美女と神獣



byドミ



(2)最低な男



いよいよ、収録はネックだった「ラブシーン」のみとなった。

有希子は、白川剛と向かい合う。
その時、強い視線を感じた。
有希子が思わず視線の元をたどると、工藤優作が、じっと2人を見詰めていた。


『あの人に、見られてる?』

有希子の体を不思議な衝動が貫く。
たとえ形だけであっても、白川と唇を合わせる所を、優作に見られたくない。


有希子は、自分自身の内に生じたものが何なのか分からずに、戸惑っていた。


白川の顔が、近付いて来る。
有希子は、優作の視線から逃れるように、目を閉じた。
けれど、目を閉じても、優作からじっと見詰められているのを、痛いほどに感じる。

胸の前で、手をぎゅっと握り合わせる。
白川の唇が触れた時、有希子は思わず身震いしていた。
脳裏に浮かぶのは、眼鏡をかけた端正な顔。

役に、「真由梨」に、なり切れない。
有希子の手は無意識の内に、白川の胸を押すような形に動いていた。
しかし、白川から強い力で抱き締められ、逃れる事は敵わない。


「カーット!」

監督の声が、どこかで聞こえた。
そして、湧きあがる歓声。

「え・・・?」

有希子が戸惑っていると、満面の笑みをたたえて近寄って来た監督に、ポンポンと肩を叩かれた。

「化けたね、有希子君。こりゃ、昨夜白川君と何かあったかな?」

最初ポカンとした有希子は、次いで真っ赤になって怒鳴った。

「冗談じゃありません!」
「ああ、こりゃ失礼。でも、一皮むけたよ。今迄が悪かった訳じゃないが、今回は本当に良かった」

目の前で、白川が苦笑した表情で立っていた。
有希子は、何が何だか分からずに目を白黒させる。

視界の端に、背中を向けてその場からすっと立ち去ろうとする姿が映った。
工藤優作である。

『行ってしまう・・・!』

有希子は思わずそちらへ向かおうとしたが、他の役者やスタッフに囲まれて、身動き出来ない。

「すごかったわ、有希子!真由梨の恥じらいやおののきや切なさが、ものすごく伝わって来て!昨夜はマンションに帰って寝ただけなのに、一体、何があったの?」

マネージャーの康子が、興奮して喋る。
有希子は、呆然としていた。
今回、役になり切れなくて、演技としてはハッキリ言って失敗だったと思うのに。
完璧に演技していた時より素晴らしかったと絶賛されて、有希子は複雑な気持ちだった。

「お疲れ様」

白川が軽く有希子の肩を叩いて労う。

「有希ちゃんが・・・いや、『真由梨』が、あまりに可憐で愛しくて、俺も夢中で無心になってしまった。これで『真由梨』とお別れかと思うと、本当に残念」


有希子は、何となく分かって来た。

今迄の有希子は、完璧に演技していたけれど。
本当に恋をしていた訳ではなかったので、相手の男性もスケベ心を出し「長く触れ合おうとしてリテイクに持ち込む」余裕があったのだ。

けれど、今、有希子は「恋の恥じらいとおののきに震える真由梨」に、なり切っていた。
そして白川も、真由梨に恋する飛騨に、なり切ってしまったのだった。


「有希子?どうしたの?」
「・・・ううん。何でもない・・・」

有希子は、あるドアを見詰めたまま、突っ立っていた。
工藤優作が出て行ったドア。

涙が溢れ出そうになるのを、必死でこらえる。


『まさか、この私が?今や天下の大女優・藤峰有希子が?』

どこかで薄々分かっていながら、有希子は強いて自分の心に気付かない振りをしていた。
いくら、作品のファンであったとしても、実際に会った事はなく、先程初めて目にしただけの男が、そんなに簡単に自分の心に忍び込んでいるなど、自分で信じられなかったのだ。


「この後、インタビューまで少し時間があるし。これでも読んどく?」

控え室に戻った後、康子が有希子に手渡したのは、1冊の台本だった。

「『逃走』・・・工藤優作先生原作映画の脚本ね!脚本は・・・弥生台卯月(やよいだいうづき)・・・?ゲッ!」
「有希子!ゲッとは何よ!弥生台先生は映画やドラマの脚本を沢山手がけてる、大御所じゃないの」
「だって〜。私はあの人の書くものって、あんまり好きじゃないんですもの」
「有希子〜。頼むから、不穏当な発言は慎んでくれる?」
「うー。せっかくの工藤優作先生の持ち味が、死んでなきゃ良いけど」

康子が苦笑した。
有希子は、何のかんの文句を言いながらも、脚本に目を通し始めた。

読んでいる内に、有希子の眉間にしわが寄り始める。


「・・・気に入らないみたいね」
「ん〜〜。多分、原作は面白いんだろうな。だけど・・・テンポが良くないし、キャラが嘘くさい。それに・・・ヒロインが下品」
「辛辣ねえ」
「多分、工藤先生の描くヒロインなら、もっとこう・・・男を誘うにしても、可愛い筈だって思うのよ。やっぱり、脚本家つけたの、間違いだったんじゃないかって思う。この脚本家、キャリアはあるけど、正直、実力ないと思うな」
「有希子にかかったら、大御所も形無しねえ」

康子は笑った。

「そろそろ、インタビューの時間よ。それが終わったら、今夜と明日は久し振りのオフだから」

雑誌のインタビューは、滞りなく終わり、有希子は大きく伸びをした。

「ああ、何かこう、飲みたい気分。康子さん、付き合ってよ〜」
「はいはい」

康子は苦笑しながら応じた。
康子が有希子の夜の外出に、特に反対もしないその訳は、有希子が完璧に変装するからである。
まず、他人にばれる事はない。


そして二人が訪れたのは、康子が知っているバーだった。
芸能プロダクションに所属する康子が、時々仕事絡みの接待にも使う、やや高級な店だが、その分安心も出来る。

小母さん風に変装している有希子が、カクテルを注文したが、すかさず康子がノンアルコールカクテルに変更してしまう。

「この人、老けて見えるけど、未成年だからヨロシク」

康子の言葉に、バーテンは苦笑して頷いた。

「康子さんのケチィ!」
「天下の藤峰有希子が、未成年者飲酒で捕まっちゃっていいの?」
「変装してるから、平気だもん」
「万一の時は、変装解かなきゃでしょうが」
「はあ〜い」

康子はくすりと笑った。

「どうしたの?」
「いや、有希子って、何のかんの言ってても、品行方正よね。それに、用心深い」
「そりゃまあ。マスコミにいつもスキャンダルないかって狙われる身としては、ねえ」
「そうね。有希ちゃんを狙って、わざとスキャンダルをでっちあげる男すら、いるものねえ」

有希子は肩をすくめた。
その時、店の入り口に、男が3人、入って来るのが見えた。
有希子はドキリとする。
年嵩の二人は知らない男だったが、若い一人は、優作だった。

「ははは、君、自分でシナリオを書きたかったのかね?」
「いや、まだ若輩ですし。いずれはと思っていますけど」
「まあ、努力すればその内何とかなるだろう、頑張りたまえ、はっはっは」


有希子は背中を向けていたが、思いっきり渋面を作っていた。
会話からして、優作に偉そうに声をかけている男が、脚本家の弥生台卯月である事は、間違いないと思われた。
もう一人の男は、編集者だろうか。

康子が有希子を横からつついた。

「こら。そんな顔しないの」
「どうせ、向こうは私の事、分からないわよ」
「だとしても、ダメ」
「はあい」

有希子は、ポーカーフェイスに徹しようとした。
しかしその直後、彼らの会話はとんでもない方向へ進んで行ったのである。

「藤峰有希子は、なかなかイイ女だ。せっかく原作者として会えるんだし、この機会を逃す手はないだろう。どうだね、食指が動かんかね?」

弥生台の言葉に、有希子は思わず身震いした。
けれど、次の瞬間、もっと由々しき言葉を聞いてしまったのである。

「イイ女?まあ、容姿が良い事は認めますが、僕はあまり・・・」
「ほう?工藤君、天下の藤峰有希子が君のお眼鏡には適わんと、そういう事かね?どこまで偉い男なんだか」

弥生台の言葉は、意地の悪さに溢れていたが、有希子の耳には弥生台の言葉などもはや入っていなかった。

「いや、そうじゃなくて。美人女優だし、男には不自由してなさそうですし。恋愛経験があんまりない僕のような男には、手に負えないだろうって思うんですよ」
「ははは。君君、それなりにもてそうな感じなのに、堅物過ぎるのかね?それとも、女に幻想を抱き過ぎで、男性経験がない女が純情だなんて夢でも見ているのかね?」
「どうも朴念仁と言われて、今迄、女性には縁がなかったんですよ」
「まあまあ、弥生台先生、工藤先生はまだ成人したばかりの若造なんですし。経験浅くても仕方がないでしょう」
「だから!この俺が!指南してやろうと言ってるんだよ!」

弥生台はもうかなり飲んで出来上がっているようだった。

「処女なんて痛がってちっとも良くないし、面倒なだけだ。少し位男を知っていてもてると自惚れている女の方が、調教し甲斐があって、楽しみがあるというもんだよ」
「そういうものなんですか。いや、勉強になります」
「まあ、藤峰有希子は、俺がこの手で育てるのだからな。お前は食指が動いても手を出すなよ」
「大丈夫ですよ。僕の手に負えるような女性ではなさそうですしね」


有希子は、体が震えて来るのを抑える事が出来なかった。
さすがに、康子も、有希子が心配になったようである。


「おあいそ、お願いします」

そう言って有希子を連れて席を立った。



正直言って、弥生台のような男は今迄山のようにいたし、弥生台の言葉に気分は悪くなっても、そこまでショックは受けていない。
けれど、工藤優作の言葉は、有希子に大きなショックを与えた。


「・・・良い演技をして、見返してやる事ね」
「ええ・・・そうね・・・」


康子に支えられるようにして帰宅しながら、有希子の胸にどうしようもなく冷たく大きな塊がつかえていた。



(3)に続く


++++++++++++++++++++



(2)の後書き


久し振りの更新なのに、こんな続き方で、すみません。
優作さんの言葉は、勿論、全然本音なんかではありませんので。

まあ、「誤解」は、割とすぐに解けます。


お話は、第3話で・・・終わるかなあ?


(1)「出会い」に戻る。  (3)「波乱の予感」に続く。