銀河探偵伝説



By 槇野知宏様



(21)



 自由惑星同盟の首都ハイネセンでは、武器無き戦いが火花を散らしていた。
新一は査問会を相手取っており、彼の副官である蘭と警護役の真純の行動はトリューニヒト政権を敵に回しつつあった。
最初、蘭たちはベイ少将との面会を求めた。彼としては会いたくなかったのだが、やむを得ず面会を許可した。

「工藤提督の副官として、上司との面会を求めます。提督はどこにおいでですか?」

 それが蘭の最初の言葉だった。有無を言わさぬ言葉の力と眼光の鋭さに、ベイは僅かにたじろいた。

「そ、それは国家の最高機密だ。面会は許可出来ないし、提督の場所も教えられない」
「分かりました。査問会とは、非公式の精神的拷問を指して言うのですね」
「毛利少佐、言葉を慎みたまえ」
「違うと仰有るのであれば、査問会の公開、弁護人の同席、及び被査問者との面会を求めます」

 言葉の応酬が幾度か続いたが、段々と旗色が悪くなっていく事をベイは感じた。蘭もそうだが、真純も蘭に負けないくらいの目つきで自分を睨み付けているのだから当然である。

「と、とにかくだ。君たちの意見には答えられない!」

 居丈高な口調で大声を出したベイであったが、そんな事で怯む蘭ではない。

「では、国民的英雄である工藤提督を一部の政府高官が、非合法かつ恣意的に精神的私刑にかけた、と、報道機関に知らせて良いのですね?」
「そ、そんな事をしたら、君自身が国家機密保護法違反によって、軍法会議にかけられる事になるぞ?」

 元々、国家機密保護法には査問会なるものは存在しない。その内情を公開したとしても法律違反にはならないのだ。
それを知っている蘭はベイ―――と、言うより、査問員たち―――に、脅しをかけたのだ。

「よく分かりました。この件については可能な限り、こちらも相応の対応を取らせて頂きます」

 何事か恨み言的な事を呟く男を無視して、蘭と真純はその場を後にしが、ベイが懐から携帯端末を取り出して誰かと話している事には気付かなかった。

「・・・で、これからどうするんだい?」
「マスコミ関係を動かすには新一のご両親にお願いするのも手だけど、ご迷惑をかけるワケにはいかない。今はビュコック提督にお会いして事情を聞いて頂くしかないわ」

 会話を交わしながら宇宙艦隊司令部ビルへ地上車を走らせ、地下駐車場へ車を止めた時に蘭と真純は何者かの気配に気付いた。
それも一人ではなく複数―――最低でも五〇名以上はいる。地上車から降りながら二人は指を鳴らす。
暗闇に目が慣れた頃にはフルフェイスのマスク、濃緑色の軍服、そして手には電磁警棒やらを持った集団が二人を取り囲む。

「憂国騎士団のお出ましとはね。どうやらトリューニヒト最高評議会議長はボクたちが動き回るのがお気に召さないようだね」
「そうみたいね。これって、ベイ少将の差し金かしら?」
 
 恐らくそうだろう―――真純がそう応じた時、憂国騎士団たちは蘭たちに襲い掛かった。彼等はひ弱な女性と思っていたのだが、その幻想は強制的に崩された。
憂国騎士団の面々は、蘭と真純のハイキックや正拳突き、肘撃ち、飛び膝蹴りを顔面や鳩尾(みぞおち)に食らい、鼻血や胃液を撒き散らしてアスファルトの上に蹲(うずくま)る羽目になった。士官学校時代、蘭、真純、そして和葉の格闘技術は、指導官の美和子に次ぐ、と、男子学生から恐れられた程である。

「さて、次は誰が相手だい?」
「ちょっと、世良さん。相手を挑発しないでよ!」

 蘭たちが隙を見せたので、憂国騎士団員が電磁警棒を片手に襲い掛かったが、彼等を待っていたのは、顔面への回し蹴り式のトラースキックだった。
二人が格闘戦を得意としているものの、女性であり、そして多勢に無勢である。足下に倒れているむさ苦しい男の腰の辺りを踏みつけた真純が蘭に尋ねる。

「何人くらい倒したかな?」
「三〇人そこそこじゃないかしら?」

 肩で息をしながら蘭は答えた。体力的にも精神的にもキツイところである。無論、それは真純も同じだ。
じりじりと近づく憂国騎士団の身体からは敵意が立ち昇り、二人を覆い尽くさんとしている。しかし二人は身構えたまま戦闘態勢を崩そうとしない。
その時、複数の人物の声がして、誰何と怒号の声に交じる中、憂国騎士団たちは仲間を見捨てて逃げ去って行った。
取り残された憂国騎士団員を捕まえる者もいれば、蘭たちに無事を確認する者もいる。その中に探し求めていた人物を見つけて蘭は声を出した。

「ビュコック提督!?」
「蘭くんじゃないか。何故、ここにいるのかね?」
「提督にお伝えしたい事が・・・」

 過度の緊張から解放され、崩れかかる蘭と真純の身体をビュコックが支え、部下に女性下士官を呼ぶよう指示を出す。
やがて数名の女性下士官たちがやって来て、蘭と真純の身体を両側から支えると、ビュコックは司令長官室へ案内するよう命じた。


 蘭たちは司令長官室に案内され、コーヒーを供されて格闘戦からの緊張から解放された。
コーヒーを飲んで一息吐いている時にビュコックが入室して来たので、立ち上がって敬礼しようとするのを彼は手で制した。

「さっきも言ったが、蘭くんは何故、ハイネセンに?」

 蘭が予想した通り、制服組ナンバー2である老提督は、新一が首都へ召還された事を知らなかったのだ。
今回の査問会なるものが、如何に非公然的な体質のものであるか、この一言で明らかであった。蘭は要領良く事情を述べると、ビュコックは白い眉を上下させて、暫く沈黙していた。驚いた、と、いうより、呆れたのであろう。

「この事をお話するかどうか、実はずいぶん悩みました。でも、新一を窮状から救うには提督の力が必要と考えました。しかし悪くすれば、軍部と政府の対立、と、いう事態になりかねないので・・・」
「もっともな話じゃが、無用の心配でもあるな」

 ビュコックは奇妙な事を言った。闊達(かったつ)な気性の彼に似ず、陰気なほどに苦い口調だった。

「蘭くん。もはや軍部全体が一丸となって政府と対立するなど、有り得ん事だて」
「それは、軍部内が二派に分裂している、と、仰るのですか?」
「確かに二派には違いないが、圧倒的多数派と少数派とを、同列に並べて良いものならな。無論、ワシは少数派じゃ。自慢にもならん事だがね」
「それは昨年のクーデターが関係あるのでしょうか?」

 ビュコックは頷いて蘭の疑問を肯定した。
昨年の救国軍事会議のクーデターで軍部の信望が失墜し、発言力が低下したのを、最高評議会議長であるトリューニヒトは最大限に利用し、自らの勢力を軍部に浸透させる事に成功したのである。
その結果、軍中枢部はトリューニヒト派で固めらてしまい、クブルスリー本部長やビュコックが抗議しようにも冷笑される始末だった。これは彼等がクーデターの際に為すところがなかったから、と、いう側面もあったのも事実である。

「今や、クブルスリー本部長とワシは、大海の中で孤立する岩、と、いったところじゃ。政治屋共が新一をハイネセンに呼び寄せたのは、根本の動機は今一つ判然とせんが、多少の事をやっても反対する者はおらん、いたとしても潰せる―――そう考えての事であるに違いないな」
「何か予想以上に状況が悪化しているとは思いませんでした」
「これから先、状況は悪くなっても良くはならんな。何と言ったら良いのか・・・そう、ゴソゴソとうるさくて忌々しい限りじゃ。実はこの部屋にも盗聴器が隠されておるかも知れんのだ。確率は九割九分といったところかのう」

 それを聞いた二人が顔に緊張感を漲(みなぎ)らせて室内を見渡した。老提督は咳き込むように笑うと、蘭の目を見て笑いを止めた。

「それを知っていて、こういう話をしたのはな、今更になって旗色を誤魔化す事も出来んし、盗聴の記録が法律上の証拠になる事もないからじゃ。逆にこちらが盗聴による人権侵害を訴える事も出来る。政府に同盟憲章を尊重する気があればな」
「政府は民主主義の建前を公然と踏みにじる事は出来ません。いざと言う時に武器として使える、と、思います」
「蘭くんにそう言ってもらえると嬉しい限りじゃな。肝腎の新一の件じゃが、事情が分かった以上、ワシに出来るだけの事はする。是非、協力させてもらおうかの」
「でも、ご迷惑ではないでしょうか?」
「訪ねて来ておいて、今更そんな事は気にせんでも良い。ワシは新一が好きだしな。ああ、これは本人に言ってはいかんよ。若い者はすぐ良い気になるからな」
「本当に感謝致します。お人柄に甘えて申し上げますと、私は子供の頃からビュコック提督の事が好きです」
「是非、女房に聞かせてやりたいな。最も新一には聞かせない方が良かろうて。ところで、先の憂国騎士団の件だが・・・」

 老提督が表情をあらためた。
憂国騎士団の背後に、ある大物政治屋が控えているのを同盟において知らぬ者はいない。知らないのは幼子くらいであろう。
蘭の代わりに真純が答えた。その声は少年のそれを思わせる。

「恐らくはベイ少将の差し金かと思います。独断か裏側の人間の指示かは不明ですが」
「なるほどな。ベイのネズミが考えそうな事だ」

 ビュコックは大きく舌打ちをした。盗聴器を通じて、ベイ本人に聞かせるつもりかも知れない。豪胆な老人である。

「蘭くん、これが民主主義の総本山の現状じゃよ。まだ雨は降り始めてはおらんが、雲の厚さたるや大変なものだ。それも加速的に悪くなっとる。天候を回復させるのは容易な事じゃないぞ?」
「はい、覚悟は出来ています」

 よろしい、と、ビュコックは大きく頷いた。ぶっきらぼうな口調の下から温かさが伝わる声である。

「ワシ等は仲間というワケじゃ。世代は違ってもな」


 その頃、新一の査問はというと連日というワケではなかった。
査問会首席のネグロポンティ国防委員長をはじめ、各メンバーには他の職務があり、新一をいびる事だけに専念してはいられなかったので、査問会は一日もしくは二日おきに、ダラダラと続けられる事になった。
そんな状況下にも関わらず、新一の神経は痛めつけられる事はなかった。これが短気な者ならとうに暴発していたであろう。逆に査問会のメンバーの方が新一の理路整然としたカミソリのような発言に神経を痛めつけられている状況である。
査問会の目的は、新一を査問して何らかの結論に導き出す事もだが、それ以上に査問行為それ自体の続行にあるとしか思えなくもない。
 どう収拾をつけるのやら、と、新一は思う。どうせ新一を解放せねばならないのだから、どのように体裁を繕うか見物してやろうか、と、いう気になってきていた。
査問会があるとなれば新一は張り切るのだが、むしろ苦痛なのは宿舎で一日中軟禁状態に置かれる日だった。食事と盗聴器の類を捜査する以外、する事がないのである。
窓からは中庭しか見えないし、室内には立体テレビ(ソリヴィジョン)も置かれていない。無駄だろう、と、思いながら新聞か本を読ませてくれるよう頼んでも、結局は言を左右にして拒否する。
食事は三度とも栄養等を考えて立派なものであろうが、部屋の調度と同じく無個性極まるもので、変化を愛でる事が出来ない。特に朝食は連日、完全に同じメニューだった。
ライ麦パン、バター、イチゴジャム、プレーンヨーグルト、コーヒー、野菜ジュース、ベーコンエッグ、マッシュポテト、野菜サラダ―――誠意と独創性が全くないし、蘭の作るものより味が格段に悪い、と、新一は思う。
ハイネセンで新一は虚しく日を過ごしていたが、彼の境遇も蘭の苦労に比べれば遙かにマシだったと言えるかも知れない。文字通り、蘭は不眠不休で苦闘していたのである。


 蘭がビュコック大将を頼った選択は大いなる成功であった。
ビュコックの協力の意思もさることながら、その地位と声望は“圧倒的多数派”にとっても無視出来るものでもなかった。無視出来るものであれば、老提督は宇宙艦隊司令長官の任をとっくに解かれていたに違いない。
まず、軍用宇宙港の一角に隔離されていた巡航艦「レダU」の監視が解かれた。理由も知らされずに艦内に足止めされていた乗員たちは自由の身となり、蘭に協力して行動するようになった。
蘭と真純は、ビュコックの好意を受けて、彼の家に滞在する事にした。それまでの宿谷―――小五郎の官舎―――では、盗聴や監視どころか、物質的な危害を加えられる危険性があるからである。
その点、ビュコックの家は直属の警備兵に守られているし、それがなくとも、宇宙艦隊司令長官の家に無法の手を伸ばすワケにはいかないであろう。ビュコック夫人も温かく蘭たちを迎えてくれた。

「何時までもいて良いのよ。でも、そういうワケにはいかないわね。早く新一くんを助けて帰らないとね」
「ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」
「蘭さん、別に気にしなくて良いのよ。若い人たちがいてくれると家の中が明るくなるし、うちの人も、政府を相手にケンカが出来る、と、喜んでいるんだから。こちらからお礼を言いたいくらい」

 夫人の温かい笑顔は蘭を羨望させた。
自分の両親、新一の両親を足した年数以上も連れ添い、互いに理解し合った夫婦の絆とはこういうものだろうか?彼女の周囲も似たようなものだが、ビュコック夫妻の絆にはまだ遠く及ばないだろう、と、蘭は思う。
 蘭がビュコック邸をメイン・ベースにして奔走している間に、彼女たちに協力している旧知の阿笠博士から一つの事件を聞かされた。
ある反戦市民団体が、徴兵の不公正に関する問題を提起した。それは政界、財界、官界の重要人物たちの中で、徴兵適齢期の子息を持つ二四万六〇〇〇名を対象とした調査を行ったのだが、結果は呆れたものだった。
子息を軍隊に入れていた者は一五パーセントに満たず、前線に送り出している者に至っては一パーセント以下であったのだ。この結果を見て、彼等は政府に質問状を提出したが、それは政府によって黙殺された―――政府のスポークスマンを兼ねるボネ情報通信委員長は、回答の必要を認めず、と、言っただけである。
 この事を殆どのジャーナリズムが報道しなかったため、反戦市民団体のメンバーたちは街頭活動によって一般市民に訴えようとしたが、警察によって行動を制限され、更には憂国騎士団の襲撃を受けた。
その間、警察は傍観を決め込み、憂国騎士団が逃げ去った後に血まみれで倒れている市民を“騒乱罪”という名目で逮捕した。警察はジャーナリズムに、会員同士の内紛が流血を招いた、と、説明し、彼等の大半はそれをそのまま報道し、憂国騎士団の名は表面に出る事はなかった。
それを聞いた時、蘭は最初、信じられなかった。新一や自分の身に起こった事を承知していても、民主主義の体制とジャーナリズムに対する信頼は根強いものがあったのである。しかし、その信頼も日に日に揺らいでいくように思えてならない。
 ビュコックの公然たる助力、阿笠の密かな協力があってなお、彼女の行動は見えざる壁と鎖によって阻まれた。阿笠がシャロン・ヴィンヤードに接触した結果、査問会が行われている建物は同盟軍後方勤務本部の敷地内である事が判明した。
同盟軍実戦部隊の長である宇宙艦隊司令長官が掛け合っても国家機密を盾に入るのを拒絶され、関係者に面会を申し込んでも拒否された。ビュコック邸を出てから帰宅まで尾行が付き、漸く見つけた証人は二度目の面会で何かに怯えながら証言を拒む。
再びベイ少将を掴まえるのに成功した時、蘭は言を左右にして実のある回答をしようとしないベイの態度に堪りかね、ジャーナリズムに訴える、と、言ってみたが、ベイの反応は以前と異なっていた。

「言いたければ、言うが良いさ。しかし、何処のジャーナリズムも採り上げてはくれんよ。無視か冷笑されるのがオチだ」

 蘭が相手の目を直視すると、ベイは軽い後悔と狼狽の表情を皮膚に貼り付けた。口外してはならない事を彼は口外してしまったのである。
蘭は心が冷えるのを感じた。先の反戦市民団体の襲撃事件に見られるように、トリューニヒト政権はジャーナリズムに対する支配力と管制力とに余程の自信を持っているのだろうか。
政治権力とジャーナリズムが結託すれば、民主主義は批判と自浄能力を欠くようになり死に至る病に侵される。この国の事態は、そこまで進んでいるのだろうか。政府と軍部とジャーナリズムが同一の支配者の下にあるとしか思えなかった。
彼女が改めてそれを思い知らされたのは翌日の事である。何気に電子新聞に目を通した時、そこに書かれていたのは、自分と新一が情人という関係である、と、いう正体不明の人物の談話が掲載されていた。記事の出処も、その意図も明らか過ぎるほどだった。

「工藤くんと蘭さんの関係は、情人ではなく夫婦みたいなものだしね」

 そう真純は言ったが蘭は何も言う気にはなれなかった。度の過ぎた下劣さは、怒りのエネルギーをかえって殺(そ)ぐかも知れない。
一つには新一を査問会から救い出す決定的な手段が見出せず、焦りと閉塞感に苛(さいな)まれていたからである―――しかし奇跡が起こった。
四月一〇日、ビュコックから緊急連絡が入ったのである。豪胆な老提督が、さすがに平静ではいられない様子だった。

「蘭くん、えらいニュースじゃ。イゼルローン要塞が敵の攻撃を受けておる。帝国軍が侵攻してきたのだ」

 蘭は息を呑んだ。驚きが半分も静まらないウチに一つの考えが閃き、彼女は叫んだ。

「では、新一は査問会から解放される、と、いう事ですね」
「そうじゃ。この際は帝国軍が、救世主、と、いうワケさ。皮肉なものだがね」

 皮肉でも何でも良かった。蘭は初めて帝国軍に感謝した。


 その日の査問会は、最初から荒天の気配を孕んでいた。
自治大学長のオリベイラが学術的熱情に駆られてたのか、新一に対して戦争の存在意義とやらを講義し始めたのである。彼に言わせると、戦争を否定する意見など偽善と感傷の産物でしかない、と、言うのだった。

「提督、君は優秀な男だが、まだ若いな。どうも戦争の本質というものを理解しておらんようだ」

 新一は返答しなかった。その態度が目の前で戦争論を垂れ流している輩の意欲を殺ぐ事はなかったようである。

「良いかね、戦争とは文明の所産であり、国際的及び国内的な矛盾を解消するための最も賢明な手段なのだ」

 勝手に決めつけるんじゃねえよ、と、新一は思ったが、相手が次に何を言ってくるのだろう、と、思うと逆に楽しみになってくる。新一が黙っているので、それを自分に都合良く解釈したオリベイラは得々として持論を展開した。

「人間は堕落しやすい生き物だ。特に緊張感を欠く平和と自由とが最も人間を堕落させる。活力と規律を生むのが戦争であり、戦争こそが文明を進歩させ、人間を鍛え、精神的にも肉体的にも向上させるのだ」
「大変、素晴らしいご意見です」

 誠意の欠片を欠く声で新一は応じた。

「戦争で生命を落としたり、肉親を失った事のない人であれば、信じたくなるかも知れませんね」

 その気になれば、新一は政府のお偉方に対して、いくらでも洒落臭(しゃらくさ)い口が聞けるのである。査問員たちが何を言い出すのか楽しみで黙っていただけの事だ。
忍耐と沈黙は、あらゆる状況において美徳となるものではない。耐えるべき事に耐え、言うべき事を言わずにいれば、相手は際限なく増長し、自己のエゴイズムがどんな場合でも通用する、と、思い込むだろう。幼児と権力者を甘やかし、つけ上がらせると、碌な結果にならないのだ。

「まして、戦争を利用して他人の犠牲の上に自らの利益を築こうとする人々にとっては、魅力的な考えでしょう。ありもしない祖国愛とやらを、ある、と、見せかけて人々を堂々と欺くような輩にとってはね」

 この時、初めてオリベイラは顔中に怒気を閃かせた。

「き、君は、私たちの祖国愛が偽物だとでも言うのか?」
「あなた方が、口で言う程に祖国の防衛や犠牲心が必要とお考えなら、他人に説教や命令する前に、自分たちで実行なさったら如何ですか?率先垂範(そっせんすいはん)、と、いうヤツを見せて頂きたいものです」

 眼光も口調は鋭いものだった。

「いっその事、主戦派の政治家、官僚、文化人、財界人で“愛国連隊”とか“憂国師団”などを編成して、帝国軍が攻めて来たら真っ先に突撃して下さい。イゼルローンには空き部屋が充分ありますし、訓練施設も揃ってますので不自由はしませんよ」

 返って来た沈黙は、明らかに怯みと敵意の双方を重く含んだものだった。効果的な反論の不可能な事がそれに拍車を掛けていた。彼等が反論出来るはずのない事を新一は知っていた。彼は強(したた)かに追い討ちを掛けた。

「人間の行為の中で、何が最も卑劣で恥知らずか。それは権力を持った人間、権力に媚びを売る人間が、安全な場所に隠れて戦争を賛美し、他人に愛国心や犠牲精神を無理矢理押し付けて戦場へ送り出す事です。宇宙を平和にするためには、帝国と無益な戦いを続けるより、まずその種の寄生虫を徹底的に駆除する事から始めるべきではありませんか?」

 室内の空気全体が青ざめたように思われた。査問会の面々は、同盟軍最年少の大将が、これほどの毒舌をふるうとは想像もしていなかったであろう。その中でシャロンは悠然として新一を見つめている。

「き、寄生虫とは、我々の事かね?」

 冷静さを粧(よそお)ったネグロポンティだが、その声は不安定に波立っている。

「それ以外のものに聞こえましたか?何なら、害虫、と、言い直しましょうか?」

 冷笑を浮かべながら、思いっきり無礼な事を新一は言ってやった。国防委員長は食用蛙のように怒気で膨れ上がり、手にした槌で猛然とデスクを叩いた。

「言われ無き侮辱、想像の限度を超えた非礼だ。君の品性そのものに対して、我々は告発すべき必要があると認めざるをえん。査問は更に延期される事になるだろう」
「異議を申し立てます」

 新一の語尾を、立て続けにデスクを打つ槌の響きが掻き消した。

「被査問人の発言を禁じる!」
「その根拠を示して頂きませんか?」
「査問委員会首席の権限により―――いや、説明の必要を認めない。秩序に従いたまえ!」

 新一は膝を組んで冷笑と侮蔑を込めた視線を相手にぶつけた。国防委員長や自治大学長の血管を切ってやっても面白いだろう。

「こんな下らない査問会という名前の茶番劇から、そろそろ退場を命じては頂けませんか?あなた方の品性の欠片のない戯言を聞いてるだけでオレの品性が汚れるだけです。別に金を払ってるワケではありません。逆に精神的苦痛に対する慰謝料を要求します」

 何事かを言おうとしたネグロポンティの手元で鳴り響くベルの音が、彼の口を閉ざさせた。

「もしもし、私だ。何事かね?」

 新一を睨み付けたまま、不機嫌極まる声をネグロポンティは送話器に向かって吐き出したが、相手の一言が彼を愕然とさせたようである。
国防委員長は顔の筋肉を目に見えて強張らせ、幾度も事の真偽を質(ただ)す言葉を発した。やがて受話器を置くと、狼狽した表情を一座に向け、声をうわずらせた。

「一時、休息に移る。査問会の諸君、別室に集合してくれ。提督はそのまま待つように」

 用意ならざる事態が生じた事は事実だった。慌ただしく席を離れる査問官たちを、新一は無感動に眺めていた。
政変でもあったのだろうか?トリューニヒト議長が意識不明になって病院へ搬送された、はたまた死去した、と、いう事なら良いものを―――そんな事を考える新一は、とても紳士とは思えなかった。


 ネグロポンティを中心に、血の気を失った顔が並んでいる。
イゼルローン回廊に、帝国軍大挙侵攻―――その報は無形のハンマーとなって査問官たちを強かに叩きのめしたのだった。

「私たちの成すべき事は、考えるまでもないわ」

 シャロンが一人、落ち着いていた。査問官の中でも彼女だけは新一の味方であり、冷静に査問会を観察していた。

「査問会を中止して、工藤提督にイゼルローンへ戻り帝国軍を撃退させる・・・いえ、撃退して頂くのよ」
「しかし、それでは朝令暮改も度が過ぎるのではないか?我々はたった今まで、彼を査問にかけていたのだぞ?」
「それじゃあ初志を貫徹して、帝国軍がこの惑星に殺到して来るまで査問を続行する気かしら?」
「・・・」
「どうやら選択の余地はないようね」
「しかし、我々の一存では決められん。トリューニヒト議長のご意向を伺わないと」

 シャロンは哀れみの欠片もない目で、ネグロポンティの引き攣った顔を見やった。

「ではそうすれば?五分もあれば済む事でしょうし」

 新一が羊を五〇〇匹ほど数えた頃、査問官たちが部屋に戻って来た。
つい数分前とは全く異なる雰囲気を新一は感じ取った。内心で、何を言い出すのやら、と、考える彼に国防委員長は言った。

「提督、緊急事態が発生した。イゼルローン要塞が帝国軍の全面攻勢に晒されている。何と敵は、要塞に推進装置を取り付けて大軍を丸ごと移動させて来た、と、いうのだ。至急、救援に赴(い)かねばならん」
「・・・で、オレに赴け、と、仰有るのですか?」

 一〇秒ほどの沈黙の後、先程とは打って変わって、優しい程の表情と声で新一は確認した。ネグロポンティは目に見えて鼻白んだが、どうにか自分を鼓舞して声を出す。

「当然ではないか。君はイゼルローン要塞と駐留機動艦隊の司令官だ。敵の侵略を阻止する義務と責任があるはずだぞ」
「ですが、哀れにも遠く前線を離れて査問を受ける身、オマケに態度が悪いのでクビになりかねません。査問の方はどうなるのでしょう?」
「査問会は中止する。工藤提督、国防委員長として命じる。直ちにイゼルローンへ赴き、防衛と反撃の指揮を執りたまえ。良いな」

 それは猛々しい声ではあったが、語尾の震えが発言者の内心に秘められた不安を暴露していた。
ネグロポンティは法制上、新一の上司であるに違いない。しかし、新一が命令に従わず、イゼルローンが陥落でもすれば、彼をして新一の上位に立たしめる法的根拠も実質的な権力も崩壊するのである。
自分たちが火薬庫の隣で火遊びをしていた事に、ネグロポンティは漸く気付いた。国家の安全あっての権力であり、相手の服従あっての支配だった。宇宙の法則に基づく確個たる力を彼等が有しているワケではないのだ。

「分かりました。イゼルローンに戻りましょう」

 新一の声に室内には安堵した息が漏れ聞こえた。

「イゼルローンには、オレにとって大事な友人や部下がいますから・・・行動の自由は保障して頂けるのでしょうか?」
「もちろんだ。君は自由だ」
「では、失礼させて頂きます」
 
 立ち上がった新一に、査問官の一人が声をかけてきた。確かトリューニヒト派の政治屋であるが、名前すら覚える気が失せた末席の男である。媚びる色が露骨だった。

「工藤提督、勝つ見込みはあるのかね?いや、無いはずはない。君は何しろ“戦場の名探偵(ザ・ディテクティヴ・オブ・バトルフィールド)”なのだからな。きっと我々の信頼に応えてくれるはずだ」
「出来るだけの事はしますよ」

 素っ気ない口調だった。査問会の面々を満足させるために大言壮語を吐く気すらなかった。そんな事より、どうやって敵に対処すべきか、この時の彼には、明確な構想の持ち合わせが実際に無かったのである。
無論、このような事態の到来は、査問会が負うべき事であるが、新一が帝国軍の戦法に虚を突かれた事実は否定しようがなかった。甘い、と、言われればその通りだが、人間の構想力にも限界がある。
要塞をして要塞に対抗させる。要塞に推進装置を取り付けて航行させる。それは大艦巨砲主義の一変種であり、見た目ほどに衝撃的な新戦法というワケではないが、同盟の権力者たちに甚大な心理的ショックを与え、序でに新一を茶番劇から解放してくれたのは事実だ。
もし、画期的な技術が両国の軍事均衡を突き崩す事があるとしたら、一万光年以上の超長距離跳躍(ワープ)技術の出現だろう―――そう新一は考えていた。これが実現すれば、帝国軍はイゼルローン回廊を飛び越えて同盟領の中心部に大艦隊と補給物資を送り込む事が可能になる。
 ある日突然、首都ハイネセンの市民たちの上空に陽光を遮る帝国軍の大艦隊を見出して呆然と立ち尽くし、権力者たちは“城下の盟”―――追い詰められての全面降伏―――を余儀なくされるだろう。
その時、どうするか?そこまで新一は考えていない。事態は新一の対応能力を超えており、そんな場合までの責任を持たされては堪らない。新一は艦隊識別帽(スコードロンハット)を被り直すと、わざとらしく軍服の埃を払い、大股でドアに向かって歩き出した。

「そうだ。重要な事を言い忘れていた」

 ドアの前で立ち止まると、新一は敬意を欠く恭(うやうや)しさで一同を見渡して言った。

「帝国軍が侵攻して来る時期を態々(わざわざ)選んで、オレをイゼルローンから呼んだ件に関しては、何(いず)れ責任ある説明をして頂けるものと期待しています。無論、イゼルローンが陥落せずに済めばの話ですが。では失礼・・・」

 踵(きびす)を返して、新一は不快で不毛な幾日かを強制された部屋を出て行った。自分の一言で、査問官たちの顔を流れる血液の量がどう変化するか、じっくり観察したいところではあったが、これ以上、不愉快な場所にいる時間を長引かせる気は新一にはなかった。
一度開いて、再び閉ざされたドアを、九名の査問官は凝然と眺めやった。ある者の顔には敗北感が、ある者の顔には不安が、ある者の顔には怒気があった。一人が呻いた。

「生意気な青二才が、自分を何様だと思っているのだ」

 塗装が剥げ落ちて、下司(げす)な本性が剥き出しになっていた。

「彼は救国の英雄じゃなかったの?」
 
 答えるシャロンの声には、皮肉が滲み出ていた。

「あなたたちが言う“生意気な青二才”がいなかったら、今頃、私たちは帝国に降伏して、良くても政治犯監獄に放り込まれていたはずよ。こんな場所で裁判ごっこをしている事はなかったわ。彼は私たちの恩人よ。それを私たちは恩知らずにも数日間にわたっていびってきたワケね」
「しかし、あの態度は目上の者に対して礼を欠く事、甚だしいではないか」
「目上?政治家とは、そんなに偉いものかしら。私たちは社会の生産に何ら寄与しているワケではなく、市民が納める税金を公正かつ効率良く再分配するという任務を託されて、給料を貰ってそれに従事している―――彼の言うところの社会機構の寄生虫でしかないのよ。それが偉そうに見えるのは、宣伝の結果としての錯覚ね。しかし、そう言う議論より・・・」

 シャロンは一段と皮肉の色を両目に湛(たた)えた。

「もっと近い距離で火事が起きている事を心配したらどう?工藤提督が言ったように、敵の攻勢直前に彼を前線から態々遠ざけた責任、これを誰がとるか。辞表が一通、必要ね。無論、工藤提督の辞表ではないわ」

 複数の視線がネグロポンティに集中した。国防委員長は肉に厚い頬を震わせた。
新一を首都に召還したのは、彼の意思ではない。彼は別の人間の意志に従っただけである。ただし、決して消極的に、ではなかった。彼の周囲にいる者たちは、既に心の中で、彼の肩書きに“前”の一字を付け加えていた。


 外へ出た新一は、大きく両手を伸ばし、湿って汚れた空気を肺から追い出した。

「新一!」

 僅かに震えを帯びた声が彼の鼓膜を深みに達した。久しく聞いていなかった心地良い声の主を探した。

「蘭・・・」
 
 蘭のすらりとした姿が音もなく豊かに降り注ぐ光のシャワーの中に佇んでいた。その横にはビュコックと真純がいる。漸く人間の群に戻って来た、と、新一は思った。

「ご迷惑をおかけしました」

 新一は、ビュコックに心から頭を下げた。白髪の宇宙艦隊司令長官は軽く手を振った。

「礼なら蘭くんに言う事じゃ。ワシ等は彼女を手伝っただけだ」
「蘭、ありがとな。何か言葉じゃ物足りないくらい感謝してる」
「新一を公私にわたってサポートするのは私の役目なんだから」

 わざとらしく咳をする音が聞こえ、新一と蘭が音のした方向へ目を向けるとビュコックが口元に手を当てており、真純は明後日の方向を見て笑いを堪えている。
内心では、もう少し見ておきたかったのであるが、終わりそうにもない雰囲気だったので、二人をラブラブ絶対宙域から強制的に追い出したのだ。

「年寄りには目の毒なのでな・・・続きはイゼルローンでやってもらうとして、手ぶらで帰る、と、いうワケにはいくまい。色々と準備しなきゃならんが、その前に食事をしよう。我々が食事をしている間くらい、イゼルローンは保ち堪えるだろうて」

 それは健全な提案だった。


 レストラン「白鹿亭(ホワイト・デアー)」では、阿笠が待っていた。新一が助力を感謝すると、阿笠は祝いの言葉を述べてから食事が始まった。

「・・・と、いう事で、オレは態々ハイネセンへ呼び出されたと思ってますが、博士はどう思います?」

 イゼルローンで蘭に話した事を阿笠に話すと、彼はナイフとフォークを置いて、生真面目な表情で話し始めた。

「それは有り得る話かも知れんな。トリューニヒト派の政治家たちは、新一が政界に転じるのではないか、と、いう疑心を抱いておる」
「オレは博士やヴィンヤード女史みたく政治家には向いてないですよ。それ以前になりたくもありませんね」
「ワシもヴィンヤード女史も新一と同じ意見じゃが、彼方(あちら)は、そうは思っとらん。お前さんが、第二のルドルフ・フォン・ゴールデンバウムになるのではないか、と、いう恐怖心をな」
「馬鹿馬鹿しい。妄想も度が過ぎる」

 そう新一は吐き捨てた。第一、自分が権力者になる気があったとしたら、昨年のクーデターの際に幾らでも機会があったではないか。

「それすらも隠れ蓑ではないか、と、思っとるワケさ」

 静かに阿笠がそう言うと、再びナイフとフォークを動かして食事を再開した。
鹿肉のローストをメインとしたコースであったが、新一、蘭、真純そして阿笠とビュコックは優雅に味を楽しむ雰囲気ではなかった。新一自身もそうだが、他の面々にしても、彼の置かれている状況がそれほど悪化しているとは思ってもみなかったのである。
食事を終えて、レストランを出ようとした一同は意外な人物に出会った。つい先刻まで査問会で鼻を突き合わせていたネグロポンティである。

「工藤提督、君は公人として国家の名誉を擁護する立場にある以上、今回の査問会に関して政府のイメージを低下させるような発言を外部に向かってやったりはせんだろうね?」

 新一はまじまじと相手を見つめた。人間がどこまで厚顔になれるか、と、いう質問に対する解答が、スーツを着て目の前に立っている。

「では、オレに対して開かれた査問会なる茶番劇が、外部に知られた場合、国家機構をイメージダウンさせる種類のものだった、と、自ら認めるワケですね?」

 この反撃にネグロポンティは目に見えてたじろいたが、どうにかライン際で踏み止まった。彼としては、トリューニヒトの心証を良くするため、新一の口を封じておかねばならなかったので、恥を忍んでやって来たのである。

「私は公人としての義務に従っただけだ。それだけの事だよ。だが、だからこそ君にも、公人としての義務を果たすよう求める権利がある、と、確信しているのだがね」
「確信なさるのは、委員長のご自由です。オレとしては査問会云々より、まず戦いに勝つ事を考えていますので」

 それだけ言うと、新一は歩き出した。せっかくの料理が胃の中で発酵してしまいそうな気がした。
惑星ハイネセンの自然はこんなに美しいのに、地表を占める人間共ときた日には!彼等の事を考えるより、戦いに勝つ事を考える方が余程マシだ。

『ラインハルト・フォン・ローエングラム自身ならともかく、彼の部下に負けてはたまらないからな』

 そう思っている自分に気付いて、新一は苦笑した。これは自信というより、増長に思えたのである。

「博士、ビュコック提督。何にしても、我が同盟政府には、両手を縛っておいて戦いを強(し)いる癖があるようで、困ったものです」

 この程度の事くらいは言っても良いだろう、と、新一は思う。イゼルローン要塞攻略の時からしてそうだったが、常に新一は戦略的選択権を著しく制限された状況での戦いを強いられてきた。もっとフリーハンドで戦ってみたい、と、いう思いが、彼の胸の内に存在するのも事実である。

「全くだ。しかしヤツ等の思惑はどうであれ、今度は戦いに出かけざるをえんところじゃな」
「仰有る通りです。何と言ってもイゼルローンはオレの家ですからね」

 蘭もいる。自分にとって大切な人々は、殆どそこに―――イゼルローン要塞―――いるのだ。新一は幼馴染みの副官の方を振り向いてこう言った。

「蘭、オレたちの家に帰るぞ」


 四月は残酷極まる月である―――古代のある劇作家はそう言ったが、宇宙暦七九八年の四月は、イゼルローン要塞の将兵にとって苦難に満ちた月となった。司令官不在で、巨大な敵軍を相手に孤立無援の戦闘を強いられたのである。
あの時は工藤くんが不在で誰もが不安であったが、帰ってくるまで保ち堪えねば助かる、と、いう認識があった。工藤くんの留守を狙って侵攻して来た帝国軍に対しての怒りは皆無に等しく、むしろ政府に対しての怒りが強かった―――後に渉が新一にこう語った。
 兵士たちは政府を罵っていれば良いが、高級士官たちはそうはいかなかった。
新一不在の間、司令官代理を務めるのは要塞事務監の阿笠志保少将で、これに要塞防御指揮官の京極真少将、参謀長の白馬探少将、駐留機動艦隊副司令官の佐藤美和子少将、分艦隊司令の高木渉少将、服部平次少将及び黒羽快斗少将、副参謀長の小泉紅子准将―――これらの人々が指導グループを構成する。
同じ階級の者が多く、集団指導形式を取らざるを得ない一面もあった。司令官代理の志保にしたところで、少将の中での最先任者であるに過ぎない。
 つまり、イゼルローン要塞では新一の存在が際立った高峰の位置にあり、他の高級士官たちは周囲を取り巻く二段低い連山、と、言ったところである。ナンバー2がいないのであり、銀河帝国軍のオーベルシュタイン上級大将がこれを知れば、組織としては結構な事だ、と、言うであろう。
今一つ微妙な問題は、司令官顧問であり“客員提督(ゲスト・アドミラル)”と呼ばれているメルカッツの存在である。彼は銀河帝国軍にいた当時は上級大将であったが、内戦に敗れて亡命した後は中将待遇ある。
二階級下がったワケだが、現在の同盟軍には元帥がおらず、上級大将という階級は元々無く、統合作戦本部長のクブルスリーでも大将に留まっているので、亡命者に対してそれと同じ階級を与えるというワケにはいかなかったのだ。
 しかし、中将としても、その階級は志保たちより上なのである。新一が不在の時、彼が自分の階級を持ち出して、それに相応(ふさわ)しい権限を要求したりすれば、組織が混乱する事は必至だった。
だが、メルカッツは、新参の客将で、しかも亡命者、と、いう自己の立場を良く弁(わきま)えており、常に控えめに振る舞い、意見を求められぬ限り、自分から何事かに口を差し挟むという事をしなかった。
 メルカッツの副官ベルンハルト・フォン・シュナイダーには、それが多少物足りない。彼はメルカッツに同盟への亡命を勧めた青年で、帝国軍当時の階級は少佐であった。現在は大尉待遇である。
彼は、上官が二階級下がったのだから自分も二階級下がって中尉になる、と、主張したのだが、新一に、この辺りでどうです、と、言われたのだった。同盟軍の若き名将としては、シュナイダーまで降等する必要を認めなかったのだが、相手の潔癖さ、あるいは頑固さに敬意を表して一階級の降等で妥協を求めたのである。
シュナイダーにしてみれば、メルカッツに亡命を勧めたのは、平凡で安穏な生活を送らせるためではなく、軍人として意義のある仕事をしてもらいたかったからで、もっと積極的になっても良いのに、と、思うのだ。
その一方で亡命の客将に対して司令官は甘過ぎる―――と、見る美和子、渉のような立場もあるワケで、新一が不在の間、イゼルローンの集団指導体制が十全に機能出来るかどうか、不安なし、と、しないのだった。

「四週間。四週間耐えれば、工藤くんが帰って来るわ」

 志保は強調した。自分自身を含めて、将兵を鼓舞するには、これしかなかった。彼女は行政処理の達人としては上下の信頼が厚いが、危機に際しての実戦指揮官としての評価とはまた別である。
今一つ志保が強調したのは、新一が不在である事を、敵に知られてはならない、と、言う事であった。これを知られれば、敵はかさにかかって攻勢を強化するであろうし、最悪の場合、新一の帰路を阻んで彼を捕虜にする、という手段に訴えるかも知れない。

「基本方針は、工藤司令官の帰還までイゼルローンを守り抜く事。戦術的には防御を中心とし、敵の攻勢に随時対応する・・・これしかないわ」

 会議室で志保が言うと、幕僚たちは顔を見合わせた。独創性と積極性に欠ける事が不満ではあるが、他に選択の余地がない、と、いう事も事実である。

「防御に専念する事は結構だけど、あまりに消極的だと、かえって敵の疑惑を招く事になるんじゃないかしら?」

 美和子がそう言うと、探が応じた。

「それはそれで、工藤司令官の策略かも知れない、と、敵に思わせる事も出来ます」
「出来なければ?」
「その時は、苦労して占領したイゼルローン要塞が、また帝国の所有物になるだけです」 

 美和子が何か言おうとした時、園子から連絡が入った。帝国軍の要塞から通信が送られてきた、と、いうのである。
一瞬、眉を動かした志保だったが、同調(シンクロ)する事を命じて、幕僚たちと共に中央指令室に移った。
サブスクリーンの一つが受信用に切り換えられ、帝国軍提督の軍服を着た男の姿が現れた。線の太い、堂々とした印象を与える壮年の将官である。

『叛乱軍、いや、同盟軍の諸君。小官は銀河帝国軍イゼルローン要塞攻略部隊司令官のケンプ大将です。戦火を交えるにあたり、卿等に挨拶をしたい、と、思ったのです。出来れば降伏して頂きたいが、そうもいかんでしょう。卿等の武運を祈ります』
「古風ですが、堂々たるものですね」

 真がそう呟いた。カール・グスタフ・ケンプの花崗岩のような風格は、歴戦の勇将、輝かしい武勲の所有者である事を全身で証明している。
イゼルローンの幕僚たちがケンプのような風格を持つようになるには、もっと戦闘の場数を経験しなければならないだろう。実際のところ、新一を始めとする要塞の主要幕僚たちはメルカッツと比べると、彼の幕僚にしか見えない。


「イゼルローン要塞からの返信無し」

 通信士官の報告にケンプは頷いた。

「些(いささ)か残念だな。工藤新一という男の顔を見てみたかったが、やはり武人は武人らしく実力で挨拶すべきだな」

 イゼルローンからの返信がなかったのは、新一が不在である事を知られたくなかったのだが、そこまで洞察するのは不可能だった。

「“禿鷹の鉤爪(ガイエス・ハーケン)”、エネルギー充填!」

 ケンプが腹の底に響く声で指令を下す。
“禿鷹の城(ガイエスブルグ)”要塞の主砲である“禿鷹の鉤爪”は、硬X線ビーム砲である。ビームの波長は一〇〇オングストローム、出力は七億四〇〇〇メガワットに達し、一撃で巨大戦艦を蒸発せしめる。
エネルギー表示盤が、ホワイトからイエローへ、イエローからオレンジへと変色していき、エネルギー充填完了、と、砲術士官が告げると、ケンプは力強く命令を発した。

「撃て(ファイエル)!!」

 命令と同時に、複数の指がスイッチを押すと、一ダースを数える白熱した光の棒が“禿鷹の城”からイゼルローンへ向かって伸びた。
それは周体としか見えないほどの充実した質感を有し、六〇万キロの距離を二秒で征服して、同盟軍要塞の壁面に突き刺さった。


 エネルギー中和磁場は無力だった。
鏡面処理を施された超硬度鋼と結晶繊維とスーパーセラミックとの四重複合装甲は、数秒間の抵抗の後、敗北した。ビームは要塞の外壁を貫通して内部に達し、周辺の空間そのものを極短時間に燃焼させたのである。
爆発が生じ、地震に似た激しい振動と轟音が内部からイゼルローン全体を揺るがし、中央指令室の要員は総立ちになった。なかには立ち上がり損ねて転倒した者もいる。緊急事態を告げるブザーがけたたましく鳴り響く。

「あ、RU77ブロック破損!」

 恵子が声を僅かに震わせながら叫んだ。

「被害を至急調査!それと負傷者の救出を急いで!!」

 志保が立ち上がったまま指示を出すが、主任オペレーターによって指示を遮られてしまった。

「ブロック内・・・せ、生命反応無し!」
「そ、そんな・・・あの区画には四〇〇〇名近い兵士が詰めていたはずよ?」

 紅子の疑問に答える園子の声は蒼白状態だった。

「間違いないわ、全員戦死・・・外壁の修復及び破損ブロックの修理は現時点では不可能ね」
「やむを得ないわ・・RU77ブロックは閉鎖。外壁に面する戦闘員総員に宇宙服の着用、そして非戦闘員に対して外壁に面した区画への立ち入り禁止を命じます。至急、手配して!」

 指示を出す志保の元へ真が足早に歩み寄ってきた。

「司令官代理、反撃はどうしますか?」
「反撃ですって?」
「このまま座して相手の第二撃を待つより、こちらも反撃の一手を加えておく方がよろしいかと思いますが」
「あなたも今のを見たでしょう?双方で主砲を撃ち合えば共倒れになってしまうわ」
「このまま主砲同士を撃ち合えば共倒れの可能性もあります。しかし、その恐怖を帝国軍に教える事によって、相手もうかつに主砲を撃てなくなるでしょう。双方が手詰まりになれば、時間を稼ぐ事にもなります」

 要塞防御指揮官として、要塞内の防御システムの構築、要塞主砲“雷神の鉄鎚(トールハンマー)”と駐留機動艦隊との連係などに取り組んできた真の言葉には重みがある。

「京極少将の言うとおりね・・・“雷神の鉄鎚”砲撃用意!」

 同期生の言葉に正しさを見いだした志保は、即座に射撃オペレーターに指示を出した。
“雷神の鉄鎚”と称されるイゼルローン要塞の主砲は出力九億二四〇〇万メガワットであり、“禿鷲の掻爪”の主砲出力七億四〇〇〇万メガワットを上回る。
 かつて要塞が帝国軍の手中にあった際、同盟軍は大艦隊を擁して六度の要塞攻略を敢行したが、その度に多数の艦艇と将兵を失い、帝国軍をして、イゼルローン回廊は叛乱軍将兵の死屍をもって舗装されたり、と、豪語させたものである。

「エネルギー充填完了!狙点固定!!」

 園子の声に頷いた志保は唾を呑み、射撃命令を出した。

「撃て(ファイヤー)!」

 今度はイゼルローンから“禿鷹の城”に向かって、巨大な円柱がそびえ立った。それはエネルギー中和磁場と複合装甲を紙のように突き破り、内部で爆発を引き起こした。
白い光の泡がわき出すのを、イゼルローンの人々はスクリーンの中に見出した。その光の泡は戦艦数十隻の爆発に匹敵するエネルギーの怒濤であり、その瞬間に“禿鷹の城”においても、数千の生命が失われたのである。




続く





注:「銀河英雄伝説」は田中芳樹先生、「名探偵コナン」「まじっく快斗」は青山剛昌先生の著作物です。


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