湖畔の怪異




byドミ



(2)



「で?園子、今日は一体、何すんだ?」

新一が、欠伸しつつコーヒーを飲みながら、園子に尋ねた。

「ん〜。合コン企画は、参加者が少なくてお流れになったみたいだしね〜」
「ええっ!?園子、合コンなんて話、わたし、聞いてないよ!」
「うん、そんな事正直に言ったら、蘭は参加しないだろうと思って、言ってないもん」

園子が悪びれずきひひと笑いながら言って。
蘭は目を丸くしていたのだが、新一と絢は、呆れたように半目で園子を見ていた。
そもそも、そのような企画など最初から存在していなかったのであるから。

「でさあ。せっかく来たんだから、ミステリー企画に参加してみましょうよ!」
「あら!ミステリーなら、新一の得意分野じゃない!」

園子の言葉に、蘭が目を輝かせる。

「園子、オメー、言葉は正確に使えよな。それ、ミステリーじゃなくて、スリラーの間違いだろ?」
「え?ス、スリラー?」
「・・・蘭。オメーがとっても苦手なもんだよ。ここで行われるのは、心霊スポットツアーだとさ。湖があってそれなりに風光明媚でも、たいした温泉もないこのペンションが、潰れず残ってんのは、心霊スポットツアーで人気を集めてっからだよ」

新一の説明に、蘭の顔が傍目にも分かるほど蒼褪める。

「そ、園子!酷いじゃない!」

蘭が目に涙を溜めて抗議して、園子は少し肩をすくめた。

「蘭、ごめんねえ。事前リサーチが、間違ってたみたいでさあ」

園子の悪びれない態度に、新一と絢は「確信犯の癖に」と内心で突っ込んでいた。

「とにかくオレは、パス。たまにはゆっくりしてるさ」

新一が手を挙げて言った。

「新一君は別に、幽霊苦手でもないんじゃないの?」
「別に苦手じゃねえけど、好き好んでそういうとこに行きてえとも思わないね」
「ふうん。新一君は現実主義者だし、幽霊なんか、ハナから信じてないんでしょうけどね。この世には、科学では解明出来ない事だって、い〜っぱい、あるのよ?」
「・・・オレは、自分が見たものしか信じねえ性質だけど。別に、そういう事を頑なに全否定してる訳でもねえよ」

新一の言葉は、園子にも絢にも、新一とは長い付き合いで今は恋人である蘭ですらも、意外なものであった。

「新一は、そういうの、頭っからバカにしてるのかって思ってた・・・」

蘭の言葉に、新一は苦虫を噛み潰したような顔になる。

「オレがバカにしてんのはな、そういうのに、闇雲に振り回されちまう事だよ。何か遭るたんびに心霊現象の所為にしちまって、自らの努力を放棄する、そういう姿勢だ。
事件の時だってそうだよ。幽霊が人殺しをしたんなら、トリックなんか使う必要もねえだろ?密室にする必要もねえ。だから逆に、そういう時は、ぜってー生きてる人間の仕業だって思うよ、オレはね。
この湖に幽霊が出るって話が、本当かウソかは、オレに取っちゃ、どっちでもイイ話なのさ。別に、誰かが幽霊に殺されたって事じゃねえんだから」

そう言って新一は、欠伸しながら、また部屋の方へ帰っていった。

「・・・で?蘭、どうするの?」
「わ、わたしは・・・」

蘭は、新一が去った方をちらりと見ながら、口ごもった。
幽霊なんかごめんこうむりたいし、新一と共に居たい気持ちは強いけれど、園子や絢の手前、そう言う訳にも行かないというジレンマがある。

「蘭。夜じゃないし、人も大勢いるから、怖い事はないと思うよ」
「う、うん・・・」

こういう場所での、夜間の肝試しなら、蘭は絶対に固辞していただろうけれど。
光溢れる真昼間、他の人と一緒なら大丈夫かという気になって来る。


もう食堂には、他の客はいなくて、蘭と園子と絢の3人だけだった。

「もう一杯、コーヒーはどうだね?」

いつの間にか、蘭達のいるテーブルの傍に、トレイに4つのコーヒーカップを乗せた初老の男が立っていた。
よく見ると顔立ちは整っていて背も高く、若い頃はもてたのではないかと思わせる。

「あ・・・ここのオーナーの・・・」

男は、コーヒーを3人の前に置き、自身は別テーブルから椅子を引っ張って来て、手に自分の分のコーヒーを持ち、近くに腰かけた。

「柏木だよ。君達は、心霊スポットツアーに参加するのかい?」
「え・・・まあ、せっかくだから・・・」
「この湖には、女性の幽霊が出るって言われててね。私自身、まだ見た事はないが・・・」
「ええっ!?ホントに、出るんですか!?」

蘭が、思わず自分の身をかき抱くようにして身を震わせた。

「こういった水辺では、多いよ。事故で亡くなった人、自殺した人、かなりいるからね。その内どの位の魂が彷徨(さまよ)っているのか。まあ、大抵は、そこに居るだけなんだが、たまに悪さされる事もある」
「・・・ここにも、そういう幽霊が居るんでしょうか?」
「居るらしいよ。特に、長い髪の君は、注意した方が良いかもしれない」
「えっ!?な、何で!?」
「さっきの男の子、君の恋人だろ?この湖には、カップルでやって来た女性の足を湖に引き込もうとする、焼きもち妬きの幽霊もいるらしいからね」

柏木の口調は冗談めかしているが、その目は笑っていない。
さすがの園子も、思わず迷うような目を蘭に向けた。


「私は、ここに長い事住んでいるから、色々な事を知っている。ほんの30年ほど前に、この湖で自殺した女性がいた」

柏木が、遠くを見るような目で言った。

「彼女には、恋人がいた。将来を約束して、深く愛し合っていた。けれど、ある日、恋人が、他の女と寝た事を知り、悲しみ憤って、湖に身を投げた」
「ええっ!?恋人に、心変わりされたって事、ですか!?」

園子が、ガタンと音をたてて、立ち上がり、言った。

「いや、そうじゃない。そうじゃないんだよ。まだうら若い女性である君らには、想像もつかないだろうが、男の欲望は、愛情とは別の所にあるのだよ」
「えっ!?」

今度は、蘭が反応して声をあげた。

「好きでない女でも、抱ける。そういう事だ」
「何それ、サイテー!」

園子が再びエキサイトする。
柏木は苦笑した。

「最低でも何でも、男とはそういう生き物なんだよ。でまあ、今からは想像もつかないだろうが、30年も昔だとね、女性は結婚までは純潔を守る人が多かったんだ。男も、恋人時代には、手を出さない。それが多数派だった、そういう時代だったんだよ」

蘭達には想像もつかない話に、思わず3人とも目を丸くしていた。

「結婚前に恋人が深い関係になる事を、『婚前交渉』なんて呼んでた。今となっちゃ、完全死語だが」

3人は顔を見合せて頷いた。
確かに、結婚式の夜にバージンを夫に捧げるなんて、今時そんな話は、聞いた事もない。

「まあ、だから、その女性は、純潔を守ったまま、湖に沈んだ。恋人の男は、その女性を大切に大切にしていたからね。で、つい、満たされぬ欲望を他の女性に・・・」
「何それ!?やっぱ、サイテー!」

園子が三度エキサイトする。

「・・・確かに、最低だね。本当だったらね」

柏木が、少し悲しげな目をして言った。

「本当だったらって・・・事実はそうじゃなかったって事なんですか?」

蘭が、引っ掛かるものを感じて、訊いた。

「自殺した桜という女性は、見た目も中身も、可憐だった。そして、桜さんの恋人を誘惑したのは、アザミという、鮮やかな美しさだが、内面に毒を持った女性でね。2人は幼い頃からの学友だったが、アザミさんは桜さんを何かとライバル視していた。
で、桜さんの恋人を誘惑したのさ。別に、好きでもない男なんだが、桜さんに勝つ為だけにね」
「ひどい・・・そんな事・・・」

蘭は、早くも気持ちが桜にシンクロしてしまい、目に涙を浮かべていた。

「桜さんの恋人も、男だから、密室でアザミさんに迫られると、正直、体は反応し、欲望は動いた。けれど、アザミさんの意図は分かっていたから、そこは理性でねじ伏せて、指一本触れなかったんだよ。だけど、アザミさんは桜さんに、恋人を寝取ったとウソをついた。そして、桜さんは、アザミさんのウソを信じてしまい、湖に身を投げた」

蘭達は、顔を見合わせた。
恋人に信じて貰えず自殺されてしまったなんて、桜の恋人であった男が、何とも気の毒だ。

「桜さんの恋人だった男は、勿論、深く嘆き悲しんだ。信じて貰えず死なれてしまった事を、恨みもしたが、愛する気持ちの方がずっと大きかったから、それからその男は、30年経っても独身のままで、桜さんが眠る湖から、今も離れられないでいる。
桜さんらしい女の幽霊を目撃した人は、何人もいるが。肝心のその男には、見えた事がない。幽霊でも良いから、会いたいと、切なく願っている男にはね」

蘭達は、柏木が桜の恋人だった男だと確信したが、何も言わなかった。

「その、勘違いで自殺してしまった桜さんが、まさか、仲の良いカップルに嫉妬して、女性の足を水の中に引きずり込もうとしたりしてるって言うの?」

園子の言葉に、柏木が首を横に振った。

「まさか。桜さんは、優しい女性だったから。たとえ幽霊になっていても、焼きもちから女性の足を引っ張るような真似は絶対にしないよ。
それをやっているのは、アザミさんの方だよ」
「えっ!?アザミさんも、ここで亡くなったの!?」

今度は、絢が声をあげた。

「ああ。アザミさんは、桜さんを失って嘆き悲しむ恋人に、またも誘いをかけたが。男は、それを完全に拒絶した。すると、彼女は、当てつけに湖に身を投げた」
「えっ!?たったそんな事の為に、自殺したの!?」
「いやいや、彼女は死ぬ気はなかった、狂言だ。けれど皮肉な事に、足に引っ掛かったものがあってね。一応、人道的立場から、アザミさんを助けようとした男の目の前で、沈んで行ったよ」
「引っかかったものって・・・」
「桜さんのハンドバック」

蘭達は、息を呑んだ。何という巡り合わせなのだろう?

「それって、まさか、桜さんの霊の仕業なんじゃ?」
「それは、絶対にない。桜さんは幽霊になっても、絶対に人を殺したりしない。それは本当に全くの不幸で皮肉な巡り合わせだったと、私は信じている」

暫く、蘭達は言葉もなかった。
アザミの霊がまだ湖の辺りを彷徨っているのなら、仲の良いカップルに嫉妬して、女性の足を引きずり込もうとする位の事は、やりそうに思えた。

沈んだ表情で昔話をしていた柏木が、ふと悪戯っぽい目になって、言った。

「まあ、今は時代が違うし、君らの年齢でも、恋人同士だとエッチありが当たり前のようだけどね。男が手を出さないのは、愛情がないからではなくて、むしろ逆だって、私は思うよ」
「え・・・?」
「ごめん、さっきの会話、結構大きな声だったから、聞こえてしまったんだ。彼はあなたの事、とても大切に思っているんだろう。だからそこは、信じてあげなさい。
キスもなかなか出来ないのはね。女はキスだけで満足出来るが、男はその先を望んでしまうからだよ。彼のような若い男なら、その衝動は半端ではなく大きい筈だ、私位の年齢になると、スケベ心は変わらんが抑えが利くようになるんだがね」

柏木は、優しく笑いながら、蘭に向かって言った。
蘭は、真っ赤になって、頷いた。
園子と絢は、顔を見合せながら、男とはそういうものなのかと考えていた。


「今までツアーで死人が出た事はないから、問題ないとは思うが。参加するなら、湖の傍にあんまり寄らないようにした方が良い」

柏木は、そう言って、席を立った。


   ☆☆☆


「おや、今、お目覚めかね」

新一が再びペンションの食堂に姿を現した時は、もう昼近い時刻だった。
食堂でのんびりコーヒーを飲んでいたオーナーの柏木が、新一に声をかけて来た。

「君以外の皆は、ツアーに参加したり、観光に回ったりしているよ。イイ若い者が、せっかく旅行に来ながら、ゴロゴロしててどうするね?」
「はあ・・・昨夜、眠れなかったもので・・・」

新一はまだ眠そうに、欠伸をしながら、柏木の向かい側に腰かけた。
柏木は、新一にコーヒーをサービスしながら言った。

「愛しい彼女の寝姿は、いささか刺激が強過ぎるだろう。今は時代が違う、想いのままに彼女を求めても構わんのじゃないか?彼女も、受け入れてくれるだろう」

柏木のからかうような声音に、新一はコーヒーを吹きそうになった。

「な、何でっ!?」
「君が最初に起きて来る前に、彼女達が話していた事が、聞こえてしまってね」
「・・・あいつら・・・」

新一は頬を染め、憮然としながら、コーヒーを啜った。

「まあまあ。好きな女性を大切にするのは良いが、それで不安を与えてはいけない」
「・・・あいつは、不安がっていましたか?」
「今は、大丈夫なようだ。昨夜、怖い夢を見た彼女を抱き締めて過ごしたんだろう?それで彼女には、君の気持ちが充分伝わったよ。君は、蛇の生殺しで辛かっただろうがね」

新一は思わず咳き込んでしまった。

「人間、いつどうなるか、分からない。若い人だって、何かで命を落とす事は、有り得る。将来の為に今を我慢する事も良いが、今、この時を大切にする事も必要だって思うよ。人間、明日はどうなるか分からない、君は若いが、そんな修羅場を、嫌という程に見て来ただろう?」
「えっ?」

新一は、顔をあげて柏木を見た。

「高校生探偵の、工藤新一君?」
「・・・知ってたんですか」
「ああ。ここ最近は、マスコミにあまり顔を出さないようにしているようだが、以前はよく見かけたからね」
「んで?何か、オレに頼みたい事でも?」
「・・・鋭いね。それが、探偵ってものなのかな?」
「お話を、伺いましょう」

新一が、すっかり探偵の顔になって、柏木に向き直った。

「私が頼みたいのは、ここ最近の事件じゃない。ずっと昔に起こった事だ」
「探偵は、警察じゃない。時効になっていようが、構いませんよ。・・・まあ、内容によりますけど」

柏木が、深く息をついた。

「この湖では、自殺や事故で、多くの人が亡くなっているが。ただ一人だけ、彼女だけ、遺体がいまだに発見されていないのだ。私は、彼女にまた会いたい。一目だけでも、もう一度、会いたいのだ」
「・・・お役に立てるか分かりませんが、状況を教えて下さい」


   ☆☆☆


「結構歩いたわねえ。もう、足がくたくた!」
「心霊スポットツアーっても、結局幽霊は現れないし、単なるお散歩じゃん」
「まあまあ。実際、見える人は限られてますし、現れるとしても夜が殆どですから。但し、夜に再びスポットに行きたい場合には、リスクは承知の上で、自己責任でお願いしますね」

ツアーの案内人は、学生アルバイトらしい若い男性だった。
お世辞にもハンサムとは言えない案内人に、イケメンを期待した園子は、すっかりブーたれ、蘭と絢から呆れられていた。

蘭達を含め、十数人がツアーに参加し、湖の周辺を巡って、様々な昔話と幽霊話を聞かされていた。
当然の事ながら、真昼間、大勢いて賑やかな一行の前に、怪しい気配など何もなかったけれど。

「景色は良かったし、風は気持ちいいし。ここに出るって言われても、何か、信じられない」

最初はビクビクでツアーに参加した蘭だが、幽霊の気配もない事で、すっかり元気になっていた。

「ああ。せっかくのこの蒼い湖、新一と一緒に見たかったわ・・・なあんて事、考えてんでしょ、蘭?」
「園子、アンタこそ、京極さんと一緒に来たかったんじゃないの?」
「知らないわよ、この可愛い恋人をほったらかして、修行の旅に出ている真さんなんか!」

園子は、足がくたびれた所為もあり、すこぶる不機嫌だった。

「ツアーの最後は、あの洋館です。元は、ある名家の持ち別荘だったらしいですが、そこのお嬢さんが自殺してしまい、そこの主人が手放しまして。それから幽霊が出るという噂が立ち、今ではすっかり荒れ果ててしまいました」

慣れた口調で、ツアー案内人が説明する。
湖を見下ろす位置に立つその洋館は、元は立派だったらしいが、すっかり荒れ果てていた。
門の前に立ち、ほぼジャングルと化した洋館の庭を見る。

「僕の案内は、ここで終わりです。後は、自由行動でどうぞ。この館は一応、今でも持ち主はいるようなので、探検して良いとは言いませんが、中に入っても、文句を言う人は誰もいないようです。それでは」

そう言って、ツアー案内人は、そこから立ち去った。

「これから、どうする?」
「あら、洋館の中を探検するんじゃないの?」
「崩れそうな洋館の中を見て、何が楽しいのよ?」
「園子は、幽霊を見てみたいんじゃないの?」

園子と絢が、不毛な会話を繰り広げていた。
蘭は、じっと洋館を見詰める。

二階の窓の向こうに人の姿が見えて、蘭はドキリとした。

「あそこ・・・」

蘭が指さした方を、園子と絢が一緒に見る。

「ああ。誰か居るわね。ツアー参加の誰かじゃないの?」
「違う。新一・・・」
「へっ?新一君?そう言われれば・・・って、蘭!?」

「新一っ!」

蘭は、園子が呼ぶ声も聞こえない様子で、思わず洋館の中に駆け込んでいた。

新一が、髪の長い女性と寄り添うようにして立っていた姿を見たからである。
新一は窓に背を向けていて蘭に気付かなかったようだが、女性は窓側を向いていた。
女性は目深に帽子をかぶっており、目元は見えなかったが、蘭の方を見てニッと口角をあげ、蘭を手招きした、

つい今朝がたは、新一の気持ちを信じられると感じて心穏やかになった筈なのに。
心霊スポットツアーにも参加せず、ペンションで休んでいる筈の新一が、こんなところで女性と一緒にいるなんて。

蘭の胸は、不安でざわついていた。

玄関を入ってすぐに、階段があるのを見つけて上った。
古く、人気のない洋館は、階段の踏み板もかなり傷んでいたが、委細構わず駆け上がる。

二階に上った所には、広いホールがあり。
蘭は、先ほど新一達を見かけた、玄関の上の窓らしい所に駆け寄ろうとした。

すると。


「きゃああああああっ!」

蘭の足元の床板が不意に消え失せてしまったのだった。




(3)に続く




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