「ふふふ、出来たわ・・・これで今度こそ、怪盗キッド、いいえ、黒羽快斗は、私の虜・・・おっほほほほ!」
不気味な妖気を漂わせる大きな屋敷に、女の高笑いが響き渡った。
小泉紅子はこの広大な屋敷に、年を取った執事と2人で暮らしていた。
この不気味な屋敷の主とは思えない、若く美しい乙女である。
ただし、この屋敷に相応しく強大な魔力を持つ魔女――赤魔術の正当な継承者であった。
その美貌と魔力で、彼女を一目見た男は全て彼女の虜になる。
たった1人を除いては・・・(注:ただしまじ快界において。コナン界においては紅子様の虜にならない男は多いんじゃないかと作者〔ドミ〕は解釈しています〔笑〕)
大鍋では妖しげなどろどろした液体がグツグツ煮られており、何とも言えない甘ったるい香りが漂っている。
「紅子様。まだあの少年の事を諦めてなかったのですか?」
小柄な執事らしい老人が、若く美しい女主人に咎めるような声で言う。
「そうよ。あの男だけが未だに私の虜にはならない。そんな事は許せなくってよ。絶対に虜にして見せるわ!」
執事は、長い黒髪も麗しい女主人が黒羽快斗という少年に執着する理由がそれだけではない事に感付いていたが、何を言っても無駄だという事も解っていたので、それ以上何も言わずにただ溜息を吐いた。
バレンタイン・ラプソディ
byドミ(原案協力:東海帝皇)
工藤家の新妻・工藤蘭は、上機嫌で買い物に出かけていた。
既に入試は全て終わり、後は結果待ち。
本命も滑り止めも手応えがあり、発表はまだだが、おそらく大丈夫だろうと自信を持つ事が出来た。
夫である工藤新一は、まだ東都大の2次試験が控えているが、これは高校側から「合格者数アップの為に協力してくれ〜」と泣き付かれた為であり、今更受験勉強は必要としていない。
学校は卒業式まで自由登校になっている。
今日は2月13日。
蘭は、恋人達にとってはクリスマスと並ぶ冬の一大祭典の為の買い物に出ていたのであった。
☆☆☆
今年こそは新一に「本命チョコ」を渡せる。
蘭は腕によりを掛けて作ろうと、原材料も一流の物を張り切って買い込んでいた。
自由登校なので、今日という日は「サボリ」を決め込んでいた。
新一は逆に今日は登校している。
入試の直前準備のため行くようにと口実をつけ、新一を家から追い出したのだが、本音はチョコレート作りをしているところを新一に見られたくなかった為である。
もっとも、きっと新一にはバレバレに違いなく、苦笑しながら学校へと向かっていた。
「今年は絶対に『桃型のチョコ』なんて言わせないんだから!」
張り切って材料を揃えながらそう独り言を言って蘭はハッとする。
「新一・・・きっと判ってたよね。名前は入れてなかったけど、私が新一の為に作ってたって事・・・」
高校2年のバレンタインデーは、まだ幼馴染の関係で、「行方不明」の新一の為に山荘でチョコレート作りをした。
そのとき新一は、コナンの姿でずっと蘭のチョコ作りを見ていたのだ。
お互いに告げる事の出来ない言葉を抱えていた昨年のバレンタインデー。
「今年は幸せな気持ちでチョコを渡せるけど、何か、複雑・・・」
幼馴染な去年から、一足飛びに夫婦な今年になってしまった。
相手の気持ちを量りかねて、ドキドキしながら「義理よ」と誤魔化しながらチョコレートを渡すという事はもう出来ない。
でも、あの切ない思いを繰り返すのももう嫌だった。
「それに良く考えたら、もう夫婦になってるからって安心なんか出来ないわよね。新一、もてるし。この先、飽きられたりしないように頑張らなくちゃね」
やはり腕によりをかけて本命チョコを作ろうと張り切る蘭であった。
☆☆☆
蘭はチョコの材料選びにすっかり時間が掛かってしまい、慌てて小走りに店を出たところで、出会い頭にぶつかった相手が居た。
「あ!ご、ごめんなさい!!」
ぶつかった相手は、同じ年頃の女性。
長い黒髪、切れ長の瞳、赤い唇。
蘭が思わずボーっと見惚れてしまう位に美しく大人っぽく艶やかな女性であった。
「いえ、よろしいのよ。私もぼんやりしていたのですもの」
その女性は艶やかに微笑み、ぶつかった拍子に取り落とした小さな包みを拾い上げると、笑顔で会釈して去って行った。
蘭は暫らくボーっとしていたが、自分もぶつかった拍子に小さな包みを1つ落としていた事に気付き、拾い上げる。
昨日の内に作っておいた、少年探偵団たちにあげる為のチョコの1つ。
包みが汚れていない事と中身が割れていない事を確認して、そっとバッグの中に戻した。
明けて2月14日、江古田高校。
3年生は自由登校となっており、学校に来る者も少ないこの時期だが、この日だけは何故か結構登校者があった。
高校生活最後のバレンタインデーに賭ける者が少なくないのである。
黒羽快斗は、今年も山程のチョコに囲まれてうきうきしていた。
「バレンタインデー」の意味を知らなかった昨年と違い、今年はちゃんと意味が分かっている。
加えて、今年は幼馴染の中森青子と恋人同士になった事を公言しており、他の女生徒からの告白は全て断っている。
にも拘らず、山程のチョコを貰って何故ウハウハしているかと言えば・・・快斗は甘い物に目がなかったからだ。
だから、「義理なら貰う」と公言し、大勢の女生徒たちが半ば呆れ、苦笑しながらも、たくさんチョコレートをくれた。
快斗には何だか憎めないところがあって、女の子達は悪ガキに苦笑する母の様な気持ちで快斗にチョコレートを渡したのである。
けれど中にはそっと本気を隠した義理チョコをくれた人も少なくないのだが、快斗には分っていなかった。
恋人である中森青子は、そんな快斗に苦笑する。
焼餅を妬きながらも、黙って許していた。
「く・ろ・ば・く〜ん」
江古田高校1番の(いやひょっとしたら都内でも1・2を争うであろう)美人、小泉紅子が、快斗に甘ったるい声を掛けて来た。
「ああ?んだよ、俺に何か用か?」
快斗が邪険に応じる。
元来フェミニストで基本的には女の子に優しい快斗だが、青子と紅子にだけは、邪険な態度を取る。
青子に対しては、幼馴染の気安さと、愛情の裏返しの照れから。
紅子に対しては、散々酷い目に遭わされてきた為、苦手意識を持っているから。
紅子は一瞬切なそうな顔をするが、にっこりと快斗以外の男性だったら直にでも陥落しそうな飛び切りの笑顔を見せる。
「黒羽くん、チョコレート要らない?」
「どうせ、他の女から貰うならあげないとか言うんだろ?なら、要らねー」
「あら、今年はそんな事言わないわ。ほんの義理チョコなのよ、ほほほ。他の皆様にはもうお配りしたの」
そう紅子に言われたが、昨年散々な目に遭った快斗はなおも胡散臭そうにして手を出そうとしない。
青子が横から口を出した。
「ちょっと快斗、こーんな美人の紅子ちゃんが、恐れ多くも義理チョコをくれるって言うのよ?好意を無にしたりしたら、罰が当たるんだからね!」
快斗は青子をちょっと呆れた様な目で見遣る。
「青子、おめーさ、俺がおめー以外の女からチョコ貰っても平気なわけ?」
「なによー、ば快斗!他の女の子からは散々貰ってるくせに!」
「ちっ・・・わーったよ、ほら、貰ってやるぜ」
快斗は偉そうにふんぞり返ったまま紅子の方に手を出した。
先刻からこのやり取りを見ていた男子生徒達のこめかみがピクピクと震える。
「紅子様から恐れ多くもチョコを頂けると言うのに、黒羽の奴、何てふてー態度だ!」
「許せん!」
そんな会話を交わしながらも、彼らは快斗が一筋縄ではいかない人間だと言う事をよーく知っているので、実際には何も出来ないのである。
紅子は、快斗のあまりの態度に流石に頬を引き攣らせながらも、笑顔を作って快斗にチョコを渡した。
「ね、お願い、今食べてみてくれる?」
紅子のおねだりに、不承不承といった態で快斗は小さな包みを開けた。
小さなハート型のチョコを、快斗はパクッと1口で食べてしまう。
「へえ、手作りか。美味えよ、これ」
快斗が感心したような顔で言う。
紅子はじっと快斗を見詰めた。
「ん?俺の顔に何か付いてるか?」
「・・・黒羽くん。どうもない?ドキドキしたりしない?」
紅子が快斗に問うてくる。
「はあ?おめー、今年もまた何か変なもん作ったのかよ?」
「そそそそんな事ないわ、ただ、手作りだったから、ちょっと心配だっただけよ、おほほほ・・・」
誤魔化し笑いをしながら、紅子は内心焦っていた。
『おかしい。私の魔法は完璧なはず。なのに、何故黒羽くんは何ともないの?』
☆☆☆
「あ、新一さん、お邪魔してます」
「新一お兄さん、お帰りなさい!」
「新一兄ちゃん、遅かったな」
昨日に引き続き、家から追い出されるように登校した新一が帰宅すると、リビングにちゃっかり上がり込んでいる少年探偵団3人に出迎えられた。
「新一、お帰りなさい」
蘭が笑顔で出迎える。そして怪訝そうな目で新一をじろじろと見た。
「ねえ、鞄だけ?後の荷物は?」
「は?俺、鞄しか持って行かなかったけど?」
「あ、あのね、そうじゃなくてね・・・」
新一がふっと柔らかな微笑を見せる。
「バーロ。帝丹高校生なら全員、俺と蘭が正式に夫婦になってる事知ってんだ。チョコレートをくれるもの好きなんか居る訳ねーだろ?」
「そっかなー」
「そうそう。蘭、俺体が冷え切っちまった。わりいけど、コーヒー淹れてくれねー?」
実は、新一が蘭と正式に夫婦になっている事を百も承知で、それでも新一にチョコレートを渡そうとするもの好きは居たのだが――そしてそれは1人や2人ではなかったのだが、その事とチョコの行方を蘭が知るのは後日になる。
蘭に促されて新一もリビングに座り、蘭はコーヒーを淹れるためにキッチンの方に引っ込んで行った。
リビングの3人はお茶していたところだったらしく、食べたお菓子の包み紙がテーブルの上に残っている。
そして漂うチョコの香り。
『そうか、蘭から少年探偵団へのチョコレートか。去年もあげてたもんな、それぞれの顔を模った奴』
「あ、あのね・・・」
歩美がもじもじしながら、新一を上目遣いで見る。
「今年もお母さんにまだ早いって言われたんだけど・・・私、早く大人になってチョコレートをあげるから、待っててね、コナンくん」
歩美の夢見るような瞳。
新一は、真剣に考え込んでしまった。
『江戸川コナンと同一人物である俺・工藤新一が蘭と夫婦になってるって事は、歩美にも分かっている筈。けれど、歩美の中でいつかコナンと結ばれるっていう夢は、まだ続いてるのか?もうコナンが消えて随分経つと言うのに・・・可哀想だけど、このままズルズル引き摺るよりは、その夢は決して叶わないって事をきちんと伝えた方が良いのかもな』
「新一、お待ちどう様」
蘭がコーヒーを運んでくる。
「そして、これ・・・」
蘭から小さな包みを渡される。
「これ、俺へのチョコか?」
「ううん、それはね・・・少年探偵団のみんなへのチョコ。私から、大切な弟・コナンくんへあげるチョコよ」
「そっか・・・」
「本命チョコは、また後でね」
蘭がそっと新一の耳元で囁く。
「わーった。後で2人きりの時にな」
新一が囁き返すと、蘭は真っ赤になった。
「んもう、新一ったら・・・」
「じゃ、これは前菜という訳だな」
少年探偵団の存在をすっかり忘れている様子で2人の世界に浸っている新一と蘭を、元太と光彦はジト目で、歩美は涙目で見詰めていた。
新一は包みを開ける。
中からは小さなハート型のチョコが現れた。
「今年も桃型か。桃の香はしねーけど、良い匂いだな」
「もう、馬鹿っ!刻んである文字を見てよ!そしたら桃型なんかじゃないの、分かるから!」
「冗談、冗談。・・・でも、文字なんか書いてねーぜ?」
「え?おかしいわね・・・それには『コナンくんへ』って刻んである筈なのに。それに気の所為か、香も何だか違うような・・・」
「じゃ、頂きま〜す!」
蘭が首を傾げている間に、新一はチョコを齧った。
「うっ!!!」
新一の手から、一口齧ったチョコがポロリと落ちる。
ドクン、ドクン、ドクン!
新一の動悸が激しくなる。
『体が熱い!!骨が・・・溶けてるみてーだ・・・まさか、まさか、俺またコナンになっちまうんじゃ・・・』
「新一、どうしたの?大丈夫?」
蘭が心配そうに声を掛けて来た。
その顔を見た途端、新一の中で何かが弾けた。
「え?ちょ、ちょ、ちょっと、新一っ!!!」
新一はいきなり蘭をソファーの上に引き摺り倒すと、強い力で抱きしめ、唇を奪った。
「新一っ!子供たちの目の前よ!」
ようやく新一の唇から逃れた蘭が叫ぶ。
「だからどうしたんだ?蘭、愛してるよ」
「し、新一、待って・・・!んんっ、んんんんっ!」
「わああああん、新一お兄さんの馬鹿ああああっ!」
歩美が泣いて駆け出して行った。
「お、おい、歩美!」
その後を元太が追う。
「い、一体何事ですか!?」
光彦が1人、真っ赤になって立ち尽くし、おろおろしていた。
☆☆☆
「こんにちは、お邪魔するわね・・・あら、昼間っからお盛んな事」
歩美が駆け去っていった時開け放たれたままのリビングの入り口から、アルトの呆れ果てた様な声が聞こえ、茶髪の美しい女性・阿笠志保が入って来た。
「志保さん!いつ帰国されたんですか?」
光彦が叫ぶ。
「あら円谷くん、ここに居たのね。ついさっきよ。ちょっと用事があって・・・また数日中にはあちらに戻らないといけないけど」
「そうですか・・・」
「で、お隣さんにご挨拶をと思ったんだけど、お取り込み中ね。でも・・・いくら工藤君が節操無しでも、円谷君がここにいる状況で、それに、私が入って来ても気付く様子はない。これは・・・尋常ではないわね」
「蘭、寝室に行くぞ」
新一は、蘭を抱え上げて、リビングから出ようとし、初めて志保の存在に気付いた様子だった。
「宮野、来てたのか。俺今取り込み中だから、適当にやっててくれ。それじゃ」
そう言い捨てると新一はそのままリビングを出て階段を上がって行った。
「あ、志保さん・・・!新一、ちょっと、お客様・・・うぐぐ」
蘭が新一に抗議しかけるが、新一の唇で口を塞がれてしまう。
志保と光彦は、為す術も無くそれを見送った。
「円谷くん。詳しい話を聞かせてくれる?」
志保が言い、光彦が新一が帰って来てからの事をかいつまんで話す。
「チョコレートを食べた途端におかしくなったのね?じゃあ、そのチョコが怪しいわ」
「でも、蘭さんの手作りだし、僕たちは何ともなかったんですよ?」
志保は、新一がかじった後取り落としたチョコを、直接触れないようにハンカチで拾って観察する。
「あれ?そのチョコ、おかしいです」
横で見ていた光彦が声を上げる。
「おかしい?」
「ええ。蘭さんからのチョコは、今年はみんな同じハート型のチョコだったけど、1つ1つに名前が彫ってあったんですよ、僕のにはちゃんと『光彦くんへ』って書いてありました。そう言えば、蘭さんはそのチョコには『コナンくんへ』と刻んであるはずだって言われてましたし」
「・・・成る程。どういう経緯かは解らないけれど、これは蘭さんが作ったチョコレートとは別物なのね。工藤くんは蘭さんが作ったものと信じているから、疑いもせずに口にした。そういう事ね」
志保は、そのチョコレートをハンカチにくるんだまま更にビニール袋に入れた上で、バッグにしまい込む。
「これは持ち帰って分析してみるわ」
「あの〜。2人は放って置いて大丈夫でしょうか?」
物音が聞こえ始めた2階の方に目をやって光彦が心配そうに呟く。
志保が苦笑する。
「まあ、他の人に実害が無いし・・・蘭さんには少し気の毒だけど、いつもの事が少し激しくなるだけだろうから、心配は要らないわ」
「そうでしょうか・・・」
「後は私が何とかするから、大丈夫よ。それより、円谷くん、これ、私からあなたに・・・」
「え?」
リボンが掛けられ綺麗にラッピングされた小さな箱が志保から手渡され、光彦はボーっとなった。
「し、志保さん、これって、まさか・・・」
「初めての挑戦だったから、蘭さんが作ったものみたいに美味しくないと思うけど」
「そんな事はないです!志保さんが一生懸命作って下さったんです、絶対美味しいに決まってますよ!」
「そう?ありがと。・・・私がそれをあげるの、円谷くんだけよ」
志保が微笑んで屈み込む。
そっと光彦の頬に触れた柔らかな感触が信じられずに、光彦の頭の中は真っ白になった。
☆☆☆
新一が2階の寝室に蘭を連れ込み、服を脱がしにかかったところで、携帯電話のコール音が鳴った。
新一は舌打ちして不機嫌そうに電話に出る。
「はい、工藤・・・目暮警部?はい、はい、わかりました、すぐ参ります」
事件の事になると新一の目付きが変わる。
蘭は、いつも新一を連れて行ってしまう事件に複雑な思いを抱いていたが、流石に今日ばかりは呼び出しがあった事にホッとした。
しかし、電話を切った後の新一の行動はいつもと違っていた。
「蘭、行くぞ」
「え?え!?」
新一は有無を言わさず、蘭をがっしりと抱えたまま工藤邸を飛び出して行った。
☆☆☆
「ここで不自然に血痕が途切れている・・・」
「・・・成る程。そういう事か」
「警部、判りましたよ犯人が。その方法も、動機もね!」
事件現場では、相変わらず工藤新一の観察力・推理力が冴え渡る。
「工藤君、本当かね!?」
「で、犯人は誰なんです!?」
目暮警部と高木刑事が新一に答を迫るが、2人とも視線があらぬ方を向いており、その顔は赤い。
いや・・・現場に居る警察官――鑑識係なども含めた全ての者が、微妙に視線を泳がせ、赤い顔をしていた。
推理に関してはいつも通りの工藤新一。
しかし、いつもと違う事が1つあった。
顔を真っ赤にした蘭を片腕に抱き締めて離さない事である。
目暮警部が何度も咳払いをするが、新一はそれにも気付いた様子はない。
そして今回、現場には蘭の両親である毛利夫妻も居た。
「あんの野郎!俺の目の前で・・・!何考えて居やがる!」
あまりの事に最初はあっけに取られていた小五郎も、だんだんその額に青筋が立ち始める。
英理は、拳を振るわせ始めた夫を後ろから抑えて宥めながらも、呆れ顔で新一を見ている。
「犯人は、奥さん、あなただ!」
新一は犯人と推理した被害者の妻を指差す。
片手に抱えた蘭の存在がなければ、ビシッと決まって格好良いところだ。
「あなたね・・・高校生探偵か何か知らないけど、女連れでまともに推理なんか出来るわけ?」
指差された相手は、馬鹿にしたように、余裕の態度で応じる。
「大体、私にはアリバイがあるのよ、さっき刑事さんがおっしゃってたでしょ?それも判らない位に判断能力がなくなっているみたいね」
「アリバイ?そんなもの・・・あなたが取った方法はこうです・・・」
新一が自分の推理を述べていくと、ふてぶてしい余裕の態度だった被害者の妻の顔が段々蒼褪めて来た。
「で、でも、証拠がないわ!」
悲鳴のように女が叫ぶ。
「証拠ならありますよ。まだあなたがそうとは知らずに身に付けている筈だ・・・」
新一にことごとく全てのトリックを見破られて、遂に女はガックリとうな垂れる。
そして、手錠を掛けられ、連行されて行った。
「工藤君、いつもながら見事な推理だったな。どうかね、事情聴取に・・・立ち会うわけないな・・・」
新一に声を掛けた目暮警部が目にしたものは、事件を解決した途端に蘭の唇をむさぼり始めた名探偵の姿であった。
「工藤君、人前では程々に・・・」
目暮警部が赤くなって咳払いをするが、新一の耳に届いている様子は無い。
「目暮警部、僕が2人を家まで送りますよ」
「千葉君、だが・・・」
「あのまま放置しておくと、公衆の目の毒ですし」
「それもそうだな、頼む」
「新一、貴様ぁ!」
小五郎が通り過ぎようとする新一に思わず拳を振り上げ、背後から英理と目暮警部に止められる。
「あ、お義父さん、お義母さん。今日は立て込んでるのでこれで失礼します。またいずれ改めて」
新一は笑顔で毛利夫妻に頭を下げてそう言ったが、その後は再び蘭に口付けながらその場を去って行った。
残された面々は呆気に取られて見送る。
「工藤君、人前も憚らずに・・・いや、若いな」
目暮警部が疲れたように言い、高木刑事がボソッと呟く。
「羨ましい・・・」
「何だと、高木君!」
「いえ!何でもありません!!」
「新一の野郎、どういう積もりだ!」
小五郎が吐き捨てるように言い、英理が気遣わしげな顔をする。
「いくら何でも、あんな節操無しだとは思えないのだけど・・・結婚許したの、早まったかしら・・・」
☆☆☆
新一と蘭をパトカーで自宅に送り届けた千葉刑事は、バックミラーを見ないようにして頑張ったが、後部座席から聞こえてくる声だけで、悶々とさせられたのは言うまでもない。
ようやく工藤邸にたどり着き、2人を下ろした千葉刑事は、心の底からホッとして帰って行った。
玄関を開けて中に入った途端に、新一は玄関口で蘭を押し倒し、口付けながら服を脱がせにかかった。
「新一、イヤッ!こんなとこで!」
「もう我慢できねーよ。蘭、おめーが欲しい!」
「やだ〜〜〜〜っ!」
突然新一は首の後ろにチクッとした痛みを感じ、我に返った。
「え?俺、今まで・・・」
目の前には、新一に押し倒され半ば胸がはだけられて、涙目で新一を見上げている蘭の姿があった。
新一は今までの行動を思い返し、愕然として真っ青になる。
「蘭、蘭!ゴメン!!」
新一は蘭の上から退くと、ひたすら涙目の蘭に頭を下げた。
「どうやら、効いたみたいね」
背後からアルトの声が聞こえ、新一は振り返る。
そこには、時計型麻酔銃で新一を狙ったままの格好で立つ志保の姿があった。
☆☆☆
「媚薬!?」
「ええ、そうよ。チョコレートを分析すると検出されたわ。でも、何故だかアポトキシンの解毒剤が有効で、助かったわ。そうじゃなかったら、解毒剤作成にまだ何日も掛かってた筈だもの」
新一、蘭、志保はリビングでお茶を飲み一息ついた所で、件のチョコレートに付いて話し合っていた。
「でも、蘭の手作りチョコが、いつの間にそんな物とすり換わってたんだ?」
「あっ!もしかして、あの時・・・!」
蘭は買い物に出た時綺麗な女性とぶつかった事を思い出した。
「包みも形もおんなじだったから、気が付かなかったんだわ。・・・でも、コナンくんへのチョコが無くなっちゃった・・・どこの誰に食べられちゃったんだろ?」
蘭が涙目で言う。
「ヘーックション!」
「あら、快斗、風邪?」
「いや、そんな筈は・・・」
江古田高校から帰って来て青子の部屋に遊びに来ていた黒羽快斗は、風邪でもないのに鼻がむず痒くなってくしゃみを連発していた。
「蘭姉ちゃん、僕はその気持ちだけで充分だよ」
「止めてよ新一の声でそんな台詞言うの!」
「・・・じゃあ変声機持って来ようか?」
「・・・馬鹿っ!!」
「痛っ!殴る事ねーだろ?」
「あ、ご、ごめんなさい、つい・・・」
新一と蘭のやり取りを呆れたように見ていた志保が言う。
「それにしても工藤くん、チョコ食べて最初に見た相手が蘭さんで良かったわね」
「は?宮野、どういう事だ?」
「あの媚薬・・・シェークスピアの『真夏の夜の夢』に出てくるやつみたいに、最初に見た異性に強烈に惹かれてしまうって効果があるのよ」
「何だって!?じゃあ・・・」
「最初に見たのが歩美ちゃんだったり私だったりしたら、とんでもなく迷惑な話だったわ」
新一も蘭も青くなる。
蘭にとっても大迷惑な話ではあったが、新一が他の女性に迫る姿を見るよりははるかにマシだった。
「でもね・・・効果は元々の気持ちとか性格にもよるからね、蘭さん相手じゃなかったら、あれ程の事まではしなかったでしょうけどね」
「いい。そんな事、確かめたくもねえ」
「私だって、確かめたくなんてないわ」
「やれやれ。どこの誰かは知らねーが、見込まれた相手は迷惑なこった。けど、今回、蘭の手作りチョコと入れ替わった所為で、そいつの危険は回避されたのかな?」
「ヘーックション!」
「やっぱり快斗、風邪引いたんじゃない?」
「変だな・・・熱はねーし、花粉症かな?」
「今、花粉の時期だっけ?」
蘭の手作りチョコと入れ替わった所為で危険を回避できた男がここに居たが、流石の新一も、そのチョコが1つではなく、江古田高校でとんでもない騒ぎが起こっていたとは知る由も無かった。
☆☆☆
「・・・それにしても工藤くん、今日1日できっと信用は地に落ちたわね」
志保に言われ、新一は、今日の出来事を振り返って真っ青になる。
「宮野!後生だ、頼む!」
「・・・流石に今回の件では、真剣に私の助けが欲しいみたいね。工藤くん本人の説明じゃ、誰も納得しないでしょうし。わかったわ、私がみんなに説明してあげる。その代わり、今回の貸しは高くつくわよ?」
志保が警察関係者や毛利夫妻に媚薬の事を説明し、新一が何とか信用を取り戻すまでには、数日を要した。
そしてその後も、「妻一筋の男・工藤新一、媚薬が効くのも相手が奥さんの場合限定」「媚薬で色ボケになっても推理力は衰えない工藤新一」という妙な評判は付いて回る事になる。
☆☆☆
バレンタインデーの夜、新一は蘭手作りの本命・チョコレートケーキでご満悦だった。
コーヒーを飲みながら、新一が言った。
「それにしても、宮野、何で1人で帰国してたんだろう?まあ、おかげで助かったけどさ」
「さあ?」
蘭は首を傾げて見せたが、心中ではもしかして志保は光彦に会いに来たのではないかと推測していた。
『志保さん、光彦くんが大人になるまで距離を置くつもりのようだけど・・・傍に居たって良いのじゃないかな?』
蘭が、この先無事結ばれるには長い歳月が必要であろう2人に思いを馳せていると、不意に新一に抱き上げられた。
「きゃ!」
「で、俺は今から、この世で1番俺にとって甘いものを頂きたいのだけどね、奥さん?」
「もう、馬鹿・・・」
そして蘭はそのまま、2階の寝室へと連れ込まれて行った。
その夜蘭は、新一の腕の中で過ごしながら、媚薬を使っても使わなくても、新一はそう大きく変わらないかも知れないと、少しだけ思っていた。
Fin.
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