最上の外科医



byドミ



(6)レモンパイ



「何々?また、内田麻美嬢が、レモンパイの差し入れ?」
「忙しい研修医なのに、よく続くなー」

米花中央病院の医局では、ここ最近、連日のように、内田麻美研修医のレモンパイが差し入れられていた。

一番最初の時と違って、まあまあ悪くない味だったため、結構皆喜んで食べていたが。
ほぼ必ず毎日食べさせられる新一は、正直、多少辟易していた。

平次が新一の耳に囁く。

「工藤。嘘でも早(は)よ『うまい』と言わんと、あのレモンパイ攻撃はずっと続くで?」
「……やっぱ、オレがウマいと言わないのが原因か?」
「あー、たぶん、そうだと思うよ。彼女、意地になってんじゃね?」

横から快斗が言った。
甘いもの好きの快斗は、麻美の差し入れを割と喜んでいるが、それでも心の中では「でもま、やっぱ、青子が作ったもんが世界一だな」と考えたりしているのだった。

「けどなあ……嘘をつくのもどうかと……」
「工藤君。君の辞書には、『社交辞令』という言葉はないのですか?それは嘘とは異なりますよ」

探が呆れ顔で言った。

医師は学会などで出張することもあり、現地の美味しいお菓子などを買ってくる。
昨年のクリスマスには、目暮院長のケーキの差し入れがあり、それが超美味しかった。
目暮院長がケーキに詳しいとは思えないので、院長夫人であり総看護長でもある目暮みどりが手配したのだろうとのもっぱらの噂だ。

ということで、医局にいると、美味しい差し入れには事欠かない。

ちなみに、医局にいるのは医師だけではなく、医局事務の面々もいる。
彼ら彼女らも、差し入れのお相伴に預かる。
七川絢もその一人だった。

「……にしても、全く同じお菓子がずっと続くのは、さすがにちょっとねー。最近では、レモンパイを見ただけで胸焼けがしそうだわ……」

中学時代の同級生だった蘭・園子と一緒にご飯を食べながら、絢が愚痴っていた。

「ふうん。なんだか大変そうねえ」
「いい加減、工藤先生が美味しいって言ってくれれば、終わるのに……」
「えっ!?」

蘭は思わず身を乗り出す。

「内田先生は才色兼備、美人なうえに、東都大医学部をトップレベルの成績でストレート卒業した秀才、テニスもインターハイ出場したほどの腕前、何もかもが完ぺきで、その上、料理やお菓子作りまで上手と評判の方なの。今まで、手作りのお菓子を称賛されることはあっても、不味いなんて言ったのは工藤先生が初めてで。だから、何とか工藤先生に認めてもらいたいと、頑張ってるみたいで……」
「へえ、そうなんだあ。工藤先生って……よっぽど舌が肥え過ぎているのか、それとも味音痴なのか……」

園子が、あまり興味無げに相槌を打った。
蘭は赤くなりもじもじしながら言う。

「し、舌が肥え過ぎてるってことはないと思う……だって、わたしが作ったものを美味しいって食べてくれるもん」
「ああ。やっぱり、工藤先生に弁当作ってるのって、蘭だったのね」
「あ、絢!それは!」
「わたしたちの仲で、隠すことないでしょ?蘭、工藤先生と付き合ってんだよね?」
「う゛……そ、そうだけど……」
「工藤先生、医局で堂々と弁当を広げて、『○○が作った飯ならどんな味でも食べられる自信がある。けど、すげーウマい』って、のろけちゃってたよ。名前の部分が聞き取れなかったんだけど、白馬先生から『女ばかりの職場で、ばれたら彼女の立場が』とか釘刺されてたから、きっと看護師の誰かなんだろうなって察しがついた。工藤先生、たぶん、隠すつもりはないけど、蘭のために公言しないでおく積りなんじゃないかなあ」

蘭は、ボボボと真っ赤になった。

「蘭が作るごはんが美味しいのは事実だから……やっぱ、工藤先生は、舌が肥えてんじゃない?」

蘭の手料理を食べたことのある園子が、太鼓判を押した。

「へえ、そうなんだあ。鈴木家シェフの料理で舌が肥えている園子が言うんだから、蘭の腕前は間違いないんだね」
「でも、蘭の料理は、見た目の方は今一だけどね!」
「そ、それはまあ……そうかも……」
「そういえば、服部先生は、料理は見た目より味だって言ってたなあ。なんでも、彼女さんは料理上手って話で……」
「え⁉服部先生も彼女持ち!?あっちゃー……。狙ってたのにー!」
「服部先生の彼女は同郷の幼馴染って聞いたよ」
「ってことは、大阪出身……もしかして、和葉ちゃん!?」
「かも」
「って、今はその話じゃなくて!蘭、工藤先生と付き合ってんならさ、言ってよ!いい加減、内田先生に、美味しいって言うように!」
「……悪いけど、そんなことは言えないわ……だってわたし、新一に言っちゃったんだもの。もしわたしならそんな時、凹むだろうけど正直に言って欲しいって」
「あー。蘭、もう呼び捨てなのかあ……って、もうその話、してたんだあ。じゃあ、工藤先生、絶対に、お世辞や社交辞令を使いそうにないよねえ」
「絢。わたしも内田先生のことはよく知らないけどさ。でも、もし工藤先生が突然内田先生に社交辞令を使い始めたら、絶対に通じちゃうし、かえって傷つけると思う」

ということで、3人の会話は終わったのだが。
3人とも、内田医師の気持ちの変化は予測できていなかった。
才色兼備で何もかも完璧な女性が、そのプライドを打ち砕いた新一に対して、どのような感情を持つものなのか。
完璧ではない3人には、想像もつかなかったのだった。



   ☆☆☆



「あ。うまい」

その言葉が工藤新一の口から出た時。
目の前にいる内田麻美医師だけでなく、医局のあちこちから、大きな溜息が聞こえたとしても、不思議はないであろう。

内田医師がレモンパイの差し入れを始めてから、実に1か月が経っていた。

「どれどれ」

新一の言葉を聞いて真っ先に手を伸ばしたのは、甘いもの好きの快斗である。

「あ、ホントだ。ウマい」
「……黒羽先生。今まで、社交辞令だったんですね」
「いや、そういうワケじゃなくて。今までも十分ウマかったすよ。けど、今日のは、舌の肥えた工藤がうまいと言うだけあるなと。今までとレベル違う。どんな工夫をしたんですか?」
「それは、内緒です」

内田医師の顔に微笑みが浮かぶ。
その場にいる男性たちの多くが、たとえ彼女持ち妻持ちであっても、一瞬見とれてしまった笑顔であったが、若干の例外はあった。


その後。
内田医師のレモンパイは、たまの差し入れとなり、医局メンバーの楽しみとなったのだった。



   ☆☆☆



研修医は、様々な科の研修をしなければならない。
内田医師の「整形外科研修」は、パイの差し入れが終わるとほぼ同時に終了となった。

最終日、新一は内田医師との面談を行っていた。

「本当だったら今日の面接は整形外科部長の赤井先生の仕事なんだけど、生憎と地域連携の会議で新出医院に出向いていてね。不肖この工藤新一が、研修最終日まとめの面談を担当させていただきます」
「ありがとうございます。先生は私より年下ですがベテランなのですから、卑下なさることはありませんわ」
「とまれ、整形外科研修、お疲れ様でした。次の研修は、産婦人科でしたっけ?」
「はい……」
「内田先生は、飲み込みが良く、とても優秀な研修医でした。もしできれば、将来の専門分野では、整形外科を検討してくれることを願ってます」
「……私は、いずれ、総合診療専門医(※基本的に内科が中心だが、幅広く色々な患者を診ることができ、僻地医療などにも対応できる)の道を進もうと思っています」
「そっか。そういえば、ご実家が内田総合病院を経営されているんでしたね。いずれ、後を継がれるのですか?」
「その積りです」

面談は滞りなく進み、さてと新一が腰を上げようとしたとき、内田麻美が意を決したように口を開いた。

「あの!工藤先生!」
「はい?」
「わ、私……いずれ、実家の医院を継ぐつもりです」
「……そうですね。内田先生なら立派に務まると思います。頑張ってください」
「あの、あの!それで……一緒に医院を継いでくださる男性医師を、探しているのですが!」
「はあ」
「く、工藤先生!工藤先生のお父様は作家で、医者ではないと聞きました。なので、一緒に内田医院を継いでいただけませんか?」

内田麻美が、顔を真っ赤にしながら、言葉を絞り出した。
そして新一は……妙に頭が良いのに、一面鈍感なこの男は、麻美の言葉の意味を、まるで理解していなかった。

「えっと……共同経営、ということですか?」
「工藤先生は長男だから、お名前が内田になるのが差し障るということでしたら、戸籍上のお名前は工藤でも構いません!」
「あ、問題は名前じゃなくて、って、え?」
「わ、わたしの伴侶として、一緒に……」

ことここにいたって、ようやく新一は、これが麻美の「プロポーズ」であることに気付いたのだった。
それでも新一は、麻美が実家を継ぐ使命感から、婿入りする医師を探しているだけだと思っていた。

「……お断りします」
「だ、ダメですか?」
「正直、医院経営のような面倒なことは、僕には……開業したいがつてがない男性医師は沢山いますから、他を当られてはいかがかと……」
「わ、私、私……他の方じゃダメなんです!」
「内田先生?」
「婿入りも、内田医院の跡継ぎも、何もなさらなくても……私……工藤先生のことが、好き、なんです……」

新一は、驚いた。
そして、妙に感動もしていた。

麻美に対して一片の恋愛感情もないが、真摯に好意を告げてくれたその勇気には感じ入るところがあったのだった。
そこで、新一も真摯に答えることにした。

「僕にはずっと……それこそガキのころから、心に決めた女性がいるんです」
「せ、先生……それは……?」
「事故にあったおばあさんを一緒に助けたあの時からずっと……彼女が医療職を選んでいなくても、きっと気持ちは変わらなかった。でも、幼いころの誓い通り、オレは医師に、そして彼女は看護師になった。一緒に医療をやっていける。こんなにうれしいことはない」
「……では、工藤先生と毛利さんとは、子どもの頃に出会っていたのですね……」

麻美に蘭のことを名指しされて、正直、新一は狼狽していた。

「な、なぜ、蘭だと……!?」
「そりゃもう。見ていれば、分かりますわよ。でも、お二人はこの病院で出会ったのだと思っていたので、もしかしたら少しくらいは希望があるかもって、ちょっとだけ期待したんです……」


麻美が去ったあと、新一はドッと疲れていた。
蘭とのことは、はたから見てそんなに分かりやすかっただろうかと思う。

バレること自体は別に良いが、蘭が嫌な思いをするのではないかと、それが気掛かりだった。

そして、何故麻美が新一に好意を持ったのか、それが最大の謎だった。
新一が美味しいと言うまでレモンパイを作り続ける中で、麻美の中で新一への気持ちが育って行ってしまったなど、新一には想像もつかなかった。



それからしばらくの間。
麻美に言い寄って婿入り希望したが、あっさり振られた若い男性医師がいるという噂が立った。
しかし、噂の出どころも、その「若い男性医師」が誰なのかも、分からなかった。



   ☆☆☆



「ん?蘭……この匂い……」
「レモンパイよ」
「そ、そっか……」

ある日、新一が仕事から帰ると、恋人の蘭が来ていて、ご飯を作っていた。
そして部屋中に、パイを焼く香ばしい匂いが漂っていた。

今日の蘭は深夜勤務明け、明日は休みである。
新一も明日は休みだった。

ちなみに、新一が住んでいる医師用の独身寮は、病院がマンションの一角を借り上げているもので、誰かを招き入れたり泊めたりすることは禁止されていない。


レモンパイも色々種類があるが、蘭が作ったレモンパイは、アップルパイのように上に網目状の生地が乗っており、レモンパイとしては珍しい種類だ。
そしてそれは、麻美が作っていたのと同じタイプの物だった。

ただ、蘭が作ったレモンパイは、麻美が作ったものと違い、形がややいびつで、焦げ目がついていたりした。

「内田先生からもらったレシピで作ってみたの」
「ゲッ!」
「何よ、ゲッて!?だって、最後には美味しいレモンパイになってたんでしょ!?」
「あ、ああ……まあな……」

新一が「ゲッ!」と言ってしまったのは、麻美が蘭にレモンパイのレシピを渡した意図が分からなかったからだったが、蘭は当然、麻美の告白も、麻美に新一との仲を見抜かれていたことも知らないため、新一がただ、最初の頃のまずかったレモンパイを思い起こしてしまったと解釈したのだった。

食事のあと、新一はおそるおそる蘭の手作りレモンパイを口に運び……そして笑顔になった。

「美味い!!!」
「ホント?」
「見た目は確かにちょっとあれだけど……味は最高だよ!」
「良かった……同じレシピなのに、内田先生みたく綺麗に作れなかったから、心配だったの……」

新一は内心で、麻美が最後に新一に「美味い」と言わせたものより、蘭の作ったパイの方がずっと美味しいと思っていた。
けれどそれを口に出してしまうと、心優しい恋人はきっと心痛めるだろうと思い、黙っていた。

新一も蘭も知らない。
内田麻美が蘭に渡したレシピは、麻美が最初に参考にしたレシピ、つまり、新一に「不味い」と言わせたものだったのだが。
蘭は同じレシピで、麻美が最後に作ったものより美味しいパイを作ってしまったのだった。


「蘭」
「はい?」
「まだ付き合ってあまり経ってないのにって思うかもしれねえけど……オレ、真剣に蘭との将来を考えてる」
「……新一……?」
「結婚、してくれ」
「……」

蘭は何も言えず、ただ黙って頷いた。
新一は蘭を抱きしめ、唇を重ねる。

「できる限り早く、お互いの両親のとこに挨拶に行こう」
「うん……」
「今夜、泊まって行かないか?」

蘭は真っ赤になって俯き、新一の肩口に顔を埋めた。


その夜、電話が掛かってくることも、お邪魔虫が訪ねてくることもなく、二人は幸せな夜を過ごしたのだった。



(7)に続く



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(第6話裏話)

人間関係も、歴史も、立場も、原作と色々違う分、麻美さんの件で、園子ちゃんたちの反応も色々違いますね。

絢ちゃんが医局にいる関係上、色々医師の会話を耳にしちゃってます。
ま、彼女は、誰彼構わず話して回ることはありませんけど、蘭ちゃん園子ちゃんとは何でも語り合う仲ですから。

でまあ……このお話では、蘭ちゃんは麻美さんの「告白」の件を知ることはありません。……多分。

新一君はあくまで「後期研修医」なんで、麻美さんの面談を行うのは無理があります。
なので、急遽、整形外科部長をでっちあげました。
でっちあげた関係上、終盤に出番があります、多分。

これ以降、他のカプのエピソードをどのくらい入れるかが、悩みどころ。
新蘭のお話はひと段落したので、とりあえず、暫くないです(単にいちゃいちゃしてるだけ)。
最終盤まではね。


2019年6月9日脱稿

(5)「医局のお花畑」に戻る。  次回に続く。