Hand in hand



byドミ



(2)夏




帝丹高校は(というか、他の高校も殆どがそうだが)、明日から夏期休暇に入る。

が。受験を迎える三年生には、休暇など存在しないも同然だった。

クラブ活動をしている者は、最後の大会も控えている。高校最後の夏は、クラブ活動の最後の花道であり、受験勉強に染まる夏でもある。

「オレには、受験など関係ねえ!高校三年の最後は、国立で締めくくって見せるぜ!」

そう息巻いているのは、サッカー部に所属する中道であった。

高校野球の決勝戦・甲子園は、八月だが。高校サッカーの決勝戦・国立は、一月である。その時期引退していない三年生は、受験を捨てたも同然なのである。
と言っても、帝丹高校の場合、元々偏差値が高いので、外部大学を受験する者も数多いけれど。よほど成績が悪い訳でなければ推薦で進学出来る同学園の帝丹大学があるので、高校三年の差し迫った時期に部活を引退しない者は、殆どがそこに進学するのだ。

二年前にサッカー部を止めた新一は、中道の肩をポンと叩いて、言った。

「中道、国立はお前に任せた。頑張れよ」
「くどおお!冷たいぞお前!お前には、受験勉強なんか必要ねえだろうが!高校生探偵はお休みして、我が母校のサッカー部をどうにかしようって気は、ねえのかよ?」
「無理だよ。オレの場合、事件が起これば、ほっとけねえし」
「かーっ!お前がいないと、国立に出場出来るか、すっげー危ういってのによ!」
「……んなこた、ねえだろう?オレにはもう、オメー達と同じレベルで、チームプレー出来る力量は、ねえよ」
「はあ。工藤の高三の夏は、事件と探偵の夏かよ……」

悔しそうに言う中道だったが。クラスメート男子達が、後ろから新一の肩をポンと叩いて言った。

「いやいやいや。こいつの場合、むにゃむにゃの夏なんじゃねえか?」
「そうそ、毛利がいるんだしよ。イイよなあ、あんなナイスバディ美人の恋人がいてよ」
「ああ、オレも毛利のあの豊満な胸で……ぐえ!」

新一の目の前にいた中道は、思わず青くなって後ずさり。背後にいた数人は、ムンクの顔になる。
一人、うずくまっているのは、先程新一に思い切り後ろ足で蹴られたのだ。

新一が、冷気の籠った怒気を立ち昇らせて、振り返った。そこにいた者達は、ムンクの叫びから、更にハニワ状態に凍りつく。


「お前ら、今、一体、何を想像した!?」

全員、ブンブンと首を横に振る。

「蘭の胸で……何だって?」
「ひいいいい!な、何も!工藤の奥様を汚すような事は、カケラも考えておりません!」

傍から見たら非常に滑稽であろうが、当人は大真面目であった。そこにいた者全員、新一の聖域・逆鱗に触れてしまった事を悟り、何とか大魔神の怒りを鎮めようと必死であった。


   ☆☆☆


一方、女子は女子同士で固まって、お喋りをしていた。
男子達の不穏な動きを訝りもしたが、すぐに女子同士のお喋りに戻る。
うち一人が、蘭に水を向ける。

「ねえ、蘭」
「ん?」
「工藤君とは、どこまで行ったの?」

突然の爆弾発言に、周囲の皆、ワクワクした表情で蘭の答を待った。
蘭は、キョトンと首を傾げる。

「どこまでって?だって、受験だし、どこにも行けないよ。この前、映画に行った位で」

蘭の答に。周りの女子は皆、盛大に引っ繰り返った。

「みんな、どうしたの?」
「はあ。こりゃ、蘭は、間違いなくバージンだよね」

一人が言って、皆、うんうんと頷く。

「ま、わたしは多分、そうじゃないかと思ってたけど。夫婦関係のない夫婦。帝丹七不思議の一つじゃない?」

園子が、涼しい顔で言った。
キョトンとしていた蘭は、ようやく皆が言っていた意味に気付いたのか、ぶわっと真っ赤になった。

「え!?ええっ!?何言ってるのよ!わたし達、まだ高校生よ!」
「そうだけどさ。経験してる子、多いよ」
「蘭と工藤君、ずっと幼馴染みで、やっと正式に付き合ったんだから、てっきりもう……って思ってたんだけどな」
「何にもないの?ホントに何も?」

蘭は、耳まで真っ赤になったまま、答える。

「そ、そりゃ、キスくらいは」

一回だけだけど、と蘭が内心で呟く。

「んなの!今時小学生でもやっとるわ!」
「蘭!工藤君の家で、二人きりになるんでしょ?」
「迫られたり、しないの?」
「迫……っ!し、新一は、そんな事しないよ!」

蘭が、思わず大きくなりそうな声を押さえて、答えた。

「へええ。工藤君って、淡泊なのかなあ」
「やっぱ、我々より大人って事?」
「んな筈、ないでしょ。蘭の事がそれだけ、大事なんじゃないの?」
「もしや、蘭の空手技が怖くてとか?」
「えー?何かそんな女々しい工藤君って、やだー」
「いやいやいや、もしかして工藤君、今流行の草食系なんじゃない?」

と、話が盛り上がっているところで。
終業式が始まるので生徒達は講堂に集まるようにと、校内放送が入った。


講堂に向かいながら、園子は蘭の表情が沈んでいるのに気付いた。

「蘭。どうかしたの?」
「ねえ園子。やっぱり、普通は、彼女と二人きりでいたら、迫るよね?」
「えっ?うん……まあ、そういう事、多いんだろうけど。別に、蘭達は蘭達だし。気にする事はないんじゃない?」
「園子。わたしって、魅力ないのかなあ?」
「ええっ!?そ、そんな事ないでしょ!蘭達は、幼馴染みの歴史が長い分、簡単に行かない事もあるんだと思うよ。気にする事ないって!」

そう言って園子は、蘭の背中をポンと叩いたが。
蘭の表情は、浮かないままだった……。


   ☆☆☆


そして、終業式が終わった日の、工藤邸のリビングルームでは。

受験生である新一と蘭の二人は、テキストとノートを広げていた。
蘭は、部活を終えて、夕御飯の買い物をして、先に帰宅している新一の家を訪れたのである。

このところ、お互いに体が空いていれば、一緒に「お勉強」するのが習慣になっていた。
新一は、いつ事件で呼び出されるか分からないし。蘭は、空手の最後の大会を控えて、練習に励んでいる。そして、いくら成績優秀な二人であっても、空いた時間は、やはり勉強に当てなければという、受験生の事情がある。

デートをする時間はないが、出来るだけ一緒に過ごしたい……という事であれば、「一緒にお勉強」というのが自然な流れと言えた。


一通り、数学の課題を終えたところで、蘭が立ち上がり、冷たい飲み物を用意してリビングに戻った。そして、新一の前に、アイスコーヒーを置いた。

「サンキュー」
「新一。わたしこそ、ありがとう」

蘭の言葉に、新一はアイスコーヒーに口をつけながら、怪訝そうな顔をした。

「あ?」
「勉強に付き合ってくれて」
「いや。オレだって、遊んでて試験に受かるなんて、生易しいもんじゃねえしよ」
「でも、わたしが分からないとこ、沢山教えてくれたし……」
「ああ。人に教えるってのは、自分にも良い勉強になっから、良いんだよ」

そう言いながら、新一は大きく伸びをした。

窓の外には、眩しい真夏の太陽が降り注ぎ、木や草が青々と茂っている。見るからに、暑くてうだりそうだ。
しかし工藤邸のリビングは、エアコンが効いて、快適な温度を保っていた。

「まあ、お互い無事、受験が終わったら。来年の夏は、出かけようぜ。海とか山とかプールとか」
「……新一と一緒だったら、出かけた先々で、事件が起こりそうだけどね」
「あのなあ……」
「でも。事件が起こったら、新一が解決するだろうし。わたしは、助手としてお手伝いするよ」
「助手じゃなくって。オレの、パートナーだろ?」
「……うん」

新一の言葉が嬉しくて、蘭は頬を染める。
出来るなら、ずっと新一と一緒に、歩いて行きたい。新一も、同じ望みを持ってくれているだろうか?と、蘭は思い、ちらりと新一の方を見た。
新一は、ボーっと天井の方を見ていて、何を考えているか分からない。

不意に、今日のクラスメート達との会話がよみがえった。
新一は、蘭とこうやって二人きりでいても、何も感じないのだろうか?ドキドキしているのは、わたしだけ?
蘭の心に、またもネガティブ思考が浮かんでくる。


「ねえ、新一」
「ん?」

新一が蘭の方を見て。蘭は、何をどう言ったら良いのか分からなくなり、焦った。そして、蘭の口から思わずすべり出た言葉は、蘭自身にも思いがけないものだった。

「新一って、エッチ、した事ある?」
(わ、わきゃー!何て事聞くのよ、わたしったら!)

言ってしまって蘭は焦りまくるが、今更その言葉は取り消せない。

「ブーーーッ!!」

新一が、思いっきり飲みかけのアイスコーヒーを噴いた。そして、盛大にむせる。

「ゲホゴホゲホッ!」
「し、新一!」
「ななな!オメーいきなり、何て事言い出すんだよ?」
「あ、あの、その……っ!」
「オメー、オレを疑ってんのか!?」

新一が思いっきり、顔をしかめて言ったので。
蘭は、「そう言えば浮気という意味になってしまうのか」と、改めて気付いた。

「ちちち、違うよ!でも、わ、わたし達、お、お付き合い始めたのって、最近だし。その前なら、もしかしてって……」
(ああああ!わたしのバカ!違うったら、そんな事聞きたいんじゃなくって!)

焦りまくっている蘭は、思わず余計にとんでもない言葉が口をついて出て来る。
新一は、大きく溜息をついて、項垂れた。

「……あのな、蘭」
「新一……ご、ごめ……わたし……」
「オレさ。オメーから信用されてねえんだな」

新一が、ふいっと視線を逸らした。

(あううう。新一、怒ってる……当たり前だよね……)
「ご、ごめんなさい!」
「イイよ別に」

そのまま、暫く気まずい沈黙が流れた。
ややあって、新一が蘭を見やり、憮然とした表情になる。

「あのさ。勘弁してくれねえか?」
「えっ?」
「何で、オメーが泣くんだよ」

新一の言葉に、蘭は自分が涙を流している事に気付いた。

「ご、ごめんなさい……」
「や、別に、謝んなくて良いけどよ」
「ご、ごめ……」
「だ、だからっ!泣くなって!怒ってなんかねえから!頼むから、な?」

つい先程まで憮然としていた新一が、一転して、オロオロしだす。
蘭は、泣いてしまった事で新一を困らせていると思うと、申し訳なくて尚更、涙が止まらない。
新一が蘭にハンカチを差し出し、蘭は涙を拭いて、チンと鼻をかんだ。

「わたしね。聞きたかったのは、そんな事じゃなくて」
「ん?」
「新一とわたしって、付き合ってるんだよね?」
「……その積りだけど?」
「新一、わたしとエッチしたいって、思わないの?」

途端に、新一は真っ赤になって、ずざざっと蘭から距離を置いた。

「ななな、何でんな事、聞くんだよ!?」
「やっぱり、そうなんだ」

蘭は、胸潰れる思いで、俯いた。

「はあ!?」
「わたしって、そんなに、魅力ない?」
「おい!オメー、何言って……」
「新一がわたしと付き合ってくれてるのは、ただの同情?」

新一は、テーブルの上でぐっと拳を握り締めた。

「蘭。本気で怒るぞ」

蘭の目から、再び涙が溢れ出しそうになる。

「うっ……!」
「もう!だから、泣くなって!泣きてえのは、こっちの方なんだからよ!」
「だってっ!」


突然。蘭の視界が、動いた。
見慣れない天井と、新一の顔。
蘭の両手首が掴まれている。蘭の太ももに、重みがかかっていて。新一が蘭の太ももの上に乗っているのだと、遅れて認識した。
蘭は、新一からソファーの上に押し倒されていたのだった。

新一の瞳の中に、暗い炎が燃えている。蘭は、生まれて初めて、新一の事を怖いと思った。

「ちょっ!や、やだっ!止めてよ、新一!」

蘭は思わずもがくが、新一が蘭を抑えつけている力は、思いのほか強く、蘭は身動きが取れなかった。

新一が、何かに耐えるように目をギュッと閉じ、そして大きく息をつくと、蘭の上からどいて、蘭を解放した。
蘭は、しばらく動けなかった。大きく、息をする。今迄聞こえなかった蝉の声が、かすかに蘭の耳に届く。

「悪かった」

新一の、低い沈んだ声が聞こえた。新一は、蘭に背を向け、ソファーの肘掛に腰掛けていた。
蘭は、そろそろと体を起こし、おずおずと新一に声を掛ける。

「新一?」
「これが。オレがオメーに、手を出さねえ理由だよ」
「えっ?」
「オメーにはまだ、覚悟が出来てねえだろ」

蘭は、目を見開いた。
新一が何を言っているのか、よく分からなかった。

「ごめん。ちょっと……頭、冷やして来る」

そう言って、新一は蘭の方を見ないまま、リビングのドアを開け、部屋から出て行った。
ややあって、玄関のドアが開く音がして、新一がどうやら外に出たらしいと分かる。

「頭を冷やすって……この炎天下で?」


蘭は、ソファーの上で体を丸め、また、涙を流した。
落ち着いて来ると、少しずつ、蘭にも分かって来た。新一は決して、淡白でも何でもなく。蘭に対して欲望があっても、それを微塵も出さないようにして来たのだ。

蘭の、為に。


「新一。新一ぃ。ごめんなさい、ごめんなさい……」

思えば。
新一は、小さい頃から、いつも、蘭に沢山の優しさをくれていた。そして蘭がそれに気付くのは、いつもかなり後になってから、なのである。
蘭への配慮から、蘭に触れようとしない新一の事を、どうして変な風に勘繰ってしまったのだろう?


蝉の音が、止んだ。
そう遅い時刻でもないのに、薄暗くなったような気がして、蘭が窓の外に目を向けると。さっきまであんなに降り注いでいた陽の光がなくなり、空は厚い雲で覆われていた。

そして。遠くから、かすかに雷鳴が聞こえて来た。



   ☆☆☆



「くそっ!オレってヤツは!どうしてこうも、自制心がねえんだよ!?」

工藤邸を飛び出した新一は、炎天下を闇雲に歩いていた。強い日差しが照りつけようが、蝉がやかましく鳴こうが、新一の心にそれらは全く入って来ない。ただただ、脳裏に浮かぶのは、蘭の姿。笑顔と泣き顔が、交互に浮かぶ。

「やっちまった。オメーを泣かせたくなんか、ねえのに……」

蘭が欲しい。狂う程に、欲しいと思う。
けれど、それ以上に、蘭が大切で大切で。傍にいてくれさえすれば、それ以上は何も望まないとも、思う。

ふと新一は、いつの間にか蝉の声がやみ、空が暗くなっているのに気付いた。
かすかに、雷鳴が聞こえる。

「蘭……!」

蘭は、雷が苦手だ。いくら建物の中であろうと、蘭は今、たった一人で取り残されている。
新一は、工藤邸に向かって駆け始めた。


新一が工藤邸に帰り着いたは、もう、雨は本降りになっていた。びしょ濡れの姿で、玄関に飛び込む。

すると。


「新一!」

目に涙を溜めた蘭が、新一に向かって飛び付いて来た。


「ららら、蘭!?」
「新一ぃっ!ごめんなさい、ごめんなさい!」
「ば、バーロッ!オメーまで、濡れちまうぞ!」
「いいもん、そんな事!新一がびしょ濡れなんだから、わたしも濡れたって、全然構わないもん!」
「蘭……!」

蘭は新一の事を怒っているのではないかと、思ったのに。
新一は、胸が熱くなり、蘭への愛しさがいっぱいに溢れて来るのを感じていた。

しっかりと、蘭を抱きしめる。
そして、蘭の顎に手をかけ、上向かせた。
蘭の目は潤み、揺らいでいたが。
新一が顔を近づけると、そっと目を閉じた。


そして二人は、新一が帰って来て以来久々の、二度目のキスを交わした。


   ☆☆☆


結局、二人ともずぶ濡れになったので、それぞれ、お風呂に入って服を着替えた。
蘭には、服が乾くまで、有希子の服を貸した。

真夏ではあるが、体が冷えた為、熱いコーヒーを淹れる。
数学のテキストが開いたままになっているリビングに戻り、二人でコーヒーを飲んだ。


「蘭」
「なあに、新一?」
「オレさ。あの時、気持ちが通じ合ったって勝手に勘違いしてて。けど、よく考えたら、肝心の事、口に出した事がなかったんだよな」

蘭が、可愛らしく小首を傾げる。

「オレさ。ずっと……小さい頃から、ずっとずっと……蘭の事が、好きだった」

蘭が息を呑んで、目を見開いた。

「告白したい。でも、もしダメだったら、幼馴染みの関係だって、壊れちまって、オメーの傍にいられねえかもしれない。そんな事、グルグル考えている内に……オレは、コナンになっちまった」
「新一……」
「思いがけず、蘭の気持ちを知って。すっげー嬉しくて。ぜってー、新一の姿に戻ってオメーの元に帰ろうって……」

蘭が、少しずつ、柔らかな笑顔になる。

「うん……」
「だからさ。やっと……長い片思いを実らせたんだから。そりゃその、オメーとどうこうなりてえ気持ちは、ないと言ったらウソになる。つーか、すっげー、ある」
「う、うん……」

蘭が、頬を染めて俯く。

「でも、一時の欲望で、やっと手に入れたオメーとの関係を、台無しにする方が、ずっと怖い。オレは、この先、生涯、オメーを離す気は、ねえんだから」

蘭の目から、またポロリと涙が溢れた。それは、悪い意味での涙ではないと見当がついたから、新一は黙って、蘭の涙を指で拭う。

「時間は、たっぷりあるんだ。オレ、待つからよ。だから、その、蘭……オレにはその気がねえとか、変な風に、勘繰るなよな」
「うん。分かった」

蘭が再び、笑顔を見せ、新一はホッとした。蘭は、いたずらっぽい表情になると、上目遣いで新一を見ながら、言った。

「ねえ、新一。いつまで、待ってくれるの?」
「オメーがその気になるまで」
「いつまでもその気にならなかったら、どうするの?」
「えっと……さすがに、結婚してまでおあずけは、困るけど」
「新一は、わたしと結婚する積りなの?」

新一の気持ちが蘭に通じた途端、蘭から、からかわれているなと、新一は少しばかり腹立たしくなったが。ここで変に意地を張っても、仕方がない。

「言ったろ。生涯、オメーを離す気はねえって。オレは、蘭以外の女と結婚する気なんかねえし。蘭を、他の男にやる積りもねえ」
「新一……」

蘭が、新一の胸に飛び込んでくる。新一は、蘭をしっかり、抱き締めた。

「オレ達のペースで、ゆっくりやってこうぜ」
「うん!」

新一は少し蘭の体を離し、向き合う。

新一は両手で、蘭の両手を包み込むようにそっと握る。
二人、微笑んで見詰め合った。新一は、大きな幸せを噛みしめていた。





そして。



「だからって。蘭、オレの忍耐力を試してるのか?これはねえだろ!?勘弁してくれ!」


夏休み。
工藤邸を訪れる蘭は、今迄にも増して、無防備な姿を新一に晒す事が多くなった。

今日、事件を解決して帰宅した新一が見たものは。リビングのソファーの上で、スカートがややめくれ上がって眩しく白い太腿も露わに、眠りこけている蘭の姿、だったりするのである。



   ☆☆☆



夏期休暇中の課外授業の帰り道。
蘭とお茶していた園子は、やつれた新一の姿を疑問に思って、蘭から話を聞きだし。そして、言った。

「蘭、あんたってば、もしかして、鬼?」
「うーん。わたしとしては、別に新一を苛めてるんじゃなくって、OKサインの積り、なんだけどね。新一、鈍いから気づいてくれなくて」
「蘭に鈍いと言われるなんてねえ。ヤツも気の毒な」
「でも、だから、わたしは、どっちでも良いの。新一はわたしの事、とても思ってくれてる。ずっと一緒にいようって、言ってくれる。だから。今、そういう関係になっても後悔しないし、逆に待ってても、構わない」
「まあ……そりゃ、分かったけどさ」
「わたし達は、わたし達のペースで、歩いて行くの。だって、ずっと一緒にいるんだから、焦らなくていいんだもん」

蘭の輝く笑顔に、蘭の親友は、ホッとしていた。夏期休暇前の蘭の不安は、取り除かれたのだと分かったから。
でもさすがに、蘭の恋人兼幼馴染みの事が、気の毒でもあった。


次の課外授業の時、偶然、ますますやつれている新一とすれ違った園子は、思わず声をかけていた。

「新一君」
「あ?」

園子を見た新一は、疲れ切ってボーッとした目をしていた。園子は苦笑する。

「頑張ってね。色々な意味で」
「??お、おう。サンキュー」

顔にクエスチョンマークを貼り付けながら、律儀に礼の言葉を述べた。
園子は少し苦笑すると、ひらひらと手を振って、新一に背を向けた。



夏は、まだまだ、終わりそうにない。



(3)秋に続く



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同人誌版初出:2009年11月1日
サイト再録用脱稿:2018年7月1日

(1)春に戻る。  (3)秋に続く。