無色透明な世界

(お題提供:「恋したくなるお題」「遥か3お題」14. 無色透明な世界)



byドミ



新一が「死んで」から、およそ一ヶ月が過ぎた。


蘭は、これほど長い間、新一からの連絡がない事態を、経験したことがない。
たとえ傍には居なくても、電話で声は聞けたし、メールもあった。
数日以上、放って置かれた事など、なかったのだ。

寂しい。
寂しい。

新一が無事に生きていることを信じているけれど、押し寄せる寂しさはどうしようもない。
新一が恋しくて胸が苦しくて、涙が零れ落ちる夜もある。

そんな時、蘭は、新一から貰ったオルゴールを開いて、心を落ち着かせていた。
時に、もらったメールを読み返す事もある。

そして、新一はきっと帰って来てくれる、きっとまた会える、そう心に言い聞かせる。


蘭を心配した英理は、毛利邸によく泊まり込んでいた。
わたしは大丈夫、だって新一は生きているんだからと、言いたいけれど、それは憚られる。
蘭がショックでおかしくなったと思われるかもしれないし、それに、内緒にして置くべきだろうとも思うから。



   ☆☆☆




蘭が寝床に入った後、毛利邸の茶の間で、お茶を飲みながら会話する夫婦の姿があった。


「なあ、英理。ウチに帰って来る気はねえのか?」
「・・・わたしがこの家に来るのは、蘭が心配だから、それだけよ」
「そんぐらい、わかってるに決まってるだろう!?だから、ずっととは言わん、蘭が落ち着くまでだけで良いからよ」
「・・・あの子の為にって言うなら、私は、ずっとこの家にいない方が良いわ」
「何だと?」
「あの子は、私といる時、いつも緊張してる。私は自分の事を棚にあげて、お小言ばかりだし。たまに会う程度の方が上手く行くし、精神安定上も良いのよ。今のあの子には」
「何、訳のわからん事言ってるんだ?母親が傍にいるのが、精神安定上良くないなんて、んな事あるワケ、ねえだろうが!」
「・・・だって。あの子、私の前で泣く事すらしないんですもの!無理して笑顔で振舞って・・・弱味を見せる事が出来ないなんて、私、母親失格だわ!」
「英理・・・そんな事はねえよ。蘭が強がっちまうのは、俺達の責任もあるんだろうが・・・だからって、オメーまで、んな弱気で、どうすんだ?オメーは、新一の野郎が死んだ時、蘭まで死んじまうんじやねえかって、心配してたんだろうが。蘭が本当に立ち直るまで、傍についててやれ。俺だけじゃ、蘭の支えにはなんねえんだよ・・・」

小五郎が垣間見せた弱音に、英理は少し微笑む。

「蘭は、いつか立ち直るかしら?」
「ああ。女の方が強いからな。惚れた男に先立たれても、きっと生きる希望を見出すさ」


蘭は、両親の会話を知らず、ぐっすりと眠っていた。
けれど、毛利邸茶の間につけられている盗聴器が、この会話を拾っていたのである。




   ☆☆☆




改方学園の教室で。
平次からの思わぬ頼み事に、和葉は眉根を寄せた。

「平次。工藤君もコナン君も居てへんのに、何で東京まで行くん?それも、アタシに一緒に行って欲しいやなんて」
「・・・ホンマは、和葉1人で行ってもかまへん、ちゅうか。和葉だけは行って欲しいちゅうか・・・」
「何、ワケのわからへん事言ってんの?」
「・・・毛利のおっちゃんが、姉ちゃんの事心配して、俺じゃ支えにはならんと弱音はいてんのを、聞いてもうたんや」

和葉は、マジマジと平次を見た。
そして、平次を引っ張り、人気のない所へと連れて行こうとする。

ところが。

「おっ!遠山が服部を引っ張って行きよるで」
「こら、服部の浮気発覚でもしたか?」

野次馬が着いて来ようとする始末。

「アンタら!アタシは平次に、一世一代の告白すんねん!邪魔せんとき!」

和葉が周囲に怒鳴る。
まさか、本気で「和葉が平次に今から告白」するとは、誰も思わないが、和葉が真剣に人払いをしたい事は感じ取ったので、クラスメート達は不承不承、デバガメを諦めた。

「で?何が言いたいんや、和葉?」
「嫌やなあ。告白言うたやん!」
「アホ。ホンマの理由、はよ話せ」
「ちょっと位乗ってくれてもええやん、つまらんなあ」

言葉は軽口。
だが、和葉は真剣な眼差しで平次を見据えた。
平次も、思いの外、真剣な目付きで見つめ返してくる。

「蘭ちゃんな。工藤君は生きてる、そう思うてるんや」

平次は無言だった。
その様子には、いささかの動じる気配もない。

「あんお葬式は、工藤君とご両親の芝居や、言うてた」
「・・・で?和葉は、姉ちゃんの言葉、信じたんか?」

真っ直ぐな平次の眼差しに、和葉はいたたまれなくなる。

「アタシは・・・わからへん。半信半疑や・・・けど、少なくとも蘭ちゃんがそれで希望持ってられるんやったら、アタシは・・・」
「・・・成程な。姉ちゃんは工藤の死を信じとらん。やから、毛利のおっちゃん達も、心配する必要あらへんやろって、そういう事か?」

何か少し違うような気もしたが、和葉は曖昧に頷く。

「ええやんか。姉ちゃんがそれで自分を納得させて慰めてるんやっても、和葉が姉ちゃんとこ遊びに行ったらあかん、いう事はない筈やろ?」
「平次・・・?」
「工藤はオレの大事なライバルやってんから、姉ちゃんには、工藤の為に、心安らかであって欲しい。それじゃ、あかんか?」
「ううん・・・アカン事、ないけど・・・」
「じゃ、今度の週末、東京な」

平次がその場を去って行こうとする。

「待ってえな、平次!」
「何や?まだ何か、あるんか?」

平次が立ち止まって振り返った。

「平次は、どない思う?」
「・・・和葉」

平次が踵を返して戻って来た。
そして、和葉の肩に手をかけ、ぐいと引き寄せる。
和葉は思わず赤くなって固まった。

その耳に、囁かれる。

「何もかんもケリがついたら、そん時は。和葉には包み隠さず、話したる」
「へ、平次・・・」


和葉は、平次のその言葉で、確信を持った。
そして、それだけの信頼を平次が寄せてくれている事も、感じ取っていた。
愛の告白と変わらない位、嬉しい事だった。


ただ。

結局、遠巻きに様子をうかがっていたクラスメート達には、平次が和葉を抱き寄せて頬に口付けたように見えてしまい、散々からかわれる事になるのだったが。




   ☆☆☆



そして、週末。
東京に着くなり、平次はふいとどこかに行ってしまい、和葉は1人で毛利探偵事務所を訪れた。

「えっ?お父さん達が、わたしの事、心配してる?」
「うん。平次が、小父さんの弱音を聞いた、言うて」
「そんな・・・」
「でも、蘭ちゃん。小父さん達の心配は無理ないって、アタシも思う」
「そうね。でも、新一が生きてるなんて、あんまり広めたくないし・・・」
「それに、そないな事言うても、蘭ちゃん悲しさのあまり頭がおかしいなった思われるんがオチやで?」
「もしかして、和葉ちゃんもそう思った?」
「うん。正直言うて、最初聞いた時は」
「そう・・・」

蘭は、目を伏せた。

「け、けどな!アタシも、この間、平次の様子見て、確信したで!工藤君は、きっと生きてる!」
「和葉ちゃん・・・」

和葉が蘭を抱き締めた。

「蘭ちゃん。そない言うても、寂しいやろ?辛いやろ?けど、工藤君は絶対帰って来る!それも、そう遠い事やあらへんって思う。やから、負けんといて!」
「うん・・・和葉ちゃん、わたし、頑張る!」

蘭が、和葉を抱き締め返して、泣いた。
和葉は、今更ながらに、平次の方が正しかったと思う。
新一が生きていると蘭が確信していても、蘭が辛くない訳ではないのだ。

平次が「自分で」蘭を慰めようなどと考えず、女同士だからという理由にせよ、和葉だけに任せてくれたのも、嬉しい。

「けど・・・確かに、あれやな」
「なあに、和葉ちゃん?」
「平次は、自分には女心が分からんし、女を慰める方法も検討つかへん、ってのもあるやろうけど」
「え・・・?」
「工藤君が無事生きてんのに、平次が自分で蘭ちゃん慰めようなんてしたら、平次、きっと、工藤君に殺されてまうよね。うん、きっと工藤君、やっぱ生きてんで」
「和葉ちゃん?」
「工藤君て、意外とヤキモチ妬きちゃうかな?」
「・・・そうかなあ?そんな風に感じた事、ないけど」



   ☆☆☆



今日は土曜日だが、妃英理は、事務所で色々と仕事を片付けていた。
公判や依頼者との面接は、原則、平日の9時から17時の間までに行われるが。
弁護士は、調べ物や書類作成や不意に入った仕事などで、時間外の仕事も多いのだ。

ようやく仕事をひと段落させて、毛利邸に帰宅し、玄関ドアを開けると、若い女性の華やかな笑い声が耳に入って来た。
今日は確か、大阪の服部平次と遠山和葉が来ている筈と思い、お茶を淹れて娘の部屋に向かった。

「いらっしゃい、遠山さん・・・あら?お1人?」
「お母さん、お帰りなさい」
「お邪魔してます!あ、平次・・・服部君は、何や用があるらしいて、出かけてしまいました」
「そう。女同士にしようと、気を利かせてくれたのかもしれないわね」

英理は、笑顔の蘭の頬に涙の痕があるのを見て、ホッと息をついた。
蘭が和葉の前で泣く事が出来たと思ったのだ。
母親の前では虚勢を張っても、同年代の友達の前では意外と素直になれるのかもしれない。

「・・・友達って、やっぱり良いものだわね」

英理はふっと空に目を向けた。
その眼差しの向こうには、蘭と同じ位に新一を愛し、蘭と同じ位に嘆き悲しんだであろう友の顔が浮かぶ。

有希子は、暫く日本に滞在する筈だ。
静かな店にでも誘って、女同士で飲みに行ってみよう。




   ☆☆☆



その頃、いつも客の姿がない「沖矢商店」では。


「は・・・は・・・っくしょん!」
「おや?藤堂君に続いて、百地君まで。まさか・・・インフルエンザじゃないでしょうね?」
「風邪じゃなくて、いきなり、インフルエンザ?流行してないから、それはないんじゃ?」
「沖矢はん、冗談きつうてかなわんな〜」
「決戦は近い。2人とも、風邪でもインフルエンザでも、引いている暇はありませんよ」

沖矢昴は、淡々とした口調で真面目くさった顔で言った。

「承知」
「分かってまんがな〜」

「藤堂」も「百地」も、彼ら本来の口調とは微妙に違う口調で返事した。
昴は満足そうに頷く。


「では。新しい売り込み先の詳細です」

昴が示した図面を、2人は食い入るように見詰めた。
図面はこの後、破棄される。
暗記力に自信がある2人も、この先の「戦い」に絶対失敗しない為、必死であった。



   ☆☆☆



「やあ、こんにちは。久し振りだね」
「竹山さん?」

街を歩く蘭の前に、突然現れたのは、以前、英理に紹介された、若手弁護士の竹山だった。

部活のない今日は、少し早目に学校が終わった。
園子は部活があったので、蘭は1人で帰宅していた。

蘭はこの男が苦手だ。
自然、身構えてしまう。
1人のところに声をかけられた為、余計だ。

「一体、何のご用でしょうか?」
「おいおい、そんなに殺気立たないでよ。今日はただ、デートに誘おうと思っただけなんだから」
「わたしには、彼氏がいるから、他の男性とデートになんか行けません!」

蘭はつんと顔を背けた。

「彼氏?片思いだって言ってなかったっけ?」
「彼が告ってくれたから、もう片思いなんかじゃありません」

蘭は竹山を見て言い切ると、再び、つんとする。

「へえ。でも、その彼氏、死んじゃったんでしょ?」

新一が「死んだ」事は、ささやかにだが、報道されている。
竹山が知っているのは、不思議でも何でもない。

蘭は思わず振り返り、竹山を見た。
嫌悪感が募る。
人を傷付けて何が面白いのかと思う。

竹山の目的は、蘭の心に食い込む事で、だからこそ蘭が傷付くだろう言葉を敢えて投げつけたのだったが。
優しく他人を傷つける事を良しとせず、人生経験の浅い蘭に、それが見通せる筈もない。

「人を傷付けて楽しいですか?」

蘭は嫌悪感をあらわにして、竹山を睨み付けた。

「ははっ。良いねえ。君はそういう顔の方がずっと綺麗だよ」

蘭はグッと唇を噛む。
こんな形で、竹山から綺麗と言われても、嬉しくも何ともない。

「これからどれだけ綺麗になるのか。是非とも俺の手で花開かせたいものだ」

蘭は思わず後退っていた。
その時、不意に、蘭の胸に浮かんだ言葉があった。

『蘭には笑ってて欲しいんだ』

いつだったか、新一がくれた言葉。
蘭の胸を温かで清涼な風が吹き抜け、蘭の波だった心を鎮めて行く。

『新一』

心の内で新一に呼び掛け、蘭は笑顔を作る。

「新一は、死んでなんかいない。わたしのここに、ちゃんと居るもの」

蘭は自分の胸に手を当て、声に出して言った。
新一が生きていると確信している蘭だが、それをバカ正直にこの男に告げる気はない。

竹山はいささかつまらなそうな顔をした。

「まだ若いのに、死んでしまった恋人に操を立てる訳?蘭ちゃんってさ、まだバージンだろ?若くて綺麗なその身体が、もったいないと思わない?」
「わたしの体に触れて良いのは、新一だけです!わたしの身も心も、新一だけのもの、生涯、他の誰にもあげられない! もったいないなんて、そんな事、全然、 思わないわ!」
「・・・その決意がどれだけ続くものか。1年も経てば変わると思うけど、精々、お手並み拝見と行きますか」

蘭はそれ以上答えず、踵を返し、スタスタと速足で歩き出した。

「蘭ちゃん、デートは?」
「他の方をお探しください」
「デーと位、構わないでしょ。死んだ彼氏に、そこまで操立てなくても」

蘭はピタリと立ち止まり、竹山を見て言い放った。

「操なんかじゃありません。わたしが、竹山さんと2人で過ごすのが、嫌なだけです!」

そのまま、再び竹山から離れて歩こうとした蘭だったが、ちょうど交差点に差し掛かり、信号が赤だったので、仕方なく立ち止まった。

「ほんのちょっと、お茶だけ」
「きゃっ!」

竹山が蘭の肩に手を回そうとして来たので、蘭は思わず振り払おうとした。
その時。


何かがものすごい勢いで飛んで来て、蘭の傍をかすめ、次の瞬間、竹山は派手に吹っ飛んでいた。

「サッカーボール・・・!?」

竹山の顔にめり込んだ後、テンテンと弾んで行ったものは、確かにサッカーボールに見えた。
蘭はハッと振り返り、ボールが飛んで来た方向に向かって駆け出して行った。

『新一。新一・・・!』

声に出して呼んではいけないと、心のどこかで声がして、蘭はその名を口には出さなかった。


しかし、夕暮れの雑踏の中、目指す姿はどこにも見当たらなかった。


『でも。新一はどこかで、わたしを見守ってくれている』


蘭の頬を流れた涙は、愛する人に守られている嬉しさか、姿を見せてくれない事への悲しみか。
それは、蘭本人にも分からなかった。


蘭は空を見上げる。
濃い夕闇の色は、何故だか、星空よりも青空よりもずっとずっと、どこまでも続く底深さを感じさせる。



『新一。わたしは大丈夫だよ。たとえ傍にいなくても、新一にいつも、守られているから。わたしは、新一の帰って来る場所を守ってる。だから、新一は新一の戦いを頑張ってね』

蘭は、深くなる闇を見詰めた。

蘭が見ているのは、現実の夕空ではなく、どこまでも透き通った、無色透明な世界。
その先にはきっと、新一がいる。



Fin.



+++++++++++++++++++++++



<後書き>

タイトルは。
こじつけかな?こじつけですね。
いやもう、お題のどれを当てはめたら良いか、わからなくて。
でも、蘭ちゃんの新一君への愛は、どこまでも透き通った純粋なものだろうと、思いまして。

竹山弁護士は、何と言うか、可哀想な犠牲キャラになってしまいました。
今回もですが、このずっと先、彼、もっと悲惨な目に遭うんだよねー。
すみません、オリキャラへの愛がなくて。


多分。
次のお話辺りで、組織との決戦になります。
蘭ちゃんが巻き込まれるという形で描くのは、初めてかなと思います。
あ、危機一髪はあっても、痛い目には遭わせませんよー(って、後書きで次のネタばれしてどうするって感じですが)

早く新一君と再会させたいです。


2011年8月3日脱稿


戻る時はブラウザの「戻る」で。