銀河探偵伝説



By 槇野知宏様



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 自由惑星同盟軍イゼルローン駐留機動艦隊に所属する戦艦「ユリシーズ」はイゼルローン回廊内を訓練を兼ねた哨戒航行の最中であった。
半年前まで「ユリシーズ」は同盟軍第八艦隊に所属していたが、艦隊はアムリッツァ星域で行われた史上最大規模の会戦に参加し、艦艇と将兵の九割近くを永久に失った。それに伴って艦隊は解隊され、僅かな生き残りはイゼルローン駐留機動艦隊に配された。
「ユリシーズ」は死闘の渦中を生き残った歴戦の勇者であるはずだった。艦自体も、乗員もである。ところが「ユリシーズ」の名前は尊敬の対象としてより、悪気のない冗談の種にされていた。
アムリッツァ星域会戦において「ユリシーズ」が受けた損傷は軽微なものであった。微生物を利用した排水システムを破壊されただけなのだが、乗員は汚水に足を浸しながら戦闘を続けなければならなかった。そのため「ユリシーズ」を待っていたのは“トイレを壊された戦艦”という不本意極まる言われようだった。
ご苦労でしたなあ、と、表現し難い口調で言われて、艦長の大和敢助大佐、副長の上原由衣中佐もくさったが、三〇〇〇万の出征将兵のうち七割を失うという衝撃的な惨敗を目の当たりにした。
それ故に生き残った将兵は「ユリシーズ」を話の種にして笑いでもしなければ、理性の平衡を保ってなかったかも知れない。例えそうであっても、乗員たちは少しも慰められはしなかったが。
「ユリシーズ」と同様に他の艦艇も割り当てられた宙域を哨戒行動中である。変光星、赤色巨星、異常な重力場などに満ちた宙域の先には、より巨大で人為的な危険が待ち受けているのだ。
自由惑星同盟の領域はイゼルローン回廊をもって終わり、前方には銀河帝国の辺境領が広がっている。過去、この宙域は幾度となく大規模な戦闘の場となり、時として数世紀前に破壊された宇宙船の残骸を見出す事もある。
 索敵担当のオペレーターから、未確認艦艇発見、と、言う報告を受けた敢助は指揮シートから身体を起こした。
「ユリシーズ」の索敵システムは同盟軍の標準型戦艦同様、レーダー、質量計、エネルギー計量装置、先行偵察衛星群などからなっているが、その全てから反応があったのだ。艦隊ではなく一隻だけだった。

「この宙域の担当はウチだけだったな?」
「はい。現在、この宙域には味方艦は一隻もいません」
「それなら敵さんだな。単純な引き算だ。総員、第一級戦闘準備!」

艦内に警報が鳴り響き、その音は配置に就く将兵のアドレナリン分泌量を急増させた。各部署から、戦闘準備完了、との報告を受けた敢助は未確認艦艇に対して共通信号の発信を命じた。

『停船セヨ。シカラザレバ攻撃ス』

緊張に汗ばむ乗員たちの元へ、返信が届いたのは五分後の事である。通信士官が首を傾げながら艦長に電文を挟んだバインダーを手渡した。それには次のように記されていた。

『我ハ帝国軍所属ノ戦艦「ブロッケン」ナリ。我ニ交戦ノ意志ナシ。願ワクバ話シ合イニ応ゼラレン事ヲ』

「話し合いだぁ?」

自分自身に言い聞かせるように呟いた敢助は、バインダーを由衣に手渡す。

「久しぶりの亡命者(お客さん)じゃないかしら」
「戦艦一隻を強奪しての亡命か?そりゃまた剛毅なこった・・・ま、詮索は後回しだ。総員には、戦闘態勢は解くな、と、命令しとけ。彼方さんには、機関を停止して通信スクリーンを開くよう伝えろ」

敢助はイゼルローン駐留機動艦隊所属を表すエムブレムが刺繍された艦隊識別帽(スコードロンハット)を脱いで、それで顔を扇いだ。
戦闘が避けられるなら、それに越した事はない。メインスクリーンに映る帝国軍の標準型戦艦を眺めながら敢助は思う―――あの中の連中も、汗をかいて緊張しているのだろうか、と。



 イゼルローンは、銀河帝国領と自由惑星同盟領のほぼ中間に位置する人工惑星で、恒星アルテナ周囲を回っている。所謂“イゼルローン回廊”の中心にあり、ここを通過しない限り、互いの領域に軍隊を侵攻させる事は不可能だ。
帝国が建設し、同盟が奪取したこの人工惑星は、直径六〇キロ、内部は数千の階層に分かれ、惑星表面は耐ビーム用鏡面処理を施した超硬度鋼と結晶繊維とスーパーセラミックの複合装甲で、これが四重になっている厳重さである。
戦略基地としての機能は全て備わっており、攻撃、防御、休養、設備、医療、通信、管制、情報。宇宙港は二万隻の艦艇が収容可能で、整備工場は同時に四〇〇隻を修復出来る。病院のベッドは二〇万床、兵器廠は一時間に七五〇〇本のミサイルや魚雷を生産する。
要塞と駐留艦隊と合計して、軍人の数は二〇〇万人に及び、これに加えて三〇〇万人の民間人も居住している。大部分が将兵の家族だが、生活と娯楽関係の施設の運営を軍から委託されている人々も含まれる。その中には女性ばかりの店もあるのだ。
イゼルローンは要塞であると同時に、五〇〇万人の人工を有する大都市でもある。有人惑星でイゼルローンより人口の少ないものは数多い。戦略基地の機能もそうだが、社会資本も整っている。
学校はもとより、劇場、スポーツセンター、病院、保育施設、そして内部炉、酸素供給システムの一環でもあり森林浴の場でもある広大な植物園、主として植物性タンパク質とビタミンの供給源でもある水耕農場などの施設が揃っている。
 この要塞の司令官と駐留機動艦隊司令官を兼ね、五〇〇万人が居住する宇宙都市の最高責任者として将兵を指揮するのが、自由惑星同盟軍の工藤新一大将だった。


 新一が同盟軍屈指の重要人物である、と、いう事を考える人間は誰もが納得するであろう。
思慮があり、沈着冷静な秀才、そして不敵な光を帯びた鋭い眼を持つ貴公子。年齢は二五歳だが、外見を見れば更に二,三歳若い。
外見と同様に非凡なのが、彼の戦術能力であった。昨年―――宇宙暦七九六年―――の彼は、自由惑星同盟の軍事的成功を独占していた。味方の血を一滴も流す事無く、難攻不落と謳われていたイゼルローン要塞を帝国軍の手から奪い取った。
アスターテとアムリッツァの両星域の会戦で同盟軍は帝国軍のラインハルト・フォン・ローエングラム提督に惨敗したが、味方を全滅から救ったのは新一の沈着且つ巧妙な作戦指揮であった。
最も新一に言わせると、オレは指示しただけであって、後は部下がやってくれた、と。これは謙遜ではなく本心である。指示はするが、細部は部下の判断に任せ、部下が失敗したら、その責を負うのは自分である、と、新一は自らに言い聞かせている。
部下と言っても、士官学校時代の同期生、先輩、教官等で構成されており、作戦指示が出し易かった、と、いう点はあった。
彼がいなければ、昨年の自由惑星同盟の戦闘記録には“敗北”の二字しか必要としなかった筈である。その事は万人が理解していた。それ故に新一は一年足らずの間に准将から大将という異例のない昇進した。

その日、新一は司令官私室のソファの上で惰眠を貪っていた。夜遅くまで読書に明け暮れた挙げ句、漸く眠りについたのが朝食後という体たらくだったのである。
さっきからTV電話(ヴィジフォン)の呼び出し音が鳴っていたが、睡魔の誘惑に負けて出なかった。すると今度は私室のドアが開く圧縮音がして一人の女性士官が部屋に入って来た。

「新一、さっさと起きなさいよっ!」
「昨夜は寝てねえんだよ。もう少し寝させてくれ」
「朝まで本を読んでいれば、そうなるのは当然じゃない!」

そう言って新一を怒鳴りつけたのは、幼馴染みで副官の毛利蘭少佐で、その上司は眼を擦りながら不本意そうな視線を蘭に向ける。

「司令官がそういう状態でどうするのよ。目覚まし用のコーヒーを淹れてる間に顔を洗って来て頂戴」
「・・・何か、あったのか?」
「帝国軍の戦艦が使者として来たのよ。重大な用件で司令官とお目にかかりたい、って」

驚く素振りも見せずに新一は洗面所に入り、蘭がコーヒーを持って来た時には先程と違う表情を浮かべている。
司令官の表情に気付いた彼女が新一を見ると、彼はコーヒーを飲み干して、デスクの机の上にあった銃をホルスターごと蘭に渡すと、彼は帝国軍の使者が待っている部屋へ向かうのを副官が慌てて呼び止める。

「新一、銃は?」
「いらねーよ。相手はローエングラム候の使者だ」

 工藤新一という人物は大胆なように見えて、人間の能力というものをある程度のラインで見切っているのである。
難攻不落のイゼルローン要塞を、誰一人なし得なかった頭脳プレイであっさりと陥落させた彼だ。だからこそ、人間に完全も絶対もない事を知っていた。
元々、読書が好きな彼はその膨大な量から知識を得て、どれほど強大な国家でも滅亡し、いかに偉大な人物でも権力を把握したら堕落する事を学んでいた。
生命であっても同じである。多くの戦場を生き抜いた勇者が風邪を拗らせて死ぬ。血で血を争う権力闘争に勝ち残った人物が名も無き暗殺者の手に掛かる。かつて銀河帝国の皇帝であったオトフリート三世は、毒殺を恐れるあまり食事を摂らず、衰弱死しているのだ。
新一がイゼルローンに赴任した頃は、護衛兵が一二人ずつ四交替制で彼の身辺に就いていたのだが、トイレにまで着いて来るので、鬱陶しくなって解散させてしまったのである。
その一方で、新一は要塞内の警備保安システムにの運用には気を配った。管制機能を三ヶ所に分散し、相互に監視させ、三ヶ所が同時に制圧されない限り、機能を掌握されないようにした。
そして空調システムには大気成分分析装置をセットし、要塞内にガスを流されないよう考案したし、機械に頼るだけでなく、警備兵も配置した。
これらのアイディアは、一部の口喧しい軍上層部、心配性の将兵、予算の消費を気にする官僚、視察好きの政治家、そしてジャーナリズムに対して、この通り警備態勢は万全です、と、いう事をPRしておかなければならなかったのである。



 二時間後、新一は会議室に幹部たちを集合させた。
この要塞を帝国軍が所有していた当時は、要塞司令官と駐留艦隊司令官が話し合いをする場だったが、角突き合わせてケンカ別れに終わるのが常であったという由緒ある部屋である。

要塞事務監の阿笠志保少将。
要塞防御指揮官の京極真准将。
駐留機動艦隊副司令官の佐藤美和子少将。
参謀長の白馬探少将。
副参謀長の小泉紅子准将。
駐留機動艦隊分艦隊司令の高木渉少将、服部平次少将、黒羽快斗少将。
参謀の宮本由美中佐、千葉中佐、三池苗子少佐、遠山和葉少佐、中森青子少佐。
副官の毛利蘭少佐。
それに戦艦「ユリシーズ」艦長の大和敢助大佐と副長の上原由衣中佐。

集まった士官たちを前に新一は型通りに眺め回すと口を開いた。その口調は友人と茶飲み話をする、と、いった感じである。

「皆も知っているだろうが、帝国軍の戦艦『ブロッケン』が軍使として、面白い話を持って来た。帝国と同盟の双方が抱えている二〇〇万以上の捕虜を交換したい、と、いう事だ」
「お互いに食べさせるのが大変でしょうしね」

志保が皮肉っぽく応じた。冷静な表情は参謀長、副参謀長のそれに匹敵する。
彼女は軍人というより軍官僚で、前線へ出るより後方勤務の経験が豊富だった。デスクワークの達人で、補給や組織運営や施設管理の専門家である。
アムリッツァ星域会戦で同盟軍が敗北すると、補給計画が狂った責任を押し付けられて―――それは帝国軍のローエングラム元帥の巧妙な策略によるものであったが―――一時、左遷されていたのであるが、新一の求めでイゼルローンに赴任して来たのである。
五〇〇万人都市イゼルローンの事実上の市長は、この志保であると言っても良い。彼女の行政処理能力は、恐らくより巨大で複雑な組織にも有用であろう。

「まあ、オレにも半分の責任はあるけどな」

イゼルローンを陥(おと)した時、大都市に匹敵する捕虜を得た新一である。真は苦笑、平次と快斗はニヤリと笑った。
浅黒い肌を持ち、引き締まって鍛え上げられた身体を軍服の下に隠している真は、新一の作戦を実行して成功させた功労者であり、真と同じ肌を持つ平次、司令官と同じ容姿をしている快斗は、囮として要塞駐留艦隊を釣り上げた役を見事にやってのけた功労者である。
勇気と知略も充分に備えており、不敵な性格は時として危険視される事があったが、当人たちは疑われようが、睨まれようが平然としていた―――要塞の主要幹部の大部分はそうであったが。

「つまり、二〇〇万の捕虜を食わせるどころではない、と、いう事態が来るというワケか?」
「普通、捕虜交換ちゅうたら、落ち着いた情勢にやるモンやさかいな。何かあるんちゃうか?」
「表向きは、エルウィン・ヨーゼフ二世の即位に合わせた恩赦、と、いう事ですが、その裏に別の意図があるという事ですね?」

同期生の疑問に新一は頷いて、ローエングラム侯が門閥貴族連合との武力抗争に乗り出す決意を固めた、と、いう事を告げると会議室が静まり返った。

「しかし、何だってこの時期を選んだのかしら?」
「佐藤少将の疑問は誰もがそう思うでしょう。今回の捕虜交換は、ローエングラム侯が同盟軍がチョッカイを出さないように打った手だと思います」

 この数ヶ月間、新一は銀河帝国内で覇権を握りつつあるローエングラム候ラインハルトに対して、どう対処するかを考え続けていた。
ラインハルトが完全に権力を手に入れるには、彼を敵視する門閥貴族の強大な集団を打倒しないとならない。そうなれば帝国では大規模な内乱が勃発する事になるだろう。
新一の元に送られてくる情報は玉石混淆かつタイムラグがあるものの、無いよりマシという程度であった。しかし、ラインハルトがそのための準備を進めている事は明らかだった。
問題は、ラインハルトの布石が帝国だけでなく同盟にまで及んで来る事である。彼にとって、門閥貴族連合と同盟が手を組んだり、ラインハルトと門閥貴族連合が戦い疲れた頃に同盟軍が攻め込んで来たらたまったものではない。
もっとも同盟軍は前のアムリッツァ星域会戦の傷が癒えず、外征をする余力などありはしないが、ラインハルトとしては万全を期すだろう。新一は彼が置かれた状況を分析してみた。物事には最低限の条件というものがあり、それに沿って布石をしてくるに違いないのだ。
ラインハルトの兵力は門閥貴族連合と戦うのに精一杯であり、二正面作戦は不可能であるため、同盟に対しては武力よりも謀略をもって当たる。謀略は敵を分裂させ、互いに抗争させる事に真髄がある。
恐らく捕虜交換に託(かこつ)けて同盟に工作員を潜入させ分裂させる―――そう新一が続けて言うと、室内が水を打ったように静まりかえった。ラインハルトならそうする。そうせざるを得ないのだ。新一が彼と同じ立場であっても、同じ事をするだろう。
 同盟軍が味方同士で相撃てば、ラインハルトは後顧の憂い無く門閥貴族たちと戦う事に全力出来るし、自身が覇権を取ったら戦力の損耗から回復しきっていない同盟軍を叩く事も可能なのだ。
戦闘は相手より一歩先んじ、一枚上回ればそれで済むのである。口で言ってしまえば簡単な事だが、ローエングラム候ラインハルトのような天才を上回るという事は神経を使うものなのである。
ましてや新一は民主共和制度の中の軍人であり、何を行うにしても政府や軍上層部からの制限を受けてしまう故、ラインハルトの行動に対して後手に回ってしまうのは致し方のない事だった。

「それならローエングラム侯の要請を拒否すればどうかな?」
「高木少将の言う事はもっともですが、我が同盟は文民統制が原則です。オレが勝手に決める事は出来ません」
「では、その件を政府や軍上層部に知らせてはどうでしょう?」
「小泉さんはアムリッツァ星域会戦前、例の店で、当時の政権が来年の総選挙のために軍を動かす、と、言ってましたね?」

当時、その場にいた蘭、探、紅子が頷くと、新一は、捕虜には選挙権がないが、帰還兵には選挙権がある、と、続ける。

「二〇〇万、いや家族を含めると五〇〇万票。コイツの魅力に勝てる説得力はない。それに表沙汰になればトリューニヒト議長の軍に対する発言権を強化する事になる」

新一の発言に平次、快斗、探が意味ありげに口の端を上げるが、これは他の人間に知られる事はなかった。

「時間は掛かるけど、二〇〇万人の帰還兵を調べて工作員を捜し出すべきでは?」
「高木くん、それは不可能よ。二〇〇万人の中に紛れ込まれたら探しようがないじゃない」
「お二人の懸念は当然ですが、ここが囮という事もあり得ます。イゼルローンに耳目を集中させておいて、工作員はフェザーン経由で堂々と入り込む可能性もあります」
「その可能性が一番高いですね・・・工藤くん、どうしますか?」

参謀長の言葉に新一は、考えはある、と、言って、首都へ帝国軍から捕虜交換の申し出があった事を連絡した。彼の予想通り、同盟政府は帝国の要請を受け入れた。
政府から、捕虜交換の式典二月一九日に実施する、との通達を受けて、捕虜の受け入れや式典の準備などで要塞内は慌ただしくなった。
「ユリシーズ」が帝国軍の戦艦「ブロッケン」と接触してから二週間も経っていないのだが、政府によって具体的なスケジュールが組まされてしまっている。

「選挙に間に合わせるためよ。二〇〇万プラス家族を含めると五〇〇万票。ちゃんと人道色の化粧も出来るから政府も張り切るのは当然ね」

そう皮肉を込めて言ったのは、要塞内には臨時に設けられた“捕虜交換事務局”の事務総長である志保のセリフである。彼女は要塞事務監としての仕事と並行して、捕虜交換の受け入れの準備をする事となった。

「蘭、久しぶりにハイネセンへ戻れるかも知れないぞ」

その声が陽気だったので蘭は不思議に思った。ハイネセンへ行けば、新一の嫌っている式典、パーティー、演説その他諸々が彼を待っているのだが、新一にはハイネセンへ行かなければならない理由があったからである。


 来るべき捕虜交換式を前にイゼルローン要塞にラインハルトからのメッセージが届けられ、新一は首都の宇宙艦隊司令部と統合作戦本部に転送するよう指示を出した。

「勇戦空しく敵中に囚われた忠実な兵士たちに帝国軍は名誉にかけて次の事を約束する」

その口上で始まったラインハルトの言葉は、帝国軍捕虜の心を動かすには十分過ぎる程の内容であった。
一、捕虜全員を名誉ある賓客として迎え、捕虜となった罪を咎めるが如き慣行を全面的に排除する事。
二、帰国した将兵全員に一時金と休暇を与え、希望者は自らの意思を持って軍に復帰する事。
三、軍に復帰する事を希望する者は、全員一階級昇格させ、復帰を希望しない者も一階級昇格させ、新たな階級をもって恩給を与える事。

「私、ローエングラム元帥も卿等に感謝し、且つ、詫びなければならない。最後に人道をもって彼らの帰国に協力してくれた自由惑星同盟軍の対応に感謝の意を表するものである。銀河帝国宇宙艦隊司令長官ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥」

これを聞いた帝国軍の捕虜たちは“銀河帝国”ではなく“ラインハルト”に対して感謝し、その恩義に報いよう、と、いう誓い合ったのである。一方、彼のメッセージを聞いた新一は、軽く拍手して感歎した。

「人道的にも政治的にも完璧過ぎるメッセージだ。これで帰国した二〇〇万の将兵たちは“銀河帝国”ではなく“ローエングラム候ラインハルト”に忠誠を尽くすな」

トリューニヒト政権は二〇〇万票を得ると同時に、敵に二〇〇万の精兵を補強する事になりますわね、と、紅子が冷静な口調で指摘した。

「それにしても観賞用としては得難い兄ちゃんやと思うで。どう思う、快ちゃん?」
「平ちゃん、その観賞用の兄ちゃんとやらに完膚無きまでに叩きのめされた軍隊が宇宙には存在するんだぜ?」

皆、顔を見合わせて苦笑する。アスターテやアムリッツァでラインハルトのために酷い目にあった面々が此処(ここ)にはいるのだ。
ふと、思い出したかのように新一は探に国防委員会からの通達について質問する。その通達とは、要塞内に二〇〇万の捕虜を収容するのは無理があるので、半数を要塞に収容し、残る半数は輸送艦に乗せたまま“雷神の鉄鎚(トールハンマー)”の射程圏内に待機させ、要塞内の捕虜が暴動を起こした時には、彼らを人質に取れば良い、と、いう内容のものであった。

「よくもまあ、あんな小知恵を弄したものですね。委員のしたり顔が浮かびますよ」

侮蔑を込めた探の冷笑に、全くだ、と、言った新一は、志保に対して当初の予定通りに帝国軍の捕虜を要塞内に受け入れるよう指示した。
完全に国防委員会からの命令を無視した事になるが、通達を送信した側、そして受信する側の何れかに問題があって通達が届かなかった、と、いう理由を作り上げたのである。
捕虜交換のため第一陣、第二陣、と、続けて到着すると、志保もそうだが、各幕僚も与えられた業務を次々と片付けていく。その中で志保を悩ませたのが、祖国への帰還を希望しない、と、言う捕虜が約一、〇〇〇名いたのである。

「嫌がる人たちを無理に帰国させるワケにはいかないわね。リストの一部を修正しなければならないけど、そういう人たちをわざわざイゼルローンまで連れて来る必要はないのに」

志保はそう言って各地の捕虜収容所の不手際さに呆れたが、それでも事態の処理に手を抜かないのが“デスクワークの達人”または“呼吸する精密コンピュータ”と謳われる彼女の凄さであろう。
捕虜の対応に悩まされているのが、まだマシだ、と、新一たちをウンザリさせたのは、彼らに同行して来た同盟政府の委員たちとジャーナリストたちの存在である

『送還されてくる同盟軍の捕虜たちを迎え(取材)に来た』

 彼らが掲げる大義名分は立派なものであったが、中身は全く違っていた。
委員たちの中には、イゼルローン要塞を軍事施設ではなく高級リゾートホテルと勘違いしている者が圧倒的に多く、宿舎の設備が悪い、食事が不味い、新一以下の司令部が出迎えなかった、将兵が敬礼しない、と、不平不満を司令部に突き上げてくる。
ジャーナリストも、ごく少数の者を除く大部分が、司令部が一日に二度発表する公式発表を垂れ流すだけで、あとは要塞内にある飲食店に入り浸った挙げ句、ツケを政府に回す事を平気でやってのける。
しかも委員諸氏がハイネセンから持参した荷物の中に、大量の段ボール箱があったので、不審に思った新一たちが一つの段ボールを取り囲んだ。

「高木くん。何、これ?」
「委員さんたちのお土産ですよ、佐藤さん」

段ボールの中に入っていた委員の名前や政党名が入ったタオルや時計などの日用雑貨品を手にした渉が呆れ果てた表情を浮かべる。
“二〇〇万人の有権者”に対する選挙運動の一環であろうが、司令部の面々は一気に不機嫌さを鮮明にした。

「これって、アイツ等が自分たちのポケットマネーで・・・買うワケねーよな」
「そん通りや、快ちゃん。どうせ国防委員会の経費から出たんとちゃうか?」
「個人名や政治団体名を記入したりする時点で、十分に背任行為に値しますがね」

ただでさえ政治屋を嫌っている面々であるから、相当に怒っているのは確かである。それでも委員たちを主賓とした昼食会を嫌々ながら開く事になり、嫌々ながら出席をする羽目になった。
志保は、捕虜交換業務が多忙である、と、言う理由で昼食会には参加しなかったのだが、そんな時に要塞第二空戦隊長である円谷光彦中尉が中央指令室に足を入れたのである。

「円谷中尉、何か用かしら?」
「はい。提督に空戦隊の錬成訓練実施報告を提出に来ました」
「それは第一空戦隊長の小嶋中尉の仕事でしょう?」
「元太くんに任せていても期限が迫っても出来てませんから」
「成る程ね。司令官なら、捕虜に張り付いてきた人たちの相手をしているわ」

志保が発した言葉に侮蔑の色がある事を光彦は瞬時に悟った。
要塞に来た委員の大部分は軍人やその家族の票を基盤とする“国防族”と呼ばれる政治家であり、その半数はかつて軍籍に身を置いていた者である。
ジャーナリストたちはというと、良識的な人間は両手両足の指より数が少ない、と、いう噂が要塞内で立っているほどだ。

「彼らの掲げる看板は立派ですが、看板の内部は腐ってるのでは、と、思います」
「そう、円谷中尉の言う通りね。今日も宿舎のベッドが固い、食事の質が悪いだのと散々言ってきたけど、一体何様のつもりかしら?」
「不利になったら伝家の宝刀である“報道及び表現の自由”を振りかざす輩ですからね」
「ふふっ。中尉のそういうところは初めて会った時と変わらないわね」

アムリッツァ星域会戦の前、ハイネセンのレストラン「アルセーヌ」での一コマを光彦は思い出す。
あの時、志保から借りた白いハンカチ、そして間近で捉えた彼女の匂いが鼻腔の奥から微かに蘇ってくるのと同時に光彦は頬が赤くなるのを自覚した。

「司令官はあと三〇分もしないウチに戻って来ると思うけど、それまでお茶でもどう?」

私が作るから味は保証しないけど、と、言って、席を立つ彼女の表情は柔らかいものであった。
参謀長、副参謀長と並んで沈着冷静さを謳われる事務監の表情を見たエースパイロットは呆然として、その場に立ちつくしていた。
志保が予想した通り三〇分以内―――正確には一五分―――に司令部へ戻った新一を始めとする幕僚は、志保と光彦に目を向ける。

「円谷中尉、錬成訓練実施報告を持って来たのか?後で確認、検印するからオレの机の上に置いといてくれ」
「三〇分以内と思っていたけど予想より早かったわね。声もそうだけど、みんなの身体から不機嫌なオーラが漂ってるのは気のせいかしら?」

気のせいじゃねーよ、と、新一は吐き捨てた。どうやら委員たちが昼食会の席上で聞くに堪えない嫌味を新一たちに言ったらしく、昼食会が終了した直後に彼は幕僚たちを中央指令室へ集めたのである。

「あの連中の傲慢な鼻っ柱をへし折ってやるか」

そう言ってニヤリと笑った新一は次の事を命じた。美和子、渉、平次、快斗は部下を動員して委員の荷物―――委員の名前や政党名が入ったタオルや時計などの日用雑貨品―――を帝国軍の捕虜たちへの分配。
探、紅子の両名には、司令部が後日、委員たちから圧力を受けないよう捕虜の最先任者に依頼して委員の代表への感謝状提出を要請。そして真には“薔薇の騎士(ローゼンリッター)”連隊と憲兵を総動員して、委員たちを片っ端から営倉へ放り込む事。
新一の命を受けた幕僚たちが中央指令室を後にすると、残ったのは新一、蘭、志保、光彦の四名である。暫しの沈黙を破ったのは蘭だった。

「し、新一・・・そこまでして良いの?」
「良いんだよ。ここは最前線の軍事施設であって、ハイネセンとは違う。公私の区別すらつかない人間に相応の教訓を与えてやるだけだ」

彼らは公務でここに来てるのであって、それを利用して個人の選挙運動を行う事は同盟公職選挙法違反。そしてイゼルローンは軍事施設だから司法警察権は憲兵にある、と、新一は付け加えて再び笑みを浮かべた。
選挙運動用の荷物を没収され、営倉に押し込められた委員たちは当然の如くいきりたったが、新一が蘭たちに説明した事を言われ、更には帝国軍捕虜の代表が委員の代表に感謝状を提出すると委員諸氏は何も言えなくなった。


 その日の夜、新一と蘭は司令官私室で二人っきりの夕食を摂っていた。普通なら士官食堂で夕食を済ませるのだが、委員やジャーナリストたちに会いたくないので、司令官私室での夕食となったワケである。

「しかし帰国した我が軍の捕虜たちは泣くだろうぜ。あんな連中の権力を守るために前線へ送られて、矯正区で苦労したんだからさ」

食事をしながら蘭にそう言った新一だったが、食後のコーヒーを飲んでいるところへ紅子から、帝国軍捕虜の中にいる工兵たちが住居区画に以前から修復すべき箇所があるので修復したい、と、申し出て来た、との連絡が入った。
新一は、彼等の好意を有り難く受けるように、と、即座に許可を与え、そして飲みかけのコーヒーに口をつけようとして蘭に質問する。

「どうしてオレが許可を与えたと思う?」
「新一が捕虜たちを信用してるからかな?」
「それもある。彼等は善意もあるだろうけど、それ以上にイゼルローン要塞に愛着があるのさ。ここは元々、彼等が造ったんだからな」

 同盟に限らず帝国の一部の人間は新一を“策士”と評しているが、本当に“策士”であれば、このような思考は出てこないだろう。
修理に関しては翌日、要塞の工兵と帝国の捕虜たちが協力して行い、修理が終わったあと、工兵と捕虜たちは互いに握手し、捕虜の代表は新一に敬礼し、改めて品物のお礼と故郷へ帰してくれる礼を述べた。
彼等と敵味方に別れて殺し合いをしなくてはならない事を考えると、新一は戦争をする理由は安全な場所にいる連中が考えるものであって、危険な場所にいる人間が戦争をすべきではない理由を考えても良いじゃないか、と、思う。
それに近代以降、戦争を精神的に指導してきた文化人や言論人が最前線で戦死した例はない。一度でも最前線で死と隣り合わせの恐怖と味わえば、戦争を指導したり賛美する事など出来るはずもないのだから。



続く





注:「銀河英雄伝説」は田中芳樹先生、「名探偵コナン」「まじっく快斗」は青山剛昌先生の著作物です。


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