卒業



By ドミ


 中森青子は、座っていた。
 ウェディングドレスを身にまとって。その眼差しは暗く、花嫁独特の喜びに満ち溢れた表情ではない。

 そこに、青子の親友・桃井恵子が顔を出した。彼女は参列者であるが、今日は、母親のいない青子の身の回りの世話をしてくれている。

「青子、そろそろ時間だよ」
「う、うん……」
「せっかくの花嫁さんが、そんな顔しないの。ほら、笑って笑って」
「う、うん……」

 青子は、恵子に促され、控室を出て会場へ向かう。会場に入る前の所で、父親である中森銀三が待っていた。

 青子は、銀三にエスコートされながら、バージンロードへ向かう。

「青子。お前……良かったのか?」
「……良かったって、何が?」
「いやその……相手が」
「どうして?だって、成績優秀・スポーツ万能、特にフェンシングは世界選手権にも出場したことがある腕前、探偵としての能力はピカ一で……青子にはもったいないくらいの相手だよ」
「だが……いいのか、快斗君のことは?」
「その名を出さないで!」

 青子の幼馴染である黒羽快斗の名前が出て、青子は思わず声を荒げた。青子が考えないようにしている、そしておそらく、恵子をはじめとする友人知人が敢えて言及するのを避けていた相手だ。

「青子……」
「快斗は、何も言わないで姿を消したんだよ!もう、快斗のことは、言わないで!」

 本当は、「何も言わないで姿を消した」のとは微妙に違うのだが、青子の父である中森警部に対してはそのような説明がされていた。

「青子は、快斗君のことを忘れるために、こんなに急いで結婚しようと思ったのか?」

 青子は、昨日高校の卒業式を迎えたばかり。結婚するにはまだ若い。もちろん、世の中には、若くして結婚する者も少なくないが、青子がこんなに急いで結婚する必要などないと、中森警部は思っていたのだった。

「そ、そういうわけじゃないよ!だって彼、いい人だもん。青子、きっと幸せになるよ」
「そうか。ならいいが……彼は警視総監の息子だから、青子が断れないような口実を作ってきたんじゃないかと、ワシは思ってな……」

 これが、父親の勘というものか。青子の胸がドキリと鳴った。
 青子が、警視総監の息子で同級生の白馬探のプロポーズを受けたのは、探と青子しか知らないある条件があったのだった。

 バージンロードの先には、今日の花婿である白馬探が待っていた。列席者には、それぞれの父親が警察官であるため、警察関係者もいたが、多くを占めていたのは、青子・探のクラスメートだった面々である。
 長身でハンサムな探が白いタキシードを着た姿は、遠目にもカッコいい。けれど、青子の心を占めているのは、今ここにはいない、ある姿だった。

『快斗……』



   ☆☆☆



 話はひと月前にさかのぼる。
 高校三年のバレンタインデー、まだ受験真っ最中のものも少なくないが、快斗も青子も受験は終了していた。あとは結果待ちであるが、滑り止めは合格していたので、気楽な状態であった。

「快斗。今年もチョコを沢山もらったんだね……」
「へっへっへ。まあな♡」
「で?バレンタインデーの意味、分かってるの?」
「女の子からチョコを貰う日、だろ?青子もくれよ」
「はあ……やっぱ、分かってないのか……」
「あん?分かってるぜ、色々あんだろ?義理チョコとか友チョコとか……本命とか……」
「ええっ!?何で!?去年はバレンタインデーのこと、全然、知らなかったのに!」
「チッチッチ。オレだって日々成長すんのさ」
「あっそ……成長ねえ……でも、本命チョコをくれた相手を弄ばないようにしなさいよね!」
「オレは……甘いもん好きだしチョコに罪はないし、女の子たちは可愛いし、チョコもらうのは大歓迎だけど。本命チョコが欲しい相手は一人だけなんだよ」

 その言葉に、青子の胸はドキリと鳴る。

『本命チョコが欲しい相手は一人って……快斗、だれかそういう相手がいるの?』

 もし快斗にそういう相手ができたのなら……青子は泣きそうな気分になる。

「で?青子がオレにくれるのは何チョコだ?」
「な、何って!そんなの、義理に決まってんでしょう!?」

 ついつい、青子は、本音とは違うことを言ってしまった。

「そうか、そりゃあ残念」
「な、何で!?」
「だって、オレの本命チョコが欲しい相手は、青子なんだからよ」

 青子は息をのんだ。

「どどどどういう意味!?」
「オメーも大概鈍いな。こういう意味だよ!」

 突然、快斗の顔が大アップになったかと思うと、青子の唇は柔らかく温かく湿ったもので覆われていた。キスされたのだという認識が遅れて訪れる。
 もちろん、嫌ではなかったのだが、驚きと戸惑いと、やや遅れて怒りが沸き上がり、青子は思いっきり快斗を突き飛ばしていた。

「いって……」
「ひ、ひどーい!青子のファーストキス!返して!」
「オレもファーストキスなんだ。これでおあいこだな」
「んななななな、なにがおあいこよっ!」
「青子の唇、柔らかくてすっげ―甘い。チョコよりも」
「な、だ、だからっ!」
「ってことで、これが本命チョコってことで勘弁してやっからよ!」

 快斗のあまりの言葉に、青子の目から涙がにじみ出る。青子の涙を見て、快斗がワタワタし出す。

「へっ?あ、青子……そんなに嫌だったのか?」
「ば快斗~~~~ッ!ほんとにほんとに、何もわかってないんだからっ!」
「あ、青子……泣き止んでくれよ、頼むから……」
「か、快斗は青子の事、どう思ってるのっ!?」

 そこでようやく、快斗は、肝心の事を言っていなかったことに気づいたらしい。

「青子。好きだ。結婚しよう!」

 いきなり告白の先まで行った言葉に、青子は目をパチクリさせた。

「けけけ結婚!?」
「高校卒業したら……ダメか?」

 青子が首をふるふると横に振った。

「でも何でいきなり?」
「……大学は別の所になるかもしれねえからさ。早くブルーサファイアをオレの宝石箱にしまい込みたい」
「ブルーサファイアって青子のこと?」
「ああ。だってオメーの名前は、誕生石がサファイアだから、だっただろ?」
「いいけど……その宝石箱って、他の宝石が入ってたりしないでしょうね?」

 突然快斗が笑い始めたので、青子はむくれた。

「なんで笑うのよ!青子、真剣なんだから!」
「いや、わりぃわりぃ。親父がお袋にプロポーズしたときのお袋の返しと同じだったからさ」
「おじ様とおば様が……」

 青子は真顔になった。
 快斗の父親・黒羽盗一は、快斗と青子が幼いころに亡くなっている。快斗の母親・千影は、今も亡き夫を思い再婚していない。

「えっと……そこに入るのが青子ひとりだけだっていうんなら……いいよ……」
「やった!」

 快斗が青子を抱きしめた。そして、もう一度口づけようとしたとき。

「しっ!押すなバカ!」
「あっ!やべっ!」

 誰もいないと思っていたのに、物陰にいた同級生たちが、折り重なって二人の目の前に現れたのであった。

「お、オメーら、どうしてここに⁉」
「どうしても何も、ここ、学校だぜ?」

 今の今まで二人は忘れ果てていたが、ここは放課後の教室なのであった。
 ただしさすがに、今まで二人きりだったはずだったのに、いつの間にかクラスメートたちがこっそり陰から覗いていたのだった。

「青子!黒羽君!おめでとー!」

 青子の親友恵子が、満面の笑みで青子に抱き着いた。

「ようやっと引っ付いたと思ったら、いきなり結婚かよ!」
「いやあ、こいつららしいぜ」
「あらー、あたしは、この二人絶対結婚は早いって思ってたわ」

 気持ちが通じ合って、クラスメートたちに祝福されて、最高に幸せなバレンタインデーだった。



   ☆☆☆



 けれど。

 それからほどなくして、青子は知ってしまうのである。
 宝石を盗み出した後、撃たれて落ちてきた怪盗キッドを介抱しようとして……変装などではなく、彼が黒羽快斗本人であることを。

 事件現場近くにいた青子は、空を飛ぶキッドが、突然バランスを崩し、落ちてくるのを見て、駆け寄った。犯罪は大嫌いな青子であるが、人の命は大事だと思っているので、助けようとして思わず体が動いてしまったのだった。
 結構高いところから落ちたが、ハンググライダーが引っ掛かり、体が直接地面に激突するのは避けられ、見たところ大きなケガはしていないようだった。気を失った彼の顔が、紛れもなく間違いようもなく、恋人になったばかりの黒羽快斗であることが分かり、青子は気が遠くなりそうになった。
 けれどとにかく、見たところ軽傷だが、医者か誰かに見てもらわなければと思う。青子は迷ったが、救急車を呼ぶより先に、快斗の母親である千影に連絡した。千影は最近ラスベガスに居ることが多いのだが、幸い今は、日本にいるようだった。

『青子ちゃん?どうしたの?』
「怪盗キッドが、撃たれたみたいで、落ちてきました。幸い、傷は浅いみたいですけど、意識を失ってます……」

 携帯電話の向こうでは、息をのむ気配があった。

『分かった。すぐに行くわ……』

 そしてほどなく、千影と寺井が駆け付け、二人によって快斗は運ばれて行った。青子は、長い知り合いだという寺井も、怪盗キッドの関係者だったのかと理解する。
 以前、怪盗キッドが活躍していて、姿を消したときは、快斗はまだ子どもだった。以前の怪盗キッドと今の怪盗キッドはおそらく別人で……。

「おじ様が、怪盗キッドだったの……?」

 犯罪は嫌いだけれど、快斗が怪盗キッドになった経緯は色々あるのだろうと、青子は思った。
 青子の胸の内を様々な思いが渦巻く。ただ、キッドの正体を知ってなお、快斗への想いは変わらないということを、確信していた。

 だから青子は待った。きっと快斗が、青子に何もかも打ち明けてくれるだろうと。
 なのに……。


「君たちのクラスメートである黒羽快斗君は、家庭の事情で、卒業式を待たずに、アメリカに行くことになりました」

 快斗は、いなくなってしまったのだった。青子に何も告げずに。
 青子は、快斗の家まで行ったが、そこは無人で、「売家」の札が大きくついていた。青子は、絶望的になり、黒羽邸の前にうずくまり、声を殺して泣いた。

「快斗……快斗……快斗おっ……!!」

 高校を卒業したら快斗と結婚し、二人で大学に通いながらマジシャン快斗のお手伝いをする、そんな未来がすぐそこにあると思っていたのに、全ては崩れ去ってしまった。つい数日前の幸せから、どん底に突き落とされてしまったのだった。



   ☆☆☆


「青子さん。ボクと結婚してください」

 三月に入ってすぐ、青子は、白馬探から、突然プロポーズを受けた。

「……なんで?」
「何でって……青子さんを花嫁としたいからですよ」

 青子の返しに、探は苦笑しながら言った。

「……白馬君は、紅子ちゃんのことを好きなんだと思ってたわ……」
「いやいや、ボクはずっと青子さんのことを憎からず思っていましたよ。黒羽君がいたから諦めていたまでで」

 そういえば、と青子は思い出す。探が転校してきてすぐの頃、探は青子がチケットをゲットしたプリンスプリンスのコンサートに「是非ご一緒したい」と言ってきたことがあった。最初の頃は、ちょっとだけ青子に興味を持ったこともあったのかもしれない。
 けれど、探は紅子と出会ってからは、明らかに紅子に大きく好意を抱いたと、青子は思っている。探は女性に対し紳士的で優しいが、女たらしではない。探の行動を全て見ているわけではないが、紅子と出会ってからはおそらく、他の女性に言い寄るようなことは全くなかっただろうと、思っている。

 たとえ探が本気で青子に言い寄ったとしても、青子としては「ごめんなさい」するしかないのだが、今回の探の「プロポーズ」はどうしても嘘くさくしか感じられず、青子は本気で対応する気にもなれなかった。けれど、次の探の言葉に、青子は戦慄した。

「青子さん。あなたがボクのプロポーズを受けてくれないのであれば……怪盗キッドの正体を世間に明かすまでです」

 そう言った探の表情は真剣で、青子は戦慄した。優秀な探偵である探は、おそらくとっくにキッドの正体に気付いていたのだろう。ただ証拠がないために、現行犯逮捕しか考えていなかったのだろうが……。世間に公表されたら、快斗はもう終わりだ。そんなことにさせてはならない。

「青子さん。きっとあなたを幸せにします。だから……黒羽君のことは忘れて、ボクと……」

 探の言葉にほだされたわけではなく、快斗を守るために、青子は探のプロポーズを受けるしかなかったのだった。



   ☆☆☆



 青子の結婚相手が突然白馬探になったことに対して、クラスメートたちに特に驚きの反応はなかった。

「薄情な黒羽のヤツが悪いんだよ」
「そうそう、青子、可哀想だったもの」

 どうやら、快斗が青子にプロポーズした後、突然居なくなったことに対して、クラスメートたちはいたく青子に同情していたものらしい。なので、白馬探と中森青子の結婚は、かなり好意的に受け取られたようだ。

「白馬君。プロポーズの決め言葉は?」
「それは……内緒ですよ」

 青子は、胸が潰れそうな思いで、クラスメートたちのやり取りを見やる。
 快斗を恨む気持ちがないわけではないが、あの状況で快斗が失踪してしまったのも無理ないことだったとも思っている。ただクラスメートたちは事情を知らないし、青子から伝えるわけにもいかない。
 そして、探が脅すような真似までして青子と結婚したがることが、青子には解せない。青子にはどうしてもどうしても、探がそこまで青子のことを好きだとは思えないからだ。

 青子の一番の親友である恵子は、
「青子。薄情な黒羽君のことなんか忘れて、幸せになってね……!」
と、涙を流しながら言った。本当に青子のことを心から案じている恵子の前で、青子は何も言えなかった。

 そして、江古田学園随一の……いや、東京中探しても随一かもしれない美貌を誇る小泉紅子が、青子に声をかけてきた。
「中森さん」
「あ、紅子ちゃん……」
「簡単に気持ちが切り替わるとは思わないけれど。でも、青子さんに幸せになって欲しいと、皆、思っているのよ」

 本当に白馬君と結婚して良いの?という問いは、青子の喉元で引っ掛かった。紅子が探へ寄せる想いは、せいぜいクラスメートとしてのものでしかなかったのかもしれない。むしろ紅子は快斗のことが好きなのではと、勘ぐっていたこともあったのだ。
 紅子の表情は複雑で……やはり紅子は快斗のことが好きなのかもと、青子は思った。

 青子は、快斗を待ちたかった。正体を知られたからと黙って消えてそのまま青子をほったらかすような薄情な男ではないと、青子は信じていた。いや、信じたかった。いつか必ず迎えに来てくれると、思っていた。独り身のまま、待ちたかった。

「快斗。ごめんね……青子は、青子は快斗を待ちたかったけど……他の人と結婚しちゃうよ……」

 青子の頬を涙が伝い落ちた。



   ☆☆☆



 そして。
 結婚式は卒業式の次の日と決まり、入試の終わったクラスメートたちが力を合わせ突貫工事で結婚式準備を行った。会場は、江古田高校の講堂を借りた。
 青子も探もクリスチャンではないが、講堂を教会のようにしつらえ、祭壇とバージンロードを作り、ご丁寧に当日の牧師役を担任の教師に依頼した。二年時から青子たちを担当している担任教師は女性だったが、牧師役を快く引き受けてくれた。


 バージンロードの先に、白馬探が待っている。
 銀三に背中を押されながら、青子の頬を伝う涙は、幸せの涙などでないことを、どれだけの者が分かっているだろうか?

「なんじ、病める時も健やかなる時も……」

 臨時牧師の担任教師の声がよどみなく流れていく。
 探が返答をしようとしたその時。

「その結婚に、異議あり!」

 突然、声が響き渡った。祭壇をしつらえた上の方にある窓から、ひらりと舞い降りる影は、怪盗キッド。

「か……!」

 その名を呼ぼうとした青子は、思わず口を押える。彼の正体を知らない者たちの前で、名を呼ぶわけには行かない。
 参列している警察関係者はワタワタとし、クラスメートたちは歓声を上げた。期せずしてキッドコールが起きる。

「ふふふ、やっぱり現れたな、怪盗キッド!」

 探が、青子の前に立ちはだかり、キッドと対峙する。

「ボクが彼女と結婚となったら、きっと来ると思ったよ」
「えっ……!?」
「青子さん。協力ありがとう。彼を捕まえるには現行犯でなければね」
「まさか!そのために、好きでもない青子にプロポーズを!?」
「そ、それは……!」

 探が焦ったような顔で振り返る。

「現行犯って何のこと!?」
「彼は花嫁をさらおうとするだろう。その現行犯です」

 青子が断腸の思いで探との結婚を決意したというのに、探はキッドを逮捕するための手段として青子にプロポーズしたのかと思うと、青子は猛烈に腹が立ってきた。青子が抗議の声を上げようとしたとき、キッドの……快斗の声が響いた。

「生憎だが、これは泥棒の現行犯ではない。何故なら……ブルーサファイアは最初から私のものだからだ!」

 おお~っというどよめきが響いた。青子は、今更のように青くなる。快斗がプロポーズの時青子のことを「ブルーサファイア」と呼んだのは、クラスメートたちの多くが聞いている。これで、怪盗キッドの正体は黒羽快斗だと、皆に知られてしまうと、青子は思ったのだ。

「……なるほど。仕方がありません。では、君を捕まえるのはまたどこかの事件現場で」

 探が横にどき、怪盗キッドが青子に手を伸ばす。けれど青子は……その手を取ることが出来なかった。

「だめだよ……だめだよ、逃げて……逃げて……かい……」

 青子は、涙を流しながら頭を横に振る。
 すると、突然、青子は背中から思いっきり押されて、キッドの胸の中に飛び込む形となった。青子が振り向くと、そこには恵子がいて、親指をぐっと立てる。その背後ではクラスメートたちと、牧師に扮した担任教師が、笑顔で頷いていた。

「青子。言ったでしょ、幸せになれって!」
「恵子……みんな……」
「青子の幸せは、快斗君と一緒にいることだよね!」
「恵子……!」

 青子は、思わず恵子に駆け寄ろうとしたのだが、その前にキッドに抱えあげられてしまう。

「きゃっ!ちょっと!」
「しっかり捕まってろよ!青子!」

 キッドはハンググライダーを拡げて飛び上がった。そして、高窓から飛び立っていく。
 クラスメートたちは、歓声を上げてキッドと青子を見送った。


   ☆☆☆



「白馬君、お疲れ様。一番の立役者だね」
「……というより、悪役という感じなのですが」
「そんなことはないわよ。よくやったわ」

 怪盗キッドと青子が去った後の江古田高校講堂内では、クラスメートたちと担任教師が和気あいあいとしていた。一方、集められた警察官たちは、不得要領な表情をしている。

「探様。我々警察官の役目は、結局、何だったのですか?」
「……中森警部の娘さんの結婚を祝うことだよ。決まってるじゃないか」
「は、はあ……そうなんですね……」

 一番憮然とした顔をしているのは、青子の父親である中森警部だった。

「それにしても、黒羽君も、怪盗キッドの姿をして青子をさらいに来なくても……」
「いやいやいや、花嫁をさらう!という一世一代のパフォーマンスに、素の黒羽快斗君のままでは弱いと思ったんでしょう」
「……今時の若いもんの考えることは、さっぱり分からん」

 中森警部は溜息をついて首を振った。探はその様子を見て苦笑した。
 実は、警察官たちもクラスメートたちも、誰一人として、先ほどのキッドが本物であると気付いたものはいない。黒羽快斗が怪盗キッドに扮して来たのだと思っている。この「計画」を立案した桃井恵子も含めてだ。
 
 ついこの前、キッドが犯行後逃走時に、狙撃されて落ちたことを、探は知っていた。けれどキッドの遺体は見つからなかったし、何とか逃げおおせたのだろうということは分かっている。その後、仮にも婚約者である中森青子にも何も知らせず、突然アメリカに行ったとなると、青子に正体がばれるようなヘマをしてしまったのだろうと、そこまで探は推測を立てていた。
 彼は犯罪を憎む探偵ではあるが、快斗と青子に幸せになってもらいたいという情は持ち合わせていたので、恵子の計画に乗ることにしたのだった。

 黒羽快斗がアメリカに去った後、恵子が突然言い出した。

「ねえ。青子の結婚式を挙げようよ!絶対、黒羽君が焦って青子をさらいに来るよ!」

 クラスメートたちは、突然姿を消してしまった快斗だが、いつか青子を迎えに来るだろうと、信じてはいた。けれど、それがいつになるか分からない。携帯も番号を変えたらしく繋がらないし、連絡も取れない。なので、「早く青子を迎えに来てもらうための花嫁略奪大作戦」が、恵子によって立案されたのだった。

「でも、黒羽君にどうやって知らせるの?」
「それは、ボクが何とかしますよ」

 クラスメートの疑問に応えたのは、白馬探である。クラスメートたちも「彼なら何とかできるのだろう」という根拠のない信頼感があった。

「……まあ、悪い考えではないと思うけど、でも、誰が花婿役をやるの?」
「そりゃ、白馬君しかいないじゃない!ハンサムで背が高くて頭が良くてスポーツ万能で……快斗君を焦らせるには、彼をおいていないわ!」

 あれよあれよという間にクラスメートの中で陰謀が進み、白馬探は否応なしに花婿役を押し付けられてしまった。さすがに探もその役目は嫌だったのだが、他に適任がいないのは確かなので、仕方がない。

「もちろん、青子には内緒だからね!」
「……青子さんにも本当のところは内緒で、プロポーズしろと?」
「ええ!頑張って!」

 探は頭を悩ませ……そして、「キッドの正体をばらす」という脅しのプロポーズをしたのだったが……もちろん、どんな言葉で青子を口説いたのかは、クラスメートたちにも警官たちにも内緒である。

 中森警部と警察官たちにも、クラスメートたちと同じ説明がされた。中森警部は、そんなことで、アメリカに行ってしまった快斗が戻ってくるのか懐疑的だった。しかし、快斗が居なくなってから、笑顔を無理して取り繕って青子の痛々しい姿を見ているのが辛かったので、青子の本当の笑顔を取り戻せる可能性があるのなら、それに賭けることにしたのだった。

『しかし、警官たちもクラスメートたちも、誰一人として、今回現れたのが本物の怪盗キッドかもしれないと疑念にも思わないとは……まあ、白昼堂々と姿を現したから、ですかね?』

 それに、怪盗キッドは変装の名人で、宝石を盗みに来るときは、たいてい誰かに変装していた。今回は誰に変装するでもなく、姿を現した。そのこともあったのだろうと、探は思った。

 探はふと、やや寂しそうな表情をしている紅子に気付いた。

「小泉さん……」
「青子さん、綺麗でしたわね」
「え?そ、そうですか?」
「キッドに……い、いえ、黒羽君に抱き上げられた時の輝くような笑顔、ご覧になりませんでしたの?」
「それは……そうかもしれませんね……」

 青子は確かに可愛い娘だと思う。けれど、紅子に出会ってからは、どんな女性も色褪せてしか見えない……などと、野暮なことは言うつもりはない。
 ただそれより気になるのは、この美しい女性が、どうやら黒羽快斗に心惹かれているらしいことだ。それでも、おそらくきっぱり諦める積りなのだろうから……いつかこの女性を振り向かせてみせると、探は決意を新たにしていた。



   ☆☆☆



「青子……ごめんな、騙してて……」

 快斗の腕の中で、青子はゆっくり首を横に振る。返事をしたいが、言葉に出せず、涙が頬を流れ落ちた。
 二人はつい今しがた、結ばれたばかりだった。話をするより先に、お互いを求めたのだ。

 情熱の時間が過ぎた後、快斗は青子に全てを話した。怪盗キッドになった経緯、父親と母親のこと、そしてキッドを継いだ後に、実は父親が生きていたと分かったこと。そして、快斗が黙って青子の前から姿を消したのは、決して青子に正体がバレたからではなかったこと……。

「オレを、怪盗キッドを狙撃したのは、スゲーやばいヤツで。あのままじゃ、オレ達だけじゃなく、中森警部も青子も危険かもしれねえ状況だったんだよ。だから、ケリつけるまで、迎えに来れなかったし、連絡も出来なかった」
「快斗……」
「でも、そこへ、白馬からの結婚式の連絡だ。正直、参ったぜ……」
「あ、青子は!快斗を裏切るつもりだったんじゃないよ!で、でも……」
「ああ。わーってる。白馬からは……クラスを挙げての陰謀だと、説明があった」
「えっ!?」
「だが、オレが間に合わなかったらそのままオメーをいただくって付け加えてあったからな。ぜってー間に合わせねえとって、焦ったぜ……」
「く、クラスを挙げての陰謀!?」
「発案者は、恵子だそうだぜ?オレがきっと慌てて青子をさらいに来るだろうって、張り切って計画したそうだ」
「そ、そうだったの……みんなに感謝しなきゃね」
「あのなー。オレは、たとえその陰謀がなくても、オメーを花嫁にするって約束した卒業までには間に合うように帰って来ようって、頑張ったんだぜ」
「うん……でも、恵子にもみんなにも、感謝しなきゃ……」
「……今は他の奴らのことなんてほっといて、オレのことだけ考えろよ」

 快斗は、青子が何か言いたそうに開けた唇を塞ぎ、青子の全身に触れて行った。結ばれたばかりの二人の、また甘く熱い時間が過ぎて行った。



   ☆☆☆



「で?青子を連れて、アメリカに行く……と?」
「はい……」

 快斗は神妙な顔で、銀三の前で頭を下げていた。

「そもそも、何でいきなりアメリカにという話になったんだ!?快斗君も青子も、日本の大学に進学する予定だったんだろうが」
「……マジシャンとして身を立てるには、アメリカの方が都合が良いんです。それに、母の再婚相手が支援してくれることになって……」

 快斗の母・千影の「再婚相手」とは、快斗の父・黒羽盗一であるが、死んだことになっている盗一は、アメリカで別の名前と市民権を手に入れていたのだった。青子はそのことを快斗から打ち明けられて知っていたが、もちろんそれを口に出すことはない。

「そうか……君のお母上もようやく再婚されることになったんだな……」

 若くして妻を亡くした銀三は、若くして夫を亡くした千影に、何となく親近感を持っていた。快斗が成長してようやく、新しい相手との幸せを掴む気になった千影に、心の中でエールを送る。

「青子を連れて行くことに迷いはありましたが、ほんの短期間離れただけで、耐えられなくて……それに、やっぱり他の男には渡したくないと思って……」
「……まあ、アメリカとここは、随分離れているが、今の時代、飛行機に乗ればあっという間だ。快斗君、青子をよろしく頼む」

 銀三の言葉に、快斗は弾かれるように顔を上げた。

「えっ!?許していただけるんですか?」
「何?許さない方が良かったのか?」
「そ、そんなことは……!でも……」

 いくら幼いころから快斗を可愛がってくれていた銀三と言えども、たった一人の娘を遠くまでさらって行くのであれば、そう簡単に許すとは言えないのではないかと快斗は思っていたが、あっさりとお許しが出たことで快斗はかえって戸惑っていた。
 快斗も最初からアメリカに行く積りだったわけではない。快斗を狙撃した相手との一応の決着は見た……と言っても、盗一や千影と離れて日本に居るのは、今も危険な状況なのだ。だがそれを口に出すことはできない。

「青子がな……君がいない間、どんなにうちしおれていたか、君は知るまい。ワシはもう、青子にあんな顔をさせたくはないんだよ……」
「お父さん」
「警部……」
「ただな!結婚式もせずに行ってしまうのだけは許さん!ちゃんとけじめはつけなさい!」
「は、はい!」


 そして、改めて江古田高校の講堂を借りて、再びクラスメイト達を集め、千影とその再婚相手(盗一の変装である)も列席して、快斗と青子の結婚式が執り行われた。今度は似非牧師を立てることなく(担任は残念がっていたが)、人前式での結婚式となった。
 快斗にはその席で改めて、江古田高校の卒業証書が手渡された。

「本日、私たちふたりは、皆様の前で結婚式の誓いをたてられることを感謝し、ここに夫婦の誓いをいたします。これからは、ふたりで力を合わせて幸せな家庭を築き、生涯、お互いを愛し続けることをここに誓います」

 参列者たちの大きな拍手を受けながら、二人は誓いの口づけを交わしたのだった。


Fin.





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