特別な日(2007年工藤の日記念小説)




byドミ



「え゛?蘭、あんた達って、入籍がまだだったの?」

親友の園子の素っ頓狂な声に、わたしは思わず耳を塞いだ。

「園子、声が大きい」
「で?蘭、本当なの?」
「う、うん・・・」
「高校卒業と同時に同棲して、今年は大々的に結婚式を挙げて。20歳になると同時に、とっくに籍なんか入れてるって思ってたよ」

わたしの名は、毛利蘭。
うん、いまだに「毛利」だ。

幼馴染の工藤新一と、高校時代に恋人同士になって。
高校卒業と同時に、同居(世間ではこれを同棲と言う)して。
2人とも20歳になった今年、6月に式を挙げて、わたしは名実共に「新一の妻」となった。

筈なのだが。
実は、「法的な夫婦」には、未だ、なっていなかった。


高校卒業と同時に、新一の家に同居する事を、わたしの父・毛利小五郎は、渋々認めたのだが。
入籍については、許してくれなかった。

「お前らは、まだ半人前だろうが。式も挙げてねえクセに、籍だけ入れる?俺は許さんぞ」

他にも色々言っていたけれど。
どうも、父の「最後の抵抗」だったみたいだ。

で、わたし達はまだ大学生だけれど、「親の許可が必要でなくなった」20歳になった今年、6月のはじめに、結婚式披露宴を執り行った。
新一のご両親も、アドバイスや援助はして下さったけれど、基本的にはわたしの好きなようにして良いって言ってくれたし、うちの両親も式次第に対してはくちばし挟もうとしなかったし。
新一は、「蘭のしたいようにすればイイ」って言ってくれたから。
友人達の協力も得て、温かいアットホームな結婚式披露宴が出来たと思う。

ただ、「結婚式披露宴」って、準備がすごく大変なのね。
ましてや、「手作りの結婚式」に拘ったもんだから、事務的な事とか、作るものとか、何やかんやで、本当に「寝る間も惜しむ」位、大変だったの。
新一は、ただでさえ学業と探偵業(高校時代と違って報酬を貰っているから、責任の重さも違う)とを両立させて、それだけでも大変だったのに。
「オレに出来ることは」って、頑張ってくれて。

結婚式が終わった時は、勿論ものすごく感動したんだけど、虚脱状態だった。


で。
気がついたら、「籍を入れるのがまだ」だった訳。


そして、新一もわたしも何となく、「ま、今更イイか」で、焦らなかった。
わたし達の気持ちと絆は、何があっても揺るがないって信じているし。
式を挙げた事で、世間的には夫婦と認知して貰っている。

籍なんか、入ってても入ってなくても、新一とわたしは、一身同体の夫婦なんだって、そう思っていた。


で、今回の園子の雄たけびは。
わたしが、大学に提出する書類に「毛利蘭」と記入しているのを見られた事に、端を発する。

「別に、籍を入れない事を選んだ訳じゃないけど・・・でも、新一とわたしとは、席が入っていても入ってなくても、そんな事関係ない位、気持ちがひとつだって、思っているから・・・」
「そりゃまあ、蘭達は昔から夫婦してたから今更・・・って気がするのも、分かるけどさあ。あんた、甘いわよ!」
「何がよ?」
「考えてもみてよ。法的に正式な夫婦じゃなきゃ、新一君に何か遭った時、保険金も保証金も、受け取るのは、金なんか有り余っているあのご両親で、蘭にはビタ一文入らないのよ!」
「何か遭ったときって・・・縁起でもない事、言わないでよ!」
「間、それは本当に万一の時かもしれないけどさ、あんた達、同い年なんだから、平均寿命から言って、先に逝く可能性が高いのは新一君の方でしょ?その時、寡婦年金も貰えないのよ」
「わたしが年金を受け取る年齢になるまで、寡婦年金制度が残ってるかどうかなんて、分からないじゃないの」
「でもさ。あんた達、子供が出来たらどうする気よ?」
「え?」
「苗字もだけどさ。子供は非嫡出子扱いになっちゃうよ?」

わたしはさすがにちょっと考え込んだけど。

「でも、妊娠してから籍を入れても、遅くないと思うし?」

そう答えたのだった。


   ☆☆☆


「ねえねえ、毛利先輩のとこって、夫婦別姓なんですって?」

空手部合宿の、練習の合間、休憩時間に。
外の水道で顔を洗っていると、空手サークルの後輩・高橋由香里から声をかけられ、わたしは戸惑った。

「え?別に、そういう訳じゃ・・・」

園子とわたしとのやり取りが、しっかり誰かに聞かれていたものらしい。
その噂は、瞬く間に大学中を席巻していた。

わたしも新一も、帝丹大学に進学したのだけれど。
高校時代と違い、周囲の目は温かいものばかりではなかった。

色々と、陰口や誹謗中傷があっている事を、わたしは知っている。

園子からは、後で、

「ごめん、わたしが大声を上げたせいで」

と、平謝りに謝られたのだけれど。
これは、園子の責任なんかじゃない。


「やっぱり、2人さえしっかりしていれば、という訳には、行かないものなのかなあ・・・」

思いがけず起こった嵐に、わたしはため息をつく。


幸いと言うか、噂が広まってすぐに、夏休みに入ったので、その間に大分落ち着くだろうと思っていたのだが。
空手部の合宿で、わたしは色々と詮索される事になった。


「ええ!?あたし、別姓なんてカッコいいって、思ってたのにい」
「あの、わたしも新一も、別にそんな、大それた信念がある訳じゃ・・・」
「でも、毛利先輩ぃ、せっかくだから、最先端行ってみれば良いのに」

そこへ、平田佳代先輩の冷ややかな声がかかった。

「夫婦別姓と言えば聞こえは良いけど、結局、毛利さん達のは、単なる同棲なんじゃないの」

わたしは冷水を浴びた気持ちになって、立ち尽くした。
由香里ちゃんが、平田先輩に食って掛かる。

「そんな言い方、あんまりですよ!平田先輩、僻んでるんじゃないですか?」

平田先輩の顔色が、見る見る変わった。
わたしを庇って、言ってはならない事を言ってしまった由香里ちゃんに、わたしはオロオロした。
由香里ちゃんの気持ちを考えると、とても怒れない。
でも、平田先輩も、顔を潰されて、黙っては居られないだろう。

そこへ、キャプテンである塚本数美先輩の鶴の一声がかかった。

「2人とも、いい加減にしな。そもそも佳代、あんたが最初に無神経な事を言ったのが悪い。だけど、高橋も先輩に対して口が過ぎた。佳代は毛利に、高橋は佳代に、謝りな。イイね?」

2人とも、不承不承に、数美先輩の言う通りにして。
とりあえずその場は、収まった。

「毛利、ちょっと良いか?」

練習に戻ろうとしたわたし達だったが、わたし一人、数美先輩に呼び止められた。

「はい、キャプテン」
「・・・あのな。プライベートな事に口を挟むのは本意じゃないが。そもそも、学生結婚ってだけで、色眼鏡で見たり、悪く思ったりする人が居るのは、事実なんだ。ましてや、籍が入ってないって周りに知られるのは、充分過ぎるスキャンダルだよ。毛利が何らかの信念を持って籍入れないってんなら、それもありだと思うけど、そういう訳じゃ、ないんだろう?」
「はい・・・」
「これが、そこらの凡人同士なら、別に何て事はない話だ。けど、工藤新一は全国に名だたる探偵で、毛利蘭は全国でも屈指の空手選手。良くも悪くも、世間の注目を浴びる2人なんだから、言動には充分注意した方が良い」
「はい。ありがとうございます!」

数美先輩は、実力もさる事ながら、その人柄が見込まれて、皆からキャプテンに押された人だ。
わたしには、高校時代から通しての先輩で、帝丹高時代はわたしの前の空手部キャプテンで、わたしの事も新一の事も、よく分かってくれている理解者だ。
その数美先輩からの言葉は、わたしの胸を突いた。

わたし達は、真剣で、決して浮ついている訳ではない。
でも、わたし達の胸を切り開いて、世間に見せる事は出来ない。
世間が見るのは、表に現れる部分だけだ。
それは、心して置かなければならない部分だった。


   ☆☆☆


「おい、蘭!オメー、新一の野郎と、入籍はまだだったのか!?」

空手部合宿が終わったすぐ後に。
わたしが所用あって近くまで来たついでに、毛利探偵事務所を訪れると、困惑顔の父に、いきなりそう切り出された。
大学での噂が父にまで届いたのかと驚いたが、そうではなかった。
たまたま、戸籍謄本の写しが必要になった父が、役所で書類を見て、わたしの籍が未だ、両親と同戸籍に残っている事に、気付いたのだった。

「う、うん・・・何やかんやで、届けを出しそびれてて」
「オメー、それはちょっと拙いんじゃねえのか?けじめがなさ過ぎるぞ」
「けじめなんて、よく言うわね。元はと言えば、新一君と蘭が同居を始めた時に、籍を入れさせておけば、何て事はなかった話でしょ?同棲を許したのに入籍を許さなかった時点で、けじめがなかったのは、あなたの方だわ」

奥から、コーヒーをトレイに入れて持って来た母が、そう言った。

「お母さん?まさか、弁護士辞めちゃったの?」

わたしは、目を丸くして言った。
母は、わたしと入れ替わるように戻って来て、長い別居は解消されたのだけれど。
今はここから、妃法律事務所に通っていた筈だ。

「たまたまよ。今日はこの宿六に、協力を頼みたい事があってね」
「ふうん・・・」

父と母は、仕事上でも協力し合って、結構いい関係みたい。

「で、蘭?どうするの?」
「う、うん・・・焦る事ないかって思ってたんだけど・・・やっぱり、このままズルズルけじめがないのは良くないかなって思うようになって来たから・・・」

母の問いにわたしがそう返すと、母は少し悪戯っぽい笑顔になって言った。

「あら、そう。てっきり、いつ別れても戸籍に傷がつかないよう、そのままにする積りかと思ったわ」
「もう!お母さんってば、そんな筈、ないでしょう?」

母は、冗談だというように笑っていたが、案外半分本気かも知れないので、油断ならない。

わたしは、両親とのやり取りで、もうひとつ気づいた事があった。
戸籍上、わたしはまだ父と母と同一戸籍に居て。
新一は、新一のご両親と同一戸籍に居て。

新一とわたしとは、いくら、「身も心も一つ」と言ったところで、法的には家族ではなく、赤の他人なのだ。
結婚と恋人同士との大きな違いは、「ひとつの家族になる」「家族に対して2人で責任を負う」という事なのに。
今の新一とわたしとでは、法的にそう見なされていない。

「まあ、昔はね。戸籍よりも、儀式の方が大切だったから。式を挙げたかどうかが一番重要だったのだけど。今は、籍を入れた入れないが、けじめだと見なされているから」

母が真面目くさって言った。
父が、顎に手を当て、考え込む。

「蘭。ものは考えようだ。今から届けを出すって事は、毛利姓にする事も可能だよな?」
「へっ!?」

思いがけない事を言われ、わたしは素っ頓狂な声を上げた。
そりゃ、確かに、結婚する場合、「夫婦どちらの姓にしても良い」事は、知っているけれど。
わたしにはあえて、毛利に拘る気はなかったから。

「いや、一応、男女同権の世の中だ。旦那の方じゃなくて、嫁さんの姓にしたって構わん訳だしな」
「あら。じゃああなた、一度離婚しましょうか?」
「えええっ!?」
「はあっ!?英理!?」

父の言葉に、横から母が、とんでもない発言をしたので、父もわたしも目を剥いた。

「で、今度は妃姓で、入籍しましょうよ、あなたvv」
「お、おいおい、英理・・・」
「だって、妃の方が毛利より珍しい姓ですもの、妃家の子供は私1人だから、残したいわ。で、蘭は妃蘭となってから、新一君と届けを出してくれれば・・・」
「おいおいおいおい!」
「・・・あなたが、男女同権を言い訳になんか、するからよ」

まったくもう。
この2人、仲が良いのか悪いのか。
いや、仲が良いから、遠慮なく毒のある言葉が出し合えるのだって、分かっているけれども。

「でもま、蘭。男女別姓はまだ制度化されていないけど、そういう動きもあるから、待つのも良いんじゃない?」
「それは、制度が出来た時に考えるわ、お母さん」

そう言ってわたしは立ち上がった。

わたしは、毛利探偵事務所を出て、階段を下りたところで、ため息をついて事務所を振り仰いだ。
もうここは既に、わたしにとって「実家」であり、「今の家」ではない。

父と母は、ずっと、生涯、わたしの親だけれども。
わたしはもう、そこから巣立ったのだ。
いつまでも、娘気分では居られない。

結婚とは、社会的にひとつの家族として認められ、一人前の大人として受け入れられる「制度」だから。
儀式も、入籍も、その為に必要なものなのだ。
わたしは、決意を新たにして、「家」に帰って行った。


   ☆☆☆


けれど、何だか間が悪くて。
わたしは新一と、きちんと話も出来ないまま、ずるずると日を重ねて行った。
そしてわたしは、二度目の空手部合宿を迎えた。

帝丹大学空手部は、夏期休暇の初め頃と終わり頃に一度ずつ、強化合宿を行う。
前半の合宿は男女別で、後半の合宿は男女合同だ。(勿論、宿泊は完全に分かれているが)


前回、数美先輩が釘を刺した為か、今回、女子部員からわたしへの風当たりは、全くなかった。
合宿中は、特に何か問題が起こる事もなく、終了した。

だが、合宿が終わった後に、問題が起こった。

合宿終了後は、ほぼ強制的に全員参加の打ち上げになる。
で、まあ、一次会では一美先輩もいたし、特にどうと言う事もなかったのだが。(未成年者も含めてお酒を飲む事に関しては、褒められた事ではないけど、ご愛嬌として)

店を出て、そのまま流れ解散で、わたしも帰ろうとしていた時に、酔った男子部の先輩にとっつかまったのである。

「毛利」
「きゃああっ!」

いきなり肩を抱かれ、わたしは思わず胸を庇うように手を当てて、悲鳴を上げていた。

「もう一軒、二次会行くぞ」
「わ、わたし、帰ります!」
「まだ、宵の口だろうが。俺達に付き合えよ」

周りを見回せば、頼りになりそうな空手部員達は、もう帰った後だった。
男子部員の中でも、信頼出来る人は既に、他の人達と別の店に行ってしまったものらしい。

好きでもない男性に、肩を抱き寄せられた嫌悪感で、わたしは身震いする。

「わたし、家に帰らなきゃ!夫が待ってるんです!放して下さい!」
「夫ぉ?同棲状態の彼氏だろ?」
「えっ!?」

わたしの顔を覗き込む先輩の顔には、下卑た笑いが浮かんでいた。

「こ〜んな清純な顔して、いっつも工藤と宜しくやってんだろお?イイじゃん、たまには他の男と遊んでみろよ。別に人妻じゃねえんだから、別に堅い事言わなくたって、イイだろお?もうり?」

ことさらに、「毛利」と強調して呼ぶ。
私がまだ正式に工藤姓ではない事を揶揄している事は、明らかだった。

普段、素面の時には、さすがにこんな事をする先輩ではないけれど。
それでも、心のどこかで、わたし達の事をこんな風に見ていたんだなと思う。
そして、そんな見方をしているのは、おそらくこの先輩だけではないのだ。

わたしは、たいていの男の人には負けないと思うけど、悪い事にこの人は、空手部の先輩で。
力ずくで来られた場合、太刀打ちできないという事実に、わたしは戦慄する。

そう言えば今日は確か、仏滅だったような気がする。
でも、だからって何で、こんな事に。

「・・・!やあ!放して!!」

抱きすくめようとする先輩に、わたしは渾身の力で抗った。

わたしが新一の法的な妻であろうがなかろうが。
義務感でも貞節観念でも何でもなく。

新一以外の男性に触れられるなんて、嫌だ。

抱きしめられたり、口付けられたり、わたしの全てに触れられるのが嬉しいのは、新一だけ。
他の男の人となんて、嫌悪の対象でしかない。


いきなり、風を切る音がしたと思うと、わたしの頭をかすめた物が、先輩の顔面を直撃し、先輩はその場に転がった。
転々と転がって行くサッカーボールを見て、わたしは、誰が助けてくれたかを知り、振り返る。


「新一!」

わたしは、全力で駆け出した。
新一も、わたしに向かって駆けて来る。

合宿で、何日も顔を合わせなかった。
その間、他の部員も一緒だったので、ろくに連絡も出来なかった。

会いたかった。
顔を見たかった。
声を聞きたかった。

そして。


「蘭!」

わたしは新一の腕に飛び込んだ。
きついほど強く、抱き締められる。

わたしの体全体を、甘い痺れが襲う。

ああ。
新一にだったら、触れられる事がこんなにも嬉しい。
この人は、わたしの生涯かけてただ一人の人。


「蘭。大丈夫だったか?」
「え?」

新一に、切羽詰った声で問われ、わたしは顔をあげる。

「あの男に、何もされてねえか?」
「う、うん・・・肩を抱かれただけ」

その嫌悪感を思い出して、わたしは身震いする。

「蘭・・・良かった、間に合って・・・」

新一がわたしの髪に頬ずりし、頭と背中を撫でる。
それが、心地良い。


新一が、ボールを受けて倒れている先輩を見やった。

「野郎!よくも蘭を!」
「し、新一、止めて!」
「蘭、何で止める!?」
「・・・あんな人の為に犯罪者になる新一を、見たくない」
「わーった。じゃあ、行くぞ」

新一は、あっさり思考を切り替えると、わたしの手を引いてズンズン歩いた。

わたしはホッとする。
新一にそれなりの戦闘能力があるのは知っているし、あの先輩とも渡り合えるだろうと思う。
けれど、仮にも先輩は、空手選手だから。
それこそ、「あんな男の為に」新一に万一の事が遭っては、たまらない。

ただ、多分、酔っていたと言っても、先輩は今日の事を忘れてはいないだろうから。
今後、サークルで顔を合わせた時、どうなるのか、不安だった。


その先輩が、何故か、夏期休暇が終わった時には、帝丹大学に籍が無くなっていた。
わたしはもう、2度とその先輩を見る事はなく、どこに行ったものかも分からないのだけれど。
この時点では、そんな事まで予想できていなかった。


わたしは新一に手を引かれながら、道々、サークルの人達に言われた事、わたしの親と話した事を、新一に説明した。
新一が、大きく息をついて、足を止めた。


「蘭。今すぐ、籍を入れに行こう!」
「えっ!?新一?」
「オレ達は、れっきとした夫婦なのに。んな事で、蘭がんな目に遭わせられて、たまっかよ!行くぞ!」

そう言って新一は、強引にわたしを引っ張っていく。

「え!?で、でも、新一、今はもう、役所は閉まってるよ!」
「大丈夫、米花市役所は、戸籍関係の届けを受け付ける夜間窓口があっからよ」
「で、でも、新一、待って!今日は嫌!」

わたしが必死に足を踏ん張ると、新一はわたしの手を放し、不機嫌と書いてあるような顔で、わたしを振り返った。

「オメーは、そこまでして、オレと正式な夫婦になるのが、嫌か!?」
「そうじゃない、そうじゃないの!」

わたしは泣きそうになりながら言った。
新一からしたら、とんでもなく下らない事かもしれないけれど。
やっぱり、どうしても、気になってしまうんだもん。

「だったら、何でそこまで抵抗すんのか、言ってみな?」

新一に、鋭い目で射すくめるように見詰められて。
わたしは、泣きそうになるのを、ぐっと堪える。

「・・・だもん・・・」
「あ?何だって?」
「だ、だから!今日は、仏滅なんだもん!」

新一は、眼を点にして、呆然としていた。
そうよね、呆れるよね。
こんなの、迷信だって、わたしも分かってるけど。
でも、やっぱり、大切な事をやるのに、「縁起が悪い」とされている日に、あえてする気にはなれない。

新一は、息を吐き出して言った。

「ああ・・・そっか・・・うん、確かに、止めて置いた方が良いかもな・・・」
「迷信なのにって笑わない?」
「笑わねえよ。やっぱ、気になっちまうもんな」
「怒ってない?」
「怒る訳、ねえだろう?大事な事だから、ゲンをかつぎたかったんだろう?」

ああ。
新一は、どんなに下らなく見える事でも、わたしの意思を尊重してくれるんだって分かって、何だか嬉しい。

「けど、じゃあどうすっかな?今日が仏滅って事は、明日が大安吉日だけど・・・明日はどうしても、時間が取れそうにねえし」

新一もわたしも、忙しくすれ違いが多い。
けれど、だからと言って、どちらか片方だけで役所に行くとか、代理人に頼むとか、そういう事はしたくなかった。




結局、大安はどうしても都合が合わなかったので、結婚式などで大安吉日に次ぐ人気を誇る「友引」の日に何とか2人の都合を合わせて、届けを出した。

その日は、夏期休暇が終わる直前の、9月10日で。
後で園子から、「あら、工藤の日じゃん」と言われて、あ、そういう風に語呂合わせ出来ると、気がついた。



わたし達の「結婚記念日」は、一応やっぱり、結婚式を挙げた日だけれど。
9月10日は、わたしにとって、「工藤蘭」と名前が変わった、特別な日になった。



++++++++++++++++++


<後書き>

2007年工藤の日記念小説。

今回のは、「蘭ちゃんが工藤さんになった日」というコンセプトで、書いてみました。
新蘭ですが、新一君は最後にちょっぴりの登場。

最近、蘭ちゃん一人称が多くなったような気がする。
何となく、書き易いんですね。
ただ、「蘭ちゃんが気付いていない新一君の心理や裏事情」を、読者に分かるように書くのが難しい部分もありますが。

これ、ちょっとだけ、会長と私との入籍に関わるエピソードが入ってます。
都合がつく日で、ゲンを担ぎ、大安吉日が無理だったので、友引きの日を選んだら、それが9月10日だったというくだりがね。
え?他の大部分は、完全にフィクションですよ、勿論(笑)。
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