Office love 番外編・鉛色の空が晴れる時



by新風ゆりあ様



(1)せめぎあう心



チチチッ。

ピピピッ。

チュンチュン。

蘭の耳に、小鳥たちのさえずりが訊こえて来た。

それと同時に、部屋の中に朝の明るい日差しが差し込んで来た。

サアッ。

「ん・・・」
蘭は目を開けた。

そしてぼんやりとしながら、辺りを見回した。

するとそこは新一の部屋だった。

「え・・・。ここ、新一の部屋だわ。私、会社の仮眠室にいた筈なのに。一体いつ誰が私をここに連れて来たのかしら?」
蘭が目を丸くした後、考え込んだ。

蘭がここに住んでいることを知っているのは新一と、後考えられそうなのは平次くらいだった。

(もしかして服部さんが私をここに連れて来たのかしら?でも服部さんには同郷の許嫁がいるって噂だし。服部さん、何のかんの言って、彼女にはぞっこんで、他の女には目もくれないって話だし)
蘭は考え込んだ。

会社の仮眠室で男性警備員に襲われかけた蘭は、意識を手放していた。

その間に新一が蘭を助け、ここに連れて来たのだ。

その肝心の新一は、ベッドの隅で顔を突っ伏して寝ていた。

新一は蘭が気づくまで起きていようと思っていたのだが、連日の仕事の疲れがたまっていたのか、はたまた愛しい蘭の無事を確認できて気が緩んだのか、眠気に勝てず、いつの間にか眠ってしまっていたのだった。

(新一・・・。そういえば私、あの警備員に襲われかけた時、新一に助けてって電話したんだっけ。もしかして新一が私を助けてくれたの?私が助けてって電話しなければ、きっと私は誰にも助けられないで、あの男性警備員にレイプされてたよね。新一が私を助けることはなかったはずよね。嬉しいよ、新一。すごく、すごく、嬉しいよ。でも・・・。でも新一は内田産業の社長令嬢との縁談が持ち上がってるんだから。私は絶対にあの人にかないっこないんだから。あの人は私と違って大人っぽかったし、凛としてたし、綺麗だったし。家柄も、容姿も、能力も敵いそうにないし。だから、だから、私はきっと新一に捨てられる。だって、だって、新一は言ってたんだから。同棲してるカノジョに対して、責任を感じる必要はないって。だから、だから、捨てられる前にここを出て行かないと。新一が寝ている今のうちに)
蘭はベッドから起き上がり、降りようとした。

だが、どうしても、どうしても、足が、身体が動かなかった。

(ダメ・・・!できない・・・!私、私!新一が好き!新一を愛してる!新一の側から、どうしても、どうしても、離れられない!新一の特別になりたい・・・!新一の家族になりたい・・・!新一の奥さんになりたい・・・!)
蘭の目から大粒の真珠のような涙が零れ落ちた。

その涙を優しくそっと拭う手があった。

見ると、いつの間に目を覚ましたのか、新一がとても愛おしそうな顔で、蘭の涙を拭っていた。

「蘭、泣くな。頼むから泣かないでくれ。泣き止んでくれ。蘭に泣かれるとオレは困るんだ。どうしたらいいのかわからなくなるんだ。オメーが泣き止むためなら、オレにできることならなんだってするから。だからため込まないで何でも言ってくれ」
新一が切なさそうな顔をした。

(新一がそんなに言うのなら、言ってしまいたくなる。内田産業の社長令嬢となんか結婚しないでって。私と結婚してって言いたくなる。私ったら馬鹿だよね。そんなこと言ったら、新一を困らせるだけなのに。困らせたくない・・・)
蘭は辛くなり、また涙を流した。

「蘭が言わないのなら、オレが言う。蘭がため込むんなら、オレが吐き出させる。蘭、大事な話があるんだ。訊いてくれねーか?オレと・・・」
新一が蘭を見据えた。

(ああ!とうとう捨てられる時が来た!嫌っ!訊きたくない!訊きたくないよ、別れ話なんて!)
蘭は絶望し、耳を押さえようとした。

その時。

コンコン。

部屋のドアをノックする音が訊こえた。

続いて家政婦の声が訊こえた。
「あの、旦那さま。服部平次様が遠山和葉様とご一緒においでになっておりますが、いかがいたしましょうか?」

「えっ!?服部だけじゃなく、和葉さんも来てるのか?」
新一が驚いた後、尋ねた。

「さようでございます。いかがいたしましょうか?」
部屋の外の家政婦が答えた後、尋ね返した。

「服部のことだから、また朝食食べねーで来てるに違いねー。二人を食堂に案内してやってくれ。オレもすぐ行くから。蘭を連れて」
新一が答えた。

「かしこまりました。では失礼します」
家政婦は立ち去ったようだった。

(ふう。助かった。別れ話が少しでも先に延びた)
蘭は安堵のため息をついた。

「さ、蘭も。朝食食べに行こう。さっきの話はまた会社から戻った時にすっから」
新一が蘭に向かって、手を差し出した。

(ホントは先延ばしにするのはよくねーんだろーけど。もう朝の支度をしなきゃなんねー時間になってっからな。ったく。服部といい、和葉さんといい、肝心なところで邪魔してくれたな)
新一は蘭に訊かれることなく、ため息をついた後、毒ついた。

(ダメだよ、新一。捨てる女に優しくしたら)
蘭は躊躇した。

しかし、新一の手を拒むことは、振り払うことは、どうしても、どうしても、できなかった。

蘭は新一の手をぎゅっと握った。

そして二人は連れ立って食堂へ向かった。




二人が食堂へ入ると、平次とポニーテールの女性がいた。

「工藤!それに毛利の姉ちゃん。お早うさん」
平次が微笑んだ。

「平次、その女の人が工藤さんのカノジョさんなん?」
ポニーテールの女性が尋ねた。

「あぁ。そうや」
平次がいともあっさりと答えた。

(服部さんは副社長なんだから、新一に内田産業の社長令嬢との縁談が持ち上がってること、知ってるはずなのに。新一が私を捨てようとしてること、知ってるはずなのに!酷いわ!あんなこと平気で言うなんて!私に何か恨みでもあるのかしら?私は何もしてないのに!それともけん制してるのかしら?)
蘭はいたたまれなかった。

「和葉さん、いつ上京して来たんだ?」
新一が尋ねた。

「昨日の夜上京して来たんや。これからよろしゅう頼むで!工藤さん!」
ポニーテールの女性が答えた。

そして蘭の方に向き直った。

「初めまして!うちは平次の幼馴染兼婚約者の遠山和葉や!よろしゅうな!」
ポニーテールの女性が名乗った。

「あ、初めまして。毛利蘭です」
蘭が名乗った。

「じゃ、挨拶が終わったところで、朝食にすっか?服部のことだから、朝食食べずに来てんだろ?」
新一が尋ねた。

「あぁ。まだ食ってへんからペコペコや。和葉も食うてへんから、和葉の分も用意してくれへんか?」
平次が答えた後、頼み込んだ。

「わかった。すぐに用意させよう」
新一が答えた。

そして新一は家政婦に人数分の朝食を用意させた。



「お〜!あいも変わらず美味そうやな〜。ほな、いただきます!」
平次が朝食を食べ始めた。

新一と蘭と和葉も朝食を食べ始めた。

やがて朝食を食べ終えた平次が立ち上がった。

「あ〜!美味かった!ほな、会社に行こうや!工藤に毛利の姉ちゃん!」
平次が微笑んだ。

「服部。それなんだけど、今日、蘭は会社を休ませようと思ってる」
新一が平次を引き留めた。

(私は大丈夫なのに)
蘭は心苦しく思った。

「へ?なんでや?」
平次が目を丸くしながら尋ねた。

「昨日、蘭は男性警備員に襲われかけたんだ。精神的にショックを受けてるみてーだから、無理させたくねーんだ。そうでなくてもこのところ、こいつは無理ばっかしてっし」
新一が答えた後、付け足した。

「ええっ!?警備員のおっさんにその姉ちゃんが襲われかけたやて!?それ、ホンマなんか?工藤!」
平次が驚いた後、尋ねた。

「あぁ、本当だ。嘘だと思うのなら、本堂瑛祐に訊いてみるといい。蘭が男性警備員に襲われかけた時、オレと一緒に居て、現場に遭遇したから」
新一が答えた。

「そうやったんかいな。ほな、工藤の言うとおりにしといたほうがええやろな。ほんで?警備員のおっさんをどうしたんや?警察に突き出したんか?」
平次が納得した後、尋ねた。

「あぁ、本堂瑛祐にそう言いつけた」
新一が答えた。

「ま、それが妥当やな。工藤、今日は自分も休んだ方がええんやないか?その姉ちゃんのこと、心配なんやろ?」
平次が納得した後、尋ねた。

「そうしてーのはやまやまなんだけど、今日はどうしても抜けられない会議が控えてることはオメーも知ってるだろが」
新一が答えた後、平次を睨んだ。

「あ〜っ!そういえばそうやったな!」
平次が声を上げた。

「ほんならうちが一緒についとってあげようか?」
和葉が尋ねた。

(遠山さんは私がここから出て行かないように見張る積もりなんだわ・・・)
蘭はいたたまれなかった。

「おぉ!それはええアイデアや!和葉がここにおってくれたら、その姉ちゃんも一人にならんですむし。毛利の姉ちゃんもそれでええか?」
平次が目を輝かせた後、蘭に尋ねた。

(ホントは一人にしてほしいんだけど、そうもいかないみたいね)
蘭は考えを巡らせた。

「あ、はい。構いません」
蘭が答えた。

「じゃ、和葉さん。蘭のこと、よろしく頼むな」
新一が頼み込んだ。

「任しといてや!」
和葉が微笑みながら答えた。

「じゃ、蘭。さっきの話の続きは戻って来た時にすっから。服部、行くぞ!」
新一が蘭に声をかけた後、平次を促した。

「おう!」
平次が力強く答えた。

そして新一と平次は連れ立って食堂を出て行った。





二話目に続く