嘘でもいい

(お題提供:「恋したくなるお題」「遥か3お題」12.「 嘘でもいい」)



byドミ



それは。
妃英理弁護士から一人娘の毛利蘭へかかって来た電話から、始まった。

「今度の日曜日?うん、空いてるけど?」

母親からの、蘭に会いたいという電話。
蘭は、一も二もなく、承諾した。


「え?フレンチのレストラン?そこ、お子様セットとか、あるのかなあ?」
『蘭。今回は、コナン君は連れて来ちゃ駄目よ。それに、ちゃんとドレスアップ・・・ああ、これは良いわ、私のマンションで着付けてあげるから』
「えっ!?な、何でっ!?」
『ちょっと、格式のある所だからね、子供は・・・』
「わたしだって、まだ高校生だから、子供だよ!それに何で、お母さんと2人で会うのに、そこまで格式ばった所に・・・!コナン君が可哀相じゃないの、もうあの子、うちの家族なんだもん。他の場所にしてよ」
『蘭・・・そういう訳には行かないのよ。もう、予約もしてあるし』
「だったら、お父さんと2人で行けば良いじゃない!コナン君が一緒じゃ駄目だって言うのなら、わたし、行かない!」

蘭には、結構頑固な面がある。
一旦、動かないと決めたら、本当に梃子でも動かない。

英理も、それが分かっているのだろう。
溜息をついた。

『あのね。私が昔、司法修習生の頃お世話になった弁護士事務所の、大先生を通じて、お話があったのだけれど』
「は?」
『大学卒業と同時に、司法試験に合格した才子でね。司法修習生生活を終えて、若手の弁護士として、その事務所でバリバリ頭角を現しているの』
「お母さん?いったい、何の話なの?」
『だから・・・この前の裁判の時、蘭がわたしを迎えに来たでしょ?その時、蘭の事を、見染めたんですって』
「ええええっ!?」

蘭は思わず大声を上げてしまった。
意味が分かると、大きな怒りと・・・少しばかりの悲しみが、湧き上がって来る。

「お母さん?わたしまだ、高校生なのよ?どこぞの家柄のお嬢様じゃあるまいし、お見合いなんて!」
『ああ、だから。そんな堅苦しく考えるような場じゃなくて。ただ、ちょっと会ってみるだけよ、ね?』
「格式ばったフレンチで、良い格好して行かなきゃならないのに、堅苦しくないも何も、ないでしょ!?」
『蘭。ワガママ言わないで、少しは私の立場も考えて頂戴。これは、恩師からのお話で、無碍に出来ないのよ』

蘭は息を呑んだ。
そういう事であれば尚更、「ごめんなさい」とは言いにくいではないか。

「お母さん!わたしは、新一が・・・」
『新一君?何バカな事言ってるの?彼はただの幼馴染で、お付き合いしている訳でもないでしょ?それに、事件を追って蘭をほったらかしているような男は、止めて置きなさいな。お母さんは言った筈よ、探偵と幼馴染だけは止めて置けってね』
「お、お母さん!」
『とにかく!蘭がどうしても行かないって言うのなら、私の面目は丸潰れなんですからね。蘭が嫌だって言うのなら、こちらにだって考えがあるわ』


結局、英理に押し切られるような形で、蘭は電話を切った。


「どうしよう・・・新一・・・」

今は、どこにいるのか分からない「幼馴染」の名を、蘭は呼んでいた。
蘭はまだ高校2年だから、いくら何でも、今すぐ結婚という話にはならないだろうが、強引に話が進められて「婚約」にまでなってしまえば、身動きが取れなくなりそうだと思う。



「蘭姉ちゃん、ただいま!」

毛利家に居候している子供が、玄関を開けて飛び込んで来た。

「あ・・・お帰り、コナン君」
「蘭姉ちゃん?どうかしたの?」

コナンが、心配そうに蘭を見上げた。
何故だか、この子はいつも、蘭のちょっとした変化にも敏感だ。
蘭は、こんな小さな子に心配かけてはいけないと、笑顔を作る。

「あ、別に、何でもないのよ。今すぐ、ご飯を作るからね」


蘭は、新一から貰った携帯電話を、ギュッと握りしめ。
それから、夕御飯の支度にかかった。



夕御飯が出来ても、小五郎はまだ、帰って来なかった。
事務所には居なかったから、仕事で出かけてまだ帰って来ていないようだ。

もしかして、仕事ではないかもしれなかったが。

子供であるコナンを、お腹空かせたまま待たせるのはどうかと思ったので、父親を待たずに食事をする事にした。


「いっただきま〜す!」

コナンは、いさんで箸をつけた。
その表情が一瞬変わり、箸が一瞬だけ止まる。

けれど、その後はいつもの表情に戻り、もくもくとご飯を食べ続ける。

『え?』

蘭は、いつもと違うコナンの反応を訝しみ、慌てて自分も箸をつけた。

「・・・しょっぱい・・・」

食事を作る時に上の空だったからだろう、いつもより濃い味付けになってしまっている。

「あ!コナン君、食べちゃダメ!」
「えっ?」

蘭がそう言った時には、コナンはかなり食べ進んでいた。

「コナン君!そのハンバーグ、から過ぎたでしょ?」
「うん、ちょっとね。でも、おいしいよ」

そう言ってコナンは、最後の一口を呑みこんだ。

蘭の目に、ジワリと涙が浮かぶ。
こんな子供に気を使わせている、そう思うと、情けなくなって来た。

「蘭姉ちゃん。本当に、何かあったの?」
「ううん。大丈夫だから。今日、ちょっと電話でお母さんと喧嘩みたいになっちゃって・・・。それで・・・ごめんね、コナン君」

コナンが、心配そうな眼差しを蘭に向ける。
幾度も目にした事がある、新一の優しい眼差しが、それに重なる。

『コナン君の事、新一なんじゃないかって、何度も疑ったけど・・・こんな幼い子に頼ろうとするなんて・・・ホント駄目ね、わたしってば』

「コナン君。本当にごめんね・・・気を使う必要なんか、ないからね」
「蘭姉ちゃん・・・」

コナンが、もの問いた気な目をしている。

「今度の日曜日に、お母さんと会う事になったんだけど。何か、堅苦しいフレンチのお店で。しかも、コナン君を連れて来ちゃ駄目なんだって」
「え・・・?」
「ごめんね、コナン君・・・」

コナンが、不安げな顔つきをしたので、蘭は謝った。
するとコナンは、慌てて取り繕ったような笑顔を見せる。

「その位、平気だよ!ボクは、いつも通り元太達と遊ぶからさ、気にしないでよ蘭姉ちゃん!」
「コナン君・・・」
「せっかくなんだから、ご馳走を沢山食べて、元気になっておいでよ、蘭姉ちゃん!」
「うん・・・ありがとう・・・」

コナンは、とても敏い子なので。
蘭の言い訳を、どこまで信じたのかは、分からない。

蘭はまた、携帯をギュッと握りしめた。


   ☆☆☆


その夜。
蘭は自室で、携帯を見つめ。
何度も、ボタンを押そうとしてはためらっていた。

すると突然、着メロが鳴り、蘭は息を呑んだ。

表示名は「工藤新一」。
蘭は慌てて、電話に出て。勢い込んで声を出す。

「も、もしもし。新一!?」
『おう。かけた途端にオメーが出たから、ビックリしたぜ。何かあったのか?』
「新一。今度の日曜日、時間取れない?」
『は?』
「お願い。12時に、レストラン『カリオストロ』まで、来て欲しいの!」
『オレは、まだ事件が手を放せる状況じゃねえから・・・』
「新一が大変なの、分かってる!でも、でも!お願いだから!この先、そんなワガママ、言わないから!お願い!」
『わりぃ。ホントに、身動き取れねえから。ごめんな・・・』
「分かった!もう、新一には何も頼まない!」
『お、おい、蘭!?』
「さよなら!」

蘭は、ボタンを押して、電話を強制終了させた。

「うっ・・・!」

蘭は、屈み込んで泣き出した。
新一は何も悪くない。
蘭は、どういう状況なのか、説明もしなかったし。
第一、新一は蘭の彼氏でも何でもないのだから。

重々分かっているけれど、新一に当たってしまった。

助けて欲しかった。
新一に、攫って欲しかった。

たとえ嘘でもいいから、「この女はオレのだから」と、言って欲しかった。

「し、新一。新一ぃ・・・助けて・・・」

蘭の嗚咽が、ドアの外にまで漏れていた。



この時。
蘭の部屋のドアの外で、コナンがドアに背をもたれさせ、唇をギュッと噛みしめていた事など、蘭は知らない。


   ☆☆☆


土曜の夜。
コナンは、阿笠博士の所へ行き、哀に頼み事をしたが、当然の事ながらすげなく却下されてしまった。

そもそも、何故そのような頼み事をしたのか、哀は知りたがったが、コナンは頑として口を割らなかった。

ただ、元々、哀がウンと言わないだろう事は、想定内の事。
苛立ちながらも、コナンは次の手を考えていた。


日曜日の、午前10時。
蘭は、沈んだ様子で、洗濯や昼食の支度をしていた。

小五郎は、ちらりと娘に目を向け、新聞を寄せて顔を隠しながら、コナンの方を向いて言った。

「蘭のヤツ、今日はオメーを連れて行かねえのか?」
「うん。だって、ボクは来ちゃ駄目だって、おばさんに言われたんだってさ」
「はあ?英理も最近は、蘭にオメーがセットになってるのが当たり前に感じていると、思ったんだがな」
「・・・お見合いらしいよ」
「見合いィ!?って、蘭がそう言ったのか?」
「ううん。でも、ボクが着いてっちゃ駄目で、高級フレンチのお店で、おばさんにドレスを買ってもらうってなったら、そりゃ、お見合い以外にないんじゃないの?」
「英理のやろう・・・俺に黙って事を進めようたあ、許せん!」

小五郎はいきり立った。
その目の色が変わっている。

コナンは内心ほくそ笑む。
小五郎に内緒でこのような話を進めた場合、小五郎が反発するのは、まず分かりきった事だった。
とりあえず、蘭の意に反して「強引に」事が進められないだけの布石を打つ。

「オメー、その見合いの場所と時間、知ってるか?」
「フレンチレストラン『カリオストロ』、12時」
「よしよし、いい子だなオメー」

小五郎がそう言ってコナンに100円玉を渡す。

『おい。これじゃ、昼飯代にもならねえじゃんかよ。自販機のお茶1本、買えやしねえ』

コナンは内心で毒づいた。
別に、お金が欲しかった訳じゃないし、こういう場合のご飯は、ポアロでと相場が決まっているので、別に餓える心配はないのだが。
何となく、小五郎がコナンをどういう風に捉えているのか見えたような気がして、情けなかったのだ。


11時になると、蘭が溜息をつきながらエプロンを取った。
いよいよ、出かけるのだ。

小五郎が、そっと立ち上がり、新聞を手にしたまま、蘭のあとをつけ始めた。
コナンは、小五郎に着いて歩きながら、

『おいおい。それじゃ、かえって目立っちまうぜ』

と、内心突っ込みを入れていた。
確かに、小五郎の尾行は非常に目立ち、道行く人が目を丸くして見ているが。
幸いと言うのか何と言うのか、上の空である蘭は、全く気付いた様子もない。

英理のマンションにほど近いところまで来たとき、蘭がふっと振り返るような仕草をした。
コナンは、慌てて小五郎の袖を引っ張った。

「おじさん、蘭姉ちゃんがこっち見てる、隠れて!」
「お、おう・・・って、オメー何でここにいんだ?」
「へっ?何でって・・・」
「ガキは大人しく留守番してろ!」

小五郎に頭を思いっきりゲンコツで殴られて、コナンは頭を押さえた。
いつもだったら派手に

「いって〜〜っ!」

と叫ぶところだが、今日は自重している。
肝心の蘭に、気付かれてしまったら困るからである。

蘭はやっぱり上の空のままで、何も気付かない様子で、重い足取りで歩いている。

それにしても、コナンがついて来ている事に小五郎は気付かなかったのかと、コナンは内心呆れ返っていた。
小五郎に睨まれて、コナンは踵を返した。

小五郎と別行動なら、それでも良い。
今は子供の姿である事を逆手に取って、利用する方法ってものもある。


コナンは、取って返して着替えると、12時前には、レストラン「カリオストロ」の前に着いていた。
早くに入ろうとしてしまうと、レストランのボーイからつまみ出される恐れがある。
蘭達が入ったのを確認してから、行動を始める積りで、物陰に隠れていた。


   ☆☆☆


「蘭ちゃんは、まだ高校2年生なんだってね」
「はい・・・」
「シッカリして見えるから、そうは思わなかったよ」
「え・・・?」
「友人には、ロリコンって笑われるかな?」
「あ、あの・・・」
「でも、素敵だと思う子には、早くアプローチしとかなきゃね。でないと、どこの誰に取られるか、分からないから」

蘭の向かい側にいる男は、先程から喋りまくり。
蘭は、何を言ったら良いのかも分からずに、困惑していた。

「じゃあ、蘭。後は宜しくね」

英理がそう言って、立とうとする。

「えっ!?お母さん、ずっと一緒にいるんじゃないの?」
「こういう場合、若い人同士を2人切りにするのが、パターンというものでしょ?それじゃ」

英理は立ち上がり、その場を出て行った。
そして蘭は、途方に暮れる。
目の前にいる、若い弁護士・竹山雄大の方を、そっと窺い見た。

すると。

『あれ?』

彼は、英理が去って行ったドアを、じっと見詰めていた。

『何だ・・・この人って。もしかして・・・』

蘭は、今までの緊張が抜け、ホッと息をついた。

「竹山さん。母は、弁護士としては妃を名乗ってますけど、離婚している訳じゃないんですからね」

蘭の言葉に、竹山は振り返った。

「ありゃ。ばれたんだ?」

竹山は悪びれず、ちょっと舌を出し、面白そうな表情をした。
その目は笑っているが、何だか底が知れない。
蘭は思わず、後ろに下がろうとして、椅子がずれた。
気持ちを奮い立たせて、声を出す。

「娘をダシにして母に近づこうなんて、いい度胸じゃないですか」
「いや。確かに俺は、英理さんに惹かれているよ。で、英理さんの娘である君に興味を持った、それは事実だ」
「えっ・・・?」
「やっぱり。君は、英理さんの娘だね。興味深い」

竹山の目が細められ、蘭は背中がぞくりとした。
この男は怖い。
何故だか分からないけれど、怖い。

『新一・・・』

蘭は、心の内で、今はここにいない男の名を呼んでいた。
新一の顔を思い浮かべ、気持ちを奮い立たせて言葉を紡ぐ。

「わ、わたしは・・・す、好きな人がいるんです!」

ここで、「恋人がいる」と、嘘でも言えないのが、蘭のバカ正直なところだった。

「好きな人ねえ。片思いじゃ、仕方ないでしょ?次の恋に進む努力しなきゃ」

竹山の目が、面白そうに細められる。

「か、片思いだって、決まった訳じゃ、ありません!わたし、告白してないし、も、もしかしたら・・・!」

蘭は泣きそうになりながら、でも決して泣くまいと、顔に力を入れ、竹山を見据えて言葉を続けた。


蘭が知る限り、新一に恋人はいない。
そして、蘭が知る限り、新一が一番親しい女性は蘭で。
意地悪な事もあったけれど、いざという時は必ず助けてくれて、優しくて・・・とても大切にされていたのは、間違いない、と思う。

そう、新一は蘭を大切にしてくれていた。
それは、幼馴染に対してなのか、近しい友人としてなのか、分からないけれど、大切にしてくれていた。

けれど、今、その新一はいない。
蘭の傍に、いない。

蘭は新一の事が大好きだけれど、新一が蘭をどういう風に見ているのか、分からない・・・というより、自信がない。
嘘でも、新一の事を恋人だとは、言えない。


「ふふっ。告白してないから、もしかして・・・か。でも、それなら蘭ちゃんは何故、ここに来たの?お見合いだって事は、分かってたんでしょ?」
「そ、それはっ!」
「英理さんに逆らう事が出来ないから、だよね?」
「え・・・?」

竹山の思いがけない言葉に、蘭は目を見開いた。
背中を冷たい汗が流れ落ちる。

「以前、毛利小五郎さんが、証人として法廷に来た時の、君達一家の様子を拝見した。君は、お父さんへとお母さんへとでは、態度が違う。お父さんへは遠慮なくモノが言える。だけど、お母さんには、嫌われるのが怖くて、捨てられるのが怖くて、逆らえない。だろ?」

蘭は、身震いした。
何故、この男が怖いのか、分かったような気がした。
この男は、蘭が心の奥底に隠し持っていたものを、無理やりこじ開けて暴こうとしている。

蘭は立ち上がり、首を横に振りながら後退った。

「いや・・・助けて・・・新一・・・」

その時。

「蘭姉ちゃん、どこォ!?」

子供の叫び声が響いた。


蘭の表情が、ホッとしたものに変わる。


「コナン君!」

蘭が立ち上がり、個室を飛び出して行った。


「おやおや。小さなナイトのご登場か。大きい方のナイトは、来ないのかな?」

竹山の言葉が、蘭に届く事はなかった。


蘭は、個室前の通路で、コナンの姿を見つけた。

「コナン君!どうしたの!?」
「蘭姉ちゃん・・・ボク、お腹すいたよ」
「ええっ!?」
「だって、おじさんも出かけてしまうし、阿笠博士は留守だし、ボク、お金ないんだもん!」
「お父さんったら、コナン君に昼ご飯代も渡さなかったの?」

蘭がコナンに駆け寄り、抱きあげた。
すると、コナンは蘭の耳元で言った。

「蘭姉ちゃん。今日のボクは、新一兄ちゃんの代わりだからね」
「えっ!?」
「新一兄ちゃんから電話があったんだ。蘭がとっても困っているようだけど、オレはどうしてもそっちに行けねえから、オレの代わりに蘭を守ってやってくれって」
「・・・新一が・・・?」

蘭は、息を呑む。
その目から涙が零れ落ちた。

「蘭姉ちゃん?ボクじゃ、役者不足かもしれないけど・・・」
「ううん、ううん!そんな事・・・!」


新一が、どこまで分かってくれたものかは、わからない。
けれど、コナンに「蘭を助けてやってくれ」と頼んだのは、新一が少しでも蘭を大切に思ってくれているからだろうと、思う事が出来た。

蘭が、コナンを抱き下ろすと、コナンは蘭の手を引っ張って、元の個室の方へと向かう。

「蘭姉ちゃん!本当にご馳走してくれるの!?」

そう言いながら、コナンはドアを音を立てて開けた。


「じゃあ、コナン君。ここに座って」
「うん!」

竹山の存在を無視したように、蘭は自分の隣の椅子にコナンを腰掛けさせ、目の前に蘭が手をつけていなかった食べ物を並べた。

「参ったね。俺はよっぽど嫌われたみたいだ」

竹山はそう言って溜息をついて見せたが、さほど残念そうな表情はしていない。
竹山への敵意を隠そうとしない子供に、面白そうな眼差しを向ける。

「竹山さん。工藤新一って、知ってる?」
「・・・まあね。日本警察の救世主とか言われている、高校生探偵だろ?そんな称号は、日本の警察がいかに情けないか、世間に曝しているようなもんだと、思うけどね」
「その、新一兄ちゃんから、伝言。『蘭はオレの女だから、手を出すな』ってさ」
「えっ!?」

蘭が、真っ赤になった。

「こ、コナン君!新一が本当に、そんな事、言ったの?」
「うん!蘭姉ちゃんはきっと、男と会ってる筈だから、相手の男にそう伝えてくれって、頼まれちゃったんだ」

コナンは、蘭に対しては満面の笑顔を向けて、言った。

「・・・単刀直入に、言ってくれるねえ。でも、坊や。見たところ、君も蘭ちゃんの事を好きみたいだけど。良いのかい、工藤新一君に義理立てをして?」
「・・・新一兄ちゃんなら、イイよ。だって、蘭姉ちゃんが新一兄ちゃんのお嫁さんになったら、蘭姉ちゃんは、ボクの本当のお姉さんも同然に、なるんだから」

コナンは、ジュースを飲みながら、そう言ってのけた。
蘭は、こういう場合だと言うのに、「新一兄ちゃんのお嫁さん」という言葉に反応して、ほわほわと夢見る瞳になっていた。
その時、突然ドアが開いた。


「コナン君!もう、一体何を考えてるの!?ここは、子供が来て良いような場所じゃ、ないのよ!」

顔を覗かせたのは、英理である。

「いやいや、良いんですよ、妃さん。蘭さんは、赤の他人の居候の子供を、弟同然に可愛がってあげるような、心根の優しい女性だって事が分かって、俺としても嬉しいです」

竹山は笑顔で英理に向かって言った。

「竹山君、ごめんなさいね。あの人も気が利かないったら。コナン君、お昼ご飯ならポアロに頼んで・・・」
「・・・子供の気持ちを踏みにじるのが、大人のやり方だって言うのなら、ボクは、大人になりたいとは思わないよ」

コナンが、英理の言葉を遮り、今迄とはまた違った口調で、言った。

「コナン君?」

蘭が、戸惑った声を上げる。

「聞き捨てならないわね。いくら子供でも、言って良い事と悪い事があるわよ」

コナンの言葉に、英理が険しい表情を向けた。
蘭はおろおろとし、竹山は面白そうに一同を見ていた。


「だって。今日のこれ、蘭姉ちゃんの意思を無視した、お見合いじゃない」
「あのね、コナン君。あなたが何をどう思ったか知らないけど。昔のドラマじゃあるまいし、別にお見合いだからって、必ず結婚しなきゃいけない訳じゃないの。私は、蘭と、このお兄さんを、ただ引き合わせただけで。嫌がる蘭に、無理矢理お嫁に行けって言ってるわけじゃ、ないのよ?」

恵理が、頬をヒクヒクさせながら、言った。

「もしも。今回のお見合い、おじさんから言われたんだったら、蘭姉ちゃんは断わってる」
「えっ?」

恵理が怪訝そうな顔をした。

「でもね。おばさんからの話だったから、断れなかった。何でか分かる?」
「こ、コナン君・・・」

蘭が、震える声でコナンに呼びかけた。
それに構わず、コナンは言葉を続ける。

「蘭姉ちゃんは、昔、おばさんから捨てられた」
「す、捨てたなんて!私はただ、あの家を出ただけで、蘭を見捨てようなんて思った事は!」
「おばさんが、その積りじゃない事は、今の蘭姉ちゃんになら、分かってるよ。でも、当時の蘭姉ちゃんにとってみれば・・・!」
「コナン君・・・」
「おばさんに逆らったら、言う事を聞かなかったら、見捨てられるかもしれない。その恐怖が、蘭姉ちゃんの心の奥に、ある。だから、蘭姉ちゃんは・・・。」

一同、コナンの7歳とは思えない物言いに、思わず黙り込んでしまっていた。

「って。これ全部、新一兄ちゃんが言ってたんだけどね」

コナンは突然、無邪気な笑顔になって、言った。

「コナン君。本当に、新一がそんな事を?」
「うん!新一兄ちゃんは、小さい頃から蘭姉ちゃんの事を知ってるから、だから分かるんだってさ」
「・・・・・・」
「そう・・・新一君が・・・」
「でも。ボクにも、何となくわかるよ。ボクは、お母さんが迎えに来てくれたから、お母さんがボクをいつでも待っててくれるって分かってるから、安心して、蘭姉ちゃんの所にいられるんだ。もし、お母さんに捨てられるかもって不安だったら、こんな好き勝手、出来ないもん」

恵理が、どさりと椅子に腰かける。

「私だって・・・蘭に、寂しい思いをさせて悪かったとは、思ってたわ・・・でも・・・」
「お母さん・・・」
「新一君が、ずっと、蘭を支えてくれていたって・・・蘭の寂しさを癒してくれる存在だったんだって・・・私も、どこかで分かっていたの。なのに。蘭がいつしか、親の手を離れて、男性を愛する事を知って。私よりも小五郎よりも大切な存在として新一君を見ている事に気付いた時。私は、新一君に嫉妬したのよ・・・」
「えっ!?」

蘭は驚き。
さすがにコナンも、目を見開いた。

「蘭が新一君を、私より大切な存在だと思うようになっても、それは自業自得だったのにね・・・」
「ふん!なあにを、殊勝気に言ってんだよ、オメーはよ」

突然、かかった声に、一同は驚いた。
ドアの所に立って不機嫌そうな顔をして不機嫌そうな声を出しているのは、もちろん、蘭の父親の小五郎である。

「あ、あなた!?」
「お父さん!?」
「蘭も新一の野郎も、まだまだケツの青いガキだ。愛だの恋だのは、100年早い!」
「あなた・・・100年だなんて、今の私達よりずっと年じゃないの。その頃には2人とも年老いて死んでるわ」
「ええい!言葉の綾に、茶々を入れるな!新一の野郎はもちろんだが、このすかした竹下にも、蘭をやる気はねえぞ!」
「お父さん。竹山です」
「お前にお父さんなんて呼ばれる筋合いは、ねえ!」

小五郎の乱入で、場はまた別の雰囲気へと変わって行った。


「あなた。竹山君はね、まだ若いけど有能で将来有望な、弁護士なのよ。蘭の相手としては、不足はない・・・むしろ充分お釣りがくる位だと思うわ。あ、もっともそれは、条件だけの話で・・・人柄がどうなのかは知らないし、それに、蘭の気持ちを無視してどうこう言う積りは、ないんだけど・・・」

英理は、途中蘭にちらりと視線を向けながら、言った。

「そういう野郎が、何でまだ高校生の蘭に、興味を持つんだ?おおかた、オメーと縁続きになれたら有利だなんて考えてんじゃねえのか?」

『はは・・・おっちゃん、相変わらず、おばさんと蘭の事に関しては、鋭い・・・』

コナンは、蘭の財布にあらかじめ盗聴器を仕込んでおいたので、コナンが部屋に入る前の竹山と蘭との会話を不鮮明ながら耳にしていた。
本当は服の襟裏にでもつけたかったところだが、服は着替えるのが確実だと分かっていたからである。

「お母さん!」

突然、蘭が凛とした声で呼びかけた。

「は、はい」

今迄にはない蘭の態度に、英理も、今まで蘭に対しては出した事のない声で、返事をする。

「わたしは、将来の事は自分で決めます。誰と付き合うか、誰を伴侶とするかって事も、含めてね」
「蘭・・・」
「おい、蘭、オメー!」
「お父さんは、黙ってて!」
「は、はい・・・」

小五郎は蘭から一喝されて、しゅんとなる。

「勿論、お付き合いや結婚は、相手あっての事だから、わたしの思い通りになるとは、限らないけど。でも、意に染まぬ相手と結婚する位なら、生涯独身を通すわ」
「ら、蘭、それは・・・!」
「でもね。わたしにとって、お父さんもお母さんも、とても大切な、かけがえのない存在なの。それだけは、生涯変わる事のない、確かな事だから」

小五郎も英理も、目を見張って蘭を見た。
突然、凛とした雰囲気をまとい始めた蘭の姿に、コナンも思わず口を開けて見惚れていた。

「それじゃ。お食事も終わった事だし、そろそろ帰りましょう」

蘭がにっこりと笑って言った。
誰も、異を唱える者はない。

「じゃあ、コナン君、帰ろっか」

そう言って蘭はコナンに手を差し出す。

「うん!」

コナンも笑顔で蘭の手を握り、2人仲良くその場を去って行った。


「・・・新一君の最大のライバルは、あの子じゃないかって気がするわ」
「あ?何言ってんだ。あのガキが成人した時、蘭はもう三十路だぞ」
「それでも、待つ価値はありそうよ。ま、でも多分、そういう事にはならないでしょうけどね」

そう言って英理は笑った。

「ところで、あなた。この個室を借り切っている時間、もう少しあるんだけれど。お昼がまだなら、せっかくだから、頂いて行かない?」
「ちっ、仕方ねえな。けど・・・あん?竹上は、どこ行った?」
「竹山君よ、あなた。もうとっくに、いなくなっているわ」


その後、小五郎と英理がどう過ごしたか、それはご想像にお任せする。


   ☆☆☆


「いやあ。やっぱり、興味深いなあ、君は」

蘭とコナンが手を繋いで店を出ると。
いつの間にか、そこに立っていた竹山から、声をかけられた。

「どう?その子もコミで良いから、お茶でも」
「お気持ちだけ、頂いて置きます」

蘭は軽く微笑むと、その場を去って行こうとする。
その後ろ姿に、竹山は更に声をかけて来た。

「その・・・コナン君だっけ?工藤新一君に、伝えといて」
「は?」

コナンが思わず振り返った。

「蘭ちゃんの事、理解してあげられるのは、君だけじゃない。幼馴染みとしての歴史に、負ける気はないってね」
「・・・・・・」

コナンは、返事をしなかった。
蘭が、コナンの手をぎゅっと握りしめ、歩調を緩めずに歩き続けた。
コナンは慌てて前を向いた。



「幼馴染みとしての歴史だけじゃ、ないから」
「えっ?」

コナンが蘭の顔を見上げる。
蘭は、前を向いたまま、コナンにだけ聞こえる声で、話をする。

「新一がわたしの事を分かってくれるのは、幼馴染みの歴史があるからかも、しれない。でもね。わたしが新一の事を好きなのは、新一がわたしの事を理解してくれてるからじゃない。幼馴染みとしての歴史だけじゃ、ないの」
「そ、そう?」

蘭が立ち止まり、コナンに向かってにっこり笑う。

「でもね。これ、新一には、内緒だよ?」
「う、うん・・・」

コナンは、頬を染めて頷いた。
蘭は、もう一度にこりと笑うと、再び前を向いて歩き出した。

全てを見通しているようなコナンだけれども、蘭の事は、どうも分からない。


コナンとなった時に、蘭の「気持ち」は、はからずも聞いてしまったので、蘭が思いがけなく新一の事を好いてくれている事は、知っているが。
蘭が新一を好きな理由なんて、想像もつかないし。


それに。
今日、最初は何となくオドオドしていた蘭が、何故急に、凛として揺るぎない雰囲気をまとい始めたのか、そこが分からなかった。


「あ、いっけない!」

家に近付いたところで、突然蘭が足を止めて、言った。

「なに、蘭姉ちゃん?」
「お母さんの所に、着替えを忘れて来た」
「あ・・・」
「でもま、いっか。またいずれ取りに行けば良いんだもんね」
「・・・蘭姉ちゃん。せっかくだから、写真、撮ってあげるよ」
「えっ?」
「その服、暫く着る事もないでしょ?」
「う、うん・・・」

コナンが、携帯を構え、蘭の写真を撮る。

「せっかくだから、コナン君も一緒に」

蘭が言って、今度は蘭の携帯で、2人の写真を撮った。


   ☆☆☆


その夜。
コナンは「新一」として、蘭に電話をかけた。

『もしもし。新一、どうしたの?』
「あ、いや・・・今日の事、気になってよ」
『コナン君と連絡取ってるんでしょ?今日の顛末、聞いてないの?』
「あ、まあ、一応、問題は何とか収まった事は聞いたけどよ。けど何かあいつ、内緒だの何だの言って、細かい事教えてくれねえんだよ」
『ふふっ。ねえ、新一。あれ、本当に新一が言ったの?』
「は?あ、あれって?」
『コナン君が、竹山さんに向かって言った事。その・・・蘭に手を出すなとか何とか・・・って・・・』
「ばっ!か、勘違いするなよな!オメーが困ってるようだからなあ!助ける為に、口実として、そういう風に言えってコナンに言っただけで!」
『失礼ねえ。勘違いなんかしてないわよ!新一がお得意の推理で、わたしの状況を分かって助けてくれたって事でしょ?分かってるわよ、そんな事!』

どうして、コナンとしてなら素直に言える諸々が、新一としてだと素直に言えないのだろうと、コナンは内心苦笑する。

素直になれないのはお互い様で。
蘭もコナンになら素直に自分の気持ちを言えるのに、新一に向っては憎まれ口を叩く。
だからこそ、新一はコナンになるまで、蘭がまさか、自分の事を好いてくれているなどと思ってなかったのだが。

そういった事を冷静に考える事も、コナン@新一には、出来ないのであった。

『でもね。助かったのは、事実だから。新一・・・ありがとう』
「い、いや・・・その・・・そうだ、今日のオメーの格好、結構いけてたぜ」
『えっ?』
「馬子にも衣装って感じでよ!」
『!もう、それって褒め言葉なの!?第一、見てたんなら、コナン君を代理になんかせずに、来てくれてもイイじゃない!』
「あ、いや、そっちに行った訳じゃなくって・・・コナンが写メ送って来たんだよ!」
『あ、そうか・・・』
「行ける位なら、苦労はしねえっての!」
『ねえ、新一・・・今いるところって・・・』
「あん?」
『こっから、遠いんだよね・・・』

突然の話題の転換に、コナンは戸惑う。

「ああ・・・まあな・・・」
『星は、見える?』
「・・・今夜は晴れてるな。けど、そっちと同じで、街灯りで明るい星しか、見えねえぜ」
『そう。じゃ、今、同じ空見てるんだね』
「あ、ああ・・・」

不意に、コナンの胸に、切ない想いが広がる。

同じ空を見ているどころか。
今、すぐ近くにいるんだと、言いたかった。
言ってしまいたかった。

『新一。明日も、事件の捜査なんでしょ?』
「あ、ああ・・・」
『体に気をつけてね。じゃあ、お休みなさい』
「ああ、お休み」


コナンは、携帯を切り。
毛利探偵事務所の窓から、空を見上げた。


叶うものなら、今日は「工藤新一」としてお見合い現場に乗り込み、そのまま蘭を攫って行きたかった。
今、それが出来ない我が身が、恨めしい。
コナンは、自分の小さな手を、じっと見詰め、ぎゅっと握りしめ。

「くそうっ!」

壁を叩いた。

竹山が本気で蘭に興味を持ち始め、諦めてなどいない事は、分かっている。
早く、仮初めではなく、本当に元の姿になって蘭の傍に戻りたいと、コナンは決意を新たにした。


   ☆☆☆


蘭は、幸せな気持ちで、「新一との」電話を切った。

「あの言葉・・・本当に新一が、言ってくれたんだ・・・」

新一の言葉は、嘘というか、方便といったものだろう。
けれど、嘘の言葉の中に、蘭を気遣い守ろうとする真実は、確かにあった。

新一が、蘭の窮状を察し、自分が動けない為に、コナンに代理を頼んだ。
新一は蘭の事を大切にしてくれているし、何かあれば蘭を助けてくれる。
今はそれだけで充分だと、蘭は思う。


誰も、知らない。

「蘭はオレの女だから、手を出すな」

蘭を支え強くしたのは、蘭が「嘘でもいいから言って欲しい」と願っていた、新一の言葉だったという事を。




Fin.


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<後書き>


このシリーズ。

とっても大まかな構想はあります。
いや、構想という程のものではなく、2人の歴史を追う、ただそれだけなのですが。

お題をどこでどういう風に使うか、に関しては、いまだに混沌としている部分があります。


この「嘘でもいい」というお題は、お題に関する部分は案外あっさり決まりました。

蘭ちゃんが、「嘘でもいいから新一君に言って欲しい」と願う言葉って事で。


でまあ、蘭ちゃんの見合いをコナン君が邪魔して、その際に蘭ちゃんが願っていた言葉を伝聞という形で出す。
ってところまでは、簡単に決まったのですが。

大した話でもないのに、なかなか続きが書けませんでした。


今回出て来たオリキャラの竹山さんは、たぶん今後も、出る事になると思います。
蘭ちゃんは、いささかも竹山氏に「心惹かれた」訳ではないのですが。
新一君以外で、蘭ちゃんの心の奥にあるモノを覗き見た男性という事で、恐怖感を持つんですね。

今後、ある意味、新一君にとって手ごわい相手になるかも・・・です。


このお話は、何気に5と繋がっています。
5は、七夕のお話なんで、その後日である8は、七夕話に出来なかったですね。

この8話で、今年のマジックファイルのネタを出そうかと思いましたけど、止めました。
あれは、映画と関連するエピソードとして作られているし(まあ、充分に、「無関係な独立したエピソード」として、見られるけど)。
一応このシリーズは、「映画のお話はなかった事にする」という原則なので。

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