銀河探偵伝説



By 槇野知宏様



(5)



 慰霊祭会場から出てきた三人は、背後のドアが完全に閉まる音を鼓膜で確認すると、それぞれ大きく腕や背筋を伸ばす。

「アイツの煽動演説を聞くのは徹夜以上の苦痛だな。精神的苦痛に対する損害賠償を請求したいくらいだぜ」
「あの御仁と同じ場所で同じ空気を吸っていたと思ったら息苦しいものがありますね」
「ホンマ、二人の言うとおりやで。あんボケの声聞いとったらストレスが溜まるっちゅうねん」

周りに人がいない事を良い事に、散々と壇上で自己陶酔に浸ってたお偉いさんに対する愚痴を零す三人であった。
これからどうするか、と男三人で相談してた時、彼らの正面に腹痛で医務室へ行ったはずの快斗が壁に寄りかかって片手を上げている。

「おや、黒羽くんじゃないですか?お腹の具合は大丈夫なんですか?」
「国防委員長の有り難くもない言葉を拝聴すると、腹の調子がおかしくなるんですよ、京極さん・・・そういう皆さんは?」
「オメーと同じだ。アイツの声を聞いてたらアスターテで負傷したところが痛むんだよ」

新一がアスターテで負傷したと言っても、軽度の掠り傷と打ち身だけである。別に病院へ行って治療する必要のないレヴェルであり、既に傷やアザも治りつつあった。

「オレと京極ハンは工藤ん付き添い・・・で、快ちゃんはこんなトコでどないしたんや?」
「オレ?そろそろ国防委員長の鳥肌立つような演説に我慢出来なくなった三人が出て来る、と、思って待ってたんだよ」

四人で目を見合わせて笑うと、そのまま統合作戦本部ビルの出入り口に足を進める。
本来なら、それぞれのお相手の元に行くのだが、肝心の彼女たちは仲良くショッピングの最中である事を四人は知っていた。
携帯電話で呼び出す事を考えなかったワケではないが、式典を抜け出した事がバレれば確実に折檻が―――特に宙雷戦隊の双璧―――待っている。
その結果、男四人は喫茶店で時間を潰す羽目になったのは言うまでもない。



 新一がベイカー街二丁目二一番地にある自分の官舎に帰ってきた時、腕時計の針は一八時を指していた。
手入れが悪く広いだけの芝生を横断し、識別装置を備えた門扉が過重労働に対する不平を鳴らしながら官舎の主人を迎え入れる。

「お帰り、新一。ご飯出来ているわよ」
「ただいま、蘭」

ポーチから姿を見せた蘭がそう言って新一を出迎える。
新一が式典用に被っていた軍用ベレーを壁のフックに引っ掛けて、首に巻いているスカーフと着ていたジャンバーを蘭に手渡した時、彼女が自分に顔を向けた。
怒っているようで呆れているような幼馴染みの表情を見て取った新一は、今日の式典での事が蘭に知れている事を悟った。

「新一。服部くんと黒羽くん、京極さんの四人で式典を抜け出したって聞いたけど、ホントなの?」
「そーいう事もあったけど、誰に聞いたんだよ?」
「国防委員長が演説をしている最中に堂々と会場から出て行ったって、志保さんからTV電話(ヴィジフォン)が掛かって来ました」

蘭に余計な事を言うなよ、と、呟いて新一は苦笑した。彼女は式典の時に本部長と共に壇上にいたので、四人の行動は手を取るように分かったのである。

「式典から抜け出したのはオレたちだけじゃねーよ。高木准将や白馬たちも抜け出したんだぜ?」
「言い訳は言わないの。新一が慰霊祭を抜け出した事には変わりないじゃない」

こう言われたら何も言えるワケがない。真はともかく、他の二人はそれぞれのお相手から詰め寄られているであろう。
実際、平次と快斗は余計な反論をしたため、それぞれのお相手から愛用の獲物でツッ込まれていたのは歴とした事実であったが。


「今日、園子たちと買い物に行ったら、街頭テレビに帝国軍のローエングラム伯が映ってたわ」
「どうせ園子と桃井さんが大騒ぎしたんだろ?」
「園子ったら、同盟の中では真さんが良いけど、帝国はローエングラム伯よね、って、言ってたわ」
「アイツらしいな・・・で、ローエングラム伯を映像で見てどう思った?」

蘭が口にした話題に新一はカツレツを切っていたナイフを止めた。

「表情を見てたら冷静を通り越して冷たいって感じだったわ・・・新一、お水のお代わりどうする?」
「いや、良い」

申し出を断ってカツレツを口に放り込みながら新一は金髪の帝国軍人について考えてみた。用兵に関しては同盟軍各級指揮官が驚愕するほど芸術的で洗練されたものばかりである。
一方、顔に至っては統合作戦本部や後方勤務本部で勤務している女性兵士たちの人気は高く、同盟軍の士官の中で彼に匹敵する人気を持っているのは、自分と他五名くらいなものだ。

「で、蘭はオレとローエングラム伯のどっちがハンサムだと思う?」

新一よ、と、蘭は答え、その理由を聞かれた彼女はこう答えた。

「映像でしか見た事のない人より、いつも見ている新一の方が良いに決まってるじゃない」

なかなか良い雰囲気となって、新一が何事かを言おうとした時、神経質な機械音と共に防犯システムの赤いランプが点滅した。
すぐさまモニターのスイッチを入れると、画面にはフルフェイスのマスク、軍から払い下げた濃緑色の軍服に身を包んだ大勢の人影が映っている。

「憂国騎士団!」
「トリューニヒトのヤツ、飼い犬を出してきやがったか」

憂国騎士団は過激な国家主義者たちの巣窟として同盟内で知られている政治団体で、帝国打倒の街宣運動はもとより反国家的、反戦的な言動をする団体や個人に対する暴力事件などで有名になっている。
表向きは右翼系政治団体なのだが、裏を返せばトリューニヒト国防委員長の私兵集団である、との噂が公然と流れている。

「それって今日の慰霊祭の事?」
「確実にそうだろうな。よりによって蘭がいる時に・・・くそっ」

蘭を危険に巻き込んだ事への後悔から唇を噛む新一を見つつ、蘭はモニターの隅に出ている数字を読んだ。

「新一、敷地内に侵入したのは二八人。あ、二人増えて三〇人」
『工藤准将!!』

拡声器を通したダミ声が特殊ガラスを僅かに震わせる。

「何だよ?」

幼馴染みと過ごす楽しい時間、彼女を巻き込んでしまった自分に対する不甲斐なさを織り交ぜた声を新一は吐き捨てたが、その声が屋外へ聞こえる事はなかった。

『我々は真に国を愛する憂国騎士団である。我々は君を弾劾しなければならない。戦功にに驕ったか、君は軍の意思統一を乱し、戦意を損なう行動を示した。身に覚えがあるだろう』
『工藤准将、君は神聖な慰霊祭を侮辱した。参列者全員が国防委員長の熱弁に応えて帝国打倒を誓ったのに、君はただ一人席を立たず全国民の決意を嘲弄する態度をとった・・・その傲慢な態度を弾劾する』
『主張する事があるなら我々の前に出てきたまえ。言っておくが治安当局への連絡は無益だぞ。我々には通報システムを攪乱する方法がある』

やっぱり噂は本当だったな、と、新一は納得した。憂国騎士団の背後には愛国者を自称するトリューニヒト氏が控えておいでらしい。

「この周辺は佐官以上の士官が大勢居住しているのに、何で誰も出てこないのかしら?」
「今、外で騒音を撒き散らしてる連中の背後には国防委員長閣下が控えているんだ。それを知ってるから余計な手を出したくねえんだよ」

外から苛立たしげな声が響いて、二人の会話を中止させた。

『・・・出てこないのか?少しは恥じる心があるにせよ、我々の前に出て明言しない限り君の誠意を認める事は出来ない』

傲然とした物言いに新一は舌打ちをして立ち上がりかけたが、じっと自分を見つめている幼馴染みの視線を受けて思いとどまった。

「たった一人で、しかも素手で三〇人相手にケンカする・・・京極さんなら可能だけど、オレには無理だな」
「当たり前でしょ!」
「ここに服部、黒羽、白馬がいればアイツら全員を叩きのめすんだけどな」
「そう言えば士官学校の時に四人で上級生二〇人相手に大乱闘をしたんだっけ?」
「ああ。下級生のクセに生意気だ、と、いう下らねえ理由で呼び出されて、逆に返り討ちにしてやったっけな」

懐古話に花を咲かせていた時、特殊ガラスの窓に音高く亀裂が走った。この特殊ガラスが投石程度で割れる事はない。
次の瞬間、人の頭ほどの金属製の球体が室内に飛び込んでくると、壁に激突し、重い音を立てて床に転がった。

「蘭、急いでソファの蔭に隠れろっ!」

新一が蘭を抱き上げてソファの蔭に飛び込むと同時に、金属球が勢いよく幾つかの塊に分裂して八方に飛ぶ。
非音楽的な騒音が室内の各所で発生し、照明や食器、椅子などが一瞬でがらくたと化してしまった。
ソファの蔭に避難した二人は唖然とした。憂国騎士団は擲弾筒を使用して非火薬性の砲弾を撃ち込んできたのだ。

「新一、今の何?」
「工兵隊や白兵戦部隊などが建造物を破壊するための爆弾さ。脅し目的で破壊レベルを最低にしてたからこの程度の損害で済んだんだろう」
「じゃあ破壊レベルが最大だったら?」
「オレたちは今頃、瓦礫の下敷きになって仲良くあの世行き・・・想像したくもねえけどよ」

何故、一民間右翼団体が軍用品である擲弾筒を所持しているのか?そんな事を考えた新一だったが、それしかねえか、と、呟く。
飼い主が国防委員長なので、彼が一言言えば軍の倉庫に眠ってあるヤツを密かに流して貰う事は簡単な事であり、帳簿等には廃棄や使用済みなどと適当な理由を書けば済む。
これだから飼い犬連中はタチが悪過ぎる、と、思った新一は、ある事を思いついてホームコンピューターの操作を始めた。

「新一、何しているの?」
「ああいう無礼な連中は身体で礼儀を覚えてもらおう、と、思ってさ」
『どうした、何か言ったらどうた。返答がなければもう一度・・・』

かさにかかった屋外からの声が、突然、甲高い悲鳴に取って代わった。
最高水圧にセットされた消火用散水器が、太い水の柱を一斉に憂国騎士団たちに叩き付けたのである。消火用の水で最大水圧であるから直撃すると相当に痛い。
彼らは急な豪雨に遭遇したかのように彼らは全身を濡らし、水流の直撃を受け、吹き飛ばされたり、痛みでのたうち回りながら右往左往しながら逃げまどう。

「オレはやられたら相応の利子を付けて返す主義なんでね。これを期に自重という単語を覚えろっつーの」

そう独語した時、警察と消防車両のサイレンが遠方から聞こえてきた。
騒ぎを耳目にした近所の住民が連絡したのだろうと思いつつ、それが誰なのかは朧気ながら気づいている新一であった。



 サイレン音を聞いて憂国騎士団は早々に退散するのと入れ違いに到着した警察官が、憂国騎士団を熱烈な愛国者集団である、と、言ったものだから新一の機嫌が一気に悪くなる。

「夜に他人の家へ押し掛けて騒音を撒き散らした挙げ句、爆発物を爆発させるのが愛国者のやる事ですか?愛国者の名を借りたテロリスト集団と同じじゃないですか?」

論破された警察官が冷や汗をかきながら退散したのを見計らって、新一は自分の後方に一歩下がっていた蘭に声をかけた。

「蘭、ケガはしてないか?」
「私は大丈夫だけど、新一こそ大丈夫なの?」

オレは大丈夫だ、と、言いかけた新一は、野次馬の中に見知った顔を視認した。恐らく、いや確実にこの男女が警察に連絡したのだろう。
新一の視線に気付いた二人が新一と蘭に近づいてきた時、蘭が声を上げた。

「お父さんとお母さん・・・一体、どうしたの?」
「あなたたちの事が心配で様子を見に来たに決まってるでしょ。新一くん。何故、憂国騎士団が動いたか説明して貰うわよ?」

蘭に話した事と同じ内容を英理と小五郎に話す羽目になった新一だったが、話し終わって真っ先に口を開いたのは小五郎であった。

「オメーなあ・・・嫌でも立って手を叩いていれば、国防委員長も喜んで済む話だったんだぞ?」
「じゃあ毛利大佐は慰霊祭に行かれて、国防委員長の有り難い戯れ言を拝聴して拍手されたんですか?」
「この人は昔から政治業者が嫌いなのよ。今日も仮病というより二日酔いで欠席・・・全く高級士官のくせに何を考えてるんだか」

新一に説教したにも関わらず、妻の容赦ない逆撃を受けた夫は何も言い返す事が出来ず、舌打ちをして不機嫌な表情を浮かべた。
昔から変わらないんだから、と、英理が苦笑しながら言ったものだから、言われた方はますます不機嫌になり、帰る、と、吐き捨ててその場から立ち去ろうとしたが、新一の方に振り向く。

「新一、オメーも今回の件であの口先だけのキツネ野郎に睨まれた事は確かだ・・・それだけは覚悟しとけよ?」
「国防委員長に睨まれるですか・・・向こうがバカな事をしない限りオレは放置しますよ」

一端言葉を切り、再度口を開いた新一の声は淡々としながらも全てを凍らせる何かを含んでいた。

「オレ・・・いや、蘭とオレに関わる全ての事に土足で上がり込む連中は叩き潰します。例え相手が誰であろうと容赦なく、徹底的に」

普通の人間なら、その言葉で全身が機能停止状態に追い込まれたであろうが、小五郎は何も感じなかった、と、いうより、コイツならやりかねない、と、思っただけである。
そういう覚悟があるなら何も言わねえ、と、言いつつ、今のセリフは我ながら格好良いぜ、と、内心で自画自賛していた諜報のプロだったが、誰かの携帯電話の着信音が鳴り響いたものだから再度舌打ちをする羽目になった。
音のする方へ視線を向けると、娘の幼馴染みが携帯電話を片手に何事かを喋っており、小五郎は電話を掛けてきた相手に対して心の中で悪態を吐きまくった。
一方、電話を受けた方は掛けてきた相手―――阿笠志保少将―――の言葉を聞いて、瞳と眉付近に不審の色を浮かべる。

『工藤くん、悪いけど今から統合作戦本部へ出頭してもらえる?迎えの地上車(ランドカー)があと一〇分ほどであなたの官舎に到着するから』
「おい、今からか?」
『統合作戦本部長直々のご命令よ』
「本部長がオレに何の用だ?まさか今日の式典の事じゃねえだろーな?」

新一の言葉を聞いた蘭は僅かに身体を強ばらせたが、すぐさま官舎の中へと向かった。

『私に分かるのは急を要する、と、いう事だけ。まあ式典の事じゃないから安心なさい』

要件だけを告げて志保が通話を終わらせると、新一は携帯電話をスラックスのポケットに突っ込みながら、まったく忙し過ぎる一日だぜ、と、独語して髪の毛を掻き回す。

「話を聞いてたんだが、本部長閣下からの呼び出しとは尋常じゃねーな?」
「オレもそう思います。式典の事で呼び出すには遅過ぎる時間帯ですからね」
「国防委員長が統合作戦本部長に直接圧力を掛けた、と、いう事もあるんじゃないかしら?」
「それを考えでもなかったんですが、電話して来たのは本部長の次席副官ですからね・・・ありがとな、蘭」

小五郎と英理の質問に答えながら、しっかりと彼女の方を見てジャンバーと艦隊識別帽(スコードロンハット)を受け取り、着ている最中に迎えの車が到着した。
車に向かって歩き出そうとした新一は一端足を止めて蘭に視線を向けた。

「下手すれば帰りが遅くなる。オメーを送って行けねえのは残念だけどな」
「そんな事より部屋の中はどうするのよ?何だったら私が片付けておくけど?」
「いいさ、別に。明日になったら服部、黒羽を呼び出して三人でやるからさ」
「部屋が片付くどころか、逆に散らかるのがお約束と思うんだけどね」

人前で堂々とラブラブな会話を続けている二人を見て、真っ先に口を動かしたのは彼女の父親である。

「新一、迎えの車を待たせんじゃねえ。オメーは本部長閣下を待たせるつもりか?」

小五郎の口調は不機嫌そのものであったため、新一は軽く溜息を吐いて車の後部座席に乗り込もうとした時、幼馴染みへ視線を向ける。

「蘭、今日はゴメンな。この埋め合わせは必ずするからさ」

何か言おうとした蘭だったが、その時には既に地上車は発車しようとする直前だった。
車内の新一がこちらを振り向いて手を振ってる事に気付いた蘭は彼と同じ行動を取り、車が夜の帳の中へ溶け込むまでその場から動こうとしなかった。



 自由惑星同盟軍統合作戦本部長を務める服部平蔵元帥は一八〇センチ近い身長と筋骨たくましい体格を持つ壮年の軍人である。
軍隊組織の管理者として、また戦略と戦術の両面において堅実な用兵ぶりを有し、風格漂う剛毅さと謹言実直な人格に信望が厚かった。
国防委員長みたく派手な人気こそないものの、将兵や支持者などから“鬼の平蔵”と呼ばれるくらい支持層は厚く広い。
統合作戦本部長は制服軍人の最高峰であり、戦時においては同盟軍最高司令長官代理の称号を与えられる。最高司令官は自由惑星同盟の元首たる最高評議会議長であり、その下で防委員長が軍政、統合作戦本部長が軍令を担当する。
残念な事に自由惑星同盟において、この両者の仲は必ずしも良くはない。軍令と軍政の責任者は互いに協力し合わなければならず、そうでなければ軍隊組織の運用に弊害を生ずる事になるのだ。
しかし、性格が合わない、見るだけで虫酸が走る、と、いう事実が存在するのは確かな事であり、トリューニヒト氏と服部平蔵氏の関係はよく言って武装中立というところである。
 
「工藤准将、入ります」
「待っとったで、工藤くん」

本部長執務室に入った新一を平蔵はそう言って出迎えた。彼は新一が士官学校一年生だった頃の校長であり、アスターテで新一と共に勇戦した平次の実父でもある。

「座ってもええで、工藤少将」

執務机の前にあらかじめ設置された椅子に座るよう平蔵は言ったのだが、言葉に従おうとした新一は、少将、と、いう単語を聞いて腰を浮かした状態で目の前に座る本部長を見つめた。

「昇進・・・ですか?」
「そうや。正式な辞令交付は明日の事やが、君は少将に昇進するっちゅう事になりよった。こら内定やのうて決定や。もう座っても構へんで?」

促されて椅子に腰を下ろした新一に、何故昇進したのか、と平蔵が聞いてきたので昔の教え子は簡潔明瞭に、負けたからです、と答える。その返答を聞いた本部長の口元が僅かに緩む。

「君は昔とちっとも変わっとらへんな。温和な顔をしてんのにドキツイ事を言いよる。士官学校の時もそうやった」
「やたらと恩賞を与えるのは困窮している証拠だと古代の兵書にあります。今回も敗北から目を反らせる必要があったからではないのですか?」

平然とした表情で新一が言うと、平蔵は再び口元を緩ませた。
新一の言った事は確かに事実である。相手より二倍の兵力を有しておきながら逆に半数以上を失うという大敗北を被って政府や軍上層部は動揺している。
市民には帝国軍の侵攻を食い止めた、と、発表はしているが、相手がどれだけの数で侵攻して、こちらはこれだけの数で迎撃した、と、いう詳細データは公表していない。
しかし政府や軍の規制の網をかいくぐって真実が民間に流布しつつある現在、動揺を静めるには英雄の存在が必要不可欠である。

「エル・ファシル、ほんでアスターテ・・・君は不本意かも知れへんな。作られはった英雄になるんは」
「軍人は民間人を保護する責任を有しており、戦場において敗北に瀕している味方を一兵でも多く助ける。私は最低限の行動を示しただけに過ぎません」
「やけど君は昇進に相応しい功績を立てたのは事実や。にも関わらず昇進させんとあっては軍部(ウチ)も国防委員会も信賞必罰の実を問われる事になる」
「その国防委員会ですが、トリューニヒト国防委員長のご意向はどうなのですか?」
「一個人―――例え国防委員長であってもの意向はこの際、問題とちゃうんや。公人の立場ゆうものがある」

公人としての建て前はそうかも知れないが、私人としての本音が飼い犬連中に出動を命じたものと見える―――そう新一は考えた。

「話は変わるが、君が戦闘開始前に目暮中将に提出した作戦計画、あれが実行されとったら我が軍は勝てたと思うかね?」
「多分、勝てたと思います」

新一が控えめに答えると、平蔵は整えられた髭を親指の先で撫でた。

「やけど別の機会に、あの作戦計画を生かす事は可能とちゃうかね。その時にはローエングラム伯に対して勝てんねんやろ」
「それはローエングラム伯次第です。彼が今回の成功で驕り、再度少数の兵力で大軍に勝つという誘惑に抗えなかった時には、あの作戦計画が生かせると思います」

平蔵は言葉を切った新一に説明を続けるよう促すと、新一は自らの意見を披露した。少数の兵力で大軍を撃破する事は一見すると華麗に見えるが、戦術というより奇術の範疇に属する。
用兵の基本は敵より多い兵力を整えて運用する事であり、ローエングラム伯ほどの人物がそれを知らぬはずもない。次は同盟軍のそれを凌駕する圧倒的な兵力を率いて同盟領に侵攻してくるだろう、と。

「工藤くんの意見は正しいが、素人は君が言う奇術を喜ぶもんや。少数をもって多数に勝たな能無し、と、思っとるフシがあるさかいな。まして半数の敵に壊滅寸前まで追い込まれたとあっては話にもならへん」

本部長の顔に新一は苦悩の色が浮かんでいる事を見て取った。新一個人に対してはともかく、同盟軍全体に対して政府と市民の評価が厳しいものになるのは当然である。

「工藤くん。考えてみれば我が軍は、敵の二倍の兵力を投入するっちゅう用兵の根幹では間違(まちご)うてはおらん。それに関わらず惨敗したんは何でやろか?」
「兵数の多さに驕り、兵力の運用を誤ったからです」

返答は簡単であったが、要点は捉えていた。その後、アスターテ会戦の戦況や戦術的ミスなどを自らの言葉で説明していったが、新一は自分が多弁になっている事に気付く。
あの会戦もそうだが、今夜の憂国騎士団を称するならず者集団に官舎を襲撃された事で感情の高ぶりが多少出ただけかも知れない。

「君の見識はよう分かった。本部の作戦分析班も同じ内容の報告書を提出したんやが、君と違うトコは、その内容に相当毒が込められとった、と、いう点やな」

 苦笑交じりの平蔵の口から出た統合作戦本部作戦分析班の責任者が“絶対零度のカミソリ”と称される同期生である事を新一は知っており、白馬のヤツらしい、と、本部長に倣って苦笑する。
統合作戦本部作戦課作戦分析班長である白馬探准将の父親は平蔵の前任の統合作戦本部長というだけでなく、宇宙艦隊司令長官など軍の要職を勤め上げた人物であった。
そのため、探が前線等で功績を立てて昇進しても、所詮は親の七光り、と、いう陰口を叩かれていたのは事実だが、それを聞いて意気消沈するような人間ではない。
新一、平次、快斗、探の同期生四人と酒を飲んだ時に新一がその話題を振った事があったが、探は口元に冷笑を浮かべてこう言ったものである―――陰口を言う事しか出来ない輩の戯れ言は無視していますよ、と。
君たちもそうでしょう、と、スコッチウィスキーを喉に流し込んだ探に聞かれた三人はグラスに入ったワインやカクテルをそれぞれ胃に流し込んで答えたものだ。

「オレは白馬と同じ境遇やさかいな。たまたまオヤジが軍のお偉いサンだっただけの話や。こっちにはこっちの苦労があるっちゅうねん。それを知らんとアホ抜かす連中の気が知れへんわ」
「平ちゃん、落ち着きなって。そーいう連中がいくら吠えてもオレらみてーになれるワケねえんだからさ。誹謗中傷しか出来ねえ連中の戯言なんか、白馬と同じように無視すりゃ良いじゃん」
「有能な者が無能な連中に悪口を言われるのは昔からのお約束・・・有名税、出る杭は打たれる、って、ヤツだからな。他人に陰口叩くヒマがあるんだったら戦略戦術の勉強をしろっつーの」

 アルコール分を摂取していた事もあるだろうが、高級士官クラブで周囲の耳目すら無視して放言したのは確かな事実である。
その場に偶然居合わせた某提督によって、四人は九割からかい交じり、残り一割が真面目な説教を某提督の官舎で受けたのは公然の秘密であった。
本部長との真面目な会話から最近の出来事という全く関係ない事に思考が切り替わった事に新一は、やれやれ、と、思う。
軍隊という職業は同時期に入隊もしくは入校した人間との繋がり―――いわゆる同期の絆というものを重要視している。
教育機関にいる間は同期の絆が良い意味、悪い意味で幅を利かせているが、それも各部隊へ配属されると仕事や訓練、そして戦闘を繰り返していくうちに絆が薄れてくるのだ。
新一と同時期に士官学校へ入校した人数は男女合わせて約四、五〇〇名。その中の二割は戦死もしくは戦病死でこの世を去り、一割が諸般の事情等で軍を退役。
七割の人間は各部隊に分散して任務に就いているワケだが、この中で将官という地位にいるのは新一を含めた五名だけであり、残りは功績を立てて佐官に昇進した者と大尉という状態だ。
 現在、新一と親しい交友関係を築いているメンバーの大半は士官学校の同期もしくは上級生もしくは教官である。
幼馴染みの蘭と園子、そして士官学校で知り合った平次、快斗、探、和葉、青子、紅子、恵子の九名は同期生。
“薔薇の騎士(ローゼンリッター)”連隊を率いる真、平蔵の次席副官を務める志保は一学年上。アスターテで共に戦った渉は二年上、美和子に至っては士官学校時代の女子部指導官・兼・艦隊運用術教官。
同期生はともかく、士官学校時代の上級生、教官となれば部隊で顔を合わせようものなら、真っ先にすっ飛んで行って身体を固くして挨拶するものであるが、そういう関係と全く無縁なのた。

「工藤くん、どないしたんや?」
「・・・?!も、申し訳ありません。少し考え事をしていました」

平蔵の声に新一は思考の呪縛から抜け出す事に成功する。蘭や両親から日々指摘されているのだが、どうも考え込んでしまうと周囲が見渡せないらしい。
本部長に見られるくらいなら蘭に見られた方が良かった、と、不謹慎極まりない事を考えているところへ、平蔵がさりげない口調で重要な事を口にした。

「これも決定事項なんやが、軍の編成に一部変更が加えられる。第四、第六両艦隊を解隊して新たに第一三艦隊が新編されるんやが、君はその初代司令官に任命される」

通常、艦隊司令官は中将をもってその任に充て、少将となると艦隊参謀長か副司令官、分艦隊司令が妥当な線である。
その疑問を口にした時、本部長の執務机上にあるインターホンから冷静な女性―――朝と夜の二回、新一へ電話を掛けてきた志保の声が聞こえてきた。

「本部長、入室して宜しいでしょうか?」
「ああ、構わへんで」

平蔵の声と同時に本部長室の自動扉が開閉する圧縮音が聞こえ、志保が本部長室に入室してきたが、新一は一瞥する事無く正面を見据えている。
当の次席副官も新一を見ることなく上司である本部長と何事か話しているのだが、連絡、了承、と、いう単語がハッキリと聞こえる。
これは新一が五感を常に働かせている賜物であるが、聞こえてきた単語の意味を掴みかねていた。正面で密談(?)をする二人を凝視していると、平蔵と志保が同時に顔を上げた。

「本部長、お話はお済みでしょうか?」
「ちょうど終わったところや。君が言うた、艦隊司令官は中将を充てるのではないか、と、いう質問なんやが・・・阿笠くん、頼んだで」
「第一三艦隊は第四、第六両艦隊の残存兵力に新規兵力を加えた艦艇総数六四〇〇隻、兵員七〇万。通常艦隊の半数といったところね」

一個艦隊の半分程度の艦艇数であれば少将でも十分事足りるな、と、新一は思ったものだが、平蔵が雑談をするかのように発した言葉に興味を抱いた―――第一三艦隊の最初の任務はイゼルローン要塞の攻略である、と。

「寄せ集めの半個艦隊で、イゼルローンを攻略せよと仰るのですか?」
「他の人間からすれば絵空事かも知れへん。だが君やったら不可能を可能にする才幹に恵まれとる。だから言っとるんや」

上司から煽てられて有頂天となり、自己の才能では不可能な事を押し付けられた挙げ句、身を誤った人々は圧倒的に多い。これは人類史ば始まってから続く伝統である。
だが新一は平蔵の思惑を感知していた。前回のアスターテもそうだが、その直前の第三、四次ティアマト星域会戦、そして第六次イゼルローン要塞攻略戦と同盟軍は苦杯を舐め続けている。
戦略的にはイゼルローン周辺の各星系で帝国軍を食い止めている形なのだが、軍事知識を知らぬ乏しい人間から見れば負けっ放しと称してもおかしくない。
それ故に最高評議会や国防委員会からは平蔵を更迭する声が少なからず上がっている。特にトリューニヒト国防委員長などは自分の息が掛かっている人間を送り込みたいようだが、彼に匹敵する識見と人望を持つ人間がいないため、露骨に交替させる事が出来ないのだ。

「私が艦隊を率いてイゼルローンを攻略したら、国防委員長も才能を認めざるを得ないし、本部長の地位も強化される事になるワケですね?」
「その通りや。相変わらず工藤くんは勘働きがええな・・・」

苦笑めいた本部長の言葉尻の僅かな沈黙の中に新一は平蔵の苦衷を感じ取った。
事態は帝国に対する戦略ではなく、統合作戦本部長と国防委員長の政略の一部と化しており、それに巻き込んでしまった事への後悔である。
確か統合作戦本部長の任期はあと七〇日であり、平蔵が再任を狙う以上、それまでにイゼルローン攻略を完遂しなければならない。
トリューニヒトがこの人事や作戦に口を出す事はない。もともと寄せ集めの半個艦隊でイゼルローン攻略が出来るはずがないし、作戦が失敗すれば平蔵と新一を公然と排除する事が出来るからだ。
平蔵たちが墓穴を掘ってくれた、と、祝杯の一つでも挙げるかも知れないが、新一からすればその思惑を粉砕してやる自信は十分にある。

「本部長、イゼルローン攻略の件ですが私にお任せ下さい」
「そうか、やってくれるか」

新一の言葉に平蔵は頷いた後、立ち上がって元教え子に頭を下げた。

「若い君たちを政略に巻き込んでしまってスマンな。阿笠くんに命じて艦隊編成と装備を急がせよう。必要な物資等があれば彼女に注文してくれ。可能な限りの便宜はするさかいな」
「第一三艦隊の幕僚人事だけど、工藤くんには悪いけど本部長と私の独断で決めさせてもらったわ。今、艦隊副官に決定している士官がこっちに来てるけど、あなたに挨拶したいそうよ」

随分準備の良い事だな、と、呟いた新一だったが、志保に促されて本部長室に入室してきた人物を見て目を見開いた。
彼の目の前に立っているのは、先刻まで夕食を共にしていた幼馴染みの女性士官だったのである。

「毛利蘭大尉です。この度、第一三艦隊副官を命ぜられ、統合作戦本部作戦課作戦分析班より着任致します」

完璧なまでの挙手の敬礼および着任申告が彼女の挨拶であったが、新一は言葉が出せないくらい呆然としている。
その光景を見ていた志保はわざと咳払いをして、新任の艦隊司令官にこう言った―――新着任者が着任挨拶をしてるのに何も言わないつもりなの、と。
志保の声を受けて新一が蘭に発した言葉は、今後とも宜しく頼む、と、いう普通の言葉だった。
後輩のやりとりを見ていた志保は、もう少し気の利いた事が言えないのかしら、と、呟いて冊子が挟まったバインダーを新一に渡す。

「何だ、これは?」
「あなたが指揮する艦隊の幕僚から麾下艦艇部隊等のレポートよ」

志保に手渡されたレポートを読んでいた幼馴染みの目が次第に輝きを帯び始めた事に蘭は気付く。
短時間でレポートを読み終わった新一は手にしていたレポートをバインダーごと蘭に手渡すと、あらためて平蔵の方へ身体を向けた。

「何かね、工藤くん?」
「良い幕僚をつけて頂き感謝します。このメンバーであれば必ずイゼルローン要塞は陥落します」

瞳に不敵な光、そして口元には同様の笑みを浮かべた新一を見て平蔵は黙って頷いた。




続く





注:「銀河英雄伝説」は田中芳樹先生、「名探偵コナン」「まじっく快斗」は青山剛昌先生の著作物です。


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