最上の外科医



byドミ



(2)新たな日々



整形外科病棟にローテーションした蘭を待っていたのは、新しい用語や処置の介助や、機械の取り扱いだった。

整形外科入院患者には、勿論、若い人もいるが、想像以上にお年寄りが多い。
お年寄りは骨が脆く、屋内での転倒骨折が非常に多い為だ。

米花中央病院では、術後、リスクが高かったり状態が思わしくなかったりする患者は、ICU(集中治療室)に入るが、そこ迄でもない患者は、元々の外科病棟・整形外科病棟に、手術室から直接帰ってくる。
整形外科の場合、変形性関節症の人工関節置換術など、前々から予定されている手術もあるが、転倒や事故による骨折での、緊急手術も多い。
交通事故患者も救急搬送されて来る為、腹部や胸部の手術と骨折の手術が同時に行われる事もあった。

オペ出しとオペ後の受入れだけでも、てんてこ舞いだが。
手術をしない患者も、ギブス巻きや牽引など、様々な整形外科特有の処置がある。
蘭は、新しい知識と技術を身につけるのに、必死だった。

工藤新一医師も、他の整形外科医師も、見かける事は多かったが。
ここでは新人であり、まだ患者の受持ちもしていない蘭が、医師達と直接会話をする機会も滅多になく、日々は過ぎて行った。


   ☆☆☆


「蘭。わたしもう、死にそう……」

蘭の親友である鈴木園子が、ファミレスのテーブルに突っ伏して、そう言った。
園子は、蘭の小学校時代からの友達であり、看護学校まで……いや、就職まで、ずっと一緒だった。

園子は、卒後すぐに手術室に配属され。
病棟とは全く違う仕事の流れに、苦労して来たが、ようやく仕事に慣れ貫録も出て来た先頃、脳神経内科病棟にローテーションとなった。

手術介助の手順や、手術に使用する物品を一から覚え、ようやくバリバリ働けるようになって来たのに、全てが一からやり直し。
園子なりに頑張っているが、バイタリティ溢れる園子も、さすがに、このところ疲れ果てているようだった。

今日は、久し振りに、蘭と園子の休日が重なって。
2人で街に繰り出したのだが、お互い仕事の疲れも溜まっていて、早々にファミレスに入り込んでお茶を飲んでいた。
そこへ、園子の「死にそう」のセリフである。

「園子。まだ、ローテして間もないんだし、これから少しずつ慣れて行くよ」
「うん。まあそうねえ。いずれ、慣れると思うんだけど、三交代勤務は初めてだし、移動介助がすごく多くて、結構体力勝負ってとこあってさあ。腰痛めないように気をつけないと」
「そっか……それこそ、PT(理学療法士)に、トランスファー(椅子⇔ベッド間等の移動動作の事)介助のコツを教えて貰ったら?」
「そうしたいのも山々だけど、勉強しなきゃいけない事も多くって、仕事終わったらグッタリなのよー」

そう言って、園子はまた、はあっと溜息をついた。

「せっかく、直介(直接介助看護師。手術中、執刀医に直接物品を渡したりなどの介助を行う)に入っても、工藤先生とか黒羽先生とかの超スピードについて行けるよう、腕を磨いて来たって言うのにさー」

園子の口から出た「工藤先生」の言葉に、何故かドキリとしながら、蘭は返した。

「へえ。米花中央病院の若手外科医は超優秀な先生が多いって聞くけど……」
「うん!まだ後期研修医(卒後3〜5年目の医師)の筈なのに、もう、バリバリ!すごいよ」

その後、2人の話は、他愛のないお喋りに移り変わって行った。
久し振りの親友同士の会話は弾み、すごく楽しい。

「ねえ、蘭。あんた、イイ人出来ないの?」
「うーん、何か仕事でいっぱいいっぱいで、それどころじゃなかったような。出会いもないしね。そういう園子は?」
「外科に若手でしかもイイ男のドクターが多くって、そういう意味では手術室ってオイシイ職場だったんだけどねー。結局、誰もゲット出来ないままローテだったし。今の脳神経内科だと、もう先生も患者もお年寄りばっかで」

園子らしいなと、蘭は笑う。

「でも、お医者さんは遊び人が多いらしいから……」
「その位、分かってるわよ。だから、こっちだって、お医者サマ相手に、本気で恋愛しようなんて思ってないわ。でも、お金持ってるから、結構美味しいもの奢って貰えたんだよねー。上手くすればブランド物のプレゼントとかだって、して貰えそうだったのに、もうそれも、機会がなくなっちゃってー」

蘭は少し苦笑しながら、園子の言葉を聞いていた。

園子は、ちゃらんぽらんなように見えて、決してそうではない。
遊びの付き合いでは、お互いを傷つけ合わない線引きを、キチンとしているし、一途に思いを寄せて来る純朴青年を弄んだ事もない。

園子は意外と純情な一面を持っており、恋をしたら多分一途になるだろう。
ただ、今迄、園子が本気になれるような相手がいなかっただけだと、蘭は踏んでいた。

園子は、何故か今看護師をやっているけれど、元々は、鈴木財閥会長の次女で、一医者の収入など足元にも及ばない程の財が家にはある。
今は基本的に自分の収入で生活しているが、その気になればお金に不自由はしない。
けれど、「デートなら男に奢らせよう」というちゃっかりした面がある。
蘭は、園子のそういう面も、決して嫌いではなかった。

「ところでさ、蘭。合コンのお誘いがあるんだけど」

園子が、けろっとした調子で言った。
先ほどまで死にそうと言っていたのに、もうこれだ。
蘭は苦笑しながら、けれどこの切り替えの早さが園子の良い所だとも、思っていた。

「合コンって?」
「うちの薬局に出入りしている製薬会社から、うちの病棟の先輩看護師・宮本由美さんに、声がかかったそうなのよ。で、人数揃えたいから、蘭にもぜひ、声掛けてくれって言われてさ」
「ふうん」
「蘭。あんまり乗り気じゃなさそうね。まあ、アンタは昔っから、そういうのあんま好きじゃないもんね」
「うん、確かにね。だけど、絶対嫌って程じゃないし、人数合わせで必要なら、協力するよ。まあ、勤務の都合が合えば、だけどね」
「OK。また、連絡するわ」
「うん、分かった」


蘭は今迄、誰かとお付き合いをした事はない。
女子が大半の学校ばかりだったと言っても、それなりに声は掛けられてきたし、専攻科時代は大学生との合コンにも参加したけれど。
出会いがあってもその気になれず、デートの誘いすら断わって来た。

お酒を飲むのも、それなりに好きだし、男女問わず新しい人と出会えるのは、歓迎だ。
けれど、恋愛がらみとなると、どうも苦手というより、シャットアウトしてしまう。
合コンは、単なる飲み会と割り切れれば良いのだが、出会いを求めている人が多い事はわかっているので、何だか気が重くなる。

『わたしの初恋は……きっと、シンイチなんだって思うけど……でも……』

小学校入学前に出会ったシンイチの事は、心の奥深くに残っているが、それはほんのり淡い思い出で、別にシンイチに縛られている訳でもない筈だと蘭は思う。

そう考えた時に、ふと、蘭の脳裏に浮かんだ面影があった。
端正な面差しをした、若いのに優秀な整形外科医。

『絶対、別人よ。だって……あのシンイチだったら、ストレートに医学部まで行ったとしても、まだやっと学校を卒業したばかりの筈。工藤先生は、後期研修医、若くても27〜28歳だから、あのシンイチとは絶対違うよね』

蘭が、工藤新一について知っている事と言えば、若手医師だがとても有能である事位で。
その人柄も何も、まだ分かっていない。

『それに……お医者様は、遊び人が多いんだから。本気で好きになったりしたら、絶対ロクな事にはならないわ』

蘭は、自分で自分にそう言い聞かせる。
それこそが既に、工藤新一に囚われかけている証でもあったのだが、蘭はそれに気付いていなかった。



   ☆☆☆



それから、間もなくの事。

蘭はようやく整形外科病棟に慣れ、スムーズに動けるようになっていた。

ある晩、蘭は深夜勤務に入った。
準夜勤務の看護師から申し送りを受けた。
今、病棟にいる患者さん達は、おおむね落ち着いている。

「でも、10時頃、救急車の音がしてたから。覚悟はしておいてね」
「は、はい」

救急車で来院した患者は、とりあえず救急外来で診察処置を受け、その後、帰宅出来る人も意外と多いが、入院が必要で緊急入院になる場合もある。
ここ整形外科病棟では、転倒骨折患者が緊急入院となる事が多かった。

準夜勤務の3人が帰り、取りあえず業務がひと段落した頃に、電話が鳴った。
深夜勤務の相方である、ベテランナース桜木が、電話を取って応対した。

「毛利さん。ICUから、押し出しです」
「えっ!?」
「私は今からICUに押し出し患者さんを迎えに行くから、毛利さんは病棟をお願いします」
「分かりました!」

桜木は、空のベッドを押して、エレベーターに乗り込んだ。

ICU(集中治療室)病棟は、集中治療が必要な重症患者が入るところだが。
勿論、ベッド数に限りがある。
今いる患者より重症度が高い患者をICUに入室させる為に、一番軽症の者が、一般病棟に移される事があり、それをこの米花中央病院では「押し出し」と呼んでいる。

今回、押し出しになった患者さんは、大腿骨頸部骨折術後で、元々、今日の日勤帯で整形外科病棟に来る予定だった。
だから、戸惑いは殆どないが、深夜の内に緊急に予定前倒しでここに来るという事は、ICU入室が必要な患者さんが発生したという事だ。

『10時頃救急車で搬送された患者さんが、多分、ICU入室が必要な重症者なんだわ』

蘭は、気を引き締めて、桜木ナースが留守の病棟を守る。
やがて、エレベーターが開き、桜木が患者さんの乗ったベッドを押しながら病棟に戻って来た。

蘭も手伝って、病室へ移送した。
患者さんは、急な転室にも関わらず、幸いその後すぐに眠りに就いた。


深夜勤務の看護師は、意外と忙しい。
患者さん1人1人を起こさないように、状態や点滴の落ち具合や牽引が適切に行われているかなどを観察し、点滴や経管栄養(胃や腸に直接管を入れて栄養剤を注入する事)や飲み薬の準備をし、失禁した患者のオムツ交換、1人で排泄動作が困難な患者のトイレ介助、などなど、何事もなくても、仕事は沢山あるのだ。

お互い、忙しく仕事をする合間に、桜木から簡単に事情を聞いた。
今夜、救急車で運ばれた患者は、自転車で走っているところを車にはねられたお年寄りで、数か所の骨折と内臓損傷があり、当直外科医以外に数人の医師が呼び出され、緊急手術となったとの事だった。
普通だったら、まだまだ手術が終わってないだろう、大手術となったけれど。米花中央病院の最近の若手医師は、非常に優秀で、ものの2時間ほどで手術を終了させたのだそうだ。

自転車にはねられたお年寄りという話に、蘭は、子どもの頃出会った2〜3歳年上の少年「シンイチ」の事を思い出す。
それが工藤医師の面影と重なり、慌てて頭を横に振った。

『今夜の当直外科医師は、確か、白馬ってドクターだったわよね』

手術室は、手術の時だけしか患者さんがいないので、他の病棟のような夜勤は、ないけれど。
夜間の緊急手術に備えて、呼び出し用の携帯電話を持たされる、待機ナースがいるのだ。

『確か、今夜のオペ室待機ナースは、1年目の新人だった筈……きっと大変だったろうけど、無事手術が終わったって事は、頑張ったのね。わたしも、負けていられない』

蘭は、私も頑張らなきゃと、心中ひそかに拳を握りしめた。

その晩は、ICUから緊急押し出しになった患者も含め、特に急変や事故が起こる事もなく、まずまず平和に朝を迎えた。


   ☆☆☆


「おはよう」
「おはようございます!先生、早いですね」

蘭は、朝6時に詰所に現れた工藤医師に驚いて、声をかけた。
多忙な医師の中には、早朝の内にやって来て、受け持ち患者を見て回る人も多いけれど。
さすがに、6時は早い。

「いや、昨夜緊急手術で呼び出されたんでね。その分、今日の昼は休みを取ったから、今の内に必要な事をやっておこうと思ってさ」

そう言えば、昨夜の手術は、当直の白馬ドクター以外に数人が呼び出された大手術だったと聞いた。
おそらく、手術が終わった後も、ICU病棟で患者の様子を見たりしていたのだろう。

深夜勤務ナースは、朝方、バタバタするので、蘭はゆっくり工藤医師と話をする暇はなかった。
蘭と桜木が、忙しく飛び回っている間に、工藤医師は電子カルテを見、記録をしたりいくつか指示出しをしたりし、7時頃患者が皆起き始めると、担当患者の様子を見て回っていた。

朝8時半、日勤業務者が集まり、朝礼があり。
夜勤帯のリーダーである桜木が、日勤者に申し送りをし、残務整理をし。
まずまず滞りなく、定刻の9時過ぎには勤務が終了した。

蘭と桜木は、勤務室の奥にある休憩室へと入った。
すると、そこには先客がいて、コーヒーを飲んでいた。

「よ。お邪魔してるぜ」
「工藤先生」

ナースが使う事が多い休憩室だが、ごくたまに、ドクターも立ち寄る事はある。

「先生、昨夜はお疲れ様でした。でも、こんなとこで油売るより、帰って休まれた方が良いのではないですか?」

桜木が、工藤医師に言った。

「根っこが生えちまってんだよ。オメー達にも、分かるだろ?」

夜勤明け、一旦腰を下ろすと、立ち上がるのが億劫になってしまう事が多い。
だから確かに、蘭達には、工藤医師の感覚はよく分かった。

「これから、飯食いに行こうと思ってんだが、オメー達も付き合わねえか?」

工藤医師の言葉に、蘭は、心拍が跳ね上がるのを感じていた。

『バカな蘭。別に、わたしが個人的に誘われた訳でもないのに……』

蘭が返事も出来ず俯いていると、桜木が言った。

「残念ですけど、私は、子供の弁当作って届けなくちゃならないんで、帰ります。お2人で、行ってらしたら?毛利さんは1人暮らしで、別に予定もないでしょ?明日は準夜勤務で、時間もある事だし」
「しゃあねえな。じゃ、2人で行くか、毛利?」
「えっ?あ、あの……っ!」

突然降ってわいた、工藤医師と2人きりというシチュエーションに、蘭は慌てまくる。

「だけど、先生?毛利さんを弄んだりしたら、許しませんからね?」

桜木が、冗談ぽく工藤医師に言った。

「あのな。オメー、オレを一体、何だと思ってんだよ?自慢じゃねえが、女を弄んで泣かせた事は、一度もねえぜ?」
「どうだか。口では何とでも言えますからね。毛利さん、せっかくだから、先生にうんと高いもの御馳走になって来なさいな。だけど、手は出されないように、気をつけるのよ」


何がどう転んでこうなったのか?
それから30分後、顔を洗って着替えた蘭は、工藤医師と共にタクシーの中にいた。


工藤新一医師は、運転免許も車も、持っているそうだ。
けれど、お酒を飲んだ時と夜勤明けには、絶対運転しないと、言った。
免許を持たない蘭も、夜勤明けの運転がいかに危険かは想像がつくので、それに対して特にどうとは思わなかった。

蘭は、タクシーのシートに座り込んですぐに、意識がとび。
気付くと、もう「目的地」に着いているようだった。

「毛利、気が付いたか?」
「あ……工藤先生、すみません!」
「別に謝るこたねえ。昨夜は東3病棟も、忙しかっただろうしな。」

東3病棟というのは、蘭のいる整形外科病棟の事だ。

米花中央病院は、東西の病棟に別れていて、基本的に東が外科系、西が内科系である。
1階は受付と救急外来・放射線科・検査科、リハビリテーション科。
2階は手術室と心カテ室、ICU病棟、東2病棟(脳外科)。
3階は蘭達が勤務する東3病棟(整形外科)・西3病棟(脳神経内科)、医局。
4階は、東4病棟(消化器呼吸器外科)・西4病棟(消化器呼吸器内科)。
5階は、東5病棟(循環器外科)・西5病棟(循環器内科)。
6階は、東6病棟(産婦人科+小児科)、院内薬局、事務局・管理部(院長室看護長室などを含む)。

という構造になっている。
ちなみに、一般外来は、米花中央病院とは道路を隔てた向かい側にある、べいかクリニックで、担当している。

ただ、昨今の医療情勢では、完全に各科別の入院というのは難しく、どこの病棟もある程度、混合病棟化しているのが現状だった。
そして、東6病棟を除くどこの病棟でも、最近、認知症患者の割合が高く、その対応にも苦慮している。

「昨夜、ICUから東3に押し出しになった事は、聞いてる」
「……その位、先生達とオペ室とICUのスタッフに比べたら、何て事はありません」
「そっか。真面目だな、毛利は」

そう言いながら、新一は運転手にチケットを渡すとタクシーを降り、蘭に手を差し伸べて来る。
蘭は、その手を見て、戸惑いながら。
結局、新一の手は取らずに、タクシーを降りた。

「工藤先生。今みたいな態度が、女遊びしてるんじゃないかって言われるところですよ」

蘭は、ちょっと新一を睨むようにしながら、言った。

「あー……そうなのか。オレは別に……まあ、いいけどさ。遊び人と思われても」

新一が髪をくしゃっとかき上げながら言った。
多分、普段の彼なら、思わず見とれてしまう位カッコいいところなんだろうなと、蘭は思う。
新一は昨夜の緊急手術の所為で、顔色もあまり良いとは言い難いし、朝かろうじて顔を洗って髭も剃ったようだが、どことなく精彩を欠いていた。

蘭自身、夜勤明けの今日は、着替えの際に顔を洗って歯磨きはしたものの、すっぴんのままだし、きっと顔色もあまり良くないだろうと思う。

「帰りも、タクシー使って送って行くからよ」
「はい。宜しくお願いします」

夜勤明けでどこかに出かけた場合、その後にまとめて来る疲労は、半端ではない。
新一自身、タクシーで帰るのだろうし、蘭をついでに送る程度は、何て事はないだろう。
蘭もここは、素直に甘える事にした。

ついた場所は、米花シティビルの前だった。
新一は蘭を連れてエレベーターに乗り込み、最上階で降りる。
そして、足を向けたのは、展望レストランだった。

「先生……ここって、高いんじゃないですか?」
「ん?医者は、世間一般の感覚で言うなら、一応、高給取りだろ?支払いの心配なんかすんなよ」
「ええっ!?まさか、奢って下さるんですか!?」
「……は?何で?こっちが誘ったんだから、奢るのは当然だろ?」
「で、でも……っ!」
「ランチは、ディナーよりはずっとリーズナブルだから、心配すんなって。それに、オメーだけじゃねえし」

新一は、苦笑すると、蘭の頭をくしゃっと撫でた。
その手は、すぐに離れてしまったけれど。

『やっぱり、工藤先生って、女慣れしてそうよね……ううん、絶対、そうよ』

蘭は、自分に言い聞かせる。
新一に「オメーだけじゃねえ」と言われた事で、胸のどこかがチクリと痛んだが、蘭はそれにも気付かない振りをした。


2人は、ウェイトレスに案内されて、席に着いた。
平日の昼間、閑散としてそうなものだけど、意外とお客さんが入っている。
主婦らしいグループが多い。

メニューを見た。
確かに、ランチの値段は、思っていたよりもリーズナブル。
けれど、自腹でしょっちゅうランチを食べに来るのは、さすがに二の足を踏むかもしれない。

ランチは、何種類かのメインメニューに、パンまたはライスとカップスープ・ミニサラダがついたAランチ、それに飲み物が付いたBランチ、更にデザートがついたCランチがあるようだった。

「……えっと。若鶏の龍田揚げの、Aランチを……」
「毛利は、甘いものは嫌いか?」
「え?そんな事ない、好きです」
「じゃあ、デザートと飲み物付の、Cランチにしよう」

蘭が、なるべく値段が安いものをと考えたのが、新一にはお見通しだったらしい。
新一はハンバーグのCランチを頼んだ。

デザート付きのランチを頼むとは意外な感じで、蘭は目を丸くした。


「先生は、甘いモノ、お好きなんですか?」
「普段はあんまり好んで食べる訳じゃねえけど、まあ、嫌いじゃねえかな?特に夜勤明けは、脳がブドウ糖を欲するから、甘いもん食べたくなんねえか?」
「そうかも、しれませんね」

新一のうんちくに、蘭はくすりと笑った。

「毛利って、ホント、変わってるよな」
「えっ?そうですか?」
「今迄連れて来た子は、医者は高給取りだろうからって、最初から何の遠慮もなく、高いランチを頼んでたぞ?以前連れて来たオペ室の鈴木なんかは、遠慮もなく、更に追加オーダーしてたし」
「えっ!?園子が!?」

つい、大きな声を出してしまい、蘭は慌てて口を抑えた。
考えて見れば、園子は確かにそういうちゃっかりした面がある。

「園子?」
「あ、鈴木さんの事です」
「そうか、同期だから仲が良いのか」
「昔からの親友なんです」
「ふうん。あのちゃっかりした鈴木と、毛利がねえ」
「そ、園子は!とっても良い子ですよ!わたしの自慢の親友なんです!そんな言い方、しないで下さい!」

蘭は思わず身を乗り出して力説した。
新一は目を丸くする。

「……やっぱ、オメーって、変わってるな」
「えっ!?」
「あ、これって別に、けなしてる訳じゃねえから。気にしないでくれ」

新一が笑う。
蘭は、ちょっと奇異な感じを抱いた。
新一が蘭の事を知る機会は、今迄、殆どなかった筈。
なのに何で「オメーらしい」だの「変わっている」だのと、言えるのだろうか?


そうこうしている間に、料理が運ばれてきた。
2人は暫く食事に集中した。
食後のデザートが来た辺りで、また話し始める。

「先生が、看護師を手当たり次第食事に誘うのは、どうしてですか?」
「……最初に言ったように、別に他意はねえよ。普段なかなか交流する余裕もねえから、個別に誘ってるだけで。看護師は女性が多いから必然的に声かけるのは殆どが女性になっけど、この前は、消化器外科病棟の高木渉ナースと、循環器内科病棟の本堂瑛祐ナースと、3人で食事に行ったし」

男性が声をかけられたら、それはそれで戸惑いそうだと、蘭は思った。
若い男3人で食事自体は、意外とありそうな図に思えるけれど。


「誘いを勘違いされてトラブった事、ないんですか?」
「さあな。今迄誘う時は必ず複数だったし、いつもの事だし。今日はオメーと2人になっちまったけど、それは、たまたまだから。勘違いさせた事はねえと思うんだけどな」
「ホントに?」
「何だよ、その疑わしそうな目は。今迄オレに誘われて食事に来たヤツは殆ど、これで飯代浮いた、としか思ってなさそうだぜ」
「…………」
「オレが、下心持って誘う時は、最初から1人だけに絞って声を掛ける」
「えっ?」
「だから……逆にもし、1人だけ誘った時は、オレがその積りなんだって解釈して良い」
「今迄、1人だけ誘った事は?」
「だから、まだ、ねえって。少なくとも、米花中央病院に就任してからはな」

蘭は、何だか胸がザワザワして来たので、話題を変えた。

「先生って……お医者さんになって、何年目ですか?」
「4年目。後期研修の3年目にあたるな。何でそんな事聞くんだ?」
「いえ。米花中央病院の若手の先生達は、バリバリだって話はよく聞くから……」

新一やその同期のドクター達が、まだ後期研修医だが、指導医の方がタジタジとなる位に優秀だという話は、結構聞いていた。
蘭は、指折り数えてみる。
新一ほど優秀なら、留年や浪人はしていないだろうと思う。

「って事は、工藤先生、今……28歳ですか?」
「オメーな。今時、年齢訊くのは、男相手でもセクハラに当たるぞ。でも、残念、外れ」
「じゃ、誕生日が来てないから27歳?」
「ブー」
「え……先生、若く見えるけど実はもっと上?」
「逆。今年25になるけど、今はまだ24」
「ええっ!?何でっ!?」

蘭は思わず叫んでしまい、周りを見回して赤面した。

「アメリカに留学して、スキップ制度で早く卒業したから。ついでに言うなら、オレと同期で米花中央に入ったヤツは、殆どがそうだな」

新一の言葉に、蘭は息を呑んだ。
日本では遅れる事はあっても、早く大学を卒業する方法はない。
だが、アメリカならそれが可能なのだ。

そして、蘭はある事実に気付いて、胸がドキドキし始める。
蘭は今、22歳で、今年23歳になる。
工藤新一先生は蘭より2つ上、だとしたら、もしかしたら、あの「シンイチ」なのかも、しれない。

「せ、先生……」
「ん?何だ?」
「いつから、アメリカに……?」
「……両親の移住で、アメリカに移り住んだのは、オレが小学3年に上がる年だったなあ」

小学3年に上がる年。
その時、蘭は小学校に入学した筈だ。

入学式前に出会った男の子は、もしかして……。
蘭の胸が早鐘を打ち始めた。



(3)に続く



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(第2話裏話)

このお話、ブログに乗っけてた時から、色々と設定をいじって変更している部分があります。
病院名も当初、内田総合病院だったのを、米花中央病院に変えました。

最初の設定のままだと、新蘭が最終的にはラブラブになるにしても、引っ付くまでがとても大変そうだったので、思い切って根本的にいじりました。
で、病院モノの割には、今後、現場の事はあんまり出て来ないかもしれないと、思います。

園子ちゃんは、当初、病棟から手術室へローテ、となっていたのですが、今回、逆にして、手術室から病棟へ移っていただく事になりました。

何故かと言えば、理学療法士に、色黒の彼(平ちゃんじゃありません)がいるからですよ。
彼と出会っていただく為に、設定を変えました。
手術室とでは、接点がないもんね。

まあ、職場で直接の接点がなくても病院で色々と行事があれば、その時顔を合わせる場合も、ありますけど。


実は、最初にこれを書いてから、4年が経ってます。
で、医療の常識って、ちょっとの間に、ドンドン変化して行くんですよね。

このお話、既にずれ始めちゃった分は修正かけてますが、あんまり時間をかけると、医療の現実との齟齬がまたぞろ大きくなり過ぎて、拙い事になりそうだなあ。
なので、さっさと終わらせなきゃ。
目標は……今年度末(来年3月)?
無理そうだけど、一応、目標だけは立てて置きます。