時には流されてみるのもいい



byドミ



2月。
とある日が近付いて来て、警視庁は、捜査1課を中心として殺気立っていた。


別に、連続爆破魔の犯行予告日が近付いたとか、さる凶悪犯罪の時効が近付いたとか、そういう理由ではない。
いまや日本全国のお祭りと化してしまった、女性が意中の男性にチョコレートを贈るイベント日である、2月14日―聖バレンタインデーが、近付いてきたのだ。

そのようなイベントには全く無縁な筈なのに、何ゆえ、警視庁の中が殺気立つのか。
それは、彼らのアイドル・警視庁捜査1課の佐藤美和子警部補が、(彼らは決して認めようとしないが)恋人である高木渉巡査部長に、チョコレートを渡すのではないかと思われるからである。



『白鳥警部、今日、佐藤刑事は真っ直ぐ家に帰り、特にチョコレートを買いに店に寄った様子は見受けませんでした』
「ご苦労。あと3日、皆、気を抜かずに監視を続けたまえ」

そう言って白鳥警部は部下からの通信を切った。

キャリアであり、若くして警部に昇進した白鳥任三郎は、最初から佐藤刑事に目を付け、いまだに諦めていない。
そして、今では佐藤刑事ファンクラブのリーダー的存在となり、高木刑事との恋路への妨害に余念がないのであった。
こうやって、仕事中だというのに職権乱用する事など、日常茶飯事である。

今現在はファンクラブの面々を顎で使っている白鳥警部だが、もし彼が佐藤刑事と恋仲になる事に成功したら、今度は彼がファンクラブの面々から恨みを買い矛先を向けられるだろう。
誰かが抜け駆けしたらその時点でファンクラブの矛先がそちらに向く、彼らの結束などその程度のものだ。
けれど幸か不幸か、佐藤刑事が高木刑事以外の男性に目を向けそうな様子はなく、ファンクラブの結束はずっと固いままであった。


   ☆☆☆


そして、運命(?)の2月14日を迎えた。
もとより祭日ではなく、今年は土曜でも日曜でもない。

元々警視庁捜査1課は、年中無休ではあるけれど。

そして、高木刑事と佐藤刑事は両名とも、別段非番でもなく普通に出勤して来ていた。

『2人、出勤は別々でした』
「当たり前だ、一緒に出勤されてたまるものか。引き続き、2人きりで接触しないように、見張りを続けてくれたまえ」

白鳥警部と部下のやり取りも相変わらずである。


渦中の高木刑事は、朝から期待に胸弾ませると同時に、警視庁のいたるところから殺気のこもった視線を受け続けて、げっそりもしていた。


「高木君」

佐藤刑事が高木刑事のデスクに近付いて声を掛けると、それが単なる仕事の用事であるにも関わらず、殺気は非常に強くなり、妖気まで混じっている始末。

「な、なんすか、佐藤さん」

高木刑事は、先輩刑事で今は自分の恋人である女性を見上げながら、返事をする。

「昨日の報告書の事なんだけね・・・」
「ああ、それは・・・」

高木刑事と佐藤刑事は、2人共、基本的に真面目で仕事熱心なので、すぐに仕事中の顔になる。


『2人会話をしていますが、表情から見て仕事の話のようです』
「うむ。美和子さんは真面目だからなあ。だが、油断は禁物だ」

白鳥警部も、佐藤刑事の事さえ絡まなければ、普段は真面目で仕事熱心なのであるが、このような場合には私情を100%仕事に持ち込む、困った人物であった。
それは、ファンクラブの他のメンバーも同様である。


たくさんの殺気を受け止めながらも、高木刑事は幸せで、朝から期待に胸膨らませフワフワソワソワしていた。

『チョコを貰うのは、仕事中は流石に拙いよなあ。だったら帰りに食事にでも誘って・・・いやいやそれは妨害が入る恐れがあるし・・・』

いくら仕事熱心で真面目な高木刑事も、特に危急な事件も起こっていない今日のような日は、どうしても思考が「そちら」に流れてしまうのは、仕方がない事であった。
しかし、この後事態は思いがけない展開を見せるのである。


   ☆☆☆


「ええ!?チョコ?あげないわよ、そんなもの」

佐藤刑事が、警視庁の自販機の前で、同期で仲の良い交通課の宮本由美巡査と偶然会った際、高木刑事にいつどんなチョコを渡すのか訊かれて、答えたのが先のセリフである。

「ええ!?あげないって・・・何で!?美和子達、付き合ってんでしょ!?」
「あのね。バレンタインデーなんて、良く知らないけどそもそもキリスト教の行事でしょ?クリスチャンでもない私には関係ないし。それに、今日は仕事でしょ。私達警察官は、いつどんな時でもベストを尽くして任務をまっとう出来るように、精一杯努力しなければいけないのよ。チャラチャラした世情に流されて浮ついて、任務をおろそかにするなんて、許されない事よ。だから私は、流行に乗ってチョコレートをあげようなんて、思ってないの」
「美和子・・・そりゃ、そうかも知れないけどさ・・・恋人同士、ちょっと位は浮ついたとこがあっても良いんじゃないかって、私は思うよ。勿論、仕事に差し支えない程度だったらって話だけどね」
「それに、高木君って甘いもの好きじゃないらしいし、チョコレートなんか贈ったって、迷惑なだけだと思うわ」
「美和子・・・今日という日に、いくら何でもそれはないと思う」
「第一、私チョコなんて買ってないし」
「高木君、可哀想・・・」
「じゃあ、由美があげたら?」
「それじゃ意味がないんだってば。第一、本当にそんな事したら、美和子妬いて怒るくせに」

2人の会話は、勿論斥候(爆)からすぐ白鳥警部に報告され、あっという間に警視庁中を席巻した。
そしてそのニュースはすぐに、「親切な」刑事達によって、高木刑事の元にも、もたらされたのである。

高木刑事は流石に、ガックリと肩を落とすしかなかった。


「そうか、美和子さんは流行に惑わされないのだな。そういうところも本当に素晴らしい女性だ」

白鳥警部がウットリしたように言った。
もっとも彼の場合、佐藤刑事のやる事言う事なら、全て賛美するだろう。


その後、事件が起こったり、容疑者の追跡劇があったり、捜査1課は慌しくなり、皆今度は本当に「仕事」で殺気立つ事となった。
高木佐藤両刑事も、残務処理その他で時間がかかり、仕事が全て終わったのは、夜も遅くなってからの事であった。


   ☆☆☆


「佐藤刑事、この後、食事にでも・・・」

周りから突き刺さる視線を感じながらも、高木刑事は果敢に佐藤刑事を誘った。
チョコレートは既に諦めているが、せめて恋人同士らしい時間は過ごしたいではないか。

多分、ムードたっぷりな場所などではなく庶民的な美味しいラーメン屋あたりであろうが、それでも2人で食事を出来るだけで、幸せというものだ。
けれど、ああ無情。

「ごめん、高木君。暫く非番じゃないし、今日はもう帰って、早く休む事にするわ」

高木刑事は撃沈し、斥候からその様子を伝えられた佐藤刑事ファンクラブの面々は快哉を叫んだ。

「高木君。疲れたでしょ。自販機で飲み物買ってくるから、待ってて」
「あ、佐藤さん、それなら俺が」
「今日は私の奢り。と言っても、紙コップの飲み物いっぱいだけどね」

そう言って、佐藤刑事は駆けて行った。

高木刑事は愛しそうにその後姿を見送る。
佐藤刑事は刑事という仕事に誇りを持ち、仕事熱心で、流行に左右されたりしない1本筋が通った女性だ。
その佐藤刑事を好きになったのだから、チョコレートを期待する方が間違いというものだろうと、高木刑事は考えた。

佐藤刑事が高木刑事のどこを好きになってくれたのかと言えば、やはり何と言っても、警察官という仕事に真面目で熱心な部分が大きかろうと思っている。
バレンタインがどうたらとか、高校生のような情けない事は言ってられないぞと、高木刑事は気を引き締め直した。


「・・・佐藤さん、遅いな・・・」

自販機で飲み物を買ってくるにしては時間がかかるなと高木刑事が心配になった頃。
ようやく佐藤刑事が姿を見せた。

「はい、高木君」

ふわりと漂う甘い香りに、高木刑事は首を傾げた。

「これ、ココアですか・・・?」
「そうとも言うわね。普段飲まないだろうけど、今日は疲れてるだろうから、時には甘いものも良いと思うわ」

高木刑事は、ありがたく頂く事にした。
その「ココア」はコクがあり、ほろ苦く甘く、とても美味しく感じた。

「佐藤さん?俺、ここの自販機でココア飲んだ事って殆どないけど、これ、いつもと違ってすげー美味いように感じるんすけど。やっぱり疲れているからかな?」
「・・・一応、手作りなのよ、それ」
「は?」

高木刑事は、佐藤刑事の言う意味が分からず、思わず目が点になっていた。
気の所為か、佐藤刑事は顔を赤くしている。

「あのね。インスタントじゃなくてちゃんとココアパウダーと牛乳で練って作ったの。ちょっとリッチに、ディゴバのチョコひと欠片と生クリームをひと垂らし入れて」
「は?あの・・・」
「知ってる?昔は、板チョコなんてなくて。チョコレートと言えば、ホットチョコレート、つまりココアだったって事」

流石にそこまで来て、高木刑事にも、全てが分かった。

「本当は、馬鹿馬鹿しいかと思ったのよ。でもね、時には流行とか世情とかに流されてみるのも良いかと思って」

佐藤刑事が真っ赤な顔で言った。

「・・・とても美味しいっすよ。温まるし」
「無理してそんな事言わなくって良いわ」
「いや、マジで。とても嬉いっす」

高木刑事は、身も心もあったまり、先程とはうって変わって幸せを噛み締めていた。


相変わらず、2人の姿を遠くから見ている斥候は居たが、流石に会話の内容までは聞こえなかった。
そして、佐藤刑事がキッチンで高木刑事の為にホットチョコレートを手作りしていた事に気付いた者は居ない。

2人の楽しそうな表情や、顔を赤らめた佐藤刑事の姿に、ファンクラブの面々は色めき立ったが、それでも、佐藤刑事から高木刑事に、バレンタインのチョコが渡された事を知る者は、誰も居なかった。



Fin.




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<後書き>

今年のバレンタインは、私には珍しい高佐。
私いまだに、佐藤さんってどんな人か掴めないんですよねえ。
だから、こんな言動をさせて合ってるのかどうか、全然見当つかないです。

ともあれ、この2人は、ファンクラブの面々の妨害をはねのけて、幸せになってくれる事と思っています。

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