銀河探偵伝説



By 槇野知宏様



(14)



 自由惑星同盟から少し外れて銀河帝国の情勢を見てみる事にする。
先帝フリードリヒ四世が急死し、彼の直系の孫であるエルウィン・ヨーゼフが五歳にして新しい皇帝として即位した.
しかし、これは二人の大貴族―――ブラウンシュヴァイク公オットー、リッテンハイム候ウィルヘルム―――の怒りと嫉妬を招く結果となった。
彼等は共に先帝の息女を妻に迎え、それぞれ娘をもうけている。自分の娘が女帝になれば、自らは摂政として帝国を支配する野心を抱いていたのだ。
その野心が崩れ去った時、彼等は共通の敵に対して手を結び、報復する事を誓い合ったのである。共通の敵とは、皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世、彼を支持する帝国宰相リヒテンラーデ公クラウスと、帝国宇宙観隊司令長官ローエングラム候ラインハルトであった。
こうして銀河帝国の支配階級は、皇帝派、またはリヒテンラーデ=ローエングラム枢軸と、反皇帝派、ブラウンシュヴァイク=リッテンハイム連合の何れかの派閥に入らざるを得なかった。
帝国の将来を憂える者、自己保身を考える者は中立を望んでいたが、険悪化する情勢は、彼等を何時までも圏外においてはいなかった。
どちらに味方して生き残るか。どちらに大義名分があり、勝算があるか。中立を望む貴族たちは、判断と洞察の能力を試される事になったのである。
兵力と財力、そして感情的には反皇帝派に傾いているが、ラインハルトが戦争の天才であり、彼の部下たちも百戦錬磨である事実を知っているので容易に決心がつかなかった。
感情と打算の谷間で風向きを確かめるために必死な貴族たちを耳目にして、一人冷静であったのがヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ―――通称、ヒルダ―――という女性であった。

 彼女の父親であるマリーンドルフ伯フランツは、温和で良識的な人物として貴族たちだけでなく領民にも信望があった。
その彼も、今回の情勢に対してどう対処すべきか決心がつかず、頭を抱える毎日だった。中立を保てるならそうしたいが、果たしてそれが可能だろうか?
その時期にオーディンの大学から帰省していたヒルダは、自宅にあるサンルームのソファに座り、陽光の穏やかな光を浴びて考え事をしている父親に声を掛けた。

「何を考えておいでですの、お父様?」
「うむ・・・いや、大した事ではない」
「それは頼もしい事ですわね。銀河帝国の運命とマリーンドルフ家の未来が大した事ではない、と、仰るのは」

マリーンドルフ伯は驚いて身体を揺らせてしまい、顔を強張らせて娘を見やる。
亡き妻と同じ暗くくすんだ色調の金髪を動きやすいように短くしている。硬質の美貌だが、非人間的なものに感じさせないのは、自分と同じ青緑色(ブルーグリーン)の瞳がいきいきと輝いているからだ。
そして躍動する知性と生気が、その瞳から発散していて、冒険的精神に富んだ少年のような印象を与えている。子供の頃から、深窓の令嬢、と、いう言葉と無縁な行動的な娘であった。

「それで、どうなさるか決心はつきました、お父様?」
「私自身は中立を望んでいる。だが、どちらかにつかねばならない事態になったとしたら、ブラウンシュヴァイク公につく。それが帝国貴族としての・・・」

鋭い声と表情で、娘は父親の言葉を遮った。マリーンドルフ伯はびっくりして娘を見た。青緑色の瞳が烈しく輝いている。宝石の中で炎が踊っているような異様な美しさだった。
父が驚愕した表情を浮かべても、ビルダの声は止まらない。貴族たちは殆ど目を逸らしている事実がある。人間が生まれれば必ず死に、国歌にも死が訪れる、と、いう事を。
かつて地球という星に文明が発達して以来、滅びなかった国家は一つもない。銀河帝国―――ゴールデンバウム王朝だけが、例外である筈がない、と。

「おい、ヒルダ・・・」
「ゴールデンバウム王朝は五〇〇年近く続きました。その間に全人類を支配し、権力と富を欲しいままにし、人を殺す事、他家の娘を奪う事、そして自分に都合の良い法律を作る事も・・・」

大胆な娘は過去形を使用し、テーブルを叩かんばかりの勢いだった。

「これだけ、やりたい放題をやって来たのですから、そろそろ幕が下りるとしても、誰も責める事が出来ませんわ。逆に五〇〇年近くに渡って栄華が続いた事を感謝するのが当然です。それを失うのは自然の摂理ですから」

温和な父親は、娘の革命派さながらの烈しい弾劾に呆然としていたが、漸く反撃の気力を奮い起こした。

「しかし、だからといってローエングラム候につく理由があるのかね?」
「理由は四つあります。聞いて頂けますか、お父様?」

 マリーンドルフ伯は頷いた。ヒルダが説いたのは次のような事である。
一、ローエングラム候は新皇帝を擁しており、皇帝に背く者を皇帝の命令で討伐する、と、いう大義名分を有している事。これに対し、ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム候は野心剥き出しでの私戦を行おうとしているに過ぎない。
二、何れ大部分の貴族を結集するブラウンシュヴァイク公たちの兵力は強大であり、そこにマリーンドルフ家が参加しても軽く扱われてしまう。それに対し、ローエングラム陣営は劣勢であり、参加すれば勢力が強化されるだけでなく、政治的効果もある。故にマリーンドルフ家は厚遇されるに違いない。
三、ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム候は一時的に手を結んだだけであって、協力する意思に欠ける。何よりも軍の指揮系統が一本化されていないのが致命的であるのに対し、ローエングラム陣営は統一された指揮系統と意思のもとに動いている。途中経過はどうあろうと、最終的な勝敗の行方は自(おの)ずと明らかである。
四、ローエングラム候は門閥貴族出身ではなく、主だった部下たちもそうであって、平民や下級貴族階級の人気が高い。両陣営の兵士は全て平民と下級貴族出身であり、士官だけでは戦争は出来ない。門閥貴族出身の士官に対して兵士たちが反感を募(つの)らせた結果、反皇帝派の陣営において暴動や造反が生じ、内部崩壊する可能性すらある。

「どうでしょう、お父様」

娘がそう結んだ時、父親は黙って汗を拭うばかりだった。彼は娘に反論出来なかったのである。
マリーンドルフ伯がヒルダに全てを任せた。これは親としての責任を放棄したワケではない。むしろマリーンドルフ家を道具にして、愛娘の生きる道を広げる事を望んだのであった。


 六日間の旅で、ヒルダはオーディンに到着した。彼女の感覚すれば戻って来た、と、言った方がよい。帝都での生活はまる四年になる。
宇宙港に到着すると、上屋敷の留守を預かる家令が出迎えに来ていた。忠実な家令に領地にいるマリーンドルフ伯やその使用人、領民たちの状況等を話しながら、彼女は迎えの地上車(ランドカー)に乗り込み、上屋敷にではなく帝国軍宇宙艦隊司令長官ラインハルト・フォン・ローエングラム侯爵の元帥府へ地上車を向かわせた。
その日、ラインハルトは元帥府で帝国宇宙艦隊副司令長官ジークフリード・キルヒアイス上級大将、同総参謀長パウル・フォン・オーベルシュタイン中将にこう語った。

「貴族共の狼狽えようはどうだ。どちらに味方すれば有利か、と、無い知恵を絞ってな。近年、稀に見る喜劇ではないか」
「終わりが目出度くなければ、喜劇とは言えないでしょうな」

オーベルシュタインは、およそ浮つく事のない男で、ユーモアの感覚が完全に欠落している、と、一般には信じられていた。
まだ三〇代半ばであるのに髪は半ば白く、光コンピュータを内蔵した左右の義眼は冷たい光を湛え、唇は薄く引き締まり、表情には愛嬌というものが全くない。彼自身も、どんな評判が立とうが散らぬ顔である。
ラインハルトの右腕、と、いうより、半身であるキルヒアイスが常識的な懸念事項を述べる。

「しかし、閣下。門閥貴族たちが大同団結すれば武力も財力も我が方を上回ります」
「だからこそ、ヤツ等が冷静な判断を下す前に激発させるのだ。こちらから無理に追い詰める必要はない。追い詰められる、と、ヤツ等に信じ込ませれば良い」

確かにキルヒアイスの指摘する通り、反皇帝派の武力と財力はラインハルト一人のそれを遙かに凌いでいるにも関わらず、このままでは破滅だ、何とか反撃を、と、焦る彼等のバランス感覚を欠いた反応が、ラインハルトには笑止だった。

「オーベルシュタイン、報告はまだか?」
「はい。ですが、本日、ブラウンシュヴァイク公が“園遊会”と、称して、リッテンハイム候やその他の不平貴族が集めているのは事実。何らかの動きがあるのは必定かと思います」

総参謀長の報告に頷いたラインハルトは、帝国貴族は何千家もあるが見るべき人材がいない。敵にするにしても役者不足も甚だしい、と、失望感を言葉で表した―――そこへヒルダがやって来たのである。


 二人が去って間もなく、美しい貴族の令嬢が面会を求めている、との連絡がラインハルトに届けられた。
面会の予約に入ってなかったのだが、多くの人々の生命と希望が掛かっているので取り次いで欲しい、と、面会を求めてきた女性が言った、と、窓口の士官が報告してきたので、興味を持った彼は面会を許可した。
もっとも美しい娘など彼にとっては珍重すべきものではなかったが、面会室で見た女性―――ヒルダ―――の化粧気のない、生き生きとした彼女の表情を見て、貴族の娘らしからぬ事に、少しだけ感心した。

「ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフと申します、閣下。ご面会の予約なしに参上した事については深くお詫び致します」
「いや。あなたが窓口の士官に言った、多くの人々の生命と希望が掛かっているので取り次いで欲しい、と、いう言葉に興味をもったのだ」

立ち上がって挨拶したヒルダにソファ座るよう勧め、ラインハルトもソファに座って口を開いた。

「・・・で、私にご用、と、言うのは?」

幼年学校の生徒らしい少年が二人分のコーヒーを運んで来て、部屋から退出したのを見たヒルダは、内戦でマリーンドルフ家はローエングラム候ラインハルトに味方する事を告げた。
コーヒーにクリームを入れようとしたラインハルトの手が一瞬だけ止まったが、さり気なく彼は一連の動作を済ませ、内戦とは何の事かな、と、ヒルダに聞き返した。

「明日にでも起こるであろうブラウンシュヴァイク公との」
「大胆な方だ。例えそうなったとしても、私が勝つとは限らないが、それでも私に味方して下さる、と?」

閣下はお勝ちになります、と、断言したヒルダは呼吸を整え、父に説明した事をラインハルトに向かって繰り返すと、彼の蒼氷色(アイスブルー)の瞳が光った。

「見事な見識をお持ちだ。結構、そういう事であれば私も味方が欲しい。マリーンドルフ家はもちろん、その口添えがあった家々は厚く遇する事を約束しよう」
「閣下の寛大なお言葉を頂き、私共も知人縁者を説得し易くなります」
「なに、せっかく味方して下さるのだから粗略な事も出来まい。もし私が役に立つ事があるなら、遠慮せずに何なりと言って貰いたい」
「では、お言葉に甘えて一つお願いがございます」

ラインハルトが促すと、ヒルダは、マリーンドルフ家の家門と領地を安堵する公文書が欲しい、と、答えた。
公文書を、と、言う彼の口調が用心深いものになり、今までとは異なる視線を彼女に向けたが、恐れる事もなくヒルダはラインハルトに相対している。
しなやかな指でコーヒー皿を二回ほど叩いて、何かを考えていたラインハルトだったが、それも長くはなかった。

「今日中に文書にして、あなたにお渡ししよう」
「有り難うございます。マリーンドルフ家は閣下に絶対の忠誠を誓い、何事につけ、お役に立てるよう努めます」
「期待させて貰おう。ところで伯爵令嬢(フロイライン)マリーンドルフ。あなたが説得して下さる他の貴族たちにも、やはり同様の保証書が必要かな?」
「それは、それぞれの家の者が考える事です。それに閣下がおやりになろうとする事にそうした者がたくさんあってはお邪魔でございましょう?」

ヒルダの声には澱みが全くなく、ラインハルトは、それはそれは、と、言って笑った。
彼の意思はゴールデンバウム王朝を支えてきた旧体制を一掃する事にある。五世紀近くに渡って特権を貪ってきた生き延びさせる気など更々ない。
絶対的権力を掌握した段階で、役に立つ者以外は粛正するか、民衆が望むなら彼等に投げ与えてやるつもりだった。生き残る能力が無ければ滅びてしまえ―――彼等の祖先が仕えたルドルフの信念がそうであった。因果は巡るのだ。
それをヒルダは見抜いて、自筆の公文書をラインハルトに求めたのだ。公文書になっていれば、口約束とは違って反故には出来ない。
彼自身の名誉が傷付くだけでなく、その権力体勢そのものに対する不信を招く事になるのは必定だろう。自家に対してはそれだけの策(て)を打ったうえで、彼女は、他の貴族たちに対しては生殺与奪はご自由に、と、言っているのである。
これは単に、自分さえ良ければ、と、いうエゴイズムから言っているのではなく、旧貴族間との横の連帯を図ったりしない、と、いう意思を表明した事になるのだ。恐ろしい程にシャープな政治外交感覚をもった女性だった。
帝国数千家の中から漸く賞賛に値する人材が現れたようだ。それもたった二〇歳の若さで、しかも女性である。もっともラインハルトは彼女より一歳年長であるに過ぎない。
なかなか怖い人だ、と、言ってヒルダを賞賛し、改めて彼女の顔を見つめ、何かを言いかけた時、ドアがノックされて、オーベルシュタインが室内に入って来た。
彼は、不平貴族共が動き出した事を報告するために来たのだが、その報告を待っていたラインハルトは、ヒルダが目を見張った程、しなやかな動作で立ち上がった。

「伯爵令嬢マリーンドルフ、お会いできて楽しかった。何れ、食事でもご一緒させて頂こう」

ラインハルトに付き従うオーベルシュタインが、一瞬、ヒルダに好奇な視線を向けたようであったが、彼女はその視線が無機質なものに思えた。


 ローエングラム候ラインハルトとリヒテンラーデ公クラウスの枢軸に反対する貴族たちは、オーディンにあるブラウンシュヴァイク公の別荘があるリップシュタットの森で、ローエングラム候とリヒテンラーデ公の専横に反対する署名が行われた。
これを通称して“リップシュタット盟約”と、呼び、それによって誕生した貴族たちの軍事組織を“リップシュタット貴族連合”と、称する。参加した貴族は三七四〇名。正規軍と私兵を合計した総兵力は二五六〇万。盟主はブラウンシュヴァイク公オットー、副盟主はリッテンハイム候ウィルヘルム。
四〇〇〇名近い貴族の名を連ねた署名状には、リヒテンラーデ公とローエングラム候を激烈な調子で非難する一方で、ゴールデンバウム王朝を守護する神聖な使命は“選ばれた者”である伝統的貴族階級に与えられたものである、と、高らかに謳いあげていた―――大神オーディンは我らを守護したもう。正義の勝利は当に疑いなし、と、いう文章で結ばれていた。
“リップシュタット盟約”に結集した貴族たちは、その雑多な武力を組織化する必要に迫られていた。統一された司令部、戦略構想、管理と補給システムはラインハルトの天才に対抗するために必要不可欠なものだったからである。
順序としては、最初に実戦部隊の総司令官を定めなくてはならなかった。部隊の編成や配置はその意思によるため、ブラウンシュヴァイク公は自分自身が実戦部隊の総指揮を執るつもりだったが、用兵の専門家をその座に据えるべきであり、盟主自らが前線に出るのは如何なものか、と、リッテンハイム候が主張したのである。
彼の意図が、自分に武勲を立てさせない事にあるのは明白であったが、形としては正論だったので、その意見を退ける事は出来なかった。では誰がなるべきか、と、いう段階で名前が挙がったウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ上級大将であった。
彼は五九歳になる歴戦の武人で、輝かしい武勲と堅実で隙のない用兵術の所有者である。アスターテ星域会戦ではラインハルト共に戦い、彼の天才を認めた人物の一人である、と、して知られている。
他の貴族たちも賛成したので、ブラウンシュヴァイク公は内心の舌打ちを隠して、自分が度量の広い人物である事を示さねばならなかった。彼は礼を尽くしてメルカッツを招いて、貴族連合軍の実戦総司令官になってくれるよう懇請した。
ブラウンシュヴァイク公の頼みを、メルカッツはすんなりとは承知しなかった。元々、彼はこの無意味な戦いに反対で、衝突が不可避になった時は中立を守ろうとしていたのである。
メルカッツは断ったが、ブラウンシュヴァイク公は簡単に引き下がらなかった。盟主が自ら交渉して断られたとあっては、盟主の権威に傷が付く。帝国及び帝室に対する真の忠誠を説いて、公は粘ったが、その言葉が次第に脅迫めいたものになり、話の内容が家族の安全にまで及んだ時、遂にメルカッツは折れた。

「では非才の身ながらお引き受け致します。しかしながら次の点を各諸侯には承知して頂きたい。ことに実戦に関する限り、私に全権が委ねられ、それにより指揮系統が一元化される事。それに伴い、どれほど地位身分の高い方であっても、私の命令に従って頂き、命令に背けば軍規によって処罰されるという事。これを認めて頂かねばなりません」

よろしい。承知した、と、公は頷いて宴席を設けて新司令官をもてなした。主賓であったメルカッツは宴が終わって夜遅くに地上車で帰途に着いたが、心の重そうな様子だったので、副官のベルンハルト・フォン・シュナイダー少佐は不思議に思った。

「閣下は連合軍の総司令官になられ、二つの条件もブラウンシュヴァイク公たちに承知させたのでしょう?大軍を率いて強敵と戦うのは武人の本懐、と、私は思いますが、何故そのような表情をなさるのですか?」
「少佐、卿はまだ若いな。確かにブラウンシュヴァイク公たちはワシの条件を呑んだが、口先だけの事だ。すぐに作戦に介入してくるだろうし、軍法で彼等を裁こうとしても従いはすまい。そのウチ、ローエングラム候よりワシを憎むようになる」
「まさか・・・」
「特権というものは人の精神を腐敗させる毒なのだ。自らを正当化し、そして他人を責める事は既に本能になっているのだ。斯く言うワシも下級貴族だったから軍隊で下級兵士に接するまで、その事に気付かなかったがな」

地上車が自宅へ着くと、メルカッツは降りて家の中へ入っていった。これから家族と最後の別れをするのだろう、と、思うと、シュナイダーは悲痛な表情を浮かべた。


 皇帝派と反皇帝派の前面衝突を回避しようとする人々がブラウンシュヴァイク公の部下たちの中にいた。それは絶対的平和主義的な事ではなく、ラインハルトと戦っても勝算がない、と、見極めての事であった。
アルツール・フォン・シュトライト准将がその一番手だった。公に面談を求めると、彼は一時の汚名を甘受して、ラインハルトを暗殺する事で戦争を回避するよう提案したのである。
しかし、この提案は罵声と共に却下された。正面から堂々と戦いを挑んで、金髪の孺子(こぞう)を打ち破ってこそ、リッテンハイム候や帝国全土に対して実力を示す事になる。暗殺という手段は自分の名誉に傷をつけるだけ、である、と。
それでもシュトライトは、ローエングラム候に勝てたとしても、その傷は大きく、民衆を苦しめるだけである、と、して再考を求めたが、結局は怒声によって報われてしまった。
シュトライトが失望して引き下がった後、今度はアントン・フェルナー大佐が意見を具申した。少数によるテロリズムであったが、これも罵声によって拒否されてしまった。フェルナーは退散したが、それによって自分の考えを拒否したワケではない。
主君の強情さと迂遠さを彼は軽蔑したが、シュトライトのようにそのまま引っ込んではいなかった。彼は直属の部下を中心に三〇〇名の兵士と火器を集め、主君に秘密でラインハルトの館を襲撃したのである。フェルナーとしては、ラインハルトを殺せなくとも、姉であるアンネローゼを人質に取る策もある、と、思っていだが、その行動は失敗した。
しかし、これは完全な失敗に終わった。ラインハルトとアンネローゼが居住するシュワルツェンの館は、キルヒアイスが五〇〇〇の兵を直接指揮をして厳重に警護しており、奇襲の隙など全くなかったからである。
奇襲を断念したフェルナーはその場で部隊を解散して自らも行方をくらませてしまった。ブラウンシュヴァイク公に無断で兵を動かした以上、その怒りを買うのは明白だったからである。
逃げ戻った兵士から、事の真相を聞いたブラウンシュヴァイク公は当然激怒したが、オーディンに留まればラインハルト一派に拘禁される可能性も高いので、公自身と、家族、それに少数の部下たちは密かにオーディンから脱出した。
 それを知ったラインハルトは予(かね)ての計画を実行する時期が来た、と、悟った。ラインハルトの命を受けたビッテンフェルトが軍務省を占拠し、軍務尚書エーレンベルク元帥を拘禁、帝国全軍の指揮文書発送機能を押さる事に成功した。
ルッツも統帥本部を占拠して、本部総長シュタインホフ元帥を拘禁し、メックリンガーは新無憂宮(ノイエ・サンスーシー)、ロイエンタールは行政府、ケンプは元帥府の警護に就き、大気圏外衛星軌道、外宙域はワーレン艦隊が展開して臨戦態勢を敷いていた。
オーディンがラインハルト一派によって制圧された事を知った貴族たちの中には脱出を図った者もいたが、宇宙港へ駆け込んだ者はミッターマイヤー麾下の警護兵により拘束され、専用の宇宙船で脱出した者は一部を除いて、ワーレンの監視網から逃れられなかった。
マリーンドルフ伯フランツの邸宅に駆け込んで、保護とラインハルトへのとりなしを頼んだ少数の貴族たちは、もっとも気の効いた部類に属した。彼等に応対したヒルダは、明晰で自信に満ちた話し方によって彼等の信頼を勝ち得た。押しつけがましくならないよう、しかし確実に恩を売る事に彼女は成功したのである。
逃亡に失敗した者の中にはシュトライト准将がいた。彼は主君がオーディンを脱出した時に置き去りにされたのである。ブラウンシュヴァイク家の人々は故意にそうしたワケではなく、単に忘れていただけの事であった。逮捕されたシュトライトは電磁石の手錠をはめられ、ラインハルトの前に引きずり出され、尋問を受けた。

「卿はブラウンシュヴァイク公に、私を暗殺するよう勧めた、と、いう噂だが事実か?」
「事実です」
「何故、そんな事を勧めたのだ?」
「例え、一時の汚名を甘受しても、戦争を回避すれば多くの民衆を巻き込まなくて済む、と、考えたからです。我が主君に決断力さえあれば、現在、手錠をかけられていたのは私ではなく、あなただったでしょう」

ラインハルトは怒らなかった。むしろ彼の勇気を賛美するような表情を浮かべ、手錠を外してやるよう部下に命じた。痛む手首を擦(さす)りながら、シュトライトは意外な思いを禁じられないでいる。

「殺すには惜しい男だ。通行許可証を出してやるから、それを持ってブラウンシュヴァイク公のもとへ行き、卿の忠誠を全うすれば良い」

この寛大な申し出は、無条件の感謝によっては応えられなかった。
もし、自分が無事にオーディンを去り、ブラウンシュヴァイク公のもとへ駆けつけたとしても、逆にラインハルトに内通でもしたのだろう、と、疑うであろう。
そして投獄もしくは刑死、と、いう可能性もある。オーディン脱出に際して、多くの部下を置き去りにしたように、部下の忠誠心を軽視する傾向があるのだ、と。

「分かった。では、私の部下にならないか?」
「有り難いお言葉ですが、今日までの主君を敵に回す事は出来ません。そしてオーディンに留まる事をお許し下さい」

ラインハルトは頷き、彼に許可証を与えて自由の身にしてやった。
一方、フェルナー大佐も逃げ遅れたくちである。下町に潜伏していた彼は逮捕こそ免れたが、進退窮まった事には変わりなかったので、自ら進んでラインハルトのもとへ直接出頭したのである。
彼の方はシュトライトと違って割り切りが良く、主君を見限ったから閣下の部下にしてくれ、と、申し出て、自分が兵を動かして何を企んだかも隠さなかった。

「すると、卿の忠誠心とやらはどういう判断によって、主君を見捨てる事を許したのだ?」
「忠誠心というものは、その価値が理解出来る人物に対して捧げられるものです。人を見る目がない人物に対して忠誠を尽くすのは、宝石を泥の中に放り込むような事。社会にとっての損失、と、お考えになりませんか?」
「ぬけぬけというヤツだ」

そう言ってラインハルトは呆れはしたものの、フェルナーの言動に陰湿さの無い事を認めて、オーベルシュタインの部下になるよう命じた。これだけ神経が図太いのであれば“ドライアイスの剣”と称されるオーベルシュタインの下でも萎縮する事はない、と、考えたからである。
ラインハルトは宇宙艦隊司令長官、軍務尚書、統帥本部総長とを兼ね、軍事に関する限り全面的な独裁権を手に入れ、皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世から帝国軍最高司令官の称号を受けた。無論、六歳の幼児の意思ではなく、称号を受ける側の意思であった。
同時に、ラインハルトに対して勅命が下った。私党を組んで皇帝に叛逆を企むブラウンシュヴァイク公以下の国賊を討伐せよ、と、いうものであった―――四月六日の事である。
戦機熟す。同盟で続発する異変は既にラインハルトのもとへ届いている。ラインハルトはキルヒアイスと一時別れの握手をした。キルヒアイスはワーレン、ルッツを副将とし、全軍の三分の一を率い、別働隊として辺境星域を経略するのである。



 帝国から自由惑星同盟に目を向けてみる。
最初の一撃が加えられたのは三月三〇日の事であった。工藤新一が首都ハイネセンを発ってから、まだ多くの日は経ってはいない。したがって宇宙艦隊司令長官アレクサンドル・ビュコック大将のクーデター計画捜査も、はかどる間がなかった。
ビュコックの本領は大艦隊を指揮統率する事にあり、憲兵がやるような仕事は苦手であった。それでも慎重な人選の末に捜査チームを編成し、軍の暗部を自ら抉(えぐ)り出す第一歩を進めたところであった。
新一がビュコックに示したのは、論理的思考の芸術、と、いうものであったが、なんら物的な証拠は備わっていたワケでは無い。その事を新一自身も承知していたから、ビュコック以外の者には話さなかったのである。

「新一は、ワシだけはそんな愚行に加わらん、と、信じたのじゃ。ワシとしても信頼に応えねばなるまいて」

長い戦争の中で息子を戦死させ、孫もおらず、夫人と二人暮らしの老提督は、新一や蘭、イゼルローン要塞司令部の若き幕僚たちを孫同様に思っている。
タワーヒル公園で、新一や蘭と一緒につまんだフィッシュ・アンド・チップスの素朴な味覚を懐かしく思うのだ。無論、他人には絶対に話さない事である。
そして三月が終わろうとした時に奇禍に遭ったのがクブルスリー大将である。昨年末、クブルスリーは統合作戦本部長の座に就いた。それまで五年の長きに渡ってその地位にあったのは服部平蔵元帥であったが、アムリッツァ星域における歴史的大敗北の責任を取って辞任した。
彼自身は無謀な出兵案に反対だったのだが、制服軍人のナンバー1として、責任を免れなかったのである。彼は現在、首都ハイネセンを離れ、故郷の惑星で戦死した将兵の冥福を祈る日々を送っている。
その日、クブルスリー本部長はハイネセン近隣の軍事施設の視察を終え、軍用宇宙港から縫合作戦本部ビルへ専用車で戻って来たばかりだった。彼に付き従うのは高級副官のウィッティ大佐と五名の衛兵である。
彼等がロビーに入ると、予備役准将であるアンドリュー・フォークが現役復帰を求めて来た。本来であればロビーで呼び止めての立ち話というのは無礼な事なのだが、彼と面識があり、部下に対しても驕らない性格のクブルスリーは、ついフォークの話を聞く形となった。
本部長が手順を踏んでから復職するようフォークに諭しても、彼は現役復帰を強く望み、しまいには本部長権限で復職させて欲しい、と、言い出したので、クブルスリーの眼光が厳しさを増した。

「フォーク予備役准将、君は何か誤解しているのではないか?私の権限は手順を守らせる事にあって、手順を破る事ではない。私の見たところ、まだ完治したとは言いかねるようだな」

クブルスリーもフォークの噂を聞いた事がある。とかく自分を特別扱いする傾向があり、何より同期生である工藤新一たちに強烈なライヴァル心を抱いていた事を。フォークの顔が強張り、元々血の気の乏しい皮膚が土色へと変わっていく。
てんかん性ヒステリー、と、いうフォークの病名の意味をクブルスリーは必ずしも理解していなかった。それはエゴの完全な充足を求めて神経が失調するものだ。
本部長は、手順を踏んで、もう一度出直すよう勧めたが、この忠告が、どれほど誠実なものであっても、フォークには意味のないものであった。彼は古代の暴君さながらに、全面的なイエスだけを欲していたのである。

「閣下!」

ウィッティ大佐が悲鳴混じりの悲鳴を発した時、フォークの手元で閃光が白く輝き、音もなく統合作戦本部長の右脇腹を貫いた。
クブルスリー大将の表情が青白くなり、幅と厚みのある身体がバランスを失って蹌踉(よろ)めいた。それをウィッティが支えた。

「早く医者を呼べ!それにお前たちも何故、発砲に気付かなかった!!何のための衛兵か!!!」

医者を呼ぶよう指示を出し、衛兵の不手際に怒りを露わにした高級副官に恐縮しながら、彼等は捕らえたフォークを必要以上に小突き回した。
フォークの乱れた髪が、汗で額に粘りついている。その下で焦点を結ばない瞳が、失われた未来を執拗に見つめていた。


 報告を聞いた時、ビュコックは文字通り椅子から飛び上がった。このような形で奇襲を受けるとは想定外だったのだ。
無論、彼はこれが完全に独立した一個の事件などとは考えなかったのである。副官のファイフェル少佐に本部長の容態を確認すると、生命は大丈夫だが、全治三ヶ月。当分は絶対安静、との報告を受けて安堵の溜め息を漏らした。
予備役准将アンドリュー・フォークが統合作戦本部長クブルスリー大将を襲って負傷させた、と、いうニュースは惑星ハイネセン全土を驚倒させ、超光速通信にのって同盟全域に飛んだ。
軍部にとっては不名誉な限りで、もし帝国なら、こういう報道は禁止するのに、と、危険な発想にたって残念がる者もいた。
さしあたって統合作戦本部は、後任、または代理を立てなければならない。制服軍人のナンバー1が統合作戦本部長なら、ナンバー2は宇宙艦隊司令長官である。国防委員会から本部長臨時代行を打診されたビュコックは即座に辞退した。
ナンバー1とナンバー2を同一人物が兼ねるのは独裁的権力への道を開く事になる。それが彼の正論だったが、内心で考えたのはテロの対象を分散させる必要だった。
テロの標的になる事を恐れるビュコックではないが、彼に権力が集中し、今度はビュコックがテロに倒れた時、宇宙艦隊司令部と統合作戦本部の二大組織は長を失い、機能を麻痺させてしまうであろう。せめてどちらか一方が機能していないと、同盟軍全体が動けなくなるかも知れないのだ。
結局、本部長代行に選ばれたのは三名いる次長のうち、年長で昇任年度も早いドーソン大将だった。それを聞いた時、ビュコックは、これはワシがやった方がマシだったかな、と、内心で思ったほどだ。
ドーソンはマジメ、と、いうより、小心で神経質な男だった。憲兵隊司令官、国防委員会情報部長などを務めたが、かつて第一艦隊後方主任参謀をしていた時、食費の浪費を戒める、と、称して各艦の烹炊所のダストシュートを調べて回り、ジャガイモが何キロ捨ててあった、などと発表して将兵たちをウンザリさせた小役人タイプである。
私怨を忘れない人物だ、と、いう評判もある。士官学校の席次が彼より一番だけ良かった者が、何かで失敗して降等され、ドーソンの部下になった。それをいびりぬいたらしい―――とにかく人事は決定した。
老提督は新任の本部長代行に挨拶に行ったのだが、彼より一四歳若いドーソンは、滑稽なほど肩肘を張って宇宙艦隊司令長官に対し、例え戦歴が古い方でも、組織の秩序に従って私の命令を受けて戴く、などと、言う必要の無い事を高過ぎる声で言った。
ビュコックは危うくつむじを曲げるところであった。クーデターの可能性と対策、などと、彼が言ったら、小心者の代行は泡を噴いて失神したかも知れない。


 薄暗い室内で低い声での会話が交わされていた。

「フォーク准将はクブルスリー本部長を暗殺し損ね、本部長は一命を取り留めた」
「口ほどにもない男だ。最もヤツは何時もそうだった。アムリッツァの時もな・・・」

その声には冷笑と失望が混ざった声ではあったが、統合作戦本部の機能を削ぐ、と、いう点において、フォークは最低限の仕事をした事には変わりはない。
クブルスリーの代行であるドーソンは事務能力はあっても人望がないため、統合作戦本部の運営に支障を来(きた)す―――出席者もその点については満足していた。


 その頃、イゼルローン要塞にやって来た男性士官と女性の民間人がいた。男の名前は毛利小五郎。職業は軍人。階級は大佐。女性は妃英理。本籍上の名字は毛利。職業は弁護士―――この二人は夫婦である。
小五郎はアムリッツァ星域会戦後、同盟内にある情報収集基地司令に左遷されていたが、彼は新一の求めで、そして英理はハイネセンの弁護士協会からの要請を受けてイゼルローンに到着したのである。

「ここがイゼルローン要塞ね。話には聞いていたけど、かなり大きいわね」
「まあな。軍民併せて五〇〇万の人間が住んでるんだ。ここの人口より少ない有人惑星もあるからな」
「ふぅん・・・で、あなたがここに着任した理由は何なの?」
「そりゃ知らねえ。人事部に聞いたら、イゼルローン要塞司令官から直接聞いてくれ、だとさ」

そこへ二人を待っていた男女がいた。一人は自分たちの一人娘であり、もう一人は娘の幼馴染みである。

「お父さんもお母さんも久しぶり・・・って、お母さんとは二週間ぶりね」
「そうね。蘭も父親に会うのは半年近くじゃないの・・・無論、私もだけど」
「お父さん、久しぶり。向こうで、タバコやお酒は控えたの?」
「小規模な情報収集基地だぞ?補給も月二回、酒とかタバコといったヤツは高級士官も兵士も同じ分量での配給制だったからな」
「だからと言って、ここでハメを外さないで下さいね、毛利大佐・・・着任、お待ちしていました」
「オメーに言われる筋合いはない!出迎えご苦労っ!!」

普通は逆でしょう、と、呟いて、新一と小五郎のやり取りを蘭と英理は苦笑しながら見ていたが、新一が蘭の方に顔を向ける。

「オレは小父さんと司令官公室に行くから、蘭は小母さんを部屋まで案内してくれ」

そう言って、男性陣と女性陣は一旦別れた。二人は司令官公室に入るまで無言だったが、入るや否や口を開いたのは小五郎だった。

「何のためにオレをイゼルローンに呼んだんだ?いくら何でも情報参謀ってワケじゃねえよな?」

イゼルローン要塞司令部には情報収集と解析のプロである白馬探少将、小泉紅子准将がいるのだ。
諜報や破壊工作のプロである小五郎だが、破壊工作ならともかく、情報収集となると“絶対零度のカミソリ”と“紅き魔女”には遠く及ばない事は理解している。

「情報参謀として呼んだワケじゃありません。小父さん・・・いえ、毛利大佐に戦艦『ヒューベリオン』の艦長になって戴くために呼びました」

戦艦「ヒューベリオン」が誰の旗艦であるか知らぬ軍人はいない。目の前にいる小憎たらしい男の旗艦なのだ。

「新一、オメー冗談で言ってるのか?」
「こういう事を冗談じゃ言いません。小父さんが蘭が生まれる前は“操艦のプロ”“名艦長”として前線で戦っていた事をビュコック提督から伺いました」

蘭が生まれてからは自ら進んで情報畑に行った事も聞いてます、と、新一が言うと、小五郎は、あの爺さんも余計な事を言うんじゃねーよ、と、吐き捨てた。
吐き捨てた、と、言っても、その言葉自体には悪意はこもっておらず、むしろ苦笑めいたものである。

「分かった、引き受けてやる・・・ただしオレの操艦は荒っぽいし、テメエの職分を侵されるのは嫌いだからな」
「その点は大丈夫ですが、オレの職分を侵すのだけは止めて下さいね」

そこへ統合作戦本部から直通の連絡が入り、新一が卓上に置いてあるリモコンを操作すると、壁面に備え付けられたスクリーンに小役人くさい人物が画面に映し出された。

「統合作戦本部長代行のドーソン大将である」
「イゼルローン要塞司令官の工藤大将です」

儀礼的な挨拶が交わされたあと、ドーソンは新一に駐留機動艦隊を率いて、ネプティス、カッファー、パルメレンド、シャンプールの叛乱を可及的速やかな鎮圧を命じた。
出動命令が下されるのは分かっていたが、一ヶ所に派遣されて、残りの三ヶ所は首都にいる艦隊が派遣されるだろう、と、思っていたのだ。

「それでは要塞が長期に渡って空(から)になってしまいますが、それで良いのですか?」
「現在、帝国は大規模な内戦状態にあり、イゼルローンに侵攻する余裕は極めて低い。工藤提督は心置きなく軍人としての職務を全うされたい」

こういう思考法もあるのか、と、新一は感心した。原因と結果、アクションとリアクションが見事に逆転している。ドーソンは用兵家としては凡庸だと言う評判だが、案外その方がラインハルトの思惑を外してしまうかも知れない。
首都に大部隊が居座っていれば、クーデターを企む輩も計画が狂って困るだろう。動こうにも動けず不発、と、いう事もあり得る。そうなれば別の策(て)を打って来るであろうが、さしあたって留守を狙って好き放題に、と、いうワケにはいかないだろう。
通信を終えた新一に小五郎がニヤリと笑いながら近づき、オメーもジャガイモ野郎に嫉まれているな、と、言うと、新一も、ホントに困ったものです、と、苦笑して肩をすくめた。


 幕僚たちを会議室に集めて、新一は統合作戦本部長代行・ドーソン大将の命令を伝えた。

「我々だけで四ヶ所の叛乱を全て鎮圧せよ、とはねえ」
「首都の兵力を温存して、私たちだけをこき使おうって腹ね。一体、何を考えてるのかしら?」
「工藤くんだけでなく、私たちも嫉まれてますからね」

第一分艦隊司令、副司令官そして防御指揮官の発言より過激だったのが、参謀長、第二、第三分艦隊司令、副参謀長、要塞事務監だった。

「命令を出すなら、もっと早くやって頂きたいものだ。仕事さえしなければ無能とは言えない御仁なんですがねえ」
「小者んクセに露骨な嫌がらせしとんな、あのジャガイモ野郎は。そんなヤツが本部長代理っちゅう事は軍の人材の泉も枯渇したっちゅう事やな」
「他人をいびる事しか出来ねえヤツだからな、あのジャガイモは。どうせ軍や政府のお偉方にジャガイモ配って猟官運動でもしたんじゃねえの?」
「同盟軍史上最悪の人事ね。まあ、その程度の小人が大将という階級にいる事自体、フォーク予備役准将と同じで奇跡に属するんじゃなくって?」
「外敵のない時代だったらドーソン大将でも務まったかも知れないけど、この状況での人事としては最低最悪ね。何せ彼には人望が全く無いから」

途中から悪口大会になってきて、新一も苦笑するしかない。全員、青二才のくせに高位に成り上がった連中をこき使って、密かに失敗を望んでいる、と、いう本部長代行の命令の裏に隠された考えを看破しているのだ。
“戦場の名探偵(ザ・ディテクティヴ・オブ・バトルフィールド)”などと言われる男なら、四ヶ所全ての叛乱を一人で制圧して見せろ。成功したらそれで良し、失敗したらどんな処置も出来る、と、考えているのだろう。
新一は二〇半ばで大将、あとのメンバーも少将や准将という階級を頂いていおり、地位や階級を絶対視する輩から羨望や嫉妬の的にされている。軍内でこのような事を考えないのはビュコックくらいなものだ。

「そんな無能な小者が統合作戦本部長代行という似合わない服を着ている以上、命令は絶対ですからね。イゼルローンから最も近いのは惑星シャンプールですが、ここから平定しますか?」

探がそう言ってシャンプール周辺の星図を三次元ディスプレイに映し出そうとした時、連絡用のブザーの音が鳴り、壁に設置してあるスクリーンにオペレーターである若い少尉の顔が映った。

「き、緊急事態です・・・しゅ、首都ハイネセンで・・・」
「どうしたんです?慌てず落ち着いて報告して下さい」

探が相手を落ち着かせるように優しい言葉を掛けるが、よっぽどの重大事件らしく、少尉どのの言葉も途切れがちで全く意味が分からない。

「何やってるの!“緊急情報は素早く、落ち着いて報告しろ”って、何度も教えてるでしょ!!」

若い士官を叱咤し、彼を押し退けるようにして画面に割り込んできたのは園子だった。
彼女は首都でクーデターが発生した事を告げると、新一を除いた幕僚が息を飲んだ。美和子と渉に至っては椅子を蹴って立ち上がった程だ。
画面が切り替わると首都の超光速通信センターが現れたが、そこにはアナウンサーではなく、傲然とした態度の士官が放送席に座っている。

「繰り返し、ここに宣言する。宇宙暦七九七年四月一三日、自由惑星同盟救国軍事会議は首都ハイネセンを実効支配の下に置いた。同盟憲章は停止され、救国軍事会議の決定と指示が全ての法に優先する」

イゼルローンの高級士官たちは顔を見合わせ、新一に視線を集中させた。彼は黙ったまま画面に見入っており、幕僚たちも冷静に画面に目を向けた。
結局、ドーソン大将の思惑は、クーデター派の計画を変更させる力を持たなかったようだ。彼等の行動が迅速だったのか、ドーソンの反応が彼等の期待よりずっと鈍かったのか―――確実にその双方であろう。

「救国軍事会議ね・・・センスの欠片もねえネーミングだな」

そう呟いた新一の口調はかなり非好意的なものであった。救国だの憂国だの愛国だのという言葉に、新一は美や誠実さを感じる事が出来ない。
本当に国家を思うなら最前線へ出て来れば良い。そんなセリフを恥ずかしげのなく高らかに言い立てる人間に限って、安全な場所で安楽な生活を送っているのは、どういうワケだろう。
やがて、同盟憲章に替わるという救国軍事会議の布告が発表されたが、それは次のようなものだった。
一、銀河帝国打倒という崇高な目的に向かっての挙国一致体制の確立。
二、国益に反する政治活動及び言論の秩序ある統制。
三、軍人への司法警察権付与。
四、同盟全土に無期限の戒厳令を布く。また、それに伴って全てのデモ、ストライキの禁止。
五、恒星間輸送及び通信の全面国営化に伴い、全ての宇宙港を軍部の管理下に置く。
六、反戦、反軍部思想を持つ者の公職追放。
七、議会の停止。
八、良心的兵役拒否を刑罰の対象とする。
九、政治家及び公務員の汚職には厳罰をもって臨み、悪質な場合は死刑の適用。
一〇、有害な娯楽の追放。風俗に質実剛健さを回復する。
一一、必要を超えた弱者救済を廃し、社会の弱体化を防ぐ。
まだ布告は続いているのだが、新一たちは呆れてしまった。
救国軍事会議とやらが国民に要求しているものは、反動的な軍国主義的なものであり、五世紀前にルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが主張したものと変わりがないのである。

「救国軍事会議、と、称する連中はルドルフの生んだ銀河帝国を打倒するために、ルドルフと同じ事をやろうとしている。これほど立派な喜劇はねえな」
「それも極めつきな醜悪きわなる喜劇ですね。こんな喜劇を見せられる側も堪ったものではないですね」

司令官と参謀長の酷評に何名かの幕僚が笑った。救国軍事会議の面々はルドルフと同じ事を実行するのか、と、思うと笑わずにはいられなかったのである。
だが、この一幕は喜劇として進行したとしても、喜劇のままでは終わらなかった。

「市民及び同盟軍の諸氏に、救国軍事会議の議長を紹介する―――」

 その名前が告げられた時、新一たちは、まさか、と、いう表情を浮かべた。
通信スクリーンに映し出された中年の男性を新一たちは知っていた。白髪交じりの褐色の頭髪、肉付きの薄い端整な顔。軍内では“良識派”として知られており、昨年まで宇宙艦隊総参謀長の要職にあったドワイト・グリーンヒル大将の顔を。




続く





注:「銀河英雄伝説」は田中芳樹先生、「名探偵コナン」「まじっく快斗」は青山剛昌先生の著作物です。


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