チョコレ−トホリック



By clear様



(2)



白い息。
サクサクと鳴る霜柱。
約束の時間。


白いコートにふわふわしたマフラーと手袋。
2階の窓辺からその姿を見つけると、俺は慌てて1階へ降りた。

と同時にチャイムが鳴る。

「おはよー!新一、起きてる?」

元気のいい声が響いてうれしくなる。
こんな当たり前のことがうれしいなんて。

「起きてるよ。」

ドアを開けると、にっこりと微笑む蘭。

「めずらしい〜!!こんな早い時間に新一が起きてるなんて…雪でも降るんじゃない?」
「約束だからな。」
「あれ?いつもなら何言ってんだ!とか言って突っ返して来るのに…。やっぱり、降るんだ…雪。」
「バーロー、天気予報じゃ雪が降るなんて一言も言ってねーぞ。」
「ムキになってる。やっぱりいつもの新一かもね。」
「何だよ、ああ言えばこう言う。」
「いいからいいから。さ、早く行こっ!!あ、でもあったかい格好でね。」

思いっきりせかされ、上着を着込んで家を後にした。



「おい、どこへ行くんだ?」

蘭が答えないと分かっていたけれど、あえて聞いてみる。
思った通り「内緒だって言ったでしょ?」と一笑されて、俺は苦笑いした。

俺の腕を掴んだまま、小さな子を急かすように早歩きで進む蘭。


今日こそ、手を繋ごうか…?


自分の事をキザだの、手が早いだのと、まわりが言っているのは知っている。
俺と蘭が「あの二人はもう完全な夫婦だ」と言われている事も。
蘭と通じているあの園子でさえ「キスくらいはしたんでしょ?」と蘭に聞いていた
事も知っている。

でも、本当のところは誰も知らない。

キスどころか、まだ手もまともに繋げていないなどと、皆、思ってもないだろう。
いや、そんな事は誰も信じないに決まっている。
俺が蘭に対してこんなに臆病だったなんて…自分でも驚いているくらいだから。
推理している時の自分とのあまりに違うギャップに戸惑っているのを蘭にだけは
悟られたくないのに、行動が伴わない。
ヤッベーな、俺。


歩きながらそんなことを考えていると、小さな公園が目に入ってきた。

「この公園…」
「懐かしいでしょ?」
「オメェーが泣いてた公園じゃないか?」
「もう、そんな事ばっか思い出さないでよ。」

蘭はぷぅっと頬を膨らませて拗ねた。

まだ小さい頃、
「お母さんが出て行っちゃったの…」
俺のシャツの裾を掴んでそう言うと、涙を溢れさせた蘭。
泣き終わるまで、黙ってそばにいたんだっけ。
あれから、悲しい事があると蘭は必ずここに来ていた。
そして、俺はいつもあとを追ってこの公園で泣く蘭を見守って来た。
コナンになった時も、ここで…コナンの姿で蘭を見守り続けた。
新一の姿に戻ってからは、もうここへは来ないと思っていたのに…

まさか蘭のヤツ、何かあったのか?

そんな考えが頭をよぎる。

「何もないよ。心配しないで?」

心を読まれたのかと思った。
蘭はまだ俺の腕を掴んだまま、もう片方の手で俺を小突いた。
蘭の顔を覗くと、両目をギュッと瞑りながらベェーと小さな舌を出している。

ドキッとした。

何気ない表情が、俺の心臓の動きを早める。

「私ね、新一とここに来たかったの。別につらい事とか悲しい事があった訳じゃなくて…ここは、私の特別な場所だから。」
「特別?」
「うん。だって、小さい頃からいつも新一と一緒に居た場所だもん。私にとっては悲しい思い出ばかりじゃなくて新一とのたくさんの思い出が詰まった「特別な場所」なんだよ。」

「そっか。」

何だか俺は…せつないような、うれしいような、そんな気分だった。


「ね、ブランコ、乗ろっか?」

そう言いながらも、もうブランコに乗っている。
蘭に続いて錆色の鎖を掴むと、あまりの冷たさに思わず手を引っ込めてしまった。

「手袋してないからだよ。」

ブランコをこぎながら、蘭が言った。
俺はブランコに座り、鎖に腕を回すと両手をポケットに突っ込む。

「手袋なんて、んなもん、メンドくせぇよ。」
「ホント、メンドくさがり屋だよね。」
「オメーほどじゃないけどな。」
「ちょっとどういう事よ?ケンカ売ってるの?」
「だったら?」
「これ、あげない。」
「これって…?」

「今日、なんの日か知ってる?」

ん?今、2月だろ?
クリスマスや正月は終わったし、俺や蘭の誕生日はまだ先だし…?

「わからないんでしょ?」
「ゴメン。」

俺は素直に謝った。
蘭には悪いが、本当にわからなかった。

「本当にこういう事に疎いのね。でも、今日はそれがうれしかったりするんだけど…。」
「どういう事?」

蘭がコートのポケットから何か小さな物を取り出して、俺の目の前に差し出した。

「これ…あげるのやめようかな?」

透明なフィルムにラッピングされた、ひと粒の小さなチョコレート。
飾られた銀色の細いリボンが、キラキラと光っていた。

「今日って…バレンタインだったっけ?」
「私の手作りだよ。欲しい?」
「欲しい!」

俺が素直に言葉にすると、

「本当?」

と、大きな瞳を一段と大きくして、本当に不安そうに俺の顔をじっと見つめている。
その表情に妙にドキドキして、一瞬、言葉を失った。

「嘘じゃないよ。」

やっと口を開く事が出来たけれど、ドキドキは止まらなかった。

「おれ、蘭のチョコレートしか興味ねぇもん。」

蘭は黙って俺の手にチョコレートの包みを乗せると、またブランコをこぎ始めた。


「サンキュ。」

甘い物が苦手な俺の為のひと粒。
蘭の心が込められた、大切なひと粒のチョコレート。

「食べていい?」
「うん。」

俺はそのひと粒を半分かじり、そのもう半分を蘭の口に入れた。

「ふたりでひとつ。な?」

その時、何故だかそうしたかった。
蘭とひとつのものを分け合いたかった。

甘いけれど、ほろ苦いチョコレート。
俺好みの味。

「おいしい?」
「うまいよ!」



白い朝靄の残る誰もいない公園。
キィキィと鳴るブランコの音が止まった。



「新一…」
「ん?」
「今日、どうしてこんな朝早い時間を選んだか、わかる?」
「え?」

わからなかった。
俺にとって、蘭はわからない事だらけだ。
蘭は何故、こんな時間を選んだのだろう?
公園でチョコレートを渡すだけなら、そんな時間でなくても、もう少しあったかくなってからの時間でもいいはずだ。
蘭に関してだけは、俺の探偵としての経験も知識も全く役には立たない。
もっともっと、蘭を知りたいのに…もっともっと蘭を1人じめしたいのに。
蘭の事は…わからない。
冴えねぇな、俺…。

そんなこんなをアレコレ考えていると、蘭はクスッと笑って

「冬の朝の誰もいない公園って、ステキでしょ?」

そう言うと、クシュンとくしゃみをした。

「バーロー、風邪ひいたんじゃねぇか?こんな寒ィ時間に好き好んで公園なんかに来るからだよ。」

照れくささから、つい、悪態をついてしまう。

「だって…今日は誰よりも先に、新一にチョコレートを渡したかったんだもん。」
「蘭…。」

何てかわいいんだ!蘭がいとおしくていとおしくて、たまらない!
俺の今の顔、クラスのヤツにはきっと見せられない。
それくらいヒドイ顔をしていると自分で思う。
甘いチョコレートのように、とろけた顔−−−。

気が付くと、俺は蘭を抱きしめていた。
蘭は一瞬驚いたようだったけれど、顔を真っ赤にして俺にしがみついている。

そして、ゆっくりと蘭の顔に近づいて…その赤い口唇にそっとキスをした。
あったかくて、やわらかい感触。

甘くてほろ苦いチョコレートの味。

心臓の音がまわりに聞こえそうなくらいに、こんなに心臓をこき使って…
心臓病になるんじゃないかと思うほどだ。
いや、もう、面会謝絶になるくらいかもしれない。


「チョコレート味…。」
「…。」
「こんなチョコレートなら、俺、毎日でも食べたい。」
「バカ。」

蘭が耳まで真っ赤になった。

チョコレートに促されたのか、俺はいきなり蘭の手袋を無理矢理外すと、自分の手を蘭の白くやわらかな手にそっと重ねた。
蘭は何も言わずに、握り返してくれた。
やっと繋げたその手は、とてもあたたかかった。


蘭と繋ぐ手。
小さな頃は、当たり前の事だった。
コナンの時だって。
でも、今は違う。

手を繋ぐ。
たったそれだけの事なのに、キスと同じくらい緊張するのはどうしてだろう?

それは、チョコレートのせい?


「ほら、帰るぞ。」
「うん。」
「ウチであったかいコーヒーでもご馳走してやるよ。」
「ありがとう。」

素直に従う蘭。
だけど、まだお互いに恥かしさが先に立って俯きがちだった。
蘭と手を繋いで帰る、帰り道。
そのうれしさは何とも言えず、幸福感でいっぱいになる。

でも、キスの方が先なんて…俺、やっぱり変なんだろうか?
これって、手が早いっていう事だろうか?
まわりのヤツの言うことはやっぱり正しかったのだろうか?
ああ、もうそんな事どうでもいい。
俺、今、幸福の絶頂かも。

そんな事を考えていると…




ふと、

繋いでいた蘭の手が離れた。







心臓が止まるかと思った。





だって、俺の腕に蘭の腕がそっと絡んできたから。




「ずっと、こうしてみたかったの。」

蘭がそう言って微笑むと、ふわふわと何かが目の前に落ちてきた。


「新一、雪…!」
「雪…?」
「やっぱり、新一が降らせたんだ?」
「バーロー!んなわけねぇーだろっ!!」

静かな街に、蘭の笑い声が響く。
空を見上げると、白くやわらかな欠片が白い羽のようにゆっくりとあとからあとから
落ちて来て、俺には楽しそうに踊っているように見えた。




その日、街は白い羽で覆われた。








 チョコレートは媚薬―――。


 止められない恋心。

 やめられない恋心。


 そんな貴方はもう

 【チョコレートホリック】




fin






作者様後書き

チョコレートホリック

チョコレートホリック=アルコホリック( alcoholic=アルコール中毒)と同じ扱いをされ、チョコレート中毒、または、チョコレート依存症という意味。

【チョコを食べると幸福感に浸り、満たされ、やめられなくなる。】
その原因は、チョコレートに含まれる「カフェイン」とされている。
コーヒーとチョコレートなどという組み合わせは…もう最高…?

チョコレートはカロリーが高く刺激が強い、健康の敵と今まで思われてきたけれど、最近では身体に良いとされるポリフェノールという物質が含まれていると発表されて健康的な要素が少なからずあると認識されつつある。

チョコレートホリックの病魔に蝕まれている人間は、ますますやめられなくなってしまうかも…?



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