銀河探偵伝説



By 槇野知宏様



(22)



 この苛烈極める主砲発射の応酬が、要塞同士の戦いの第一幕だった。
双方とも、甚大な被害と、それ以上に甚大な心理的衝撃を受け、互いに主砲を使用する事に怯みを覚えてしまったのである。
撃てば撃ち返される、共倒れになる―――彼等の目的は勝つ事であって、心中する事でない以上、別の方法を見つけ出す必要があった。 

「次はどの策(て)で、来るかしら?」

 志保が疲労した顔で幕僚たちを見渡すと、探が答える。

「まず艦隊を出撃させて艦隊戦を挑むという方法もありますが、可能性は低いでしょう。下手に艦隊を動かせば、主砲の餌食になるだけです」
「すると?」
「現在、電磁波と妨害電波が要塞周辺宙域に充満しています。通信も索敵も光学的なものに頼るしかありません。この間隙をぬって、揚陸艦で歩兵部隊を送り込んで、潜入または破壊工作を行う事が考えられます」
「防御指揮官はどうかしら?」

 指名された真は、湯呑みに入っていた緑茶を飲み干した。

「参謀長のご意見はもっともですが、付け加えて言うなら、敵が出て来るのを待つ必要はありません。こちらも同じ策で仕掛けるのも良いでしょう」
「メルカッツ提督のご意見は?」

 志保の言葉に、メルカッツ自身よりもシュナイダー大尉が目を輝かせた時、緊急通信のベルが鳴った。彼女は受話器を取り上げ、二言三言の会話の後、真を見やった。

「第二四砲塔から、同砲塔付近に帝国軍の歩兵部隊が降下を開始している。砲塔の死角になっていて砲撃が出来ない、との連絡よ。京極少将、お願いするわ」
「敵も打つ策が早いですね」

 感歎を交えた声を出すと、真は赤井秀一中佐を呼んだ。彼は真が将官に昇進した後、勇名高い“薔薇の騎士(ローゼンリッター)”連隊の指揮官になった男である。

「大至急、白兵戦の準備をお願いします。私が直接指揮を執ります」

 そう命じながら、真は早足で中央指令部から出ようとしている。

「防御指揮官が自ら白兵戦に参加する必要はないでしょう。指令室にいたらどうなの?」

 志保の声に、真は肩越しの返答を投げただけである。

「少し身体を動かしてくるだけです。すぐ戻りますから安心して下さい」


 惑星などに比べればささやかなものだが、イゼルローンも重力圏を持っている。それは外壁から一〇キロほどの上空にまで及ぶ。
外壁上は、要塞の持つ重力制御技術による有重力の世界であり、絶対零度に近い真空世界でもあって、戦場としては極めて特殊な環境を有している。
そこは今、両軍歩兵部隊の激突の場となっていた。侵入したのは帝国軍第八四九工兵大隊と第九七装甲擲弾(てきだん)兵連隊で、後者は前者がイゼルローン要塞外壁に小型レーザー水爆を仕掛ける作業にあたり、それを護衛する任を帯びていた。
 イゼルローン要塞外壁の表面積は一万一三〇〇平方キロに達する。そこに多数の索敵システム、砲台、銃座、ハッチ等が設けられており、相互に監視しあっているが、死角が皆無というワケにはいかない。侵入者はそれを利用する。
帝国軍の兵士が次々と外壁上に降り立ち、その数が一〇〇〇名を超えた頃、同盟軍が迎撃を開始した。立て続けにレーザー・ライフルの閃光が走り、帝国軍兵士が身を捩(よじ)らせて倒れた。愕然とする帝国軍に向かって、真が直接指揮する同盟軍が襲い掛かった。
ハッチから飛び出し、砲台や銃座の陰から躍り出て、レーザー・ライフルを乱射する。狼狽しながらも帝国軍も応戦する。レーザーは、相対角度によっては必ずしも有効な武器ではない。装甲服に鏡面処理(ミラー・コーティング)が施されていれば、命中しても乱反射するだけである。
このため、大口径の無反動式オートライフルが意外に強力な武器となり、弾道は直線を描いて兵士たちの目を奪う。相互の距離が更に接近すれば、原始的な接近戦が展開され、ダイヤモンドに匹敵する硬度をもつ炭素クリスタル製の戦斧(トマホーク)や、スーパー・セラミック製の長大な戦闘ナイフが敵の血を吸う事になるのだ。
 戦場における殺人の技術を、洗練された芸術の一種と錯覚させる事の出来る人物は滅多にいないが、京極真はその一人なのかも知れない。彼は戦斧や戦闘ナイフを使用せず、全長六五センチの鐗(かん)という打撃武器を両手に一本ずつ持って、敵と渡り合う。
この鐗という武器は、一見すると鍔の付いた棒状のものであるが、上から見ると六角形をしており、真の戦闘能力が加われば、装甲服の上から骨を砕き、内蔵を潰し、一瞬で戦闘不能状態に追い込むのである。例え装甲服を着用していても、頸部や頭部に食らったら戦死してしまう。ある意味、戦斧やナイフより剣呑な武器である。
真は二本の鐗を縦横にふるい、周囲の帝国兵を戦闘不能状態に追い込んでいく。単にパワーやスピードだけを問題にするなら、彼を凌ぐ敵兵はいるであろうが、両者のバランス、相手を一撃で戦闘不能に追い込む攻撃の効率性において、真に比肩する者はいなかった。
彼は乱戦の中を流れるように移動し、腕力に任せて戦斧やナイフを振り回す敵の攻撃を間一髪で躱すと、がら空きになった胴体や関節部に無慈悲なまでに正確な一撃を叩き込んだ。
 帝国軍第九七装甲擲弾兵連隊にとっては、不運と災厄に満ちた戦闘であった。彼等の相手が“薔薇の騎士”連隊でなければ、反撃のしようもあったろうが、同数の兵力で“薔薇の騎士”に勝つ者無し、と、いう評判を証明する結果になってしまった。
帝国軍は多数の死傷者を出し、半包囲され、外壁の一角に追い詰められた時、彼等を送り込んで来た揚陸艦の陰から数機の単座式戦闘機ワルキューレが躍り出し、急降下して同盟軍の頭上から襲い掛かった。
ワルキューレから放たれるビームは外壁そのものには通用しなかったが、同盟軍兵士の装甲服を貫通するには充分だった。更に対人ミサイルが撃ち込まれると、引き千切られた人間の身体が宙へ舞い上がった。
一方的な殺戮を欲しいままにしてワルキューレが高速離脱をしようとすると、対空機銃が音もなく咆哮し、光子弾を撃ち込まれたワルキューレは蹌踉(よろ)めいて失速し、外壁に突入して爆発四散した。
 混乱の中で、真は部下に信号弾の発射を命じた。信号弾が緑白色の閃光を発すると“薔薇の騎士”連隊はハッチから次々と要塞内に撤退を開始した。
戦闘から既に一時間半が経過し、装甲服を着用しての戦闘は限界に近づいていたのだ。これは帝国軍も同様で、一時、工作を断念し、生存者を収容して後退したが、容赦ない対空砲火を浴びて、更に被害を出す事になった。
 要塞に戻った真は装甲服を脱いでシャワーを浴び、汗を洗い流して指令室に戻って来た。

「何とか帝国軍を追い返しました。さっきも言いましたが、今度はこちらから工兵隊を送り込みましょう。護衛は“薔薇の騎士”が引き受けます」
「それは許可出来ません」

 探が声を上げた。

「何故ですか、参謀長?」
「京極少将は敵の工兵を数名、捕虜にしましたね。それと逆の事態が生じたらどうします?敵が我が軍の捕虜に対して自白剤や拷問等で、工藤提督が不在である事を喋ってしまったら・・・」
「なるほど、その危険性はありますね」

 志保が小首を傾(かし)げた。

「こちらには捕虜になった人たちはいるの、京極少将?」
「いない事を祈るしかありません。宇宙の戦闘で戦死者と捕虜を判別するのは難しいですからね。死体が残らない事があるため、その場合は未帰還者として一括するしかありません。しかし、これから先が問題です」
「何かしら?」
「戦えば、捕虜になるのが一人二人と出るのは当然で、それを無くす事は不可能です。いくら何でも兵士たちに、捕虜になるくらいなら死んで来い、と、命令するワケにはいかないでしょう」

 真の話は続く。秘密は何れ洩れるので、それを逆用して罠を仕掛けるのが得策ではないか、と。それに対して探は、もう少し敵の出方を見る。こちらから小細工を仕掛けて、藪蛇になった時が怖い、と、説いた。
探の慎重さにも充分な理由があり、真もそれを理解した。彼は黙ったままメイン・スクリーンに映る敵の要塞を見つめた。第一撃は大技、第二撃は小技、第三撃はどのような手段で来るのだろうか?幕僚たちは沈黙したままである。その重苦しい沈黙を破ったのは志保だった。

「とにかく、敵の出方が分からない以上、今のうちに全将兵は交替で食事や睡眠を取っておく事。また戦闘が始まればそういうヒマもないでしょうしね」



 ガイエスブルグ要塞の中央指令室では六〇万キロを距てたイゼルローン要塞の姿をスクリーンで眺めながら、総司令官カール・グスタフ・ケンプが副司令官ナイトハルト・ミュラーから報告を受けていた。

「そうか、工兵隊の侵入は失敗したか。まあしかたがない。こちらの思惑通りに事態が運べば、何の苦労もないからな」
「相手は何しろ工藤新一です。ローエングラム公でさえ、一目置くほどの男ですから」
「工藤新一か。あの男が率いる艦隊と一昨年のアムリッツァ会戦に先立つ戦闘で、ヤツに翻弄されたものだ。そして我が軍を強行突破しての戦線離脱・・・まさに恐るべき男だ」
「恐るべき男ですか・・・それだけに、どんな奇策を弄してくるか、容易に判断しかねますな」
「それを待ってる事はない。先手先手を打つ事にしよう。ミュラー、例の件は準備出来ているだろうな?」
「出来ています。そろそろ始めますか?」

 ケンプは大きく頷き、覇気に富んだ視線をイゼルローン要塞に注ぎながら、自信の笑みを逞しい顎に湛えた。


 緊張と不安を人々の心に浸透させながら、時が過ぎていった。工兵隊の工作が失敗して以後、帝国軍の攻撃は八〇時間の長きに渡って中断され、敵は飽食したライオンのように動きを潜めている。

「敵は何も仕掛けて来ない。何を企んでいるのだ?」

 焦慮する声も無論あったが、イゼルローン指導部の方針が時間稼ぎにある以上、敵の攻撃に間があるのは歓迎すべき事だった。

「一秒毎に工藤提督はイゼルローンへと近付いている。その分、我々も勝利へと近付いているんだ」

 平次や快斗は将兵たちにそう言った。この発言に関して、前半は誰もが正しさを認めたが、後半については必ずしも全面的な支持が寄せられてはいなかった。
工藤提督が来援する前にイゼルローンが陥落しているという事も有り得るのではないか、と、言うのがその理由であったが、悲観よりは楽観を好むのが前線勤務の将兵の心理であり、敵に外壁に取り付かれたはしたが撃退した、と、いう事実も士気向上のプラス要因となっていた。
 それは突然やって来た。何の凶兆もなく、フィルムの駒が飛んだように、事態は静から動へと一変したのである。オペレーターたちが自己の知覚の正常を確認した時、ガイエスブルグから放たれた光の棒は既に虚空を串刺しにしていた。

「エネルギー波、急速接近!」

 その声が終わらぬうちに、外壁に硬X線ビームが炸裂した。要塞は揺動し、内部で連続して小爆発を起こした。中央指令室内の人々に、その音は遠雷のように聞こえ、彼等の心臓は強烈にステップを踏んで躍り回った。

「第七九砲塔、全壊!生存者無し!!」
「LB29ブロック破損!死傷者多数!!」

 悲鳴に近い園子と恵子の報告が連鎖した。

「第七九砲塔は放棄!LB29ブロックの負傷者を急いで救出して!!」

 一旦、言葉を切ってから志保は“雷神の鉄鎚(トール・ハンマー)”の斉射を命じつつも、実際と内心の双方で唇を噛まざるを得なかった。
帝国軍は直接の砲戦を断念したと思っていたが、その観測は甘過ぎた。受動に徹した方針がそもそも誤りだった、と、批判されれば甘受するしかない。
数秒後、イゼルローン要塞の主砲が、ガイエスブルグに向けて報復の炎を吐き付けた。白熱したエネルギーの牙が要塞外壁に噛み裂き、色の異なる炎を噴き上げさせたが、更に数秒後、再報復のビームが襲い掛かる。揺動、爆発、そして轟音

「まさか、共倒れを覚悟で・・・?」

 スクリーンとモニターを交互に見ながら紅子が喘(あえ)いだ。唇を噛み締めたまま、志保は答えない。沈着冷静な精神回路の一部に軋(きし)みが生じていた。嫌な予感が胸を過ぎる。
突然、床がうねった。全幕僚が三半規管をフル稼働させて、転倒を防いだ。乱気流の咆哮に続いて、二、三のモニターの画面が暗黒と化した。園子と恵子がヒステリックな声で叫び立てる。

「要塞壁面が爆破されたわ!ビーム攻撃ではなく、レーザー水爆による攻撃よ!!」
「要塞の後背至近距離に敵艦隊!」
「どういう事?」

 困惑した声を上げた志保だが、一瞬後には全てを理解した。
要塞主砲同士の砲戦自体が、艦隊の出動と工兵隊の活動を隠蔽するための陽動であったのだ。こんな事に何故気が付かなかったのか。彼女は自分の迂闊(うかつ)さを心から呪った。


 一方、イゼルローン要塞の後方に回り込んだミュラーは旗艦「リューベック」の艦橋で会心の笑みを浮かべていた。
レーザー水爆によって、イゼルローン要塞の外壁の一部に、直径二キロに及ぶ巨大な穴が穿(うが)たれている。リアス式の縁を持った黒い深淵で、巨大な肉食獣の血に塗(まみ)れた口腔を思わせた。
ミュラーは二〇〇〇機のワルキューレに出動を指令した。彼等がイゼルローン重力圏内の制宙権を確保した時、五万人の装甲擲弾兵を乗せた揚陸艦が進発し、穴の周囲に彼等を降下させる。
装甲擲弾兵はそこから要塞内に侵入し、外からの攻撃に呼応して内部から指令室や主砲管制室等を占拠する。そこまでいかなくとも、要塞内の通信施設や輸送システムを破壊出来るだろう。

「そうなれば、イゼルローン要塞と回廊は、我々の物になるぞ!」



 サイレンとブザーが刺激的な二重奏を演奏する中、イゼルローン空戦隊の最強トリオ―――小嶋元太中尉、円谷光彦中尉、吉田歩美中尉―――は、単座式戦闘艇スパルタニアンの専用ポートへと、走路(ベルトウェイ)の上を更に走っていた。

「君たちも今からか?」

 陽気な声が耳元でした。この状況で、危機感、と、いうものを全く感じさせず、それでいて精悍さが込められた声だった。声のする方を見ると、空戦隊長の安室透少佐の姿があった。

「少佐、ごゆっくりですね」
「これでも急いでるつもりさ」

 その発言に、何か言おうとした光彦だったが、それより早く四人はポート・エリアに到着していた。格納庫でスパルタニアンに搭乗し、エア・ロックから滑走路エリアに進入する。気密服に身を固めた整備兵たちが手を振っている。パイロットたちの生還を望む彼等なのだ。
高速航行中の艦艇から発進する時は、慣性を利用出来るが、イゼルローン要塞みたいな固定基地においては滑走を必要とする。滑走路の幅は五〇メートル、長さは二〇〇〇メートル、ゲートの高さは一八メートル。滑走路の端に出ると、遠く前方に光の点が見える。パイロットたちはそれを“死神の白目”と呼んでいる。

「コースに入れ!合図があり次第、発進しろ。外に出る時は充分注意しろよ」

 それはパイロットに対する管制官の好意であろう。合図と共にスパルタニアンは続々と“死神の白目”から虚空へと躍り出て、各中隊毎に編隊を組む。安室は操縦席から部下に呼びかけた。 

「ミストルティン、バルムンク、アロンダイト、ティルフィング、フランベルシュ、ダインスレイフ、エクスカリバー、デュランダル、レーヴァテイン各中隊揃っているな。何時も言っているが、編隊を崩すな、必ず生き残れよ」
「OK!!」

 部下の全員が唱和する。フルフェイスのヘルメットの下で、若い撃墜王(エース)は破顔した。

「ようし・・・全機、オレに続け!」


 艦隊を出撃させるべきか否か、志保には決断がつかない。美和子、渉、平次、快斗の各提督からは、出撃準備完了、との報告が届いている。要塞内に封じ込められたまま手をつかねて状況を座視するのは、艦隊勤務の者にとって耐え難い事であろう。
また、乱戦という事になれば、帝国軍も要塞主砲を撃ち込んで、自分たちの味方を巻き添えにする事は出来ず、艦隊同士の決戦が可能であろう事も、頭脳では分かっている。しかし出撃のタイミングを今一つ彼女は掴めないのだ。

「九時半の方向に敵戦艦!」
「第二九砲塔、迎撃せよ!」

 報告と命令が回路を飛び交い、将兵の聴覚は飽和状態にある。壁一枚距てた外界が音の無い世界だと信じるのは困難だ。室内が一六・五度Cの適温に保たれているのに、汗が噴き出して襟や袖を湿らせるのも不思議な事であった。
分単位どころか秒単位で新しい迎撃指令を出し続けていた真が当番兵を呼んだ。緊張しきって駆けつけた一〇代の当番兵に、要塞防御指揮官は言った。

「緑茶を一杯。味は少し濃いめに、隠し味に塩を一撮み・・・お願いします」

 思わず口を開けた当番兵は表情を改めると、中央指令室を飛び出して行った。志保の顔は疲労しきって艶を失ってはいたが、皮肉を言う元気は残っていた。

「お茶の味に注文を付ける余裕があるうちは、まだ大丈夫ね」
「戦闘もですが、お茶の味についても妥協したくありませんからね」

 その時、志保を呼ぶ声がした。その声は客員提督(ゲスト・アドミラル)メルカッツのものであった。亡命の客将は初老の顔に静かな決意の色を浮かべており、彼が何を言うか理解した真はメルカッツを眺めやる。

「私に艦隊の指揮権を一時お貸し願いたい。もう少し状況を楽に出来ると思うのですが」

 即答こそしなかったが、これが来るべき時機である事を理由もなく志保は理解していた。

「・・・メルカッツ提督、お任せします」 


 新一の旗艦「ヒューベリオン」の艦長を務める毛利小五郎大佐は、艦隊を指揮する能力は未知数の領域に属するが、諜報員及び一艦のリーダーとしては申し分のない能力を所有する人物である。
ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ提督とシュナイダー大尉を艦に迎えた時、二つの顔を持つ軍艦乗りは、両目を鋭く光らせて、非礼ではないが遠慮のない口調で言い放った。

「この艦に新一以外の人間を司令官としてお迎えしようとは思ってもみませんでした。ですが、自分の職責というものは十分に心得ております。ご命令をどうぞ」

 その率直な態度は、メルカッツにとって不快ではなかった。彼は艦隊の高級士官たちに自分の思うところを披瀝(ひれき)した。
司令官代理の阿笠少将の基本方針は、守勢によって工藤提督の来援を待つ、と、いう事だが、これは正しいと自分は考える。
したがって、その方針を戦術レヴェルにおいて有効に実施するのが自分の任務である。さしあたり、要塞への“上陸”を企図する帝国軍を排除せねばならない。協力を請う・・・
メルカッツ提督を支持する、と、平次と快斗は言った。メルカッツ提督を支持せざるを得ない、と、美和子と渉は語った。メルカッツの腰の低い態度は、彼等に好意的に迎えられたのである。


 その頃、帝国軍のワルキューレ部隊は戦況を優勢に保っていたものの、完全な制宙権を握るには程遠かった。これは同盟軍のスパルタニアン部隊が意外に頑強に抵抗したからである。
特に撃墜王・安室透少佐が指揮する九個中隊の巧妙果敢な戦法は、悪魔的とでも称したい程だった。安室は、自分が空戦の天才である、と、信じていた―――それは歴とした事実である―――一方で、誰もが自分のような天才になれるワケではない事を知っていた。
そこで安室は部下たちに、徹底して三機一体となった集団戦法を叩き込んだのである。それは、例えば一機が囮となってワルキューレを誘い、残る二機がそのワルキューレの後背から同時に襲い掛かる、または要塞の対空砲の射程内に引き摺り込む、と、いった類のものである。
職人気質を持つワルキューレのパイロットからすれば、卑怯だ、と、喚きたくなるなるようなものだった。しかし戦果は優れたものであったし、安室自身は常に一騎打ちで多くの敵機を堂々と葬り去ってきたのである。
 とはいえ、全体の戦況として、帝国軍の優位は圧倒的なものに見えたので、ミュラーがガイエスブルグの中央指令室にいるケンプに報告した時、彼は上機嫌で言った。

「この回廊はやがて名前を変えるだろう。ガイエスブルグ回廊とな。それとも、ケンプ=ミュラー回廊、と、いう事も有り得るぞ?」

 ミュラーは微妙な角度で眉を動かした。
彼の記憶にあるケンプは、冗談であるにせよ、このような大言壮語を軽々しく口にする男ではなかった。分別を弁(わきま)えた尊敬に値する武人だったはずである。だが若い副司令官の目には、この時のケンプは、精神が昂揚している、と、いうより、彼らしくもなく浮つき、自制心が乏しくなっている、と、映ったのだ。
報告を終えたミュラーは、計画に多少の変更を加える事にした。彼はワルキューレ部隊が要塞重力圏内の完全な制宙権を握るのを待っていたが、意外に手間取りそうなので、同盟軍艦隊の出撃を不可能にするため、メイン・ポートの出入口(ゲート)を封鎖しようとしたのである。
それは六隻の駆逐艦を無人コントロールで突入させる、と、いう大胆なもので、戦術的には有効な結果がもたらされるはずだった。これはその場の思いつきではなく、以前からミュラーが考案していたものだったが、イゼルローンを攻略した後、自分たちが長期に渡って港湾施設を使えなくなる、と、いう点から、なるべく使わずに済ませたい作戦だったのである。
 ところが、ミュラーが六隻の駆逐艦を並べ終えた時、イゼルローン要塞の主砲が立て続けに炎の舌を吐き出した。狙いは正確ではなく、十数隻の不運な艦艇が膨大なエネルギーの刃にかすめられて破壊されただけであった。しかしミュラーとしては、密集態形を解いて艦隊を一時、散開させねばならなかった。そして艦隊を主砲の死角となった宙域で再編成したのだが、その僅かな隙に同盟軍艦隊がメイン・ポートから躍り出して来たのである。
間一髪であった。今少し出撃が遅れていれば、ミュラーはイゼルローン要塞のメイン・ポートの封鎖に成功し、イゼルローン駐留機動艦隊は港の中に閉じ込められて無力化していたであろう。そうなればイゼルローン要塞自体が、機能の半ば以上を喪失し、単なる空中砲台と化して、著しく存在価値を低くしたはずである。
 若いミュラーは艦橋の床を蹴って悔しがったが、これは完全な勝利を後日に引き延ばす事になっただけで、自分たちの優勢が覆されたワケではない、と、気を取り直した。
彼は、出撃してきた同盟軍艦隊を余裕を持って迎撃しようとしたが、戦うために出撃して来たはずの同盟軍艦隊―――しかも名うての工藤艦隊―――は、ミュラーの鋭鋒を避けるように変針すると、要塞の球体表面に沿って高速移動を開始したのである。
その行動曲線を予測したミュラーは、敵を後方から追う愚を避け、逆方向に回り、敵の前方に出現して先頭集団から叩いてやろうとした。ところが、それは巧妙な罠だった。ミュラー艦隊は、イゼルローン要塞の無傷な対空砲台群の直前を横切る形となった。
 それをガイエスブルグ要塞の戦術モニターで見たケンプは敵の意図を悟ってミュラーに後退を指示した。一方のミュラーも同盟軍の作戦を見破って、ケンプの指示より早く麾下の艦隊に急いで後退するようを命じようとしたが、既に同盟軍艦隊は驚嘆すべきスピードと秩序で逆襲に転じ、効果的にその退路を断ちつつあった。
帝国軍は、イゼルローン要塞の対空砲火と、メルカッツの指揮する駐留機動艦隊とに挟撃される事になった。それまで戦う時と場所を得なかった駐留機動艦隊は、蓄積された戦意と復讐心をビームやミサイルに乗せて思うさま帝国軍に叩き付けた。
それは死と破壊とによって織りなされた巨大なエネルギーの網であり、反撃の手段どころか行動の自由すら奪われた帝国軍は、至る所で灼熱した網の目に掛かり、爆発して極彩色の炎を噴き上げた。引き裂かれ、撃ち砕かれた艦体は火球と化して、さながら網を飾る夜行珠のように輝いた。
 その光景はガイエスブルグからも見えた。同盟軍に向かって主砲を撃ち込めば、味方もろともに蒸発するのが明らかであったから、ガイエスブルグの砲手たちはなす術(すべ)がなかった。

「ミュラーは何をしている!敵の意図が読めないから、あのような事になるのだ!!」

 ケンプは腹を立てて怒鳴ったが、彼もある決断を迫られていたのである。ミュラーを救うため、麾下の残存兵力八〇〇〇隻を出撃させるかどうか、と、いう点についてである。

「見殺しにするワケにはいかん!アイヘンドルフ、パトリッケン、出撃してミュラーの孺子(こぞう)を救え!!」

 その粗野な言い方は、二人の提督を驚かせた。
だが、命令を即座に実行しなければ、司令官の怒気はミュラーではなく、自分たちに向けられるであろう。アイヘンドルフとパトリッケンは総司令官の前から退き、それぞれの分艦隊の指揮をすべく要塞のメイン・ポートへ向かったが、エレベーターの中で囁き交わさずにはいられなかった。
―――どうもケンプ司令官は焦っておられるようだ。作戦が成功すれば武勲の巨大さは比類ないが、失敗すれば降等か閑職に回される可能性が大きい。そうなればキルヒアイス、ミッターマイヤー、ロイエンタールの三提督との格差は絶望的なものになる・・・
イゼルローン駐留機動艦隊の集中攻撃に晒され、甚大な被害を受けた帝国軍艦隊が苦痛にのたうち回りながらも全面的な崩壊を免れた理由は、ナイトハルト・ミュラーの懸命な指揮と統率によるものだった。
彼は旗艦を駆って戦場全域を移動し、苦戦する部下を救い、崩れかける艦列を支え、防御力の弱い艦や損傷した艦を内側において周辺の防御を固め、必ず来るであろう援軍を待った。そして、アイヘンドルフとパトリッケンが救援に駆けつけたのを知ると、最後の攻撃力を一点に集中して包囲網を突破したのである。
 メルカッツも退くべきタイミングをわきまえており、新たな敵との無用な戦闘を避けて、整然と要塞に帰還した。目的は充分に達したのである。空戦隊も続々と帰還した。敵ワルキューレを三五九機、艦艇を四九隻を撃墜、撃沈または撃破した。帝国軍にとっては“薔薇の騎士”連隊と同じくイゼルローン要塞空戦隊の恐ろしさを体感する羽目になった。


 四月一四日から一五日にかけての帝国軍の攻撃は、九割方の成功を収めながら、急転して結局は失敗に終わった。
カール・グスタフ・ケンプにとっては不本意極まる事態であり、彼はその憤激を、無能な―――彼はそう信じた―――副将に向けたのだった。

「卿は善戦した。だが、単にそれだけの事であって、何の実りもなかった」

 ケンプに言われてミュラーも恥じ入ったし、反省もしたが、以後は後方に下がるように、と、言われては、さすがに面白くなかった。ラインハルトに評価されて二〇代で大将の地位を得たほどの男が、自信や自尊心と無縁であるはずもないからだ。
不満を抑えながらも、彼は麾下の艦隊を率いて後方に下がった。ミュラーは度量の狭い男ではなかったが、この時は、ケンプが戦功の独占を狙ってるのではないか、と、いう疑念が兆(きざ)すのを禁じ得なかった。そこへ軍医の一人が彼の元へ一つの報告を持って来た。

「捕虜の一人が奇妙な事を申しておりました」
「どんな事だ?」
「実は、イゼルローン要塞には工藤新一提督は不在である、と・・・」
「ほ、本当なのか?」

 軽く上体を仰(の)け反らせて、ミュラーは軍医を凝視した。主体が不明な質問をしたのは、彼の驚愕の深刻さを証明するであろう。軍医は冷静であった。

「内容の信憑性は不明ですが、瀕死の捕虜が高熱にうなされて、そのような事を口走ったのは事実です。もう死にましたので、確認する事が出来ませんが・・・」
「しかし、そんな事が有り得るのだろうか?あの恐るべき男が要塞にいないなどと・・・」

 ミュラーがそう呻くと、彼より若い副官のドレウェンツ少佐が上官に疑問を呈した。

「閣下。工藤新一とは、それほどまでに恐ろしい人物なのですか?」

 ミュラーは一瞬の沈黙の後、問い返した。

「卿はあの要塞を、味方の血を一滴も流す事なく陥落させる事が出来るか?誰一人、想像も出来なかった方法で」
「・・・いえ、不可能です」
「では、やはり工藤新一は恐るべき人物だ。優れた敵には相応の敬意を払おうじゃないか、少佐。そうする事は我々にとって決して恥にはならんだろうよ」

 少佐を諭したミュラーは改めて考え込んだ。
要衝中の要衝とも言うべきイゼルローンの司令官が、任地を離れるなどどいう事が有り得るのだろうか?
何時、帝国軍の全面攻勢があるか分からないという不安な時期にである。ミュラーにとって、いや、およそ責任感と常識のある軍人にとって、容易に信じられる事ではない。
同盟軍艦隊がイゼルローン要塞から出撃した時、その中の一隻を確認した自分自身の視覚的記憶を、彼は思い出す。艦型から見て、あの戦艦は「ヒューベリオン」であり、この二年、工藤新一の旗艦として知られる存在であるはずだ。
それが出撃して来たのは、彼がイゼルローンにいる事を意味したのではないのか。それとも、不在をカモフラージュするためのトリックであったのだろうか。更には、不在、と、思わせて、無謀な攻撃を誘発させる手の込んだ策略、と、いう事も有り得る。
 何しろ、イゼルローンを、ただ一滴も部下の血を代償とする事無く陥落させた男なのだ、あの工藤新一という男は。二年前、その報告を聞いた時、自分はどれほど衝撃を受けた事か。戦術には無限の多彩さがある、と、その時感じたものだった。
瀕死の捕虜が言った事を、はたして信じてよいものだろうか?高熱で意識が混濁していた、と、いうのは軍医の誤りかも知れない。死ぬ間際の一言で帝国軍を攪乱(かくらん)しようとしたのかも知れない。
そしてそれが新一の指示によるものだ、と、いう事も充分に有り得るのだ。ミュラーは軽く首を振った。全く、工藤新一という男は、いればいたで、いなければいないで、どれほど我々を悩ませる事だろう―――“戦場の名探偵(ザ・ディテクティヴ・オブ・バトルフィールド)”とは、良く言ったものだ。
ミュラーの心の声を聞く事が出来たら、新一はこう言うであろう。帝国側のお偉方ほどに同盟のお偉方が信用してくれているのなら、査問会、と、いう名前の茶番劇に参加させられる事はなかっただろう、と。
 ミュラーとしては、幾ら用心しても用心し足りない思いである。新一の知略もさる事ながら、自分が不確実な情報を基に暴走しようとしているのではないか、と、いう危惧もあるのだ。何よりも、その兵士が死んでしまった事が惜しまれる。
宇宙で捕虜になるのは、艦ごと投降するとか、要塞内や艦内での白兵戦で負傷するとかだが、今回の戦いでは捕虜が極端に少ない。しかも意識不明の重傷者ばかりでは、確認しようがない。唯一、尋問出来た捕虜はこう言って、ミュラーを困惑させた。

「工藤提督はイゼルローンにいない、と、言うよう、白馬参謀長から命令された・・・」

 それでも、ミュラーは、遂に決断を下した。

「索敵と警戒の網を回廊全体に張り巡らせ。工藤新一の帰途を待って彼を捕らえるのだ。そうすればイゼルローンどころか同盟軍全体が瓦解し、最終的な勝利は我々の手に帰するであろう」

 彼の命令で三〇〇〇隻の艦艇が回廊に配置された。索敵能力の限りを尽くし、幾重にも罠を巡らせて、新一を捕捉しようというのであり、その配置は良く考えられたものだった。
ところが、この決断は一人の人物を怒らせた。総司令官のケンプが、自分の命令もないのに勝手な兵力再配置を行った理由は何故か、と、詰問してきたのである。ミュラーは説明しなければならない。

「昨年、ジークフリード・キルヒアイス提督が捕虜交換のためイゼルローンに赴きましたが、帰ってから私に洩らした事があります―――工藤新一なる人物を初めて見たが、ローエングラム公と同様の才幹の持ち主だが、それを表に出そうとせず、懐深く、自然体である。そこに彼の恐ろしさがあるのだろう―――と、です」
「それで?」

 ケンプの表情も声も不快げだが、それで退くワケにはいかないミュラーだった。

「同盟軍の捕虜が死ぬ間際に申しました。工藤新一はイゼルローンにいない、と、です。その理由は分かりませんが、当然、彼は我が軍の攻撃を知って急ぎイゼルローンへ戻って来るでしょう。そこを襲って捕らえれば、同盟軍にとっては致命傷となります」

 聞き終えたケンプは吐き捨てるように言う。

「工藤新一はどんな奇策を弄するか分からぬ・・・そう言ったのは卿自身ではないか?イゼルローンは同盟にとって最大の要衝だ。その司令官が、何故に任地を離れなければならない?自分が要塞にいない、と、思わせ、兵力を分散させようとの策に決まっている。直ちに艦隊を元に戻せ。卿の兵力は予備兵力として、極めて重要なのだ」

 仕方なくミュラーは引き下がったが、納得したワケではなかった。彼は司令官の命令を無視してでも、巨大な獲物を手中にしたい、と、望んだが、さすがに迷いを覚え、参謀長のオルラウ准将に相談した。返答はこうであった。

「閣下は総司令官ではなく、副司令官でいらっしゃいます。ご自分の我を通されるより、総司令官のご方針に従うべきでありましょう」

 ミュラーの沈黙は、彼にとって、工藤新一を捕虜とする計画が捨て難いものである事を、万言以上の雄弁さをもって語っていたが、やがて小さな吐息を洩らして、参謀長の進言を受け容れた。

「卿の言う事は正しい。副司令官は総司令官の意に従うべきだ。分かった、我を捨てよう。先程の命令は撤回する」

 新一と同じく、ミュラーも全知全能ではなく、有能であってもその洞察と予測には限界があった。こうして新一を捕らえるため、一旦準備された罠は全て取り払われた。
結果としてミュラーは誤った。後に帝国の歴史家がそれを非難し、ラインハルト、ミッターマイヤー、ロイエンタールであったら初志を貫徹して新一を捕らえるのに成功していたであろう、と、言った事がある。
それに対してラインハルトたちは口を揃えて答えた―――それは結果論に過ぎない。自分もミュラーと同じ立場であったら、彼以上の事は出来はしなかった、と。
 ともあれ、それ以後の戦闘が決定的な優劣を生み出す事はなく、半ば膠着状態のうちに時(とき)は回廊を歩み去り、四月は終わりかけていた。新一の“帰宅時間”が近付いたのである。



 巡航艦「レダⅡ」は、星と闇の織りなす巨大な迷宮の中を、イゼルローン要塞へと向けて疾走している。
首都ハイネセンまでの往路は、途中まで僅かな護衛艦を伴っただけであったが、復路は大小七五〇〇隻の騎士が彼女(レダⅡ)の周辺を分厚く固めていた。

「政府はオレを手ぶらで帰したかったんだろうな」

 新一は蘭にそう言ったが、これは推測ではなく僻みである。トリューニヒト政権がいくら新一に非協力的であるにしても、充分な兵力を与えて、帝国軍を撃退してもらわなくてはならず、手ぶらで帰せるワケがない。いちおう数は揃えたものの、質はまた別問題である
新一に与えられた兵力は、混成部隊そのものであった。二二〇〇隻はアラルコン少将、二〇四〇隻はグエン少将、二〇〇〇隻はモートン少将、六五〇隻はマリネッティ准将、六一〇隻はザーニアル准将が、それぞれ率いている。いずれも軍中央の艦隊に所属していない独立部隊で、任務は地域的な警備と治安であった。一応の火力と装甲は有している。
宇宙艦隊司令長官ビュコック大将は、第一艦隊を動員してくれようとしたのだ。この艦隊は、現在のところ、火力、装甲、編制、訓練、戦歴において、新一のイゼルローン駐留機動艦隊に次ぐ。同盟軍唯一の制式艦隊なのである。艦艇数は一万四四〇〇隻、司令官はかつて新一の上司であった目暮十三中将である。
だが、第一艦隊の動員については、政府首脳ばかりか軍内部でも反対が出た。首都の守りはどうするのか、第一艦隊が国境の最前線に出撃すれば、首都が空になるではないか、と、言うのである。

「自分の恥を話すようですが、昨年のクーデターの時、首都には第一艦隊をはじめとする幾つかの混成艦隊が駐留していましたぞ?それにも関わらず、クーデターは発生したではありませんか。それに、事実上、第一艦隊を動かすのでなければ、工藤提督にどの兵力を率いて行ってもらうのですかな?」

 ビュコックはそう言ったが、統合作戦本部長クブルスリー大将が入院加療中という事もあり、誰も老提督の味方をしなかった。国防委員会からの命令で、第一艦隊は首都の専守を命じられ、統合作戦本部は漸く七五〇〇隻を掻き集めたのである。

「クブルスリーも、このところすっかり気が弱くなってな。上から圧力も掛かっておるし、入院が長引けば辞表を出す事になるだろう。いよいよ、年寄り一人孤立無援、と、いう事じゃな」
「オレがいますよ」

 心から新一は言ったものだ。そいつは有り難い、と、ビュコックは笑ったが、イゼルローンと首都ハイネセンとの距離は、実のところ遠過ぎる。実際にどれほど老提督に力添え出来るか、心許ない事ではあった。
五名の指揮官のうち、マリネッティ、ザーニアル両准将の事について新一はあまり知らない。水準の軍事知識と指揮能力があってくれればよい、と、念じるだけである。
 モートン少将に対しては信頼感がある。ライオネル・モートンは、かつて第九艦隊の副司令官を務めた人物で、アムリッツァ星域会戦に際しては、重傷を負った司令官に代わって長い敗走行の指揮を執り、艦隊の完全崩壊を防いだ。
沈着さと忍耐力に定評があり、新一麾下の渉に似た人物で、功績からいえば中将になっていてもおかしくはない。年齢も四〇代半ばに達し、新一よりずっと戦歴は古い。士官学校卒業ではなく、本人もそれを過剰に意識している「ところが、組織の中では生き辛い事になっているかも知れなかった。
 グエン・バン・ヒュー少将とサンドル・アラルコン少将は、指揮能力、実績共に充分だが、性格上に問題があった。グエン少将は猛将として有名であったが、それは総司令部の冷静なコントロールがあればの話であって、統制が取れなくなると暴走するきらいがあった。
アラルコン少将について、新一は芳しくない噂を聞いた事がある。病的な軍隊至上主義者なのだ。昨年のクーデターに参加しなかったのは、救国軍事会議の幹部であったエベンス大佐と個人的に反目していたに過ぎず、思想的には更に過激だった。
何よりも新一にとって忌避すべき事は、アラルコンに民間人や捕虜殺害の嫌疑が一度ならずかけられている点で、幾度かの簡易軍法会議では、何れも証拠不十分、またはその事実無し、と、して無罪になっているが、これは忌まわしい“仲間同士の庇い合い”によるものではないか、と、新一は疑っている。
しかし、提督は提督、兵力は兵力である。この際、新一に求められているのは、彼等を使いこなす度量なのだ。国防委員会も宇宙艦隊司令部も戦力を中心に揃えたため、指揮官の質までは手が回らなかった。無いよりはマシ、と、新一は思っている。指揮官の質にまで口を出すのは贅沢極まりない。


 今回、新一の相手はローエングラム公ラインハルト自身ではない。彼は帝国宰相として国政に専念しなくてはならない日々である。逆に言えば、彼自身が戦場に出て来る程の必要はない、と、いうワケだ。勝てれば幸い、という程度の意思であり、深刻な意味での出兵ではないだろう。
一昨年、ローエングラム公(当時は伯爵)がアスターテ星域に侵攻してきたのは、各個撃破戦術を完成させていただけでなく、イゼルローン要塞が帝国の手中にあったからである。その補給と後方支援機能があればこそ、ラインハルトだけでなく過去の帝国軍指揮官たちは安心して敵中に突出しえたのだ。また、同年、ラインハルトがアムリッツァ星域会戦に大勝したのは、同盟軍の補給能力を破壊し、その戦線を限界点にまで伸ばさせた末の事である。
ラインハルトの戦法は、あまりにも華麗かつ壮大なので、他人の目には超物理的な魔法を駆使しているかのように見えるが、決してそうではない。彼は戦術家あると同時に、それ以上の戦略家であり、戦場に到着するより先に勝利を収めるのに必要な事は全てやっておくのだ。ラインハルトの過去の戦いは、どれほど華麗に、どれほど奇想天外に見えても、その底辺には論理的整合性が一貫しており、更に戦略上の保障が成立していたのである。
ラインハルトは“勝ち易きに勝つ”男だった。だからこそ新一は、彼の偉大さを認めるのである。“勝ち易きに勝つ”とは、勝つための条件を整え、味方の損害を少なくし、楽して勝つ事をいう。人命が無限の資源である、などと考えている愚劣な軍人や権力者だけがラインハルトを評価しないであろう。彼の下に名将が多く集まるのも、ラインハルトがそれだけの器量を持っているからである。
 「レダⅡ」艦橋に臨時に設けられた司令官席でコーヒーを飲んでいた新一に蘭がラインハルトについて質問してきた。

「閣下、ローエングラム公は皇帝を暗殺すると思いますか?」
「いや、殺さねえな」
「しかし、ローエングラム公が簒奪(さんだつ)を企んでいる事は誰の目にも見て明らかですし、それには皇帝が邪魔ではないでしょうか?」
「歴史上、簒奪者は数限りなくいるけどな、全ての簒奪者がその先君を殺したかというと、決してそうじゃない。貴族として遇した例もあるからな」

 ある古代王朝の創始者は、前王朝の幼い皇帝から譲位される、と、いう形式で簒奪はしたが、先帝に様々な特権を与えて礼遇し、自らが死ぬ時、態々(わざわざ)遺言して、前王朝の血統を疎略に扱わぬよう後継者に誓約させている。
その王朝一代を通じて、誓約は守られた。この創始者は賢明であった。敗者に対する寛大さが人心を得る事、権力体制としては衰弱した状態の王朝が、貴族として遇される事で新王朝への敵対心を消滅させられ、更に無気力になっていくであろうこと、それらを洞察していたのである。
 門閥貴族勢力に対するラインハルトの政戦両略を見ていると、非情であり苛烈ではあるが残忍ではない。まして愚劣では絶対にない。七歳の子供を殺せば、人道的、政治的な非難を浴びるのは明らかである以上、態々不利な選択をするはずがないのである。

「今、ローエングラム公が相当に気を遣っているとすれば、幼帝エルウィン・ヨーゼフ二世の安全さ。万が一、皇帝が真の自然死や事故死であっても、謀殺した、と、見なされるだろうからな。最も皇帝が生きていても、ローエングラム公の行う変革には大して障害にはならないだろうし、何より、皇帝を支持するような人々の支持を必要としていないだろうぜ」

 蘭にそう言った時、艦橋内に警報が鳴り響き、オペレーターが声を張り上げた。

「一一時方向に敵影!数は約一〇〇隻・・・スクリーンに拡大投影します!!」

 それは駆逐艦を中心とする哨戒用の小集団で、数千隻の同盟軍の出現に驚き、逃走するところだった。

「敵に発見されてしまいました。これでは奇襲も不可能ですな」

 溜息を吐いた「レダⅡ」艦長のゼノ中佐を、新一は見つめた。

「奇襲?オレは最初から奇襲をするつもりはなかったですよ。逆に帝国軍が我々を見つけてくれて安心しているくらいです」

 この発言は、当然ながら幕僚たちの意表を突いた。これがイゼルローンの幕僚たちなら話はスムーズなのだが、新一の事をよく知らない人々が幕僚に配置されているため、彼としては詳しく説明してやらねばならない。

「つまり、帝国軍の指揮官は、我々を発見して選択を迫られる事になります。イゼルローン要塞への攻撃に固執して、我々によって後方から攻撃されるか、その逆に我々と戦って要塞に背中を見せるか、兵力を分けて二正面作戦を執るか、時差(タイムラグ)をつけて各個撃破する、と、いう賭けに出るか、勝算無し、と、見て退却するか・・・まあ追い込まれたワケです。以上の点において我々は有利になったんです」

 ほう、と、いう感歎の声が混成艦隊の幕僚たちの口から漏れた。敵に発見された事を見越しつつ、相手の行動を読み、そして封じる・・・さすがは“戦場の名探偵(ザ・ディテクティヴ・オブ・バトルフィールド)”と、称される名将だ、と。



 カール・グスタフ・ケンプは、哨戒集団からの急報に接した後、スクリーンを睨み付けて思案を練った。肉の厚い眉間に太い縦皺が刻み込まれている。
新一の洞察した通り、ケンプは決断を迫られていた。彼は先日、帝国首都オーディンに戦況報告を送っていたが、その表現に少なからぬ苦労をしたのである。
負けてはおらず、同盟軍にかなりの損害と心理的衝撃を与えはしたが、イゼルローン要塞は傷付きながらも健在であり、要塞内に一兵を侵入させる事も出来ないのである。手詰まり状態にあるというのみならず、実のところケンプは巨大なガイエスブルグ要塞を、些か持て余していた。
シャフト技術大将は、巧言令色の限りを尽くして自身の功績を賞賛したが、実際に運用する側の苦労は、提案者の比ではなかった。とはいえ、苦労している、などと報告すれば、更迭か、撤退か、僚友による援軍か、何れもケンプの矜恃を傷付ける結果がもたらされるであろう。結局、ケンプは―――我が軍、有利―――と、報告したのである


 同じ頃、銀河帝国領からイゼルローン回廊へ二万隻を超す大艦隊が進攻しつつあるのをケンプは知らない。
艦隊は前後両軍に分かれ、前軍をウォルフガング・ミッターマイヤー上級大将、後軍をオスカー・フォン・ロイエンタール上級大将―――帝国軍の双璧、と、謳われる両者が指揮していた。彼等はラインハルトの命令を受け、ケンプの援軍として出撃して来たのである。




続く





注:「銀河英雄伝説」は田中芳樹先生、「名探偵コナン」「まじっく快斗」は青山剛昌先生の著作物です。


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