その手の中に
By ドミ
「ん〜っ!ふーっ!」
「工藤さん!頭が出て来ましたよ!もう、踏ん張らないで良いからね、もう少しよ〜」
自分の中から、大きな塊がツルンと出て行く。
そして、間もなく、聞こえた声。
「フンギャー、ンギャー、ギャー!」
産声だ。
この瞬間、妊婦から産婦に変わった、母親になった女性――工藤蘭は、涙を流した。
そのまますぐに、蘭の胸に子どもが抱かれる。
「初めまして……ママよ」
蘭は、感動の涙を流して、言った。
☆☆☆
「で?蘭が出産で必死になっている時、駆け付けたのは小父様だけで、新一君も小母様も、傍にいてくれなかった訳?」
蘭の親友・鈴木園子が、眉をピクピクさせながら、言った。
既に、出産から一日が過ぎていた。
「仕方がないわよ。ふたりとも、仕事を放り出してくるなんて事、できなかったんだから」
「それにしてもさあ!もう、母親と夫が両方ともワーカホリックなんて、どうかしてるわよ!」
蘭は少し苦笑した。
今回、蘭は、予定日より3日ほど早く産気づき、病院に着いて出産までの時間は短かった。
蘭の夫・工藤新一は、少し遠方で事件解決にあたっており、蘭の母親・妃英理は、公判の真っ最中で、とても駆け付けられる状況ではなかった。
英理は、夜、仕事にキリを付けてから見舞いに来た。
そして、新一はまだ、ここに訪れていない。
実のところ、父親の小五郎がすぐに駆けつけられたのは、「暇だったから」であり、ハッキリ言って、全然喜ばしい状況ではない。
蘭は、探偵をしている夫の事も、弁護士をしている母親の事も、心の底から誇りに思っているので、少し寂しく思いはしても、本当に不満になんて思っていないのだ。
「蘭がそうやって甘やかすから……」
園子が、憤懣やるかたないという表情で、言った。
その園子が、後年、第一子出産の時、海外で修行中だった夫の真が間に合わず、園子は怒りまくり、真は平謝り……という事になるのだが、それはまた別の話。
突然、病室のドアが開いた。
「蘭!」
そこで、ハアハアと肩で息をしているのは、蘭の夫・新一であった。
「新一君!あんたねえ!」
「わりぃ。園子、家族水入らずにしてくれ!」
新一の言葉に、園子は顔を真っ赤にして口をパクパクさせたが、新一の拝むような姿を見て、退散する事にした。
蘭も、園子の前では、新一を怒る事はできないだろうと思ったので。
「じゃあ、蘭、また来るわね〜」
園子は、手をヒラヒラと振って、病室を去って行った。
「お帰りなさい、新一」
「蘭……」
新一は、妻と、初めて見るベビーベッドの中の我が子を、交互に見た。
「悪かった、ホントに……」
「バカね。謝らないで」
「だけど……」
「ちゃんと、事件は解決してきたんでしょうね?」
「あ、ああ……それは、勿論……」
新一は、蘭を抱き締め、その頬にキスをすると、我が子のほっぺたに、こわごわ触れた。
「ホント、ちっちゃいもんなんだなー。壊れそうで、おっかねー」
「んもう、新一ったら……」
「蘭。ありがとう……オレと蘭の……こんな可愛い子を、産んでくれて……」
「新一……」
「出産の時、傍にいてあげられなくて……ごめん……」
「だから、謝らないで、新一……」
新一が、蘭を見詰める。
その眼差しは、今回の事を申し訳ながっているように見えるが、それだけではない事を、蘭は感じた。
「新一。何か、あったの?」
「ごめん。今は、話したくない」
新一は蘭に、関わった事件の事を、話してくれる事が多い。
話したくないという事は、余程の事なのだろう。
事件を解決したのは、本当の事なのだろう。
けれど、いつもだったら自慢げに胸を張るのに、今回、言葉を濁したのは、何かが遭ったのだ。
蘭は、それ以上の追及は止めにした。
「蘭。オレは……オメーと赤ん坊のことは、全力で守る。何があっても」
新一が真剣な顔で蘭に言った。
蘭は微笑んで、そっと夫の頬に口付けた。
☆☆☆
蘭の退院の日、新一が車を運転して迎えに来た。
母子ともに、特別問題がなかったので、出産から5日後の退院である。
「クリスマスを親子で過ごすのに、間に合ったわね」
「ああ……そうだな……予定通りの出産なら、まだ入院中だったんだもんなあ」
「案外、この子はその為に、早く出て来たのかもしれないわ」
新一は、バックミラーで、蘭と子どもの様子をちらりと見る。
後部座席には、ベビーベッドが固定されており、今までは助手席に座っていた蘭も、今は子どもの隣に座っていた。
「……お義母さんが、蘭は退院したばかりで大変だろうから、クリスマスのご馳走を作りに来るって言い出してさ……」
「ええっ!?ま、まさか新一、それ、受けたの!?」
何でもこなす蘭の実母・英理であるが、料理だけは破壊的にヘタだったので、蘭は思わず叫び声をあげてしまった。
「どう断ろうかと思案していたら、突然、母さんから、早く初孫が見たいから帰国するって連絡が入って……結局、母さんが今回は料理してくれるってさ」
「ほ、ホント!?良かったあ!」
蘭は、心底ほっとした声で言った。
「オレは、簡単な料理はともかく、クリスマスのご馳走なんて無理だし。かと言って蘭に無理させられねえし。これはもう出来合いのしかねえかって思ってたから、正直、助かったよ。けど、蘭。親子水入らずの筈が、オレの両親までいる事になっちまって、ごめんな……」
「何言ってるのよ。元々、新一のご両親のお家じゃない。本来だったら、わたしがおもてなしすべきなんだろうけど、今回は、お義母様のご厚意に甘える事にするわ」
「蘭……ありがとな」
蘭と、舅姑である新一の両親との仲は、良好である。
元々蘭は、幼い頃から、工藤邸で過ごす事が多く、新一の両親にとっても、娘みたいな存在だったのだ。
「でさ。明日のクリスマスイブは、お義父さんとお義母さんも、我が家にご招待しようって思うんだけど……っていうか、母さんが『そうしたら』って言ったんだけどな。蘭は、どう思う?」
「ホント?良いの?」
「ああ。蘭に依存がないのなら」
「ありがとう!嬉しい!」
車が工藤邸に着くと、新一の母・有希子が出迎えに来ていた。
「お帰りなさい、蘭ちゃん……っと。赤ちゃんの名前は?」
「実はまだ、決まってないんですよ〜。もうそろそろ、タイムリミットなんですけどね」
「えええっ!?新ちゃんってば、何してたのよ一体もう!」
「ああ、や、候補は絞ってんだけどよ……」
蘭は、我が子を抱いて、邸内に入った。
リビングに、見事なクリスマスの飾りつけがされていて、蘭は思わず声をあげた。
「すごい!これ、全部新一が!?」
「あ、いや、オレも勿論、やったけどよ、父さんと母さんが……」
「せっかくだから、ツリーも新しいのを買っちゃったの〜」
有希子が嬉々として言った。
初孫の誕生に、余程浮かれているようである。
蘭が新一と結婚してから、英理は、小五郎と「半同居」みたいな感じで、週の半分くらいは毛利邸にいる。
クリスマスイブには、2人連れ立って来てくれる事になった。
☆☆☆
「お義母様。お手伝いします」
「あら!蘭ちゃんは、まだ普通の体じゃないんだから、上げ膳据え膳で良いのよ」
「大丈夫ですよ、少しくらい、体を動かした方が良いみたいですし……」
「そう?悪いわね。じゃあ、紅茶を淹れてもらえる?」
蘭は、有希子と自分の為に、紅茶を淹れた。
新一は、クリスマスイブの今日も仕事に出かけているし、優作も今日は、出版社の人達と会う用事があるようだ。
「ねえ、蘭ちゃん。新ちゃん、出産に間に合わなかったんだって?」
「え……?あ、はい……でも……」
「実はねー。優作も、出産に間に合わなくってね」
「えええ!?」
「ホテルに缶詰めで、連絡も取れなくて……やっと病院に姿を現した時は、そりゃもう、大喧嘩だったわね」
「……喧嘩というか……お義父様は、一方的に平謝りだったのでは?」
「あら。わかる?」
「はい、そりゃもう」
「でも、簡単に許す事はできなかったわね……新ちゃんも、やっぱり優作の息子だわよねー。もうホント、育て方、間違っちゃったかなあ……ごめんね……」
「え!?そ、そんな事、ないです!新一は……新一は、強い正義感と信念を持って仕事をしているんだもの!お、お義母様とお義父様の子育ては、絶対、間違ってないです!」
蘭が思わず強い調子で言うと、有希子は目を丸くした。
そして、ふっと微笑む。
「ありがとう、蘭ちゃん。今の蘭ちゃんの様子を見て、安心したわ。だって蘭ちゃん、無理してないから……本当に、心から、そう思ってくれているから……」
「お、お義母様……」
「蘭ちゃんが、新一のお嫁さんになってくれて……本当に、良かった……」
と、突然。
赤ん坊の泣き声が、聞こえた。
「蘭ちゃん。今の蘭ちゃんの仕事は、赤ちゃんのお世話をする事。料理の方は、私に任せて!」
「はい!」
蘭は頷くと、足早に我が子の元へ向かった。
☆☆☆
夜。
工藤家毛利家うち揃っての、クリスマスパーティが始まった。
「まあ、何ですな……この面子が一堂に会すのは、蘭と新一の結婚式以来じゃないですか?」
「そうですなあ。まあ、これからも、若い2人の事を、よろしく頼みますよ」
蘭は、目を細めて、両親たちの姿を見ていた。
考えてみれば、蘭が両親と共にクリスマスを過ごすのは、蘭が小さかった頃以来である。
ここ数年は、新一と2人きりのクリスマスだった。
そして、この先暫くは、おそらく、親子3人水入らずのクリスマスとなるだろうと、蘭は思う。
我が子の誕生が、両家うち揃っての賑やかなクリスマスをもたらしたのだ。
こういうのも悪くない。
どんちゃん騒ぎをした訳ではないが、それなりに賑やかな晩餐会。
しかし、新一と蘭の子どもは、その間、殆どむずかる事もなく、すやすやと寝息を立てていた。
晩餐後、蘭は我が子と共に、早目に寝室に引き上げた。
新一が程なく寝室に来たので、蘭は驚く。
「新一……お義父様たちの相手をしていなくて良いの?」
「父さん達は、お義父さん達と酒酌み交わしてる。ヘタにオレがいるより、熟年同士の方が良いだろうよ」
「そっか……」
新一は、ベッドで眠る我が子の額にキスを送ると、蘭の隣に横になった。
そして、蘭をぎゅっと抱きしめる。
「今度の事件の被害者はさ……臨月の女性で……母子ともに、助からなかった……」
蘭は、息を呑んだ。
新一がなかなか話したがらなかった訳が、分かった。
「……そして、犯人は……夫の浮気相手の女性、だったんだ……」
蘭は、胸に何かがつかえたような気持ちになった。
何だか、やりきれない。
「勿論、殺した犯人が、一番悪い。けど……妻を一番愛しながら、自分の欲望を満たすために他の女性を利用していた男だって……刑法で裁く事はできねえけど、同罪だって、オレは思った……」
「新一……」
「オレは……オレには、そいつの気持ちなんか、分からねえ。この世で一番大切な存在があるのなら……他の人を傷付けたり苦しめたり踏みつけにしたり、そんな事、ぜってー、できねえ筈なのによ……」
蘭は、新一の背中に回した手で、新一をキュッと抱き締めた。
新一が行っている探偵という仕事は、事件が起こった後にその真相を解き明かす事である。
蘭の母親・英理が行っている弁護士という仕事も、事件が起こってからの要素が強い。
事件の予防ではないのだ。
それでも、と蘭は思う。
新一も、英理も、小五郎も……人を助け、命を救うために、働いているのだと。
「新一。新一の手の中には、愛があるの」
「……蘭?」
「子どもへの愛。わたしへの愛。そして、その手で、他の人を救う仕事をしている……」
「蘭……」
「新一は、間違ってなんかいない。新一はいつも、わたしの事、想ってくれているって、分かっているから……だから、傍にいなくても……寂しいけど、大丈夫」
新一は、蘭から少し体を離すと、その目を覗き込み、言った。
「蘭……その手の中に、愛があるのは、オメーの方だよ……オレは……だから、頑張れるんだ……」
そして、2人は、深い口付けを交わした。
2人の愛の結晶は、すやすやと眠っていた。
Fin.
++++++++++++++++++++++++
<後書き>
クリスマス小説と言えるのか、これ?
ちょっと、取ってつけたような気が、しないでもない。
「その手の中に」ってのは、わたしの友人が作った歌のタイトルで。
中身は歌詞そのままって訳ではないですが、その精神が少し入っているかなと、思っています。
2012年12月23日脱稿戻る時はブラウザの「戻る」で。