙の後。
生徒達の間から、悲鳴と怒鳴り声が起こった。


蘭は、校長が何を言ったのか、理解が出来なかった。
周りの音も風景も、現実感がなく。
足元がふわふわして、何が何だか分からない。



「蘭」

園子が呼びかけても、蘭は微動だにしない。


「蘭!」


園子が叫ぶようにして蘭を呼ぶ声を、どこか遠くで聞きながら。
意識を失った蘭は、その場に倒れ込んでいた。



   ☆☆☆




新一の葬儀が行われたのは、全校集会の数日後だった。


蘭はその間、普通に学校に行き、普通に部活をこなしていた。
誰とも殆ど口を利く事もなく、泣く事も笑う事もなく、ただ機械的に、普通通りに過ごしていた。

周りの者は、そんな蘭の姿が、かえって痛々しく、何も言えないでいた。


葬儀当日。
蘭は、心配そうな表情をした小五郎に付き添われて、帝丹高校の制服姿で、葬儀会場となった工藤邸に現れた。
蒼白で無表情な顔をしている蘭に、周りの皆が心痛める。

「蘭・・・」

園子が涙ぐんで、蘭を心配げに見詰めていた。



「新ちゃん!新ちゃああん!!」

急ぎアメリカから帰国した、新一の母親・有希子が、人目もはばからず、棺に取りすがって泣き崩れていた。
父親である優作は、涙をこらえるかのように眉根を寄せ目をしばたたいていた。

新一の歳の離れた友人で、隣人でもある阿笠博士も、沈痛な表情で俯いていた。


警視庁からは、関わりの深かった目暮警部と高木刑事が参列していた。
大阪から駆け付けた服部平次は、友の死が信じられないのか、下手人への怒りを燃やしているのか、憮然とした表情をしている。


「蘭ちゃん!」
「和葉ちゃん?あなたまで、ここに?」
「アタシは、工藤君とはあんまり面識ないんやけど。蘭ちゃんの事が心配で・・・」

和葉の涙ながらの言葉に、蘭の無表情が僅かに動く。

「ありがとう。わたしは大丈夫だよ、和葉ちゃん」

蘭が、はかない微笑みを見せ。
それがまた、周囲の同情を誘った。


蘭の母・英理も、姿を見せていた。
小五郎が英理に小さく声をかける。

「おい。有希ちゃんに声をかけなくて良いのか?」
「・・・有希子の気持ちを考えると・・・とても声なんか、掛けられないわ」
「・・・まあ、そうかもな・・・」
「・・・それに、蘭が気になるし・・・」

英理は、我が娘を見やった。
蘭は、蒼白な無表情で、立っていた。

「ずっと、あんな調子だよ・・・」
「そう。でも・・・取りあえず死にそうにはないから、ホッとしたわ」
「おい!オメー、何て事を!」
「蘭の情の激しさは、生半可じゃなくってよ。私は、正直、蘭まで死んでしまうんじゃないかと、冷や冷やしてたんだもの」
「英理・・・」



棺の蓋は開けられなかった。
遺体の損傷が激しく、とても見せられないからと、説明がされた。

「そんな・・・工藤君、一体どんな死に方したって言うの?」
「しっ!蘭の前で、そんな事言っちゃダメだよ!」

新一が、いつ、どうやって死んだのか。
そういう細かな説明は、されていない。
葬儀に参列した帝丹高校2年B組のメンバーは、新一の死を悼みながらも、不可解な事があまりにも多過ぎる為、色々な憶測を交わしていた。


無神論者だった故人の意を受け、葬儀は無宗教で行われると説明された。
焼香などはなく、参列者は手に白百合の花を持って献花を行う。


蘭は、小五郎から渡された白百合を持って、進み出た。
新一の「遺影」を、無言で見詰める。

写真は確かに新一のもので。
そこだけは妙に実感があった。

『何でだろう・・・この中に、新一がいる気が、しない・・・』

姿を見せてもらっていないからだろうか。
蘭にはどうしても、この棺が空だという気がして、ならなかった。


『本当に、新一が死んだなら。この世にいないのなら。わたしが、何も感じない筈、ない・・・。わたしが、無事に生きていられる筈が、ない。なのに、わたしは、今ここで生きている。それは・・・何故・・・?』


白い百合が、棺の上に並べられている。
蘭は、昔、新一が取ってくれた百合の花を思い出していた。
夕陽の中でひときわ赤く輝いて見えた、オレンジ色の百合の花。

今、毛利家のベランダには、新一が贈ってくれたオレンジの透かし百合の鉢が、置いてある。


蘭は無言で、遺影を見詰めて動かない。
その姿がまた、周囲の涙を誘った。


「蘭ちゃん」
「小母様?」
「来てくれて・・・ありがとう・・・」

有希子が、蘭の傍に来て、涙を流しながら言った。

「いつか、蘭ちゃんが新ちゃんの花嫁として、この家に来てくれる日を、心待ちにしていたのに・・・こんな事になって・・・」
「小母様・・・」

有希子が、蘭を抱き締めた涙を流した。
その姿に、英理もそっと目頭を押さえ、小五郎はグッと拳を握り締めた。


「蘭ちゃん。新ちゃんから、あなたへ。最期に、預かったモノがあるの・・・」
「えっ?」

有希子は、そっと蘭を離すと。
涙ぐみながら、蘭の手に、小さな箱を持たせた。

「受け取ってくれる?」
「・・・・・・!」

蘭は、思わず首を横に振っていた。
それを受け取る事は、何だか、新一の死を認める事のように感じたので。

「新一から、あなたへのメッセージが込められているの。お願い、受け取って」
「お、小母様・・・」

有希子が、涙を流しながら微笑んだ。
蘭は、そっと小箱を胸に抱いた。



葬儀場になっている工藤邸のリビングルームに、音楽が流れ始めた。

葬送行進曲などを使う場合が多いのだが、今流れている音楽は、「千の風になって」のメロディだった。



「千の風になって」は、元々、アメリカでいつからか、死者を悼む儀式の中で読み上げられるようになった「詩」である。
「私のお墓の前で泣かないで。私は、そこにはいない。風になって、いつもあなたを見守っている。いつもあなたの傍にいる」という、死者から生者へのメッセージという内容である。

日本では、訳詞をした新井満氏が曲がつけ、ブレイクした。
最近では、葬儀でも、使われる事があるようだ。


その音楽でまた、一同はすすり泣いた。


棺は、皆に見守られる中、霊柩車に乗せられて、工藤邸を離れて行った。
蘭は、園子と和葉に両脇から守るように支えられながら、無言でそれを見送った。



   ☆☆☆



蘭は、園子と和葉に付き添われて、毛利邸に帰って来た。
小五郎は、蘭の友人達に蘭を託し、英理と共に、工藤邸にとどまり、優作や有希子と一緒に過ごすようだ。


和葉が気を利かせてお茶を入れ。
蘭は、茶の間で、有希子から渡された小箱を、開けてみた。
中に入っていたのは、小さな宝石箱のようなものだった。
蓋をあけると、オルゴールだったようで、メロディが流れ出した。


そのメロディは、先程聞いたばかりの、「千の風になって」だった。


蘭が、じっとオルゴールを見詰める。
その目に、光が宿り、頬に血の気がさして来る。


「蘭?」
「蘭ちゃん?」


蘭は、微笑んで、友人達を見詰めた。
それは、先程までのような、はかないものではない。


「新一は、死んでなんかいない」

蘭の言葉に、2人は凍りついたようになって、顔を見合わせた。


「ら、蘭!?」
「このオルゴールの音楽が、わたしへのメッセージ。新一は死んでなんかいないって。生きているって」
「せ、せやけど、『千の風になって』は、そういう意味ちゃうで?」
「うん。知ってる。魂となっていつも傍にいるから、嘆かないで、泣かないで、って慰めなんでしょ?でも、新一はわたしに、生きているから泣くな、待っててくれってメッセージを込めて、このオルゴールを贈ってくれたんだと思うの」
「でも、工藤の小母様、すごく嘆き悲しんでたわよ。嘘泣きであんな事は出来ないと思う」
「園子。小母様は、稀代の名女優なのよ。多分、あの瞬間は、ご自分でも『新一は死んだ』と自己暗示をかけて、一世一代の名演技を行ったのよ」
「ら、蘭ちゃん・・・気持ちは分かるけど、現実をキチンと見た方がええんちゃう?」
「現実?だって、わたし達の誰も、新一の遺体は、見てないじゃない」
「せ、せやけど・・・」
「もしも。新一が死んだりしたら、わたしも生きてはいられない」

蘭の言葉に、園子と和葉は、息を呑む。

「でもね。わたしは、無事にこうして生きている。だから、新一は、きっと生きてる」

蘭の確信に満ちた言葉に、和葉は迷うような目を、園子に向けた。
今、新一の死を無理に受け入れさせようとする事は、蘭の命を奪いかねないような気がした。
ここは、蘭の気が済むまで、蘭の言葉を否定しない方が良いのかと、考えたのだった。

「新一が、2週間前に、電話をかけて来た時ね。言ったのよ。『オレの今の言葉を覆すような知らせが、近々、あるだろうと思う。でも、オレは必ず、帰るから。きっと、帰るから』って。それは、これを言ってたんだと思うわ」
「じゃあ、蘭ちゃん。何らかの理由で、工藤君が死んだ振りしたって事なん?」
「うん。新一は、今、すごく厳しい局面に立たされているって、言ってた。公式には死んだ事にしなきゃならない程、危険な状況なんだって思うの」
「蘭・・・わたしも信じるわ」

園子も、確信に満ちた表情で、頷いた。

「園子ちゃん?」
「わたし、蘭が言う事だったら、信じられるもの。だから、信じる」

迷うような表情をしていた和葉も、ふっと笑みを浮かべて言った。

「せやな。アタシも、信じてみる。工藤君の遺体見てへんのは、アタシも同じやし」

和葉は、お茶を一口飲み。
そして、ふっと思い出したように言った。

「よう考えたら、平次の様子も、おかしかったんや」
「服部君が?どういう事?」

園子が、身を乗り出す。

「平次は、いっつも、アタシが妬く位、工藤工藤言うてたんや」
「へえ。和葉ちゃん、妬いてたんだ?」
「混ぜっ返さんといて。でやな。そないな平次のマブダチが、ホンマに死んでもうたんやったら。よう言えへんけど、もっと大騒ぎする筈思うんや。けど、平次、ずーっとムッツリ黙りこくっとってな。アタシは、そんだけ辛いんやろ思うとったんやけど。もしかして平次、ボロが出えへんよう、黙っとっただけかもしれへん言う気がする」
「じゃあ、服部君は、新一君が本当は生きてるって、知ってるだろうって事?」
「せや・・・工藤君の戦いに、平次も、何らかの形で協力してんやろ思う」

3人の雰囲気は、先程までとは全く違うものになって来た。


「でも。園子、和葉ちゃん。新一が生きている事は、内緒なんだからね」
「・・・心配せんかて、誰にも言わへん」
「そうそう。逆に、気が変になったかって勘ぐられるのがオチだし」


その後、3人は、和やかな雰囲気でお茶を飲んだ。


蘭は、先程までとは全く違う、晴々とした顔で、オルゴールを見詰めた。



『新一。待ってるから。ずっと、待ってるから。必ず、無事に帰って来て』



蘭は、今どこにいるかもしれない想い人に向かって、心の内で呼びかけていた。




Fin.



+++++++++++++++++++++


<後書き>


「幼馴染みの恋物語」シリーズの、折り返し点。
全20題の予定なので。

あまりの亀更新に、書いてる私も、時々忘れそうになりますが(苦笑)、元々は「約束などなくても」をシリーズ化するって意図から始まったこのシリーズなので。
原作にはない「幼い頃新一君が蘭ちゃんに取ってあげたオレンジの透かし百合」のエピソードが、時々突然、挿入されたりします。

一応、予定通りの締めなんだけど。
当初考えていたより、希望が大きなラストになったかなあ?
最初の予定では、蘭ちゃんが「自分に言い聞かせているけど半信半疑」で、ここまで確信持ってなくて、もっと悲壮な感じだったんですよね。

ヤツの帰還と蘭ちゃんとの再会までは、もう少しお待ち下さい。
って、ここで「実はやっぱり、彼は〇〇」って種明かしするのもどうかと思いますけど。
決して、蘭ちゃんの「思い込み」ではないって事で。


で、一応、未来のお話ですが。
当初、蘭ちゃんは新一君の気持ちを知らないままという設定で、書いていました。

ですが、原作での待望のロンドン編を受けて!
新一君は既に蘭ちゃんに気持ちを伝えてるって事で、ちょこっとだけ、修正しました。

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