銀河探偵伝説



By 槇野知宏様



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 バーラト星系第三惑星ハイネセンは、自由惑星同盟の首都ハイネセンポリスがある惑星だ。
ハイネセンポリスの中心から一〇〇キロ離れた地域は、自由惑星同盟軍統合作戦本部ビルを中心とした軍事中枢地区である。
その統合作戦本部ビルにある作戦分析班室に資料を持った一人の女性士官が部屋のドアの前に立っていた。

「情報部、小泉大佐。入ります」
「どうぞ」

自動ドアの空気圧縮音と共にドアが開くと、小泉紅子大佐は部屋の主である作戦分析班班長の白馬探准将に敬礼をする。

「先頃のアスターテ星域会戦後に第二、四、六艦隊から送付された戦闘詳報を持って参りました」
「ご苦労様です」

部屋には昼食時間という事で部屋にいる職員がおらず、二人だけしかいなかった。
そんな中、紅子から報告書を受け取って目を通していた探は短時間で紙の束を机の上に置く。
速読にしては速過ぎる、と、思った紅子は上官が冷笑を浮かべているのを確認し、その意味を彼女は悟った。

『何という無様な用兵をしたのでしょうね』

彼の口元に浮かんだ冷笑は、そう言って味方の無様さを笑っているのだ。

「作戦分析班長?」
「小泉大佐・・・いや、紅子さん。ここにいるのは二人だけですので、役職より名前で呼んで頂けませんか?」
「そうでしたわね。ごめんなさい、探さん」

顔の前で両手を組み合わせた探が上目遣いに薄茶色の瞳を向けると、紅子の顔に艶然とした笑みが浮かんだ。
机越しに紅い目で男を見ると、探の手が伸びて紅子の瞳と同色の前髪を指に絡めて軽く遊ぶ。その口元に浮かんでいたのは冷笑ではなく、アルカイック・スマイルと言われる柔和な笑みだった。

「さっきの冷笑、味方の無様さを笑っていらしたの?」
「あなたの言う通り、味方の・・・第二艦隊以外の艦隊の無為無策ぶりをね」
「その件については私がご説明しますわ」

そう言いながら卓上にある端末を操作すると、部屋の側面に設置してある巨大な三次元ディスプレイに、アスターテ星域会戦の配置図を天頂方向から俯瞰したCGが浮かび上がる。

「探さんは、この陣形を御存じ?」
「これはダゴン星域会戦で、リン・パオ、ユースフ・トパロウル両提督が帝国軍を包囲殲滅した陣形ですね」

 その配置図は新一が開戦直後に目暮中将以下の幕僚に披露したものと同一で、帝国軍が赤色の三角形、同盟軍が緑色のそれで示されている。
両軍には艦艇数が示されており、帝国軍二万に対して、前面に展開する第四艦隊が一万二〇〇〇隻、右の第六艦隊が一万三〇〇〇隻、そして左の第二艦隊が一万五〇〇〇隻で三方向から包囲する形を執っていた。

「敵に倍する兵力で包囲殲滅・・・用兵学上では当然の作戦だが、戦場では相手が理屈で動いてくれるわけがない」

探が紅子に次の操作を促し、彼女が端末を操作すると帝国軍の三角形が前面の同盟軍、そして右の同盟軍を撃砕していった。画面をいったん停止させ、探の方を見ると、彼は組んだ手で口元を覆ったまま画面を凝視している。

「ここまで見て、どう思われます?」
「帝国軍のラインハルト・フォン・ローエングラム上級大将の戦場における慧眼は賞賛に値しますねえ」
「この各個撃破戦法がですか?」

紅子の声に頷いた探は彼女に説明を始める。凡庸な指揮官であれば三方向から包囲された場合、用兵学の理論に従ってその場に踏みとどまって防御態勢をとるか、速やかに後退するかの二つしかない。
しかし包囲しようとする側の連係の悪さを見てとったラインハルトは、自軍から距離が近く数が少ない第四艦隊に急襲をかけて壊滅させ、更に同じ状況下の第六艦隊を後背から攻撃して全滅状態に追い込む。

「第四艦隊は前衛部隊の一部が交戦を開始してからの総力戦用意。紅子さんの言葉を借りるなら“無様”の一言に尽きますね」
「第六艦隊は第四艦隊が派遣した駆逐艦から連絡があったにも関わらず、当初の予定に沿って行動し、その結果が帝国軍に後背を衝かれた挙げ句、その場回頭をして自滅・・・これはホントに無様ですわ」
「第二艦隊は第四艦隊が攻撃を受けていると判明した時点で、当初の予定を変更した・・・目暮提督も頑固なだけの軍人と思ったら、なかなか良い眼をしておられる」
「目暮提督が負傷されてから、艦隊の指揮を任された工藤くんの指揮ぶりは見事ですわ」
「あなたが他人を賞賛するのも珍しいですね。では彼が如何にして帝国軍の攻勢を凌いだか見せて下さい」

 紅子の細い指が端末を叩くと、ディスプレイには第二艦隊と帝国軍だけが相対している図だけが拡大される。
帝国軍が前進するたびに同盟軍は後退していく中で、帝国軍の陣形が紡錘陣形に替わり、同盟軍の中央部を浸食するかのように突破していく。
同盟軍の陣形が帝国軍によって完全に分断されたと思った途端、二手に分かれた同盟軍は敵の左右を逆進し、逆に後背部から襲いかかる。
後背を取られた帝国軍は高速前進をしながら右へ回頭し、同盟軍の後背を衝く。両軍の陣形が一つの輪になって暫くしたのち、タイミングを見計らって後退。

「以上がアスターテ星域会戦の全貌です」
「敵の中央突破戦法を逆手に取っての背面攻撃とは・・・さすがは我が期の首席(クラスヘッド)殿ですね。恐れ入りました」

三次元ディスプレイによる戦闘図を見終えた探はそう呟いて、士官学校を首席で卒業した同期生を賞賛する。
全軍崩壊・敗走しかねない危機的状況において冷静に戦況を把握し、敗北へ急落する味方を救出する事は並大抵の事ではない。
そして戦闘詳報には士官学校時代の同期生、先輩たちの名前が所々に記してあった。全員が軍内で三〇代未満で高位に出世した有能な指揮官群であるが、全員に共通する事は上官の受けが悪く、それ以上に部下からは相応の敬意を払われている事。
もっとも探本人、目の前にいる紅子、そして現在は統合作戦本部長の次席副官を務める先輩にも同じ事は言えるのだが。

「会戦が終結したのが昨日ですから、第二艦隊が帰還するのは二週間後。工藤くん、服部くん、そして黒羽くんあたりから、酒の一杯くらい奢れ、と、言われるのは目に見えますね」
「探さん。お酒の前に嫌な行事に参加しないといけなくってよ」
「儀典局主催の慰霊祭とは聞こえは良いが、裏を返せば煽動政治屋な国防委員長閣下の下品な政治運動ショーですか?」

二人の脳裏に浮かんだのは自由惑星同盟政府国防委員長ヨブ・トリューニヒトの顔。
長身と端整な眉目を有する四一歳の少壮政治家で、行動力に富んだ対帝国強硬主戦論者として知られている。彼を知る者の半数は雄弁家として称え、残りの半数は詭弁家として忌み嫌う。
現在、自由惑星同盟の元首たる最高評議会議長はロイヤル・サンフォード氏だが、彼は万事に先例主義を重んじる老政治家で精彩を欠くため、トリューニヒト氏は次代の指導者として脚光を浴びつつある存在だ。

「自己の栄達のために何でも利用する口先だけの男に、市民はどうして投票するのかしら?」
「それを理解しようとしない、理解出来ない盲信の輩が多いって事ですよ。さて、紅子さん」

探の声に紅子が彼の方に顔を向けると、再び彼の指が彼女の前髪に触れた。

「話は変わりますけど、遅めの昼食と今宵の夕食、ご一緒しませんか?」
「ええ、喜んでお受けしますわ」


 その頃、作戦分析班室の前に大尉の階級章を襟につけた五名の女性士官が終結していた。
作戦分析班所属の毛利蘭、遠山和葉、中森青子、そして情報分析課勤務の鈴木園子、桃井恵子の五名の大尉がその構成員である。
普通なら完全に密閉状態の部屋なのだが、ドアの調子が悪いらしく、僅かに隙間が開いた状態になっているのだ。
作戦分析班は作戦部に属し、機密文書などを扱う部署でもあるため、セキュリティシステムは最高ランクのものが装備されている。
僅かな故障といえ情報が流出する可能性は否定できず、作戦分析班長は作戦部長及び総務部長を経由して修理の要請をしている真っ最中。
現在、五名の大尉どのがドアの隙間から目撃しているのは、本部内で“絶対零度のカミソリ”“紅き魔女”と称される同期生二名のラヴシーン。
同期生にしては階級が離れ過ぎているが、新一を筆頭とする男性陣、そして紅子は前線での功績があるからこそ、現在の階級を手にしているだけの話だ。
もし彼らも後方の陸上部隊などに勤務していれば、蘭たちと同じ階級章を襟に付けていたであろう。

「うわっ。真っ昼間っから見せつけてくれるじゃないの」
「小泉さんと白馬くんって、士官学校の頃に比べると雰囲気が変わったよねえ」
「何か色気が出てきたって感じよね」
「蘭ちゃんの言う通りやわ。二人とも学校ん時から色気があったんやけどなぁ」
「そうだよね。でも、何でかなあ?」

 青子の言葉に頷く四人。ちなみに恵子を除いた四名の想い人はアスターテ星域から帰還途上である。
新一と蘭、平次と和葉、快斗と青子、真と園子。このカップルに先程から分析班室でイチャついている探と紅子、そしてアスターテから帰還途上の渉と美和子。
この六組が、同盟軍内でベストカップルと称されており、どのカップルが先に結婚するか、と、いう賭けが公然と行われている、との噂がある程だ。
もっとも和葉と青子の想い人二名は、他人からそう言われる度に、ただの幼馴染み、と、言い張っているが。

「あれ、どー見ても、私たちは行きつくトコまで行きました、って、感じがするんだけどさ」
「ああ、ただならぬしっぽりとした関係って噂?あれ見りゃ誰だって信じざるを得ないかもよ」
「ほえっ?!園子ちゃん、恵子、どー言う事?」
「小泉さんって元々から美人だけどさ、ここ最近は全身から艶が出てるって感じじゃない?」
「そうやね。同性のアタシが言うのも何やけど、すっごいキレイやわ」
「園子と和葉ちゃんの言う通りよね。髪をかき上げるという僅かな仕草でさえ色気があるし・・・」

 ここまで来ると噂好きの主婦が道端で井戸端会議をしているノリである。
ヒソヒソどころか結構大きい声で喋っている事に気付かない五名の耳に、入り口のドアが開く圧縮音が聞こえた。
その音に驚いた蘭たちがドアの方に顔を向けると、先程から自分たちが噂の種にしていた二名が自分たちを見つめている。
ドアに隙間が開いているという事は、室内にいる人間にも通路側の声が漏れ聞こえるのは当然の事だ。

「淑女たる方々が通路で、しかも大声で噂話とは好意に値しませんね。この件に関する紅子さんのご意見は?」
「無様ですわね」

苦笑混じりのセリフであったが、入り口付近にいた五名は固まった状態で、暫く顔を上げる事が出来なかった。



 朝日がハイネセンポリス一帯に降り注ぐ。
日差しの恩恵を高級士官や彼らの家族を対象とした住宅街も充分に受けていた。
そういった清々しい朝の光景に溶け込むかのように、蘭はベイカー街二丁目二一番地へ足を進めている。ちなみにその場所にある官舎の主の名は工藤新一といい、彼は寝室のベッドで惰眠を貪っている最中である。
新一の母親で元女優である有希子、そして蘭の母親で弁護士の英理。母親同士が高校時代からの親友であり、新一と蘭は子供の頃からの幼馴染みであった。
現在、有希子は夫で推理小説家の優作と共にハイネセン郊外に住んでいるが、新一が官舎で独り暮らしを始めた時に有希子は蘭に息子の身の回りの世話を頼んでいる。
子供の頃から実の息子同様、いやそれ以上に蘭を可愛がり、将来的には義理の娘にしようと考えている節があるらしい。
その件に関して英理は苦笑するだけだが、父親で軍の諜報部に勤務している小五郎は良い顔をしない。親バカの気がある小五郎としては、実の娘が例え幼馴染みとは言え、男と仲良くするのがお気に召さないのだ。

『新ちゃんなら大丈夫と思うんだけど、母親としては心配なのよねえ。小五郎くん、蘭ちゃんに新ちゃんの身の回りの世話を頼んでも良いかしら?』
『うーん、いくら有希ちゃんの頼みでもなあ。そいつはチョット・・・』
『あなた。蘭もいい年した大人なんだから、蘭が良いと言えば問題ないじゃない』
『・・・分かったよ。蘭が了承したらオレは何も言わねえよ』

元々、人が良い性格で有希子が高校時代の同級生という事情もあり、幼馴染みの妻と友人の提案を二つ返事で引き受けたのは他ならぬ自分である。
今日も娘が新一の家へ朝食の支度に出かけていく姿を新聞越しに見ながら、苦虫を噛み潰したような顔をしていたのを知っているのは英理だけであった。


 新一の官舎に着いた蘭は、彼から渡されているカードキーを使って室内に入る。

「おはよう。新一、起きてる?」

 そう言ったところで返事が返ってくる事は殆ど無いが、こういった律儀さが彼女の良いところであろう。
新一が出征中は週に一回、一昨日の朝は彼が帰還すると聞いて掃除を行っていたため、部屋の中は塵一つ落ちていない。
蘭がする事といえば窓のを開けて室内の換気をし、朝食の準備に取りかかるだけであった。朝食の準備が一段落した頃、蘭は幼馴染みを起こすため彼の寝室へ向かう。
そっと寝室のドアを開けて中を見ると、新一は寝室のベッドの中で未だ夢の世界の中の住人であった。
一昨日、アスターテ星域から敗残部隊を統率して帰還したはいいが、不眠不休で指揮を執り続けていたので官舎に辿り着くなり、そのままベッドに潜り込んでしまっていたのだ。

「新一、入るわよ?」

そう言って蘭は寝室に入りカーテンを開けると、カーテンに遮断されていた朝の日差しが寝室内に注ぎ込む。
しかしベッドの上で布団にくるまっている物体からは微かな寝息が聞こえるだけ。

「新一、朝よ。起きて」

幾度となく呼びかけるが、新一は僅かに体を動かしただけで、身体を揺する度に寝ている彼からはこんな声が帰ってくる。

「安眠妨害で訴えるぞ」
「起きてやるからデートしてくれ」

アスターテ星域会戦直後から“アスターテの英雄”“知将”とマスコミに騒がれ出している新一だが、これでは駄々をこねる子供と一緒である。

「もう新一ったら。毎回起こしに来る度に・・・和葉ちゃんと青子ちゃんも似たような事言ってたっけ」

そう呟いて蘭は呼吸を整えてから構えをとり、そして布団の上から新一のみぞおち付近に正拳突きを見舞う。
完全に入った瞬間、その痛みに新一が蘭の拳が直撃した箇所を押さえつつ、苦痛の呻き声を上げて跳ね起きた。

ほぼ同時刻、彼女の友人二名が幼馴染みを起こすのに同じような行動に出た事を蘭は知るよしもない。
一人は新一と同様に布団から出なかったため、フルスイング式のハリセン攻撃、もう一人に至ってはセクハラ行為を働いたため、モップによる制裁を受けていた。

「な、何するんだよっ!!!」
「新一が何度呼んでも起きないからでしょっ!」
「・・・あのな、オレが寝不足なのをオメーも知ってるだろ?」

新一はベッドの上で胡座をかいて、腹をさすりながら非難めいた視線を向ける。事実、アスターテから帰還する途上は僅かな仮眠を取っただけで、ずっと起きっぱなしだったのだ。

「一六時間も寝れば十分じゃない。今日は午後から慰霊祭があるから早めに起こしに来たのよ」
「慰霊祭だあ?戦死者や遺族すらを選挙のために利用するヤツが目立つだけの慰霊祭に行く必要はねえよ。二人で何処かに出かけようぜ?」
「高級士官がそういう事を言ってたら、部下に示しがつかないんじゃない?」

 新一が何か言おうとした時、居間からTV電話(ヴィジホン)の呼び出し音が鳴り響く。
やれやれ、と溜息を吐きながら、官舎の主は床に両足を下ろして、寝癖のついた髪を掻き回しながら居間に向かう。その前に蘭は用意していた熱いタオルを差し出した。

「ありがとな」

蘭に礼を言ってタオルで顔を拭き、TV電話のモニターの前に座ってスイッチを押すと、画面には統合作戦本部長次席副官を務める阿笠志保少将が映っていた。
紅茶色の髪をボブカットにしたこの女性は新一たちより一歳上の二五歳。デスクワークを得意とし、事務処理、企画調整、そして補給関係においては右に出る者なし、と、言われる若手の軍官僚である。

「工藤くん、おはよう。今日の慰霊祭の事、聞いているかしら?」
「ああ。今さっき蘭から聞いた。それがどうした?」
「朝から不快な事を言うけど“アスターテの英雄”の出席を命じる・・・本部長経由で国防委員長直々のお達しよ」
「“アスターテの英雄”ねえ・・・」

勝利した場合は何もしなくて良いが、逆の場合になると市民の目を敗戦の事実から逸らすための工作が行われる。
大損害を隠しての過大な戦果報告や新しい英雄をでっち上げるなどが常套手段であり、新一も過去にエル・ファシルにおいて同様の目に遭っていた。
あの時は守るべき民間人を見捨てて逃亡したエル・ファシル駐留部隊司令官アーサー・リンチ少将の愚行から目を逸らすためであるが。
今回の場合、結果的にはアスターテ星域への侵入を防いだものの、帝国軍より二倍の兵力を有しておきながら二個艦隊を壊滅させられるという惨敗から視線を逸らすためであった。

「しょっちゅう軍部の事に首を突っ込んでるくせに、今度は一個人の行動にまで口を出す気か?」

いつものポーカーフェイスに不機嫌という色が露骨に現れた新一だが、国防委員長の意図は完全に読んでいる。自分の政治運動ショーに新一を呼びつける事によって、ショーに箔をつけるのが目的なのは明白であった。

「・・・分かった。本部長に参加するって言っといてくれ」

そう言って新一が志保との会話を終わらせると、間髪入れずに蘭が彼の前に朝食を置いて彼の正面に座る。いくら志保が知り合いといえ、場をわきまえて姿を見せることなく朝食の支度をしていたのだ。

「志保さんも国防委員長の事が嫌いみたいね」
「マトモな神経を持ってる人間は、あのトリューニヒトを好きになるワケねえよ」

テーブルに置いてあるコーヒーを口に含むと程良い苦みが口の中に広がり、その苦さが脳を活性化させる。

「上司から、行け、と、言われたら行くけどさ、アイツの煽動演説を長々と拝聴するのを考えると・・・コイツは拷問だな」
「国防委員長の演説を聞いて拍手喝采を浴びせている人たちを見ていると、美辞麗句を並べただけの演説に何で喜んだりするんだろう、って、思うのよね」
「対帝国戦が一五〇年続いて政治経済だけでなく民衆も疲弊している時期だからこそ、トリューニヒトの話術に呑まれているだけさ。かつてルドルフ・フォン・ゴールデンバウムを盲信した民衆みたいにな」
「じゃあ新一はトリューニヒト氏がルドルフ大帝みたいな独裁者になると思ってるの?」

蘭の疑問に新一は首を横に振って否定する。国防委員長閣下は自分が手にした権力を濫用しているだけだ、と。
権力とは、他人を押さえつけ支配する力であり、支配者が被支配者に加える強制力である。
ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムは権力の使い方を誤って“神聖にして侵すべからずな皇帝”に成り下がったが、ヨブ・トリューニヒトは権力という名前の玩具で遊んでいる子供と一緒なのだ。

「ま、オレとしてはトリューニヒトの野郎より、蘭に支配される方が良いけどな」
「起こしに来てくれ、食事作ってくれ、キスしてくれ、と、言って、毎回のように私を支配しているのは誰かしら?」
「あれは支配じゃない。束縛って言うんだよ」
「どっちも似たようなものでしょ」

互いに顔を見合わせて笑うと、新一と蘭は久しぶりに二人きりの朝食を始めた。


 その日の午後、統合作戦本部の地下にある四層のフロアをぶち抜いた集会場でアスターテ星域会戦戦没者の慰霊祭が行われようとしていた。
その中にはヨブ・トリューニヒト国防委員長から強制的に呼び出された新一の姿もあったが、その顔は不機嫌そのものと言って良いだろう。
本来だったら蘭と甘い午後を過ごす予定だったのだが、トリューニヒト氏の余計な一声で予定が一瞬で崩壊してしまったので不機嫌になるのも当然である。

「快ちゃん、工藤のヤツ、相当機嫌が悪いんちゃうか?ま、姉ちゃんと久々にイチャつける思たら、これやから不機嫌になるわな」
「平ちゃん、工藤はトリューニヒトの野郎から直々に呼び出されたそうだぜ?いくら文民統制と言え、タチが悪過ぎるってーの」
「工藤くんだけでなく、ここに集まっている全ての軍人、遺族が国防委員長閣下の政治宣伝ショーの道具にされるの嫌な気分ですね」

新一と同じような事を考えていたらしい平次、快斗、真の三人が会話をしているが、彼らも全身から不機嫌なオーラを吹き出させており、彼らの周囲に座る他の軍人たちは居心地悪そうな表情を浮かべている。
一方、彼らより恵まれた環境下にいる四名―――渉、美和子、探、紅子は平静さを装っているものの、眉間のしわ、そして口元に浮かぶ冷笑などを見れば機嫌が良かろうはずがない。
こちらも本日の午後が空いていれば、お相手と甘い一時を過ごす予定だったのだ。いくら一緒とはいえ慰霊祭という場でそういう雰囲気に浸るのは少し無理があり過ぎる。

「戦場にいた人間として参加するのは当然なんですが、影の主催者が国防委員長ですからねえ」
「ホント高木くんの言う通りね。国防委員長がいなければ、少しは厳粛な式典になるんだけど」
「高木准将と佐藤准将も結構過激な事を仰いますわね」

そう言って紅子が紅い瞳を探の方に向けると、視線の先にいる男は何も言わず口元に冷笑を浮かべて前方を見つめている。壇上を見つめる彼の眼光が侮蔑の色を放っているのに気付いたのは探をよく知る人間だけであった。
場内では小さな声で雑談をする面々はいるものの、慰霊祭は型通りに進んでいく。官僚の作成した追悼文の原稿を棒読みしただけの感のあるサンフォード最高評議会議長が壇上から下りる。
そこへトリューニヒト国防委員長が演劇の主役のごとく颯爽と登場すると、場内の空気が一斉に熱を帯び、議長の時より多くの拍手が沸き起こった。彼は原稿を持たず張りのある声で会場にいる参列者に語りかけた。

「お集まりの市民、兵士諸君!今日、我々がこの場に集まった目的は何か?アスターテ星域で散華した一五〇万の英霊を慰めるためである。彼らはその尊い生命を祖国の自由と平和を守るために捧げたのである」

ここまでの演説を聴いて、新一は耳を塞ぎたくなった。聞いている方が恥ずかしくなるような美辞麗句を並べ立てている演説者は平然として、自らの演説に酔っているようだ。
新一だけでなく彼の同期生や先輩も同じ考えを持っていたようで、真っ先に行動で示したの快斗であった。

「相変わらず鳥肌が立つような事を平然と言ってやがるぜ」

そう呟くとジャンパーのポケットから耳栓を取り出して耳に装着したものである。

「何や、快ちゃん。準備がええなぁ」
「平ちゃん、何ならこれやるよ」
「おっ、こりゃええモン貰うたわ。耳栓よりは声は聞こえやすいんが難点やが、壇上にいるアホの声を直(ちょく)で聞くよりマシやな」

平次が快斗から受け取った物は脱脂綿であった。さっそく耳に詰め込もうとすると後ろの席から真が手を差し出す。

「京極ハンも欲しいんでっか?」
「服部くんの言う通り、委員長の恥ずかしい演説を直(じか)に聞く気にはならないですからね」
「京極ハンも言いよるなぁ」

そう言って苦笑すると平次は真に脱脂綿を分けてやるが、その光景を後ろから見ていた探は苦笑する。

「あの男の聞くに耐えない演説を拝聴しない方法はただ一つ。この場から撤退するだけなんですがねえ」

探からすれば耳栓や脱脂綿を使用すると言う事は、この場にいる、と、いう意思表示をしているようなものであって、聞きたくなければ席を外せば良いだけの話なのだ。
壇上を一瞥してから立ち上がろうとした探を紅子が目線で止めるが、彼の目の奥に宿る光を確認すると苦笑しながら立ち上がる。

「そうですわね。慰霊祭も大事ですが、急ぎの仕事を終わらせないといけませんわ」
「我々は公僕ですから、個人の政治宣伝ショーに付き合うより公務を優先させないいけません・・・では失礼します」

先輩二人に優雅に言ってのけると探と紅子は会場から姿を消した。その二人の背中を目で走査しつつ美和子は苦笑しながら呟く。

「どうせなら、国防委員長が嫌いだから退出します、って、言えばいいのに」
「それは露骨過ぎますよ・・・って、何で立ち上がろうとしてるんです?」
「決まってるでしょ。委員長閣下の煽動演説を拝聴するより、高木くんと一緒にいた方が良いわよ」
「じ、じゃあ・・・あの、本部内のカフェに移動しますか?その後、夕食にでも・・・」

立ち上がろうとした状態で渉の耳元に小さく囁くと、言われた方は顔が赤くなりつつ言うべき事を目の前の女性に伝えた。
その言葉に満足げに頷くと、美和子は渉を促して会場から抜け出したのだが、その光景を見ていた新一は思わず呟いたものである。

「一番後方の席ってのは得だよあな。こっちは最前線なものだから露骨に戦略的撤退も出来やしねえのによ」

新一の後方に座っている平次もトリューニヒトの演説に耐えきれなくなり、自分の横に座る快斗に、この場からの即時撤退を進言しようとしたのだが、快斗の姿が消えている事に気付いた。

「快ちゃんのヤツ、ドサクサに紛れていなくなりおったな。こっから逃げるんやったら、オレらに声かけろっちゅうねん」

そんな事を呟きつつ近くに座っている年輩の将官に聞いてみると、何でも急に腹が痛み出したとかで医務室へ向かったそうな。
それを聞いた浅黒い肌を持つ二人の若い士官は互いに顔を見合わせつつ苦笑すると、壇上の方を見て同様の呟きを漏らしたものである。

「快ちゃん自身が“逃走させたら、右に出る者なし”って、自分で言うだけあるわ、ホンマ」
「黒羽くんが自ら“逃走させたら、右に出る者なし”と、豪語するだけの事はありますね」

ごく少数の人間が慰霊祭という名前の政治宣伝ショーから退出する中、国防委員長の演説は続いている。
新一の視線の先では国防委員長の演説が未だに続いていた。トリューニヒトは自分の発言に酔っているらしく、顔は紅潮し双眸にも自己陶酔の光が浮かぶ。
目の前の壇上で熱弁をふるう男につられて周囲に座っている軍人たちの顔にも赤みがさしているのを新一は確認し、それらを冷めた目で眺めてながら思った。

いつの世にも最前線から離れた後方の安全地帯で主戦論を唱え、民衆を戦争に駆り出して煽動する輩が大多数の支持を集めるものだ、と。

新一は壇上いる男が徴兵され兵役に就いていた当時、後方勤務を志願して首都から一歩も動かなかった、と、いう話を聞いた事がある。
戦場から離れるほど人間は好戦的になり、軍の作戦にも横槍を入れたがる―――過去の歴史を見れば分かる事だ。
トリューニヒトの演説が始まった時点で新一は壇上から聞こえる不快な声を左耳から右耳へと聞き流していたのだが、そろそろ精神的に限界に来ていた。
いくら精神的にタフな新一でも美辞麗句だらけの自己陶酔的な演説を延々と聞かされてはたまったものではない。

「ったく、バカの一つ覚えみたく似たようなセリフを並べ立てんじゃねえよ」

内心の不快感を抑えながら呟いた新一の声は国防委員長の演説に耳を傾けている人間には聞こえていない。

「我々の偉大なる祖国、自由なる祖国!守るに値する唯一のものを守るために我々は戦おうではないか。いざ祖国のために。同盟万歳!共和国万歳!帝国を倒せ!」

トリューニヒトの絶叫で式典につめかけた大多数の聴衆は理性を吹き飛ばしたらしく、座席から立ち上がり国防委員長と同じ言葉を唱和する。
突き上げられた腕と空中に放り投げられた多数の軍帽、そして拍手と歓声・・・そんな中で新一は足を組んで黙って椅子に座り、冷ややかな視線を壇上にいる演説者に突き刺していた。
一方、平次は小馬鹿にしたような、真は“置物”を見ているかのような視線を座った状態で国防委員長を見つめている。
両手を高く掲げて壇上で会場の狂乱した聴衆に応えていたトリューニヒトの視線が最前列の席を捉えた。三人ほど座ったままの若い士官が視界に入り、一瞬にして国防委員長の目に不快さを示す光が宿って口元が引きつる。
崇高なる祖国愛の権化、その眼下に怪しからぬ反逆者がいたのだ。しかも自分が指名してまで式典の出席を求めたアスターテの英雄!
この時、起立していないのは新一と平次、真だけであったが、トリューニヒトの目には新一しか入っていなかった。

「貴官たち、なぜ起立しない!」

怒号を浴びせたのは中年の准将どのであった。怒鳴ったせいか肉厚の頬が僅かに震えている。視線を壇上から彼に向けた三人は静かに応じた。

「気分が悪いから座っているんです」
「アスターテん会戦で怪我しとるんや。自分、怪我人に無理しろっちゅうんか?」
「右に同じです」

国防委員長の扇動演説を聞いて気分が悪くなった。国防委員長の政治ショーから即時撤退をするため―――暗にそう言っているのだが、准将どのは別の解釈をしたようだ。

「そ、それはすまなかった・・・気分が悪かったら医務室へ行ったらどうかね?」

それは新一に向けられた言葉であったが、新一の後ろに座っている平次と真は顔を見合わせて僅かに白い歯を見せて笑う。

「じゃ、コイツはオレたちが医務室に連れて行きますわ」
「しかし貴官たちは怪我をしているが大丈夫なのか?」
「オレは確かに怪我しとる。けど同僚が気分が悪うて苦しんどるのを黙って見過ごせへんのや」

平次の言葉に黙って頷く真を見て、彼らの周囲にいた軍人たちは若いのに我が身を顧みず同僚を気遣う二人の姿に感動した。

『服部のヤツ、オレをダシにして慰霊祭から抜け出す気だな?ま、オレもそれを利用してやるさ』

平次の声を聞いた新一は瞬間的に彼の意図を悟ったが、何も言わず周りに流されるまま振る舞っている。
オレは右側、京極ハンは左側を頼んます、平次は矢継ぎ早に真に指示を出して新一を両側から支えると会場から遠ざかる。
三人が壇上から背を向けた時、勇壮で昂揚感にあふれた音楽が会場に満ち始めていた。自由惑星同盟国歌「自由の旗、自由の民」である。
音楽に合わせて聴衆が歌い始める。先程の無秩序な歓声と異なり、それは統一された豊かな旋律だった。
演壇に背を向けて歩いていく三名が側を過ぎる時に聴衆は視線を向けるが、興味なさそうに一瞥した後、壇上に視線を戻して歌い続ける。

「さっきから首の後ろがチクチクするんやが、オレの気のせいやろか?」
「気のせいじゃねーよ。オレもさっきからずっと感じてるんだからな」
「壇上の国防委員長閣下が私たちを睨みつけてるんじゃないですか?」

真の言葉は半分は当たり、半分は外れていた。確かに国防委員長は退出する三人の背中に視線を投げかけていたのだが、それは全て新一の背中に向けられていたのである。
小さな声で会話を交わす三名の前で音もなく開いたドアが背後で閉じた時、国歌の最後の一節が耳を彼らの耳を打つ。

「おお、我ら自由の民。我ら永久(とわ)に征服されず・・・」




続く





注:「銀河英雄伝説」は田中芳樹先生、「名探偵コナン」「まじっく快斗」は青山剛昌先生の著作物です。


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