最上の外科医



(1)3年目のローテーション



byドミ



「佐藤看護長、失礼します」

毛利蘭は、一礼して、面談室に入った。
ここは普段、医師が患者や家族に病状説明したりする時に使われる事が多い。

産科小児科病棟の看護師である毛利蘭は、同病棟の佐藤美和子看護長から、今日、業務の合間に面談がある旨、伝えられていた。
とは言っても、特に何か事情があってという事ではなく。この米花中央病院では、毎年、職場長が全ての部下との面談を行う事が義務付けられているのだ。

今の時代、どこの病院でも、看護師不足が深刻で。
各病棟看護長には、部下の悩みを聞いてあげたり、さり気に転職を引き止めたりする事が、求められている。

そして、看護師には、勤務部署を異動する「ローテーション」がつきものなのだが。
その、ローテ先の希望を聞いたりする事も、看護長の役目である。



「毛利さん、どうぞ座って」
「はい」

蘭は、看護長の向かい側に腰かけた。

「私の目から見て、あなたはとても良く頑張っているように見えるけど。どう?辛い事とか、悩んでいる事とかは、ない?」
「いえ。細かな事なら、そりゃ沢山ありますけど。充実してますし、楽しいです」

蘭は、心からの笑顔でそう言った。
卒後1年目の頃は、本当に余裕もなく、病態が急変し易い小児相手の看護は、気の休まる暇もなかったが。
技術も観察力も身について来た今は、充実して仕事に取り組めていた。

蘭は元来子供好きだったし、子供の扱いにもさほど苦労する事なく、小児看護に馴染んでいた。
時に、手を尽くしても甲斐なく患児が亡くなる事もあり、そういう場合の辛さは非常に大きいけれど。
そこを乗り越えて、今日まで頑張る事が出来た。

「私としてはね。あなたのような、小児看護に向いている人に、ずっとここにいて欲しい気持は、充分にあるのだけれど」
「……はい……」
「あなたに、ローテの話が来ているの」

来た、と、蘭は思った。
同期の看護師は、そろそろローテーションが始まっている。
まだ、色々な事が吸収できる若い間に、様々な部署を経験する事は、看護師としての視野を広げ、成長する為に、必要な事なのだ。

頭では分かっているけれど、ようやく慣れてやり甲斐を見出している時期のローテは、辛いものがあった。

「でも、他のところを経験して力をつけて、そして戻って来てくれたら。そう思うわ」
「はい……」
「で。毛利さんとしては、行きたい部署の希望は、ある?」
「私は、どこでも……指示に従います」
「そう。あなたなら、そう言ってくれると思っていたわ。一応、整形外科病棟にどうかという事なんだけれど……どうかしら?」

蘭の立場としては、否も応もない。
二つ返事で、承諾した。



   ☆☆☆



毛利蘭、22歳。
米花高校の衛生看護課卒業後、専攻科に進み、二十歳の時に看護師の資格を取って就職した。
今年は、看護師になって3年目である。

蘭は、病室で遊ぶ子ども達を見て微笑み、そう言えばあの子と出会ったのは、小学校に入ったばかりの頃だったなと、思い出していた。


蘭が、看護師に、というより、医療の道に興味を持ったきっかけは、幼い頃。
小学校の入学式を間近に控えたある日、人通りの少ない道をたまたま1人で歩いていると、通りすがりの自転車に引っかけられ、転んで動けなくなったお婆さんがいた。

蘭が慌ててそのお婆さんに駆け寄ると、小学校3〜4年生位の男の子が、蘭の反対側から駆け寄って来た。
男の子が、持っていた携帯で救急車を呼び、お婆さんのところに屈みこみ、蘭と一緒に傘で添え木をしたりの手当てをして、蘭と2人、救急車の到着まで待っていた。

救急車の到着後、2人は並んで、去って行く救急車を見送った。

『大丈夫かな、お婆ちゃん?』
『きっと、大丈夫だよ。顔色も悪くなかったし』

キリリとした眉の男の子は、蘭の頭を安心させるようにポンポンと叩いて言った。

『オレ、やっぱり、将来は医者になる』
『ホント?』
『ああ。ホームズのような探偵になるか、お医者さんになるか、迷ってたけど、今、決めた。医者になって、病気や怪我の人を治すんだ!』
『じゃあ。蘭は、女医さんか看護師さんになる!』
『そっか。じゃあ、またオメーと一緒に、病気や怪我の人を治せるよな!』
『うん!』
『オメー、蘭っていうのか。オレは、シンイチ。将来はお医者さんか看護師さんになって、一緒に治療しようぜ』
『うん!約束だよ!』


その男の子は、そのまますぐに別れてしまった。
近所の子だろうからすぐ会えるだろうと思っていたのに、入学式の後も、シンイチを見かける事はなかった。

事故に遭ったお婆さんは、足の骨折をしていたが、後に回復しスッカリ元気になった。
そして、蘭の所に、お礼を言いに来てくれた。


『あの時、お嬢ちゃんと一緒にいた、男の子ねえ。何だかあの後、遠くに引っ越しちゃったとかで、結局、会えなかったのよね。あの子にも、お礼を言いたかったんだけど』


蘭は、その後も、シンイチの事がずっと心の奥で気にかかっていた。
そして、蘭は、看護師の道を志したのだった。

あの子は、一体どうしているだろう?
約束通り、医者を志しているのなら、蘭の2〜3歳上の感じだったから、今は研修医になった頃だろうかと、蘭は考えていた。



   ☆☆☆



深夜勤務明け。
蘭は、着替えた後、中庭に向かった。

中庭と言うより、コ型の建物である病院の「谷間」といったスペースだが。
一応、木や芝生が植えられていて、夏は日蔭となり、ちょっとした憩いの場所になっている。

時に、少し元気になった病児がここに現れる事もあるが、今日は誰もいなかった。
もうすぐ小児病棟とお別れする蘭は、ここで子供達に会えるかもと期待していた分、少しガッカリした。

今日は快晴で、夜勤明けの目には、和らいだ日の光でも目に染みる位眩しい。

「あ〜。吸血鬼の気持ちが、ちょっと分かるかも」

思わず呟くと、ブハッと笑う声が聞こえた。

「だ、誰!?」
「あ、し、失礼……くっくっく……」

木陰のベンチに寝そべっていたらしい男性が、身を起こして笑っていた。
その男は、白衣を羽織っている。
若いが、おそらく、ドクターの1人だろう。

『あの子に、シンイチに、似てる……?』

蘭の動悸が速くなり始めた。

「夜勤明けの身には、確かに、太陽の光が眩しいよなあ」
「あ、あの……」
「オレも、当直明けでようやく解放されたとこ。昨夜は転倒患者が多くて、大わらわだったよ。幸い脳出血を起こした人はいなかったけど、大腿骨頚部骨折が1人。緊急手術の対象でもねえから、まず牽引やって、手術は明日になったけどな。せっかく元々の内科疾患は回復して来たってのに、また暫くベッド寝たきり生活に逆戻りだ」

転倒した患者の事で呼び出される、という事は、この男は、外科系ドクターなのだろうと、蘭は判断した。
そして、記憶を繰ってみる。
確か、昨夜の外科系当直医は、整形外科の工藤医師だった。

「じゃ……あなたは、工藤先生?」
「ああ。その通りだよ、小児科の毛利さん?」

蘭は驚いて絶句した。
このドクターの事は知らない。
もし、このドクターが「シンイチ」だったとしても、蘭はあの時、姓までは名乗らなかった。

なのに、何故、蘭の姓を知っているのだろう?

蘭が呆然としていると、工藤医師は、悪戯っぽい表情で言った。

「ま、普通、他の医者はやらねえだろうけどさ。オレは当直に入る時に、各病棟の看護師が誰であるのか、事前に把握してんだよ。で、昨夜は転倒事故が多かったって言っただろ?他の病棟の深夜勤務明けの看護師は、元から知っているか昨夜顔を合わせたかどちらかだ。
で、今日初めて顔を合わせた君は、小児科病棟の看護師である毛利蘭さんだろう、と。違ってたかい?」
「いえ!正解です!先生、探偵にでもなった方が良かったんじゃないですか?」
「ああ……探偵になら、なりたいと思ってた事も、ある。けど……まあ、医者の方が面白そうだと思ってよ」

そう言って、工藤医師はニカッと笑った。

蘭の胸が早鐘を打つ。
探偵になろうか迷っていたと、あの時のシンイチも言っていた。

ただ。
どんなに若く見えても、この工藤医師は、前期研修医(卒後2年目までの医師)以上である事は確かだ。
だとしたら、あのシンイチではあり得ない。

蘭は、跳ねまわる心臓を何とか宥めようとする。


「この先、色々世話になると思うから、そん時はよろしく!」
「えっ?」
「だってオメー、もうすぐ、整形外科にローテすんだろ?」

そう言えば。
もうすぐ、このドクターとは、仕事上で深く関わり合う事になるのだと、蘭は今更のように気付いた。

「オレは、整形外科医の工藤新一。改めてよろしくな、毛利蘭さん」


新一という名前を聞いて、蘭の心臓は更に大きく跳ねた。
これが、外科医の工藤新一と、看護師の毛利蘭との、出会いであった。



(2)に続く



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(第1話裏話)


だいぶ前に、下書きブログの方にアップしていたものです。
ですが今回、正式アップに当たり、結構手直ししています。

一番の違いは、新蘭最初の出会いですね。

さて、このシリーズのコンセプトは「スーパーリアル風スーパードリーム医師と看護師シリアスラブラブストーリー」です。

ご存知の方はご存知ですが、ドミは看護師でございます。
で、逆に、医師と看護師もののパラレルは、書くのを避けてました(読むのはOKです)。

ですが数年前に、どうしても、新蘭で新一君外科医で書きたいモノが出来て、ちょっと書き始めてしまったのですが、ブログにちょこっとだけ載せた段階で、お蔵入り。
それを、今回、引っ張り出してきました。

で、職業柄、結構、リアルさには拘っていて、しかもシリアスだったりするので、読む分には面白くも何ともないかもしれません。
その時は、ドミの力不足という事で、ごめんなさい。
そして一方で、私が医療に関して「こんな風な病院とか医療が出来ればなあ」と、夢見ていた事も同時にぶち込んで行くので、スーパーリアルな部分と、スーパードリームな部分が、交錯して行くかと思います。

そして、病院で、医師と看護師がいけない遊びをするとか、制服であれこれするとかは、私には絶対、死んでも書けない部分なので、そこは何卒、期待をなさらないように、ご容赦ください。(再三言いますが、読むのは全然OKです)

ただ、シリアスな中にも、ラブは目いっぱい詰め込む積りなので。
耐えられそうな方は、お付き合いいただければ、幸いです。



で。この先、私自身が、死ぬほど忙しくなりそうなんで、表も裏も、次の更新はいつとお約束が出来ません。
そこも、どうぞご容赦下さいませ。


2012年6月8日脱稿

 (2)「新たな日々」に続く。