Happy Birthday(2006年工藤新一お誕生日記念小説)
〜THE SALAD DAYs番外編〜




byドミ



「ギャー、フギャー、アアアアン・・・」

大きな屋敷の中で。
赤ん坊の泣き声が響き渡る。

「ん〜?この泣き方は、おなか空いたんでしゅね〜、翔ちゃん?」

慣れた手つきで赤ん坊を抱き上げるのは、うら若き女性。
あどけない美貌に母性の優しさを滲ませた、この家の主婦、工藤蘭である。

泣いている赤ん坊は、蘭が産んだ初めての男の子で、名前は翔。
12月末に生まれた翔は、現在4ヵ月半ほどになり、すくすくと育っていた。

蘭が早速胸をはだけ、赤ん坊に乳を含ませると。
翔はコクコクとおっぱいを飲み始めた。

暫くして、充分に満腹した翔は、すやすやと寝息を立て始める。
蘭はそっと、ベビーベッドに我が子を横たえた。


蘭が柔らかな笑顔で、飽かず翔の顔を見ていると。
電話の着信音がして、蘭はそっとその場を離れた。


「もしもし?」
『あ、蘭。オレだけど・・・』
「新一?どうしたの?」
『ちょっと行き詰ってて・・・解決に時間がかかりそうだ』

蘭は心臓がドキリと大きな音を立てるのを感じた。
蘭の夫である工藤新一は、帝丹大学に籍を置く学生であり、同時に仕事として報酬を得る探偵活動をやっているのだった。

蘭は、探偵として優秀な新一の事を誇りに思っているし、その活動が忙しい事にも理解を示している。

けれど、今日は・・・正確には、出来れば今夜日付が変わる前には、帰って来て欲しいという思いがあった。


「新一・・・泊りがけになりそうなの・・・?」

蘭は、声が震えそうになるのを必死で抑えようとしながら、そう言った。
目が潤んで、涙が盛り上がりそうになるのを懸命に堪える。

すると、電話の向こうから夫の優しい声がした。

『いや。どんなに遅くなっても、必ず0時前には帰るよ。だから・・・寝てても良いけど、待っててくれよな』
「う、うん・・・」
『蘭?どうした?大丈夫か?翔の世話、1人で大変じゃねえか?』
「ううん、大丈夫だよ!いざとなったらお母さんもいるし」

蘭が、ついつい心細げな声になってしまったのは、育児が大変だからではなく、別の理由があったのだが。
今は新一にそれを気付いて欲しいのか欲しくないのか、蘭は自分でも良く分からなかった。


ベビーベッドのところに戻ると、翔は手近なおもちゃを手に持って1人遊びをしていた。
時に足の指しゃぶりをしたりする赤ちゃんの体の柔らかさには、感心してしまう。

時々翔は体を突っ張り、寝返りを打とうとするかのような動作をする。
けれど、まだ寝返りを打った事はない。


「でも、そろそろかもね・・・翔・・・どうせなら、新一と私の目の前で、初寝返りを打って見せると、嬉しいな。新一、きっと喜ぶから」

日々すくすくと育つ翔の成長は楽しみではあるけれど。
この先病気も多くなるだろうし、蘭も学業に復帰する予定(蘭も帝丹大学生であるが、現在子育て休学中)なので、多分色々と大変になるのだろう。
それでも、新一と結婚して、この子を授かって、とても幸せだったから。
何があっても乗り越えていけそうな気がしている。



蘭は、この場にいない新一の事を思った。
翔が生まれた後暫くは、仕事も控え気味にして蘭を支えてくれた夫であるが、最近は再び忙しく飛び回っている。

蘭は、それが不満な訳ではない。
自営業だから、収入を得る為にはそれだけ仕事をこなさなければいけない面もある。

ただ、新一はよほどでない限り毎晩帰って来て傍に居るのに、新一が目の前にいない時に時折、新一に会いたい、抱き締めて欲しいと、強く思ってしまう事があるのである。

「こんな風に、子供より夫の事が気になってしまう私って・・・母親失格かなあ?」

蘭は翔を見詰めながらそう呟いた。
翔は日増しに新一に似てくる。
蘭は、翔を通して新一の面影を追う事のある自分に気がついて、赤面する事もあるのだった。


育児の為に休学中の蘭は、今現在日曜祭日が殆ど関係ないし。
夫の新一は、日祭日に学業はお休みになっても探偵活動はより忙しくなったりするのだが。


今は世間でゴールデンウィークと呼ばれる大型連休の真っ最中である。
蘭は、祭日には興味がない。
憲法記念日である今日よりも、今夜0時に変わる日付、世間では「国民の休日」とされている日の方が、ずっと大切であった。



以前は毎回器用にこの日の意味を忘れていた新一だったが。
今年は、覚えているのだろうか?


   ☆☆☆


「ただいま、蘭」
「お帰りなさい、新一」

新一は、約束した通り、日付が変わる前に帰宅した。
出迎えた蘭を軽く抱き締め、唇に触れるだけのキスを贈る。

「翔は?」
「寝てる」
「ちょっとだけ顔を見てくっか」

新一は2階の子供部屋に向かいそっとドアを開け、ベビーベッドで眠る翔の姿を見詰め、その頬に軽く口付けた。
そして、軽い食事の支度をしているダイニングの蘭の元へと戻った。

「翔ね。時々寝返りを打ちそうな感じなのよ」
「そうか・・・もう5ヶ月だもんな。早い子は寝返りを打てるようになる。けど、個人差あるから、焦るなよ?」
「焦ったりはしてないわよ。でも新一、よくそんな事知ってるわね。それも探偵に必要なの?」
「バーロ。本気でそう思ってんのか?」
「・・・ううん、思わない」

新一は、知識を頭に詰め込み薀蓄(うんちく)垂れのところはあるけれど。
決して頭でっかちではなく、実践も応用も出来る柔軟性を持っている。

新一が父親として、子育ての為に、忙しい中でも情報収集を怠っていないのを、蘭は知っている。
そしてそれが、決して単なる知識だけに留まっているのではない事も。


新一は食事を済ませると、リビングに移り、2人でゆっくりお茶を飲む事にする。
たとえ日々どんなに忙しくとも、こうした夫婦水入らずの時間を、2人は大切にしていた。


新一が手招きして、蘭は新一の隣にちょこんと座る。
新一は蘭の肩を抱き寄せながら、低い優しい声で言った。

「蘭。いつも忙しさにかまけてオメーに任せっ切りで、わりぃと思ってる。でも、出来る限りの事はやろうと思ってっから・・・オメーも辛い時は、溜め込まねえで、言ってくれよ」
「うん、分かってる。今のところ、溜め込む程の事はないから、安心して?」
「・・・なら、良いけど。オメー・・・」


新一が何かを言いかけた時。

リビングのレトロな大時計が、時を告げる大きな音を立てた。
普段は、音が出ないように設定してあるのだが、今日は蘭が昼間のうちに、その設定を解除していたのだった。


蘭は、新一の目を見詰めながらにっこり笑って、囁いた。

「ハッピーバースデイ、新一。21歳の誕生日、おめでとう」

新一は、ちょっと目を見張ると、蘭以外の者が滅多に目にする事のない柔らかい笑顔になって答えた。

「ありがとう、蘭」

そして、どちらからともなく顔を寄せ、口付け合う。
そしてそのまま、お互いを抱き締め合った。


「ねえ新一」
「ん?何だ?」
「・・・今年も、覚えてたの?」
「ん?ああ・・・まあな・・・」

蘭はくすりと笑って、ちょっと離れて新一を見詰めた。

「変なの。あの時までは毎年、忘れてたくせに・・・」


蘭が言う「あの時」とは、新一が薬の為に子供の姿になり江戸川コナンと名乗っていた時の、新一の17歳の誕生日を指している。

扉を隔てて背中越しに、もうこれが最期と思って告げた「ハッピーバースデイ」。

あの時扉の向こうに居たのは、コナンの姿をした新一であった事も。
爆弾を仕掛けたのが森谷帝二であり、蘭が「新一も私もラッキーカラーが赤」と言ったのを受けて、悪意を持って赤い導線をトラップとしていた事も。

全ては後になって知った事である。


新一は、蘭の誕生日は忘れた事がない。
クリスマスなどの行事の日も、何のかんの言いながら、本気で忘れていた事はない。

バレンタインデーについては・・・新一は知らない振りをして実は意識していたのだと知ったのは、蘭が新一と付き合い始めてからの事である。


けれど、何故か新一自身の誕生日は、毎年本気で忘れていた。
それを思い出させるのは、蘭の役目だったのだ。


けれど、蘭と恋人同士になった後、18歳から先の誕生日は、どうやら毎年覚えているようなのである。

18歳は、節目だから覚えていると言った。
その「節目」とは、法律上親の許可があれば、蘭との結婚が可能だという意味だったという事を、新一と本当に18歳同士で結婚する事になった時に、蘭は聞かされた。

19歳の誕生日は、大学入学直後でもあり、新一が自宅に探偵事務所を開設したばかりでもあり、世間にお披露目する結婚式を控えてもいたので、バタバタしていたけれど。
それでも何故か新一は、誕生日を覚えていてその日は意識して蘭と共に過ごした。

そして昨年、20歳の誕生日は、やはり新一は覚えていて自宅にいたのだが。
その日は蘭が翔を身ごもっている事が分かった、めでたい日でもあったのだった。

思い返せば、別に理由があってもなくても、新一はあれ以来、自分の誕生日を忘れていないし、とても意識しているようだと、蘭は思った。

蘭の物思いが聞こえたかのように。
新一がその事について語り始めた。

「・・・オレにとって、オレ自身の誕生日は、あんま意味がねえ事だったから、どうしても優先順位が低かった。・・・でも、あの時以来、オレは何があっても誕生日にオメーの傍にいなきゃならねえって、思うようになった。だから、忘れる訳には行かなくてさ」
「え・・・?」
「ん〜、まあ、誕生日を忘れるとロクな事にはならねえらしいって、少しは学習したって事だよ」

新一は最後の方はおどけた調子で言って、冗談に紛れさせてしまい、それ以上を語ろうとしなかったが。

蘭は突然、分かった。
分かってしまった。

新一は、蘭にとってあの17歳の誕生日がトラウマになっているのだろうと、気遣い続けてくれていたのだ。
だから、蘭を苦しめない為に、新一はそれ以後、自分の誕生日を忘れずに、必ず蘭と共に過ごそうと努力して来ていたのだった。

新一にはそういうところがある。
いつもいつも蘭を守ろうとしてくれているのに、同時にそれを蘭に気付かせないように気を配ってもいるのだ。


蘭は黙って新一の胸に顔をうめた。
涙が零れ落ちそうになり、それを新一に見られたくなかったから。

「蘭?」
「・・・何でもないの・・・」

新一の手が、優しく蘭の髪と背中を撫でて行く。

「泣くなよ。オメーに泣かれるとホント困るんだって・・・」
「新一・・・これは、辛い涙じゃないから・・・だから、泣かせて・・・」
「蘭?」
「新一。生まれて来てくれて、ありがとう。出会ってくれて、ありがとう。私を愛してくれて、ありがとう・・・」
「蘭・・・」

新一は、蘭の体を少し離すと、照れたような笑顔で蘭の顔を覗き込んで、言った。

「バーロ。それは、オレの台詞だって」
「新一・・・」

2人は再び口付けを交わし、それがやがて深いものになって行った。


   ☆☆☆


翔の様子を見て、2人は寝室に向かった。
翔の部屋と2人の寝室とはすぐ隣で、扉は開け放たれている。

翔の泣き声がしたらすぐに駆けつけられるようになっているのだ。

新一は、いつものように蘭の額に軽く口付け、そのまま布団に潜り込もうとした。
けれど、蘭が新一の寝巻きの裾を捉えてそれを制した。

「蘭・・・?」
「新一・・・お願い・・・朝までずっと、抱き締めていて・・・」
「?いつも、そうしてっだろ?」
「違うの違うの、そういう意味じゃないの・・・」

蘭はそれ以上を口に出せず、泣きそうになる。


新一と深い関係になってから、もうすぐ3年になる。
それでも蘭は、自分から誘うという事が恥ずかしく躊躇われる事だった。


そして新一は。
以前は、差し障りのある日以外は毎晩、蘭に触れない事などまずなかったのに。
蘭の出産前から今に至るまで、同じ寝床で寝ながらキス以上の事をしようとはしない。

それは、新一が蘭を大切に思う故であるとは重々承知の上で。
翔の出産後、4ヶ月以上が経ち、とっくに体も回復している蘭としては、新一に触れて欲しくてもやもやする時もあるのだった。

新一は、蘭をそっと抱き締めながら、言った。

「あのさ、蘭・・・」
「ん?」
「その・・・授乳中は本能的に性欲が減退して、触れられるのも嫌になったりするって聞いた事があるんだけど・・・大丈夫なのか?」

新一の、蘭を窺うような様子に、蘭は少しばかり脱力した。

「もしかして新一、それで私が産褥から回復した後も、ずっと・・・?」
「うん、まあ・・・」
「あのね、新一。子供の成長に個人差があるのと同じで、こういう事にも個人差があると思うのよ」
「・・・だな。蘭にきちんと確認もせず・・・悪かった。でもじゃあ・・・いいのか?」
「何度も言わせないで」

蘭は羞恥に赤く染まりながら、言った。

「いやそれにしても、誕生日プレゼントが蘭自身だったとは。こりゃ、参ったなあ」
「んもう!別にそんな意味じゃないんだから!」
「・・・わーってるよ。蘭・・・でもな・・・本当にオレにとってはそうなんだ・・・」

振り上げた蘭の手は柔らかく掴まれ。
新一が、蒼く見える真剣な眼差しで蘭を見詰める。

「あの18歳の誕生日、オメーがオレにくれたものは、共に生きて行くという約束だった。それからずっと、誕生日の度に。オメーがオレに傍に居てくれる、その幸せを改めて感じさせられる。オレにとって、それが1番の贈り物なんだ・・・」
「新一・・・」


新一の18歳の誕生日、新一は蘭にプロポーズして、2人は未来の約束を交わした。
その時は、結婚はもう少し遠い未来だと、2人共に思っていたのだが。
色々あってその夏高校在学中に、2人は正式に夫婦となり、今日に至る。

蘭が傍に居てくれる事こそが幸せだと言い切る新一の言葉が面映いけれど、それは、蘭自身にとっても同じ事であった。

「新一・・・私も・・・新一が傍に居てくれる事が、1番の贈り物だよ・・・」


蘭は強い力で新一に抱き締められ、蘭の唇は、新一のそれで覆われた。

その口付けの甘さに蘭は身も心も蕩けていき。


そして2人は、数ヶ月ぶりに熱く甘い夜を過ごしたのであった。



Fin.


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<後書き>

私が初めて書いた新蘭小説は、2002年新一君お誕生日記念小説の短編「Birthday Present」(後に「THE SALAD DAYs」というタイトルでシリーズ化)でした。(私のコナン2次創作の第1作は「幸せな時間」、それはコ(新)蘭ベースではありますが、主人公は志保さんで、カップリングなしのお話です)

今回は新一君誕生日記念という事もあり、原点回帰の意味もあって、「Birthday Present」を意識し、シリーズ番外編、続きとして書きました。


若干補足をしますと、このシリーズは原作の「その後」をコンセプトに書いたものですが。
原作とはパラレル関係になっている映画の、第1作と第3作と第5作は確実に、「過去にあった事」として描かれています。

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