藤峰有希子がその男と初めて会ったのは、高校を卒業してすぐの事だった。




美女と神獣



byドミ



(1)出会い



「飛騨さん、私、私・・・」
「真由梨・・・」

涙ぐむ可憐な美女を、イケメンの男が優しく抱き締め、涙を拭って口付けた。


「カーット!!」

突然メガホンを持った男の罵声が飛んだ。
その場に居た人々の間から溜息が漏れる。

「白川君、そこはもうちょっとなあ・・・」

メガホンを持った男が困ったように言った。

先程の美女とイケメンの男は、機材やビデオカメラを抱えた大勢のスタッフ達に取り囲まれていた。



ここは、ドラマの撮影現場。
若手でありながら既にかなりの芸能界歴を持つ、その美貌もさることながら抜群の演技力に定評がある女優の藤峰有希子と、最近、人気急上昇中の若手俳優・白川剛が主演の2時間ドラマ収録中であった。
他の部分は特に問題なく、サクサク撮り進められて来たのだが、クライマックスのキスシーンに入って、これで5回目のリテイクである。

「おいおい、またかよ」
「まあ仕方ないよ、藤峰有希子のラブシーンではいつもの事だからな」

そのような会話が聞こえ、有希子は唇を噛み締めた。
自分自身のミスなら、何を言われても仕方ない。
しかし自分がどんなに完璧に演じた所で、ラブシーンの相手男優がリテイクに持ち込むのである。



藤峰有希子は高校入学と同時に女優としてデビューし、可愛らしい美貌で一躍人気女優にのしあがった。
しかもその演技は天才的で、どのような役柄でも見事にこなし、有希子が出演した映画やドラマは必ずヒットした。

しかし、その有希子にも泣き所があった。
ラブシーンがうまく行かないのである。
何故かと言うに、相手役の男優の多くが、有希子と少しでも長く触れ合っていたいが為に、わざと失敗してリテイクに持ち込むからであった。

有希子はまだ、現実の人間に恋をした事はないが、物語の登場人物になら恋をした事がある。
勿論、それが現実の恋愛とは全く違う事など百も承知だ。
けれど、ドラマで演じる分には、それで充分であった。
有希子は、相手俳優にではなく、俳優が演じる「登場人物」に恋をして、恋の演技も完璧なものにしていた。

なのに、相手の男優は、なかなか「有希子が恋するドラマの登場人物」になり切ってくれない。
そうなると、有希子の方も段々と、「好きでもない男性と唇を触れ合わせている」事への嫌悪感が生じてしまう。
その悪循環で、ラブシーンは有希子の弱点でもあった。

結局、今日の撮影は一旦終了し、キスシーンは明日改めて取り直しという事になった。
白川剛が能天気に声を掛けて来る。

「有希ちゃ〜ん、明日はうまく行くように今夜ボディランゲージしない?」
「・・・せっかくだけど、明日も朝早いし、睡眠不足は美貌の敵だから、今夜は休むわ。また今度ね」

有希子は内心ウンザリしながらも、表面上はにこやかに答え、ウィンクして見せた。

ドラマの収録時になら割り切って、キスもベッドシーンも出来る。
有希子のファーストキスは高校1年生の時で、ドラマの収録時だった。

その時の相手役とは、マスコミで随分仲を取り沙汰された。
相手もそれをほのめかすような発言をした。
有希子は沈黙を守った。

以後、映画やドラマでラブシーンがある度に、同じような騒ぎが繰り返された。

誰も、有希子がまさか、まだバージンなどと思っていない。
しかし有希子自身は初恋もまだで、プライベートではまだ誰とも付き合った事がなく、初体験はおろか、ドラマ映画の収録以外では、キスもした事はなかった。


『私だって、いつか本当に想い合う人と、その日を迎えたい・・・』

有希子だって夢見る乙女、やはりロマンチックな夢想はするのである。


   ☆☆☆


「ああ、もう、いやっ!どうして現実の男には、紳士がいないのかしら!?」
「有希子。ぼやかないで。このドラマの収録が終われば、次は暫く、工藤優作先生映画に専念する事になるから」

マネージャーの栗田康子が、言った。
有希子は、サスペンス映画にヒロインとして出演する事が決まっている。
勿論、合間には雑誌の取材やイベントの出席、有希子が歌う主題歌の収録など、諸々の仕事があるけれど。
今のドラマロケが終わったら、暫く、テレビドラマの仕事は入らない。

「工藤優作って、2年前にエドガー=アラン=ポー賞を受賞して華々しいデビューを飾り、既にヒット作をいくつも飛ばした、学生作家よ。彼の原作をドラマ化したものは必ずヒット作になるから、俳優達は皆、出演したいと狙っているわ。有希子なら、工藤優作の作品に格が劣るなんて事は、絶対ないけどね」

康子からそう聞かされて、気のない返事をしながら、有希子は内心で、Vサインを作っていた。
工藤優作の小説は、忙しい合間にも読んだ事があるし、ドラマになったものも見た事がある。
ハッキリ言って、ファンだった。
正直、「私だったら、もっとちゃんと原作を読み込んで、この女優よりずっと上手く演じてみせる!」という自負があった。

負けず嫌いの有希子は、実は表に出さないがかなりの努力家である。
映画やドラマの出演が決まると、その作家や脚本家の書いたものには可能な限り目を通すようにしている。
有希子は、既に工藤優作の著書は多数読んでいたけれど、今回改めて、いくつもの著書を取り寄せて読み込んでいた。

「ねえ、康子さん。今回の原作小説って、ないの?」
「ええ。映画用の書き下ろしだそうよ。脚本は別の人だけれど」
「・・・変なの。何で本人が脚本を書かないの?」
「さあ、それは・・・」

有希子の問いに、康子は、困惑した顔になった。

「色々と、あるみたいよ?工藤優作先生は、小説は書いても、脚本は書いた事がないとか・・・」
「違うわ。まだ若い工藤先生は、受ける為だけのあこぎな演出をしようとしない。必要もない見せ場やラブシーンを入れたりしない、だからでしょ?」

有希子の言葉に、康子は目を丸くする。

「有希ちゃん。実は、元々、優作先生のファンなんじゃない?」
「ええっ?そんな事は・・・あるかなあ。あはははは」
「実は、今回の仕事、喜んでた?」
「うん!私だったら、絶対、優作先生のイメージ通りのヒロインを演じて見せるって、張り切っちゃってる!」
「・・・やっぱりね。何となく、工藤優作先生の小説って、有希子の好みだって思ってたんだ」

康子は、デビュー前からの有希子のマネージャーで、好みも考え方もよく把握してくれている。
有希子が最も信頼している人間のひとりだ。


「さて。上手くすれば、今日でドラマ収録も終わり。有希子、頑張って」
「頑張りたくないけど、終わらせる為に頑張るわ」

溜息まじりの有希子の言葉に、康子は苦笑した。
収録が残っているのは、後少し。
その中に、最大の難関・白川剛とのラブシーンがある。

「そもそも、何であそこでキスシーンを入れなくちゃならないのかしら?必要ない演出じゃない」
「まあまあ、有希子。視聴者はロマンスを求めているんだから」
「・・・際どいシーンを入れなきゃ表現出来ないなんて、お粗末もイイところだと思うわ」

移動中、車の中で、有希子はずっと愚痴をこぼし、マネージャーの康子になだめられていた。


そして、ロケ現場に入る。

有希子は、勿論、楽屋でメイクアップされていたけれど、現場で撮影直前のチェックをしてもらっていた。
周囲には、大勢のスタッフが行き来している。

その中にいる男に、有希子は目を引かれた。
まだ二十歳そこそこだろう、長身で眼鏡をかけている。
若いのにスーツを着こなし、俳優であってもおかしくないハンサムな男だが、有希子に見覚えはなかった。

いや、大勢のスタッフの中に、見覚えのない顔など、いくらもあるが。
この男は、最初から有希子の視線を惹きつけて離さない。

「ねえ、康子さん。あの男の人、誰か分かる?」
「え?どなたの事?」
「あの、眼鏡をかけている・・・」
「ああ、あれが、工藤優作先生よ」
「えっ?あの人が?」
「そう言えば、今日、映画のヒロインをやる有希子を見に来るって話だったわ」


有希子はまじまじと工藤優作を見た。
俳優の1人と紹介されても納得出来そうな、長身のハンサムである。
穏やかそうでいて、時折見せる眼鏡の奥の鋭い眼差し・・・。
有希子の周りに群がる男達とどこか違う、そう感じていた。

『あの、存在感の強さは、彼に匹敵するわね』

有希子は、デビューして間もない頃に出会った奇術師を思い出していた。
その奇術師・黒羽盗一は、当時二十歳そこそこだったに関わらず、既に、押しも押されぬ一流マジシャンだった。
有希子は役柄作りに必要な「変装術」を学ぶ為に、アメリカの女優シャロン・ヴィンヤードと共に、黒羽盗一に師事した。

端正な顔立ち、印象的な眼差し、女性に対してスマートな態度、まさしく魔法としか表現しようのない芸術的な手さばき。
黒羽盗一の存在感は、有希子に強い印象を残した。
そして盗一は、「有希子が認める」男の一人となった。
ただ、盗一には既に恋人がいたし、有希子も、盗一を恋愛の対象として見る事はなかった。
ごくごく単純に、「好みではない」のであった。

当時の、有希子のクラスメート達からは、黒羽盗一が好みではないという言葉に、「信じられない!」と叫ばれてしまった。
有希子にも、それが何故なのかは説明のしようがないのだが。

「華麗な芸術家って、どうも性に合わなくて・・・」

としか、言いようがなかった。


今、有希子の目を引いている工藤優作は、盗一に勝るとも劣らぬ存在感を持っている。
柔和なようでいて、時々思いがけない鋭い目付きをするところも、共通している。
けれど・・・その存在の色合いが違うと、有希子は感じた。

有希子が優作を見ていると、優作の方も視線に気付いたのか、有希子の方を見た。
目が合った瞬間、有希子の体を何とも言えない衝撃が貫き、心臓がドキドキし始める。
別に彼は、有希子を睨んでいる訳ではないのに、有希子の全てを見透かされ、その目に捕えられているかのような錯覚を覚える。
そんな経験は、生まれて初めてだった。

有希子が目を逸らしても、優作からじっと見詰められている視線を感じる。
ドキドキするけど、不快ではない。
これは一体、何なのだろう?


「追う者と、追われる者・・・」
「有希子?どうしたの?」
「あ、ううん・・・」

康子の訝しげな声に、有希子は首を振った。
突然、思い浮かんだ事。
優作は、物腰柔らかで柔和な印象ながら、獲物を追い詰め狩る側の人間だと・・・何故か、そういう風に感じたのだった。

ネコ科の猛獣・ジャガーが、普段はその力を秘めている姿・・・有希子の優作への第一印象は、それだった。



(2)に続く


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あああ。
読みきりのハズが、続きものにしてしまいました(汗)。

有希子さんと優作さんとの出会いって、盗一さんより後だって思うのね。
そして何しろ、「美人女優」ですから、優作さんとの出会いの前にラブシーンは何度も演じ、キスの経験もあっただろうと思います。
でも、心を掴んだのは・・・って辺りが、ミソ。

原作には出て来ない、有希子さんのマネージャー。
勝手に女性に設定してしまいました。そして、お名前は・・・とある方と、とある方のお名前を、ミックスしております。
うん。不二子さんのパートナーなら、やっぱりあの人なのかなあとか、考えてしまいまして(汗)。

このお話、実は、元々「裏仕様」で考えていたのですが。
企画用に練り直して表に置く事にしました。


 (2)「最低な男」に続く。