銀河探偵伝説



By 槇野知宏様



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 ヒルダことヒルデガルド・フォン・マリーンドルフは、帝国宰相首席秘書官として、ラインハルトを補佐する身となっている。
彼女の政治、外交、戦略に関するセンスの豊かさは、ラインハルトにとっても貴重なものであった。単に才能だけの問題ではあるまい―――これは文官、武官を問わず、ラインハルトの部下たちの最大公約数的な観察である。
二二歳のラインハルト、二一歳のヒルダともに稀有の美貌で、二人が並んだところを古代ローマ神話のアポロとミネルヴァに例える者もいるが公然とではない。帝国で神話とは古代ゲルマン神話を指していうからだ。
 ヒルダは伯爵令嬢という呼称から想像される、深窓の姫君、と、いうイメージには欠ける。くすんだ金髪をショートカットにして、颯爽と歩く姿は活力と躍動性に富み、むしろ少年的な印象ですらある。
父親のマリーンドルフ伯フランツは、貴族的な因習に囚われる事無く成長し、年齢や身分の粋を遙かに超える思考力を備えるに至った娘の存在を奇跡のように思い、息子が誕生しなかった事を残念とは考えなかった。ヒルダであればこそ、リップシュタット戦役の渦中にあって正確に将来を予見し、伯爵家を安泰に導く事が出来たのである。


 シャフト技術大将が立案し、ケンプとミュラーが実行責任者となった“禿鷹の城(ガイエスブルグ)”要塞移動計画に対して、ヒルダは批判的であった。
現在、宇宙が必要としているのは、ラインハルトの建設者としての能力であって、征服者としての能力ではない、と、思う彼女である。ヒルダは絶対的平和論者ではない。故ブラウンシュヴァイク公に代表される旧貴族連合のように、武力をもって打倒すべき、改革と統一の敵もいる。
だが武力は万能ではない。政治と経済の充実があってこその武力であり、これ等を衰弱させておいて武力のみを突出させたところで、永続的な勝利は望むべくもないのだ。極端に言えば、武力とは政治的・外交的敗北を償う最後の手段であり、発動しないところにこそ価値があるのだ。
 ヒルダが理解出来ないのは、何故この時期に、同盟領への侵攻を行わなければならないのか、と、いう点であった。今回の出兵は明らかに必然性を欠いているとしか思えない。
“禿鷹の城”要塞の移動計画は、ケンプの精力的な指揮の下で急速に進行しつつあった。要塞自体の修復、周囲に一二個のワープ・エンジンと同じく一二個の通常航行用エンジンを輪状に取り付ける作業が同時に行われ、三月半ばには第一回のワープ・テストが実施される予定となっている。
現在、六万五〇〇〇名の工兵が動員されて作業に従事しているが、ケンプは更に二万五〇〇〇名の増員を要請し、ラインハルトはそれに応じて増員の派遣を決めた。

「ワープというのも、存外、面倒なものだ」

 ある日、昼食の席で、ラインハルトはヒルダにそう語った。質量が小さいと、ワープに必要な出力は得られないし、逆に大きいとエンジンの出力限界を超える。
複数のエンジンを使うにしても完全に連動させなければ、無論、失敗して“禿鷹の城”要塞は亜空間の中で永遠に行方を絶つか、原子に還元してしまう。

「シャフトは自信満々だが、この計画の困難は発案より実行にあるのだ。ヤツが現段階で威張りかえる必要は無い」
「ケンプ提督は良くやっておいでですわ」
「確かにそうだが、まだ完全に成功したワケでは・・・」
「成功して欲しいものですわね。失敗すれば、あたら有能な提督を失う事になります」
「あなたの言うとおりだ、伯爵令嬢(フロイライン)マリーンドルフ。是非、成功して欲しいものだ」

そう言うと、ラインハルトはワインを口に運んだ。


「要塞を移動させる事に関しては技術上の問題はない。解決すべき点は、質量とエンジン出力の関係、ただそれだけである」

 シャフト技術大将は自信に満ちて断言したが、ケンプとミュラーの不安材料は少ないものではなかった。
“禿鷹の城”要塞の質量は約四〇兆トンに達する。これだけの巨大な質量がワープ・インし、ワープ・アウトする時、通常空間にどれほどの影響を与えるのか。時空震の発生が致命的なものにならないか。
一二個のワープ・エンジンを、完全に動じ作動させる事が、事実として可能なのか。もし一〇分の一秒でも作動に誤差が生じれば、要塞内にいる一〇〇万人以上の将兵は、四散して原子に還元するか、亜空間の永遠の放浪者となるのではないか。
小規模の実験が重ねられ、要塞のワープ・イン及びワープ・アウトの予定宙域付近には調査船が配置された。もっとも周到な準備をしても、それが完璧な結果をもたらすという保証にはならないが。
 一方、ラインハルトは帝国宰相としての職務に精励した。日曜日を除く彼の日課は一日の半分を元帥府、後半を宰相府で仕事をして過ごす、と、いうもので、午後一時からの遅めの昼食が、その境界線になっていた。
昼食の相手はヒルダがつとめる事が多く、ラインハルトも彼女との会話を楽しんでいた。彼はヒルダの美しさより知性に関心を持っているようだった。ある日、話題がリップシュタット戦役の事に及ぶと、ヒルダは言った。

「ブラウンシュヴァイク公が、宰相閣下より強大な兵力を有していながら敗滅したのは、三つのものを欠いていたからです」
「その三つを聞いてみたいものだ」
「では申し上げます。心は平衡を欠き、目は洞察力を欠き、耳は部下の意見を聞く事を欠いたのです」
「なるほど」
「逆に言えば、宰相閣下は三つのものを全て備えておいででした。ですから、大敵に対して勝利を収める事がお出来だったのですわ」

 ヒルダが過去形を使った事に気付いて、ラインハルトは蒼氷色(アイスブルー)の瞳の光を僅かに強めた。彼は紙のように薄い白磁のコーヒーカップをテーブルに置くと、正面から美貌の秘書官を見据えた。

「伯爵令嬢は、私に何か言いたい事があるようだな」
「あくまで茶飲み話です。そんな目をされると怖いですわ」
「あなたが私を怖がるはずはないが」

 ラインハルトは苦笑し、一瞬、少年の表情をした。

「国家、組織、団体―――どう言っても良いのですけど、人間の集団が結束するには、どうしても必要なものがあります」
「ほう、それは?」
「敵ですわ」

 ラインハルトは短く笑った。

「それは真理だ。伯爵令嬢は相変わらず鋭い・・・で、私と部下たちにとって必要な敵とは何者かな?」

 ラインハルトが予期しているであろう回答をヒルダは述べた。

「無論、ゴールデンバウム王朝です」

 若い帝国宰相の顔から目を離さずに彼女は続ける。
皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世はまだ七歳であるが、当人の年齢、才能、器量などは問題ではない。だが、彼はゴールデンバウム王朝の当主であり、ルドルフ大帝の血を受け継ぐ者として、旧勢力の団結と糾合の象徴たりうる事が問題なのである。
その通りだ、と、言ってラインハルトは頷いた。七歳の皇帝の資質は未知の領域に含まれている。現在のところ、癇(かん)の強さが見られる以外は、ごく平凡な子供で、それほど英明の質とも見えない。
ラインハルトの七歳当時と比較すれば、容姿の点でも、内面の輝くものにおいても見劣りがする。だが、大器晩成、と、いう言葉があるので、これ以後どのように成長するか予測し難い。
彼は皇帝に物質的な面で不自由はさせていなかった。先帝フリードリヒ四世に比べれば宮廷費も侍従も大幅に削減された事実だが、それでもなお数十人の大人にかしずかれている。専門の教師、専門のコック、専門の世話係、専門の看護婦等々・・・食事も衣服も玩具類も、平民の子供たちが想像出来ないほど贅沢なものであった。
要求する物は全て与えられ、どんな事をしても叱る者はいない。あるいは、これこそ将来の大器の芽を摘み取る最善の方法であるのかも知れなかった。例え英明の素質を持つ者でも、このような環境ではスポイルされてしまうであろう。
 心配ない、と、穏やかな声でラインハルトは言った。

「私も幼児殺害者になるのは嫌だ。皇帝は殺さぬ。あなたが言ったように私には敵が必要だ。そして私としては敵より寛大で、なるべく正しくありたいと思っているのだから・・・」
「ご立派でいらっしゃいます」

 ヒルダはゴールデンバウム王朝に対して全く同情を持たない。
貴族の家に生まれた自分が、何故、共和主義者のような思想を抱くように至ったか、彼女自身いささか不思議である。
だが、ラインハルトを幼児殺しにはしたくなかった。簒奪は恥ではない。むしろ、権威をしのぐ実力を持った証として誇るべきである。
しかし、幼児殺し―――どのような事情があろうとも、これは後世の非難の的たるを免れないであろうから。


 今回の出兵に対して批判的な人物はヒルダの他にいる。
帝国の双璧、と、謳われるウォルフガング・ミッターマイヤーとオスカー・フォン・ロイエンタールもそうだった。
彼等は最初、指揮権が自分たちに与えられなかった事を残念に思う色があったのだが、これが科学技術総監シャフト技術大将から出た事情を知ると、むしろ呆れたのである。極めて個人的な動機である事が明白なのであった。
 ある日、二人は高級士官クラブの一室にコーヒーポットを持ち込み、ポーカーをしながらシャフトを散々にこき下ろした。

「例え戦術上の新理論を発見したからといって、出兵を主張するなど本末転倒も甚だしい。主君に無名の師を勧めるなど、臣下として恥ずべき事ではないか」

 剛直なミッターマイヤーは痛烈に批判した。
“無名の師”とは、大義名分のない無謀な戦争を指して言う言葉で、およそ戦争に対する批判の言葉としては、この上なく手厳しいものである。ケンプが派遣軍司令官に任命され、活動を始めると、ミッターマイヤーは非難の口を閉ざしていた。
第一に批判する段階ではなかったし、第二にケンプが武勲を立てるのを妬んでいると思われるのが嫌だったからであるが、ロイエンタールにだけはこう言った。

「いずれ自由惑星同盟は滅ぼさねばならないが、今度の出兵は無益で無用のものだ。いたずらに兵を動かして武力に驕るのは、国家として健康なありようじゃない」

 ミッターマイヤーは“疾風ウォルフ(ウォルフ・デア・シュトルム)”という異名を持つ勇将だが、それは彼が不必要に好戦的である事を意味しない。殺伐とした気性、残忍性、いたずらに武力を誇るなどの行為は、彼とは全く無縁のものだった。
そしてロイエンタールであるが、今回の出兵に対する糾弾はミッターマイヤー以上であるかも知れない。彼に言わせると、シャフトの提案は何ら新鮮さを持つものではなく、復古的な大艦巨砲主義が化粧の方法を変えて再登場したに過ぎない、と、いうのであった。

「巨大な象を一頭殺すのと、一万匹の鼠を殺し尽くすのと、どちらが困難か。集団戦の意義を知らぬ低脳に何が出来る」

金銀妖瞳(ヘテロクロミア)の青年提督は侮蔑を込めて言い放ったが、作戦自体は決定済みなので、ロイエンタールも何も言えなくなったのである。
そして帝国暦四八九年三月一七日“禿鷹の城”要塞のワープ実験は成功し、ヴァルハラ星系外縁部にワープした要塞は艦艇一万六〇〇〇隻、将兵二〇〇万を収容し、同日、イゼルローン攻略の途に上る事が正式に発令された。



 イゼルローン要塞にある新一のもとへ自由惑星同盟政府からの首都ハイネセンへの召還命令が届いたのは三月九日の事である。
超光速通信のホットラインで国防委員長の命令を受け取った彼は、即時にその命令を文面化して記録したプレートを一読して、心配そうに彼を見つめる蘭の視線に気付いて口元を僅かにつり上げた。

「国防委員長からの呼び出しだ。ハイネセンへ出頭しろだと」
「何かあったの?」
「査問会に出ろ、って命令さ」

新一の言葉を聞いて蘭は形の良い眉を僅かにひそめた。

「査問会・・・聞いた事ないけど何かしら?」
「軍法会議はともかく、査問会という代物は同盟憲章にも同盟軍基本法にも規定どころか記載すらねえからな」
「つまり、超法規的存在って事・・・新一、この間、お父さんとお酒を飲みながら話していた事と関係があるんじゃないの?」

 そうだろうな、と、呟いて、新一は行儀悪く指揮卓に腰を下ろし、査問会という代物について考えてみた。
もし軍法会議であれば、開くには正式な告発が必要であり、被告にも弁護人を付け、公式記録にも会議の内容を残さなくてはならない。
仮に軍法会議とするなら、アムリッツァ星域会戦時の前線からの独断撤退もしくはクーデター時の“月女神(アルテミス)の首飾り”を全て破壊した事が告発対象になるだろう。
軍法会議は法的根拠を有するが、査問会は恣意的なもので法的根拠は無いに等しい。だが国防委員長が出頭命令を出す事自体、立派な法的根拠を持つ事になる。
だが新一は、査問会は疑惑と憶測に基づいて精神的私刑(リンチ)を自分に加えるという裏の顔を持っているのではないか、と、確信した。
これだから政治屋は度し難い、と、新一は思う。口では民主主義を高らかに唱えておきながら、法律や規則を無視して国家を空洞化させていく。姑息かつ卑怯、危険なやり方だ。

「どうも政府のお偉方・・・特にトリューニヒトと、その取り巻き連中は、オレが政治家に転身するか武力を背景に政府を乗っ取る、という妄想を持ってるらしいぜ」

 蘭に笑って見せると、新一は幕僚たちを招集した。
全員が集まったのを見計らって新一は、ハイネセンへ召還された、と、いう事実を告げた。事の次第を聞いた全員が眉をしかめたが、真っ先に口を開いたのは小五郎だった。

「オメーの事だから大丈夫と思うが、連中に口実だけは絶対に与えるな」
「それは分かってます。オレの留守中の司令官代理は阿笠少将に任せる」
「了解。それで護衛艦や警護兵はどうするの?」
「敵地に乗り込むワケじゃないし、下手に大袈裟にすると連中が何を言い出すか知れたものじゃない。最低限の人数で行く事にする・・・京極少将、警護役を誰か推薦してくれませんか?」

 新一は乗艦を旗艦「ヒューベリオン」ではなく、巡航艦「レダU」とし、駆逐艦一〇隻の護衛をイゼルローン回廊の出る宙点までに止める事にした。
強大な武力を有する軍人が政府を威圧するよう見られるのを避けての事である。何かと細かく面倒なところまで配慮しなければならない新一の立場であった。
真が推薦した警護兵は、世良真純少佐といって“薔薇の騎士(ローゼンリッター)”連隊の副隊長補佐を務める女性士官で、新一たちの士官学校時代の同期生である。
格闘戦能力は連隊長である赤井や副隊長のジョディに匹敵すると言われているが、連隊長に言わせなら、首都の柔弱(ヤワ)な連中なら一個小隊は片付けられるが、自分は一個中隊、京極少将だと一個大隊、と、言う事だそうな。
 準備を終えると、新一たちを乗せた「レダU」は直ちにイゼルローン要塞から首都星ハイネセンへ向けて出港した。
イゼルローン要塞からハイネセンまでの時間的距離は航路の状態にもよるが、三週間から四週間というところである。その間、新一は割り当てられたプライヴェート・ルームへ閉じこもって推理小説やら歴史書、戦史研究書を読み漁った。
読書をしながら、新一は敵将であるラインハルト・フォン・ローエングラムの事を考えている。自分より四歳年下の人物の才能、生き様にも抵抗し難い魅力を新一は感じる。
ラインハルトが現在、帝国内で断行しているドラスティックな改革は、個人の存在が一つの世界の中でどこまで巨大なものになりうるか、と、いう実験であるように思える。
彼は近いうちに皇帝になるだろう。血統ではなく実力によって。その時、貴族なき帝政、民衆に支持される帝政、歴史上“自由帝政”と呼ばれる特異な政治体制が宇宙規模で誕生するかも知れない。
 だとすれば、銀河帝国は新皇帝ラインハルトの下で国民国家に変貌するのだろうか?
そして皇帝の野心を自分たちの理想と錯覚した時、自由惑星同盟は熱狂的な銀河帝国国民軍の攻撃に晒されるかも知れないのだ。
新一は室内の温度が急激に低下したかのような錯覚に囚われた。彼の予感は全て敵中するワケではないが、良い予感より悪い予感が的中する確率が高いように思える。
アスターテ、アムリッツァ、そして救国軍事会議によるクーデター・・・こうならなければよい、と、思っている方向へ事態が進んで行くのを見るのは快いものではない。
 もし帝国に生まれていれば、と、新一は思う。そうであれば彼はラインハルトの麾下に馳せ参じ、貴族連合の撃破と一連の改革に熱心に協力したかも知れない―――もっとも自分の側に蘭がいる事が最低限の条件であるが。
だが、現実には彼は同盟に生まれ、これも給料のうち、と、割り切ってはいるが、ミスター・トリューニヒトのために嫌々ながら戦わなければならない。
やれやれ、と、新一は思わないでないが、まだ自分にはかけがえのない親友たち、そして幼馴染みがいる事を感謝するのだった。


 三週間後、巡航艦「レダU」は惑星ハイネセンのあるバーラト星系外縁部に達すると、乗員たちが娯楽室に集まるようになる。
数百のチャンネルを持つハイネセンの民間放送が無制限に受信出来るようになるからで、スポーツ派、音楽派、バラエティ派、ドラマ派に分かれて何かとトラブルが発生するのは軍艦でも民間船でも変わりはない。
新一のプライヴェート・ルームには専用の立体テレビ(ソリヴィジョン)があるが、これは高級士官のささやかな特権である。
最初に彼が選んだチャンネルでは、たまたまトリューニヒト派の政治家ドゥメックが、尊大な口調で視聴者に演説をしている。

「・・・故に我々が守るべきは歴史と伝統である。そのために一時の出費や個人のちっぽけな生命を惜しむべきではない。国家に対して権利のみを主張して義務を果たさない者は卑劣漢である」

 不愉快になって新一はチャンネルを切り換えた。
権力者にとって、他人の生命ほど安いものはない。“ちっぽけな生命”と放言するのは彼等の本音であり、“一時の出費”とやらは何世紀にも及んでいるが、負担するのは全て一般市民であって、昨今の同盟の権力者たちは偉そうな顔で他人の金銭を分配するだけである。
立体テレビに視線を戻すと、今度はニュース番組を放送している。その内容は、スパルタニアンの機体と搭乗員を運ぶ輸送艦で、新人の若い運用係の初歩的なミスで艦内気圧が真空状態になり、一〇名以上の搭乗員が死亡した、と、いう内容だった。
この手の事故は戦争が始まって以降、問題視されていたが、アムリッツァ星域会戦以降、急激に増加している。各分野における熟練者が激減し、その補充として速成教育を受けただけで、知識と技能が伴わない若者が社会に出て来た結果、事故が増加するという悪循環に陥っているのだ。
ニュースでは、搭乗員は資金と技術の集積体であり貴重な資源である。戦争に勝つつもりなら後方管理をしっかりしろ、と、キャスターが言っている。彼の怒りや嘆きはもっともであるが、それ以前に状況が狂っているのだ、と、新一は思う。
一人の人間に巨額の資金と技術を注ぎ込むという行為は正常なものではない―――新一は士官学校で、そう教え込まれた。帝国はラインハルトの改革で良い方向へ向かっているが、逆に同盟では悪化の一途を辿っているのではないか、と、思う新一であった。


 「レダU」はハイネセン軍用宇宙港にひっそりと着陸した。極秘に、と、いう国防委員長からの命令である。
クブルスリー統合作戦本部長かビュコック宇宙艦隊司令長官に連絡をとりたいところだが、それは命令違反になるだけでなく政府と軍部の衝突を招きかねない。しかし新一は蘭にビュコック大将へ連絡するよう耳打ちをした。
宇宙港には国防委員長から直接命令を受けた出迎え役が来ており、地上へ降り立つなり新一は彼等によって地上車(ランド・カー)に押し込まれそうになった。
蘭と真純が抗議しようとするのを、銃を持った兵士が阻止しようとしたが、新一は銃口を蘭たちに向けようとした兵士たちを眼光で威圧しつつ、そのまま車中の人となった。
 二〇分ほど走って軍施設の一つで地上車から下ろされた新一を、一人の壮年の士官が出迎えた。

「ベイ少将です。最高評議会議長トリューニヒト閣下の警護室長を務めております。今回、工藤提督の身辺警護を仰せつかりました」
「お役目、ご苦労様です。こちらこそお世話になります」

 白々しい、と、言うより、嫌みったらしく新一は応じた。ベイ少将がどう思おうが、新一の知った事ではない。
トリューニヒトの警護室長が言った身辺警護だが、名は警護でも、実体が監視である事は誰の目にも明らかである。ベイは宿舎での世話係という人物を紹介したが、ガラス玉のような空虚な水色の目をした巨漢の下士官だった。
新一は案内された宿舎の窓から外を見たが、狭い中庭の向こうに窓の少ない灰色の建物が見えるだけであった。外界との接触そのものが不可能になっている。
コンクリートで固められた中には一個分隊ほどの兵士が所在なげに佇んでいるが、彼等の肩には荷電粒子ビーム・ライフルが掛かっており、窓ガラスを叩いてみると特殊硬化ガラスである事が分かった。
室内を改めて見渡すと、その調度は高級だが無個性なもので生活感に欠けていた。小型の監視カメラや盗聴器の類が仕掛けられているな、と、思いつつ調べてみると、一〇個の盗聴器と三つの超小型監視カメラを見つけたので、床に放り投げて踏み潰す。
僅かな煙を上げる監視装置の残骸を眺めながら、壊したからといって、その代金を給料から差し引く事はないだろうな、と、新一は思ってベッドに腰を下ろした。まだ監視装置はあるのだろうが、探すのが馬鹿馬鹿しい。

「コイツは軟禁だな」

 そう呟いて、新一は考え込んだが、愉快な気分にはなれない。誰もいない床の上で、拷問と洗脳と謀殺が手を取り合って仲良く陰気なダンスを踊っているのが見える。振付師はトリューニヒトという名前であろう。
矛盾の度を過ぎる事だった。新一が同盟軍に属して戦場に立つのは、少なくとも慈悲深い皇帝の専制政治より、迂遠さと試行錯誤に満ちてはいても凡人が集まって運営する民主主義の方が優れている、と、思うからだ。
ところが民主主義の牙城であるはずの惑星ハイネセンにありながら、新一は腐臭を放つ中世的な権力者の鳥かごに閉じ込められてしまったようなのである。
焦りは禁物―――新一はそう自分に言い聞かせた。現在、最高評議会が新一にどれほどの敵意を抱いていたとしても、彼を肉体的あるいは精神的に抹殺する事は出来ないはずだ。そうなれば手を叩いて喜ぶのは、労せずして敵手を取り除く事が出来た銀河帝国である。
敵―――査問会の面々がどのような手を打ってくるか、と、新一が思考を進めようとした時、インターヴィジホンが鳴って、ベイ少将の顔が狭い画面を占領した。

「提督、一時間後に査問会が開始されるそうです。査問会場へご案内させて頂きますので、お支度をどうぞ」


 案内された部屋は不必要なほど広く、天井が高かった。照明は意図的に薄明るさを保ち、空気は冷たさと乾きの感覚を皮膚に押し付け、物理的なまでの威圧感を入室者に与えるよう全てが計算されていた。査問官の席は高く、被査問者の席を三方から包囲しつつ見下ろしている。
新一が権力と権威に高い価値を与えるタイプであれば、室内に入った途端、肉体も精神も萎縮させてしまっただろう。しかし新一が感じたのは、悪意に満ちた虚仮威しの厚化粧であった。それは新一の体内に生理的な嫌悪感を生みはしたが、恐怖や怯みには繋がらなかった。
査問官の席には既に査問官が着席していた。新一から見て、正面と左右に三名ずつ。照明に目が慣れると、正面中央の席に座っている中年の男が彼を見下す。トリューニヒト政権で国防委員長の座にあるネグロポンティである。身長は新一よりやや低めだが、肉付きは遙かに厚い。彼がこの査問会のであろう。最も彼はスピーカーに過ぎず、真の発言者は、この場にいない国家元首なのは明白であった。
それにしても、トリューニヒトの子分共を相手に、これからの幾日を過ごさなければならないのか、と、思うと新一は今更ながら気分が滅入った。これなら軍法会議の方が遙かに公正である。被告は自らの意思に基づいて弁護人を三名まで選ぶ事が出来るが、今回は自分で自分を弁護しなければならないようだ。
 ネクロポンティが名乗ると、彼の右隣に座る男が自己紹介をした。

「私は、エンリケ・マルチノ・ボルジェス・アランテス・エ・オリベイラだ。国立中央自治大学の学長を務めている」

 敬意を表して、新一は一礼した。この男が副首席であるらしいが、それだけ長ったらしい名を記憶しているだけでも、おそらく尊敬に値するだろう。他の七名の査問官も次々と名乗った。そのうち五名はトリューニヒト派の政治家、官僚で、新一としては記憶に留める労すら惜しいような輩だった。
唯一の制服軍人として後方勤務本部長のロックウェル大将の無表情な細面を見出した時は、笑って忘れる、と、いうワケにはいかなかった。軍部内におけるトリューニヒト閥の伸張を思わずにはいられない。
査問官の中で旧知のシャロン・ヴィンヤードを見た時、新一は心なしか安心した。非トリューニヒト派である彼女が査問官の一員に選ばれたのは、トリューニヒトが体裁を繕うためだろうが、毒気に満ちた仮面劇場で、換気装置の役割を果たしてくれるだろう。
 自己紹介が一巡済むと、ネグロポンティが言った。

「では工藤提督、着席して宜しい。君は査問される身なので、その立場を忘れないように」

 何もしてねえのに余計な事を言うな、と、新一は内心で吐き捨てるように言ったが、感情を表には出さず正面を見据えた。一戦交えるにしても、時期を選ぶべきであろう。

「それでは査問会を開始する」

 重々しい宣告は、新一の心に一片の感銘を与えなかった。


 査問会の最初の二時間は、新一の過去の事蹟を確認する作業に費やされた。
生年月日から始まり、両親の姓名に職業、士官学校に入学するまでの経歴などが詳細に調べ上げられ、いちいちコメントを付けて紹介された。新一については彼自身より詳しいほどである。
士官学校時代の成績表も壁面のスクリーンに投影されたが、新一からすれば、重箱の隅を針で突くような作業をやるヒマがあるなら、市民のためにマトモな政治をしろ、と、言いたいところである。

「・・・士官学校を首席で卒業して、現在、君は同盟軍史上最年少の大将であり、最前線の最高指揮官であるワケだ。人も羨む好運とはこの事だな」

 その不遜な口調、そして表現が新一の神経を刺激した。新一の境遇がそれほど羨望に値するものなら替わってやっても良いくらいである。
敵艦から放たれるエネルギー・ビームの束とミサイルの群れが視界を満たし、浮き上がっては沈下する艦内で、殺人と破壊の作業を効率良く進めるための指令を下し続ける彼。それが一段落したと思ったら、四〇〇〇光年の旅を強いられて首都の不毛極まりない査問会に引き摺り出される彼。
同情してくれ、とは言わないが、羨望されるような身分だとは、到底思えない。無名の将兵やその家族ならともかく、前線から遙か遠く離れた安全な場所で、出る杭の打ち方ばかり考えているような連中に、そんなセリフを浴びせられる筋合いはない筈だ。

「・・・だが、誰であれ、我が民主共和制国家において、規範を超えて恣意的に行動する事は許されない。その点に関する疑問を一掃するため、今回の査問会となったのだ。そこで第一の疑問だが・・・」

 そら来た、と、新一は思った。

「昨年のクーデターの際に、君は首都防衛のために巨額の国費を投じて設置された“月女神(アルテミス)の首飾り”を一二個全てを破壊したな」
「はい。その通りです」
「これは、戦術上、やむを得ない手段であった、と、君は主張するだろうが、いかにも短気で粗野な選択であったと私は思う。国家の貴重な財産を全面破壊する以外に、何か方法はなかったのかね?」
「お答えします。ない、と、思ったから、あの手段を採りました。その判断が間違っていたとお考えであれば、代案を示して頂きたいものです」
「私たちは軍事の専門家ではないが、一つ例を挙げるなら、二、三個だけ破壊して大気圏内への降下を行っても良かったのではないかな?」
「その方法を採れば、残存の衛星からの攻撃を受け、我が軍の将兵に犠牲者が出たであろう事は疑いありません。将兵の生命より無人の衛星が惜しい、と、仰有るなら、小官の判断は誤った事になりますが・・・」

 これは事実であったから、新一としては大声を出す事はなかった。せめてこのくらい言ってやらないと、相手は応えてくれないだろう。

「では、こういう戦法はどうだ?当時のクーデター派はハイネセン一星に封じ込められていた状態にあった。敢えて短兵急な方法を取らなくても、時間をかけて彼等の抗戦の意思を削ぐ、と、いう方法でも良かったのではないか?」
「その方法は考えないでもありませんでしたが、二つの点から破棄せざるをえませんでした」
「聞かせてもらいたいね」
「第一に心理的に追い詰められたクーデター派が局面を打開するために、首都の要人たち―――つまり、あなた方の頭に銃を突き付けて交渉を迫って来たら、我々としては選択の途はありません。第二は帝国軍の脅威です。当時、帝国の内乱は終熄にへ向かっていました。我々がハイネセンを包囲したまま、クーデター派の自壊を待っていたら、ラインハルト・フォン・ローエングラム―――あの戦争の天才が、勝利の余勢をかって侵攻して来たかも知れません。その時、イゼルローン要塞には民間人と僅かな軍人がいただけです」

 一息吐いた。水かコーヒーが欲しいところである。

「以上の二点から、小官は短期的にハイネセン解放を成し遂げ、しかもクーデター派に心理的敗北感を与えるための手段を取らざるを得なかったのです。それが非難に値するのであれば、甘んじてお受け致しますが、それにはより完成度の高い代案を示して頂かない事には、小官自身はともかく、生命がけで戦った部下たちが納得しないでしょう」

 この程度の脅しを含んだテクニックは、新一といえども弄するのである。それは功を奏したらしく、査問官たちは低い囁きを交わし、その合間に忌々しさを込めた視線を新一に投げつけた。再反論の余地がないようである。唯一の例外がシャロンで新一の回答に満足して笑みを浮かべている。やがてネクロポンティが大きく咳をして口を開いた。

「先の件は一応置いて、次の件に移る。ドーリア星域で第一一艦隊と戦う直前、君は全将兵に向けて、国家の興廃など、個人の自由と権利に比べれば、取るに足りぬものだ、と。それを聞いた複数の人間からの証言があるが間違いはないかね?」
「一字一句とは言えませんが、それに類する事は確かに言いました」

 新一は答えた。証人がいるなら、否定しても意味の無い事である。何よりも、自分が間違った事を言ったとは、新一は思わなかった。
彼は常に正しいワケではないが、あの時言ったのは真っ当な事だった。国家など、滅びても再建すれば良い。一度滅びて、再建された国家は幾らでもあるからだ。

「不見識な発言だったとは思わなかったのかね?」

 耳障りな声が室内に響き渡った。士官学校時代、生徒がミスをすると目を輝かせる教官がいて、これとそっくりな悦に入って舌なめずりする猫に似た声と同じだった。

「それが、何か?」

 新一が恐れ入らなかったので、国防委員長は不快感をそそられたのであろう、声に険悪な響きがこもった。

「君は国家を守るべき責務を負った軍人だ。しかも若くして提督の称号をおび、大都市の人口に匹敵する将兵を指揮する身ではないか。その君が、国家を軽んじ、ひいては自らの責務を蔑むがごとき発言をし、更には将兵の士気を低下させる結果を招来するのは、君の立場としては不見識ではないか、と、言うのだ」

 聞いていて馬鹿馬鹿しい限りではあるが、この手の人間のおちょくり方―――怒らせ方―――を得意とする新一である。ここは嫌がらせを兼ねて怒らせてみよう、と、思った。

「お言葉ですが、委員長閣下。小官としては、あの発言は見識のある発言だったと思います。国家が細胞分裂して個人になるのではなく、主体的な意思を持った個人が集まって国家を構成する以上、どちらが主でどちらが従か、民主社会にとっては自明の理でしょう」
「自明の理かね・・・私の見解は些か異なるがね。人間にとって国家は不可欠の価値を持つ」
「そうでしょうか?人間は国家が無くても生きられますが、人間無くして国家は存立しえません」
「これは驚いた。君はかなり無政府主義者らしいな。違うかね?」

 顔には出さなかったが、新一は心の中で、ニヤリ、と、笑った。快斗の言葉を借りるなら“It’s a Show Time”と、いったところである。

「違います。小官は菜食主義者です。もっとも美味しそうな肉料理を見ると、すぐに戒律を破りますが」
「工藤提督!当査問会を侮辱する気かね!!」

 声に一段と危険な気配がこもったが、新一は全く気にした素振りすら見せない。

「そういう意思は毛頭ありません」

 実を言えば大ありなのだが、目の前でふんぞり返っているトリューニヒト派の政治家たちを徹底的におちょくってやろうか、と、思うと、寧(むし)ろ愉快な気分になってくる。
無論、それを表に出す事はしない。ただ抗弁も陳謝もせず、黙って椅子に座っていると、国防委員長は追及の方法を見失ったのか、新一を睨み付けたまま、分厚い唇を引き結んでいる。

「どうかしら。ここは一時的に休息しては?」

 それは自己紹介をしたきり、一度も言葉を発しなかったシャロンの声だった。

「工藤提督も疲れているでしょうし、私も退屈―――いえ、一休みさせてもらえると有り難いわ」

 その意見は、恐らく複数の人間を救ったであろう。


 一時間半の休息の後、査問は再開された。ネクロポンティは新しい攻撃を始めた。

「アムリッツァ星域会戦の際、君は遠征軍総司令部の命令を待たずに独断で艦隊を占領地より撤退させたが、これは同盟軍基本法に定められている“各部隊指揮官は上級指揮官の命に従う”に反していたのを分かってた上での行動だったのかな?」
「そうです。それが何か?」
「いやしくも艦隊司令官たる者が宇宙艦隊司令部の命令に背いて、独断で部隊を撤退させた事について何も考えなかったのかね?」
「お答えします。当時、我が軍は帝国領深くに侵攻し、民衆への物資供与と帝国軍のゲリラ攻撃に対処しておりました。もし、あのまま占領地に留まっていれば、我が軍は帝国軍と民衆の暴動の挟み撃ちに遭って、何も出来ないまま全滅していたでしょう」
「先にも言ったが、我々は軍事の専門家ではない。上級司令部の指示を待たずしての撤退・・・それも補給が原因、と、いうのも考えものだと私は思う」
「戦闘に必要不可欠なのは、補給と情報です。これを軽んじるのは指揮官として失格であり、将兵を指揮するに値しません。ましてやアムリッツァ星域会戦の時は、総司令部は敵を侮り、補給も満足に行わず、最前線へ参謀を派遣せずに状況を把握する事すら怠り、一参謀の暴走を許しました。これ等が重なった結果が、あの大惨敗です。今、小官の目の前におられる方々は、帝国領侵攻作戦に反対の立場を取られていた、と、思いますが?」

 攻撃的な新一の論法は、明らかに相手の機先を制した。ネクロポンティは二、三度口を開閉させたが、反論の術(すべ)を見出せず、救いを求めるように隣のエンリケ何たらオリベイラ学長を見やった。
この男は、学者や教育者、と、言うより官僚的な雰囲気を持つ人物である。そもそも自治大学というのが、政府の官僚を育成するための教育施設なのだ。オリベイラは人生のあらゆる段階で秀才の名を欲しいままにしてきたに違いない。
その表情からは自信と優越意識、自己顕示欲が充満している。新一も秀才なのだが、オリベイラと違う点は優越意識と自己顕示欲というのが欠落しているのだ。新一からみればオリベイラはアムリッツァ星域会戦で同盟軍を惨敗に追いやったアンドリュー・フォーク予備役准将と同類である。

「工藤提督、そういうふうに言われたのでは、我々も質問をし難(にく)くなる。我々と君とは敵同士ではない。もっと良識と理性とを持って、互いの理解を深めようではないか」

 オリベイラの潤いのない声を聞きながら、新一は彼を嫌いになる事に決めた。逆上したり、困惑したりするネクロポンティの方がまだ人間味がある、と、いうものだ。

「先程から君の言動を見ていると、この査問会に対して、ある種の先入観があるようだが、それは誤解だ。我々は君を指弾するために召還したのではない。むしろ君の立場を良くするために、この査問会を開いたと言っても良い。それには無論、君の協力が必要だし、我々の方でも君への協力を惜しまないつもりだ」
「それでは、一つ、お願いがあります」
「何だね?」
「模範解答があるなら、それを見せて頂けないでしょうか?あなた方が、どういう回答をしたら満足するのかを知っておきたいのです」

 一瞬の空白が室内を満たした後、怒気が奔騰して室内に乱気流を生み出した。

「被査問者に警告する!当査問会を侮辱し、その権威と品性を嘲弄するかの如き言動は、厳に慎まれたい!!」

 国防委員長の大声は、解読不能のわめき声と化す寸前に、かろうじて止まっていた。
この茶番劇に権威とか品格とか称しうるものがあるなら、是非見せて欲しいものだ、と、新一は思った。
それを口に出さず、沈黙を守っていたのは、反省や恐縮からではない。太い血管をこめかみに浮かび上がらせた国防委員長に、自治大学長のオリベイラがその耳元で何か囁くのを、新一は意地悪く見守ったのだった。


 漸く査問会の第一日目から解放された新一だったが、軟禁に等しい状態が改善されたワケではなかった。
査問会の会場から地上車に乗せられた新一は、そのまま宿舎へ連れ戻らせてしまった。世話係の下士官に会うか早いか、新一は食事のための外出を要求した。

「閣下、食事はこちらで用意致します。態々、外出なさるには及びません」
「こんな殺風景な場所じゃなくて、外で食事をしたいんだ」
「宿舎から外にお出になる時は、ベイ少将の許可を必要とします」
「分かった。それではベイ少将に会わせてくれないか?」
「少将は最高評議会議長オフィスに公用で出かけて・・・」

その声が止まった。いや、強制的に止められた、と、言っても良いだろう。何故なら新一が威圧するかのような鋭い眼光で下士官を下から睨み付けていたからである。

「無理を言って悪かった。食事は何時、用意出来るかな?」
「は、はい・・・直ぐに用意させて頂きます」

 睨み殺されるのではないか、と、そう下士官は思った。
罵声の一つや二つを覚悟したが、何事もなかったので安堵の溜息を吐いた。但し鳥肌や冷や汗だけはどうしようもなかったが。
下士官が辿々(たどたど)しい敬礼をして部屋から出て行くの確認した新一は、少し脅し過ぎたかな、と、思った。
彼が悪いのではなく、ベイ―――と、言うより、それを指示している人物―――が悪いのだ。ベイは所詮、キツネの威を借るネズミにしか過ぎないのだ。
食事を待つ間、新一がやった事と言えば、盗聴器等の監視装置の捜査と破壊だけであった。来た時よりも増えていた感はあったが、無視して踏みつぶす。
査問会から解放された時は、かなり愉快な気分だった。今日のところは戦術的な勝利を収めたからである。言いがかりの数々を全て粉砕し、査問官共の顔に泥を擦り付けてやっただ。
 ただし、この戦術的勝利が戦略的勝利に直結するとは限らない。高官共が査問会を断念してくれれば有り難いのだが、より偏執的に査問を進める可能性が大である。
コイツは我慢比べだな、と、新一は思って、ソファーに座って、恐らくは味も素っ気なく、独創性の欠片のないメニューであろう食事が来るのを待つのだった。
食事を待つ間、手持ち無沙汰な新一は大きく欠伸をした。艦隊識別帽(スコードロンハット)をテーブルの上に放り投げて、ソファーの上で横になる。
この時、新一は数千光年を距(へだ)てた暗黒の虚空を航行する“禿鷹の城”要塞の存在など知るはずもなかった。神であれ、悪魔であれ、新一を全知全能にはしてくれなかったのである。


 戦艦「ヒスパニオラ」を旗艦とする一六隻の哨戒グループが“それ”を発見したのは四月一〇日の事である。
「ヒスパニオラ」艦長の諸伏高明大佐を指揮官とするこのグループは、イゼルローン要塞を出て回廊内を哨戒中であった。

『敵を発見しても、戦端を開かず、後退してその旨を報告すれば良い』

 司令官代理の志保は駐留機動艦隊の全てに、そう厳命している。新一が不在の間、極力、無益な戦闘は回避すべきであった。
「ヒスパニオラ」のオペレーターが、何杯目かのコーヒーを胃に流し込みながら、計器を眺めていた。現在のところ、状況は平和で―――したがって退屈そのものだった。
コーヒーを飲む以外、それを紛らわしようもない。だが、胃はそろそろカフェインの刺激に辟易している・・・急にオペレーターは目を光らせ、コーヒーを一気に飲み干すと、乱暴に操作卓(コンソール)の隅にカップを置いた。

「前方の空間に歪(ひず)みが発生。何かがワープ・アウトして来ます。距離は三〇〇光秒、質量は・・・」

 オペレーターは質量計に投げかけた視線を凍結させ、声を飲み込んだ。声帯を再活動させるまで数秒間を必要とした。

「質量は・・・極めて大!」
「もっと詳しく報告せよ」

 落ち着いた声で高明が指示を出す。オペレーターは二、三度大きな咳をして、喉を塞いだ驚愕の塊を吐き出した。

「質量、四〇兆トン!戦艦や艦隊ではありません!!」
「何!?全艦、急速後退!時空震に巻き込まれるぞ!!」

 高明の命令と同時に一六隻はエンジンの出力が許す限りのスピードで、異変の生じつつある宙域から遠ざかった。
巨大な時空震の波動が彼等を襲い、空間自体が歪み、振動して彼等の心臓を見えざる手で締め上げた。コーヒーカップ操作卓から床に落下して砕け散った。
それでも彼等は索敵の義務を忘れず、スクリーンを睨み付けていた。やがて彼等の目に衝撃が走り、声にならない悲鳴を上げる中で、高明は声を絞り出す。

「よ、要塞・・・」


 イゼルローン要塞中央指令室に慌ただしい空気が発生していた。
オペレーターたちが両手と視線、声帯をフル稼働させている光景を志保を始めとする幹部たちが緊張した面もちで見守ってる。

「平ちゃん。哨戒部隊が敵さんと遭遇したらしいぜ」
「敵さんも随分マメやな。超過勤務手当でも稼ぐ気やろ・・・どう思う、快ちゃん?」

 緊迫した空気の中で平然と会話をする同盟軍が誇る双璧であったが、直後に主任オペレーターである園子が志保に高明からの緊急報告を伝えた。

「形状は球体、それに類するもの。材質はイゼルローンと同じ金属、質量は・・・概算四〇兆トン以上」
「兆ですって!?」

 沈着冷静な志保であるが、数値を聞いた時は平静でいられなかった。
彼女の表情を見ながら主任オペレーターは言葉を続ける―――質量と形状から判断して、直径約四〇ないし四五キロの人工天体、と。
やがて哨戒グループから送られた画像を見て、司令部の面々より驚愕の表情を浮かべたのは、メルカッツとシュナイダーであった。

「閣下。あれは・・・!?」
「間違いない。“禿鷹の城”要塞だ」
「あれが“禿鷹の城”要塞・・・」

 メルカッツの言葉に幕僚たちの耳目が集中する。話には聞いた事はあるが、現実にイゼルローン要塞に近づきつつある要塞の圧倒感はイゼルローンに匹敵する。

「つまりイゼルローンと同じ要塞というワケね」

 志保が呟くと、探が皮肉っぽく笑った。

「友好親善使節をこういう形で帝国が送り込んできたとも思えないですね」
「それでは一月の遭遇戦は、この前触れだった、と・・・」

 防御指揮官の真が口を開いた。味方がそうであるように、帝国軍も過日の遭遇戦に懲りて用心している、などと思ったのは誤りだったのかも知れない。

「つまり帝国軍は、今度は艦隊を根拠地ごと運んで来たという事ですわね」
「なるほど・・・副参謀長の仰る通りかも知れませんね。それにしても見上げた努力だ」

 紅子の言葉に深く頷くと、探は熱が籠もらない口調で賞賛した。生真面目な渉が視線で参謀長の横顔をひとなでする。

「それにしても、とんでもない事を考えたな。要塞自体をワープさせて来るなんて。帝国軍は新しい技術を開発した上で、イゼルローン攻略を図る気か?」
「高木くん、別に新しい技術云々じゃないわ。ただ単にスケールを大きくしただけの事よ。どちらかと言うと、開いた口が塞がらない、という類のね」

 言わずもがなの異論を美和子が唱える。

「でも意表を衝かれた事、敵の兵力が膨大なものである事は確かな事実ね。しかも司令官は不在で留守番の私たちだけで、少なくとも当面は敵を支えなければならないわ」

 志保が言うと、中央指令室の広大な空間全体に緊張の波がうねった。不安を禁じ得ぬ視線を人々は交わし合う。彼等はイゼルローン要塞が難攻不落である事を信じ切っていたが、今、その確信の礎石に動揺のひび割れを生じていた。イゼルローンはあらゆる砲撃に耐え抜いてきたが、それも相手が艦砲であっての事で、イゼルローンに迫る要塞主砲ともなれば出力の桁が違う。

「メルカッツ提督。お心苦しい事とは思いますが、“禿鷹の城”要塞の詳細なデータを教えて頂けないでしょうか?」

 メルカッツが頷き、傍らのシュナイダーに視線を向けると、シュナイダーは立ち上がって説明をする。

「“禿鷹の城”要塞は、四五キロメートルとイゼルローン要塞より小さいですが、装甲はイゼルローンと同じ耐ビーム用鏡面処理を施した超硬度鋼と結晶繊維とスーパーセラミックの複合装甲です。主砲は“禿鷹の鉤爪(ガイエス・ハーケン)”と呼ばれる硬X線ビーム砲で出力は七億四〇〇〇メガワット。“雷神の鉄鎚(トール・ハンマー)”の九億二四〇〇メガワットには劣りますが、強力な事には変わりありません」
「要塞主砲同士の撃ち合いね・・・」

 志保は首から背筋にかけて、見えざる手が冷たく這い回るのを感じた。
過去になかった高出力のエネルギー同士の衝突を想像すると、寒気を覚えずにはいられない。“雷神の鉄鎚”の斉射を目の当たりにした者は、その残光を永久に瞳に焼きつける、と、言われているのだ。

「盛大な花火大会だな」

 快斗は言ったが、何時もの闊達さがこの時はやや欠けており、軽口として成功したとは言えなかった。その想像は、前線の軍人にとって、軽口で処理しうる一線を超えているのであろう。

「至急、工藤提督に首都から戻って頂かないといけませんわ」

 そう言ってから、紅子が前言を悔いるような表情をしたのは、士官学校の一期先輩であり、司令官代理の志保に遠慮したからだ。
しかし志保は不快感を示さず、むしろ積極的に同意した。彼女は、自分が平時の留守司令官である事を熟知していたのである。
だが、超光速通信が首都星ハイネセンに達し、直ぐに新一が増援部隊を率いて駆けつけるとしても、イゼルローンまでの距離はあまりに遠い。

「ざっと計算して、最低でも四週間、私たちは工藤司令官が帰還するまで敵の攻撃を支えなくてはならない。しかも、この期間は長くなる事はあっても、短くなる事はないわ」
「楽しい未来図やな」

 平次が言ったが、本人が意図したほどの陽気な声にはならなかった。
司令官―――それも尋常な司令官ではなく“戦場の名探偵(ザ・ディテクティヴ・オブ・バトルフィールド)”“奇跡の名探偵(ザ・ディテクティヴ・オブ・ミラクル)”と、呼ばれる不敗の名将である。
その彼を欠いて、前例のない敵と戦わなければならないのだ。戦慄が全身の神経回路を音もなく駆け抜け、皮膚には鳥肌が生じ、冷たい汗が内側から衣服を湿らせるのも当然である。
 イゼルローン要塞及び駐留機動艦隊の将兵は、合計して二〇〇万人に達する。多くの熟練兵が去って新兵に替わった現在も、同盟軍最強の部隊であり、その強さの基は司令官の不敗性への絶対的な信頼にあった。
探が低い声を出した。何事にも動じない“絶対零度のカミソリ”の声には、僅かばかりとはいえ、不安さが付きまとっている。

「もしイゼルローン要塞が失われたら、どうなると思いますか?ローエングラム公の率いる大艦隊が回廊から一挙に同盟領へ雪崩れ込んで来て、同盟はお終いです」

 かつて同盟軍は回廊を通って侵攻して来た帝国軍と、幾度となく戦火を交えてきた。
だが、今は二年前とは条件が違うのだ。現在、回廊のこちら側にいる兵力といえば、第一艦隊の他は戦闘未経験の新兵部隊、遠距離移動能力を欠く恒星系単位の警備隊(エリア・ガード・グループ)、火力、装甲において劣る巡視隊(パトロール・グループ)、そして編成途上の部隊―――これで全て、っと、言って良い。
同盟軍の軍事上の安全は、偏(ひとえ)にイゼルローン要塞と駐留機動艦隊の存在に掛かっており、これあればこそ、後方で時間を掛けて部隊編成や新兵訓練を実施できるのだ。

「それにしても、こんな重大な時機に最前線の指揮官を態々召還して、意味のない査問会を開くなんて、政府のお偉方は何を考えているんだ!」

 渉の発言は指令室にいる全ての幕僚の思う事であった。
前線から遠く離れた首都ハイネセンで、我が身の安全を保ちながら悠々と過ごし、それに飽きたら新一を呼びつけて秘密裁判ごっこに興じているトリューニヒト派の政治屋共の顔を思い出すだけで虫酸が走る。
昨年のクーデターもそうだが、将兵は彼等の権力と特権を守るために、生命を賭けて戦わなければならないのである。養父の影響からか、志保は戦争の意味について懐疑的にならざるをを得なかった。
 唯一、救いがあるとすれば、ハイネセンにいる新一が、査問会との不毛な戦いから解放される、と、いう事だ。
どうせ戦うなら、新一も宇宙空間の戦場で敵軍と用兵の妙を競う方を選ぶだろう。そして志保たちの任務は、新一の帰還までイゼルローンを維持する事にあった。
 最悪の事態を考慮して、志保は幾つかの処置をした。
戦略戦術コンピュータの情報を何時でも消去出来るよう準備し、機密書類も焼却する態勢を整え、三〇〇万人にのぼる民間人に退避準備をさせる等々。これらの処置の機敏さは志保の得意とするところだった。
そして、イゼルローン要塞から、後方へ超光速通信が飛ぶ。

『四月一〇日、イゼルローン回廊ニ帝国軍ガ大挙侵入セリ。シカモ移動式巨大要塞ヲモッテナリ。至急、救援ヲ請ウ』




続く





注:「銀河英雄伝説」は田中芳樹先生、「名探偵コナン」「まじっく快斗」は青山剛昌先生の著作物です。


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