銀河探偵伝説



By 槇野知宏様



(19)



 宇宙暦七九八年、帝国暦四八九年の一月。
自由惑星同盟軍イゼルローン駐留機動艦隊のうち、服部平次少将の管轄する大小二二〇〇隻の第二分艦隊は要塞を離れ、イゼルローン回廊を銀河帝国領方向へ突出していた。
彼等の目的は、最前線の警備・哨戒と、新兵の大規模な訓練であった。昨年、自由惑星同盟を揺るがした、所謂(いわゆる)「救国軍事会議」の軍事クーデターによって、同盟軍は少なからず人的資源を消耗した。
イゼルローン要塞駐留機動艦隊は工藤新一提督の指揮下で、多くの戦闘を経験したが、内戦終結後、その経験者たちの多くが新増設された部隊の中核的存在たる事を求められ、引き抜かれたのである。熟練兵の補充は、新兵によってなされた。
人数は同じでも、戦闘力の質の低下するのは当然の事である。彼等に潜在的能力はあっても、それを効率良く生かすためには経験と時間は必要不可欠であった。彼等を一人前の兵士に育成するには容易ではない―――新兵を教育する立場の熟練兵たちは、そう思って前途の遼遠(りょうえん)を思いやるのが常である。
ましてイゼルローン要塞は最前線にあり、銀河帝国が軍事行動を起こす時、身をもって第一撃を受け止める立場にあった。しかし、この重要な軍事拠点から熟練兵を引き抜いて、訓練もままらない新兵をもって、それに代えるとは政府の無能者どもは何を考えている!ひとしきり政府を罵倒した後、イゼルローンの訓練担当の士官や熟練兵たちは目前の現実の処理に取り掛かった。
勝利の可能性を高め、彼等の生存の確率を高めるためには、新兵たちを、せめて半人前にして戦闘に臨まなければならなかったのだ。こうして新兵たちはイゼルローンに配属されると同時に、最初から血相を変えた教官を務めるや熟練兵たちや苛烈な訓練と叱咤に振り回される事になった。

「貴様等、遊ぶつもりで此処に来たのか!それでよく士官学校や教育隊を修業出来たものだな!!」
「生き残りたかったら技量(うで)を上げろ!敵はお前たちのレヴェルには合わせてくれんぞ!!」
「勝つのは強い者であって、正しい者じゃない!負けたら正義をどうこう言う資格どころか、生命まで失う事を忘れるな!!」
「反応が遅過ぎる!もう一度、最初からやり直せ!!」
「ペーパーやシミュレーションの成績が優秀でも戦場ではゴミ以下だ!そんなものは直ぐに捨ててしまえ!!」

 教官たちの声は、次第に高く、熱を帯びてくる。説明を聞き損なったり、反応が鈍かった者には、容赦の無い罵声が叩き付けられた。
罵声は浴びたが、体罰を受けた者はいなかった。これはイゼルローン駐留機動艦隊に所属していればこそで、他部隊ならそうはいかなかったであろう。
司令官の新一は軍律に関しては、比較的甘いところがあったが、軍人が民間人に危害を加える事と、上官が部下に私的制裁を加える事については、容赦が無いほど厳しかった。
ある時、多くの戦場で武勲を立てた士官を降等処分のうえハイネセンへ送還した事がある。一度ならず、部下や新兵に対する暴力事件を起こした男で、その能力を惜しむ声もあった。
実際、その男の上司が新一に寛恕(かんじょ)を申し出たが、彼は、抵抗すら出来ない部下を殴るような男が、軍人として賞賛に値する、と、いうなら軍人とは人類の恥だ。そんな軍人をオレは必要としない、と、言って突き放した。


 第二分艦隊の旗艦「トリグラフ」は古代スラブ神話に登場する軍神の名を持つ戦艦で、同盟軍が建造した最新鋭の艦隊旗艦用戦艦で、その洗練された機能美は他の旗艦を凌ぐものがある。
型落ちと称される「ヒューベリオン」「マサソイト」そして試験艦的要素の強い「アガートラム」「メリクリウス」に比べれば一目瞭然、と、言っても良い。第一三艦隊が編成された時、新一が「トリグラフ」を旗艦にするのではないか、と、いう予測も囁かれたが、実際は通信・索敵能力を「トリグラフ」より強化した「ヒューベリオン」を旗艦にしたのである。

 宇宙暦七九八年、帝国暦四八九年一月二二日。
「トリグラフ」の艦橋で、オペレーターたちの動きが慌ただしくなっていた。索敵システムに所属不明の艦艇群の存在が捕捉されたためであり、索敵の結果、帝国軍の艦艇である事が分かった。報告が分艦隊司令官である平次の下に届くと、彼は即座に命令を下令する。

「訓練は中止や!全艦第一級臨戦態勢!!」

 艦隊が慌ただしくなる中、哨戒部隊からの連絡が通信電波の乱れをかいくぐって各艦に届けられる。敵艦隊発見!現針路、速力で約一時間後に接触するものと思われる。艦艇数およそ二五〇〇。緊急警報が鳴り響く中、司令官の覇気に満ちた声が全艦に響き渡った。

「全艦、総力戦用意!」

 その命令は緊張感となって艦隊全将兵の精神回路の中を光速で駆け巡り、直明けで休んでいた者は跳ね起き、各居住区や食堂は無人と化す。
全艦隊が慌ただしさを増す中、配属されたばかりの新兵たちは「総力戦用意」の命令が聞こえた瞬間、今まで教えて貰った事の殆どを忘却の彼方へ飛ばしてしまった。通路を右往左往した挙げ句、配置場所に着いても何をするべきか分からず、熟練兵たちに怒鳴りつけられる始末だった。

「オレは子供(ガキ)を指揮して敵さんと戦わなアカンのか?」

 艦内モニターや眼下にあるオペレーター席を見ながら、平次は艦隊識別帽(スコードロン・ハット)の庇(ひさし)を前に持ってきて呟く。この年二七歳になる彼は、同盟軍内で最年少将官の一人であり、直率の上司である新一とは士官学校時代の同期生である。
度量、勇気、そして胆力を十分に備えた男で、士官学校の同期である快斗と共に“同盟軍の双璧”と称されるほどの人物だ。司令官の呟きを聞いた分艦隊主任参謀兼副官の遠山和葉少佐が形の良い眉をひそめる。

「平次、新兵たちも出動させるん」
「そら当然や!・・・和葉、人前で呼び捨てにすんなって何遍も言うとるやろ」
「それやったら平次も同じやないの」

 戦闘直前にも関わらず口論をおっ始める司令官と主任参謀の姿に、新兵たちは戸惑い、熟練兵たちは苦笑しながら眺めている。イゼルローン駐留機動艦隊(工藤艦隊)では、一部の部隊においてこのような光景が良く目撃される―――特に第二、第三分艦隊においてはだが。
その光景に戸惑っていた新兵たちの表情に少しばかりの笑顔が出た時、熟練兵は彼らの肩や背中を叩きつつ、こう言うのである。笑う事が出来たって事は、少し余裕が出て来たって証拠だ、と。
とにかく新兵たちは戦うために艦隊に配属されているのであり、いつかは“最初の戦い”を経験しなくてはならないのである。多くの、と、いうより、殆ど全ての新兵たちにとって、この戦いは早過ぎるものであろう。
だが、この期に及んで戦闘を回避するのは不可能であり、熟練兵だけで新兵を無傷のまま保護する事も出来ない。第一、新兵を各部署に配置しなければ、戦闘要員の数が決定的な不足を来たす事になるのだ。

「アイツ等にも戦ってもらうで。特等席で戦争を見物させる余裕はないさかいな」

 そう命じながら、平次は内心で暗然とせざるを得ない。新兵たちのうち幾人がイゼルローン要塞の宿舎のベットに帰る事が出来るのだろう。せめて救援が来るまで、被害を最小限に食い止めるしかない。
守勢より攻勢が得意な平次ではあるが、今回は“勝つ”事より“負けない”事を方針として採る事に決めた。と、言うより、それ以外の選択肢は彼には与えられなかったのである。



 帝国軍の各艦で小首を傾げる者が出てきた。
兵力差は帝国軍が若干有利で、戦況も有利に進めているが、一方で奇妙なアンバランスさを禁じ得ないでいる。イゼルローン駐留機動艦隊と言えば、あの工藤新一が率いる最精鋭の部隊と聞いているからだ。
帝国軍の指揮官であるアイヘンドルフ少将はカール・グスタフ・ケンプ大将の麾下で、まず一級の用兵家とされていたが、この時は急進を避け、優勢を確保しつつ慎重に戦いを進めようとした。
工藤新一の名が彼を用心させた一面もあるが、通常の場合、賞賛されるべきこの態度は、結果として優柔不断の謗(そし)りを受けるものとなった。



「第二分艦隊は、回廊FR(フォックスロット・ロメオ)宙点において帝国軍と接触、戦闘状態に突入せり・・・」

 通信士官からその報がもたらされた時、工藤新一大将は要塞の中央指令室にいた。副官の毛利蘭少佐から報告を受けた新一は直ちに全幕僚を要塞の会議室に参集させた。
“工藤提督の会議好き”などと言われるが、それをやらなければ、独断専行だの独裁的傾向だのと評されるだけだろう。新一にしてみれば、部下たちの意見が聞かれるだけ、こちらがマシだろう、と、思っている。
今度の場合は、可及的速(すみ)やかに援軍を送る事に異論はない。問題はその規模である。一通り意見を聞いた後、新一は司令官顧問のメルカッツに訊ねた。

「客員提督(ゲスト・アドミラル)のお考えは?」

 ウィリバルト・フォン・メルカッツは昨年まで帝国軍上級大将として、敵の禄(ろく)を食(は)んでいた男である。帝国の若き天才ラインハルト・フォン・ローエングラムが貴族連合軍を敗滅させた際、副官シュナイダー少佐の勧めで自殺を思い止まり、同盟に身を寄せて新一の顧問を務める身となっていた。

「増援なさるのであれば、速やかに、しかも最大限の兵力をもってなさるのが宜しい、と、小官は考えます・・・それによって敵に反撃不可能な一撃を加え、味方を収容して撤収するのです」

 敵、と、いう言葉を発した時、初老のメルカッツの顔に微かな苦渋の翳(かげ)りが見えた。例えラインハルト麾下であろうとも、それが帝国軍と聞けば、やはり虚心ではいられないのである。

「客員提督のご意見にオレも賛成だ。兵力の逐次投入は、味方の収容の機会を減少させ、済し崩しに戦火の拡大を招くだろう。全艦隊をもって急行し、敵の増援が来る前に一戦して撤退する。直ちに出撃準備にかかってくれ」
 
 幹部たちは敬礼で司令官に応えた。新一の用兵や人間性に対する彼等の信頼は絶対的である。兵士たちにとっては、信仰、と、言っても良い。それを見てから新一はメルカッツに言った。

「メルカッツ提督には『ヒューベリオン』に同乗して頂きたいのですが、宜しいでしょうか?」

 メルカッツは同盟軍で中将待遇であり、階級が上の新一がこれ程、丁寧な口を訊く必要はないのだが、新一は彼を賓客として遇しているのだ。彼が亡命して来た時、その保証人になったのは新一である。
それは新一が、敵国人ながらメルカッツに敬意を抱いていたからであるが、更にメルカッツの同盟軍における立場を強化するため、多少の犠牲は惜しまないつもりだった。
メルカッツの意見は、新一のそれと一致した。彼が正統派の堅実な用兵家である事を再確認して新一は嬉しく思う一方、メルカッツの心情を思いやり、彼を帝国軍との直接戦闘の場に引き摺り出す事はしたくない、と、考えていた。
だが、新一が艦隊を率いて出撃し、メルカッツが居残る、と、いう事になれば、司令官が留守の間の危機を憂慮する声が必ず出て来るのである。
馬鹿げた懸念だ、と、新一は思うが、無視する事は出来ない。部下に対する配慮のバランスの問題である。メルカッツも新一と自分自身の立場は十分に分かっており、承知しました、と、短く答える亡命の客将だった。


 会敵から既に九時間が経過していた。
帝国軍は数的には優勢なのにも関わらず、相変わらず同盟軍の動きに戸惑っている。第二分艦隊を指揮する平次は帝国軍のアイヘンドルフ少将の慎重過ぎる態度が意外な救いだった。
しかし同時にそれは味方の致命的な弱点が何時、暴露されるか、と、いう危惧を緩やかに、だが確実に高めていくことにもなった。戦闘配食に出された沢庵と胡麻を塗(まぶ)した握り飯と緑茶を口にして、耐えがたい圧迫感に耐え続けていた平次は、スクリーンを悠然と横切った味方の戦艦を見て和葉に訊ねた。

「和葉、あれは『ユリシーズ』ちゃうか?」
「そうや。戦艦『ユリシーズ』やけど、それがどないしたん?」

 その艦名を耳にした平次の浅黒く引き締まった若々しい表情が綻んだ。激戦の最中であっても死滅したワケではないユーモアの感覚が刺激されたのである。
「ユリシーズ」は同盟軍のでも有数の武勲と強運に恵まれた艦である。それにも関らず、その名を語り、その名を聞く人々が笑いを誘われるのは「ユリシーズ」が“トイレを壊された戦艦”として知られているからであった。
それは事実ではないのだが、人は散文的な事実より、彼好みの化粧を施された虚構を好ましく思うものだ。それが先方にとって、いかに迷惑であったとしても・・・

「『ユリシーズ』の武運にあやかりたいモンやな。カッコ悪くてもかまへん、生き残るで!」

 艦橋内に笑い声があがり、一瞬ではあったが、和んだ空気が流れた。標的とされた「ユリシーズ」の乗員たちにとっては不本意であるだろうが、その名は新兵から熟練兵の将兵たちの緊張を解(ほぐ)し、心身を活性化させるのに、確かに有効だったのである。
その時、通信士官が歓喜の叫びを上げた―――援軍が来た、援軍が来たぞ、と。この場合、多少の大袈裟な反応を示すのは、彼等にとってむしろ義務である。事実によって味方の士気を鼓舞するのだ。
効果は見事なものだった。歓声が上がり、無数の艦隊識別帽が宙を舞う。味方に連絡し、同時に敵に知らせてやるため、傍受される事を十分に予測した電波が、同盟軍の通信回路を駆け巡った。



 一方、衝撃を受けたのは帝国軍である。
各艦のオペレーターたちが蒼白になってモニターに見入り、悲鳴交じりの報告がアイヘンドルフに伝えられた。

「一万隻以上だと!?それでは勝負にならん・・・退却だ!」

 彼は有利不利を計算する理性と、解答が不利と出れば退却するだけの柔軟さを失っていなかった。
自軍にも援軍が遠からず到着するだろうが、敵ほど大兵力ではなく、先ず自分たちが敗滅した後、援軍も各個撃破の犠牲者となるのは確実だった。アイヘンドルフは自ら模範を示して退却を始めると、他の艦艇もそれに従った。



「敵は戦意を喪失して逃走に移っていますが、これを機に追撃をしますか?」

 戦艦「ヒューベリオン」の艦橋で参謀長の白馬探少将が司令官に指示を仰いだ。

「ほっといて良いさ」

 新一はそう答えた。帝国軍を退却させ、味方を救えば、出撃の目的は達せられるのである。
戦意のない少数の敵を追い詰めて壊滅させても戦略的にも無意味であるし、用兵家としての快感がもたらされるワケではない。そもそも大兵力を整える理由の半ばは、戦わずして敵を威圧する事にあるのだから。

「では、破壊された味方を収容し、応急措置を行った後に全艦隊帰投でよろしいですか、提督?」
「参謀長の言う通りだ。それと今後の為に監視衛星と電波中継衛星を幾つか、この辺りに配置した方が良いな。毛利少佐、そのように手配してくれ」
「はい、閣下」

 きびきびと司令官の指示を実行する若き幕僚たちに、メルカッツが穏やかな賞賛の視線を向けた。これほど有能な参謀チームは、長い軍歴でも、そう記憶に多くはない。
この宇宙歴七九八年初頭のイゼルローン回廊遭遇戦は中規模な戦闘であったが、次の戦いの引き金になった事を誰も知る由もなかったのである。




 帝国歴四八九年一月のイゼルローン回廊における遭遇戦は、本来であれば単なる国境紛争で終わるはずだった。
同盟軍の責任者である工藤新一提督は、戦線を拡大しようとはせず、さっさと艦隊を要塞内に収容してしまっている。
帝国においては、この方面の警備責任者であるカール・グスタフ・ケンプ大将が、敗戦の罪を帝国軍最高司令官ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥に陳謝した。
しかしラインハルトは、百戦して百勝というワケにもいくまい。いちいち陳謝は無用である、と、一言で片付けてしまった。
帝国宰相であるラインハルトは、内政の整備と自己の権力基盤の充実とに、かなりの精力と時間を割かねばならず、国運を賭けての大会戦ならともかく、戦略的にも外交的にも意味の小さい局地的な一戦闘などに拘(こだわ)ってはいられなかったのである。
 二二歳を迎えたラインハルトは、生来の華麗な美貌と支配者としての威厳に加えて、半神のような趣(おもむき)すらある昨今だった。兵士たちにとって、信仰と同質の畏敬を捧げたる存在ではあったが、その理由の一つは彼の生活態度にあった。
ラインハルトは姉アンネローゼと共にシュワルツェンの館に住んでいたが、二五〇億の人民と数千の恒星世界を支配する権力者の住居としては質素なものだった。
帝国宰相とあろうお方なので豪奢とは言わぬが、今少し威厳を示されるべきではないか、と、いう声は当然ながらラインハルトの周辺にはあったが、彼はそれに対して、冷淡に微笑しただけである。
 物質的な欲望に乏しい点で、ラインハルトと工藤新一は軌を一にしている。彼が求めて止まないものは地上の権力と栄光であったが、それは形として表れないものであった
権力は物質的な充足を約束するものである。その意志さえあれば、ラインハルトは絢爛豪華極まりない生活を送る事が出来るが、それではルドルフ大帝の醜悪な戯画(カリカチュア)を演じるだけの事だ。ルドルフは手に入れた強大無比な権力を、目に見える形にせねば気が済まない男だった。
壮麗極まる宮殿と別荘、広大な荘園と猟園、無数の侍従と女官、絵画、彫刻、貴金属、宝石、専属の楽団、近衛兵、巡幸用の豪奢な客船、肖像画家、ワイン醸造所等々・・・最高の物を彼は独占した。
貴族たちはルドルフの周囲に群がって、彼が大きな手から投げ与えられる物を押し頂いた。彼らは嬉々としてそれを受け、皇帝陛下の恩寵を賜った事を他の貴族に自慢するのだった。
 このような精神構造の腐食は、現在のところ、ラインハルトとは無縁だった。彼が創造性と進取性に富んだ為政者ではない、と、いう事を論証出来る者は存在しなかった。例え、どれほど彼を嫌っていた、と、しても。

「体制に対する民衆の信頼を得るには、二つのものがあれば良い。公平な裁判と、同じく公平な税制度。ただそれだけだ」

 この発言は、ラインハルトが戦争の天才であると同時に統治の天才である所以(ゆえん)を示すものである。例えそれが個人的な野望から出発したものであったとしても、民衆が望んでいたものは、まさにそれだったのだ。
彼は公平な刑法及び民法の制定と税制度の改革を推し進めると共に、旧大貴族の所有していた広大な荘園を農民に無償で与え、ブラウンシュヴァイク公の陣営に属して滅亡した多くの貴族の邸宅が、病院や福祉施設として、平民に開放され、彼等が所有していた絵画、彫刻、陶磁器、貴金属細工の類は、公共の美術館に移された。
更に財政や法体系だけでなく、行政組織にも容赦のない改革の手を伸ばしていた。民族支配・思想弾圧の政策実行機関として悪名高かった内務省社会秩序維持局は、五世紀近い歴史に終止符を打ち、思想犯や政治犯は急進的な共和主義者とテロの実行者を除いて全て釈放された。また発禁処分を受けていた幾つかの新聞や雑誌も再刊を許可された。
貴族を対象とした特殊な金融機関が廃止され、農業や酪農を営む者たちに営農資金を低利で貸し付ける農民金庫が新設された。民衆はW解放者ラインハルト”“改革者ラインハルト”と賞賛した。

「ローエングラム公は戦争だけでなく、人気取りも天才的だな」

 開明派の要人として、ラインハルトの改革を手助けするカール・ブラッケが同僚で友人のオイゲン・リヒターに囁いた。

「確かに人気取りかも知れない。だが旧体制の貴族共は民衆から一方的に搾取するだけで人気取りすらしなかった。それに比べれば、これは前進であり向上である事は間違いない」
「だが、民衆の自主性によらない前進が、前進の名に値するのだろうか?」
「前進は前進だ。例え上からの強権によって促されたものであっても、ひとたび民衆の権利が拡張された以上、引き返す事は出来ん。現在のところ、我々にとって最善の道はローエングラム公を擁して改革を推進する事だ。そうではないか?」

確かにそうだな、と、言ってブラッケは頷いたが、その表情には満足と納得の色があった。


 帝国軍科学技術総監の地位にあるアントン・ヒルマー・フォン・シャフト技術大将は、工学博士と哲学博士の学位を持つ五六歳の男である。
頭部は禿げ上がっているが、暗赤色の眉と髭はふさふさとしており、鼻は赤みを帯び、全身は栄養の良い乳児のように艶々として肉付きが良く、一見するとビアホールの亭主か、ホテルの厨房にいるコックを思わせる。
だが、眼光はビアホールの亭主やコックのものではない。この技術大将は、軍事科学者としての研究開発能力のさる事ながら、上司を追い落とし、同僚を抜き去り、部下を抑えつける才能と闘争心によって、今日(こんにち)の地位を築き上げたのだ、と、噂されていた。
彼の野望は、艦隊指揮官でも作戦参謀でもなく、軍事科学者として歴史上初めて“帝国元帥”の称号を得る事にあるとも言われている。そのシャフトが元帥府のビルを訪問した時、ラインハルトは午前の執務を終えて昼食をとっていたが、客の名前を告げられて不機嫌な表情を作った。
六年来、科学技術総監部のトップとして君臨していながら、指向性ゼッフル粒子を除いてはさしたる業績も上げず、悪い意味での政治力を駆使して地位と特権を維持しているシャフトをラインハルトは好いていなかった。
一度ならず、ラインハルトはこの科学屋を更迭して科学技術総監部の陣容刷新を考えたものの、この六年間でシャフトの競争者と目(もく)される人物は悉く中央から追われており、総監部の主要ポストはシャフト閥によって独占されていた。
シャフトを更迭し、その派閥を整理する事は出来るが、当面の間、組織運営に少なからぬ障害が出る事は確実である。シャフトは以前から大貴族一辺倒ではなく、ラインハルトに対して協力をいとわぬ姿勢を示していた。
ラインハルトとしてはシャフトを切り捨てたいが、そうすべき理由が見出せないでいたワケである。シャフトに代わる人材を密かに探させる一方、シャフトが大きな失敗をするか、公私混同のスキャンダルが明らかになるか、暫くはそれを待つつもりだった。
また、シャフト一人の事に専念していられる状態でもなかったのである。ラインハルトの才能の建設的な面を必要とする事、切実なものがあった。
 その日も、午後から内政関係の高官数名と会い、旧貴族領の地権、徴税と司法警察に関する惑星レヴェルの権限規定、中央官庁の組織再編など、繁雑な幾つかの問題について説明を受ける事になっていた。それ等は帝国宰相としての職務なので、昼食後、元帥府を出て、宰相府へ赴かねばならない。
ラインハルトが一言言えば高官たちは元帥府へやって来るのだが、この若者は潔癖なのか頑固なのか、そのような点で楽をする事を拒否するのである。

「会おう。ただし一五分だけだ」

 だが、ラインハルトの予定は狂い、高官たちは宰相府で若い権力者に待たされる事になった。ラインハルトの心を捉えるべく、シャフトは熱弁をふるったのだ。

「・・・つまり、イゼルローン要塞の前面に、それに対抗するための拠点をなる我が軍の要塞を構築すると言うのか?」
「さようです、閣下」

 重々しく科学技術総監は頷いた。明らかに賞賛を期待していたが、彼が若い宰相の秀麗な顔に見出したものは、苦々しい失望の色であった。僅か一五分でも時間を浪費した、と、言いたげなラインハルトである。

「構想としては悪くない。だが成功するには一つ条件がある」
「それは?」
「我が軍がそれを構築している間、同盟軍が黙ってそれを見物し、決して妨害しない、と、いう条件だ」

 シャフトは沈黙でラインハルトに報いた。返答に窮しているように見える。

「総監のアイディアは魅力的なものだが、実際的とは言いがたいな。改良すべきを改良した上で、改めて提案してもらう事にしよう」

 ラインハルトはしなやかな動作で立ち上がりかけた。これ以上、この尊大で不快な男に対面していると、神経が昂(たか)ぶって、罵声の一つも浴びせてやりそうだった。

「お待ち下さい、閣下。その条件は不要です。何故なら私の思案は・・・」

科学技術総監は演技力たっぷりに声を高くした―――既に構築された要塞をイゼルローン回廊まで移動させるものである、と。
ラインハルトの視線は、自信に塗り固められたようなシャフトの顔を正面から射抜いた。蒼氷色(アイスブルー)の瞳に興味の影がゆらめいた。彼は浮かしていた腰を再びソファーに落ち着けた。

「詳しく聞こうか」

 シャフトの血色の良過ぎる顔に勝利の色が一段と艶をつけた。ラインハルトにはそれが気に入らなくはあったが、興味が上回ったのである。


 カール・グスタフ・ケンプ大将を“嫉妬深い性格の持ち主”と、評する者は、これまでにいなかったし、今後も現れないであろう。彼は豪放で公明正大な人物であり、統率力も勇気も非凡である、と、されていた。
しかし、ケンプにも自尊心と競争意識はある。昨年のリップシュタット戦役において、ミッターマイヤーとロイエンタールの武勲が著しく、彼等は上級大将に昇進しながら、ケンプ自身は大将にに留まったことが、不満とは言わぬまでも残念であった。まして彼は今年三六歳で彼等より年長であるのだ。
そして新たな年を迎えた早々、イゼルローン回廊の国境紛争で、彼の麾下の艦隊が敗れたのだ。ラインハルトから咎められる事はなかったものの、ケンプの自尊心は傷つかざるを得ず、名誉回復の機会―――即(すなわ)ち、新たなる戦いを望むようになった。
だからと言って彼一人の自尊心を救うために戦いを起こせようはずもない。部下の訓練と国境哨戒の任にあたりながら、心満たされぬ日々を送っていた。そこへラインハルトから、帝都オーディンに帰還し、元帥府へ出頭せよ、との命令が届いたのである。
副官ルビッチ大尉を伴って元帥府へ出頭したケンプは、元帥府直属士官のテオドール・リュッケ中尉に迎えられた。まだ二二歳の若者である。彼の案内でラインハルトの執務室に入ったケンプは、黄金色の髪と蒼氷色の瞳を持つ美貌の帝国宰相兼最高司令官の他に、もう一人の人物を見出した。シャフト技術大将である。

「早かったな、ケンプ。すぐにオーベルシュタインとミュラーも来る。そこのソファーに座って少し待て」

 ラインハルトの言葉に従いながら、ケンプは驚きを禁じ得ないでいた。自分の主君が俗物の技術大将を嫌っている事を彼は知っていたのである。やがてパウル・フォン・オーベルシュタイン上級大将と、ナイトハルト・ミュラー大将が相次いで姿を見せた。
オーベルシュタインは帝国統帥本部総長代理と宇宙艦隊総参謀長を兼任する男だから、重要な会議に出席するのは不思議ではない。いわば後方作戦集団の代表である。それに対して実戦指揮官の代表であるミッターマイヤーとロイエンタールの姿はない。
ミュラーは大将の階級を持つ提督たちの中でも、ケンプやビッテンフェルトより席次は下であり、年齢も若い。ただし非凡な作戦実行能力を有し、武勲も立てているからこそ若くして提督の称号を帯びているのだが、僚友たちほど揺るぎ無い名声はまだ得ていなかった。

「揃ったようだな。では、シャフト技術大将、卿の提案を話して貰おうか」

 ラインハルトに促されてシャフトは立ち上がった。その姿は鶏冠(とさか)を逆立てて勝ち誇る鶏を連想させた。精神の昂揚が、自信ではなく過信に直結するタイプなのであろう。
彼が合図すると、オペレーション室からの操作で、執務室の空間に銀色に輝く球体の立体映像が浮かび上がった。それは一見、無個性なものに見えたが、帝国と同盟を通じて、軍人である以上、知らぬはずはない存在だった。

「ケンプ提督。これが何か、ご存じかな?」

軍人ではなく教師の口調であった。両者の年齢差が二〇年に及ぶという事も、その口調をシャフトに使わせた一因であろう。

「イゼルローン要塞ですな」

 ケンプは礼儀正しく言った。口調を抑制したのはラインハルトの手前である。ミュラーが必要以上に畏(かしこ)まって見える理由も同様であろう。シャフトは頷き、厚い胸をそらした。

「我が銀河帝国は、人類社会における唯一の政体であるのに、それを認めようとせず一世紀半の長きに渡って宇宙に流血と破壊をもたらし続ける悪逆な叛徒共がおる!ヤツ等は自由惑星同盟などと烏滸(おこ)がましくも僭称しておるが、その実態は遠い昔に帝国臣民としての道を踏み外した過激な暴徒共が、夜郎自大の喜劇を演じておるに過ぎんのだ」

 この学問に対する敬虔さというものを一片も感じさせない俗物は何を言いたいのだ?さっさと要点だけを言えば良いものを―――そう心の中でケンプは毒づいた。表情や態度はそれぞれ異なっても、この非独創的な演説で感銘を受けた者は四人の中にはいなかった。四人の思惑を無視してシャフトは演説を続ける。
シャフトが提案したのは、イゼルローン回廊に、昨年の内戦で貴族連合軍の本拠地であった“禿鷹の城(ガイエスブルグ)”要塞を修復して、跳躍(ワープ)と通常航行用エンジンを取り付け、一万光年を航行してイゼルローン回廊で要塞同士の決戦を強いる事であった。
現在のワープ・エンジンの出力では巨大な要塞を航行させる事は出来ないので、一ダースのエンジンを輪状に取り付け、それを同時作動させる事になる。技術上の問題はなく、後は指揮官の統率力と作戦実施能力の如何による・・・説明を終えて、肥大しきった自尊心を内側から膨れ上がらせたシャフトが着席すると、代わってラインハルトが立ち上がった。

「卿等を呼んだのは此(こ)のためだ」

 蒼氷色の瞳が鋭気を込めて提督たちを見据え、ケンプとミュラーは背筋を伸ばした。

「ケンプを司令官、ミュラーを副司令官に任命する。科学技術総監の計画に基づいて、イゼルローンを攻略せよ」


 新たな作戦行動の司令官にカール・グスタフ・ケンプ大将、副司令官にナイトハルト・ミュラー大将が任命された人事は、軍部内に多少の波紋を投げた。
これ程の大規模かつ独立した作戦計画の指揮を執るのはウォルフガング・ミッターマイヤー上級大将かオスカー・フォン・ロイエンタール上級大将のどちらかである、と、いうのが自然な観察だったからである。二人は公式的な発言は一切しなかったが、互いの間では失望の思いを口に出さずにはいられなかった。

「どうせオーベルシュタイン総参謀長殿のご意向で決定したのだろうさ」

 ミッターマイヤーがそう断定したのは、推理というより偏見に基づいての事だが、それほど的を外してはいなかった。
作戦指揮官の人選をラインハルトに問われた時、オーベルシュタインは即答せず、腹心のアントン・フェルナー大佐の意見を聞いた。彼の返答はこうであった。
ロイエンタール、ミッターマイヤーが武勲を立てた時、彼等に報いるのは帝国元帥の地位しかなく、彼等がそれを得れば、ローエングラム公爵と階級を同じくする事になり、人事秩序の上から、それはまずい。
寧(むし)ろ大将たちの中から人選すれば、作戦が成功した時、上級大将に昇任させる事でロイエンタール、ミッターマイヤーの地位の突出を避ける事が出来る。失敗した場合でも、切り札を使ったワケではないので、傷は比較的少なくて済む、と。
その意見はオーベルシュタインの思案と一致した。人事秩序を維持し、第一人者の権威を高めるにはナンバー2を作らぬ事である。ナンバー2を作らず、ナンバー3を数多くして権威と機能を分散し、ラインハルトの独裁体制を強固にせねばならなかった。
この際、オーベルシュタインがナンバー2の座を自らの手に握ろうとすれば、エゴイズム、との謗(そし)りを免れないであろうが、彼を嫌っているミッターマイヤーもオーベルシュタインに地位への野心が無い事は認めている。

「ケンプにしよう。先だっての敗戦の辱(はじ)を、彼は雪ぎたがっているからな。機会を与えてやろう」

 オーベルシュタインが、大将級の提督たちの中から人選を、と、意見を具申したのを受けて、ラインハルトはそう断を下したのである。当然、副司令官はケンプより格下でなければならず、年齢も経歴も下回るミュラーが選ばれたのだった。


 昨年、忠誠心と識見と能力において比類ない存在であったジークフリード・キルヒアイスが瀕死の重傷を負って療養生活に入った後、ラインハルト麾下の提督たちの中で双璧とされるようになったのはウォルフガング・ミッターマイヤーとオスカー・フォン・ロイエンタールの二人であった。
共に用兵の名手であり、知謀にも勇気にも欠けるところはないとされている。彼等は必要とあれば、中央突破背面展開でも、全面直進攻勢でも、拠点専守防御でも、状況に応じて最高水準の用兵技術を駆使してのけた。
ミッターマイヤーの作戦行動の迅速さ、ロイエンタールの攻守両面における冷静さと粘り、共に得難いものであり、状況判断の正確さ、危機に立っての剛毅さ、柔軟な対処能力、準備の周到さなどは優劣が付け難かった。
ミッターマイヤーはちょうど三〇歳。おさまりの悪い蜂蜜色の髪と活力に富んだグレーの瞳の所有者である。どちらかといえば小柄な身体は、体操選手のように引き締まって均整がとれており、俊敏そのもの、と、いった印象を他人に与える。
ロイエンタールは三一歳、髪は黒に近いダークブラウンで、貴公子的な美貌と長身を有しているが。だが何よりも強烈な印象を与えるのは、黒い右目と青い左目の組み合わせ―――金銀妖瞳(ヘテロクロミア)であろう。
 彼等は名声と実績において拮抗していたが、互いに閥を作って対抗するという事がなかった。それどころか、戦場では多くの共同作戦をとって巨大な武勲を分かち合い、戦場を離れれば彼等は友人としての深い交際があった。
私人としてはミッターマイヤーは結婚しているが、ロイエンタールは独身である。ミッターマイヤーの愛妻家ぶりはラインハルト麾下の独身の提督たちを羨ましがらせたが、ロイエンタールの場合は漁色としか見えない女性関係で提督たちの妬みを買っていた。

「あまり罪作りな事をするなよ」

 ロイエンタールの女性関係を見かねてミッターマイヤーが忠告したのは一度や二度ではない。ロイエンタールも頷きはするが忠告を受け容れようとしなかった。
二人で飲んでいた時にロイエンタールが吐き出した女性に対するトラウマを知って以降、ミッターマイヤーは何も言わなくなった―――と、いうより、言うのが憚られたからである。


 長きに渡ってラインハルトの副官を務めたジークフリード・キルヒアイスが独立した部隊の長となって以降、幾人かの士官がその座に就いたが誰もが長続きしなかった。
これはラインハルトと心を共有する者はキルヒアイス以外には存在しなかったし、彼等の方にも遠慮があって、ラインハルトとの精神的な同調性に欠け、とかく一方的な命令の受領と伝達に終始しがちだったのである。
参謀としてオーベルシュタインを得たものの、ラインハルトが欲している者は有能で忠実な副官だった。そんな彼のもとへアルツール・フォン・シュトライトが訪れた。
シュトライトは大貴族連合の盟主ブラウンシュヴァイク公の部下であったが、大規模な内戦を起こして帝国全土を戦闘に巻き込むより、ラインハルトを暗殺する事で局面を打開すべきである、と、大胆な提案を行い、逆に主君の不興を被り、見捨てられた。ラインハルトの手に捕らわれた時、堂々とした態度であったので、ラインハルトは好感を抱き、自由の身にしてやったのである。
ラインハルトは人々の行動の美醜に対して極めて敏感で、敵であっても称賛を惜しまなかった。昨年九月に彼を暗殺しようとして、それを阻止したキルヒアイスに瀕死の重傷を負わせたアンスバッハに対して、ラインハルトは奇妙に憎悪を感じなかった。これは自分の生命を捨ててまでも主君の仇を討とうとした行為に美を感じたからである。
その一方で、ブラウンシュヴァイク公に対しては軽蔑を込めた怒りがある。アンスバッハにせよ、シュトライトにせよ、有能な人材を生かす事が出来ず、虚栄と倨傲(きょごう)の果てに無残な死を遂げた唾棄すべき男。

『滅びるべき男だったのだ。殊更、オレが滅ぼしたのではない』

 ラインハルトはそう思っている。この件に関して、良心の痛みなど感じた事はない。
シュトライトが若き帝国宰相を訪ねたのは、親族に泣きつかれたからである。彼にとって恩義のある人で、貴族であるが故に財産を没収されて一家が路頭に迷うとあっては看過するワケにはいかなかった。
ラインハルトに頭を下げれば、財産の全部とはいわぬまでも一部を残しておいてくれるだろう。二度と世に出ない事を自ら誓ったシュトライトであったが、恥を忍んで旧敵の前に跪(ひざまず)いたのである。話を聞いたラインハルトは微笑して頷いた。

「分かった。悪いようにはしない」
「感謝致します」

 但し条件がある、と、言ったラインハルトは微笑を消した。

「私の部下になって統帥本部の一員に名を連ねよ。卿の識見と知謀を私は高く評価しているのだ。一年近く野(や)に置いていたが、年も改(あらた)まった事で、旧主への忠誠に区切りを付けて良いのではないか?」

 頭をたれてラインハルトの声を黙って聞いていたシュトライトが顔を上げると、決意の色が眉の辺りに漂っていた。

「閣下の御寛容には申し上げる言葉もございません。不肖の身にそれほどの御厚意、酬いるに我が忠誠心の全てを上げさせていただきます」

 シュトライトは少将の位を与えられ、ラインハルトの首席副官に任命された。次席副官としてリュッケ中尉が登用され、シュトライトとコンビを組む事になった。
かつてのキルヒアイスの席が単一人によって占められないという事が、これで確定したのである。リュッケの場合、階級と年齢からして副官シュトライトの更に副官という立場であろう。
シュトライトは、ラインハルトの旧敵であった事が知られていたので、彼を副官という要職に任命したラインハルトの決断は人々を驚かせた。
オーベルシュタイン総参謀長が反対するだろう―――との見方もあったが、その予測は外れ、彼は上官の大胆な人事を受け入れた。彼はシュトライトの有能さを知っていたし、ブラウンシュヴァイク公の忠臣であったシュトライトすら、ラインハルトに膝を屈したという事実の政治的効果を考慮したからである。


 オーベルシュタインは独身である。官舎では従卒が、私邸では初老の執事夫婦が身辺の世話をするのだが、他に同居者がいる。それはダルマチアン種の犬で、一見すると、かなりの老齢である。
先年の春、まだリップシュタット戦役が本格的な戦火を交えるに至らなかった頃、一日、外で昼食を済ませてオーベルシュタインはラインハルトの元帥府のビルへ戻ろうとした。ビルの入り口に立っている警備兵が敬礼をしながら奇妙な表情をする。振り向くと、彼の足下に痩せて薄汚れた老犬がまとわりついて、愛想のつもりであろう、貧弱な尻尾をゆっくりと振っている。

「何だ、この犬は?」

 冷徹非情の名が高い総参謀長に面白くなさそうな口調で尋ねられ、警備兵は緊張と狼狽の表情を作った。

「は、あの、総参謀長閣下の愛犬ではございませんので・・・?」
「ふむ、私の犬に見えるか」
「ち、違うのでありますか?」
「そうか、私の犬に見えるのか」

 妙に感心したようにオーベルシュタインは頷いた。そして、その日から名もない老犬は銀河帝国宇宙艦隊総参謀長の扶養家族となったのである。
ところが、この老犬は流浪の身を拾われたくせに殊勝さというものが全く無く、軟らかく煮た鶏肉しか食べないので、泣く子も黙る帝国軍上級大将が精肉店へ鶏肉を買いに行くそうな―――とは、勤務の帰途にその姿を見たミュラーが提督たちのクラブで披露におよんだ話であった。
ミッターマイヤーやロイエンタールは何か言いたげであったが、結局は沈黙によって節度を守った。

「ふん、我らが総参謀長どのは人間には嫌われても、犬には好かれるワケか。犬同士で気が合うのだろう」

 毒づいたのは“黒色槍騎兵(シュワルツ・ランツェンレイター)”艦隊司令官で、猛将と言われるフリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトだった。
二時間と時間を限って戦闘を行えば、ロイエンタールやミッターマイヤーでさえ一歩を譲るかも知れない―――と、評されている。
ただし、この評価は、彼が短気な事、忍耐心に乏しい事を証明してもいるのだ。一撃強襲、全面攻撃が彼の最も得意とするところだが、最初の一撃を耐えられると、後が続かないのである。もっともビッテンフェルトの第一撃を耐え抜く敵など、滅多に存在はしなかったが・・・



 
 イゼルローン要塞の中央指令室は約八〇メートル四方の広さと一六メートルの天井高を有する巨大な部屋である。
廊下からのドアを開くと警備兵の控室になっており、更に奥のドアを開くと正面の壁一面のスクリーンが広がる。メインスクリーンは縦八.五メートル、幅一五メートル。その右側に一二面のサブスクリーン、左側に一六面の戦術情報モニターが設置されている。
メインスクリーンの手前に三列二四席のオペレーター席が並び、最上段のオペレーター席に主任オペレーター鈴木園子少佐、副(サブ)オペレーター桃井恵子少佐が席を確保している。その背後の床に三次元ディスプレイが置かれ、更にその背後に司令官席があり、新一がコーヒーを飲みながら推理小説を読んでいる事が多い。
このデスクからはホットラインを通じて、首都ハイネセンの統合作戦本部、宇宙艦隊司令部、出動中の駐留機動艦隊との直通会話が可能である。司令官席の左右と後方に合計二〇のシートがあり、要塞の首脳部が陣取るワケだ。
そして新一の左隣には蘭、右隣には探が着席し、背後には要塞防御指揮官の京極真少将が座る。客員提督のメルカッツ、要塞事務監の阿笠志保少将、艦隊副司令官の佐藤美和子少将等の席もあるが、志保は事務管理本部のオフィスに、美和子は先任分艦隊司令の高木渉少将と出入港管制室にいる事が多い。
室内の連絡、指示、命令、公的会話は全てヘッドホンを通じて行われる。壁面には二つのモニターカメラが設置され、それぞれ別のモニター管制室に映像を送り出している。万が一、中央指令室が敵に占拠された場合、このモニター管制室が戦闘継続のための新たな指令センターになるのである。
 後年、司令部の面々がイゼルローンの事を回想する時、彼等の脳裏に浮かぶのは司令部の和やかな雰囲気である。特に平次と第三分艦隊司令の黒羽快斗少将の軽妙な言葉のやり取りに新一だけでなく他の面々を苦笑させたものだ。
嗅覚の記憶と言えば、微かな電子臭と司令部の人々が持つ紙コップから立ち上る飲み物の香りである。コーヒーや緑茶、紅茶にココアと雑多な匂いが立ち込めるため、純粋に匂いを楽しむ者―――コーヒー派の新一、紅茶派の探、紅子―――を辟易させた。
この年、新一は二七歳になる。ただ年齢の話については美和子の前では禁句であった。新一たちは二七歳、真と志保は二八歳、渉は二九歳と四捨五入すれば三〇歳なのだが、美和子は三〇代を突破して三一歳なのだ。

「人間は見た目が若くても、年齢だけは誤魔化せないものだから」

そう論評したのは志保だが、彼女自身も年齢の話になると敏感になる年頃である。
彼女の任務は巨大なイゼルローン要塞をハードウェアとソフトウェアの両面から管理運用する事である。施設、装備、通信、生産、流通など、要塞が有機的に活動するために不可欠な数々の機能が、志保の手腕によって支えられているのだ。

「阿笠少将がくしゃみをすれば、イゼルローン全体が発熱する」

 将兵たちはジョークの殻に真実を包んでそう言う。
実際、志保がインフルエンザで二週間ほど休養を余儀なくされた時、イゼルローンの事務部門は単なる前例処理の場と化して、お役所仕事、非効率、無能という将兵たちの非難の合唱に囲まれたものだ。
新一は数字が苦手というワケではないが、こういう事は専門家に任せた良い、と、考えているので、志保の存在は艦隊運用の達人である美和子、艦隊防御の全権を担う渉、情報収集・解析を得意とする探と紅子と共に貴重な事この上ないものだった。
散文的な仕事は彼等に任せて、新一が生き生きとするのは、推理小説を読んでいる時か大軍を相手とする作戦案を練り、それを戦場において実行する時なのである。
 平和な時代であれば、新一は推理小説好きの青年で終わっていたかも知れないが、彼の資質は乱世向き、非常時向きに出来ているのかも知れない。
新一が巨大な恒星間国家の重要人物たりえたものは、時代がその才能を必要としたに他ならない。軍事的才能というものは、人間の能力の中でも極めて特異な部類に属する。時代や状況によっては社会にとって全く無用な存在になる。
平和な時代に、巨大な才能を発揮させる事なく、この世を去った者も歴史上においては多々いるであろう。それは学者や芸術家のように、死後になって埋もれていた作品が世に出るといった類のものではない。
可能性が評価される事もない。結果だけが全てなのである。そして、その結果を若くして新一は充分以上に築き上げていた。


 新一はその夜、毛利小五郎大佐の官舎を訪問していた。
ハイネセンにいる頃は新一の家族と蘭の家族がそれぞれの家庭に出向いて夕食を共にする事があったが、生活の場がイゼルローンに移ってからは毎週一、二回は行われる習慣になっている。
蘭の母親である英理が作った一風変わった味がするビーフシチューを無理矢理、胃袋に流し込んだ官舎の主と客人はサロンで酒を酌み交わしていたが、小五郎が真剣な表情を作って新一の顔を見た。

「最近になってから、我らが敬愛する国家元首トリューニヒト閣下の事が気になるんだがな」

 我らが敬愛する国家元首、と、いうところに嫌みというか毒が込められている事くらい新一には分かっている。

「トリューニヒト議長に何か?」
「ヤツには理想も経綸はないが、あるのは打算と陰謀だけだ。別に笑っても構わねえが、最近になってオレはヤツの事が怖い」

 無論、新一は笑わなかった。昨年の秋、群衆の歓呼の中で気の進まぬ握手をした時の異次元的な恐怖を思い出していた。

「詭弁と美辞麗句だけが売り物の二流政治屋と思ってたが、この頃は何やら妖怪じみたものを感じる。とんでもない事を平気でやらかすのじゃねえかのか、と、いう危惧が強まる一方さ。何というか・・・悪魔と契約したという印象だ」

 小五郎の不安の種は幾つもあったが、その一つに軍部に対するトリューニヒト派の影響力の増大があった。
制服組ナンバー1の統合作戦本部長クブルスリー大将は、暗殺未遂と長期入院及びクーデター派の拘禁に耐えて現職に復帰したが、本部の中枢がドーソン大将を中心とするトリューニヒト閥に占有されているのを知り、消極的不服従と摩擦の連続に嫌気がさしているという。
あの元気なビュコック爺さんも、幕僚人事や艦隊運用の事まで悉く邪魔されてウンザリしてるらしい、と、言うと小五郎はグラスに入っているウイスキーを胃の中に流し込んだ。
トリューニヒトは悪性のガン細胞である、と、評したのは新一の父親である。その事を彼が口にすると小五郎は、さすが工藤先生だ。言い得て妙な例えだな、と、言って苦笑した。

「このままだと軍上層部はトリューニヒト一門の分家って事になりますね」
「確かにな。ジャガイモみてえなヤツが要塞司令官に赴任して来たら、イゼルローン全体が神学校の寄宿舎みてえになっちまう。日を決めて、全将兵で要塞全てのダストシュートの大掃除をやる、と、言いかねねえな」

 冗談としても、マジメな推測としても、笑いかねる話だった。小五郎は空になった自分と新一のグラスにウイスキーを注いで話題を切り換えた。

「オメーは気付いてるか気付いてねえか知らねえが、今、オメーの立場は微妙な位置にある」
 
 同盟の権力者たちは新一が政界に転じて合法的に彼等の権力を奪う、または強大な武力をもって非合法的に支配権を確立するのではないか、と、いう恐怖心がある。
この両者があれば権力者としては、新一の存在を抹殺したいところであるが、彼の軍事的才能は同盟にとって必要不可欠なものである。新一がいなくなれば戦わずして同盟軍は瓦解しかねない。
皮肉な事だが、銀河帝国の独裁者ラインハルト・フォン・ローエングラムの存在こそが新一を救っているとも言えるのだ。ラインハルトがいなくなれば、権力者たちは狂喜乱舞して新一を抹殺しに掛かるだろう。
生命まで奪うとは限らないが、何らかのスキャンダルをでっち上げて名声を失墜させ、公民権を奪う程度の事は平然とやってのけるだろう。
一流の権力者の目的は、権力によって何を成すかにあるが、二流の権力者の目的は、権力を保持し続ける事自体にあるからだ。ラインハルトは一流の権力者であるが、同盟の権力者たちは明らかに二流もしくは、それ以下である。

「つまりオレは、同盟と帝国に架かっている糸の上にいる、と、いうワケですか・・・」
「そうだ。別にトリューニヒトや、その取り巻き連中に尻尾を振れ、と、言ってるんじゃねえ。保身の事については少しでも良いから気に留めておけ、と、いう事だ」

 分かりました、と、答えて新一は琥珀色の液体を飲み干したが、その味はかなり苦いものに思えた。




続く





注:「銀河英雄伝説」は田中芳樹先生、「名探偵コナン」「まじっく快斗」は青山剛昌先生の著作物です。


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