忘れ雪 <前篇>

(このお話は、快青バレンタイン話「スウィーティ・ナイト」の続編です。)

byドミ



「青子?どうしたのよ、ぼんやりして」

バレンタインデーの数日後。
自由登校になっている為、生徒の姿もまばらな江古田高校3年B組の教室で。
青子が机に頬杖をついて考え込んでいると、親友の桃井恵子から声を掛けられた。

「あ、恵子・・・」
「今年は、快斗君にチョコ、渡したんでしょ?どうだったの?」
「青子は、快斗の恋人に、なれたのかなあ?」
「へ!?前から恋人だったんじゃないの!?」
「・・・ただの、幼馴染だったもん」
「相変わらず、事実を認めようとしないんだから〜。まあ、良いけど。で、チョコは渡せたんでしょ?まさか、この期に及んで義理チョコと言い張ったとか?」
「そんなんじゃ、ないもん・・・」
「ちゃんと、本命チョコだって説明して、渡せたの?」
「渡せたと言うか・・・」
「青子?どうしたの?顔赤いよ?」
「快斗、味見って言って、青子の口の中にチョコを入れて」
「ふんふん」
「そのチョコを、奪ってった・・・」
「???青子の口の中にあるチョコを?」
「う、うん・・・」
「どうやって?」

青子は、その真実を言えずに、俯いてしまう。
快斗は、青子の唇に自分のそれを重ね、青子の口の中にあったチョコを奪い取ったのだ。
青子は、チョコと共に、ファーストキスを奪われた。

『オレも、ファーストキスだよ』

快斗はサラリとそう言ったから、「青子にキスをした」という自覚は、あるのだろう。

青子が、真っ赤になって俯いているのを見て。
恵子が、怪訝そうな顔をする。

その時。


「お、今日はピンク♪」

快斗が、青子のスカートをピラリとめくって、駆けて行ったのである。

「もう!バ快斗、今日と言う今日は、許さないんだから〜!」

青子の手には、いつの間にかモップが握られ、軽やかな動きで振り回す。
快斗も、軽やかな動きで、それをひょいひょいと避けた。


「はああ。黒羽君も青子も、相変わらずねえ」
「もうすぐ卒業で、あの光景も見られなくなると思うと、何だか寂しいわね」

クラスメート達は、苦笑いをしながら、この光景を見ていた。

「青子が、今日はちょっとばかり色っぽくて、いつもと違うような気がしたけど、気のせいだったのかな?」

恵子も苦笑しながら、青子と快斗の鬼ごっこを見ていた。


   ☆☆☆


けれど、その後も。
青子が、溜め息をつく日は、多かった。

結局、快斗はあの後、いつも通りで。
青子は、バレンタインデーに、快斗と幾度も口付けをかわし合ったのが、まるで夢の中の出来事であったかのような気になって来る。


快斗は、「黒羽快斗に寄せられた義理チョコ」は、食べたようだけれども。
怪盗キッドに贈られたチョコは、自分で食べずに他の人にあげたと言った。
誰にあげたのかまでは、教えてくれなかったけれど。


快斗と青子は、また、以前のような微妙に恋人未満の日々が続いていた。


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


3月13日。
大学入試も、ほぼ終了し。

卒業式を残しただけの江古田高校3年生は、今日は卒業式準備の為に、殆ど登校していた。
高校生探偵である白馬探も、今日は登校して来ていた。

「黒羽君、君ともいよいよお別れだね。まあ、別の場所でしばしば会うだろうけれど」
「白馬、オメーはオックスフィードに留学じゃなかったのか?」
「まあ、そうだね。けれど、時々は日本に帰って来るから。その時はまあ、お手柔らかに」

探は、怪盗キッドの正体に確信を持っている。
快斗としては、それを絶対に認めるわけには行かないのだが。

「そう言えば、明日は雪が降るかも知れないって事だよ」
「へえ。道理で寒い筈だ」
「暖冬の影響で、東京は今年、初雪もまだだけれど、初雪が名残りの雪・忘れ雪になりそうだね」
「けど、それが、どうかしたのか?」
「いやいや、まさか『寒いから、明日はサボろう』なんて、思ってないだろうね、君」
「・・・卒業間近なんだ、サボるかよ。そもそも白馬、何を柄にもなく、天気の話なんかしてるんだ?」
「おや。柄にもなくなどと。英国紳士の間では、天候の話題が交わされるのが普通だよ」

『けっ、なあにが英国紳士だ。父親は警視総監で、純然たる日本人のクセに』

快斗は、心の中で毒づく。

「ん?今、純然たる日本人のクセにと、思っただろう?」

探が言って、快斗はブンブンと首を横に振った。

「ところで、黒羽君。君、明日の準備は、整っているのかい?」
「は?明日?」
「君、沢山貰っているだろう?ご婦人方の好意を無にしてはいけないよ」
「???」
「・・・まさか黒羽君、日本を留守にする事が多いこのボクですら知っている、ホワイトデーの事を知らないのかい?」
「ほ、ホワイトデー?白い日?何じゃそりゃ?」
「・・・1ヶ月前のお返し。3倍返しが常識とか、返すのはお菓子ではなくジュエリーとか、様々な考え方があるようだがね」
「1ヶ月前?へっ!?」

快斗は、「バレンケンシュタインの日」の事であるという事に思い当って、蒼くなった。
貰った膨大なチョコレートに対して、1ヶ月後にお返しをしなければならないとは、しかもそれを知らなかったとは、迂闊な事であった。

そこへ、横からアルトの声が割って入った。

「まあ、義理チョコに対しては、義理クッキーでも義理マシュマロでも、お返しがなくても、構わない事よ」

割って入ったのは、とても同じ年頃とは思えない妖艶な美女、小泉紅子である。

「紅子さん・・・貴女から頂いたチョコレートは、もしや・・・」

それまでいたって冷静だった探が、動揺を顔に表して言った。

「あら。白馬さんにお渡ししたチョコレートは、黒羽君へのチョコレートとは意味が違っていてよ」
「オレにくれたのは、ギリチョコだって言ってたよな」

快斗が深く考えずにそう返すと、探の顔が明らかに安堵したようなものになり、快斗の頭には、更にクエスチョンマークが増えて行った。

「ギリチョコにお返しするのは、ギリクッキーかギリマシュマロ?けど、ギリってメーカー、オレ、見た覚えないんだよな」

快斗のこの発言には、探も紅子も、目を丸くした。

「やれやれ、黒羽君。君にはそもそも、バレンタインデーが何であるのか、そこからレクチャーし直さなければならないようだね」
「そ、それ位、オレでも知ってるぞ。女の子が男の子に、チョコレートをくれる日だろ?」

探と紅子は、顔を見合せて、お互いに呆れたように手を広げたり天を仰いだりした。

「IQ400の天才で、驚異的な記憶力とあらゆる知識を持つ筈の、怪盗キッドが。日本を離れる事の多いボクですら知っている、バレンタインデーとホワイトデーを、まともに知らないとは」
「だから、オレは、キッドじゃねえって!」
「わたくしも、自分が俗世間に疎いという自覚はありますけれども。黒羽君って、時々それをはるかに上回りますのね」

探と紅子は、再び、大げさに溜息をついて見せた。

『こいつら・・・一体、何なんだよ?』

快斗が不機嫌そうな顔をしていると。
探が、妙に慈愛に満ちた表情で、言った。

「バレンタインデーの起源位は、君なら難なく調べられるだろうから、省略しよう。とにかく今の日本では、バレンタインデーとは、女性から意中の男性に、チョコレートを贈って告白する日となっている、その事実だけを知れば良いだろう」
「い、意中の男性に・・・告白?」
「そう。だから、チョコレートを受け取るのは、告白を受けるのと同意という事だ」
「だ、だけど、それにしては・・・」

快斗は、大勢の女性達から貰ったチョコレートの山を、思い出す。
いくら快斗が世間知らずでも、その殆どが「告白」の行為ではない事位、分かった。

「そうだね。今はむしろ、告白の為より、友達や世話になった男性に軽い気持ちで贈るチョコレートの方が、ずっと数多い。そう言ったチョコレートの事を、義理で贈るチョコ、義理チョコと呼ぶのだよ」

快斗は、「黒羽快斗」としてバレンタインデーに貰った、沢山のチョコレートに関して。
青子が「義理」だと言っていたのを思い出し。
ホッと胸を撫で下ろした。

「まあ、怪盗キッドが貰ったチョコレートやジュエリーは、義理とは少し意味合いが違うと思うけれどね」
「キッドは・・・」

その後の言葉を、快斗は呑み込む。
探が怪盗キッドの正体を知っているのは確かだが、それを快斗の口で認める訳には行かないのだから。

実は、「怪盗キッド」は、チョコレートを受け取っていないのだ。
けれど、怪盗キッドが、ファンの女性達から押し付けられたチョコレートの行方は、探達に明かす訳には行かなかった。


『で、でも、待てよ・・・青子がくれたチョコは?義理・・・じゃねえって、確か言ってたよな・・・』

青子の唇を奪っておきながら、今更だが。
快斗は、青子がくれたのが、「意中の男性に贈るチョコレート」だった事実を知って、ニヘラとなった。

「そして、バレンタインデーに貰ったチョコレートのお返しをする日が、1ヶ月後の明日、ホワイトデーですわ」

紅子が説明を引き継ぐ。

「まあ、義理チョコへのお返しは、義理のお菓子でよろしいでしょう。その日、告白に応じる気があるのでしたら、相応なものをお返ししませんとね。3倍返しとか、あるいはブランド物やジュエリーを使ったアクセサリーを、お返しに贈る傾向がありましてよ」

『そうか・・・青子が送ってくれたのが、告白のチョコレートだって事なら、お返しは・・・』

快斗は、考え込んだ。

バレンタインデーの夜。
快斗は青子から、手作りのチョコレートを貰い。
ファーストキスを奪った。

『あの晩、何回キスをしたかな?そのお返しに、3倍の回数のキス?いやいや、3倍というなら、キスじゃなくてあんな事とかこんな事とか・・・(この後の快斗の妄想は、表では書けない内容なので、カット)』

快斗は、妄想の世界に浸っていたが、それは紅子の言葉によって中断された。

「黒羽君?それじゃあなた、バレンタインデーのお返しどころか、また、青子さんから貰うと言うか、奪うばかりじゃなの」
「おわわわ!オメー、心を読むのかよ!?」

真っ赤になって慌てる快斗を、半目で見ながら、紅子と探は言った。

「いくらわたくしでも、そんな芸当は出来ません事よ」
「黒羽君。涎を垂らしてだらしなく鼻の下を伸ばした君の顔を見れば、一目瞭然だよ」
「本当にもう、マジシャンはいつもポーカーフェイスが、聞いて呆れますわ」
「まったくだ」

そして、紅子と探は去って行った。

快斗は今回ばかりは、2人に深く感謝すべきであろうと、分かっている。
青子には、心を込めたお返しをしなければなるまい。


それ以前に。
大問題がある事に、快斗は本当は気付いていた。

1ヶ月前、青子の唇を散々味わっておいて、その後、何故今まで通りの、「あくまで幼馴染」の態度を取り続けたのか。
それは、自制心に自信がなかったからである。

もう1度、青子の唇の甘さを味わってしまったら。
きっと、自分を止められない。

だからと言って、ごまかし続けている現状では、青子を不安にさせるばかりだ。
自惚れる訳ではないが、青子がキスを許してくれた事、それ以前に、怪盗キッドである自分を受け入れてくれた事、そういうところから見て、青子とは相思相愛であろうと思っている。


あの晩以来、青子が綺麗になり大人びて来た事に、快斗は勿論、気付いていた。
そしてそれが、他の男達を惑わし始めている事にも。

青子に、他の男からのちょっかいを出させない為に、快斗は「今迄通り」のちょっかいを続けていた。
けれど、青子の表情が日に日に沈んだものに変わって行く。

明日3月14日が、バレンケンシュタイン、もとい、バレンタインデーのお返しをする日であるのなら。
青子の不安を解消し、笑顔を取り戻せる、大きなチャンスであると、言えよう。



<後編へ続く>