春はもう少し先(1)



byドミ



―― side蘭 ――



「お父さん……ごめんね……お父さんに作ろうと思ったら、失敗しちゃって……」

2月13日。
毛利小五郎は、頬に汗を浮かべながら、申し訳なさそうな上目遣いで自分を見る娘を見やった。

「ふん。バレンタインデーなんぞ、異国の風習に染まりやがって……」
「ええっ?お父さんが子どもの頃も、もう、バレンタインデーってやってたでしょ?」
「……その通りだが、何でオメーが生まれる前のことを知ってんだよ?」
「あ、いや、その……」

毛利小五郎は、苦虫を嚙み潰したような顔で、今年高校生になった娘を見る。
言い淀んだ蘭は、どうせ幼馴染の探偵坊主からいろいろ変な知識を吹き込まれているのだろうと思い、ムカムカした。
実際のところは、今回に限って、蘭が得た知識はネットからで、新一からは何も聞いていない。
何故なら、両片思いの二人は、お互いに、バレンタインデーのことなど話題に出せる筈もなかったからである。
その点は完全に小五郎の読み間違いであった。

小五郎は、味の違いが分かる男であるが、妻と娘が作ったものなら、たとえどんなに不味かろうが、文句ひとつ言わず食べる度量がある。
大切な娘が、「本当に父親のために作ってくれようとしたチョコが失敗した」のであれば、相好を崩しているだろう。

けれど、手作りチョコに初挑戦した娘は、おそらく恋をしたのだろうと、父親の勘で小五郎は感づいていた。

幼い頃から蘭の傍に居た、蘭の幼馴染、工藤新一。
父親は世界的推理作家・工藤優作、母親は引退前は世界的な女優だった、高校時代の小五郎の同級生・藤峰有希子。

生意気なくそ坊主と思いつつ、それなりに親しみを持っていた相手だが、中学生の頃までは、蘭と親しくてもそこまで気に障る相手ではなかった。
何しろ、蘭が新一を見る眼差しは、同じ幼馴染の鈴木園子に向けるものと大差なかったからだ。

それが変わったのは、高校生になってから。
高校に上がったばかりの春、小五郎が町内旅行に出ている間に、何と蘭は新一に連れられてアメリカ旅行に行き……アメリカでは新一の両親と一緒だったし、旅行で新一が蘭に手を出したなんてことは勘ぐっていないが、その時を境に、蘭の眼差しが変わったのを、小五郎は気付いていた。

普通の父親は、そこまで気づくものではないが、小五郎は類稀なる観察眼を持っている。
ただしそれは大切な相手限定であったため、残念ながら探偵としてはヘボのままであったが。

蘭が新一相手に恋をしたらしいことが、小五郎としては面白くなかった。
相手が新一だからではなく、ほぼ男手ひとつで育ったと言っても良い愛娘が、恋をするようになったということが受け入れ難かったのだ。
それに加え、新一は高校生になってから「高校生探偵」として持ち上げられ始め、その影響なのか、毛利探偵事務所はますます閑古鳥が鳴くという状況になったため、なおさら面白くなかった。

とはいえ……そこであまり厭味ったらしいことを言って、娘に嫌われてしまうのも癪だったので……小五郎は、蘭の失敗作を、有難くいただくことにした。
テンパリングの温度設定を間違えたチョコは、正直、不味かったが……小五郎は父親の感傷と共にそのチョコを飲み込んだ。

その数時間後、2月14日になると同時に、蘭は「一応成功した」父親へのチョコを小五郎に渡してきたので、小五郎は「手作りチョコは新一のためだけ」と決めつけていた自分自身の不見識を恥じることになる。
蘭はちゃんと、父親や友人たちへのチョコも作っていたのだった。


   ☆☆☆


バレンタインデー当日。
蘭は、何度も失敗して、ようやくまともに出来たチョコを袋に入れ、ドキドキしながら登校した。

帝丹高校では、数年前、バレンタインデーに「持ち物検査」をして、チョコレートが全部没収されたという事件があったが、父兄からの厳しい追及があり、その翌年からは持ち物検査がなくなったと聞いている。
蘭がドキドキしているのはもちろん、没収されるのではないかと心配だからではなく、生まれて初めて「本命チョコ」を渡そうと思っているからである。

型に流し込んで作ったシンプルな小さなハート形チョコを数個、ラッピングしている。
メッセージは付けていない。
文字を書くのも恥ずかしくて出来なかった。
でも、沢山の想いを詰め込んで作ったのだ。

園子や他の友人たちにも、今年は手作りのチョコを配った。
しかし……肝心の新一はいつまで経っても登校してこず、朝のホームルームで、担任の教師から「工藤は事件解決のために警察から応援要請があった」と話があった。
結局その日は、放課後まで待っても、新一は登校しなかった。

蘭は部活に出て(部活でも友チョコを上げたりもらったりがあった)、とぼとぼと帰宅する。
精一杯の想いを込めた本命チョコは、まだ蘭のカバンの中にあった。

2月半ばは、大分日が長くなってきたと言っても、部活が終わって帰宅する頃は真っ暗である。
蘭はカバンからラッピングしたチョコを取り出して、ため息を吐いた。

毛利邸の1階にあるポアロと、隣のいろは寿司の灯りがついているため、真っ暗にはなっていない階段下のところに、壁に寄りかかって立つ誰かの姿があった。
蘭の胸が高鳴る。

「し、新一……?」
「よ。蘭」

蘭の姿を認めて、新一が寄りかかっていた背中を離す。

「ど、どうしたの?突然、わたしのところに……」

会えないと思っていた相手に会えた嬉しさと、戸惑いとで、蘭の声は少し震えていた。
チョコレートの包みを、ギュッと握りしめる。

「あ……まあその……」

新一が歯切れ悪く言葉を出す。
と、蘭は新一が沢山の紙袋を抱えていることに気付いた。

「なんかチョコをいっぱいもらっちまって……」
「新一?アンタ、事件解決に行ったんじゃなかったの!?学校サボって、何してたのよ!?」
「いや、ちゃんと事件は解決したさ!で、最後に警視庁に寄ったら、そこで婦警さんたちから……」
「サイッテー!」

学校に来なかった新一が、沢山のチョコをもらっているという事実に、蘭は様々な思いが胸を渦巻き、新一の隣をすり抜けて階段を駆け上って行った。
何故、新一がわざわざ今日この日に蘭の家の前に立っていたのかなんて、考える余裕もなかった。

玄関から中に入ると、中は真っ暗で、暖房もついていなくて寒かった。
2階の毛利探偵事務所には灯りがついていなかったから、小五郎はとっくに帰っているものだと思っていたのに。

すると、毛利邸の電話が鳴った。

「はい、毛利で……」
『ああ、蘭。やっと帰って来たのね……』
「お、お母さん!?」
『ま、蘭は部活をやってるから、当然かしら……』
「どうしたの?もしかして、お父さんと一緒なの?」
『……一緒の筈がないでしょう!?蘭をほったらかして、一体どこに……!』

電話の向こうから怒りのオーラが漂ってきて、蘭は早々に電話を切ってしまった。
母親の英理はどうやら、この日、小五郎と蘭と一緒に家族の食事を考えていたらしい。
けれど、小五郎の不在で怒りに燃えていた。

実は、小五郎なりに、バレンタインデーで恋人同士になりそうな蘭と新一のために気を利かせて飲みに行ってしまった……なんてことは、何年も後になって分かる真実であった。

電話を切って溜息をつく。
生まれて初めて本命チョコを上げようと思った相手は、沢山のチョコをもらってニヘラニヘラしていた(←注:蘭目線)し、父親は居ないし、部屋は寒いし……。

今日は厄日以外の何ものでもないと、蘭は思った。
新一が誰からチョコをもらおうが、文句を言う筋合いはないことくらい、蘭には分かっているけれど。
気持ちがささくれ立って仕方がない。

そこに、また電話が鳴った。
蘭はもう一回溜息をついて電話に出た。

「はい、毛利で……」
『蘭?』

今、一番聞きたくて、一番聞きたくない声が、電話の向こうで聞こえた。

「……何の用よ?」
『あ、や、その……さっき、チョコの包み拾ったんだけどさ』
「えっ!?」
『もしかして、オメーが落としたんじゃねえかって……』

そういえば、新一に会った時、確かに手に持っていたはずのチョコが、玄関から毛利邸に入った時には、もうなかった。

「も、もしかして……小さなハート形のチョコが、いくつか入っているヤツ?」
『あ、そうそう。やっぱ、蘭の落とし物だったんだな。しゃあねえ、今から返しに行くよ』
「え?い、いいよ、わざわざそんな……」
『けどオメー……困るんじゃないか?』

新一の気遣うような声が身に染みる。
さっきまでささくれ立っていた蘭の気持ちが、少しずつ凪いで行った。

「大丈夫。そのチョコ、新一のだから……」
『えっ!?』
「新一にあげようと思って、持ってたものだから。だから……」
『ら、蘭……』
「あ!でも、地面に落ちたやつだよね?不衛生かな?」
『あ……や……ラッピングしてあっから大丈夫と思うけど……』
「そう。良かった……」

蘭は、手渡しではなかったにしろ、無事新一にチョコが渡ったことでホッとしたが。
次いで、激しい羞恥心にさいなまれて、思わず次の言葉が出てしまった。

「い、言っとくけど!義理!義理チョコだからね!」
『……はいはい……そんな大声で強調しなくても、わーってるって……』
「……」
『あ……や……まあ、ありがとな……じゃ……』
「ま、待って!新一!」
『んあ?』

新一が電話を切ろうとするのを引き留めたものの、蘭にはどうしても、「本命」という言葉が出せなかった。

「あ。その……ぎ、義理……じゃないっていうか……」
『ら……蘭……オメーまさか?』
「友チョコ!そう、友チョコよ!!!」

蘭が勢い込んで言ったら、電話の向こうで溜息が聞こえた気が、した。

『なんにしても、ありがとな。ありがたくいただくよ』
「新一。チョコの食べ過ぎでお腹壊さないでね」
『蘭以外の人からもらったチョコは、食べねえよ』
「えっ!?」

蘭は素っ頓狂な声を出した。
もしかして、と一瞬期待してしまう。

「だ、だって……その……勿体ないじゃない?」
『婦警さんたちからのチョコは、事件解決のお礼ってことらしいしさ。施設にでも寄付するよ』
「……」

婦警の殆どは、おそらく新一のファンなのであろう、中には結構本気の女性もいるかもしれないと、蘭は思ったが、口には出さなかった。
例年だったら、学校で新一は沢山のチョコを貰った筈だが、今日は学校に来ていないのでそれもない。
新一は、そういう積りではないのだろうと思うけれど、口にするのが蘭からのチョコだけ、という事実は、蘭の心をほっこりさせた。



side新一 に続く



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