最上の外科医



byドミ



(5)医局のお花畑



整形外科の工藤新一先生は、最近、頭がお花畑である。

という噂が、医師たちのごく一部で囁かれていた。


常に冷静沈着と思われていた工藤医師が、最近は医局の机で空を見てボーっとしているかと思えば、突然、二ヘラと笑ったりしていると、いうのだった。


さすがに手術の時はキリッとして、手際の良さは変わらないが。
患者の前や指示を出すときにボーっとしていることはないが。

医局の自分のデスクにいる時などは、今までと全く違うというのである。



「最近、しょっちゅう、手作りの弁当を食べているそうだ」
「おお!ということは」
「女が出来たな」
「いやあ、あの工藤にあんな顔をさせるって、どんないい女でしょうね」
「いやいや、女に免疫のない工藤先生だから、意外とベッドのテクニックで骨抜きにしたのかもしれんぞ」


世間的には遊び人が多いと言われている医師のこと。
普通は、恋人が出来たくらいで舞い上がらない。

しかし、工藤新一先生の場合、空を飛べそうなくらいに舞い上がっている。

一体何事かと取りざたされるのも無理はなかった。



しかし、新一がそのような表情を見せるのは、医局にいるときと、恋人の前にいるとき位だったから。

案外、整形外科の東3病棟の看護師たちには、気付かれていなかった。



   ☆☆☆



「本堂瑛佑。オメー、明けだろ?メシ食いに行かねえか?」
「え……!?工藤先生、2人でですか?」
「???いや。高木ナースも明けだから誘ってるが?」
「え、え、ええっとお……」

循環器内科(西5)病棟看護師の瑛佑は、目を白黒させていた。
そこへ、消化器呼吸器外科(東4)病棟の高木渉看護師が登場。

「本堂君。頼むよ。君がいかないと、僕が工藤先生と2人きりになってしまうから……」

渉に拝まれて、瑛佑は不承不承頷いた。


「オメーら。一体、何がどうしたんだ?」
「あ、い、いえ、何でもありません」
「そっか?あ、行先は米花シティビルの展望レストランで良いか?」
「そ、それはちょっと……予算が……」
「オメー達の分くらい、オレが出すよ」
「とんでもありません!メシ代くらい、自分で出します!」
「ええっ!でもそれじゃ今月の給料日までもちませんよ!財布の中にあと3千円しかないんですから!」


さすがに新一も、何かが変だと思い、レストランで腰を落ち着けた後、2人に問いただした。


「あ、あの、実は……」
「工藤先生が、突然、女性看護師を全く誘わなくなって……男性同期医師とつるんだり、オレ達のような男性ナースを誘ったりばかりしているもので……」

瑛佑と渉の言葉に、新一は何となく察して、苦虫を噛み潰したような表情になった。


「言っておくが。オレには、男色の趣味はない」

あまりにもストレートに言われて、瑛佑と渉の方が逆に赤面する。

「い、いや、そういう風に疑っていた訳ではないですが……」
「思いっ切り疑ってただろうが!……オレは同性愛を差別する気は全くねえが、ただ単にオレ自身の性向としては異性愛者だ」

新一は心の中で「多分」と付け加えていた。
自分でも一応異性愛者だと思うが、蘭以外の女性には心動かされたことがないため、異性愛者というよりは蘭愛者かもしれないと思ったのだ。
幸い、その心の声は2人に届かなかったようだ。

「すみません。でも、僕たちも不思議だったんです」
「何が?」
「昔は、男女構わず手当たり次第声かけてたのに、最近は、男性ばかり誘っているらしいのが」
「なんか、ひでえ言い草だな。男女構わずとか手あたり次第とか。オレは単に、看護師たちと、理想の医療について語り合い、広く浅く交流したかっただけだっつーのに」
「いやまあ先生はそうかもしれませんが、結構期待してた女性看護師もいたんですよ」
「だから!変に期待されたり勘ぐられたりされねえように、いつも複数で誘ってただろうが!」
「でも、最近は、複数だろうが何だろうか、全く女性を誘わなくなりましたよね。どうしたんですか、一体?」
「……恋人ができたんだよ」
「「ええええええっ!?」」

瑛佑と渉は、2人同時に、のけぞって叫んだ。

「あ、あの……相手は女性ですか?」
「まだベッドの中で確かめた訳ではないけど、女性に間違いねえな」
「ホントのホントに?」
「何だよ。オレに彼女ができたのが、そこまで驚く事か?」

瑛佑と渉は、ぶんぶんと首を横に振る。

「だからまあ、たとえ複数でも、彼女以外の女性を誘うのは、今後一切やめようと思ってな。でも、なかなか一緒の時間も取れねえし、じゃあ誘うのは男性だけにしようかと……」
「へえ。意外と律儀なんですね。それとも、やっぱ他の女性を誘うのは、彼女さんが嫌がるから?」
「別に、律儀なんじゃない。彼女は多分、1対1ならともかく、複数人数での食事なら、女性が混じってても、おそらく文句は言わない。ただ単に、オレがそうしたいだけだ」
「それにしても、工藤先生を射止めた女性って、よっぽど素敵な方ですよね」
「射止めた、か。確かにそうだな……初めて会った時からオレは完全に落ちてたからな……」
「へ、へえ……」
「彼女、何しろ小児科勤務だったから全く接点がなくてよ。でも最近、東3にローテしたからようやく……」

途端に、瑛佑が水でむせて、盛大に咳込んだ。

「本堂君。大丈夫かい?」
「は、はひ……だいじょぶ……です……」

瑛祐の隣に座った渉が背中をさすり、瑛佑はようよう息を整えた。



そのあと。
その「恋人」のことを思い浮かべてなのか、工藤新一が、にぱあと怪しい呆けた笑顔になったので、高木渉はかなり引いた。
なるほど、これが工藤先生のお花畑かと、得心がいったのである。

ちなみに。
本堂瑛佑は、対照的にズーンと落ち込んでいた。

「は、はあ。ご馳走様です……つまるところ、惚気たかったんですね」
「バーロ。違うっての。オメー達は男だからな。いいか?毛利蘭にぜってー手を出すなよ」
「ははは。僕はこれでも恋人がいるんで、大丈夫ですよ。瑛佑君も……えっ!?大丈夫かい?」

そこで初めて、渉は瑛佑の異変に気が付いたようである。

「だ、だびじょぶです……」

瑛佑は、滝涙を流していた。

「え、瑛佑君?もしや、君……」
「ほお。やっぱりな。ぜってーいると思ったんだ、蘭を狙ってるヤツの10人や20人」
「く、工藤先生、ゴキブリじゃないんですから……それにしても、瑛佑君。気の毒だけど、工藤先生が相手なら勝ち目ないよ。諦めるしか……」
「わ゛、わ゛がっでま゛ず……」
「わりぃな。ここは、オレが奢るからよ」
「冗談じゃない!敵に塩は受けません!」
「おいおいおい。それって言葉の使い方が違うぞ。それに……確かオメー、財布に3,000円しかないって言ってなかったか?」
「ううう……やっぱり、同業の看護師の男より、医師の方が好かれるんですね……」
「いやあ……毛利さんは、相手が医師だから選ぶとか、そんな子じゃないと思うんだけどね」
「蘭とはガキの頃、会ってんだよ。事故に遭ったおばあさんを2人で助けた。それからずっと、お互いに想いを温めて来たんだ」

そんなに長くお互いに初恋をこじらせていたのかと、渉と瑛佑は驚いていた。

「その後、オレはアメリカに行っちまってたからな。彼女との誓い通り、医者になって日本に戻って来たものの、何しろガキの頃から超絶可愛くて、ぜってー美人になるって思ってたから、気が気じゃなくてよ」
「は、はあ……」
「想像以上に美人になってたが。驚いたことに、今まで彼氏ができたことはなかったらしい」
「え、ええっと……」
「スゲー嬉しかったよ。彼女の方もずっとオレを想ってくれていたなんて……」

新一の言葉と表情に、瑛佑も渉も、目を丸くした。

「そうだったんですか……ここは潔く、諦めます」

瑛佑が泣き笑いの表情で言った。

「ちらっと、鈴木さんとの会話を耳にしたことがあったんですが……毛利さんは、幼い頃の出会いがきっかけで看護師を志したそうで……その相手が工藤先生だったというなら、ボクだけじゃなくて他の誰も敵いませんよ。仕方がないです」

そう言った瑛佑の顔は、どこか晴れ晴れとしていた。



   ☆☆☆



「えええっ!?蘭、工藤先生と付き合い始めたああ!?」
「しーっ!園子、声が大きい!」
「あ、ご、ごめん……。はあ……まあやっぱ、蘭がイイよねえ……2人でいると、寄ってくる男はみんな蘭狙いだったもん……」
「そんなことない!園子は素敵な子だって思う!園子には、園子の良さを分かってくれる人がきっと現れるよ!」
「でも、蘭が整形にローテしてまだ1か月ちょっとなのに……ちょっと付き合うの、早過ぎない?」
「それがね……新一は、わたしが子どもの頃、一緒におばあさんを助けた男の子だったの」
「え!?蘭が前に話したことがある、幼い初恋の子が、工藤先生だったの!?」
「う、うん……」
「なんだ、そっかー。その初恋の君と、再会できたわけだ〜。良かったね、蘭!」

事情を知ると、園子はけろっとして心から蘭を祝福した。
こういう風に切り替えが早いところも、園子のいいところだと、蘭は思う。

「工藤先生のお花畑の原因は、蘭だったのね」
「え?お花畑って……?」
「今、医局では、超有名な話らしいよ。工藤先生の頭がお花畑で、いつもふわふわと浮かんでいるって」
「えええっ!?」
「でね。ここだけの話……お花畑が飛んでるのは、工藤先生だけじゃなくって、黒羽先生とか白馬先生とか、若い副院長の白鳥先生とか……みんなお花畑だって噂よ」
「園子……どこからそんな噂を……」
「医局事務の絢に聞いたんだ〜」
「そ、そう……」

蘭と園子と中学時代の同級生だった七川絢は、大学卒業後、米花中央病院に事務で就職し、今は、医局事務室に所属している。
医局事務の人達は、医者の秘書的なことも仕事の一部で、他の部署の人が知らない医者の一面を、色々と見聞きしているらしい。

医師たちは、病棟や外来で見せない素の一面を、医局内では多少さらしているものらしい。

「あー!わたしにも、お花畑を飛ばしてくれるようなイイ男が、現れないかしら〜!」

お花畑とイイ男のイメージが結びつかず、目を白黒させる蘭であった。

「でも、黒羽先生って、青子ちゃんがまだ看護学生だった頃からのお付き合いだって。今頃お花畑って、どうなのかしら?」
「えっ!?蘭、それはどこ情報?」
「最初は新一から聞いて、その後、青子ちゃんから、直接聞いた。青子ちゃん、看護学校の修学旅行先でたまたま、黒羽先生と一緒に、倒れた人の心肺蘇生をやったんだって」
「あらま。年齢とか細かいシチュとかは違うけど、馴れ初めは蘭とよく似てるじゃん」
「そういえば、そうね」
「はあ。黒羽先生と工藤先生って似てるし、蘭と青子ちゃんも、ちょっと似てるし……運命も似通うものなのかなあ?」

蘭は苦笑したが、確かに不思議な巡り合わせだと思った。

「でもまあ、医者はどんなに変人でも、もてるし?蘭、しっかり工藤先生を捕まえとくのよ!」
「そ、園子……」
「わたしは、蘭の味方だからね!」
「あ、ありがとう……」


医師がどんなに変人でも、もてる。
というのは、確かに事実だと、蘭は思う。
まして、見た目も良く有能な若い医者が揃っている米花中央病院は、お花畑が飛び交っていても不思議はないと、蘭は思う。

「でも、優秀で見た目が良いのは、男性医者に限った事じゃないよね」
「そこよ!蘭!白馬先生はみんなが狙ってたのに、妖艶な美女・小泉先生が……!」

小泉紅子は、新一たちと同期の麻酔科医。
やはり、海外留学スキップ組だった。
ミステリアスな雰囲気の美女であるが、何しろ麻酔科医は、手術室の看護師以外接する機会が殆どないため、蘭も顔くらいしか知らない。
以前手術室にいた園子の話だと、性格が良いのか悪いのかもよく分からない、本当にミステリアスな人だということだった。

「あと、内田先生!東都大出の才媛で、工藤先生たちより年は上だけど、美人で優秀なお医者さん!ご実家の内田総合病院の跡取り婿になってくれる医者を探してるって噂よ!」

蘭は頷く。
東都大は日本最高峰学府で、そこをストレートに卒業した内田麻美医師は、相当に優秀だ。
美人で、しかも性格も良い。
怖い医者相手にまともに物申せない看護師たちの言い分を汲んで、指導医との橋渡し役もやってくれる。
なので、女性看護師たちの間でも評判が良い。

蘭にとって内田医師は、才色兼備文武両道の素晴らしい女性として、ただただ憧れの対象だった。


   ☆☆☆



「ん〜。何や工藤、その弁当、茶色いなあ」

新一の弁当をひょいと覗き込んで感想を述べたのは、心臓外科医の服部平次である。
新一が食べている弁当は、当然、蘭のお手製で、豚の生姜焼き・鶏のから揚げ・醤油が入った卵焼きなど、美味しいが茶色いおかずが多い。
今日はご飯も炊き込みご飯なので、なおさらだ。

「……オメーの弁当も、似たようなもんじゃねえかよ」
「そらま、そうやなあ。大事なんは、見た目とちゃう」
「込められた愛情だよな」
「ん〜、それもちゃうで。大事なんは、味や、味」
「そ、そっか?オメー、そんなグルメだったのか?」
「大阪の女は、オシャレな料理より美味いもん作るのが得意なんや」
「ああ。そっか、遠山さんはオメーと同郷だからな。蘭は大阪出身じゃねえけど、うめえもん作るぞ」
「なんや。毛利さんも見てくれより味の口か」
「ま、蘭の作るメシがうめえのは事実だけどよ。オレは蘭が作ってくれたもんなら、どんな味でも食える自信があるぜ」
「さよか、どれどれ……。あたっ!何すんねん!?」
「オメー、今、1つ取ろうとしただろ!?」
「ええやんか、ちょっとくらい」
「ぜってーダメ!」
「工藤……おま……心が狭いんやなあ……」
「ああ!その通りだから、蘭が作ったもんを取るな!」
「へえ。工藤君、毛利さんはあのまま、工藤君の毒牙に掛かったんですか」

突然、消化器呼吸器外科医の白馬探が声を掛けてきて、新一は飛び上がる。

「どどど、毒牙って、何の話だよ!!?」
「毛利さんから弁当が届いた後、車に乗せて送り狼になったのでしょう?」
「ちげーよ!食事に行って温泉施設に行っただけだ!その後正式に付き合い始めはしたが、まだ、キスしかしてねえ!」
「おや、そうだったんですか。僕はてっきり……」

狼になる筈だったところを邪魔してしまった自覚のある平次は、コホンと咳ばらいをした。

「工藤。そないなこと、でかい声で言うてると、バレてまうで?」
「バレたら、何かまずいのか?」
「そうですね。彼女は、職場でまずい立場になるかもしれません」
「……何でだ?」
「女ばかりの職場を甘く見ないでください。特に、病院というのは特殊な閉鎖的職場ですし」
「……オレとしちゃ、ばらしちまって、蘭にコナ掛ける男を減らしたかったんだが」
「心配しなくても、昨今、男性看護師も増えましたが、まだまだ女性が多い職場ですよ」

そこに、更に脳神経外科医の黒羽快斗が加わる。

「工藤、オメーの弁当、茶色いなあ」
「黒羽?」
「ま、青子が作る弁当も、茶色いけどな」
「ってかさ。冷めた飯に合ううめーおかずって、茶色いんだよ」
「工藤君、そこですよ」
「……何が?」
「日本人は、米に偏り過ぎた食事になっている。おかずも白いご飯がおいしく食べられる味が濃いものになりがちだ。すると、糖質過多となり、血糖値が乱上下し、糖尿病へと……」
「白馬。オメー、糖尿病専門医になったらどうだ?」

と、突然、快斗が雄たけびをあげた。

「ってーっ!何すんだよ!?」

新一の持っている箸が快斗の手の甲に突き刺さったのだ。

「黒羽。今、卵焼きを1個くすねようとしたろ?」
「イイじゃんか、減るもんじゃなし」
「いや、そこは物理的に減るやろ。黒羽、工藤の独占欲を甘く見たらあかんで?毛利さんの作ったもん、カケラでも他の男に渡す気ないで」
「ええっ!?それって毛利さんを縛り過ぎじゃね?」
「黒羽。オメーは、中森さんの作った弁当を他の男が食べても構わねえのかよ?」
「……許せねーかも……」
「ほらみろ!」


看護師は交代制勤務で多忙なので、たまのことであるが、ここ最近、工藤医師・服部医師・黒羽医師・副院長の白鳥医師は、それぞれの恋人から手作り弁当が差し入れられることがある。

「それにしても……前に工藤君には言ったけれど、CDCガイドラインによると、食事は作成後2時間以内に食べるべきだ。朝作った弁当を昼食に持参するのは、食中毒に自ら進んでなるようなもの。水分が多い白米が中心の日本の弁当は、なおさらだ。それに、家事や手作り弁当が女性側の愛情の証という日本の風潮もどうかと思いますね」
「……まあ別に、蘭が弁当を作ってくれようがくれまいが、オレの蘭への気持ちは変わらねえし、蘭の愛情を疑うこともねえけど」

と言っている間に、またもや性懲りもなく唐揚げを1個取ろうとした快斗の手の甲に新一の箸が突き刺さり、またも雄叫びが響き渡った。

「黒羽、オメー……懲りんやっちゃなあ……」
「黒羽。他の女がオメー以外の男のために作った弁当を、よく、食う気になるな……」
「ええ?工藤君、そこまで言っちゃう?」
「オレは、中森さんが黒羽のために作った弁当も、遠山さんが服部のために作った弁当も、食う気にはならねえぜ。みんなへの差し入れなら、話は別だが」
「工藤……オメー、頭がかてえなあ」
「ちげーよ!作ってくれた女の子の真心を考えると、とても横取りできねえって言ってんだよ!」
「……工藤君。君はやっぱり、日本特有のモノの考え方をするんですね。我々の中では案外一番立派な日本男児かと」
「白馬。なんか微妙な言い回しだな。バカにしてんのか?」
「いや。バカにしてるわけでも、褒めてるわけでも、ありません。事実をありのままに言ったまでで」
「……そういや、白馬は、小泉さんから手作り弁当をもらうことはねえのか?彼女は麻酔科医で受け持ち患者がいねえから、他の医師よりは時間に融通が利きそうだが」
「時に手作りの食べ物をいただくことはあります。白米弁当ではありませんけどね」

などと会話を交わしていると。
初期研修医だが、新一たちより年上の内田麻美医師から声がかかった。
ちなみに麻美は現在、整形外科の研修中である。

「皆様。差し入れにレモンパイを焼いてまいりましたので、どうぞ」

麻美が箱を開けると、焼き立てのパイ特有の香りが漂った。

「すげー、美味そう……」

皆、次々と手を伸ばして、パイを取る。
新一も例外ではなく、パイを一切れ取った。

そして、皆がそのパイを絶賛する中、新一だけが。

「まじいっすよ、これ」

と、正直な感想を漏らし、皆、ピキッと固まった。

今まで二十数年の人生の中で、ほぼ初めてと言って良い新一の言葉に、麻美の顔が強張る。
才色兼備の上に性格も良い彼女は、男女双方から好かれ、ちやほやされ、誉め言葉以外の言葉を受けたことがなかったのだ。

「工藤君、フェミニストの君らしくもない」
「工藤、ちょっとそれは……」
「内田先生に失礼やないか」

白馬たちが口々に言って、麻美の顔はなおさら強張った。

「そう。皆様、本当は美味しくないのに、私に気を使ってくださってたのですね……」
「あ、いや、それは……」

麻美は、自分でパイを一切れ取って口に運んだ。

「……本当ですわ。美味しくないですわね」

初期研修医は忙しい。
麻美は今朝早起きしてパイを焼いたが、味見をする暇がなかったのだ。



   ☆☆☆



「……なあ、蘭。どうしたら良かったと思う?」

その夜、新一は、恋人の蘭が作った夕飯を一緒に食べながら、今日の出来事を振ってみた。

「……うーん、そうねえ。わたしがもし、同じ立場になったなら……正直にまずいって言われると、落ち込むけど、やっぱり言って欲しいって思う」
「……そっか……」
「お父さんはいつも、お母さんのご飯を『まずいまずい』と言いながら完食してたな〜」
「へっ!?さすがに、それは……」
「仕事も家事全般も完ぺきなお母さんだけど、料理だけは最悪でね。本当に不味かったの」
「……」
「お母さんは自信満々で、たぶん……味音痴なのね。自分の料理がまずいって、絶対認めようとしなかったけど」
「……オレは、何て言えばいいんだ?」
「お父さんとお母さん、お互いに言いたいことを言い合って、しょっちゅう喧嘩して……でも、お互いにすごく思い合っているし、仲が良いの」
「そ、そっか……」
「しばらく別居してたけど……」
「……それで、仲が良いのか?」
「うんまあ……仲が良過ぎて、夫婦喧嘩が派手過ぎて、10年以上も別居してたけど、それでもお互い離婚する意思はなかったっていう……子どものころは寂しかったけど、今は、そんな夫婦の在り方もあるんだなって思う」
「蘭」

新一は蘭を抱き寄せ、唇を重ねる。
ようやく、口づけにも慣れてきた二人だった。

長い口づけが終わると、蘭の目は潤み、唇は赤く色づいていた。

『そろそろ、良いか?』

二人はまだキス止まり。
新一も女性経験がなく、そのタイミングがよく分からない。

新一は、もう一度、今度は深く口づける。
そして、その先に進もうとしたとき。

新一の携帯が鳴った。



   ☆☆☆



「工藤先生、お休みのところ、すみません」
「いや。患者の状況はどうだ?」
「交通事故での多発骨折で、大腿骨は複雑骨折です」
「……少しでも早い処置が必要だな」

この日の新一は、当直でも待機でもなかったが。
どうしても緊急に整形外科医の対応が必要な場合、呼び出されることもある。

蘭から離れるときは未練たらたらだったが、病院についた時点ではスッカリ気持ちを切り替えていた。


複雑骨折(あるいは解放骨折)とは、骨が複雑に折れている状況ではなく、折れた骨が皮膚を突き破って外に飛び出している状況を指す。
無菌状態の体内と異なり、様々な菌がいる外界と交通した状態となり骨髄炎を起こす恐れがあるため、緊急手術を行う必要があるのだ。
受傷後6時間以内が望ましいとされる。

手術は、どんな名人でも一人ではできない。
緊急に、麻酔科医と、副執刀医・助手となる医師たち、手術室看護師が呼び出される。

麻酔科医として呼び出されたのは、小泉紅子だった。

「小泉先生。良かった」
「……どういう意味ですの?」
「他意はない。小泉先生が、一番信頼がおける麻酔科医だからです」

手術室看護師は、待機していた看護師のほかに、鈴木園子の姿があった。

「あれ?鈴木、君は今、病棟看護師じゃなかったっけ?」
「待機の子一人だけだと足りないから、緊急に応援要請があったんです。蘭からもよろしくって」
「そっか。助かる」

副執刀医として、整形外科医がもう一人、そして助手として数人集まった中に、整形外科研修中の内田麻美研修医がいた。

そして、緊急手術が始まる。
骨が皮膚を突き破っているため、骨髄に感染を起こしやすい状態となっており、まずは洗浄から始まる。

手際のいい新一たちであるが、手術は長時間に及び、夜9時に始まった手術が終わったのは、日付が変わってかなり経ってからだった。


患者はICUに運び込まれた。
新一は着替えてシャワーを浴びた後医局に戻り、ようやく一息ついた。

「工藤先生、お疲れさまでした」
「内田先生こそ、大丈夫でしたか?」

内田麻美医師は、立場としては研修医だが、新一より年上であるため、自然に新一の方も敬語になる。

「工藤先生の素晴らしい手術の腕、勉強になります。ここを研修先に選んで良かったと思っています」
「……そうだな。あなたほどの才媛であれば、きっと東都大に残って研修を受けることを勧められただろうけど」
「私は……」

麻美は言いかけた言葉を飲み込み、新一もそれ以上追求しなかった。

「先生。差し入れです」
「は?」
「レモンパイを……」

そこで新一が「ゲッ!」と声を出してしまったのを、誰も責めることはできないであろう。

「あ、あの……失敗作を食べさせてしまったので、リベンジでパイを焼いているところに、呼び出しがかかったんです!なので……」

ちょうどお腹が空いていたこともあり、新一はパイを取って口に運んだ。
昨日の昼間食べたものほど不味くはなかったが……。
パイは、見た目の美しさに反して、味は「不味くないけど美味しくもない」状況だった。

「ど、どうですか?」

期待に満ちた麻美の顔。
新一は、どう答えるべきか逡巡し。
そして、昨夜恋人が言ったことを思い出す。

「昨日よりは、進歩していると思う……」
「え?」
「まあ、不味くはない。けど……」
「美味しくもないんですね?」

新一は、不承不承頷いた。

麻美の顔が歪むのを見て、新一は正直、「面倒くさいな」と思ってしまった。
蘭が同じ表情をしたなら、新一は必死で対応しようとしただろうが、この男にとって蘭以外の女性は、「何かの時には守ってあげるべき女子ども」の括りに入るだけで、それ以上でもそれ以下でもないのだった。


けれど、それから毎日。
麻美の医局へのレモンパイの差し入れがあり、それは新一が「美味しい」と言うまで、続くことになったのだった。




(6)に続く



+++++++++++++++++++++++



(第5話裏話)


気づけば、第4話から、4年の月日が経っておりました……(遠い目)。
いや、第4話を書き終わってすぐ、第5話に取り掛かったんですよ。
ですが、途中で行き詰まり、そのまま放置プレイ。

原作で怒涛の展開があり、新蘭的に充足したもので、二次創作意欲が減衰してしまったという理由が大きいです。
何しろ、原作でまだ見ぬ新蘭ラブラブを見たいがために始めた名探偵コナン二次創作ですから。

まじっく快斗の快青についても、同様で。
あちらはまだ引っ付いていませんが、それでも、原作で充分萌え萌えできる展開になっているものですから。

とはいえ、書きかけた話を中途のまま放りだすわけにも行かず、何とか頑張って書きました。
が、面白いのかどうか、自分ではよく分からないです。

で、ですね。
テレビドラマ:白い巨塔とかを見た方はお分かりと思いますが、病院で手術をする場合、何人もの人が手術にタッチします。
米花病院の規模で、各科の医師が1人しかいないということは、まず、有り得ません。
病院のベッド数より、病院スタッフの数の方が、ずっと多いです。
ですが、とても全員設定する余裕がありませんので、名前なしのスタッフが多いことはご容赦ください。

内田麻美嬢のエピソードは、次話にかけて書く予定です。



2019年5月27日脱稿

(4)「不器用な2人」に戻る。  (6)「レモンパイ」に続く。