Stay by me〜進路をめぐる騒動〜



byドミ



「く、工藤!考え直せ!」
「冗談だよな?な?」

年の瀬も押し迫った頃。
帝丹高校の進路指導室で、大騒ぎが起こっていた。

「冗談なんかではありません。僕は本気ですよ、先生」

キッパリと言い切る男子生徒を前にして、教師達は困惑した面持ちになっていた。


男子高校生は、工藤新一。
帝丹高校の誇る高校生探偵である。
超高校級と言われたサッカーを止めて専念した探偵活動で、数々の実績をあげ、「日本警察の救世主」「平成のホームズ」とまで謳われた男だ。

その類稀なる頭脳と、知識を身につける事に余念がない故に、成績も飛び抜けて良い。
帝丹高校の教職員は、工藤新一の進学先は当然、日本最高峰の東都大学であると信じて疑わなかった。
いや、東都大より名門である海外の大学(ケンブリッジ・オックスフォード・ハーバードなど)に留学するのであれば、頷けるけれども。国内であれば、東都大以外に考えられないと、誰しもが思っていた。

ところが。
この度、新一が出した進路希望が、北海道にある「北国大学法学部」だったのである。
北国大学も、旧帝大で名門ではあるが。
東京周辺の出身で、東都大に楽々受かる頭脳を持ちながら、わざわざ北国大学に進学しようとする者は、数少ないであろう。

新一の目の前にいるのは、現在新一の居るクラス3年B組の担任教師と、2年時の担任教師、3学年全体の進路指導担当教師、それに教頭まで、首を揃えていた。
それ程に、新一が今回出した進路希望用紙は、物議をかもしたのである。


「工藤。言っては何だが、お前は探偵になろうと考えているんだよな?正直、北海道では情報も少ないし、経験もあまり詰めないんじゃないか?」
「どこにいても、勉強は出来ますよ。今はネットで、世界中どこにいても情報は入って来ますし。あまり好ましい事ではないが、事件だって起こる。経験が積めないなんて事も、ありません」
「・・・どうして北国大学なんだ?せめて、納得出来る理由を教えてくれ」
「オレの進路なのに、それこそどうして、先生の納得が必要なんですか?」

いつもポーカーフェイスを保つ工藤新一だが、今日の新一は、不機嫌さを隠そうとしていない。
教師達が、顔を見合せて渋面を作った。

その時。

「失礼します」

鈴やかな女声が聞こえ、ドアを開けて入って来た女生徒がいた。

「ら、蘭!?何でオメーがここに!?」

新一が、目を見開いて入って来た女生徒を見詰めた。
その女生徒は、新一の幼馴染でありクラスメートであり、そして今は恋人でもある、毛利蘭であった。

「何でって・・・先生に呼ばれたんだもん。今すぐ、進路指導室に来るようにって」
「なっ!?」

蘭が、新一を見て、向かい側に陣取っている教師陣を見て、また不安そうな目つきで新一を見た。
新一が何か言うより先に、2年時の新一と蘭の担任だった教師が、口を開く。

「毛利。工藤の進路希望の事で、お前は何か聞いているか?」
「えっ?」

教師の言葉に、蘭の顔色が変わる。

「なっ!?それこそ、蘭は何の関係もないでしょう!?」

新一が、頬を紅潮させ、声を荒げて言った。

「可愛い奥さんを東京に置き去りにして、北海道に行こうなんて、一体、何を考えてんだろうな、工藤は?」


新一と蘭は、共にまだ高校生。
恋人同士ではあっても、勿論、本当の夫婦などではない。
が、帝丹高校内では、教師までも含めて、すでに「夫婦扱い」である。

それにしても、新一の進路の件で、教師達が蘭を呼び出すとは。
この2人でなければ、とても考えられない事である。

「し、新一!?本当なの、北国大に希望出したって!?」

蘭が、動揺した表情で言った。
新一は、赤くなり不貞腐れた表情で顔をそらす。

「オメーには、関係ねーだろ?」
「で、でもっ!」

「毛利。確かお前は、第1志望が東都大学文学部だったよな?」

教師の言葉に、蘭は息を呑み、目を泳がせた。

「なっ!?ら、蘭!?」

新一が、ガタンと音を立てて立ち上がり、教師と蘭を見比べながら、声をあげた。

「え・・・あ、あの・・・その・・・」

蘭は即答出来ず、声は上ずり、目が更に泳いでいた。

「なあ、工藤。毛利は、自分にはレベルは高いかもしれないと言いながら、頑張って東都大を受験するんだぞ?そんな奥さんを東京に置いて北海道に行っちまうなんて、お前は一体、何を考えてんだ?」
「けど。蘭、オメー・・・」

新一は、目を見開いたまま、蘭を見詰めて声を絞り出した。

「ごめんなさいっ!」

突然、蘭が新一に向って頭を下げた。

「蘭?」
「わたし、嘘ついたの!え、遠距離になるって聞いたら、新一が少しは慌ててくれるんじゃないかって思って・・・それで・・・」
「じゃあ・・・オメーが惚れこんでる空手選手が北国大にいて、って話は・・・」
「ごめんなさい。そんな事実はありません」

顔をあげた蘭は、目に涙を浮かべ、申し訳なさそうな表情をしていた。
新一は、最初目を見開いて思考停止状態のようだったが、ほうっと大きな息をついて、椅子に座り直した。
苦笑いして、言う。

「何だよ・・・人を散々・・・」
「だっだからっ!ふ、不安だったんだもん」
「不安?何で?」
「し、新一の気持ちが・・・だって・・・」

蘭の言葉は、教師達の咳払いによって遮られた。

「あ〜。えっと、一応ここは、学校内の施設だから、痴話喧嘩は場所を変えてからにしてくれんか?」

心持ち頬を染めた呆れ顔で、新一と蘭が2年時の担任教師が言った。
2人、真っ赤になって俯く。
現在の3年B組の担任教師が、再び咳払いして言った。

「まあ、今ので、大体の状況は分かった。って事で、工藤。お前の進路希望先は、以前口頭で聞いた通り、東都大学法学部で、構わないな?」

新一は、顔をあげて、口をパクパクさせたが。
結局、何も言えずに、首まで真っ赤にしながら頷いた。


   ☆☆☆


話は、数日前にさかのぼる。


新一も蘭も受験生。
ひと月後にセンター試験を控え、2人は、図書館で勉強したり、新一の家の居間で一緒に勉強したり、という事をやっていた。

さすがに、受験生であるという事で、警察から新一への応援要請もなるべく控えられていたが。
事件を呼ぶ体質である新一の周りには、完全に事件が絶える事はなかった。

それでも、蘭はとっくに部活を引退しているし、2人で一緒に過ごす時間は、それなりに取れる。
「勉強をするお時間」であったとしても、2人同じ空間で過ごすだけでも、心落ち着くものだ。

蘭には、新一の家の合鍵が渡されており。
新一が突然事件絡みで一緒に過ごせなくなっても、自由に出入りできるようにと、配慮された。

そして、ある日。
いつものように、新一の家の居間で、勉強をしている時。
蘭が口火を切った。

「新一は、やっぱり、東都大法学部?」
「ん?ああ。まあな・・・」

2人は恋人同士で、一緒に勉強をしながらも、実は、ハッキリと進路について話をしたのは、これが初めてであった。

「ふうん・・・」
「で?蘭は?どこに行く積りなんだ?空手部が強い杯戸大学か?それとも・・・」

新一が、逆に蘭に問う。

「わたしが、東都大を考えてるって言ったら、新一、どうする?」

蘭の言葉に、新一は困惑した表情をした。

「オメーの成績は、悪かねえけど、東都大はちょっと厳しいんじゃねえか?」
「それは、そうかもしれないけど・・・」

蘭が、俯く。

「大学のネームバリューに拘るより、勉強したい内容とか、打ち込みたい部活とか、そういうの考えた方が良いと思うぜ」
「う、うん・・・」
「頑張るのは良いけど、無理はすんなよ。オメーは結構、無理しがちなところがあっからよ」

蘭は、顔をあげて、笑顔を作った。

「そうだね。わたしに東都大は、ちょっと背伸びし過ぎかなーって、思ってたんだ。やっぱ、中身を見て、その上で、身の丈に合ったところを選ぶべきだよね」
「ま、オレも、人に偉そうに言える立場じゃねえけどよ。オレだって、東都大が絶対大丈夫って保証は、どこにもねえんだから」
「ううん。新一だったら、きっと大丈夫だよ。元から頭良いけど、地道にちゃんと勉強もしてるもん。あのね。わたし、教育学部に行って、先生になりたい」
「教育学部って、基本的に、教育学という学問をするところで、教師養成所とは違うぞ。オメーが国語の教師になりたいなら文学部とか、そっちのが良いんじゃね?」
「大学が、専門的に学問をやるところってのは、当たり前じゃない」
「ま、オメーがやりたい事をやるのが、1番なんじゃねえか?教育学部で良い教授がいるって言ったら、どこがあったかな・・・」
「あのね。すっごく尊敬出来る空手選手がいて。すっごく評判の良い教授がいて」
「うん?」
「わ、わたし。き・・・北国大学の、教育学部を、受験しようと、思ってるの」

シャープペンを持っていた新一の手が、止まった。
新一が、目を見開いて、蘭を見る。

「蘭。本気で、考えてんのか?」
「うん。本気だよ」

蘭は、新一を真っ直ぐ見詰めたままに、言った。
新一も、しばらく蘭を見詰める。

ややあって、新一は目を逸らした。

「オメーがそう決めたんなら、頑張れよ。あそこも、旧帝大で名門、レベルは高いぞ」
「・・・新一は、反対しないの?」
「オメーの人生だ。オレに、くちばし挟める筈ねえだろ?」

そう言って、再び問題集に目を落とし、シャープペンを動かし始めた新一は。
蘭が、涙をこらえて俯いた表情に気付く事はなかった。


   ☆☆☆


そして、今日。
進路志望表を提出する日で、新一と蘭はそれぞれに、担任教師に書類を渡した。
そして、新一が即行進路指導室に呼び出された・・・という訳である。


新一と蘭は、2人、肩を並べて、帰路についていた。
お互いに、時々相手をちらりと見ては、気まずげに目を逸らす。

「あ、あのさ・・・」

先に口火を切ったのは、新一の方だった。

「な、何?」

蘭が、上ずった声で返す。

「・・・あったけーよ、このマフラー」

新一の言葉に、蘭はちょっと虚を突かれたような表情をしたが、また、俯く。

「今度は、帽子でも編もっか?」
「いや・・・今は、無理だろ?」
「でも。付き合い始めてからは、まだ何も作ってないもん」

蘭が俯いて、ちょっと悲しげな表情で言った。
新一は、蘭の横顔をちらりと見て、思案する。

「じゃあ。お互いの受験が終わったらって事で」
「うん・・・」

新一が首に巻いている白いマフラーは、新一が長期にいなくなる少し前に、蘭が編んで贈ったものだった。
そして、新一が不在の間に、蘭は頑張ってセーターを編んだ。
新一も、今は制服なのでセーターまでは着てないが、寒くなった最近は、家でよく、そのセーターを着ているようである。
その贈り物はどちらも、2人がまだ「幼馴染」だったころの事である。

「そのさ。オメー、一体何が不安だったわけ?」

意を決したように、新一が問いかける。

「色々」
「色々?」
「だって・・・わたし、頑張っても、東都大には通らないかもしれないし。でも、新一は、無理するなよって言うし。わたしが一緒じゃなくても良いのかなって、思ってしまって・・・」
「そ、それはっ!」

新一だって、蘭と離れ離れになりたくない。
同じ大学に行きたいのは、山々である。

けれど、蘭は女の子だし、東都大に拘って浪人までさせる羽目になっても、可哀想だ。
たとえ大学は別でも、家はすぐ近くだし、いつでも会える。
それで良いではないかと、考えていたのだが・・・。

「お、オレは、ただ・・・」
「うん、新一。分かってるよ。今日の事で、分かったような気がする」
「蘭・・・」

蘭は、たたたっと駆け足で少し先に行き、くるりと振り返った。
そして、悪戯っぽい表情になって、少し屈み、上目遣いで新一を見る。

「でも、新一。この前は、わたしの人生は新一に関係がないような事を、言ってたのに。すっごく矛盾してない?」

新一が、真っ直ぐに蘭を見据えて、言った。

「・・・蘭には蘭の人生があって、オレがくちばし挟める訳じゃねえってのは、本心だよ。だから、オメーが本気で、北国大学を考えてんなら、止められねーって、思った。だから・・・」

蘭は、少し頬を染め、ふっと息をついて、くるりと前を向いた。

「新一。今日は、ハンバーグね」
「お、おう・・・」

新一は、小走りで蘭に追いつきながら、答える。
蘭は、横に並んだ新一の方を見て、はにかんだように微笑んだ。

「あ。わたし、ちょっとうちに寄ってから、買い物して新一の家に行くから、先に帰ってて?」
「そ、その。オメーにばかり負担かける訳にはいかねーだろ?せめて荷物持ち位、付き合うよ」
「そう?じゃ、お願い」

新一と蘭は、まず、蘭の家 まで行った。
蘭が階段を 登っているのを、新一は下から見送る。

3階の毛利家住居は、新一が去年、江戸川コナンとして、数ヶ月間、蘭や蘭の父親である小五郎と共に暮らしたところだ。
その間心ならずも、新一は(蘭から見れば)蘭の傍から離れる事になってしまったというのに、勝手な言い草だという事は、よく分かっているけれども。
新一は、蘭から離れて過ごすなんて、耐えられないと思う。

蘭は、江戸川コナンが、新一の仮の姿であった事を、今は知っているが。
だからと言って、新一が不在だった時の切ない気持ちの記憶までが、消えてなくなってしまう訳ではない。


2階の探偵事務所は、灯りがついていなかった。
小五郎は留守なのだろうかと考えていると、蘭がボストンバッグを抱えて降りて来た。

「はい、新一。持ってくれるんでしょ?」

何が入っているのだろうと考えながら、新一は蘭が差し出したボストンバッグを受け取る。

「おっちゃんは、仕事で出かけてんのか?」
「ううん。今日は、町内会の旅行だよ」
「へえ・・・」

小五郎は、そちらの方面では結構マメである。
米花町界隈は、町内会活動が、まだまだ盛んな地域だった。

「だから新一。今夜は泊めてね?」

蘭の言葉に、新一はバッグを取り落としそうになった。
という事は、入っているものは、蘭の着替えなのだろう。
その一事だけで、鼻血が出かかり、新一は慌てて口元を押さえる振りをして鼻血を隠した。

蘭は、にこにこと笑っている。

『多分・・・そういう意味じゃ、ねーよなあ・・・』

蘭の天真爛漫な笑顔に、新一は溜息をつきたくなった。

新一と蘭は、恋人同士になってから結構経つけれども。
いまだ関係は、軽いキス止まりであった。
受験が近付き、新一の家で2人きりで過ごす事は多くなったが、だからと言って、何がある訳でもない。
蘭が泊まり込むのも、全く初めてという訳ではないけれども、蘭が寝泊まりするのは客間だし、今時の高校生にしては、丸っきり健全なお付き合いであった。


新一としては、関係を焦る積りはなかった。
煩悩の大きさに、時として苦しむ事はあるけれども。
生涯、蘭と共に生きて行きたいと思っている新一としては、一時の欲望だけに身を任せる気はなかったのである。


   ☆☆☆


買い物をして工藤邸へ帰り、居間でひとしきり勉強した後、新一も手伝って、夕御飯を作る。
2人で夕食を食べ片づけをした後もまた、勉強時間である。

正直、新一にとっては、今更、問題集や参考書は必要ないと言えたけれど。
蘭に教えながら共に勉強する事で、新一自身の知識の確認や復習になっている部分もあった。
蘭が、東都大を狙っているとなれば、自然、教える方にも熱がこもる。

休憩で、コーヒーを淹れ一服している時、新一はふと気になった事を聞いてみた。

「ところでさ。教師になりたいから教育学部ってのも、嘘だったんだよな?」
「ううん。教師になりたいってのは、ホント。競争率高いだろうけど、国語の先生になりたいなって。だから、文学を真面目に勉強したいかなって思うの」
「そっか。オメー、ちゃんと将来と結び付けて、考えてんだな」
「そう言う新一は?法学部ってのは、法律を勉強して探偵活動に役立てたいって事なんだろうけど。法学部だったらどこでも良かったの?」
「いや。探偵をやる為の勉強ってのは、別に、どこでも出来るからさ。オレは・・・単に大卒って箔が、欲しいだけ。だから、オメーよりずっと、大学に行きたい理由は、いい加減なんだよ」
「わたしね。新一はそれこそ、アメリカに行って勉強するのかって思ってたよ」
「行く訳、ねーだろ?」
「どうして?そもそも何で、おじ様達がアメリカに行った時、新一は一緒に行かなかったの?」
「・・・内緒。さ、休憩は終わり、勉強始めるぞ?」
「ええ!?ずるーい!」
「何がずるいんだよ!?オメー、真剣にやらねえと、かなり危ういぞ?」

蘭が、ぶうっと頬を膨らませたが。
それ以上は文句を言わず、問題集とノートを広げた。


やがて、夜が更け。

「長丁場だからな。この程度にして、今夜は、もう休もう」

との新一の言葉で、今日の勉強は終了となった。
大きな工藤邸には、浴室は2つあるけれど、2人別々のお風呂に入るのも不経済。
蘭が先に入浴し、その間新一はパソコンを立ち上げ、「探偵として必要な」情報チェックを行った。

「お待たせ〜。お先しました」

湯上りの蘭が、居間に入って来る。
上記した肌、まだ濡れている髪、ほんのりと良い香りが漂い、新一は思わず唾を呑みこんだ。

「じゃあ、行って来る。オレを待たなくて良いから、髪を乾かしたら、さっさと寝ろよ?今の時期、風邪引いたら大変だからな?」
「うん、分かった」

新一は、振り切るようにして、浴室に向かった。

新一が入浴を済ませると、居間の灯りは既に消えていた。
蘭は、もう寝室に引き上げたようだと見て、新一は、自室に入った。



「う・・・ウソだろ?」

そこには。
新一のベッドの上で寝息を立てている、蘭の姿があった。

「おい。蘭!」

揺すってみても、一旦寝付いたらなかなか目が覚めない蘭は、起きそうにない。

「しょうがねえなあ。オレが客室の方で寝っか」

新一は苦笑し、蘭の体に布団を掛けてあげると、その場から立ち去ろうとした。
けれど。

新一は、何かに引っ張られて、身動きが取れなかった。

「げっ」

何と、蘭の手が、新一の裾を掴んで離さないのである。
何とか、蘭の手を外そうと、新一が出来る限り優しく蘭の指をほどこうとした。
すると。

「・・・行かないで・・・新一・・・」

呟いた蘭の閉じられた瞼の間から、一滴涙が零れ落ちた。
蘭はもしかして目が覚めているのかと思ったが、やっぱり眠ったままだった。

新一は胸を突かれた。
一体蘭は、どういう夢を見ているのだろう?

今夜は、眠れない夜を過ごす覚悟を決めて、新一はベッドにもぐり込み、蘭を抱き寄せた。
その柔らかく甘い唇に、そっと触れるだけのキスを落とし、新一は蘭の耳に囁いた。

「オレが、父さん達についてアメリカに行かなかったのは、オメーから離れたくなかったからだよ」
「ん・・・しんいちぃ・・・」

蘭に新一の言葉が聞こえたのかどうか、寝言で応えて微笑んだ。
一体、どんな夢を見ているのだろう。

新一は、蘭にトラウマを与えてしまった事が申し訳なく、同時に、蘭に想われている事実が嬉しかった。
蘭に通じているとは思えないが、滅多に言わない・言えない本音を、蘭に告げる。

「オレは、ずっとオメーの傍にいる。だからオメーも、オレの傍にいろ。オレからぜってー、離れるな」


誰よりも大切で愛しい蘭を、ただ腕に抱き締めて眠る夜は。
煩悩に苦しみながらも、それ以上に幸せで甘美な夜だった。


   ☆☆☆


次の日。
小春日和の暖かい日で、帝丹高校では、昼休みに、屋上で弁当を広げる女子生徒の一団があった。

「ねえねえ蘭!ゆうべ、工藤君とこにお泊りだったんですって?」
「今日の蘭は、すっごく綺麗で幸せそうだし。って事は、とうとう、新一君と?」
「はあ・・・二人はとうとう、本当の夫婦かあ・・・」

蘭は、きょとんとする。

「新一の家に泊まったのは、昨夜が初めてじゃないよ?」
「えっ!?でも、蘭、まだ処女だって言ってなかった?」
「園子、なな、何て事言うのよっ!?」

蘭は、真っ赤になった。

「でも、昨夜は新一君と同じベッドに寝たんでしょ?」
「う、うん・・・でも・・・」
「新一君、手を出さなかったの?」
「・・・待ってる間に、わたしが寝ちゃったから。目が覚めたら朝で、新一が隣に寝てたからビックリした」

園子を含めた、蘭の女子クラスメート達は、驚愕の表情になった。

「実は寝てる間に・・・って事はないわよね?」
「それはさすがに。いくら寝起きの悪い蘭でも、気付かない筈ないじゃない。それに、朝、服は着たままだったんでしょ?」
「う、うん・・・」

蘭が、赤面しながら頷く。


元はと言えば。

このところ、新一の家で2人きりで過ごす事が多くなったのに、いつも健全な雰囲気で、何事もない事を不安に思った蘭が、クラスメートにその不安を零した事が、発端だった。
別に蘭は、今の時点で、新一とキス以上の関係になる事を、積極的に望んでいる訳ではないけれど。

「もしかして、わたし新一から、本当は女として愛されてないのかも?」
「もしかして、新一から見たわたしって、全然魅力がないのかも?」

そういう不安が、蘭の心に巣食い始めたのであった。

で、園子達が出したアイディアが、蘭が遠くの大学に行くと言って新一を慌てさせよう、というものだったのだが。
数日前、蘭がそれを実行した時は、悪い結果が出た・・・ように、思えた。

園子も、他の女子も、「新一君は、蘭が大事だから、蘭の意思を尊重したのよ」と、必死で蘭を慰めたけれど。
蘭の落ち込みようは、半端ではなかった。


けれど、昨日。
蘭は久し振りに新一と共に帰り。
今日登校した蘭は、幸せオーラを身にまとい、とても綺麗だった。



「だって。新一が、わたしの事考えてくれてるんだって、ちゃんと好きでいてくれてるんだって、分かったんだもん」

蘭から、進路希望の一件を聞かされて、女子一同は大きく頷いた。

「まさか新一君が北国大学への進路希望を出すなんて、さすがに、この園子様だって予想外の事だったわ」
「蘭を止められないなら、自分が北海道に行こうって辺りが、可愛いじゃない?」
「でも、工藤君も迂闊よね。空手部に蘭が憧れそうな選手がいるのか、教育学部に蘭が尊敬するような教授がいるのか、ちょっと調べれば、分かるじゃん、ねえ?」
「そ、それがね。新一、一応調べたらしいのよ。で、わたしはデタラメ言った筈だったんだけど。現女子空手部主将は、全国大会でメダルを取った人だし、教育学部には沢山本を出して有名な教授がいるしで、新一は余計に、わたしが本気で北国大学に行くんだって、思っちゃったらしいのね」

蘭が頬を染めて言った言葉に、一同は、思いっきり脱力した。

「ま。良かったじゃない。新一君の気持ちがハッキリ分かって」
「うん」

蘭は、頬を染めて頷いた。
昨夜、蘭は夢うつつだったけれど、新一が確かに言ってくれたと、確信を持っている言葉がある。


『オレが、父さん達についてアメリカに行かなかったのは、オメーから離れたくなかったからだよ』
『オレは、ずっとオメーの傍にいる。だからオメーも、オレの傍にいろ。オレからぜってー、離れるな』


面と向かっては、なかなか言ってくれない新一の本音。
それが聞けたから、今日の蘭はとても幸せで満ち足りていた。
そして、この言葉は、園子にすら言う気はない、蘭だけの秘密なのである。


「それに、新一って、その手の事には淡白で、あんまり欲望もないみたいだから。別に、関係を焦る必要はないかなって思うの」

ニッコリ笑って言った蘭の最後の言葉に、女子一同は、呆然とした。



「そんな事は、ないと思うよ。ねえ?」
「蘭もホント、この手の事には鈍いから・・・」
「昨夜は絶対、工藤君、我慢に我慢を重ねてたのに」
「蘭がグースカ眠った分、新一君はきっと眠れなかったでしょうにね。はあ、気の毒なヤツ・・・」


幸せそうに笑う蘭をよそに、女子一同は、少しばかり新一に同情して、溜息をついていた。



Fin.



+++++++++++++++++++


<後書き>

原点回帰。

ラブラブだけどほのぼのな、原作設定新蘭を、書きたい。
今回のお話を書いた動機です。

最後、女子一同に少し同情されてる新一君ですけど、きっと、そういう部分まで含めて、とっても幸せなんだと思います。

タイトルは、完売某同人誌と似てますが、中身は全然違います。
お互いに、そう望んでいる言葉だって事で。

サブタイトルは、一応、中身の説明。
最初は、こっちの方がメインタイトルだったんですけどね、どうもしっくり来なくて。

少しでもお楽しみ頂ければ、幸いです。

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