Hand in hand



byドミ



(1)春



「ただいま、蘭」
「お帰りなさい、新一」


新一が帰って来た、あの日。
二人は初めて、軽く触れるだけのキスをした。


何の言葉を交わした訳でもなかったけれど。
その時は、気持ちが通じ合ったと思っていた。
恋人同士になったんだと、思っていた。


でも。
それからの二人は、以前と何も変わりなく、過ごしていた。

いつも、二人で登下校。
時々、二人で遊びに行く事もあるし、新一の家でご飯を作る事もある。
だけど、それだけ。
あれ以来、口付けもない。

ねえ新一。
わたし達、恋人同士になったんだよね?


キスして欲しい……っていうのとは、ちょっと違うの。
触れて欲しいってのとも、ちょっと違うの。

ううん。
触れて欲しいって気持ちも、確かにあるけど。
でも、それは、なくたって大丈夫。


ただ。

恋人だって証が、実感が、欲しい。



   ☆☆☆



四月の終わり。
毛利蘭は、幼馴染み兼恋人の工藤新一と二人で登校中に、おずおずと声をかけた。

「ねえ、新一」
「あん?」
「今度の……連休、空いてる?」

ちらりと横目で新一を見ると、新一は、何事もないかのように空を見て答えた。

「……取りあえずはな。事件が起これば、別だけど」
「うん。それは……分かってるよ」
「何事もなければ、受験勉強の息抜きに、どっか遊びに行こうぜ」
「そ、そうだね」

蘭の、歯切れの悪い答に、新一は蘭の方を振り向き、不思議そうな表情をした。

「蘭?そういう話じゃ、ねえのか?」
「……ご飯を一緒に食べて、まったり過ごすのも、いいかと思って……」
「オレんちで、か?」
「うん」


新一が、ちょっと眉根を寄せて考え込んでいた。
蘭が、おずおずと声を掛ける。

「嫌なの?」
「い、嫌なんかじゃ、ねえよ!ただ、ちょっと拙いかと……」
「拙い?って、何が?」
「ああ、いや!お、オメーがそうしてえって言うなら、オレは……」


新一の歯切れの悪い言葉に、蘭は不安そうな目を向けた。

ただの幼馴染みだった頃よりもっと、言いたい事が言えなくて。
言葉を呑みこんでしまう。

幼馴染みだった頃は、意地を張って強がって、肝心の事を言えない事が、多かったけれど。
今は、オドオドビクビクと、新一の気持ちをうかがって、臆病になって、言いたい事が言えない。


新一は、決して、蘭の事を本気で怒ったりする訳ではないけれど。
蘭は、新一に本当に愛されているのか、不安で怖い。


新一は、五月四日が自分の誕生日である事については、いつも通り、素で忘れているだけなのだろう。
でも、蘭が新一の家に行く事を、何となく嫌がっている風情があるのは、何故なのだろう?

二人がただの幼馴染みだった頃、新一の家で何度も、二人きりで過ごしたというのに。


「久し振りに、腕を振るうから。何が食べたい?」
「マジ?」

新一が目を輝かせて蘭を見た。
蘭は、内心で溜息をつく。
蘭も色々と忙しく、このところ久しく、新一にご飯を作っていない。
蘭の存在は新一に取って「料理人」として重要なのではないかと、蘭は感じてしまう。


(考えてみれば。新一がコナン君だった時って、いつも、ご飯を作ってあげていたんだものね)


蘭は、新一がコナンであった事を、知っていた。
さすがに、組織との戦いが大詰めになる頃には、色々な状況から、それを知る事になったのだった。

そして、戦いが終わって帰って来た新一自身から、全てを聞いた。


(コナン君としてわたしの傍にいて……新一への気持ちを全部知られちゃったから……だから……憐れんで、傍にいてくれるの?)

つい、そういう風に考えてしまい、頭を横に振ってネガティブ思考を振り切ろうとする。
新一に対して失礼だとも、思う。

「おい、蘭」
「きゃっ!」

もの想いに耽ってしまっていた蘭は、新一に声をかけられて、思わず飛び上がってしまった。

「な、何よ!?」
「何って……着いたぞ、学校」
「あ……」

いつの間にか、二人は校門の前に着いていたのだった。


下駄箱で上靴に履き替えて、階段を上り、廊下を歩く。
その間に、クラスメートや知り合いと何度もすれ違っては、「おはよう」と挨拶を交わし合う。

二人の所属する三年B組の教室までやって来ると。


「ヒューヒュー、夫婦でご登校かよ」
「相変わらず、熱いねえ」

クラスメート男子の、変わらない、からかいの声が飛ぶ。

「そ、そんなんじゃ……」

蘭が、いつも通りに返そうとすると、不意に、新一から肩をぐっと抱き寄せられた。

「えっ……?」
「……バーロ。やっかんでんじゃねえよ!」


蘭の頭は、真っ白になってしまった。
からかって来た男子達も、目を丸くして二の句が継げないでいる。

新一が蘭を抱き寄せたのは、ほんの一瞬で、すぐに蘭は解放されたが、動けないでいた。

「ホラ。入るぞ、奥さん」

新一がドアを開けて、蘭の方に手を差し出して来た。
ふと見ると、新一はやや目を逸らし、頬が真っ赤になっている。


蘭は、パアッと笑顔になった。

「うん!」

新一の差し出した手を取り、蘭は新一と一緒に教室に入った。

教室に入ったら、また拍手と口笛とからかいの嵐で。

新一は
「うっせー!」
と悪態をつきながらも、蘭の手を放そうとはしなかった。


先程までの蘭の不安が、どこかに吹き飛んで行ったのは、言うまでもない。



   ☆☆☆



そして、五月四日。

蘭は新一の家で、鼻歌を歌いながら料理を作っていた。

「何か手伝おうか?」
「イイから新一は座ってて!」

キッチンを追い出された新一は、渋々リビングに行って座り込む。

「つまんねー」

蘭が自分の為に料理をしてくれているのだから、そんな事を言ってはバチが当たる事は、重々承知。
でも、せっかく蘭が家にいるのに、同じ空間にいられないのは、詰まらない事この上ない。

ただ。
蘭と一緒の空間に二人きりでいるのは、別の意味でやばい事も、事実だったりする。蘭には気付かれないように、いつも自制しているけれど、一体どこまでもつのだろうと、不安だったりもする。

頭脳明晰・冷静沈着と世間では言われている工藤新一も、毛利蘭の前では、ただの恋する男子高校生に過ぎない。健全な男子高校生としては、惚れた女性と二人きりの空間で、平静でいられる筈もないのだ。


暇を持て余したのと、煩悩を鎮める為に、しょうがなく新一は、新聞を広げて読み始めた。
テレビのニュースに比べてやや情報は古くなるが、情報量は桁違いに多いし、一方的に流れて来るニュースと違い、大事な部分を見逃す事もない。昨日は憲法記念日だったから、その関連の記事も多かったが。中に、興味を引かれるような事件などの記事もある。


と、突然、新一の携帯が鳴った。
表示を見ると、目暮警部からで、新一はすぐさま電話に出る。

「はい。工藤です」
『工藤君。休日のところ済まんが……』

新一自身に自覚はないが、表情が変わる。一介の高校生から、探偵の顔へと変化する。

『すぐに迎えを寄越すから、よろしく頼む』
「分かりました」

新一が電話を切ると。リビングのドアが開いて、蘭が姿を現した。

「あっ……ら、蘭……!」

電話を受けた瞬間に、蘭の事が頭から飛んでいた事に新一は気付き、愕然とする。蘭は、少し悲しげに微笑んだ。

「目暮警部に、呼ばれたんでしょ?」
「蘭……オレは……」
「行ってらっしゃい、新一」

そう言って微笑む蘭に、新一は胸が詰まる。


蘭と。
新一が探偵である事と。
どちらも、新一自身のアイデンティティと言って良いもので、新一から切り離せない存在である。

どちらがより大切かと問われれば、それは躊躇いなく「蘭」と答えるけれど。探偵としての存在を、新一から切り離す事だって、出来はしない。


新一は、思わず蘭を抱き締めていた。


「蘭。ごめんな……」
「駄目。謝っちゃ。新一は、探偵でしょ?じゃあ、行かなきゃ」


蘭は、分かってくれている。それは、新一にだって分かっている。

けれど、分かってくれているからと言って、寂しくない筈がないし。新一も、辛くない訳では、ない。


家の前で、車が止まる音がした。


新一は、蘭を離すと、リビングとキッチンの境目のドアを開けた。

「新一?そっちは……!」

テーブルや流し台の上に、様々な食材が並んでいる。蘭がかなり張り切って料理の準備を進めていた事が、分かる。

新一は、ガスの火を止めた。

「新一!?」

そして新一は、戸惑う様子の蘭の手を引いて、玄関へと向かった。覆面パトカーから降りて玄関前に立っていた高木刑事も、蘭を連れた新一の姿に、目を丸くする。

「新一?」
「一緒に行こう」
「で、でも!」

戸惑う蘭に、新一は目を向けて、言った。

「オメーがいると、その。結構、オメーの言葉がヒントになって、解決出来たりするしよ」

蘭がちょっと目を細めた。

「なあにそれ?わたしはアンタの助手扱いなわけ?」
「違う!」

新一は即座に、否定する。

「オレはただ。……ただ、オメーに、側にいて欲しいだけだ」

蘭が、目を丸くして息を飲んだ。そして、頬を少し染めて、俯く。

「オメーは、オレの……パートナーだから。出来ればいつでも、一緒にいて欲しい」
「……うん。嬉しいよ、新一。ありがとう」


二人の様子を見ていた高木刑事は、何も言わなかった。そして二人は、パトカーの後部座席に乗って、事件現場へと向かう。

パトカーの中でも、二人の手は、繋がれたままだった。蘭は、繋いだ手に、少し力を込める。新一が、蘭の方を見やって、小声で言った。

「蘭?どうかしたか?」
「新一。ハッピーバースデイ」

蘭が、頬を染めて笑顔で言った。新一は、目を丸くする。

「ありがとう、蘭」

新一の方も、繋いだ手を、きゅっと握り締めた。




(2)夏 に続く



+++++++++++++++++++++



同人誌の再録です。全5話です。

冒頭の部分、すでに「新蘭がお付き合いを始めた」原作の進行と矛盾した部分があるため、迷いましたが、敢えてそのまま掲載しました。

同人誌版初出:2009年11月1日
サイト再録用脱稿:2018年7月1日

 (2)夏に続く。