湖畔の怪異




byドミ



(1)



山間の、湖のほとりにあるペンションの一室で。
若い男女が、床に車座になっていた。
部屋の照明は切ってあり、部屋の真ん中に置いてある数本の蝋燭の灯りだけが、一同を照らしていた。

男子一人、女子三人という、構成である。
女子の一人が、身ぶり手ぶりを交えて、話をしていた。

「後ろから、ピタピタと、足音がするの。女の子が足を止めると、その足音も止まり。そして、また歩き出すと、また、ピタピタピタと・・・」
「それ。単なるストーカーじゃねえのか?」
「うっさいわね!新一君は黙ってて!・・・こほん。でね、女の子は、思わず振り返ってしまったの!そしたら・・・薄暗〜い街灯に、裸足の足が照らされていたの。ああ、足があるから、お化けじゃないんだわって、女の子は、思わず胸を撫で下ろしたの」

男子一人は、さして興味も無さそうな顔で、その場にいたが。
残る二人の女子は、震えながら、話を聞いていた。

「でも、裸足で外を歩いているなんて、変だなって、女の子は思った。それに、よく見ると、足跡と一緒に、水滴が落ちたような跡が。一体、こんな夜中に、どうしたんだろうって思って、女の子は、視線を上にあげた。そしたらね・・・」

そこで、また言葉を切った女子は、意味ありげに一同を見回し。
話を聞いている女子の一人が、思わず唾を呑み込んだ。

「そしたらね。なかったのよ」
「な・・・何が?」
「足から上が。胴体も頭も、なかったの。その人、足だけだったのよ!」

「・・・!!!!!!」



ペンションの一室から、ひと際大きな悲鳴が響き渡った。


   ☆☆☆


「・・・どうも、お騒がせしました」

少年は、ペンションオーナーの元へ行き、頭を下げていた。
その後ろに、申し訳なさそうな顔をした少女達と、憮然とした表情の少女が、立っている。

先ほどの悲鳴は、ペンション内に響き渡った。
客もオーナーも、まだ寝てはいなかったが。
皆、何事かと飛び上がり、騒ぎになりかけたのである。


「百物語なんて、興味本位にやるもんじゃない。君らは迷信と笑うだろうが、本当に悪いものを引き寄せる事だってあるんだよ」

初老のオーナーは、苦虫を噛み潰したような顔で、言った。

「はい。申し訳ありませんでした」

少年は、ひたすら頭を下げ、殊勝に謝った。
言い訳せず謝る姿に、オーナーはやや表情を緩める。

「こんな何もない山奥で退屈なのは分かるが、騒ぎは起こさないようにな」

そう言われて、一同は解放された。


「ったく。蘭が怖がりなの分かってて、怪談話なんかするから!」

少年が、怒りを含んだ声で言った。

「その怖がりなのが、蘭の可愛いとこなんじゃないの」

先ほど憮然としていた茶髪にカチューシャの少女が、口を尖らせる。

「新一。ごめんね・・・」

長い黒髪の少女が、目に涙をいっぱいに溜めて、言った。
少年が肩をすくめる。

「別に、オメーに怒ってる訳じゃねえさ」
「そうよ、悪いのは蘭じゃないわ、新一君よ!」

茶髪の少女が、少年に向かって悪態をついた。

「はあ?何で、オレが?」
「新一君が、蘭をしっかり抱きしめて、『よしよし大丈夫、オレがついてっから!』って甘く囁いていれば、蘭があんな悲鳴をあげる事もなかったのに」

茶髪の少女の言葉に、少年と、長い黒髪の少女の顔が、見る間に真っ赤になった。

「そ、園子!」
「ばっ・・・!んな、園子オメー、何考えてんだよ!」
「推理はお手のもんでしょ、探偵さん?」
「・・・あの。じゃあ、そろそろ、寝よっか?」

ショートカットでそばかすの少女が、おずおずと口を挟み。
その場に、またも気まずい沈黙が流れる。

「そうね、そうしよっか。じゃあ、絢、行こ♪蘭、お休み〜」

茶髪の少女が、一転してにこやかな顔になり、ショートカットの少女を連れて行った。

「あ、あのっ!園子!」

長い黒髪の少女が、顔を真っ赤にしたまま、去って行く2人の少女に声をかけたが。
2人はそのまま、行ってしまい、残された少年と少女は、途方に暮れた顔をした。


   ☆☆☆


この一行は。
帝丹高校3年の、工藤新一、毛利蘭、鈴木園子。
そして、高校は別になってしまったが、中学生の時この3人と同級だった、七川絢。
という、男一人女三人の、取り合わせ。

いずれも、米花市に住む高校三年生だ。

一行は、受験一色に染まる前に、つかの間の息抜きを・・・という名目で、山中のペンション「レイクサイド」を訪れたのだった。
湖のすぐ傍で、風光明媚ではあるが、周りに特に何もない。
しかし不思議と、それなりに人気があって、客足は絶えない。

一行の中では、そういう方面で情報通の鈴木園子が、今回、このペンションを予約したのであった。


「園子。今日ずっと考えてるんだけど。わたし、何の為にこの旅行に誘われたの?」

ツインルームに落ち着き、ベッドの一つに腰かけた、ショートカット黒髪でそばかすの少女・絢が、もう一つのベッドに腰かけている、茶髪でカチューシャの少女・園子に向かって、言った。

「そりゃあ。新一君と蘭にあてられて、わたし一人寂しく過ごすのが、嫌だったからに、決まってるじゃない」

あっけらかんと言う園子の言葉に、絢は肩を落として溜息をついた。

「だからさあ。ちゃんと説明してよ。工藤君と蘭は、恋人としてお付き合いを始めた筈なのに、何だかギクシャクしてるし。園子は妙に工藤君に突っかかるし。何か、変じゃない?」

園子は、ペットボトルのドリンクを一口飲んで、やおら絢の方へ向き直り、言った。

「そもそもの、事の起こりはね。蘭から、相談を受けたのよ」
「蘭が?」
「そう。新一君が最近素っ気ないってね」

園子が、上を向いて大きく息をついた。

「・・・確かに、今日の雰囲気見てると、微妙かなって気はしたけど」
「でしょ?何かさあ・・・あの2人、お付き合いする前の方が、ラブラブ〜って感じだったのにさ。最近、ちょ〜っと、微妙なのよねえ。で、蘭が、『新一、わたしに飽きたのかな?』な〜んて言うのよ」
「飽きる?今更でしょ。ずっと一緒にいて、ラブラブだったのに、お付き合いを始めたからって飽きるなんて、そんなはずは・・・」
「でね。夏休みに旅行に誘いなよって、蘭をけしかけたんだけど。何とアヤツ、最初、蘭の誘いを断ったんだって」
「ええっ!?」

絢が、目を見開いた。

「でさ。よく話を聞いてみるとね。わたしは、とっくに・・・だろうって思ってたんだけど。あの2人、新一君が告白した時に一度キスしたっきりで、その後は、精々、時々手を握るかなって程度の、清〜いお付き合いなんだってさ」
「へっ!?それじゃ、幼馴染だった頃と、全く変わらないんじゃない!?」
「まあ、そういう事に、なるわよね。アヤツ、一人暮らしでしょ?なのに、蘭が遊びに行っても、一向に進展する気配もない。で、蘭は、『私に魅力がないのかしら?』って、悩んでるの」
「そ、それは、ないと思うけど・・・」
「そこで、この園子様が、2人の為に、いや、蘭の為に、一肌脱ごうって決意したのよ!蘭と絢とわたしの3人で旅行に行くって言った時、最初アヤツは、無関心を装ってたけどね。このペンションで行われる合コンイベントに参加するって情報流したら、アヤツ、慌てて話に乗って来たわ」
「ええっ!?合コン!?ウソっ!」

ベッドに寝転がりかけていた絢が、思わず身を起こした。

「うん、ウソ」

園子がぺろりと舌を出す。

「へっ!?」
「だからさ。アヤツ、わたしの下手なウソでも簡単に騙される位、蘭の事では見境ないのよね」

園子がキヒヒと笑い、絢は頭痛を覚えて、思わず額を抑えていた。

「ここで、イベントが行われるのは本当だけど。それって、心霊スポットツアーなのよね〜」
「えええっ!?ちょっと、園子〜〜〜!」
「あれ?絢も、お化け嫌いだっけ?」
「蘭ほど怖がりじゃないけど、それでも、幽霊は怖いわよ!」
「まあまあ。別に、そのイベント参加は強制じゃないからさあ」
「・・・ねえ、園子。蘭と工藤君って、その・・・まだ、なんでしょ?二人一緒の部屋で、良かったのかなあ?」

絢が、心配げな表情になり、新一と蘭の宿泊部屋の方向へ顔を向けた。


   ☆☆☆


「こういった所は、ツインの部屋にエキストラベッドを入れてトリプルに出来る筈なんだけどな」

窓の外を見詰めながらぼやいているのは、工藤新一。
一行唯一の男子である。

この男は、日本警察の救世主ともてはやされた、高校生探偵であった。

このペンションは、どこの部屋も、窓から湖がよく見える。
しかし、昼間は碧く澄んで美しい湖も、夜になると、闇が迫って来る感じがして、何となく不気味だ。
新一は、立って窓の所まで行き、カーテンを引いた。

「新一。わたしと相部屋は、迷惑だった?」

泣きそうな顔で口を開いたのは、長い黒髪も艶やかな、可愛らしい清純な美貌を誇る少女・蘭である。
新一と蘭は、物心ついた頃から知り合いで、ずっと同じ学校に通い、驚異の高確率で同クラスになって来た、幼馴染。
昨年新一は、厄介な事件に関わり、蘭の前から数か月に渡り姿を消していた事があったが。
全てを解決して戻って来た時に、新一は蘭に長年の想いを告白し、無事、恋人同士となった・・・筈であった。

今の2人は、別に何かがあって喧嘩している訳ではないけれど、園子や絢が危惧するように、幼馴染だった頃よりむしろギクシャクしている。

蘭の泣きそうな声に、新一は振り返り、困ったような表情をした。

「別に、迷惑ってこた、ねえさ。ただ・・・」
「ただ・・・何?」
「園子に、いっぱい食わされた・・・」

新一が、俯いて小さく言う声が聞き取れず、蘭は思わず訊き返す。

「えっ?」

新一が、蘭を見てふっと力なく微笑む。

「あ、や、こっちの事。蘭、もう遅い、そろそろ、休もう」
「・・・うん・・・」

確かに、遅い時刻だが、まだ日付が変わる前。
今時の高校生が休む時間としては、早そうな感じではあるが、新一はさっさとベッドの一つに潜り込み、横になった。
蘭は仕方なく、もう一つのベッドに入り、横になる。

新一が蘭に背中を向けているのが、蘭には悲しい。
それが、別に拒絶ではない事位、蘭には分かっているけれど。


新一が蘭に告白し、蘭がそれを受け、2人が恋人同士となった時。
新一は、蘭の肩を引き寄せて、ぎごちなく、蘭の唇に、触れるだけの口付けを落とした。

しかしそれ以後の2人は、形としては付き合っていても、幼馴染だった頃と何ら変わりない過ごし方で。
蘭は、別に深い関係になる事を期待している訳ではないけれど、新一の気持ちが錯覚だったのか、蘭に対して抱いている気持ちは、本当は恋愛感情などではなかったのではないか、そんな風に感じてしまう事がある。


「新一・・・」

思わず、名を呼んでしまうと。

「ん?どうした、蘭?」

新一は、眠っていなかったらしい、蘭の方に振り返った。
その声音も、眼差しも、とても優しくて。
蘭は、次の言葉が出て来ない。

「な、何でもないの。おやすみなさい、新一」
「・・・ああ。おやすみ、蘭」

蘭は、眠れそうにないと思ったが、無理にも目を瞑った。


   ☆☆☆


「・・・けて・・・たすけて・・・」

「誰っ!?」

一面、墨を流したように真っ暗で、何も見えない。
女性のか細い声が、聞こえて来る。
蘭が、一所懸命目を凝らすと。
ぼーっと、白いものが微かに見えた。

「だれ?」
「たすけて・・・助けて・・・」

周りの暗闇に溶け込む、長い黒髪。

「ひっ!」

蘭は、思わず悲鳴をあげた。
蘭の手が、冷たい手で握られたからだ。

目の前に、俯いている女。
蘭の手を握っているのは、その女の手だが、病的なまでに青白い。

そして、女が顔をあげた。
生気のない、血の気の引いた肌。
色のない唇。

その女が、閉じていた瞼を開く。


そこにあるのは、目ではなく、空虚な眼窩だった。


「・・・!!!!!!」


蘭は、言葉にならない悲鳴をあげ、掴まれた手を振りほどこうとした。
しかし、その手は外れる事なく、蘭の目の前に、虚ろな眼窩が迫って来た。

蒼白な唇が動いて、言葉を紡ぐ。


「お願い・・・あの人を・・・助けてあげて・・・」


   ☆☆☆


「蘭!どうした、蘭!?」

蘭は、肩を掴んで揺すぶられ、我に返った。

「し、新一・・・?」

目の前にあったのは、力強い生命力に溢れた、蘭の愛しい男性の顔。
今のは夢だったのだと気付いたが、涙と震えが止まらなかった。

「おい、蘭!?」
「何でも・・・何でもないの・・・ただ、怖い夢を、見ただけ・・・」

蘭は、新一に縋り付きたい自分を、必死に押しとどめる。
あれは、ただの悪い夢。
そんな事の為に、新一を煩わせてはいけない。

「ご、ごめんね・・・大丈夫・・・だから・・・ごめんね・・・迷惑かけて・・・」

蘭は、必死で涙をこらえながら、そう言った。
すると、次の瞬間。

「し、新一?」

蘭は、新一の腕の中にいた。
新一の左手が、蘭の髪を撫で。
新一の右手は、しっかりと蘭の背中を抱き込んでいる。
その力強さと温かさに、蘭の震えは次第に止まって来た。

新一が、少しだけ蘭の体を離し、その目を覗き込んで来た。

「蘭。迷惑なんて、思ってねえから」
「しん・・・いち・・・?」

新一の顔が近付き、蘭は自然と目を閉じる。
新一の唇が、優しく、蘭の唇に重ねられた。

「大丈夫。オレが、ここにいっからよ」
「新一・・・」

新一は、蘭のベッドに潜り込んで来た。
そして、蘭を抱き締めて横になる。

「もう、悪い夢なんか、見ねえから・・・もう少し、やすめ」
「うん・・・」

蘭は、新一の温もりを感じながら、目を閉じ。
そして、眠りはすぐに訪れた。

その後の蘭は、夢を見る事もなく、朝までゆっくりと眠る事が出来た。


   ☆☆☆


「おはよう、園子、絢」

次の朝。
朝食に起きて来た園子と絢は、蘭の輝くような笑顔に、目を細めた。

「蘭〜♪初夜は、どうだった?」

園子が、にやにやとして、蘭に訊いた。

「へっ?ショヤ・・・って、何?」
「んもう、とぼけんじゃないわよ!昨夜、新一君と、やっちゃったんでしょ?」
「・・・何の事よ?」
「何って・・・エッチしたんでしょ?」
「えええええっ!?」

蘭が、真っ赤になって飛び上り。
そのリアクションに、園子は逆に目を丸くした。
絢が、顔に汗を貼り付けて、指を唇にあてる。

蘭は、食堂に他の客達がいて、目を丸くして蘭達の方を見ているのに気付き、慌てて口を押さえた。


「蘭、昨夜、ほんっとうに、何もなかったの?」
「な、何もなかったって言うか・・・」
「アヤツ、本当にヘタレなんだから・・・」
「園子。新一の事、そういう風に言わないで!」
「・・・ごめん。でもさ、蘭が昨日までと違って、すごく幸せそうだからさ。てっきり新一君と、進展あったのかって思って」
「それは、わたしも園子と同じ事思った。今日の蘭、ホント、生き生きしてるよ」
「あ、う、うん・・・あのね。エッチとか、そんなのなくても、新一がわたしの事、とても大事に思ってくれてるんだなって、分かって・・・」

蘭は、いささか赤面しながら、昨夜の出来事を園子と絢に説明した。

「あ〜、う〜。まあ、アヤツも忍耐強いというのか、意気地なしというのか・・・アンタ達って、今時、どこの純情青年だよって感じよね〜」

園子が、呆れたとも感心したともつかない表情で、言った。


「で?新一君は、どうしたの?」
「まだ寝てたから、そっとして置いた」
「ふうん・・・」

その時。
食堂の入口から、ヌボーッとした表情の新一が現れた。
蘭が立って、新一の方へ駆け寄る。

「新一、おはよう」
「・・・おはよう、蘭」

園子が、絢を突いて言った。

「あっちはまた、蘭と違って、えらい精気のない顔じゃない?」
「・・・工藤君、きっと、眠れなかったのよ」
「はああ。やっぱり、忍耐強いのか、意気地なしなのか・・・」
「蘭は、工藤君の我慢には、気付いてないみたいね」
「うん。蘭の事だから、アヤツが蘭に対して煩悩があるなんて、分かってないんじゃない?」

新一が、蘭を見詰める優しい眼差しに気付き、園子と絢は赤くなった。

おそらく蘭は、新一が抱える苦悩と並々ならぬ我慢に気付かないままに、進展がないと悩んでいたのだろう。
園子と絢は、基本的に蘭の味方だが。
少しばかり、新一が可哀相になってしまったのであった。




(2)に続く




 (2)に続く。