銀河探偵伝説



By 槇野知宏様



(11)



 総司令部の命令でアムリッツァ恒星系A(アルファ)宙点へ第一三艦隊は到着した。
艦隊の再編、弾薬等の補給、損傷艦艇の修理及び負傷者の後送を済ませた新一は第五艦隊司令官ビュコック中将と連絡を取った。
通信用パネルに映ったビュコックの表情には疲労の色が浮かんでいたが、自分の孫に近い存在である新一の姿を見て安堵の色が広がる。

『おお、新一か。無事で良かった。顔見知りの提督や大部分の将兵も戻って来なんでの』
「閣下・・・」

まだ彼らが戦死したと決まったワケじゃない、そう言おうとした新一だったが、老将が手を挙げてそれを制した。

『新一の言いたい事は分かる。じゃが・・・』

そう言ってビュコックは通信スクリーンから目を離し、外の景色を眺めている。新一も彼に倣って外を見ると、恒星アムリッツァが赤や黄、紫の色をした炎を吹き上げていた。

「不吉な色ですね」
『確かに不吉な色もじゃが、ワシはこの恒星の名前自体がどうも気に入らん』
「アムリッツァにアスターテ・・・頭文字が“A”で、我が軍には不吉という事ですか?」
『そう。新一の言うとおりじゃよ』

口元を僅かに歪めた老提督の気の病みようを新一は笑う気にはならなかった。地上より宇宙空間で過ごす時間の方が遥かに長い宇宙船乗りには特殊な感性と経験がある。
アムリッツァを決戦場に指定した総司令部の判断より、ビュコックの迷信じみた言葉を信用したくなる新一であった。

『敵の意図に気付いた時点で後退し、全軍を集結させての決戦であれば・・・』
『総司令部も集結命令が遅過ぎるし、総司令官も寝るんだったらその間の代行を総参謀長に任せるくらいしておけよな』

 既に実行不可能な話であり、その事を考えると余計に不快感が刺激されるだけである。
第一三艦隊は善戦したと言っても良い。しかし麾下の一割を失い、帝国軍に追撃を躊躇わせても大手を振って喜ぶべき事ではない。
現在、総司令部から指定された宙点に展開する同盟軍の総数は約六万。ハイネセンを進発した当初は戦闘用、支援用艦艇合わせて二〇万だったのが、今では約三分の一ほどである。
残りの艦艇は単艦、小集団でこちらに向かっているものもあるだろうが、大部分の艦艇は到着するまでの戦闘で永久に失われたか、敵に鹵獲されたかの何れかであろう。
参加した八個艦隊のうち第七、第一二の二個艦隊は会敵してから五〇時間以上経過しているのにも関わらず通信途絶―――全滅もしくは降伏の道を選んだものと推測された。
第五、第八の両艦隊は兵力の三割近くを失いながらも集結宙点までの後退を完了させ、部隊の再編を行っている最中である。
第三、第九、第一〇艦隊は艦艇の半数以上を失いながらも合流を果たしたが、第九艦隊司令官のアル・サレム中将は重傷を負ってイゼルローンへ後送され、第三艦隊司令官ルフェーブル中将と第一〇艦隊司令官ウランフ中将は戦死。
各艦隊の残存艦艇は第五、第八、そして第一三艦隊に振り分けられている。敗残処理能力の高さを総司令部は認めているようだが、命令に反して独断撤退した件はどうなのだろうか?

『軍法会議に掛けられたら、被告人席で無能な作戦参謀と選挙という目先の欲だけで出兵に賛成した議員連中の文句を言ってやればいいか』

そんな事を思って苦笑めいた笑いを浮かべてビュコックの方に視線を向けると、老人は厳しい眼光を新一に向けていた。
祖父と言うべき人物の眼光に背筋にヒヤリとするものが流れるのを感じた新一は、少し考え事をしてました、と、告げてビュコックに頭を下げる。

『ふむ。お前さんの事だから独断撤退の件を考えていたのじゃろう?』
「その通りです」
『その件は考えない方がよかろうて。幼児並みのメンタリティしか持ち合わせていない作戦参謀、そして最前線に連絡参謀を一人も寄越さない総司令部の無能が招いた事じゃ』

だから新一が気にすべき問題ではない、そう言って通信を切ろうとしたビュコックだったが、ふと思い出したように付け加えた。
ハイネセンで蘭くんと一緒に会う事を楽しみにしているぞ、と、先程の厳しい眼光から孫を成長が楽しみという老人の眼をした表情でそう言うとビュコックは通信を切った。
艦隊の配置を調整するための会話が、途中から総司令部に対する弾劾と化した―――話が脱線した事について新一は何も言えない。誰とて腹立たしい思いは同じである。
映像の消えた通信用パネルから視線を離して指揮シートに腰を下ろした時、蘭の声がしたので振り向くと戦闘配食の乗ったトレイを持った彼女が新一の後ろに立っていた。
彼女が持って来たトレイの上へ視線を向けると、トレイの上には小麦蛋白のカツレツと野菜をはさんだサンドイッチ、そしてローヤルゼリーで味付けしたアルカリ性飲料。

「司令部で食事を摂ってないのは新一だけよ?」
「悪いが食欲がない。蘭の煎れたコーヒーが飲みてえな」

その要求を幼馴染みの副官は目で拒絶したため、不服そうな顔をした新一は彼女を見た。

「何でダメなんだよ?」
「コーヒーの飲み過ぎには気をつけるよう、小母様に言われてたでしょ?」
「何だ、蘭と母さんは連帯してんのか?」
「小母様も私も新一の身体を心配してるのよ」
「コーヒーの飲み過ぎってもな、アルコールに比べたら遥かにマシだろ?」
「だからと言って、一日に一〇杯近く飲むのはどうかと思うけど」

周囲に人がいない事を良い事に、上官と部下、と、いう立場を忘れて口論する二人だったが、敵艦隊接近を告げる耳障りな警報が響き渡った。
舌打ちした新一はトレイを持って下がろうとする蘭を呼び止め、振り向いた彼女にこう告げた。

「ハイネセンに帰ったら蘭の言う事は聞くから、トレイの上のヤツは置いていってくれ」

苦笑した蘭が新一の言った事を実行した時、他の幕僚や艦長か司令部スペースへ雪崩れ込んできた。



 同盟軍の兵力は既に半減している。ことに、勇猛で名戦術家でもあったウランフ、ボロディン両提督の死は大きな打撃と士気の低下を招いた、と、言っても過言ではない。
一方、帝国軍は満を持し、勝ちに乗じて正攻法で攻め寄せて来る。ミッターマイヤー、ロイエンタール、ビッテンフェルト、ケンプ、メックリンガーたちが率いる帝国軍艦隊が密集体型で突進して来る。
それは力ずくの攻撃に見えたが、実はキルヒアイスがワーレン、ルッツらと別働隊を編成して、同盟軍の後背に回り込もうとしており、挟撃の意図を隠すため、同盟軍に余裕を持たせないだけの猛攻を加えなければならないのだ。

「よし。全艦、攻撃開始」

サンドイッチとアルカリ性飲料を胃に流し込んだ新一の命令を受けた第一三艦隊は動き出した。勝ちに乗じてくる帝国軍に、どれだけ対抗出来るのか?新一の頭脳がフル回転し、ある結論を導き出した。

「艦長、恒星アムリッツァに核融合ミサイルを投下してくれ。佐藤、高木両准将に、恒星アムリッツァから生じるエネルギー波を計算して艦隊を再編するように連絡。味方にも恒星アムリッツァには近づかないよう知らせろ」

 その間に両軍の戦闘は開始している。無数のビームとミサイルが飛び交い、爆発光が闇を灼く。引き裂かれた艦体が恒星アムリッツァから生じるエネルギー風に乗って飛翔する。
新一の命令で投下された核融合ミサイルが恒星アムリッツァに到達した瞬間、凄まじいまでのエネルギー波が恒星付近に展開していた帝国軍艦隊に襲い掛かり、その陣形が大きく乱れた。
その波に乗って恒星アムリッツァの影から猛然と躍り出た第一三艦隊は、太陽から遠心力によって千切り飛ばされたコロナのごとく傍若無人に前方の敵に襲い掛かった。それは司令官の指令に美和子と渉の細心に算出された減速と加速、艦隊の俯角と仰角のスケジュールに従った結果だった。
この意外な方角からの速攻を受けることになった帝国軍の指揮官はミッターマイヤーだった。勇敢な彼であったが、意表を衝かれた事は否定出来ず、先手を取られる形となった。
第一三艦隊の最初の攻撃はミッターマイヤー艦隊にとっては文字通りの痛撃となった。それは過密なまでの火力の集中であった。一隻の戦艦、それも艦体の一ヶ所にビームやミサイルが命中した時、どのような防御手段があるのか?
この攻撃法は新一やその部下のお家芸となる“局所一点集中砲雷撃”の誕生であったが、その最初の餌食となったのがミッターマイヤー艦隊であった。彼の旗艦「人狼(ベイオ・ウルフ)」は周囲を爆炎の群れに包囲され、自らも左舷を損傷して後退した。
しかし、後退しながらも陣形を柔軟に変化させ、被害を最小限に止めながら反撃の機会を狙っているのが、非凡な戦術家である事を窺わせる。新一は一定の損害を与えた事に満足して、深追いは避けなければならなかった。

「閣下。帝国軍が一時の混乱より態勢を立て直しつつあります」

園子の報告を聞きながら新一は、それにしてもローエングラム伯の配下には何と人材が多い事か。味方に出征した提督が幾人かいれば互角の戦いが出来たのに、と、思う
その時、ビッテンフェルト率いる“黒色槍騎兵(シュワルツ・ランツェンレイター)”艦隊が高速で突出して来た。
第一三艦隊と第八艦隊との間の宙域―――同盟軍がD(デルタ)4宙域という便宜上の名称を付けていた―――へ、強引に割り込んで来た。大胆とも無謀とも言いようがない。

「閣下。二時方向に新たな敵艦隊が出現しました」
「高木准将に、防御戦の指揮を任せる、と、連絡」

 恵子の声と警報音が重なる中、新一は渉に防御の指揮を執るよう命令した。
新一の命令を受けた渉は装甲の厚い艦で壁を作り、その隙間から火力と機動力に富んだ巡航艦、駆逐艦、ミサイル艦や砲艦(ガン・シップ)で攻撃すると同時に、敵の攻撃を受け流すよう指示を出した。
“黒色槍騎兵”艦隊の各所に次々と穴が空いたが、その速度は落ちるどころか逆に反撃も激しく、巨艦の壁の一部が崩れたが、第一三艦隊は重大な損害は受けなかった。
しかし先程の帝国軍の混乱に乗じて突出していた第八艦隊の受けた傷は大きかった。ビッテンフェルトの速さと勢いに対応が出来ず、側面から艦列を削り取られて物理的にもエネルギー的にも抵抗の術を失いつつあった。
第八艦隊を救うべきか―――新一でも躊躇う事もある。救援に行けば、敵の勢いから見て乱戦となり、系統だった指揮が出来なくなる事は明らかで、それは自殺行為に等しかった。
もっとも第一三艦隊はメックリンガー艦隊と交戦中であり、救援に行ける状況ではなかったのである。一方、帝国軍の中で突出していたビッテンフェルトは第一三艦隊には攻勢を躱されたものの、第八艦隊を漆黒の槍をもって蹂躙していた。

「ちっ、工藤新一には躱されたか・・・まあ良い。進め!進め!勝利の女神はお前等に下着をちらつかせているぞ!!」

 彼の号令は上品と言えるものではなかったが、部下の士気を高めたのは確かで、第八艦隊司令官アップルトン中将を旗艦「クリシュナ」もろとも粉砕し、遂にはD4宙域を完全に制圧してしまった。
これで同盟軍は完全に分断されたかに見え、ラインハルトも傍らのオーベルシュタインに、どうやら勝ったな、と、微かに声を弾ませた。
一方の新一は、どうも負けたらしいな、と、思ったが、口に出す事は憚られた。古来から指揮官が、負けた、と、言う時は必ず負けるものなのだ―――その逆は、ごく稀にしかない。
どうやら勝った、と、思ったのはビッテンフェルトも同様であった。第八艦隊を瓦解させ、挟撃の恐れもない。

「よし。先程、躱された第一三艦隊を攻撃するぞ。メックリンガー艦隊と挟み撃ちにするんだ。主砲を短距離砲に切り換え、母艦機能を有する艦はワルキューレを全機発進させろ」

このビッテンフェルトの積極的な意図を、新一は攻撃方法の転換である事を一瞬で悟った。
他の指揮官であっても、時間は掛かったにしろビッテンフェルトの意図を察知したであろう。彼は早過ぎたのだ。その失敗に新一は最大限につけ込む事にした。
第一三艦隊は正面のメックリンガー艦隊に猛撃を加えて、一時的に後退させると、今度はビッテンフェルトに攻撃の牙を向けた。

「全艦、一斉回頭。D4宙域にいる黒い艦隊へ砲雷撃戦用意・・・撃て(ファイヤー)!」

新一の右腕が振り下ろされたと同時にビームとミサイルの波濤がビッテンフェルト艦隊に襲い掛かり、D4宙域の帝国軍は一転して敗北に直面する事になった。
帝国軍を零距離射撃の包囲下に引き摺り込んだ同盟軍は殺戮と破壊を欲しいままにしていた。ビッテンフェルトが誇る“黒色槍騎兵”の黒色は屍衣(しい)の色と化しつつあった。
これを旗艦「ブリュンヒルト」で見たラインハルトは、思わず声をあげた。

「ビッテンフェルトは失敗した。接近戦に持ち込むタイミングが早過ぎて、敵の攻撃の餌食になってしまったではないか」
「恐らくビッテンフェルト提督は自らの手で勝利をもぎ取りたかったのでしょうが・・・」

そう答えるオーベルシュタインの声は刃毀(こぼ)れが生じたかのような呻き声に近かった。
ビッテンフェルトが、援軍を請う、と、いう内容の電文を送って来た時、ラインハルトの眼光が鋭くなり、ビッテンフェルトの電文を読んだ通信士官を怯ませた。

「は、はい、閣下、援軍です。ビッテンフェルト提督は、このまま戦闘が推移すれば負ける、と、申しております」
「ヤツは私が援軍の出る魔法の壺を持っていると思っているのか!」

そう怒鳴りつけて軍靴の踵で床を蹴ったラインハルトだったが、一瞬で怒りを抑制した。最高司令官たる者は、どんな戦況においても常に冷静でならなくてはならない事を理解していたからである。

「ビッテンフェルトに、総司令部に過剰戦力無し。現有戦力をもって部署を死守し、武人としての職責を全うすべし、と、連絡せよ」

更に以後のビッテンフェルトからの通信を断つように命じた。これは敵に味方の窮状を悟られないための処置でもある。
指示を出し終えたラインハルトをオーベルシュタインが見つめる。冷厳だが、正しい判断だ、と、彼は思う一方、万人に対して等しく同じような処置が取れるか?覇者には聖域などあってはならないのだ。

「よくやってるじゃないか、どちらも。特に敵の第一三艦隊の動きは見事だ。さすがは工藤新一と言うべきだな」

総司令部が遠方にあり、全体の指揮が円滑さを欠く中で同盟軍は善戦していると言えた。ラインハルトが賞した通り、新一率いる第一三艦隊は獅子奮迅の働きを見せている。
名将の下に弱兵はないとは良く言ったものだ、と、ラインハルトは思う。自分がこれから征こうとする途上に、あの男は立ちはだかるのだろうか。彼は不意に義眼の総参謀長を顧みた。

「キルヒアイスはまだ来ないのか?」
「まだです」

簡潔に事実を述べたオーベルシュタインは、意識してか否か、皮肉っぽい質問を発した。

「ご心配ですか、閣下?」
「心配などしていない。確認しただけだ」

 叩き付けるようにして応じて、ラインハルトはメインスクリーンを黙ったまま睨み付けた。
その頃、全軍の三割を指揮するキルヒアイスは同盟軍の偵察網を避けて目的宙域へ達した。その宙域―――同盟軍の後背―――には四〇〇〇万個の核融合機雷が広大で分厚い壁を作っていた。
例え帝国軍が後背へ回り込んでも、大機雷網がその進行を阻む、と、同盟軍総司令部は信じていた。
新一を始めとする第一三艦隊司令部は完全に安心はしていなかったが、掃宙艦による機雷処理は時間が掛かるので、彼らが戦場に到達するまでに応戦態勢は整えられる、と、考えていたが、帝国軍の戦法は同盟軍の予測を超えていた。

「指向性ゼッフル粒子を放出せよ」

キルヒアイスの指示が伝達された。帝国軍は同盟軍に先んじて指向性ゼッフル粒子の開発に成功していたのだった。これを使用するのは今回が最初である。円筒状の発生装置が三台、工作艦に曳航されて機雷原に近づいて行く。
濃密な粒子が巨大な大河のように機雷原を貫いて行く。機雷に備えられている熱量や質量の感知システムも全く反応しない。暫くして工作艦を護衛していた巡航艦から、ゼッフル粒子が機雷原の向こう側まで到達した、と、報告してきた。

「よし、点火」

キルヒアイスの命令で護衛艦が三門のビーム砲を慎重にそれぞれ異なった方向に狙いを定めて長距離ビームを発射した。
次の瞬間、ビームのエネルギーがゼッフル粒子に引火し、それは機雷の熱感知システムを作動させ、立て続けに連鎖爆発を引き起こした。それは当に三本の巨大な火柱であった。
その後に残ったのは直径二〇〇キロ、長さ三〇万キロの三本の巨大なトンネルである。僅か短時間で帝国軍は安全通路を作り上げたのを確認したキルヒアイスは麾下部隊に命令を下した。

「全艦、全速前進。敵の背後を襲う!」

その命令が帝国軍を駆り立てた。三万隻の艦隊は三本のトンネルを流星群のごとく駆け抜け、同盟軍の無防備な背中に襲い掛かって行く。



 異変に気付いたのは第一三艦隊のオペレーターコンビだった。
卓上の戦術コンピュータに映っていた機雷群を示す箇所に空洞が発生し、そこから帝国軍が雲霞のごとく押し寄せて来るのを確認したのである。

「背後に敵艦隊出現!急速に接近中!!数・・・さ、三万隻!!!」
「機雷原を突破されました!」

その言葉を同盟軍の全艦艇のオペレーターたちが同じように絶叫した。報告が上がる頃にはキルヒアイス艦隊の攻撃により、艦列の各所が穴が空けられていた。
同盟軍の指揮官たちは驚き、狼狽えた。それは何倍にも膨れ上がり、兵士たちに伝播して破裂した瞬間、同盟軍の戦線は崩壊した。
艦列が崩れ、無秩序に散らばりかけた同盟軍に帝国軍は容赦なく砲火を浴びせ、叩きのめし、打ち砕く―――標準暦一〇月一五日二三時、勝敗は決した。



  味方が総崩れになる光景を新一はメインスクリーン越しに黙ったまま見つめている。あらゆる状況を想定する事は人間には限界や不可能がある、と、今更ながら思い知らされた。 

「味方は総崩れです」
「どうなさいますの、提督?」

参謀長と副参謀長の言葉を聞きながら司令官が答えたのは、ただ一言だった―――撤退は早過ぎる、と。
新一は蘭にビュコックへ通信回線をを開くよう命じた。その命令は実行されて、通信パネルにビュコックの姿が映し出される。

「ビュコック提督、私の艦隊が殿軍(しんがり)を務めます。提督はその間に各艦隊の命令系統を再編しつつ、イゼルローンまでの撤退をお願い致します」
『じゃが、貴官たちは・・・』
「ご心配には及びません。自滅や玉砕は私の主義に反しますので」
『分かった・・・新一、死ぬなよ』

通信を終えた新一に探が歩み寄って声を掛けた。

「では味方が安全な宙域まで離脱できるまで、我が艦隊で帝国軍を食い止めるしかないですね」
「それだから残ったんだよ」

参謀長との会話を終えた新一は傍らで心配そうに自分を見つめてる蘭に、心配するな、と、告げ、更に言葉を付け加えた。

「副司令官および各分艦隊司令に、全艦隊密集隊形にしつつ、敵先頭集団に砲火を集中しろ、と、連絡してくれ」

それは“第一三艦隊の退(の)き口”と称され、同盟軍だけでなく帝国軍でも激賞される凄まじい撤退戦の始まりを知らせる新一の声であった。


 その頃、帝国軍総旗艦「ブリュンヒルト」の艦橋内は勝利に沸いている。

「一〇万隻の追撃戦は初めて見るな」

ラインハルトの声は若者らしく弾み、総参謀長は散文的に反応した。

「旗艦を前進させますか、閣下?」
「いや、止めておこう。ここで私がしゃしゃり出たら、部下の武勲を横取りするのか、と、言われるだろうからな」

 無論、それは冗談であったが、ラインハルトの心理的余裕を示すものであった。
帝国軍の各指揮官も多少の心理的余裕はあった。しかし追撃を始めようとした瞬間、同盟軍の殿軍とを務める言うべき第一三艦隊の猛攻を目の当たりにする羽目になった。
前進と後退を繰り返す艦隊運動をしつつ、各艦隊の先頭部に過密な集中攻撃を加える。それ故、前進が鈍化しただけでなく、局地的ではあるが数に勝る帝国軍が劣勢に陥る宙域さえ出て来る始末だった。
帝国軍へ局地的に火力を集中し、兵力を分断して指揮系統を混乱させ分断した敵を痛撃する。味方の退却を援護しつつ自らも後退の隙を窺っているのだ。

「やるな。実に良いポイントに砲火を集中して来る」
「あれは、第一三艦隊のようですな」
「またしても工藤新一か!」

 叩き付けるような言葉を発したラインハルトだったが、全艦隊に両翼を伸ばして半包囲態勢を執るように命じた。
帝国軍の動きを見た新一は敵が半包囲態勢を執る事を察知した。味方の残存部隊はビュコックの指揮の下、イゼルローン回廊への撤退を開始している。
ここで自分たちも撤退しようものなら、第一三艦隊はおろか撤退する味方までも勝利の味を覚えた帝国軍によって追撃、殲滅されてしまうのは明らかだった。
玉砕や自滅といった言葉を悲壮美として、それに陶酔する気分は新一には無縁であった。ただ彼は味方の退却を援護しつつ、自らも後退の隙を窺っている。
一方の帝国軍の包囲陣も完全とは言い難いものがある。それは包囲陣の一角を担うビッテンフェルト艦隊だった。メインスクリーンと戦術パネルを交互に見たオーベルシュタインはラインハルトに警告を発した。

「閣下。キルヒアイス提督でも誰でもよろしいが、ビッテンフェルト提督を援護すべきです。敵の指揮官は包囲の一番薄い箇所を狙っているのは明らかで突破されかねません」
「そうしよう。それにしてもビッテンフェルトめ、アイツ一人の失敗で、いつまでも祟られる!」

ラインハルトの命令を受けたキルヒアイスは戦列を伸ばして“黒色槍騎兵”艦隊の後方にもう一重の防御線を敷こうとした。帝国軍艦隊の行動を戦術コンピュータで確認した園子が新一に視線を転じた。

「閣下!」

黒色槍騎兵艦隊という退路を塞がれようとしているのだから彼女が驚くは当然といえるが、司令官は平然と言ってのけた。

「ここまでだな・・・全艦隊、突撃隊形第一法。艦隊の再編が終了次第、一斉に突撃する!」

 新一の命令を受けた第一三艦隊はただちに突撃隊形と形成した。
突撃隊形と言ってもいろいろあるが、艦隊が執った突撃隊形は天頂から見れば矢の形をしていた。鏃(やじり)の部分は新一、美和子、渉の部隊、そして矢の軸にあたる部分は平次、快斗が率いる部隊で構成されている。
司令官の命令を受けた第一三艦隊が最大戦速で突撃を開始した―――艦艇数の少ない“黒色槍騎兵”艦隊へ向かうのではなく、正面のラインハルトが率いる直属部隊へ猛然と突撃したのである。
鏃の部分にあたる新一たちが局所一点集中砲雷撃をもって帝国軍を寸断させ、高速艦艇で編成された平次、快斗率いる分艦隊が綻びが出来た敵陣へ突入して暴れまくった。
第一三艦隊の状況を逸した行動に慌てた帝国軍の諸将は一斉に本営を守ろうとして行動を開始するが、狭い宙域に大軍が殺到するのだから指揮系統が大幅に乱れるのは当然といえる。
常識外の行動で敵を混乱させる事が新一の狙い目であった。自分たちに殺到しようとして混乱する帝国軍を見ながら新一が好機を狙っていた時、平次から通信が入る。

「こんな時にどうしたんだ、服部?」
「オレや快ちゃんの長距離雷撃可能位置に敵さんの総旗艦らしきフネがあるんやが、どないしよか思ての」
「そんな事しようものなら敵の怒りに油を注ぐようなもんだ。今は放っとけ」

ラインハルトが聞いたら激怒しそうな事を言いながらも、新一の目は撤退のチャンスを窺っている。そして彼の口元が僅かではあるが綻んだ。
それはビッテンフェルト艦隊の動きであった。彼は少数の部隊を率いて勇戦していたが、それは戦局全体を見渡したものではなく、眼前に現れた敵に対応したものであった。
もし彼がキルヒアイスの動きに注意していれば、ラインハルトとの通信が途絶していても、新一の意図を悟って、その退路を効果的に断つ事も出来たかも知れない。
しかし、味方との有機的な繋がりを欠いている“黒色槍騎兵”艦隊は、単なる少数部隊に過ぎなかった。

「艦隊を密集隊形に再編し、敵包囲陣の薄い箇所に集中砲雷撃。一点突破を図る、急げ!」

短時間で艦隊の集結、再編成を終えた第一三艦隊は、ラインハルトからビッテンフェルトへと矛先を変えると、残存兵力の全てを彼の艦隊に叩きつけた。
一瞬で“黒色槍騎兵”艦隊は旗艦「王虎(ケーニヒス・ティーゲル)」以下数隻まで打ち減らされた。なおも徹底抗戦を叫ぶ上官をオイゲン大佐ら幕僚たちが必死に制止しなかったら彼らは宇宙の塵となっていたであろう。
こうして確保した退路から第一三艦隊は秩序を保ったまま次々と戦場を離脱していく。最後まで艦隊の後方で殿軍の指揮を執っていた新一も帝国軍の追撃がない事を確認して戦場を離脱した。
その光景をビッテンフェルトは呆然と、ラインハルトは遠くから失望と怒りに身を震わせつつ、共に見送る事になったのである。



 自由惑星同盟軍は、悄然たる敗残の列を作って、イゼルローン要塞への帰途に着いている。
戦死者及び行方不明者は概算で二〇〇〇万。コンピュータが算出した数字は生存者の心を重くした。死闘の渦中にありながら、第一三艦隊だけは艦隊将兵の八割近くを生還させている。
“戦場の名探偵(ザ・ディテクティヴ・オブ・バトルフィールド)”と、呼ばれる若者はここでも奇跡を起こした―――新一を見る部下の目には信仰に近い光があった。
イゼルローン回廊へ入った時点で第一三艦隊は警戒航行態勢から通常航行態勢へ警戒レヴェルを落として航行していたが、新一は未だに旗艦「ヒューベリオン」艦橋に留まっていた。
ヤヴァンハール星域でケンプ艦隊、ドヴェルグ星系でキルヒアイス艦隊と交戦し、アムリッツァ恒星宙域における戦場離脱を不眠不休で指揮を執り続け、司令官室に帰る気力すら無くしていたのだ。
もっとも待ち人が来るのを待っていたのが事実であり、自分に近づく足音を確認して音源の方向へ顔を向けると、待ち人である幼馴染み兼副官の大尉が立っていた。

「どうしたんだ?」
「閣下。イゼルローン要塞との通信可能宙域まで時間がありますから、私室でお休みになってはいかがです?」
「あのな、二人っきりの時は形式ばる必要はないって言ってるだろ。蘭?」

そう言って新一は蘭の腰を優しく抱き寄せる。無論、彼女から抗議の声が上がったものの無視しておく。

「これで疲れを取ってんだ。ホントは蘭の膝枕が一番良いんだけどな」
「もう新一ったら甘えん坊なんだから・・・後でコーヒー持って来てあげる」
「分かったよ。蘭」

そう言って新一は彼女の前髪に軽く触れる―――これが第一三艦隊名物の“ラブラブ絶対宙域”であり、誰もが入る余地のない空間でもあった。
なお仮眠を終えて艦橋に入ろうとした横溝大佐は、艦橋に入るドアの前で、それを感じ取って艦橋に暫く入れなかったのは言うまでもない。



 最終的な決戦場となった星域の名前から「アムリッツァ星域会戦」と呼称される事になった一連の戦闘は、同盟軍の全面的な敗退によって決着を見た。
同盟軍は帝国軍の戦略的後退によって一時的に占拠した二〇〇余の辺境恒星系を悉く放棄し、かろうじてイゼルローン要塞のみを確保する事となった。
動員した兵力は三〇〇〇万を超えたが、イゼルローンを経て故国に生還した将兵は一〇〇〇万を満たず、未帰還率は七割に達しようという惨状であり、それは同盟の政治、経済、社会、軍事に大きな影を投げかける結果となった。
特に財政当局は、既に失われた経費とこれから失われる経費―――遺族への一時金や年金―――を試算して青くなった。アスターテや過去の帝国軍との戦闘における損害とは比べようが無かったからである。
かくも無謀な遠征を強行した政府と軍部には遺族や反戦派から激烈な非難と弾劾が浴びせられた。低次元の選挙戦略、ヒステリーで出世欲は強い参謀の思惑が合致して、今回の無謀な作戦が実施された事が判明すると家族を失った市民の怒りは、政府と軍部を容赦なく叩きのめした。

「人命や金銭を多く費消したと言うが、それ以上に尊重すべきものがあるのだ。感情的な厭戦気分に陥るべきではない」

主戦派のうち、そう抗弁する者もいたが、その発言は市民や反戦派の怒りを増幅させる事になった。

「金銭はともかく、人命以上に尊重すべきものとは何を指して言うのか?権力者の保身や軍人の野心の事を指すのか?二〇〇〇万もの将兵の血を無益に流し、それに倍する遺族の涙を流させながら、それが尊重に値せぬものと言うのか!?」

 阿笠やシャロンからそう問い詰められると、主戦派も沈黙せざるを得なかった。
ごく一部の、良心が欠落した者を除いては、誰でも、自分は無事に生きているという事実に、忸怩たるものを覚えていたからである。
自由惑星同盟最高評議会の全閣僚は辞表を提出した。主戦派の声望が下がると、相対的に反戦派が脚光を浴びる事になる。
遠征に反対票を投じた三名の評議員は、その識見を讃えられ、翌年の総選挙まで国防委員長トリューニヒトが暫定政権の首班の座に着く事になった。
その夜、自宅の書斎で彼とその取り巻きである政治家や評論家は祝杯をあげた。トリューニヒトの肩書きから“暫定”の文字が消えるまで、彼に取り巻いている輩はその地位があがるまで長く待つ必要はないであろう。
 軍部では、統合作戦本部長の服部平蔵元帥と宇宙艦隊司令長官のラザール・ロボス元帥が共に辞任した。ロボスは自らの失敗によって競争者である平蔵の足を引っ張った、と、噂された。
勇戦して戦死したウランフ、ボロディン両提督は二階級特進して元帥の称号を受けた。同盟軍には上級大将という階級がなく、大将のすぐ上が元帥なのである。
宇宙艦隊総参謀長だったグリーンヒル大将は左遷されて、国防委員会事務総局の査閲部長となり、対帝国軍事行動の第一線から外された。フォーク准将は療養の後、予備役編入を命ぜられ、野心を絶たれたかに見えた。
志保は国内の補給基地司令官、小五郎はハイネセンから離れた情報収集基地司令となり、家族を残して、それぞれの任地へと向かった。補給にしろ情報にしても誰かが責任を取らなければならなかった。
こうして同盟軍の首脳部は、人的資源の著しい欠乏状態を示す事になった。実戦部隊であった第三、第七、第八、第九、第一〇、第一二の六個艦隊が解隊され、残余の艦艇は他の艦隊や各地区の警備部隊へと編入された。
 統合作戦本部長の座に就き、それに伴って中将から大将に昇進したのは、それまで第一艦隊司令官であったクブルスリーである。
彼はアスターテ、アムリッツァの両会戦にも参加しておらず、したがって敗戦の責任を負う事もなかった。彼は首都警備と国内治安の任にあたり、伝統のある宇宙海賊の討伐と航路の安全確保に堅実な成果をあげていた。
士官学校を優秀な成績で卒業し、何れ軍人の最高峰に上る事は確実視されていたが、本人も予想だにしなかったスピードで、それが実現したワケである。その後任として第一艦隊司令官となったのは、アスターテ会戦において負傷し、療養生活を送っていた目暮十三中将である。
 宇宙艦隊司令長官に就任したのはビュコックで、当然、それに伴って大将に昇進した。宿将が宿将たるに相応しい地位に就いたワケで、この人事は軍の内外に好評を博した。
いかに声望の高いビュコックでも、一般兵あがりである以上、このような事態でなければ宇宙艦隊司令長官の職には就けなかったであろう。その意味では、極めて皮肉で、しかも良い結果が惨敗という不幸から生み出されたのである。
 新一の処遇は決定しなかった。同盟軍史上初の上級司令部の命令に背いての独断撤退について、彼は軍法会議の被告として召喚される事を予想していた。
実際、軍の一部からは新一を軍法会議にかけるべきだ、との意見もあったが、彼は指揮下にある第一三艦隊将兵の八割近くを生還させ、その生還率の比類ない高さを示した。
これが安全な場所に隠れていたのであれば、非難の対象となり、間違いなく軍法会議の被告人席に立たされていたであろう。しかし第一三艦隊は常に激戦の渦中にあり、しかも最後まで戦場に残って味方の脱出に尽くしたのだから、何ぴとも非難出来なかった。
クブルスリーは新一が統合作戦本部の幕僚総監に就任する事を望み、ビュコックは新一に宇宙艦隊総参謀長の席を用意する、と、言明した。
一方、第一三艦隊の将兵たちにとって、新一以外の指揮官を頭上に戴くのは考えられない事だった。将兵たちは能力と運の双方を兼備する指揮官を欲するものであり、それが彼らにとって生存を可能にする方法だからだ。
処遇が定まらない間、新一は長期休暇を取って惑星ミトラに赴いた。ハイネセンの官舎だけでなく実家にいても、不敗の英雄に会いたい、と、押し掛ける市民やジャーナリストで外出もままならない状態であり、TV電話も鳴りっ放しで休めるものではなかった。
文章電送機も秒単位で手紙を吐き出した。その中に約五ヶ月前に新一の官舎を襲撃した憂国騎士団からの、愛国の名将を讃える、と、いう一文は新一を失笑させたが、第一三艦隊の戦死した兵士の母親から送られた手紙の一文―――あなたも殺人者の仲間だ―――は、彼の気を重くした。実際、戦争の勝者も敗者も、無名の兵士たちの累々とした死屍の上に立っているのだ。
そんな我が子を見て、両親が提案したのは友人たちとの休暇旅行であった。ハイネセンに居ても疲労が重なる一方だったので、新一はその提案に素直に応じた。三週間を友人―――第一三艦隊司令部の面々―――たちと、緑したたる自然の中で過ごし、気分をリフレッシュして首都に戻った新一を辞令が待っていた。

イゼルローン要塞司令官・兼・イゼルローン駐留機動艦隊司令官・兼・同盟軍最高幕僚会議議員。

 それが新一に与えられた新たな身分で、階級も大将に昇進した。二〇代の大将は幾つかの前例があったが、将官の年間三階級昇進は初めての事である。
イゼルローン駐留機動艦隊は旧第八、第一〇、第一三艦隊の三個艦隊を併せて編成され“工藤艦隊”という通称を公式に認められる事になった。若い国家的英雄に対し、軍は最上級の好意を示した、と、言っても良い。
もっとも新一は軍人としての出世や栄誉より、一人の幼馴染みと一緒に人生を歩いて行く事が望みだった。その幼馴染みである蘭を悩ませたのは、新一が赴任時に持って行く荷物の整理だった。

「新一、こんなに本を持って行く必要があるの?後で送ってもらえば良い話じゃない」
「いや、イゼルローンまでの航行中は暇だからさ・・・」
「だからと言って、一〇〇〇冊以上の本を『ヒューベリオン』に積み込む気なの?それ以前に二週間の航行で全部は読み切れないと思うけど」

 そんなドタバタ劇はあったが、新一はイゼルローンに赴任し、国防における第一線の総指揮を執る事となった。無論、新一だけがイゼルローンに赴任したわけではない。
駐留機動艦隊副司令官は佐藤美和子少将、参謀長は白馬探少将、副参謀長は小泉紅子准将、分艦隊司令は高木渉少将、服部平次少将、黒羽快斗少将、要塞防御指揮官は京極真准将、副官は毛利蘭少佐、主任オペレーターは鈴木園子少佐、副オペレーターは桃井恵子少佐。
その他、旧第八、第一〇艦隊から参加した幕僚もおり“工藤艦隊”は陣容を整えつつあった。これで志保が事務面を担当してくれたら、と、新一は思う。人事部に頼み込んで可能な限り早く彼女を呼ぶ事にしよう、と、考えるのだった。
それにしても、気に掛かるのが帝国軍の動向である。ローエングラム伯ラインハルトに刺激された大貴族出身の提督たちが、同盟軍の抵抗力が弱まったこの時期を狙って、侵攻を企むのではないだろうか?
しかし、その不安は敵中しなかった。銀河帝国内に容易為らざる事態が生じ、外征どころではなかったのである―――それは皇帝フリードリヒ四世の心臓疾患による急死であった。



 多少のタイムラグはあるものの、フェザーン駐在弁務官事務所から現在の帝国の情勢が伝わって来た。
皇帝崩御の後、外戚であるブラウンシュヴァイク公オットー、リッテンハイム侯ウィルヘルムが自分の娘を女帝とすべく宮廷工作を始めだしたのである。
両者とも自信も野望も戦力を持っていたが、国璽と詔勅を司る国務尚書リヒンテラーデ公クラウスは巨大な視力を有する外戚に帝国を私物化させたくなかった。
他の二者と違い、彼には固有の武力がなかったので、ローエングラム伯ラインハルトを侯爵とし、帝国軍宇宙艦隊司令長官に任命したのである。
そして皇帝の嫡孫であるエルウィン・ヨーゼフを擁立して即位させたが、ブラウンシュヴァイク公を始めとする門閥貴族たちは驚愕して怒り狂った。
その情報を入手した新一は司令官公室のソファに座って、角砂糖半個入りのコーヒーを飲みながら帝国の情勢を分析していた。
リヒンテンラーデ=ローエングラム枢軸の迅速な成立によって帝国の政情は小康を得たかに見えるが、このまま安定期に入るとは思えない。
特にブラウンシュヴァイク=リッテンハイム陣営は武力をもって起つ、いや起たされる状況に追い込まれるだろう。そうなると帝国を二分する内乱が発生する。

「ローエングラム侯の策は読めるんだけどなあ」

そう新一は呟いた。蘭は何か言いたげな表情を浮かべていたが、彼の姿を見て言葉を発するのをはばかれる雰囲気を感じ取って沈黙している。
もし、自分が独裁者であれば、巧妙に帝国の情勢を分析して介入するだろう、と、新一は思う。
例えばブラウンシュヴァイク公らと組み、ローエングラム侯ラインハルトを挟撃して倒し、返す一撃で門閥貴族連合を粉砕する。これで銀河帝国は滅亡するだろう。
あるいは門閥貴族連合に策を授けてラインハルトと互角に戦わせ、両者が疲弊の極みに達したところを撃つ。
もしくは同盟を“辺境の叛乱勢力”ではなく、正式に一つの国家として認める、と言う側と組む、という手段もあるが、反故にされる可能性が高い。
門閥貴族連合はともかく、ラインハルトは自由惑星同盟に軍事介入をさせないようにする策―――同盟を内部から分裂させる―――を執るだろう。
ただ、誰が叛乱を志操し、誰がそれに乗るのかは分からない。新一は息を吐いた時、蘭がコーヒーカップを下げた。

「悪いな、蘭」
「考え事をするのは構わないけど、仕事があるでしょ」
「今日の仕事は、とっくに終わらせたぜ?」
「公務は終わったのは知ってるわよ。私が言いたいのはプライヴェートの話よ。自分の私室の片付けが終わってないでしょ!」
「はいはい・・・片付けりゃ良いんだろ?」
「はい、は、一回で良いの!」

 そんな言葉のキャッチボールをしながら、新一は司令官公室から司令官私室へ向かう。
私室へ向かう時も左手をスラックスのポケットに突っ込み、右手で口元を軽く押さえて考え事をする新一を見て、蘭は思い切って聞いてみる。

「ねえ、どうしたの?」
「いや、ローエングラム侯の動向が気になってるだけさ」
「司令官という職業だから何も言わないけど、目の前にある事を片付けてからね」
「了解、副官どの」

 宇宙暦七九六年、帝国暦四八七年。
ローエングラム侯ラインハルトも、工藤新一も、自らの未来を全て予知していない。



続く





注:「銀河英雄伝説」は田中芳樹先生、「名探偵コナン」「まじっく快斗」は青山剛昌先生の著作物です。


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